91: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:56:09.88 ID:hoMUvMIQo
そう尋ねる彼の言葉がなんだかひどく的外れに思えて、私はつい笑う。
「プロデューサーさんにはそうみえるっすか」
92: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:56:43.44 ID:hoMUvMIQo
「強がるなよ」
「強がってなんかないっすよ」
「強がってるだろ」
「違うんす。本当に、覚えがなくて」
93: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:57:14.75 ID:hoMUvMIQo
プロデューサーさんはそこで一旦言葉を区切る。
踏み出すことを躊躇うような途切れ方だった。
彼の表情はいまも見えないままだ。
94: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:57:41.13 ID:hoMUvMIQo
不自然に空いた私たち二人の隙間を、通りすぎる雨の音がいっぱいに満たしていく。
胸が苦しかった。
まるで深い海の底へ沈んでいくみたいで、上手に息ができなくなる。
95: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:58:28.91 ID:hoMUvMIQo
「それは、気づいていないだけだ。あさひだったら分かるだろ」
彼はそう言った。
私は首を縦にも横にも振らなかった。
96: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:59:02.34 ID:hoMUvMIQo
「あさひは本当に強いよ。俺は、あの人だって、そのことを痛いほどに知っている。だけどさ、あさひ。この世界には、道の途中に置いていったって構わないものが幾つもあるんだ。全部を背負って生きていくなんて、普通は出来ることじゃない」
「プロデューサーさんの言いたいことは分かるっすよ。ちゃんと分かってるつもりっす。でも、そんなの、仕方がないじゃないっすか。わたしだって、望んでこうなったわけじゃない」
捨ててしまえば楽になるなんて、そんなことは分かりきっている。
97: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:59:43.54 ID:hoMUvMIQo
「時々、分からなくなるんす。何が本当で、何が嘘なのか。こう表現するのが正確なのかは分からないっすけど、わたし、多分プロデューサーのことが好きだったんす。それについては、どうみえてたっすか?」
「俺も同じように考えていたよ」
「そうっすよね、よかったっす。でも、なんだか、いまとなってはそれも全部嘘みたいで。いつかの自分は、全く別の感情のことを好意と錯覚していたんじゃないかなって」
「それは、きっと自然なことだと思う」
98: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:00:35.20 ID:hoMUvMIQo
冬優子ちゃんが泣いていた。普段は明るく振る舞う愛依ちゃんも、あのときだけは涙を浮かべながら、私のことを強く抱きしめてくれた。
事務所にいる他のみんなも共通の何かを悲しんで、私のことをまるで憐れんでいるようだった。
プロデューサーさんは泣いてこそいなかったけれど目元が若干赤くて、それに酷く疲労困憊した様子で、私にすべての事情を話してくれた。
99: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:01:05.12 ID:hoMUvMIQo
「いろんな人に言われたっす。辛かったよね、とか、無理して笑わなくたっていいんだよ、とか。でも、そんなこと言われたって、わたし、本当に分からないんすよ。辛いとか、苦しいとか、悲しいとか。自分がいま手にしているどの感情がそれにあたるものなのか、考えても考えても、分からなくて」
それがきっとどこかにはあるのだと信じて、私は雨の中を必死に探し回った。
だけど、結局、何一つも見つけることなんてできなくて、むしろ雨に打たれるたびに何かを見失っていくような気さえした。
100: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:01:40.68 ID:hoMUvMIQo
「プロデューサーさんは、どうだったんすか」
私の問いかけに応じるみたいに、雨傘が小さく傾いた。
101: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:02:11.89 ID:hoMUvMIQo
一方で、やっぱりそうだったんだ、と私は思った。
あの人は他の誰かに易々と笑顔を覗かせるような人では決してなかった。
あくまで私の観測していた範囲では、という話だけれど、相手が彼だったとしてもそれは同様だったのだろう。
そのことは想像に難くない。
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