男「大将! 油マシマシのアチアチラーメン一丁」
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6:名無しNIPPER[saga]
2020/07/05(日) 09:01:58.28 ID:sGoLw9kr0
??

 店主は、あまりのことに握った包丁を落としそうになった。あの大タヌキが、雷来軒に三月も来ていないなんて。いや、そうではない。そんなことは問題の一部に過ぎない。それ以上に、店の最常連である大タヌキの不在に今まで気づきもしなかった自分自身にこそ店主は驚愕したのだ。

 店主はヨロヨロの力ない足取りで、カウンター席に辿り着くと、どうにか腰を下ろした。大タヌキの身を案じるほどに不安に苛まわれ全身から力が抜けてしまっていた。しかし何故だ。何故、俺は大タヌキの不在に気づかなかったのだ。自問自答を繰り返す中で、店主は必死に記憶を遡ろうと試みる。しかし、大タヌキを最後に見た日のことを思い出そうとするも、どうにも記憶に霞がかっておりうまくいかない。
以下略 AAS



7:名無しNIPPER[saga]
2020/07/05(日) 09:02:25.24 ID:sGoLw9kr0

 まさに、ラーメンに命を懸けたと言って過言ではない月日であった。そう。店主はラーメンに打ち込むばかり、大タヌキの不在に気を留めることすらできなかったのだ。そこまで、思い至ったところで、店主の記憶の霞に一筋の光明が差した。光は、急速に霞全体へと広がっていき記憶の全てを鮮明としていく。

 そうして店主は全て明らかとなった記憶から、一つの結論を導き出した。大タヌキが最後に姿を見せた正にあの日、彼はラーメン熱に取り憑かれるに至ったのだ。そして、それらは全て雷来軒常連四天王の一人である『あの男』の仕業に違いないと。

以下略 AAS



8:名無しNIPPER[saga]
2020/07/05(日) 09:03:09.11 ID:sGoLw9kr0
??

 店主の記憶は今や、全て明らかとなった。
 あの日も、大タヌキは店に来るなり「こってりラーメン」大盛りを声高らかに注文した。その提供は実に迅速だ。あっという間にできあがったラーメンが、大タヌキの前へと店主自身の手によって運ばれてくる。店主からしてみれば、大タヌキが店に入ってくるなり通常の二倍の麺をゆで始め、注文が入るころには麺のあがりを待ち構えているのだから当然といえば当然の早さであろう。あとは、大タヌキの食の進みに従って、注文されるであろう替え玉の投入時期を見極めるばかりなのである。「ナナフシ」が来店したのは、そんなタイミングであった。

以下略 AAS



9:名無しNIPPER[saga]
2020/07/05(日) 09:03:42.00 ID:sGoLw9kr0
 
 思い返せば、あの日は、そんな二人が店内に居合わせる初めての日であった。二人とも雷来軒の常連であるものの、来る時間帯が僅かにズレていることもあって、これまで二人が顔を合わすことがなかったのだ。それが何の因果か、今日は普段よりも少し早い時間にナナフシがやってきた。

 店主は、大タヌキを一瞥する。どうやら、食べ終わるにはまだ時間がかかりそうだ。店主の意識は、自然とナナフシへと移っていく。ナナフシは、店主へと軽い会釈を送って店内を見回した。手頃の席を物色しているのであろう。「さて、どこに座るのかな」と店主がその様子を伺っていると、ナナフシは突然ギョッと身体をひくつかせ、目をまん丸と開き呆けてしまった。その見開かれた眼には大タヌキの巨大な背中が映っていた。まあしかし、これは無理のないことだろう。見慣れてしまった店主ならともかく、初めて見るものにとっては大タヌキの体はあまりにも大きすぎた。

以下略 AAS



10:名無しNIPPER[saga]
2020/07/05(日) 09:04:35.62 ID:sGoLw9kr0

 「ごちそうさまでした」

 大タヌキの声に、店主は思わず「えっ!?」と驚きの声をあげてしまった。大タヌキの食の進み具合を見定め、注文こそ受けていない者の既に替え玉をゆで始めてしまっていたからだ。それを察してか、大タヌキも申し訳なさそうな表情でカウンターに金を置き、そそくさと店を出て行ってしまった。あの大タヌキが、替え玉を頼みもしないなんてことは、いまだかつてなかった。いやしかし、ナナフシの異様な挙動がなければこんなことはなかったであろう。店主は、茹で上がった替え玉をしばし恨めしく見つめ、その責任を問うかのように視線をナナフシへと移した。

以下略 AAS



11:名無しNIPPER[saga]
2020/07/05(日) 09:05:02.52 ID:sGoLw9kr0
??
 
