97: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:59:43.54 ID:hoMUvMIQo
「時々、分からなくなるんす。何が本当で、何が嘘なのか。こう表現するのが正確なのかは分からないっすけど、わたし、多分プロデューサーのことが好きだったんす。それについては、どうみえてたっすか?」
「俺も同じように考えていたよ」
「そうっすよね、よかったっす。でも、なんだか、いまとなってはそれも全部嘘みたいで。いつかの自分は、全く別の感情のことを好意と錯覚していたんじゃないかなって」
「それは、きっと自然なことだと思う」
98: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:00:35.20 ID:hoMUvMIQo
冬優子ちゃんが泣いていた。普段は明るく振る舞う愛依ちゃんも、あのときだけは涙を浮かべながら、私のことを強く抱きしめてくれた。
事務所にいる他のみんなも共通の何かを悲しんで、私のことをまるで憐れんでいるようだった。
プロデューサーさんは泣いてこそいなかったけれど目元が若干赤くて、それに酷く疲労困憊した様子で、私にすべての事情を話してくれた。
99: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:01:05.12 ID:hoMUvMIQo
「いろんな人に言われたっす。辛かったよね、とか、無理して笑わなくたっていいんだよ、とか。でも、そんなこと言われたって、わたし、本当に分からないんすよ。辛いとか、苦しいとか、悲しいとか。自分がいま手にしているどの感情がそれにあたるものなのか、考えても考えても、分からなくて」
それがきっとどこかにはあるのだと信じて、私は雨の中を必死に探し回った。
だけど、結局、何一つも見つけることなんてできなくて、むしろ雨に打たれるたびに何かを見失っていくような気さえした。
100: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:01:40.68 ID:hoMUvMIQo
「プロデューサーさんは、どうだったんすか」
私の問いかけに応じるみたいに、雨傘が小さく傾いた。
101: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:02:11.89 ID:hoMUvMIQo
一方で、やっぱりそうだったんだ、と私は思った。
あの人は他の誰かに易々と笑顔を覗かせるような人では決してなかった。
あくまで私の観測していた範囲では、という話だけれど、相手が彼だったとしてもそれは同様だったのだろう。
そのことは想像に難くない。
102: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:02:41.20 ID:hoMUvMIQo
「プロデューサー、あまり笑う人じゃなかったっすもんね」
だからこそ、私の記憶には、あの一瞬が何よりも強く鮮明に焼き付いている。
意識を霞ませる雨音の中、まるでそれ一つだけが傘の下にあるみたいに、いつまで経っても色褪せないまま、忘れられないままで、何度も何度も繰り返し浮かび上がる。
103: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:03:13.01 ID:hoMUvMIQo
こんなのは今更どうにもならないことだ。
これまでのすべてが触れようのない過去の話だ。
誰が正しかったとか、誰が間違えたとか、そういう次元の話じゃない。
何もかもがどうしようもないことなんだ。
104: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:03:49.36 ID:hoMUvMIQo
「『わたしに、何者であってほしいっすか?』って。そしたらプロデューサー、これまでに見たことがないくらい楽しそうに笑ってて。たったそれだけのことなんすけど、なんというか、あの一瞬が今でも忘れられないんすよね」
すっかり濡れた上着の上から手を当てて確かめる。
あのときのプロデューサーの笑顔が、心の奥のほうに深く突き刺さったまま抜けないでいる。
105: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:04:42.48 ID:hoMUvMIQo
それは、私がずっと思い出せずにいたことだった。
何度も何度も繰り返して、それでも思い出せなかった何かだ。
――それが、思い出せないんす。理由は分からないんすけど、あのプロデューサーが笑ったってのがあまりに衝撃的だったせいなんすかね。肝心の答えが思い出せなくて、わたしもずっと困ってるんす。
106: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:05:21.49 ID:hoMUvMIQo
しかしどういうわけか、いまだけは何かを誤魔化そうという気にはなれなかった。
私にとって、それはとても不思議なことだった。
だって、ずっと目を逸らし続けてきた言葉なのに、こんなにも容易くこの右手が触れてしまいそうだったから。
153Res/110.09 KB
↑[8] 前[4] 次[6]
書[5]
板[3] 1-[1] l20