2:名無しNIPPER[saga]
2019/11/22(金) 20:47:04.88 ID:QXbKSZYO0
曰く、都心部へお出かけになられた際、芸能関係者を名乗る男から声をかけられたのだという。
耳障りの良い口車に気を良くして、自らの素性だけでなく、私の事まで紹介してしまうなど――。
「そのような誘い文句は、男が女性をたぶらかすための常套句です。
お嬢様の魅力は確たるものとしてございますが、故に安売りすべきものではありません」
3:名無しNIPPER[saga]
2019/11/22(金) 20:48:16.40 ID:QXbKSZYO0
「キッパリと断り、二度とこの屋敷に近づかないよう、私の方から強く念を押しておきます」
主の世話は従者の務め、とはいえ――余計な面倒ごとを嬉々として拾ってくるのは慎んでいただきたい。
まして、相手が男では何があるか知れない。御身は大事にしていただかなくては。
4:名無しNIPPER[saga]
2019/11/22(金) 20:50:43.75 ID:QXbKSZYO0
ルーマニアから日本に戻り、東京での生活を始めるまでの間、私とお嬢様は黒埼家のおじさまの屋敷に身を寄せていた。
少しの間だけでも空気の綺麗な所で静養された方が、お嬢様の身にも良いだろうという、おじさまと私の判断だった。
東京の住居の契約は、まだ行っていない。
いっそここから学校に通ったらどうかと、お嬢様を溺愛するおじさまのご提案もあったが、さすがに交通の難がある。
5:名無しNIPPER[saga]
2019/11/22(金) 20:53:59.86 ID:QXbKSZYO0
窓を開け、書斎の埃をはたき、桟を雑巾で丁寧に拭く。
屋敷の部屋数は多く、床掃除には掃除機より箒の方が取り回しは利く。
一度、お嬢様がルンバを買ってきたことがあったが、物と段差が多いこの屋敷では限られた場所しか機能しない。精度も知れている。
黒埼家の従者となってしばらく経つ。
6:名無しNIPPER[saga]
2019/11/22(金) 20:55:09.24 ID:QXbKSZYO0
――――。
なるほど、お嬢様の言ったことは間違っていない。
私を待ち受けていたのは、まるで熊のように大きい男だった。
7:名無しNIPPER[saga]
2019/11/22(金) 20:56:11.74 ID:QXbKSZYO0
「みしろ、と読みます」
首を傾げる私に、男は注釈を加えた。
「弊社の代表が『美城』と申しますので、これを当てた数字となります」
8:名無しNIPPER[saga]
2019/11/22(金) 20:58:21.36 ID:QXbKSZYO0
男をゲストルームに案内し、紅茶を出す。
椅子の背にもたれることの無いまま、男は頭を下げた。まるで背中に大きな定規が刺さっているかのようだ。
「コーヒーの方が、よろしかったでしょうか」
「いえ、お気遣いなく……あの」
9:名無しNIPPER[saga]
2019/11/22(金) 21:01:50.98 ID:QXbKSZYO0
大方、歯の浮くような誘い文句が矢継ぎ早に飛んでくるのだろうと思っていた。
私のような魅力の無い者に、どのような褒め言葉を繰り出してこれるものかと、高を括っていたのは認める。
しかし――少し意表を突かれたが、男の続く言葉にはある程度の予測はついた。
10:名無しNIPPER[saga]
2019/11/22(金) 21:04:51.45 ID:QXbKSZYO0
――知った風なことを。
人の幸不幸を、この男は定義できるというのか。
「はい、幸せです。
他に何か、ご用件はありますか?」
11:名無しNIPPER[saga]
2019/11/22(金) 21:06:17.92 ID:QXbKSZYO0
こんな山深くまでわざわざ足を運んできた相手に対し、いくらか気が引けた思いも無いわけではない。
だが、この男も好きでここに来たのだ。たとえ骨折り損で終わることに、まさか文句は言うまい。
「最後に、一つだけお伝えしたいことがあります」
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