 記憶を取り戻した店主は、ひどく戸惑っていた。ラーメンを残されただけで、自身がこれほどまでに正気を失ってしまうとは思いもしなかったのだ。店主は、人知れず自らの未成熟さを恥じ、落ち着いて思考をまわしはじめる。冷静に考えれば、あの日のラーメンに何ら非はなく、全てがナナフシに起因していることは明らかだ。ナナフシと大タヌキの間に、何が起こったのかはわからない。店主が知るのは、あくまで店内での出来事のみなのだ。ならば、どうするか。答えは一つしかあるまい。あの日以降も、この店に通い続けているナナフシに問いただせばよいのだ。

 突然、店のガラス戸が強く叩かれた。店主は、慌てて壁に掛けられた時計に目をやる。時刻は、朝九時をわずかに過ぎたばかり。営業開始には、程遠い時刻だ。扉の向こうには、妙な青い色をした服を着た人の影が見える。店内側にしまってある暖簾のせいで、その表情は伺えない。人影は、「開けてくれ」と荒い声をあげながら扉を叩き続けている。かすれてくぐもってはいるが、明らかに男の声だった。店主は、用心に越したことはないと麺棒を片手に扉へと近づき暖簾の隙間から外を覗いた。


12:名無しNIPPER[saga]
2020/07/05(日) 09:05:29.22 ID:sGoLw9kr0

 そこには、息を切らした背の高い男が一人。青く生地の薄い一枚布の妙な服だ。店主は、それが医療ドラマなどでよく見る手術衣であることに気づいた。短い袖に、短い裾。そこから伸びた細長い手足は常連のナナフシを思い起こされるが、対照的にポッコリと突き出た腹が別人であることを物語っている。しかしまあ、何というアンバランスな体形だろうか。仮に店主が名付けるとしたら、まんまるとした体に刺されているかのような手足、「リンゴ飴」であろう。しかし、りんご飴と呼ぶには肌は酷く黒ずんでいて如何にもまずそうだ。目の周りに至っては、その黒さはまるで墨を塗っているかのようであった。

 店主は、謎の来訪者の顔を見て驚いた。

以下略 AAS



13:名無しNIPPER[saga]
2020/07/05(日) 09:05:55.36 ID:sGoLw9kr0
??

 大タヌキの手術衣はところどころ生地が裂けており、更には靴すら履いておらず、土にまみれた素足には赤黒いものすら見て取れた。顔面一杯の汗も、健康的にかかれたものではあるまい。俗にいう冷や汗というやつだ。「雷来軒」は、その発する強いとんこつ臭が故に山奥に構えられた店だ。大タヌキの様子を見るに、とても車でやってきたとは思えない。

 「大将、聞こえなかったのか?」
以下略 AAS



14:名無しNIPPER[saga]
2020/07/05(日) 09:06:21.99 ID:sGoLw9kr0

 店主の脳内は、疑念に溢れ相変わらずの混乱状態だ。だが、厨房に入ると体に染みついた動作が自然と繰り出される。スープはいい具合に煮詰まってきている。白髪ねぎを細く刻み、瓶からメンマを取り出す。チャーシューは、薄すぎず熱すぎず。スープの熱で、中まで十分温まるぐらいがベストだ。そして、昨晩の内に燻しておいたゆで卵。こいつがあるのと無いのじゃ、段違い。さあ、机に並びますは来々軒が最高の一杯「こってりラーメン」だ。

 「へい、お待ち」

以下略 AAS



15:名無しNIPPER[saga]
2020/07/05(日) 09:06:50.34 ID:sGoLw9kr0
??


 ナナフシの着た服は、色は同じであるものの大タヌキのそれに比べて生地が丈夫でかつ上下に分かれたものであった。そして、手にはめられたゴム手袋。顔を覆うマスクにゴーグル、頭にのった同色の帽子が示す答えは、大タヌキとの関係性だ。ナナフシは、医者であったのだ。ならば大タヌキは。当然、患者であろう。

以下略 AAS



16:名無しNIPPER[saga]
2020/07/05(日) 09:07:18.96 ID:sGoLw9kr0

 検査の結果は、当然のごとく芳しいものではなかった。むしろ、最悪といっていい状況であった。ありとあらゆる成人病を身に宿した男を前に、ナナフシはラーメンか健康かを迫った。まさにデッドオアアライブ。大タヌキも、如何にラーメンが好きとはいえ自らの命と天秤にかけられれば他に選択の余地などない。ナナフシに言われるがまま、すぐさま入院することとなり様々な医療的処置を受けることとなった。大タヌキも、しばらくの間は大人しく体を労わった。

 しかし、それが3か月目にもなると我慢も限界だ。やせ細った身体が、あの油に満ちて香ばしい匂いを立ち上らせるラーメンに焦がれだしたのだ。あとは御覧の様である。病院を抜け出した大タヌキの素足は、来々軒を具えるこの山へと向いたというわけだ。

以下略 AAS



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