新田美波「わたしの弟が、亜人……?」
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311: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/07/08(土) 13:27:32.68 ID:8mPTevMeO

さて、話をふたつめの不幸なできこどに移すが、これはひとつめの出来ごとから半年後の話で、事件といってもいいかもしれない。なぜなら、アナスタシアの祖父の友人である、質屋を営むペシコフという男が、真夜中に後頭部を斧でしたたかに打ちのめされ、砕けた頭蓋骨を歩道に散りばめるはめになったからである。モスクワ郊外の人通りまばらな、雪と泥だらけの小道は、ペシコフの頭があったところがすこしのあいだ、ねっとりとした赤色に染まっていたが、一時間もしないうちに雪に埋もれて見えなくなった。

この事件はさらに悲劇的なところがあった。ペシコフは寒さが厳しくなってくると、古くなった茶色い外套をいつも身につけ身をちぢこませることを習慣としており、これはぬくぬくとした部屋の中でも行われていたのだが、彼の愛用する、というよりキツネやウサギの毛が寒い季節に冬毛に生え変わるように、ペシコフが灰色の空から冷たい突風が吹き荒ぶこの季節につねに彼の肌を覆っていたその外套は、彼の身体からすっかりなくなっていて、あわれなペシコフの亡骸には肌着しか残されておらず、狩りで仕留められ、皮を剥がれた獲物を連想させる有様となって冷たく凍った路面の上に横たわっていたのだった。

以下略 AAS



312: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/07/08(土) 13:29:36.40 ID:8mPTevMeO

さてこの事件の犯人はついぞ発見されえぬままであったが、地域ではちょっとした騒ぎになった。それは残酷極まる殺人というだけでなく、すこし妙なところもある事件だったからだ。ペシコフが殺された現場はかれの質屋の真ん前だったのだが、質屋の鍵は壊されておらず、中にだれも侵入した形跡もなかったのだ。どうやら犯人はペシコフを待ち構えていて、斧で後ろから殴ったあと、辱しめるためか寒さのためか、とにかく外套を剥ぎ取っていったようだ。

とある三文雑誌はこの事件を『罪と罰』と『外套』の不出来な合体と書きたてたが、さすがにこの表現は顰蹙を買った。だいたい、『罪と罰』で斧殺人の被害に遭う老婆は高利貸しだったろう、との指摘も寄せられることにもなった。雑誌側は指摘に対し、もちろん承知していて相違はあえてであり、不出来という語句にその意を込めた、とコメントした。当然、この言い訳はさらなる怒りを呼んだわけだが、しかし、被害者の友人たちは怒りよりも哀しみが勝っていた。ペシコフはこんな馬鹿げた記事の主役になるには、善人過ぎたのだ。

以下略 AAS



313: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/07/08(土) 13:32:00.63 ID:8mPTevMeO

さてここで話は(またしても)変わって、彼のあだ名である「半分ロシア人」について説明する。このあだ名は平均的なロシア人が摂取する酒量の半分で酔っ払ってしまう体質から来ているものなのだが、ペシコフの葬式から帰ってきた祖父は、どうやらズブロッカとコリアンダー・ウォトカとジグリ・ビールさらにポート・ワインのせいで、半分どころか二倍のロシア人になっていた。モスクワ発ペトゥシキ行きの列車にでも乗り込むんじゃないか、と見る者をそう思わせざるをえないありさまだった。

アーニャは祖父の「半分ロシア人」というあだ名が好きで、祖父の方も孫娘の前では喜んで「半分ロシア人」らしく振る舞うようになった(もちろん、素面のまま)。まずはグラスを用意する。グラスを持ち上げ、酒をあおるふりをして美味そうに唇を手の甲で拭う。テーブルにグラスを戻したところでアーニャの質問。「酔っ払うってどういうこと?」。祖父はテーブルの上のグラスを指差して答える。「ここにグラスが二つあるだろう。このグラスが四つに見えだしたら酔っ払ってるってことだ」。「グラス一つしかないよ」。グラスの数を祖父に教えるとき、アーニャはくすくす笑っている。

以下略 AAS



314: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/07/08(土) 13:33:05.54 ID:8mPTevMeO

いまの祖父はきっとグラスの数が数えられないだろう。グラスは分裂に分裂を重ね、計上できる段階はとっくに過ぎ去り、おそらく万華鏡を覗き込んだときのように乱反射の小宇宙を形成している。アーニャは心配して祖父に近寄ってみる。祖父はがっくりと項垂れ、魅入られてしまったかのようにグラスを見下ろしていた。アーニャはなんだか見てはいけないものを見ているような気分になった。

と、突然アーニャの身体が宙に浮いた。父親がアーニャを抱き上げて、ベットまで連れていく。アーニャは台所から連れ出されるまで祖父から視線を外さなかった。ベットの上にはきれいに折りたたまれたパジャマがあって、父親がパジャマのボタンを外すあいだにアーニャはひとりで服を脱ぐ。パジャマに袖を通し、上のボタンからとめる。手こずってると下からボタンをとめていた父親がアーニャを手伝う。ベットにはいったアーニャは枕に頭を預けながら、自分を見守っている父親に尋ねてみる。

以下略 AAS



315: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/07/08(土) 13:35:41.96 ID:8mPTevMeO

