2: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 19:57:34.23 ID:hoMUvMIQo
「何者かになりたいと思ったことってある?」
3: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 19:58:20.31 ID:hoMUvMIQo
通い慣れたレッスン場からの帰り道での出来事だった。
その声が果たしてどんな色を帯びていたのか、いまとなってはもう思い出せない。
かろうじて呼び起こすことのできるものといえば、車体を激しく打ちつける雨の音と錆びついたような耳鳴りばかりで、交わした言葉のほとんどが、喩えるなら古い映像作品の字幕みたいに、単なる記号としか記憶されていなかった。
4: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 19:58:59.69 ID:hoMUvMIQo
「それが関係あるんすか?」
どこかで交通規制でも起きているのか、いつもより混雑した四車線の左端を、車はゆっくりと進んでいく。
ガードレールの向こうを歩く人達は、こっそりと示し合わせたように黒かビニールの傘ばかりを差している。
5: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 19:59:47.04 ID:hoMUvMIQo
「ん。誰のこと?」
暗がりに声が響く。
視線は横に向けたまま、私は答えた。
6: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:00:24.43 ID:hoMUvMIQo
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「何なんすか、それ」
「正しくは、そうであってもいいし、そうでなくてもいい、かな。それはこちら側が決めていいことじゃない」
「言い出したのはそっちじゃないっすか」
7: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:00:54.30 ID:hoMUvMIQo
「たとえば、その女の子みたいになりたい?」
「その女の子みたいになりたい、っすか」
投げかけられた言葉をそのままに繰り返してみる。私に届いたのと同じくらいの速度で。
8: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:01:59.39 ID:hoMUvMIQo
「よく分かんないっす」
結局のところ、私はそう答えるしかなかった。
分からないものは分からない。こんなことで嘘をついても仕方がない。
9: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:02:38.07 ID:hoMUvMIQo
「もしかしたら適当に言っただけかもしれないっすね」
「あまりそういう風には思えないけれど」
「それはわたしも同じっす」
10: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:03:10.15 ID:hoMUvMIQo
私は考える。どうだろう。
上手く言葉にできなくてもやもやするなんてことは、たしかに、ほとんど日常と言ってしまって構わないほどには――当たり前すぎて、最早気にも留めなくなるほどには――ありふれているような気がするけれど、だけど、その絶対量を相対的に評価できるほどの客観的な道具を私は持ち合わせていない。
だからというわけでもないけれど。
11: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:03:39.84 ID:hoMUvMIQo
「『何者か』」
私は、やはり窓の外を眺めながら言う。
12: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:04:25.27 ID:hoMUvMIQo
「それを決めるのだって」
「わたしの役目、っすか」
「うん。あさひの好きなように決めたらいい」
「そんな適当でいいんすか」
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