10: ◆kBqQfBrAQE[sage saga]
2021/12/26(日) 23:13:55.53 ID:4Xl2PJ5H0
「旦那じゃなくてトレーナーさんね。今日は仕事で小倉レース場なんです」
「かーっ。こんな遠い場所でこんな別嬪なねーちゃん置いて仕事っちゃア、いけん男やなあ」
11: ◆kBqQfBrAQE[sage saga]
2021/12/26(日) 23:15:12.86 ID:4Xl2PJ5H0
「ったく、しんみりしていけんな。……おお、そうだ。ねーちゃん、『例の』ポスターも、ばっちり貼っちょるよ」
「ポスター?」
12: ◆kBqQfBrAQE[sage saga]
2021/12/26(日) 23:16:43.72 ID:4Xl2PJ5H0
「こ、これは……?」
顔を赤らめながらネイチャは尋ねた。
13: ◆kBqQfBrAQE[sage saga]
2021/12/26(日) 23:18:05.97 ID:4Xl2PJ5H0
「はあ……」
ネイチャは大きく息を吐いた。
14: ◆kBqQfBrAQE[sage saga]
2021/12/26(日) 23:18:31.38 ID:4Xl2PJ5H0
だが、その虫はどうやら腹に移動したようである。ぎゅる、とネイチャの腹が鳴った。まだ正午を迎えるには十分に時間があったが、恥ずかしさから何度も声を上げたおかげで、エネルギーをつい消費したようであった。
多くの商店街は、定食屋や喫茶店、ラーメン店や居酒屋といった飲食店がある。一方で、この商店街は飲食の専門店という体裁の店は少なく、魚屋や総菜屋が丼モノや定食を提供するといった形式の店が多い。さらには、商店街の中には近くの公立大学が開放するスペースがあり、そこでご飯が盛られた丼を買い、店々の食材を少しずつ購入しながら自分オリジナルの丼を作るというユニークなものもある。
15: ◆kBqQfBrAQE[sage saga]
2021/12/26(日) 23:18:57.52 ID:4Xl2PJ5H0
紺の暖簾に白抜きで書かれた五文字と、卵でとじたカツのイラストを描く立て看板がネイチャを誘った。トレーナーへすぐに仕返しできないフラストレーションを昇華したいという気持ちもあったのか、彼女は食べ応えのあるモノを食べたかった。そこに、油っ気のある香ばしい匂いが漂うと、ネイチャの気持ちを一層誘った。
ネイチャは暖簾をくぐり、木戸をガラガラと引いて中へ入った。
16: ◆kBqQfBrAQE[sage saga]
2021/12/26(日) 23:19:27.17 ID:4Xl2PJ5H0
さて、ネイチャは例のポスターの隣に掛けられたメニュー表を眺めた。メニュー脇に画鋲でぞんざいに留められた「ただ今、新米使用」の張り紙が、胸を躍らせる。外の暖簾に銘打っていたトリカツ丼の他にも、親子丼や唐揚げ定食もあるようだ。親子丼は鶏肉の種類で2つに分けられており、凝っている。とはいえネイチャはトリカツ丼を欲してここに来たのであり、鋼の意志のごとく揺るがない。ネイチャを少し悩ませたのは、トリカツ丼の大きさが、小盛りに並盛り、大盛り、そして特盛りと多様にあったことだ。
ネイチャは少し考えた後、厨房で作業をする女将に声をかけた。
17: ◆kBqQfBrAQE[sage saga]
2021/12/26(日) 23:20:28.71 ID:4Xl2PJ5H0
ネイチャは一昨日も練習メニューを軽く済ませ、前日は東京からの移動とトークイベントがあっただけで、あまりエネルギーも消費していない。それゆえ並盛りでも十分足りたのかもしれないが、トレーナーへの鬱憤を晴らしたいという気持ちが、ネイチャを大盛りへと誘ったのかもしれない。
ネイチャが注文を済ませてしばらくしていると、絶え間なく客が来店し始めた。昼も近づき、書き入れ時である。次々と注文を受ける女将の動きもペースが上がり、忙しなくなる。
18: ◆kBqQfBrAQE[sage saga]
2021/12/26(日) 23:21:36.33 ID:4Xl2PJ5H0
「はい、お待たせしました。とりかつ丼大盛りですね」
ネイチャが丼と汁椀を乗せた盆を受け取ると、ずしりとしっかりした重さを感じた。
19: ◆kBqQfBrAQE[sage saga]
2021/12/26(日) 23:22:22.68 ID:4Xl2PJ5H0
河岸で早朝から働く人々、また土地柄オフィスワーカーも多い場所であり、しっかりと胃を満たすことを目的にこの店へとやって来る。とはいえ、油気が多いと胃が堪えるものだ。量的な重さと質的な重さは似て非なるもので、ゆえに二つのバランスが重要なのだが、そのバランスの黄金比をこのトリカツ丼は見出している。
一切れ、また一切れと食べ進めるうちに、気付けばネイチャは三枚あったトリカツの一枚を食べてしまっていた。これはなかなか危険である。今日のネイチャでも、食べようと思えば特盛、いわゆる二人前でも完食できたかもしれない。もしも腹を空かせた大食いのウマ娘がここを訪れたら、どうなることかと一旦ネイチャは想像したが、空恐ろしく途中で止めた。
20: ◆kBqQfBrAQE[saga]
2021/12/26(日) 23:23:11.35 ID:4Xl2PJ5H0
カツを煮込まなかったおかげで、始めのうちはサクサクとした食感と香ばしさを楽しめ、次第にカツや白米が汁を吸うにつれ、しっとりとした食感と調和の取れた味わいへと変化する。カツをあらかじめ煮込まなかったのは、昼間のごった返す客を捌くべく時間をわずかでも節約するための、店の涙ぐましい努力が生み出した方策だったのだろう。しかし、その方策が結果として、一杯で二度美味しいトリカツ丼を生み出したのである。この変化の魅力は、まさにターフのマイル王からダートの怪物へと成り代わったクロフネさながらである。
すっかりと丼に魅了されたネイチャは、食べることに没頭した。ここまで夢中になって一気呵成に食べる彼女の姿はなかなか見ることができない。なぜならば、揚げ物やにんじんハンバーグを何個も平らげるウマ娘を食堂で眺めては、「やれやれ、みんな若いねぇ。アタシなんてあんなに食べちゃったら最近は胃薬ないと胃もたれが……ねぇ?」なんて年寄り染みたことをのたまうネイチャである。そんな彼女が一口、また一口と頬張るのだ。玉子と玉葱、そして三つ葉を纏ったトリカツに、割り下が染みて一層輝き宝石のようにきらめく新米に魅了されたのだ。気付けば、丼の中はほとんど空になってしまった。
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