143: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:26:54.32 ID:hoMUvMIQo
窓際に置かれている直角型のソファの一番端に彼は腰かけた。
私は同じソファのもう一方の端っこにぺたりと座り込む。
ちょうど私たち二人は対角線上で向かい合っている形だ。
その間には小さくて使い勝手のよさそうなテーブルが、しかしお互いになんとか手が届きそうというくらいの絶妙に離れた場所にあった。
144: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:27:39.06 ID:hoMUvMIQo
その内容とは、いずれ発売する予定だった私の曲の歌詞を、他でもない私自身が書くというものだ。
あの人が置いていった仕事は他にも幾つかあったけれど、私とは直接関係のないものを全部合わせても、最後の最後まで残ったのはこれだった。
作詞なんてやったことは、遊びでさえ一度もなかったけれど、いざ書き始めてみれば思いのほかスラスラと言葉は並んでいった。
145: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:28:15.10 ID:hoMUvMIQo
詳しいことは何も知らない。知りたくもなかったから、そもそも訊かなかった。
ただプロデューサーがいなくなったということだけが絶対的な事実だった。
あの日を境に、私の中で無意識のうちに確かだと信じきっていた何かが崩れてしまったのだと思う。
そんな感覚が何となくあった。
146: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:28:46.96 ID:hoMUvMIQo
「結局、あれから何か変えたのか?」
青色のクリアファイルを手に持ったまま、彼はそう言った。
私は首を振る。
147: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:29:20.27 ID:hoMUvMIQo
「訪ねてみるまでは、何かが変わってしまうかも、って思ってたっすけどね」
何かが変わってしまったのなら、その結果に従って全部書き直そうと思っていた。
だけど結局、何も変わらなかった。
148: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:30:02.10 ID:hoMUvMIQo
「読まないんすか?」
私はわざとらしく首を傾げて言った。
彼はクリアファイルを手にしたままで、ずっと何かを躊躇っているようにみえた。
149: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:30:34.59 ID:hoMUvMIQo
「どうせプロデューサーさんは目を通さなきゃいけないじゃないっすか」
「そうだけどさ。それはそれとして、こう、あるだろ何か」
何を表しているのかも分からない妙なジェスチャーを交えて彼は答えた。
150: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:31:14.21 ID:hoMUvMIQo
彼の右手がクリアファイルの中から一枚の紙を取り出す。
それは何の変哲もない、ただのコピー用紙だ。
存分に書き散らかしたノート一冊をそのまま見せるのも何だかという気がしたから、別の紙になるべく丁寧な字で清書したものを今日は持ってきていた。
151: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:32:02.80 ID:hoMUvMIQo
開いた窓からすっと忍び込んだ弱気な風が、彼の手元を控えめに揺らした。
いつしか遠くに消えてしまっていた街の喧騒が、差し込んだ明かりの暖かさが、仄かに漂う珈琲の香りが、夏風に連れられて私たち二人の間にまた帰ってくる。
いつも通りの朝が呼吸を始める。
152: ◆J2O9OeW68.[sage saga]
2020/01/04(土) 21:32:46.93 ID:hoMUvMIQo
終わりです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
以下、過去作です。
芹沢あさひ「青空の水槽」
153:名無しNIPPER
2020/01/05(日) 00:55:17.17 ID:44k4DaXEO
あさひ題材でプロデューサーに「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」って言い回しさせる辺りで青空の水槽の人だろうと思った
おつ
153Res/110.09 KB
↑[8] 前[4] 次[6]
書[5]
板[3] 1-[1] l20