23: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:12:28.26 ID:hoMUvMIQo
他愛もない会話を交わしているうちに、いつの間にか扉の列はふっと途切れ、幅の広い折り返し階段に行き当たる。
このフロアは四階で、かつ最上階でもあった。
私は特に気にしていないけれど、一方のプロデューサーさんはここを通るたびに、エレベーターがあればいいのにな、と口癖のように言う。
たしかにあれば便利だろうとは思うけれど、あってもどうせ使わないだろうなとも思う。
24: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:13:14.87 ID:hoMUvMIQo
午後にも車での移動が控えていたけれど、私たちは一旦事務所へ戻ることにした。
事務所に着いたのは午後一時頃。といっても、特別な準備が必要というわけではなかった。
私のしたことといえば今後の予定には不要な荷物を、主には先ほどまで使用していたレッスンウェアの類を事務所に移動させて、それから帰りにコンビニで買ってきたおにぎりを二つほど口へ運んだくらいだ。
25: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:13:52.39 ID:hoMUvMIQo
「傘は?」
事務所を出る直前、扉の前で彼はそう言った。
私はわざとらしく首を傾げてみせる。
26: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:14:29.26 ID:hoMUvMIQo
「雨が降るって言いたいんすか」
「それ以外にいったいどんな可能性があるんだ」
「外、あんなにも晴れてたのに」
「でも、降るらしいぞ」
27: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:15:08.21 ID:hoMUvMIQo
押し開けられた扉の内側を、やはり彼の背中を追うようにしてくぐる。
直前、素直に傘を持って出かけたほうがいいだろうかと一瞬だけ考え直して、しかし結局、私は何も持たずに事務所を後にした。
仄暗い階段を駆け足で下って、いまは駐車場に停められているだろう車がやってくるのをしばらく待つ。
28: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:15:45.70 ID:hoMUvMIQo
そうして空を眺めながら、雲は案外すごい速さで動いているのだという事実に思いを馳せ始めた頃、見慣れた藍色のセダンが事務所前に到着した。
歩道と車道の間には一〇センチ程度の段差がある。
こうして助手席の扉を開くたびに、もしかしてぶつかったりしないかなあ、と不安に思うけれど、いまのところは掠ったことさえ一度もない。
29: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:16:16.98 ID:hoMUvMIQo
四車線の道を、車は真っ直ぐに南下していく。
そのまま二〇分ほど下道を走り続け、それから高速道路へと乗り込んだ。
一般道の風景も高速道路の風景も、昼間のうちは同じくらいにありきたりで、要するに退屈だった。
通行料金を告げる無機質な音声が止んで、私は言った。
30: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:16:45.37 ID:hoMUvMIQo
「東名高速道路。東京と名古屋を繋いでるから、その頭文字をとって東名」
トウメイ、と私は何とか反復してみる。
トウメイ、東名、トウメイ。
31: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:17:24.99 ID:hoMUvMIQo
「ああ。それは事前に説明した通りだ」
「わたし、それまで知らなかったんすよ。プロデューサーの出身がどこなのか」
「あれ、そうだったのか。てっきり知ってるものだと」
「神奈川だったんすね。その茅ヶ崎って町はどんなところなんすか?」
32: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:17:52.62 ID:hoMUvMIQo
想像上の場面を色々と切り替えてみる。
照り付ける太陽と青空の下。あるいは真夜中、下弦の月を反射する水面。
それから、しとしとと降り続く雨を呑み込む広大な黒。
だけど、いずれにしたって、その姿はまるで不自然な合成写真みたく風景に浮いていた。
33: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 20:18:25.47 ID:hoMUvMIQo
「プロデューサーって、お酒飲む人だったんすね」
「意外か?」
「意外といえば意外っすね。そんなイメージがあまりないっていうか」
「その感覚は正しいよ。大学にいた頃は、たしかに飲み会なんかは敬遠してた」
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