27: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:15:08.21 ID:hoMUvMIQo
押し開けられた扉の内側を、やはり彼の背中を追うようにしてくぐる。
直前、素直に傘を持って出かけたほうがいいだろうかと一瞬だけ考え直して、しかし結局、私は何も持たずに事務所を後にした。
仄暗い階段を駆け足で下って、いまは駐車場に停められているだろう車がやってくるのをしばらく待つ。
28: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:15:45.70 ID:hoMUvMIQo
そうして空を眺めながら、雲は案外すごい速さで動いているのだという事実に思いを馳せ始めた頃、見慣れた藍色のセダンが事務所前に到着した。
歩道と車道の間には一〇センチ程度の段差がある。
こうして助手席の扉を開くたびに、もしかしてぶつかったりしないかなあ、と不安に思うけれど、いまのところは掠ったことさえ一度もない。
29: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:16:16.98 ID:hoMUvMIQo
四車線の道を、車は真っ直ぐに南下していく。
そのまま二〇分ほど下道を走り続け、それから高速道路へと乗り込んだ。
一般道の風景も高速道路の風景も、昼間のうちは同じくらいにありきたりで、要するに退屈だった。
通行料金を告げる無機質な音声が止んで、私は言った。
30: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:16:45.37 ID:hoMUvMIQo
「東名高速道路。東京と名古屋を繋いでるから、その頭文字をとって東名」
トウメイ、と私は何とか反復してみる。
トウメイ、東名、トウメイ。
31: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:17:24.99 ID:hoMUvMIQo
「ああ。それは事前に説明した通りだ」
「わたし、それまで知らなかったんすよ。プロデューサーの出身がどこなのか」
「あれ、そうだったのか。てっきり知ってるものだと」
「神奈川だったんすね。その茅ヶ崎って町はどんなところなんすか?」
32: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:17:52.62 ID:hoMUvMIQo
想像上の場面を色々と切り替えてみる。
照り付ける太陽と青空の下。あるいは真夜中、下弦の月を反射する水面。
それから、しとしとと降り続く雨を呑み込む広大な黒。
だけど、いずれにしたって、その姿はまるで不自然な合成写真みたく風景に浮いていた。
33: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:18:25.47 ID:hoMUvMIQo
「プロデューサーって、お酒飲む人だったんすね」
「意外か?」
「意外といえば意外っすね。そんなイメージがあまりないっていうか」
「その感覚は正しいよ。大学にいた頃は、たしかに飲み会なんかは敬遠してた」
34: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:19:17.96 ID:hoMUvMIQo
高速道路でしか見かけないような警告色の看板が、前方からフロントガラスの上部へと消えていく。
白色の文字で何やら書かれていたが、それ以上のことは何も分からなかった。まあ、私がそれを読む必要はあまりない。
差し当って重要な情報であるところの目的地までの概算距離は、備え付けられたカーナビの左下あたりに表示されている。
35: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:20:07.58 ID:hoMUvMIQo
「だから言ったろ」
プロデューサーさんは呆れた様子で、視線をわずかに上へ動かす。
36: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:21:29.59 ID:hoMUvMIQo
今日の午後から雨が降り始めるという天気予報は、そう考えてみるとなんだか妙に説得力があるように思えた。
たとえばそれこそ神様のような誰かがいて、いたとして、その誰かが書いた台本の上ですべて決まっていたのでは、という気さえする。
今日の天気も、私たちの行動も。傘も、死も、別れも、思い出も。
37: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:22:37.33 ID:hoMUvMIQo
前方から再び緑色の看板が流れてくる。
白色の文字で、茅ヶ崎、と書かれているのが見えた。
彼は多分、その看板自体は一瞥した程度だっただろうと思う。それでも車は分かれ道の右側へと正しく進む。
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