1:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:37:35.09 ID:n4MKx+790
・モバマスSSです
・地の文があります
・多少の独自設定があります
SSWiki : ss.vip2ch.com
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2:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:38:38.75 ID:n4MKx+790
1.「マジックナンバー」
小さい頃、魔女に出会ったことがある。
そんな話をしても、大体が冗談だと思われたり、それとなく可哀想な子を見るような目で見られたり、ひどいときはいい病院を紹介されたりするのだろう。
実際、友達に話をしたときはジョークかどうかを直球で尋ねられたりもした。
3:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:39:38.38 ID:n4MKx+790
◇◆◇◆◇
歌うことが大嫌いだった。
今の私が聞けば笑って、今の私を知ってる人が聞けば冗談だと思うかもしれない、もう一つの本当のことだ。
4:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:40:46.82 ID:n4MKx+790
じゃあ、楽しみだったんじゃないのかって考える。
新しい場所に行くための卒園式。それは確かに、楽しみで、待ち遠しいことだった。
だけどそれ以上に、卒園式を締めくくるのに欠かせない合唱がプログラムに含まれていること。それが、嫌で嫌で仕方なかったのだ。
私が魔女に出会ったのは、住んでるマンションから、大人の足で大体徒歩一分もかからないぐらいところにある児童公園に、そんな憂鬱を抱えながら一人で歩いた土曜日のことだった。
5:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:41:58.30 ID:n4MKx+790
マンション近くの公園で休日なら、利用しているのは私だけじゃない。実際その日も隣の隣ぐらいに住んでる友達や、近所じゃないけどよく公園で見かける小学生だったりお年寄りの人だったり、色んな人が好き勝手に遊んだり、それを見てどこか穏やかな顔をしてみたりとそれぞれに憩いの場を利用していた。
だけど、子供たちのきゃーきゃーという叫び声より、中身はわからないけどきっと嫌なことで盛り上がっているんだろうな、ってことぐらいは察せられるおばさんたちの井戸端会議より、電話の向こうで嫌なことでもあったのか、電話を耳に当てながらへこへこと頭を下げながら申し訳ありません、を繰り返しているサラリーマンの声より先に、私の鼓膜を振るわせたのは、大っ嫌いだったはずの歌だった。
ああ、今でも覚えている。
その瞬間に私は、見えない、だけど大きな足に背中を蹴飛ばされたみたいに、歌声のする方へと走り出していた。
6:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:42:51.62 ID:n4MKx+790
冬だから、水を止められて枯れている噴水の近くに並べられた、所々塗装が剥げているベンチの真ん中に腰掛けて、その人は歌っていた。
今でも忘れない。綺麗だと、言葉にも情緒にも乏しかった子供の心にも、ただその一言が浮かんで落ちたこと。
それぐらいに、その人は綺麗だった。
何が、と訊かれたら、今も昔も答えは変わらない。
7:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:43:43.94 ID:n4MKx+790
なんだか、神様に祈る牧師さんみたいだと、そんなことを思っていたのかもしれない。
クリスマスになると現れる、サンタさんの格好をしたおじさんと、片手に聖書を抱えて何だかよくわからない話をする牧師さん。
言ってることは、小さい頃の私たちでも理解できるようにとても簡単に噛み砕かれたものだったけれど、そんなありがたい言葉より、礼拝が終わった後にサンタさん役をしているおじさんがくれるパラソルチョコより、かくあれかし、と言い換えられる一言を唱えて何かを真剣に祈っている牧師さんの顔が、私にとっては印象的だった。
多分こんな事を街角で宣ったなら、今でも怒られる気がするけれど。
8:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:44:44.83 ID:n4MKx+790
皆が元に戻っていったのに対して私はというと、影を地面に縫い付けられたようにじっと体育座りをしていたまま、そのひとのことを見つめていた。
今思えば結構な迷惑だったのだろうけれど。
それでも、空に浮かんでいた何かを、きっとそこにあった思い出を手繰り終えたのか、そのひとはゆっくりと私へと振り返って、こう言ったのを覚えている。
『歌、好きなんだ?』
9:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:45:52.78 ID:n4MKx+790
『だから、歌うのが好きなのかなあって、そう思ったの。嫌いだったならごめんね』
子供相手に謝る言葉なんて軽いものだ。
その時から大分時間が経って、今でもそう思うのはきっと、先生が間違ったところを指摘したときにどこか嫌そうな顔をしてから悪かった、といったり、ゲームセンターでメンテナンス不良を指摘した同級生に申し訳ございません、といいながらも嫌々作業をしているのが見てとれるアルバイトの人だったり、かかってきた営業の電話にお父さんとお母さんは家にいません、というと一瞬微妙な間が空いてからすみませんでした、と聞こえてきたりと、そんな人ばっかりを見てきた偏見が積み重なったからかもしれない。
10:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:46:53.80 ID:n4MKx+790
