71:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:54:44.36 ID:6NLLeJ5C0
軽く開いてみると、まだまだ新しい本らしく、軋むような抵抗を感じた。ぱらぱらと頁を捲る。見つけた。『アリババと、女奴隷に殺された四十人の盗賊の話』。思っていたより物騒なタイトルだ。さっと読み進めてみる。
《「強大なるスルタンさま」とシェヘラザードが言いました》――
「乗り換え、ですね……」
72:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 00:55:51.59 ID:tRJaplXx0
カーテンを開けば朝陽が飛び込み、今日の始まる空気が満ち満ちる……とはいかなかった。部屋から見上げる曇天は予報通りで、気持ちの良い陽射しは午後まで御預けのようだった。なんとも気怠い頭を抱えて、ベッドの肌触りが手招きしていて、それでいても朝は朝、やって来たからにはこちらも目を覚まし、今日という日を享受しなければ申し訳が立たない。千夜もそうだし、ちとせもそうだ。
「お嬢様」
真っ白な掛け布団に包まって、というより殆ど埋まっている彼女に声を掛けた。次いで朝食のオーダーを取るのだ。トーストだろうとシャインマスカットだろうとホットチョコレートだろうと、お気の召すままに供する手筈は整っている。
73:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 00:56:32.68 ID:tRJaplXx0
もう一度呼んで、今度は布団を剥ぎ取った。枕に顔を埋めるようにした彼女は、金色の髪を艶美に、しかし弱々しく乱れさせていた。
様子があまりよろしくない。肩を掴んでひっくり返してやると、苦しげな声を漏らすその顔は、透明な美白というよりいっそ生気がないようだ。
「ん…… おはよう。今日は積極的だね」
紅眼を覗かせ、ちとせは呟く。
74:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 00:56:59.83 ID:tRJaplXx0
それでも、薄弱ながら確かに千夜の輪郭を撫でる指に、張り詰めた不安がましになって、口から笑いともため息ともつかないものが漏れた。
不思議だ。確かめられているのか、確かめているのか、分からない。動いていく温度が描くのは、千夜なのに、ちとせだ。
「きっとご無理をなさったのですよ。はしゃぎ過ぎたのです、特に昨日は」
「大丈夫だよ」
75:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 00:58:08.12 ID:tRJaplXx0
はあ、とだけ曖昧に返したが、首をひねった。言意を量りかねている間に、ちとせは畳み掛ける。
「千夜ちゃんが心配してくれて嬉しいな。それで、このまま病人にお説教続ける気? 牧師様を叱る方がマシってものじゃない?」
「あのですね」
「ねえ千夜ちゃん、昨日早く帰ってれば、なんて思ってるでしょ。そんなの私、嫌だからね」
76:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 00:58:42.37 ID:tRJaplXx0
「プロデューサーさんなら、外回りに出られてますよ」
ちひろは言った。こうとなってから思い出すが、確かに昨日、そんな事を漏らしていた筈だった。すっかり忘れていた、と自分の不手際に軽い落胆を覚える。
千夜は手提げに入った二つの箱を取り出して、彼の雑然とした机に置いた。
77:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:00:24.48 ID:tRJaplXx0
双葉杏がやって来て、辺りを見回した。其方此方に視線を投げ上げて、最後に千夜へ向く。
「プロデューサーは?」
「あいつなら、外回りというやつですよ。まさか、昨日もそう言っていたのをお忘れですか」
「ぐえー、そうだった。まいっか、こんなのいつもの事だし」
78:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:01:10.38 ID:tRJaplXx0
そういえば、と思い当たった事を言う。
「今日は盗賊≠ェ集まる日だったかと」
「だー!」驚いたように、「そーだったー! 仮にも売れっ子アイドルが十も二十も集まるチャンスなんてそーそーないじゃん! 流石に今日は志希ちゃん来なきゃやばいよー…… って」杏は頭を抱えていたのを辞め、「何で杏がこんなコト考えなきゃなんないのさ…… 舞台に出る訳でもないのに。ねえ?」
「はあ」
「もー、プロデューサーが捕まえてよーやくめでしょー!」
79:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:01:36.81 ID:tRJaplXx0
「ここ、荒立ちでは顔を寄せて、内緒話のようにしていましたが……」古澤頼子が囁いた。「ビデオを見たら、もっとそっぽを向いて、肩越しに話す方がいいと思ったんです。ええと、こんな風に」身体を捻る。
「肩越しに、ですか」と返して千夜。頼子に倣って対峙する。
「お、さすが古澤さん」演出家が割って入った。「ボクもそれ言おうと思ってたんだ。うんうん、そっちの方が舞台っぽいよね」
嘯きに、頼子はくすくすと笑って返す。
80:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:02:16.95 ID:tRJaplXx0
「あの…… 千夜さんは、どうでしょう」
頼子が首を傾げてみせた。その囁くような声量と、蒼い光を返す瞳は、安心感とも倦怠感ともいえようデジャヴを覚えさせる。そしてやはり、こそばゆい。逸らしがちに見返す。この自分の仕草も《舞台っぽい》のじゃなかろうか、と思う。
「はい、賛成です。それで行きましょう」
頼子は微笑むと、ババ・ムスタファの立ち位置へ戻って行った。
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