十時愛梨「それが、愛でしょう」
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26:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:04:12.14 ID:n4MKx+790
 プロデュースを初めて三年ぐらい経ったところで、愛梨の人気に陰りが出てきた。それは認めがたいことだったけれど、事実だった。
 愛梨が誰からも注目の的になった初代シンデレラガールであることに変わりはない。今だってそうだ。勝ち取った栄光は不変のものとして輝き続ける。
 だけど、アイドルには賞味期限がある。そのことを示すようにCDの売り上げは右肩下がりで落ちていったし、そうしている間にも次代のシンデレラガールが生まれたり、未来のトップアイドル候補生として色んな事務所から日々アイドルの卵がデビューし続けていた。

 だからこそ、焦っていたのかもしれない。
以下略 AAS



27:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:05:03.39 ID:n4MKx+790
 アイドルとは、なんだろうか。
 きっとそんなことを同じ業界の人間に聞いたとしたら、今はそんな哲学なんて語っている暇はないと一蹴されるか、そうでなければ僕と同じく頭を抱え続けるかのどっちかだと思う。
 当たり前だ。そこに明確な答えなんてないのだから。今だってはっきりとした答えを出せる気がしない。

 迷走していた。きっとあの三年目から、二年前の夜までずっと、僕は愛梨をプロデュースしているつもりが、愛梨にプロデュースされて、いや、回る世界と自分自身の不甲斐なさにずっと、振りまわされ続けてきたといってもいい。
以下略 AAS



28:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:06:00.07 ID:n4MKx+790
 ファンとの交流企画を立てるコンペティションで、海の家を運営して、そのメインスタッフをアイドルに一任するという企画が採用されたのは、丁度それから一年ぐらい経ってのことだった。
 生憎僕の考案した企画ではなかったけれど、それならば他に適役がいるはずもない、と、メンバー選抜において真っ先に白羽の矢が立てられたのが愛梨だったのはきっと用意されたかのような必然だった。

『うーんっ、気持ちいいですねっ。今回は海の家の看板娘ってことで、私、いっぱいいっぱい頑張ろうと思ってたんですっ』

以下略 AAS



29:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:07:07.83 ID:n4MKx+790
 ただ、何か違和感があるとするなら、彼女がプロジェクト初期からのメンバーではなく、新規スカウト枠として事務所に、プロジェクト・シンデレラガールズに後から所属したことだった。
 愛梨がグラビアクイーンとして天下を取った。
 そこにだって嘘も間違いもない。愛梨が映るポスターや写真はいつだって人気を博して、注目を集めてきた。何より、その功績こそ全て愛梨のものでも、そうなるように仕向けてきたのは僕自身に他ならないのだから。

 それでも、僕はそこに感じた引っかかりのようなものを拭えなかった。やっていたが元からグラビアの仕事なのだから考えすぎだと言われればそれまでの話だったし、実際、その時はそこまで深刻に捉えていなかったはずだ。
以下略 AAS



30:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:07:57.60 ID:n4MKx+790
 ここで、一つボタンを掛け違えていたことに気付けば、何かが変わったのだろうか。
 わからない。いや、きっと気付いていなかったはずがない。
 言葉にこそ出来ないけれど、見逃してはいけない致命的な齟齬。それは確かに存在していたはずなのに、僕はそれに蓋をして、見て見ぬ振りを繰り返していたのだ。

 だってそうだろう。世間には需要があって、それが何年も落ち込んでいないのは、とりもなおさず愛梨がアイドルとして求められていることの証左だ。そして、多くの人間が望んでいて、愛梨自身もそこに不満を抱いていないのなら、きっとこの方針でアイドルを続けていくことに間違いはない。
以下略 AAS



31:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:09:04.09 ID:n4MKx+790
 その話を愛梨から聞いたときは、ひどい雪が降っていたことを覚えている。
 首都の道路に積もった雪を、無数のヘッドライトとテールライトが照らしていると書けば少しは風情がありそうなものだけれど、生憎風情より何より、遅々として進まない車が列を成している苛立ちが、時折クラクションになって聞こえてくる殺伐とした夜のことだった。
 僕もわざわざクラクションを鳴らしたりはしないけれど、例に漏れず、少しだけ苛立っていた。進んでいくのは気晴らしにつけているカーステレオから流れるラジオばかりで、車の列は何分経ってようやく一メートル進むか進まないかという有様に、怒りを感じるなという方が無理な話ではあったけれど、ささくれ立った感情の大本がそこにはないことぐらいは理解していた。

『それではここで一曲お届けしましょう、天海春香で――』
以下略 AAS



32:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:09:53.22 ID:n4MKx+790
『うーん……これって言っていいんでしょうか』
『何か、悪いことでも?』
『そんなんじゃないんですけど』

 発売前の新譜を何かのコネを使って事前に入手していました、というのはそれが流通に絡む人間なら当たり前の話だけれど、歌う方で、ましてや競合する他社のアイドルが歌う予定のものを不正に盗み聞きしたとあれば信用に関わる。
以下略 AAS



33:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:10:34.98 ID:n4MKx+790
『私、プロデューサーさんには感謝してるんです』
『……それは、僕もだよ』

 そこに嘘はない。進む気配のない渋滞の中で、息が詰まりそうな緊張がどこかに空いた隙間から流れ込んできて、背筋を伝っていくような、そんな寒気を感じた。
 その言葉に嘘はなくても、喋っていない部分に嘘が隠されている。
以下略 AAS



34:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:11:56.31 ID:n4MKx+790
『あの天海春香と?』
『はい、あの天海春香さんと』

 いつものように悪戯っぽく、だけど、どこか困ったような笑みを浮かべて、愛梨が答えた。
 この業界は広いようで狭い。天辺に近づけば近づくほど知っている顔が増えて、事務所が違っても仲のいい友達がいる、なんていうのはそんなに珍しいことでもない。
以下略 AAS



35:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:12:55.87 ID:n4MKx+790
 ただ、どこかで行き詰まったとき、人は今いる場所じゃなければどこでもいいからと、結局今いる場所からそう離れていないところをぐるぐると歩き回っていることが多い。うちの事務所だと、一ノ瀬志希――まで行くと本当に放浪癖だが、塩見周子や二宮飛鳥辺りはそんなプチ迷子とでも呼ぶべき癖を持っていることは記憶していた。
 それでも、愛梨にもそんな癖があった、と、いうより、そこまで何か思い詰めていたこと自体が、初耳だった。

『それでは二曲目です、寒さも一気に吹き飛ばす、高槻やよいでゲンキトリッパー、お聴きください』

以下略 AAS



36:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/18(木) 18:13:52.55 ID:n4MKx+790
『春香さん、歌ってたんです。さっき流れた曲だったんですけど、なんでか私、ずっとそれに聴き入っちゃって』

 想像する。愛梨が紡いだ言葉から、夜の埠頭で歌う天海春香の姿を。
 生憎、どんな曲なのかはこのとき頭から抜け落ちてしまっていたけれど、それでも何となく様になっていると、そう思った。きっと、天海春香なら夜の公園だって、ボロボロのテントを背景にした芝生の上だって、どこだって自分のステージになる。
 悔しいけれど、何度かオーディションでぶつかったとき、そして歌番組で共演したときに、彼女の中にあるアイドルとしての魅力というべきものは嫌というほど見せつけられた。
以下略 AAS



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