23: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:24:49.60 ID:yFIcZ1s10
――我ながら、なんてザマ。
私は、静かに絶望していた。後ろに見ている人が居なければ、少し涙ぐんでいたかもしれない。
久々の声出しは、 ボロボロだった。音程はずれているわ、リズムはガタガタだわ……しまいには、声量ですらまともに出せなかった。
悔しさに身を震わせつつ、背後から見守っているであろう男の方を見る。すると、意外な事に人影は既になかった。仕方ない、あの出来だ。呆れられたとしても、私には何も文句を言うことは出来なかった。
――けど、もしかしたら。
24: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:25:23.52 ID:yFIcZ1s10
メモ用紙には、私が感じていたような不安の箇所を罵倒するような事は何一つ書いていなかった。かといって不安から目をそらさせるような言葉は全くもって存在していない。そこに綴られていたのは、私の不安に感じた部分だけでない、すべての弱点と、それに対する対処法が明確に示されていた。
――悔しい。こんな事ばかり、書かれているなんて。
唇を噛む。いつもより強く噛まれた唇からは、少し鉄の味がしたが、私は気に留める事はなかった。
差し入れられた(置いて帰った、とは思わない)ドリンクを、数口分口に含んで飲みこむと、私はメモを持って元の場所へと戻った。
――絶対に、上達して見せる。いつか、見返してやるんだから。
25: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:25:49.08 ID:yFIcZ1s10
その日のボイスレッスン。今日は、可奈と可奈の憧れている千早さんとのレッスンだった。どうやら、プロデューサーさんは先輩と後輩を一緒にレッスンさせたいらしい……どれほど上手くならなければならないかを、実感でもさせたいのだろうか?私としては、心が折れるシアターアイドルがいてもおかしくはないと思うのだが……
「千早さん!今日は、よろしくお願いします!」
「可奈。ええ、今日は伸び伸びと歌いましょうね」
「わーい!楽しくのびのび〜♪やる気もモリモリ〜♪」
可奈がいつものように元気に歌っているのを、千早さんは嘲笑するのではなく、心底楽しそうにほほ笑んで聞いていた。朗らかな笑み。昔の千早さんは、笑う事を滅多にしないで歌っていたというけれど、それが疑わしくなるくらい、良い笑顔だった。
26: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:26:19.90 ID:yFIcZ1s10
―――――
――え?
「志保ちゃん、そんなに良く声出るようになったねぇ……私、もうげんかひぃ……」
27: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:26:48.78 ID:yFIcZ1s10
千早さんは、顎に手を当てて、何かを考えているように見えた。
「……どうかしたんですか?」
「志保、さっき注意していた箇所を口に出して言ってもらえる?」
「え、ええっと……」
真剣な目で見る彼女に対して、私はメモに書いてあった内容を漏らさず話した。話し終えると、彼女は目を閉じて静かにほほ笑んだ。
28: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:27:16.32 ID:yFIcZ1s10
―――――
それ以来、私とプロデューサーの奇妙な関係は慣習として続けられることになった。別に、どちらから始めたわけでもなかった為に、どちらから打ち切られることもなかったのだ。私が朝早く来た時には、彼はどこからともなく現れて見守ってくれていた。遅くに自主レッスンを行う時も、何故か彼は後ろで観察していた。
私は、いつの間にかそれが当たり前のように感じるようになっていった。
私がレッスンを終えると、部屋の隅にはいつも、ドリンクとメモが置いてある。夜自主レッスンをするときには、補食もおまけされていた。ドリンクを飲んで、自前のタオルで汗を拭きつつ、メモに丹念に目を通す。それに書いてある事を忠実に守――
29: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:27:58.31 ID:yFIcZ1s10
「あれ、いつもと違う……」
それが数日続いたある日、メモの内容がいつもと違うという事に気が付いた。いつものように項目分けて書かれているわけじゃない末文に疑問を持った私は、その文章を先に確認してみた。
すると。
『ダンスのキレが良くなってる。ステップのタイミングも合わせられるようになってきてるぞ』
30: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:28:54.73 ID:yFIcZ1s10
―――――
またまた別の日。私は、ウキウキしながら、普段のレッスンを終えた後、いつものレッスンルームへと足を運んでいた。
――別に、彼が見ててくれるから浮ついてるんじゃない。ステップアップできる自分が、嬉しいだけだから。
31: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:29:24.46 ID:yFIcZ1s10
訳も分からず肩を落とすと、息を一度だけ大きくついて踊り始めた。
――今日は、なんで来ないんだろう。
身体と心が通い合わせられない。身体がステップを踏む間、心は宙に浮かんでいた。
集中できない自分が嫌になる。こんな程度で。こんな程度で集中できなくなっていて、アイドルなんてやっていられるのだろうか。
――ダメ、しゅうちゅ
32: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:30:18.06 ID:yFIcZ1s10
―――――
―――あれ?
まず初めに、自分が横たえられているという事を知覚する。ふんわりと、自分を包んでくれているような柔らかさは、絵本の中に出てくる雲みたいだった。
33: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:30:48.01 ID:yFIcZ1s10
この前の時のように、痛みについて追及してこないプロデューサーさんを少し不思議に思いつつ、私は姿勢を楽にする。さっきよりも少しだけ、安心できた。
目を細めて沈黙していると、彼が口火を切った。
「なぁ志保。こんな事は、もうこれっきりにしよう」
「――え?」
「元々、負荷がかかりすぎていたんだ。今回はただの貧血程度で済んだけれど、次は頭を打って倒れるかもしれない。事実、俺が見れていないというだけで、こんな事になってしまっているんだ」
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