118:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:28:29.99 ID:tRJaplXx0
そうして、彼は立ち上がった。机を回り込んでから、その上にある二つの小さな箱を示す。
「これ、千夜がくれたんだって?」
首肯して、
「あんな下らないことで私に貸しを作ったと思われては面倒なので。もうひとつは文香さんからで…… 心からの贈り物、というやつです」
「そっか。千夜、気にしてくれてたんだな。ありがとうな」
119:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:29:18.44 ID:tRJaplXx0
文香を連れてお台場の商業施設をうろついてはみたものの、結局元のカップに近いデザインのものは見当たらなかったので、やはり千夜なりに選ぶことにしたのだった。そうと決めた以上、外見に拘ることはない。真空断熱、蓋付き。機能性は文句なし、コーヒーをゆっくり楽しむにはまたとない逸品に違いなかった。千夜自身やちとせ用にも購入しようかと検討したぐらいだ、彼とお揃いになることを鑑みて忌避したが。
「おお、真っ黒だ」
彼はカップを持ち上げ、様々な角度から眺め回した。
「千夜みたいだな」
120:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:29:47.23 ID:tRJaplXx0
「気持ちの悪いことを言うな」
「気に入ったよ。美味しくコーヒーが飲めそうだ」
「……まあ、不味くはならないものを選びましたが」
「大事に使うよ。千夜、良いマグカップをありがとうな」
121:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:30:17.83 ID:tRJaplXx0
「これが文香の? うん……」
その中身は、ガラスタンブラー。透明な蒼の地に切ったような細工が施されている。その模様は幾つもの線が交差する、花々のようなもので、他の部分とは違う光を散りばめていた。
122:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:30:51.82 ID:tRJaplXx0
《江戸切子の、菊繋ぎ紋です》。文香は言った。長寿を祈る紋様です、と。
千夜はそのガラス細工の蒼さと麗しさに、彼女を想った。彼女の瞳を、舞台でドレスやコスチュームを装った姿を、とりもなおさず、この容器に自分を思い出せ、というようなメッセージを。
だが翻って文香は、これは彼の色なのだと言った。幾星霜振りの晴天のような、星々が連なる河のような、そういう彼の色なのだと。だから贈るのだ、と。ガラスではあの騒がしい事務所で何日ともたないかもしれませんよ、ホットコーヒーを飲むものを探しに来たと思うのですが、あまり高価そうな、というより実際高価な、ものはかえって気づまりさせるかも――千夜が善意から与えた幾つかの忠告は、文香のそういう決意の前で、全て闇夜の鉄砲となったようだ。
123:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:31:23.64 ID:tRJaplXx0
千夜は件の男を見遣った――ま、ブルーベースという顔だな。不健康なだけだろうけど。
「綺麗だ。な、千夜?」嬉しそうに彼。
「聞かれても困りますが」
「すぐにお礼言わなきゃな」と、スマートフォンを弄り出す。
124:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:31:50.51 ID:tRJaplXx0
彼は「ふうん」とか「はあ」とか言いながら画面の操作を終えると、
「十六時に電話くれるってさ」
「お前に? 知ったことか」
「メモしなきゃ…… ええと」
125:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:32:36.98 ID:tRJaplXx0
「ペンポケット?」
「スーツの胸ポケットではその新しいネクタイに似合わないと思うのなら、入れるのは内側のペンポケットにするべきです」床を示し、「座り立ちが多いくせに腰のポケットなど使うから、すぐ落とす」
「おおっ」彼は屈み、ボールペンを拾い上げた。「ペンポケットね。覚えておくよ、ありがとうな」
126:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:33:02.94 ID:tRJaplXx0
「別に。あまり落とされて、誰かが躓きでもしたらと思っただけです」
「みんなの心配? 千夜は優しいな」
「お前を気にしたのではないと言っている」
「へえ、僕を気にしてない割には名探偵だな。よくネクタイのせいだって分かった、すごいぞ」
「ほんの戯れです」
127:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:33:31.46 ID:tRJaplXx0
空気が揺れた。
地鳴りのような重低音が部屋を騒がす。上空を飛行機が行ったらしい。
ああ、そうだった――ついのんびりしてしまっていたが、来るべき時が、言葉が来た。背負おうとしたものの意味を問われ答えあぐねたまま、落胆に嵌りきった千夜がその泥を撒き散らしながら辿り着いたここは、如何わしい司祭の対坐する告解部屋で、千夜はこれから信じてもいない神の名にすがり、自分のしたことを洗いざらい悔い改め、あるいは永遠に破門されなくてはならないのだ。
128:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 01:33:57.20 ID:tRJaplXx0
だけれど、彼は千夜の告白を強いはしなかった。顔だけを見て、「そっか」と言った。
「もしどうしても嫌だったら、ひとつも千夜の為にならないと思うなら、今回の仕事はよしにしよう。簡単な話だとは言わないけど――千夜が居なくても問題ないとは言えないし、だけど――カバーしてみせるよ。背中は任せて、千夜は楽しめ」
彼はとん、と自分の胸を叩いて見せたけれど、
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