十時愛梨「それが、愛でしょう」
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34:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:11:56.31 ID:n4MKx+790
『あの天海春香と?』
『はい、あの天海春香さんと』

 いつものように悪戯っぽく、だけど、どこか困ったような笑みを浮かべて、愛梨が答えた。
 この業界は広いようで狭い。天辺に近づけば近づくほど知っている顔が増えて、事務所が違っても仲のいい友達がいる、なんていうのはそんなに珍しいことでもない。
以下略 AAS



35:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:12:55.87 ID:n4MKx+790
 ただ、どこかで行き詰まったとき、人は今いる場所じゃなければどこでもいいからと、結局今いる場所からそう離れていないところをぐるぐると歩き回っていることが多い。うちの事務所だと、一ノ瀬志希――まで行くと本当に放浪癖だが、塩見周子や二宮飛鳥辺りはそんなプチ迷子とでも呼ぶべき癖を持っていることは記憶していた。
 それでも、愛梨にもそんな癖があった、と、いうより、そこまで何か思い詰めていたこと自体が、初耳だった。

『それでは二曲目です、寒さも一気に吹き飛ばす、高槻やよいでゲンキトリッパー、お聴きください』

以下略 AAS



36:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:13:52.55 ID:n4MKx+790
『春香さん、歌ってたんです。さっき流れた曲だったんですけど、なんでか私、ずっとそれに聴き入っちゃって』

 想像する。愛梨が紡いだ言葉から、夜の埠頭で歌う天海春香の姿を。
 生憎、どんな曲なのかはこのとき頭から抜け落ちてしまっていたけれど、それでも何となく様になっていると、そう思った。きっと、天海春香なら夜の公園だって、ボロボロのテントを背景にした芝生の上だって、どこだって自分のステージになる。
 悔しいけれど、何度かオーディションでぶつかったとき、そして歌番組で共演したときに、彼女の中にあるアイドルとしての魅力というべきものは嫌というほど見せつけられた。
以下略 AAS



37:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:14:52.75 ID:n4MKx+790
 自然に、ハンドルを握る手に力がこもっていた。
 それはきっと、僕が抱いていた焦りと、無関係ではなかった。
 焦燥がちりちりと胸を焦がしていく錯覚がした。あと少しで、心臓が破裂して、内側から焼け死ぬんじゃないかなんて物騒な心配を抱いてしまうぐらいに、脈拍が上がっている。
 そして。

以下略 AAS



38:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:15:39.91 ID:n4MKx+790
『死んじゃいたいとか、いなくなっちゃいたいとか、そんなことを考えたことは一度もないんです』
『…………』

 恐らくそれは本当だろう。そこまで思い詰めた感情を抱えて、そしてそれを誤魔化しながら生きていれば、五年以上もアイドルとしてやっていくことは不可能に近い。
 テレビが映し出す華やかなイメージとは裏腹に、アイドルは過酷な職業だ。理不尽と出会うことだって数知れないし、だからこそそんな時にアイドルを守れるように、いざとなったらいつでも彼女たちの代わりに腹を切れるように、僕たちが、プロデューサーが、マネージャーが、そしてそれより上の役職に飾られた人間がいるのだ。
以下略 AAS



39:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:16:42.33 ID:n4MKx+790
『……私、色んな人に支えられてここまで来たことはわかってます』

 あんまり頭は良くないですし、天然ですけど。愛梨はそう謙遜したけれど、それをちゃんと理解している時点で十分に、十分すぎるほどに彼女は聡明だ。

『だから、ずっと……泣いちゃダメだって、そう思ってたんです』
以下略 AAS



40:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:17:26.52 ID:n4MKx+790
『……プロデューサーさん』
『……愛梨』
『もう、遅いかもしれないですけど』

 泣きたいときに泣いていいですか、つらいことがあったら、弱音を吐いていいですか。それは、迷惑じゃないですか。
以下略 AAS



41:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:18:20.07 ID:n4MKx+790
 だったら、最初から通じ合っていたんじゃないかと思う。それなのに、通じ合っているはずなのにすれ違う。
 簡単なことのはずなのに難しくして、わかっていることのはずなのに見落としてしまう。それがどうしてなのかはわからない。
 多分これも、この世に遍く存在する、いくら考えたって答えが出てこない問いかけの一つだ。
 だとしたら、神様が七日目にサボったことが、よしとしてしまった間違いが、こういうものなんじゃないかと、そう思う。人間が人間である限り、どうやったって間違い続けてしまうこと。

以下略 AAS



42:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:19:18.79 ID:n4MKx+790
『愛梨』
『なんですか、プロデューサーさん?』
『歌手路線で行くつもりはないか?』

 見なかったことにして、記憶の底に沈めていたものを引っ張り上げながら問いかける。
以下略 AAS



43:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:20:18.04 ID:n4MKx+790
◇◆◇◆◇


 果たして十時愛梨が歌手路線一本で行く、という僕の掲げた博打は無謀の一言で一蹴されるかと思いきや、すんなりと社内を通ってくれた。
 それは皆が皆、僕と愛梨の決めたことに賛同してくれた、なんて都合のいい話じゃないことぐらいはわかっている。
以下略 AAS



44:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:21:26.35 ID:n4MKx+790
 きっと、奇跡と人はいうのかもしれない。
 いつだったか、路線を変えることになって、最後に臨むこととなった和装グラビアの撮影の時に愛梨が呟いていた一言が、はたと頭の片隅に零れて落ちる。

『何千年先も、みんなの心に残るような……そんなアイドルになりたいです』

以下略 AAS



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