『……うたうの、すきなんです』
私は、嘘をついてしまっていた。
思い出す。泣きじゃくる私の隣に同じ体育座りで腰掛けて、その人はじっと、要領も得なければ、聞き取りやすいものではないし、何より、縁もゆかりもないし、聞く義理も義務もない私の言葉に、とても真剣に、耳を傾けてくれていたことを。
11:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:47:56.29 ID:n4MKx+790
歌を嫌いになったきっかけなんて、ありふれたものだった。お遊戯会の出し物である合唱の練習をしていた途中、私の隣で歌っていた男の子が突然歌うのをやめて、私のことを音痴だと罵ってきたのだ。
歌の音程が合っているかどうかなんて、その道に進むのでもなければ大体誰かが気にするようなことでもないし、カラオケとかで調子外れな歌を披露している友達がいたとしても、何も言わないで盛り上げ立てるのが暗黙の了解みたいなものだ。
だけど、子供というのはどうしたって敏感なもので、その男子にとって私の音程が外れた歌は、どうしたって許すことのできないものだったのだろう。
その日はもう大喧嘩だった。どっちから先に手を出したのかはわからない。でも、私はいても立ってもいられなくなって、その男子の頬に思いっきり平手を打ち込んだことを覚えている。
12:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:49:09.20 ID:n4MKx+790
――あのね、歌って、リズムなんだよ。ちっちゃな流れと、おっきな流れががちゃんってなって、歌になるの。
きっと小さな私にもわかるように、そんな言葉を選んだのだろう。それから時間が経ってみればどういうことなんだろう、とわからない部分が出てきたり、そういうことなのかもしれない、とその時みたいに納得できたり、なんだか微妙な感じの言葉だったけど。
『私が歌ってた歌、結構難しいんだ。でも、あなたはちゃんとついてきてた。だからね、あなたの歌は下手なんかじゃないよ。お姉さんが保証してあげる』
13:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:50:26.53 ID:n4MKx+790
『……おねえさん』
『なあに?』
『ありがとうございます』
私に謝ってくれたのと同じぐらいに、精一杯の気持ちを込めて、頭を下げる。
14:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:51:25.16 ID:n4MKx+790
『どうしたの?』
『おなまえ、おしえてくれませんか!』
今考えてみたら、これはとんでもなく大それたことだったのだろう。
でも、その時の私は知らなかった。ずっと歌を嫌いなままでいたから、知ろうともしていなかった。
15:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:52:12.75 ID:n4MKx+790
◇◆◇◆◇
引き延ばされた一秒が、ゆっくりと元に戻っていく。
履歴書と、必要な書類は鞄の中に入っている。何度も、何度も確かめた。
16:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:53:45.04 ID:n4MKx+790
2.「それが、愛でしょう」
中身がこぼれ落ちきった砂時計をひっくり返す。全部が下に落ちるまでには百八十秒、三分かかる小さなものだ。
それが意味しているのは一つだった。適当なペンケースと割り箸を重し代わりに乗せていた蓋からのけて、カップラーメンの封を切る。
17:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:54:54.05 ID:n4MKx+790
どこに行くにも、何をするにも緊張していた社会人一年生だった頃を思う。電車の中で吐きそうになったり、特に理由もなく出社を拒否して、いつも乗っているのとは反対方向の電車に乗ろうかなんて考えていたこともあった。
思えば二年目三年目にも、その先にも似たような感情を抱いたことがないわけじゃない。
だけど、今はそんな記憶にあるどの瞬間よりも緊張していた。
もうすぐ、担当アイドルが引退する。
18:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:55:48.66 ID:n4MKx+790
「……似合って、ますか?」
一瞬だけ、瞬きをしていたら見逃してしまいそうな僅かな間、愛梨の細い眉がどこか不安げに八の字を描く。
言葉とは裏腹に、いつだって愛梨はマイペースでいつも通りに見えるけれど、これだけの大舞台だ。裏方の僕ですら、今も胃がひっくり返りそうなほど緊張しているというのに、その舞台に登る当人なら言わずもがなだろう。
19:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:57:01.77 ID:n4MKx+790
「じゃあ、この衣装を選んでくれたプロデューサーさんは魔法使いですか? それとも、王子様?」
からかうように、ちろりと紅い舌先を覗かせて、愛梨はそう問いかけてきた。
「僕はそんなに大層なものじゃないよ、愛梨」
20:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:58:30.75 ID:n4MKx+790
「……ああ、行こう。愛梨」
答えて、彼女の手を引くまでにはどれぐらいの時間がかかっただろう。
多分、三分と経っていないはずだ。それどころか、一分かかったかどうかも怪しい。
それなのに、まるで答えるのに数年かかったかのような重みが全身を包み込んでいた。こうして愛梨の手を取って、ステージに向けて、終わりに向けて歩けているのが、不思議なぐらいに。
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