21: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:29:09.92 ID:RAUxaTtJ0
でも、どれほど努力をしたところでどうにもならないことがこの世にはあるのかもしれない。
私みたいな英国人が大和撫子になるなんて最初から無理な話なのかもしれない。
だって外見がこうだ。いくら覚悟を決めても、意地を張っても事実は事実のまま変わることはなくて。
花は咲かない。芽も出ない。土を汗と涙で湿らせているだけのこの花が咲く日など訪れるのだろうか。
22: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:30:44.44 ID:RAUxaTtJ0
だからといって大和撫子を諦めることもできなくて。あの日感じた胸の高鳴りを忘れることができなくて。日本語を勉強し続けた。日本舞踊も、独学の茶道も続けた。
今さら、この道を引き返すことはできなかった。振り返っても暗闇の道をそうできるほど私は強くも弱くもなかったのだ。
そうして迎えた十二歳の夏。
23: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:31:41.66 ID:RAUxaTtJ0
赴任。
知っている言葉だったけれど飲み込むのに時間がかかる。頭の中で赴任の意味を検索した。赴任とは、新しい勤務地に赴くことという意味で。
だからつまり。
24: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:32:34.95 ID:RAUxaTtJ0
❀
小さな不安は消えないまま。十三歳の春、家族で日本に引っ越した。
ようやく地面を踏んだ日本は思っていたよりも洋風だった。都会には高い建物が立ち並んでいるし、少し道を外れてみても木造住宅よりも鉄筋でできた住宅ばかり。
25: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:33:49.25 ID:RAUxaTtJ0
ある日。
街を歩いていると「アイドル」という文字が目に入った。
日本に来て初めて見た知らない言葉だった。
正確には知っているけれど知らない言葉。
26: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:35:31.93 ID:RAUxaTtJ0
――あこがれ。
偶像は、あこがれ。
アイドルは誰かの憧れ。誰かのなりたい姿。
私の憧れは、あの日からずっと変わらずに大和撫子だった。
27: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:36:10.13 ID:RAUxaTtJ0
そうだ。たったそれだけの理由で私はここにいる。そのために努力をしてきて八年間を過ごしてきたのだ。思えば、日本に触れた期間の方が触れていない期間よりも長くなっている。
それくらいに、人生の半分以上を捧げるほどに私は、大和撫子になりたくて。
そのための努力は惜しまなかった。だって私は誰よりも大和撫子になりたかった。
28: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:36:58.39 ID:RAUxaTtJ0
ぎゅっと手を強く握りしめて、顔をあげた先の広告にとある事務所の選考会の情報が目に映る。
芽の出るような高揚感。空に向かって葉を広げてようとしている気がした。
そうして、アイドルを知った私は一歩を踏み出して。私はこの場所とあなたに。
29: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:38:10.18 ID:RAUxaTtJ0
*
「……ー。……ミリー。エミリー?」
「は、はい!」
30: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:39:32.73 ID:RAUxaTtJ0
「いいえ、恥ずかしくはありません。今までの私がいるから今の私がいるんだということは、ここにきて十分教えていただきましたから」
思い出を話すことが恥ずかしいというのは多少あるけれど、自分の過去を恥じたことは一度もない。それはここにきて、この劇場で、仕掛け人さまと皆さんに教えてもらったことだった。
「ですが……」
31: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:40:46.99 ID:RAUxaTtJ0
「すみません、変なこと言って。こうして劇場にいることも皆さんと出会えたこともどれも素敵な経験で、できることならもう一度同じ道を進みたいなと思っているんですよ」
今の私はうまく笑えているだろうか。いま言ったことは本心。
でも、そう思えるくらいに素敵な道だったとしても。その道が実は大和撫子に繋がっていないのなら今までの私の努力は一体なんだったのか、なんて強くない私はきっと思ってしまう。
32: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:41:55.00 ID:RAUxaTtJ0
「最初に今回の仕事……、着物のモデルの仕事があるって聞いたときに真っ先に頭に浮かんだのがエミリーだった。他の誰でもなくてエミリーだったんだ」
「そう、なんですか……」
それは知らなかった。尽力してくださっていたことは知っていたけれど、そういう仕掛け人さまの胸の内までは何も知らない。
33: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:42:56.20 ID:RAUxaTtJ0
「だけど、どうしてもそうは思えなかった。だって真っ先に浮かんだのはエミリーだったからさ。でも浮かんだ理由までは深く考えてなかったから、改めてどうしてだろうって考えたときに、エミリーだからなのかなって思って」
「私、だからですか……?」
私を思い浮かべた理由が私だから……?
34: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:43:33.94 ID:RAUxaTtJ0
「日本が大好きで、大和撫子になりたくて、一生懸命努力して。そういう風に歩いてきたエミリーだから伝えられる着物の魅力があるんだって松山さんには知ってほしかったから。……なにより」
そうして仕掛け人さまは言葉をつづけた。
「エミリーに知ってほしかったんだ。エミリーにしかできない日本の魅力の伝え方があるって。エミリーだけの大和撫子で見せられるものがあるって」
35: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:44:28.06 ID:RAUxaTtJ0
膝を抱えて部屋で泣いている。いつまでも芽が出なくて悔しい思いをしている。日本語が上手に話せなくて嫌になっている。正座で痺れた足を恨んでいる。鏡を見てため息をついている。
そんな私。
大和撫子になりたいと願っている。日本が大好きでいる。躓いても立ち上がって進み続けている。日本語を覚えて喜んでいる。上手に抹茶を点てられて笑みがこぼれている。努力を続けている。
36: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:47:00.66 ID:RAUxaTtJ0
だけど、この花は。
「私だけの大和撫子に……」
いつだって私と一緒だった。
37: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:48:01.69 ID:RAUxaTtJ0
歩んできた道は正しいのだと。今までの努力は無駄なものなんて一つもないのだと。
まだ蕾もつけない名前も知らない花だけど、それは必ず咲くのだと。
撫子がずっと日本の傍にあったように。
そういう花。
38: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:48:57.95 ID:RAUxaTtJ0
仕掛け人さまは一瞬目を丸くしたあとに小さく笑って言う。その言葉は何よりも心強く、靄なんて吹き飛んでしまうくらい。
「そのための仕掛け人じゃないか」
「ふふっ。そうでしたね。心強いばかりです」
39: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:50:12.97 ID:RAUxaTtJ0
< エミリーさんのために、一からデザインいたしました。>
その一行に込められた意味を感じて、目頭が熱くなってしまう。だけど涙は流さない。
だって、私は大和撫子になるのだから。
40: ◆DbvMVEE3z2[sage saga]
2019/06/16(日) 00:54:08.76 ID:RAUxaTtJ0
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
エミリーの過去に想いを馳せていたら出来上がりました。
エミリースチュアートという彼女について思うところはたくさんありますが自分なりの一つの答えを詰めてみました。
41: ◆NdBxVzEDf6[sage]
2019/06/16(日) 00:57:32.13 ID:cFgXJVUc0
こういう過去があっての話凄く好みだわ
乙です
エミリー(13) Da/Pr
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