115: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:10:37.39 ID:hoMUvMIQo
雨音みたいな耳鳴りが、いまもまだ胸の奥でたしかに響いている。
それは、空っぽで何もなかったいつかの私を深く満たしていたノイズの残滓だ。
それに代わる何かを、しかし私は未だに見つけられていない。
だから、怖かった。
116: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:11:06.82 ID:hoMUvMIQo
出来る限りの力で思いっきり手を伸ばした。
すぐ目の前に見えていた、たった一つの答えに向かって。
圧し掛かる恐怖を振り払う必要なんてなかった。
117: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:11:32.97 ID:hoMUvMIQo
「好きっす」
口を衝いたように飛び出したそれは、だけど間違いなく私の言葉だった。
118: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:12:01.76 ID:hoMUvMIQo
「言いたい文句なんてもちろん色々とあるっすけど、でもやっぱり、私はプロデューサーのことが好きっす。これまでも、そしていまも、嘘偽りなく」
そう言いながら、自分でも驚いていた。
いつかの私はその感情を言葉にしてしまうことに酷く怯えていたはずなのに、いまは吸い込んだ息を吐き出すのと同じくらいに自然と口にすることができる。
119: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:12:30.07 ID:hoMUvMIQo
「よかったよ」
すっかり濡れてしまった傘を片手に、彼はようやく笑った。
雨上がりの空みたいに暖かく透き通った笑顔だった。
120: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:12:57.32 ID:hoMUvMIQo
雨が止んでからというもの、胸がズキズキと痛んで仕方がなかった。
何かがあったわけじゃない。だけど、何もないわけでもない。
そこにあるのは捻じれた楔だ。
あの人の笑顔は温かくて、優しくて、だからこそ何よりも痛かった。
121: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:13:27.58 ID:hoMUvMIQo
麓の町は青みがかった影にすっぽりと覆われている。
遠くの海も、送電塔も、きっと私自身さえも、ここにある全部がいまこの瞬間だけは等しく同じ色をしている。
それはとても穏やかな光景で、できることならずっと眺めていたいと思った。
122: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:13:58.31 ID:hoMUvMIQo
「じゃあ、これが悲しいってことにしておくっす」
そうして私は、この痛みに名前をつけた。
心の奥に深く刺さったままで抜けない楔を、私は悲しさと呼ぶことに決めた。
123: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:14:34.68 ID:hoMUvMIQo
「プロデューサー」
もしあの人の目にも私が泣いているように映っているのだとしたら、それはとても悲しい。
私たちを染め上げる青の色が、誰の目にも悲しい色としては映っていてほしくない。
124: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:15:24.50 ID:hoMUvMIQo
その最中、私は不意に思い出す。あの日、酷い雨の夜、歩道を歩いていた水色の傘の少女のことを。
いまにして思えば、私はあのとき既にすべての答えと出会っていた。
いつかの私は、あの少女のことがただ純粋に羨ましかったのだ。
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