11:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:47:56.29 ID:n4MKx+790
歌を嫌いになったきっかけなんて、ありふれたものだった。お遊戯会の出し物である合唱の練習をしていた途中、私の隣で歌っていた男の子が突然歌うのをやめて、私のことを音痴だと罵ってきたのだ。
歌の音程が合っているかどうかなんて、その道に進むのでもなければ大体誰かが気にするようなことでもないし、カラオケとかで調子外れな歌を披露している友達がいたとしても、何も言わないで盛り上げ立てるのが暗黙の了解みたいなものだ。
だけど、子供というのはどうしたって敏感なもので、その男子にとって私の音程が外れた歌は、どうしたって許すことのできないものだったのだろう。
その日はもう大喧嘩だった。どっちから先に手を出したのかはわからない。でも、私はいても立ってもいられなくなって、その男子の頬に思いっきり平手を打ち込んだことを覚えている。
当然子供の頃だって男子の方が力が強いのなんて当たり前だし、そいつはいわゆるガキ大将ってやつだったから、あえなく私はこてんぱんにされてしまったのだけれど、それ以来ずっと、この瞬間まで、大好きだったはずの歌は、大嫌いなものに姿を変えることになってしまったのだ。
多分、そんなことを何回も何回も繰り返していたのだろう。だけど、そのひとは決して呆れた様子も見せず、私が涙を流す度に、そうだねと、つらかったねと、寄り添うような言葉をかけてくれた。
『あのね、実は私も、歌うの下手だったんだよ?』
一頻り泣いて、私が落ち着いたのを見計らって、その人は言った。
正直、最初は嘘だと思った。だって、あんなに綺麗で、上手く歌える人が下手だったはずなんてない。
悔しいけど、歌うのをやめてじっくり聴いてみれば、そのガキ大将の歌声は、同じガキ大将でも土管の積み重なった空き地でリサイタルを開くやつとは正反対の、子供にしては綺麗で音程の取れたものだった。
あとで確認してみたら、そいつは習い事で少年合唱団に所属していたらしい。そりゃあ、上手くないはずもない。
『……うそ』
『本当だよ? だからね、お姉さん、いっぱい練習したんだ』
いっぱい、いっぱい。祈りの言葉を繰り返すように、そこに滲んだ血と涙の数を数えるように、そのひとは、真剣に言葉を紡いでいた。
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