アナスタシアは暑気にあてられ眼を覚ました。寝起きに一呼吸すると、蒸し暑い空気が鼻から肺に吸い込まれる。タオルで顔を拭き、もう一度深呼吸してから周りを見渡す。後ろに広がる森は深い影を作っていて、奥に行けば行くほど樹間は狭くなり影の濃さが増して不気味な感じがするが、その分涼しそうでもある。視線を眼の前に戻すと、太陽の照り返しで緑色に輝く草の葉がそよ風に揺れている。さらに視線を上げると、地面は途中で途切れ、そこから崖になっていて、十二メートル程下方から川の流れる音が上ってきている。崖の向こう側の景色は、いまアナスタシアがいる場所を鏡で写したみたいにそっくりで、最盛期の蝉の声が前後の森からアナスタシアに降り注ぐ。川がせせらぐ音と蝉の声に混じって、ピーヒョロロロという鳶の鳴き声が聞こえてくる。アナスタシアは鳴き声に顔を上げてみるが、頭上にある小楢の木の枝は存分に葉を繁らせ、空を飛行する鳥の姿は見えなかった。暑さに参ってしまいそうな気がするので、木の陰から出て行くのは躊躇われた。後ろ髪を結んで露出させたうなじにタオルを当て汗を拭くと、タオルがじっとりと汗を含んだ。

アナスタシアがスマートフォンを取り出して時間を確認すると、時刻は午後三時を目前にしていて、約束した時間から二時間以上過ぎていた。永井圭はまだ現れない。



316: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/07/08(土) 13:36:53.10 ID:8mPTevMeO

永井圭から連絡がきたのは二日前。オフの日を利用して千葉県までやって来た。距離からすればそれほどでもないが、交通機関がほとんどない地域で、早朝に出発したにも関わらず、永井が指定した地点に到着したのは、待ち合わせ時刻の正午直前だった。山中での合流は、迷ってしまうのではないかと不安だったが、永井は合流地点への道順を交通機関の利用も含めて詳細にメールしてきて、山中の移動は方位磁石の距離測定のアプリを使いながら永井が置いていった目印をたどることでほとんど問題なくすんだ。合流地点には、まるでベンチのように二本の丸太が草の上に転がっていた。

アナスタシアは到着した直後黒い粒子で狼煙をあげ、永井に到着を知らせた。これも永井の指示で、アナスタシアは黒い粒子にこんな使い方があるとは考えもせず感心していたのだが、永井からの返答はなく、現在も待ちぼうけている状態だ。さっきも黒い粒子で何度目かになる到着のメッセージを送っているのだが、空にもケータイにも一向に連絡はない。



317: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/07/08(土) 13:39:15.33 ID:8mPTevMeO

もしかして、潜伏していることがバレたのでは?

待ち合わせの時刻から一時間が過ぎたところでアナスタシアは不安になってきた。美波の弟が一向に姿も見せない状況に時間が経つごとに焦燥感が増していく。探すにしてもここがどこだが、このあたりに人が住んでいるのかすらわからない。スマートフォンは圏外で地図の検索もできない。

以下略 AAS



318: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/07/08(土) 13:40:29.12 ID:8mPTevMeO

アナスタシアの予想は正しかった。アナスタシアが眼を覚ましてから十分くらい過ぎた頃、草を踏む音が静かに鳴っているのに気づき顔を上げると、永井が崖にそって歩いている姿が目に入った。コンビニに買い物に行くかのような足取りで、大きめのワンショルダーバックを肩にかけている。アナスタシアは慌ててタオルで汗を拭き取ろうとしたが、永井は思ったより早くアナスタシアの元までやって来た。


永井「待たせて悪かったね」
以下略 AAS



319: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/07/08(土) 13:41:34.44 ID:8mPTevMeO

水筒の蓋をコップにして注いだ麦茶はかすかな波を作り、葉の隙間から差し込んでくる光線を跳ね返して揺れている。煎った大麦からできた液体は新鮮な色をしていて、その上透き通っている。アナスタシアは麦茶を一口で半分ほど飲みこんだ。冷たさが喉を通る感覚が気持ち良く、残りもすぐに飲んでしまった。蓋を空にしたあとにゆっくり息をつくと、喉に残っていた冷気が口まで戻ってくる。アナスタシアは永井にお礼を言った。


アナスタシア「スパシーバ……ありがとうございます」
以下略 AAS



320: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/07/08(土) 13:42:35.35 ID:8mPTevMeO

永井「かたちが悪くてごめんね」

アナスタシア「あなたが、作ったんですか?」

以下略 AAS



321: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/07/08(土) 13:44:15.01 ID:8mPTevMeO

アナスタシアが視線をおにぎりから目の前の永井に向けると、永井はアナスタシアがおいしそうにおにぎりを食べる様子を見て、安心したように薄い微笑みを作っていた。アナスタシアはその微笑みを見て驚いた。

アナスタシアは直接的にはじめて見る美波の弟がどんな顔、表情をしているのか、じっくりとよく見てみたい気持ちだったのだが、自分の顔がさんざん報道され、政府や警察はおろか一般の人びとにも追いかけられ、追い立てられている状況にあっては、そうした態度をとるのは失礼だろうと思い、永井が腰を下ろしたときにひかえめに一瞥したあとは、視線を二人のあいだの地面に向けていた。

以下略 AAS



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