20:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 17:58:30.75 ID:n4MKx+790
「……ああ、行こう。愛梨」
答えて、彼女の手を引くまでにはどれぐらいの時間がかかっただろう。
多分、三分と経っていないはずだ。それどころか、一分かかったかどうかも怪しい。
それなのに、まるで答えるのに数年かかったかのような重みが全身を包み込んでいた。こうして愛梨の手を取って、ステージに向けて、終わりに向けて歩けているのが、不思議なぐらいに。
「私のアイドル活動、今日で終わりなんですよね」
僅かな沈黙を破り捨てて、愛梨がどこか名残惜しそうにそう呟く。
そうだ、とは答えられなかった。ああ、とも、うん、ともつかない曖昧な返事をするのが精一杯だったのは、僕もそこに大きな心残りがあるからだ。
アイドルには賞味期限がある。
どこの誰が言い出したのかはわからない。残酷で、不躾で、僕自身は嫌っている言葉ではあったけれど、それは半ば暗黙の了解のように、この業界では事実として扱われている。
それまで無名だった事務所のアイドルたちがトップアイドルの王座に手をかけたことで訪れたものは、通算三回目の一大ムーブメントだった。国中を巻き込んで、そこかしこでアイドルの話題が日々飛び交い続ける。
一度目にアイドル戦国時代を引き起こした人間の名前は生憎忘れてしまった。それでも、二度目は日高舞という名前だったのは覚えている。
ただ、三度目のアイドル戦国時代は、それまでのムーブとは性質が大きく違っていた。
日高舞の時代、トップアイドルの玉座には彼女しか座っていなかった。街を往く人々が口にするアイドルの名前はほぼ彼女とイコールで結ばれて、対抗馬となる存在だって何人もいたはずなのに、日高舞以外はまるで存在していないかのように、この国はたった一人の女の子の歌声に、笑顔に夢中になっていたのだ。
天海春香の最大にして異端、異例の功績は、その玉座が一人のものではないと知らしめたことだった。
十三人。センターである彼女が代表のようにこそ扱われているけれど、個性も歌声もばらばらなアイドルユニットがまとめてトップアイドルの称号を手にしたことで生まれたものは、それまでの画一性とは反対の多様性だった。
誰か一人の名前を称えるのではない。それぞれに好きなアイドルがいて、その全員がもしかしたらトップアイドルになれるかもしれない。
そんな、一昔前にこの業界で口にしようものなら、鼻で笑われそうな幻想が現実になってしまった。
今は、そういう時代だった。
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