50: ◆v0AXk6cXY2[saga]
2019/08/17(土) 18:07:45.73 ID:9YnfOZCp0
『ああ、いや。その話をするつもりはない……わけじゃないですけど。でも今日は普通に花を買いに来ただけで。このアネモネ……っていうのかな? 思いのほか彩りがあって。花のある生活っていいものなんですね』
そういうと、彼女はぽかんとした表情をする。……うん? その反応は予想していなかった。ところで初めて花の名前を知った。アネモネとはあまり聞いたことのない名前だな。日本原産ではなさそう。
あの青紫色の花を見ながらそんなことを思っていたら、彼女がじっとこちらを見ていた。なぜか刺々しいものが減っている気がする……。なんでだ。
51: ◆v0AXk6cXY2[saga]
2019/08/17(土) 18:08:12.85 ID:9YnfOZCp0
それから数秒ほど彼女はそのままだったが、
「たぶんペットボトルはそこまで関係ないと思う。水切りのやり方は知ってる?」
『水切り?』
52: ◆v0AXk6cXY2[saga]
2019/08/17(土) 18:08:39.85 ID:9YnfOZCp0
□ ―― □ ―― □
さてもさても、効果は抜群だった。
53: ◆v0AXk6cXY2[saga]
2019/08/17(土) 18:09:06.71 ID:9YnfOZCp0
(四日ぶりか。なんだかひどく久しぶりな気がするなあ)
俺は立ち上がってスーツに着替える。もうその必要はないのかもしれないが、なんとなくあの花屋に行くときはスーツじゃないといけない気がしていた。
電車で片道二十分ほどの距離。よく考えると、これほどの距離をよくもまあ歩いたと思う。実際にはずっともっと歩いているのだから、自分の健脚ぶりに思わず笑ってしまいそうになるな。
54: ◆v0AXk6cXY2[saga]
2019/08/17(土) 18:09:35.22 ID:9YnfOZCp0
「あっ、その携帯電話って」
『はは……君に拾ってもらった奴です。その節は本当にお世話になりました』
などと言いながらぷち、ぷちとボタンを押す。何度かそれを繰り返せば、画面に映っているのは――。
55: ◆v0AXk6cXY2[saga]
2019/08/17(土) 18:10:03.29 ID:9YnfOZCp0
「それにしても、意外と普通なんだね、お客さんって。急に“アイドル”とか言い出すからちょっとヤバい人なんじゃないかって思ってたけど」
「あはは……」
その評価に苦笑することしか俺はできなかった。超ごもっとも。俺だってそう思うよ。ただちょっとだけ、お客さんと呼んでくれたことにはガッツポーズをしたい気分だ、なんて思いながら言葉を返す。
56: ◆v0AXk6cXY2[saga]
2019/08/17(土) 18:10:31.07 ID:9YnfOZCp0
『それが、俺の“アイドル”なんだ』
言ってから、俺もまたのぞき込むようにその動画を見る。何度見ても見飽きない。ずっとずっと、俺の中の目標であり続ける人。
泡のはじけるような、心地よい歌声。決して動きは大きくないけれど、だからこそ動きの一つ一つが丁寧な振り付け。
57: ◆v0AXk6cXY2[saga]
2019/08/17(土) 18:10:58.05 ID:9YnfOZCp0
「これが……?」
『うん。少なくとも……俺にとっては、間違いなく。そういう人を、世に出したいと思ってる』
何とは言わず、俺は肯定した。そしてもう一度再生されるそれを、まるで初めて見るモノのように、熱心に見る彼女の横顔を見る。
58: ◆v0AXk6cXY2[saga]
2019/08/17(土) 18:11:25.03 ID:9YnfOZCp0
□ ―― □ ―― □
「……なんでそこまで、必死なの。私くらいの人なんてどこにでもいるじゃん」
59: ◆v0AXk6cXY2[saga]
2019/08/17(土) 18:11:59.08 ID:9YnfOZCp0
「“アイドル”って、何なの」
きっとそれは、彼女が持つ疑念の根底となるものなのだろう。それはさっきの、なぜこんなにも必死なのかという問いかけに答えるものでもあるのかもしれない。
ゆっくりと俺は目を閉じる。“アイドル”とは何か。その自問自答は何度でもやってきたことだった。それに、自分なりの答えはある。ただ、明確に言葉にはしてこなかった。
60: ◆v0AXk6cXY2[saga]
2019/08/17(土) 18:12:31.14 ID:9YnfOZCp0
『クラスの人気者の面白くもない馬鹿話に笑ったふりをするばかりで、なんのために生きてんだろうって思うぐらいで。流されるまま生きるだけの存在』
その言葉に微か、彼女が目の前で身じろぐ。ああ……そうだよね。君も、そうなんだよね。交番で彼女の目の奥に感じた既視感の正体が今ならわかる。
それはきっと、漠然とした将来への不安と、熱意を向ける先のないことへの焦燥。つまらない日常をただ流されるだけの日々に、このままでいいはずがないと思っていても……何をすればいいのかわからない無間地獄のそれ。
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