30: ◆jEbRvHU8C2[sage saga]
2019/07/14(日) 16:07:04.30 ID:UfnhAP/w0
部屋へと入り、後ろ手に扉を閉めた彼が、そのまま微動だにせずに私を見て。
瞬間、本当に、…本当に、久しぶりに眼があいました。
ああ、ああ、私のために、私のメッセージを読み解き、私を見てくれた。
いわゆる推理小説で、探偵に追い詰められた怪盗も、もしかしたらこんな昂揚感を抱くものかも知れません。
31: ◆jEbRvHU8C2[sage saga]
2019/07/14(日) 16:07:33.67 ID:UfnhAP/w0
そう、私がしたことは、彼の本に栞を挟んだ、ただそれだけ。
紅く朱い紙を重ね、開きグセを付けてしまわないようになるべく薄さを保ち、
それでいて丈夫さも求めた、欲望をこれでもかと詰め込んだ栞。
その栞に、誰が所有するのかすぐわかるよう、彼の名を書き記して。
32: ◆jEbRvHU8C2[sage saga]
2019/07/14(日) 16:08:07.34 ID:UfnhAP/w0
ですが、まだ。
まだ、見て貰っているだけです。
大丈夫ですよと彼の頭をなでなでしながら、私の方へと少し力を込めると、
それに合わせて彼が近付いてきて。
33: ◆jEbRvHU8C2[sage saga]
2019/07/14(日) 16:08:37.51 ID:UfnhAP/w0
運命の赤い糸と言う表現があります。
言われは諸説ありますが、興味深いものが1つ。
いわく、嫁ぎたての嫁を安心させるために旦那が用いた方便だったというものです。
かつて、現代日本で考えれば年端もいかぬ娘を、当人を置き去りに家同士だけで決めて嫁がせていた時代。
34: ◆jEbRvHU8C2[sage saga]
2019/07/14(日) 16:09:06.54 ID:UfnhAP/w0
ぎゅうぎゅうと挟まれた彼の感触を感じながら、ふと、かつての本のことが脳裏をよぎりました。
叔父さんから買い取った、売りモノにならない本。
持ち帰った私は、あの本を手に机に向かいました。
表紙と背表紙を両の手でそれぞれ持てば、自然と開く、彼の血を内包した箇所。
35: ◆jEbRvHU8C2[sage saga]
2019/07/14(日) 16:09:33.69 ID:UfnhAP/w0
しかし、彼にとってそれはきっと通用しないでしょう。
それがわかっているから、見せるわけには、いかない。
不可抗力とはいえ、血塗れで本を台無しにするという、眼を背けたい行為に関わってしまった彼です。
恐らく、本の行方こそ訊ねど、実物をもってして無事を確認したいとは言い出さないでしょう。
36: ◆jEbRvHU8C2[sage saga]
2019/07/14(日) 16:10:09.18 ID:UfnhAP/w0
彼の吐息が激しくなっていくのを感じます。
呼吸や姿勢に苦しんでいるのではありません。
そうであれば、こんなに熱を帯びたりはしないハズですし、
うつぶせに寝転んだまま腰だけをずりずりと動かすなんてしないでしょう。
37: ◆jEbRvHU8C2[sage saga]
2019/07/14(日) 16:10:35.76 ID:UfnhAP/w0
ぐじゅぐじゅする座布団の感触が冷たさを伴い始めました。
…どれほど経ったでしょうか。溢れるほどの熱を感情のままに吐き出して、少し落ち着きを取り戻します。
絶え絶えの息で、笑みを浮かべている。そこまでは自分でもわかっていたのですが、
よもやだらしなくヨダレで襟元を濡らしているとは、このときやっと気付きました。
…こんなだらしのない顔を見られるわけにはいきません。
38: ◆jEbRvHU8C2[sage saga]
2019/07/14(日) 16:11:06.07 ID:UfnhAP/w0
私と眼があって、それでも笑んだままで、…思わずつられて私もまた笑み返しました。
と同時に。その顔の向こう、さきほどまで小刻みに動いていた彼の腰が、
中途半端に浮かされたままになっているのが見えました。
ヨダレを拭ったそのままに、彼の頬を抱えるように、両の手を差し伸ばして。
39: ◆jEbRvHU8C2[sage saga]
2019/07/14(日) 16:11:35.28 ID:UfnhAP/w0
自身が果たして何者なのかさえあやふやになるほどわからなくなった私ですが、
もしも私がどうしようもなくヒトであり、綴る人生を本に例えられるとするならば。
それを誰に読み進めてもらうのが幸せか。
私には、1つ、答えが見つかった気がします。
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