芹沢あさひ「この雨がいつか止んだなら」
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99: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:01:05.12 ID:hoMUvMIQo

「いろんな人に言われたっす。辛かったよね、とか、無理して笑わなくたっていいんだよ、とか。でも、そんなこと言われたって、わたし、本当に分からないんすよ。辛いとか、苦しいとか、悲しいとか。自分がいま手にしているどの感情がそれにあたるものなのか、考えても考えても、分からなくて」

 それがきっとどこかにはあるのだと信じて、私は雨の中を必死に探し回った。
 だけど、結局、何一つも見つけることなんてできなくて、むしろ雨に打たれるたびに何かを見失っていくような気さえした。
以下略 AAS



100: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:01:40.68 ID:hoMUvMIQo

「プロデューサーさんは、どうだったんすか」

 私の問いかけに応じるみたいに、雨傘が小さく傾いた。

以下略 AAS



101: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:02:11.89 ID:hoMUvMIQo

 一方で、やっぱりそうだったんだ、と私は思った。
 あの人は他の誰かに易々と笑顔を覗かせるような人では決してなかった。
 あくまで私の観測していた範囲では、という話だけれど、相手が彼だったとしてもそれは同様だったのだろう。
 そのことは想像に難くない。
以下略 AAS



102: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:02:41.20 ID:hoMUvMIQo

「プロデューサー、あまり笑う人じゃなかったっすもんね」

 だからこそ、私の記憶には、あの一瞬が何よりも強く鮮明に焼き付いている。
 意識を霞ませる雨音の中、まるでそれ一つだけが傘の下にあるみたいに、いつまで経っても色褪せないまま、忘れられないままで、何度も何度も繰り返し浮かび上がる。
以下略 AAS



103: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:03:13.01 ID:hoMUvMIQo

 こんなのは今更どうにもならないことだ。
 これまでのすべてが触れようのない過去の話だ。
 誰が正しかったとか、誰が間違えたとか、そういう次元の話じゃない。
 何もかもがどうしようもないことなんだ。
以下略 AAS



104: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:03:49.36 ID:hoMUvMIQo

「『わたしに、何者であってほしいっすか?』って。そしたらプロデューサー、これまでに見たことがないくらい楽しそうに笑ってて。たったそれだけのことなんすけど、なんというか、あの一瞬が今でも忘れられないんすよね」

 すっかり濡れた上着の上から手を当てて確かめる。
 あのときのプロデューサーの笑顔が、心の奥のほうに深く突き刺さったまま抜けないでいる。
以下略 AAS



105: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:04:42.48 ID:hoMUvMIQo

 それは、私がずっと思い出せずにいたことだった。
 何度も何度も繰り返して、それでも思い出せなかった何かだ。

 ――それが、思い出せないんす。理由は分からないんすけど、あのプロデューサーが笑ったってのがあまりに衝撃的だったせいなんすかね。肝心の答えが思い出せなくて、わたしもずっと困ってるんす。
以下略 AAS



106: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:05:21.49 ID:hoMUvMIQo

 しかしどういうわけか、いまだけは何かを誤魔化そうという気にはなれなかった。

 私にとって、それはとても不思議なことだった。
 だって、ずっと目を逸らし続けてきた言葉なのに、こんなにも容易くこの右手が触れてしまいそうだったから。
以下略 AAS



107: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:05:48.48 ID:hoMUvMIQo

「『何者にもならなくていい』」




108: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:06:22.97 ID:hoMUvMIQo

 それが、あの日、プロデューサーが私に告げた言葉だった。

 私の後ろで彼は浅いため息を一つ吐いた。
 もしかしたらそれは安堵の表れだったのかもしれない。
以下略 AAS



109: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:06:49.70 ID:hoMUvMIQo

 手に掴んだ言葉はあまりにも唐突で、なのにこれ以上ないほど滑らかに声へと変わる。

 その答えを、あるいはもっと綺麗に伝える方法があったのかもしれないと思う。
 たとえば階段を一段ずつ丁寧にのぼるみたいに、もっと自然な過程を経て、そうしてここまで辿りつく方法が他にもあったのかもしれないと思う。
以下略 AAS



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