127:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:33:31.46 ID:tRJaplXx0
空気が揺れた。
地鳴りのような重低音が部屋を騒がす。上空を飛行機が行ったらしい。
ああ、そうだった――ついのんびりしてしまっていたが、来るべき時が、言葉が来た。背負おうとしたものの意味を問われ答えあぐねたまま、落胆に嵌りきった千夜がその泥を撒き散らしながら辿り着いたここは、如何わしい司祭の対坐する告解部屋で、千夜はこれから信じてもいない神の名にすがり、自分のしたことを洗いざらい悔い改め、あるいは永遠に破門されなくてはならないのだ。
128:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:33:57.20 ID:tRJaplXx0
だけれど、彼は千夜の告白を強いはしなかった。顔だけを見て、「そっか」と言った。
「もしどうしても嫌だったら、ひとつも千夜の為にならないと思うなら、今回の仕事はよしにしよう。簡単な話だとは言わないけど――千夜が居なくても問題ないとは言えないし、だけど――カバーしてみせるよ。背中は任せて、千夜は楽しめ」
彼はとん、と自分の胸を叩いて見せたけれど、
129:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:34:28.20 ID:tRJaplXx0
得られなかったと知ってから、自分が求めていたのがやれ≠ナなければやるな≠ネのだと分かった。意思などを問うて欲しいのではない。
お見通しでか、そうでないか、
「頼りないか、そうだなぁ。君のお嬢様風に言うなら、僕は魔法使いだ。君の被った灰を払って、ドレスを着せて馬車に乗せるまでが仕事。そこから先、手までは引いてやれるわけじゃない」
「しかも魔法は時限式」
130:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:34:54.95 ID:tRJaplXx0
望むもの、と言われ、千夜はちとせの隣を想う。守るべきもの、と言われ、千夜はちとせを想う。そんなものは分かり切っていて、だから今、くだらない自分が頭を悩ませているのだというのに。
「楽しめるばかりではないでしょう。アイドルという仕事が生存競争である事ぐらい、私だって知っている」
「ああ、大変だな」
「華やかな舞台を夢見ながら、実際は声の一つを上げることも許されず、ただ涙を流す者たちを、私でさえ見てきた。そうなっても背中を押すと?」
131:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:38:48.12 ID:tRJaplXx0
ふつふつと頭痛が始まった。衝動が身体を駆け巡った。
「神様とやらが私を戒めるとすれば、わざわざ塩の柱に変えたりなどしない。硫黄も永遠の火も必要ない。鏡一枚だ。鏡に映る本当の姿を見さえすれば、私には全部が分かる。何を願おうと分不相応だ。何を望む資格もない。
私がここに居るのは、お嬢様に恩をお返しする、その当然の道理の為だ。お嬢様が望むことならば、応えなければならない。お嬢様が新しい舞台で活躍なさるのなら、よりお側でお支えする為に、私自身も努力をしなければならない。当然の道理だ。私の願うことじゃない。その筈だった。それを……
132:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:39:16.36 ID:tRJaplXx0
ほとんど怒鳴って、机も叩いて、目の前に突っ立つビジネススーツをあらん限りに睨み付けた。
しかし千夜が危惧したような、例えば怖気を震ったりするような態度を彼はとらず、一言一言を吟味するようにしながら、眉や唇を引き締めて黙っていた。
暫時の間そうしていて、千夜の呼吸が整った頃、ふと思い出したように「そっか」と言い、彼は顔を和らげた。
「分かるよ。自分を見なきゃいけないってのは大変だな」
133:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:40:23.86 ID:tRJaplXx0
「しかも鏡見るだけじゃ駄目なんだ。俯瞰しないとな」
「何が言いたいのです」
「関係性の話だよ。千夜は今、自分の話をしただろ。だけどその白黒の世界には、確かにちとせがいる筈だ。白黒で充分だったのは、お互いを宝石のように守って来たのは、ちとせにも同じ事だったろう」
彼は言って、文香のガラスタンブラーに指を触れた。
134:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:40:51.74 ID:tRJaplXx0
話を聞いていたのかどうか、あまり分からない感想を述べて彼は、
「アイスコーヒーどう? 紙パックだけど」と言い添えた。
かぶりを振った千夜に背を向け、給湯室へ向かう。
「戻るにせよ、そうでないにせよ、僕が頭を下げにいくよ。まあ、あの先生には要らない気遣いだろうけど」
「しかし……」
135:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:41:46.07 ID:tRJaplXx0
戻って来た彼は紙パック――アイスコーヒーと、果汁100%オレンジジュース――を手にしながら、黒と蒼、二つのカップに首を傾げた。
「断熱ねぇ。じゃこっちか? でも、ガラスの方が映えるよなぁ」
千夜は呆れて、
「はあ、まったく幸せですね。そんな事で悩めたものだ」
136:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:42:20.79 ID:tRJaplXx0
――――
――増えたな――
それを聞いた刹那、千夜は時間が止まったのを感じた。
137:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:43:21.34 ID:tRJaplXx0
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