1:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 16:44:07.53 ID:W5lmC8VA0
「お嬢さま、朝です。起きてください」
カーテンがシャーッと擦れる音と同時に、眩しく照りつける陽光が瞼の奥を刺激する。
眠気眼をこすりながら起き上がると、千夜ちゃんの姿は無かった。
リビングに出て、台所の冷蔵庫を開けようとした時だった。
足元を黒いアレが、私のそばをカサカサと通り過ぎようとしている。
何となしにボーッと眺めていると、千夜ちゃんはそれを見つけるなり、素早く丸めた新聞紙で叩いて始末した。
「……申し訳ございません。掃除が行き届かないばかりに」
「ううん、いいよ」
最近、忙しいものね、千夜ちゃん。
昨日も帰りは夜遅くて、夕食もロクに食べないまま、寝ちゃってた。
だのに、私よりも頑張って早起きして、ご飯の支度もして、今日も事務所に向かう。
千夜ちゃんは今、とても充実している。
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2:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 16:46:04.36 ID:W5lmC8VA0
『はいはい、それではね、いいフレちゃん? 次の質問行って』
『うん、いいよー!』
『ありがと。じゃあ続いての質問は……おっ、京都の人からや』
『え、ひょっとしてシューコちゃんのゴリョーシン?』
『あたしのご両親にはこの番組なんてチェックすんなって言ってるから大丈夫。
3:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 16:49:47.33 ID:W5lmC8VA0
『だって、キリンさんって首も長いけど脚もすっごく長いでしょ?
何か落とし物とかしちゃったら、ウッカリ踏んじゃったりしないかな?』
『あー、高さ的な意味で足元がよく見えない的な』
『そうそう!』
『あたしもさー、コンタクト落としたりするとすっごい焦るよね。
4:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 16:52:31.14 ID:W5lmC8VA0
「こういうものが、世間のアイドルファンなる人種には喜ばれるのですか」
後部座席で、私の隣に座る千夜ちゃんを見ると、怪訝そうな顔をしている。
「千夜には、今のところこういう仕事をさせる予定は無いよ。心配はいらない」
5:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 16:54:55.17 ID:W5lmC8VA0
今日はお仕事だった。
と言っても、私のではなく、千夜ちゃんのグラビア撮影に同行しただけ。
車の中ではあれだけむくれていたけれど、さっきのカメラの前では別人のように、千夜ちゃんはポーズだけでなく表情もしっかりキメていた。
本人曰く、「やれと言われた事をやるだけです」とのこと。
6:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 16:57:18.57 ID:W5lmC8VA0
元はと言えば、私がスカウトされたのがきっかけだった。
街中で、私を探していたみたい。
おかしな人。知りもしないものを探すだなんて。
7:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 16:59:25.44 ID:W5lmC8VA0
「そうか……」
返事をしながらも、まだこの人は納得がいっていないみたい。
「俺は、ちとせはまだまだ、こんな所で終わる器じゃないと思っている。
8:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 17:00:54.33 ID:W5lmC8VA0
「嘘をついても、しょうがないもの」
私は、それでもいいの。
たとえ結果を残せなかったとしても。
9:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 17:02:51.85 ID:W5lmC8VA0
「…………」
魔法使いさんは、否定しなかった。
きっと彼は、いずれ私がこういう事を言うって、薄々覚悟していたんだと思う。
10:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 17:05:50.15 ID:W5lmC8VA0
「正気なの?」
私は首を傾げた。
前からおかしな人だと思っていたけれど――。
11:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 17:07:21.88 ID:W5lmC8VA0
たとえばお医者さんには怪我や病気を治す使命があり、消防士さんには火事を消すという使命がある。
学校の先生は子供達に教養と道徳心を与え、警察官は悪い人を捕まえる。
およそ全ての人々は、形はどうあれ、何だかんだで何かしらの社会貢献に繋がる使命を持っているみたい。
12:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 17:10:03.80 ID:W5lmC8VA0
強いて私にも、使命があったとすれば、千夜ちゃん。
きっかけを与えられたことで、ようやくあの子は生きがいを得た。
黒埼の従者という呪いから解き放たれ、アイドルの世界で、自由に輝く太陽になれた。
13:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 17:11:47.79 ID:W5lmC8VA0
千夜ちゃんと一緒に住んでいるマンションから15分ほど歩いた所に、比較的大きな公園がある。
見つけたのは、つい最近。
ランニングする人。犬の散歩をする人。誰かと電話しながら足早に歩くサラリーマンさん。
向こうの広場を見ると、子供達が遊具でキラキラと声を上げて遊んでいた。
14:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 17:13:31.28 ID:W5lmC8VA0
千夜ちゃんを送り出した私は、この先誰かに干渉したり、何かを与えたりするのかな?
世界の片隅にポロリと落っこちた、名も無き部品という立場で、最期の時まで傍観し続けるのも、それはそれで――。
15:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 17:17:00.76 ID:W5lmC8VA0
ポカポカ陽気が差し込む光の中へ躍り出て、その子の背後からそぉっと近づいてみる。
2m……1m……。
よほど集中しているのか、こんなに近づいても気がつかない。
お花のモチーフをあしらったシュシュで留まる柔らかなポニーテールが、私の目の前でふわふわと揺れている。
16:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 17:18:26.09 ID:W5lmC8VA0
「…………」
私の姿を観察し、この子なりに何かを得心したのか、やがて彼女はニコリと小さく微笑んだ。
それは、相手との間合いを量るための、打算的な取り繕いとは違う。
17:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 17:20:21.90 ID:W5lmC8VA0
曖昧な返事をして首を傾げる私に、彼女はクスリと優しく笑って、丁寧に言葉を紡いだ。
「お散歩が、好きなんです。
綺麗に咲いたお花、吹き抜ける風、空にかかる虹……さっきのあの子だけじゃなく、色んなものに出会うことができます」
18:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 17:22:15.08 ID:W5lmC8VA0
明るい陽光の下は、普段そんなに好きじゃないんだけど、たまには良いことあるんだなぁ。
「自己紹介がまだだったよね。
私は、黒埼ちとせ。それ以外は、今はナイショ♪」
19:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 17:26:38.97 ID:W5lmC8VA0
「お嬢さま、何をご覧になられているのですか?」
千夜ちゃんは、珍しく帰りが早かった。
夕食の準備をしながら、台所から普段よりも通る声で私に問いかける。
今日はボーカルトレーニングだったんだね。
20:名無しNIPPER[saga]
2020/06/26(金) 17:27:59.79 ID:W5lmC8VA0
「346プロ……」
ブログのプロフィールを見て、千夜ちゃんが呟いた。
魔法使いも言っていた、大手の芸能事務所だ。
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