1: ◆Kg/mN/l4wC1M
2022/11/25(金) 00:00:31.62 ID:YjhaJr8i0
最初の記憶は、みんなの笑い声だった。
鈴が鳴るような桃色の声。芯が通っていて澄んだ桔梗色の声。
包み込むような優しい檸檬色の声。
ひとり、またひとりと楽しそうな声が聞こえるたびに、無機質だった私の心は暖かくなっていった。
みんなの声を聞いているだけで、私は心地よくて、幸せで。いつまでもこの幸せが続いてくれたら、って思ったんだ。
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2: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:02:04.62 ID:YjhaJr8i0
ある時、気がついたら私はそこにいた。
白飛びした視界は、まるでガラスの曇りが解けていくようにだんだんと鮮明になっていく。
何度か瞬きをして、私はゆっくりと瞼を開いた。
3: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:02:40.02 ID:YjhaJr8i0
これは、私が「げき子」と名乗るようになるよりも、ずっと前のお話。
私の、最初の記憶。
4: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:03:40.52 ID:YjhaJr8i0
このときの私は、自分が何者であるのかも、なぜここにいるのかも分からなかった。
私が知っていたのは、ここが765プロライブ劇場という名前の施設であること――この劇場が、アイドルたちが共に過ごし、公演を通してファンたちと夢を共有する場所である、ということだけだった。
壁に貼られたコルクボードに、写真がいくつか貼られていた。
5: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:04:44.05 ID:YjhaJr8i0
そのとき、天井の蛍光灯が、ジジと音を立てて明滅した。
天井を見上げてみたけれど、とくに変わった様子はなかった。
6: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:05:30.56 ID:YjhaJr8i0
部屋を見回していると、さっきまで見ていたレッスン風景の写真がこの部屋で撮られたものだと分かった。
今はしんとしていて静かだけど、きっとレッスン中は、音楽に合わせて、部屋にダンスシューズの音が響いて……。
私は、まだ私が知らないそんな景色に想いを馳せながら部屋を歩いていた。
7: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:06:41.93 ID:YjhaJr8i0
それから私は、廊下へ出た。
私のことを誰かが呼んでいるような気がして、胸の高鳴りが大きくなる方へ、歩いていく。
ある大きな鼠色の扉の前で、私は立ち止まった。
8: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:07:25.07 ID:YjhaJr8i0
扉の先、黒い暗幕を潜り抜けると、そこは舞台袖だった。
演出用の機材や大道具が所狭しと並べられていて、その奥には袖幕の隙間からステージが見えた。
ステージの上は、小さな蛍光灯でまばらに照らされているだけだった。
9: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:07:54.49 ID:YjhaJr8i0
だけど、破局はすぐそこで待っていたんだ。
私は、私のことをもっと知りたいと願った。
ただ、それだけだったのに……ううん、きっと知りたいと願ってしまったからなんだ。
10: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:09:28.45 ID:YjhaJr8i0
私は、劇場の控室で、一冊のアルバムを見つけた。
とても分厚くて、棚から取り出すのも一苦労だった。
『劇場の日々』――そう名前のつけられたアルバムの表紙は、カラフルな色ペンとシールで、隅まで綺麗にデコレーションされていた。
両手に感じるこの重さの分だけ、今の私がまだ知らない、この劇場で積み重ねられてきた時間がある――そう思うと胸が落ち着かなかった。
11: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:10:14.08 ID:YjhaJr8i0
……もし何も知らないままでいられたのなら、どれだけ幸せだったのかな。
劇場のみんなと一緒に過ごして、隣で同じ景色を見て、同じ未来へと進んでいく――それだけで私は良かった。
それなのに、私が欲しかったものは、私がどれだけ手を伸ばしたって、もう叶わない。
12: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:10:57.92 ID:YjhaJr8i0
新緑に染まった木々たちが海風で揺れて、さらさらと音を立てている。
窓辺に寄ると、音のざわめきに合わせたみたいに湿った潮のにおいがした。
13: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:11:51.57 ID:YjhaJr8i0
お昼の時間を少し過ぎた頃、劇場のみんなはエントランスに集まっていた。
今日劇場にいた子たちは全員いるみたい。だいたい二十人くらい、かな。
これだけの人数が集まると、広いエントランスも少し手狭に感じた。
14: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:12:29.92 ID:YjhaJr8i0
もしも私がアイドルだったのなら、こんな想いは知らないままで居られたのに。
もしも私がプロデューサーだったのなら、みんなの隣で、みんなをずっと支えることが出来るのに。
私の心に、嫌な感情が蛇のように纏わりついて離れなかった。
15: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:13:19.76 ID:YjhaJr8i0
三人を見送ったあと、私は劇場の屋上にいた。
この場所だと、一人になれるから。
建物の壁際に据え付けられた腰掛けに、私は腰を下ろした。
16: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:14:19.24 ID:YjhaJr8i0
「げき子さん。……良かった、ここにいたんですね」
壁の影から顔を出したのは――箱崎星梨花ちゃんだった。
17: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:14:55.34 ID:YjhaJr8i0
「……ありがとう、星梨花ちゃん。私のことを心配してくれて」
私は、少しだけ深く息を吐いた。
18: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:15:32.77 ID:YjhaJr8i0
運河の方から微かに風が吹いた。葉が擦れる音がした。
「わたしは……わたしは、げき子さんにそんなこと言ってほしくないです」
19: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:16:30.54 ID:YjhaJr8i0
「……星梨花ちゃんは、強いね」
ぽつり、そう溢れた。
20: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:17:23.89 ID:YjhaJr8i0
そんな中、私の手に、何かが触れた。
柔らかくて暖かくて、きゅっと私の手を握った。
それは、星梨花ちゃんの、小さな両手だった。
21: ◆Kg/mN/l4wC1M[saga]
2022/11/25(金) 00:17:53.55 ID:YjhaJr8i0
「星梨花ちゃん、さっきはありがとう。私も、星梨花ちゃんみたいに頑張ってみるね」
「はい、げき子さん。一緒に、頑張りましょう!」
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