628: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/07/08(日) 20:50:46.90 ID:Wqc3ZOPPO
すぐ眼の前に喫煙室があった。ガラス張りされた透明な隔離所にはクールビズ姿の男性職員がふたり、煙草を吹かして紫煙を吐き出していた。壁掛けテレビが他愛もない午後のニュースを報じていた。
戸崎は喫煙の欲求をなんとか押さえ込み、自販機横にある合成皮革の長椅子に腰を下ろした。
629: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/07/08(日) 20:51:56.15 ID:Wqc3ZOPPO
携帯の着信音が聴こえた。現実に引き戻された戸崎は、数コールしてからスーツの左側の内ポケットから携帯を取り出した。画面が暗い。着信音は右側から聴こえる。右ポケットを探る。非通知設定の電話着信。
戸崎「私用の携帯に……」
630: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/07/08(日) 20:52:48.82 ID:Wqc3ZOPPO
戸崎「永井圭だと!? なにをしているんだ」
『ああ! いまその車内から掛けてる! 僕らがどこに向かってるか……』
631: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/07/08(日) 20:55:11.87 ID:Wqc3ZOPPO
アナスタシアにとって九月三日の朝は、新たな殺人の報告から始まった。午後にはまた新たな死者。わずか二日で三人が殺された。
彼らの死をどう受け止めればいいのだろうか。
632: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/07/08(日) 20:57:55.29 ID:Wqc3ZOPPO
そういった言動は昨日の告別式でも聴かれた。疲弊しきって口を閉ざす両親と泣きじゃくるクラスメイトたちのあいだからそういった声が聴こえてきた。誰彼ともなく。不安を口しているようで偏見を表明していた。穏やかで控えめなレイシズム。穏やかに話せば差別ではないと思っている。
だれかが亜人を呪う言葉を吐いた。女の子の声、自分と同じくらいの年の子、友だちのだれか……? いや、気のせい、そのはず、言ったとしても亜人というのは佐藤のことで、わたしのことじゃ……アナスタシアはクラスメイトのことすら信用しきれてない自分にショックを受けた。同時に被差別者になってしまったことにも。家の柱についた小さな傷が目につくように、アナスタシアは心の中に猜疑心を見つけた。いったんそれを見つけると、その小ささにかかわらず、存在自体が想像を延ばす原因となった。それを隠そうとしても、柱の傷を指で押さえても指の腹に欠けた箇所を感じてしまうように、猜疑心を消すことはできなかった。
633: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/07/08(日) 20:59:54.95 ID:Wqc3ZOPPO
クラスメイトたちはみんな顔を伏せていた。そのなかに顔をまっすぐあげている子がいた。悲しみの群れのなかにひとりだけ強張って黙っている顔があった。その子は昨日アナスタシアに最初におはようと言った子だった。涙を流していなかった。噛み千切らんばかりに下唇を噛み締め、手のひらに爪が深く食い込むほど強く手を握りしめたが、それでも泣かなかった。泣くよりほかにするべきことがあるとでもいいいたげな表情。
彼女は遺影をまっすぐ見据えていた。棺の小窓は閉じられていたから、死んだ友達の顔を見るには遺影を見るしかなかった。瞳は潤んでいたが、眼には怒りの色があった。怒りの対象はもちろん佐藤に向けられていたが、その射程はもっと別の、遠くにあるなにかまで届いていた。
634: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/07/08(日) 21:01:04.64 ID:Wqc3ZOPPO
その子を見たとき、アナスタシアは自分のやるべきことがわかった。
そしていま九月三日の午後、アナスタシアは自分の部屋で三人目の犠牲者が確認されたことを知る。スマートフォンを手に取り、発信する。ワンコールもしないうちに相手は電話に出た。
635: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/07/08(日) 21:02:08.71 ID:Wqc3ZOPPO
アナスタシア「え、あの、もしもし?」
636: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/07/08(日) 21:05:51.72 ID:Wqc3ZOPPO
その赤い自動車を見た瞬間、アナスタシアの記憶が刺激される。視覚の記憶は内側に、それだけでなく、耳で聴き、口で話し、舌で味わったことも思い出す。
いやまさか、と記憶を疑う。だってあの永井圭がこんな目立った失敗をするはずが……
637: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/07/08(日) 21:11:11.84 ID:Wqc3ZOPPO
永井と中野は入口に突っ込んだ自動車を乗り捨て、病院のなかを突っ走っていた。
永井「中野! 戸崎とは一対一で交渉する、おまえは隠れててくれ!」
638: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/07/08(日) 21:12:23.20 ID:Wqc3ZOPPO
病室は静かだった。
亜人のテロを警戒し病院側は患者を避難させ、いまでは職員の避難も完了している。建物の中には僅かな人間しかいない。
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