266: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/06/12(金) 00:38:08.46 ID:Bg3Eqo0s0
劇場の客席から、このみを見つめる目線が、いくつもあった。
20代後半くらいの、リストバンドを手首に一つだけ付けた、若い男がいた。
男はペンライトを胸の前で握ったままで、舞台に立つこのみをじっと見ていた。
267: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/06/12(金) 00:39:19.08 ID:Bg3Eqo0s0
このみは、ゆっくりと目を閉じた。
胸に置いた手のひらを通じて、どきどきと鼓動が高鳴るのがわかった。
そして、このみはそっと目を開いて、前を見た。
268: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/06/12(金) 00:39:46.77 ID:Bg3Eqo0s0
ある時、息を吸う音がした。
止まっていた時間が、もう一度動き出した。
『love song のようにきらめき
269: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/06/12(金) 00:44:12.68 ID:Bg3Eqo0s0
これが、最後のサビ。
この暖かな世界も、もうすぐ終わってしまう。
……でも、大丈夫。
貴方にこの想いを伝えられたから。
270: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/06/12(金) 00:44:44.93 ID:Bg3Eqo0s0
「──もう行かなくちゃ。本当の姿を知られてしまったら、私はもう此処には居られないの。」
暗がりの舞台の上で、たった一つのスポットライトに照らされて、このみは呟くように言った。
あの音と光の溢れた世界は、もうここにはなかった。
271: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/06/12(金) 00:45:38.78 ID:Bg3Eqo0s0
吹いていた冷たい風は、もう止んでいた。
このみは上手側へ、ゆっくりと歩き出した。
白く染まった地面を歩くたびに、雪を踏む音が響いた。
272: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/06/12(金) 00:46:11.92 ID:Bg3Eqo0s0
気が付けば、音が、声が聞こえていた。
割れそうなほど大きな、たくさんの声が、客席から聞こえてきた。
このみは、前を向いたままだった。
しかし、それが自分を見守ってくれた人たちの声だと、確かに分かった。
273: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/06/12(金) 00:46:43.90 ID:Bg3Eqo0s0
ステージの上に照明が一斉に灯るのを、このみは薄暗がりの舞台袖からただ見ていた。
そこには、このみ以外の、大勢の劇場のアイドルたちが立っていた。
このみのソロ──最終ブロックの最後の曲──を終え、この公演も終わりが近づいていた。
274: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/06/12(金) 00:47:11.77 ID:Bg3Eqo0s0
スタッフからマイクの取り外しが終わった旨の報告を受けて、このみの意識は舞台袖に戻ってきた。
このみはお礼を言い、彼女と別れた。
その場でふと辺りを見回すと、このみのプロデューサーがすぐそばにいた。
顔を見れば、彼は敢えて声をかけないでいてくれたんだと、このみには分かった。
275: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/06/12(金) 00:48:05.57 ID:Bg3Eqo0s0
このみは、ゆっくり目を開けた。
目の前の彼に、そっと訊いた。
「その……。私のステージ、どうだったかしら?」
276: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/06/12(金) 01:02:59.71 ID:Bg3Eqo0s0
「でも、まだ……。今日の公演は、終わってません。……そうですよね?」
彼は、言葉を飲み込んで、溢れる気持ちを抑えるようにして、そう続けた。
彼は涙を拭きながら、このみにあるものを差し出した。
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