19: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:22:45.27 ID:yFIcZ1s10
時計を眺める。8時30分。もうすぐ、集合時間になってしまう。シャワーを浴びたりする時間を考えれば、そろそろ切り上げる時間だ。
振り返って、部屋から出ようとする。そこには、彼の姿はなかった。観察すると言いつつ、途中で帰ってしまったのだろうか。
見ていて欲しいとは一片たりとも思っていなかったが、そそくさと帰ったというのは、それはそれでつまらないと鼻を鳴らす。私の踊りに飽きたから?そんな事を少し考えると、何故か無性に腹が立った。
さぁ、もう引き上げ――
「……えっ?」
20: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:23:13.51 ID:yFIcZ1s10
「もう、きちんとゴミ処理位はしてほしいわ……」
私は、余計な観客に不平を零しつつ、それらを手に取った……よく見れば、下敷きになった紙には何か黒いインクがにじんでいる気がする。ここまで嫌がらせをするのだろうか。プロデューサーさんを拒んだ私を、彼は嫌ったのかも――
『サビのステップ・いつも半拍遅い。初動は早すぎるくらいに動いても構わないので、リズムを重視してステップを踏む事』
「……え」
チラリと文字が視界を横切ると、今まで、彼への不平を浮かべる事で精いっぱいだった脳みそがリセットされた。その紙切れに目を近づけてみると、すべて私へのアドバイスで埋められていた。私はそれを必死に解読する。時折、黒ずんだ染みになっているだけの部分であっても、その貴重な一言一言は、私の胸に染み込んでいった。
21: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:23:43.50 ID:yFIcZ1s10
―――――
あの後、私はプロデューサーさんに詰め寄った。こんな事をしてもらっては他の子と比べて不公平になる、そもそも私はこんな事を望んでいたわけじゃない。そう言われた彼は、少年のように目をそらして淡々と答えた。
「別にあれは俺が早く来たから暇つぶしにやっただけだよ。それに、志保を手伝ったんじゃなくて、俺がアイドルの分析をするために自主的に練習しているだけなんだから、志保に文句を言われる筋合いはないだろ?」
22: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:24:19.00 ID:yFIcZ1s10
―――――
次の日。同じように早朝から劇場のレッスンルームに来ると、用意されたかのようにCDプレイヤーが置いてあった。中身を確かめると、確かに私に任された曲だった。
ここまで露骨にやっておきながら、なお偶然と言い張るのか。憤慨しつつ私が勢いよく振り向くと、案の定、彼は音もなく壁の際に立っていた。
23: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:24:49.60 ID:yFIcZ1s10
――我ながら、なんてザマ。
私は、静かに絶望していた。後ろに見ている人が居なければ、少し涙ぐんでいたかもしれない。
久々の声出しは、 ボロボロだった。音程はずれているわ、リズムはガタガタだわ……しまいには、声量ですらまともに出せなかった。
悔しさに身を震わせつつ、背後から見守っているであろう男の方を見る。すると、意外な事に人影は既になかった。仕方ない、あの出来だ。呆れられたとしても、私には何も文句を言うことは出来なかった。
――けど、もしかしたら。
24: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:25:23.52 ID:yFIcZ1s10
メモ用紙には、私が感じていたような不安の箇所を罵倒するような事は何一つ書いていなかった。かといって不安から目をそらさせるような言葉は全くもって存在していない。そこに綴られていたのは、私の不安に感じた部分だけでない、すべての弱点と、それに対する対処法が明確に示されていた。
――悔しい。こんな事ばかり、書かれているなんて。
唇を噛む。いつもより強く噛まれた唇からは、少し鉄の味がしたが、私は気に留める事はなかった。
差し入れられた(置いて帰った、とは思わない)ドリンクを、数口分口に含んで飲みこむと、私はメモを持って元の場所へと戻った。
――絶対に、上達して見せる。いつか、見返してやるんだから。
25: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:25:49.08 ID:yFIcZ1s10
その日のボイスレッスン。今日は、可奈と可奈の憧れている千早さんとのレッスンだった。どうやら、プロデューサーさんは先輩と後輩を一緒にレッスンさせたいらしい……どれほど上手くならなければならないかを、実感でもさせたいのだろうか?私としては、心が折れるシアターアイドルがいてもおかしくはないと思うのだが……
「千早さん!今日は、よろしくお願いします!」
「可奈。ええ、今日は伸び伸びと歌いましょうね」
「わーい!楽しくのびのび〜♪やる気もモリモリ〜♪」
可奈がいつものように元気に歌っているのを、千早さんは嘲笑するのではなく、心底楽しそうにほほ笑んで聞いていた。朗らかな笑み。昔の千早さんは、笑う事を滅多にしないで歌っていたというけれど、それが疑わしくなるくらい、良い笑顔だった。
26: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:26:19.90 ID:yFIcZ1s10
―――――
――え?
「志保ちゃん、そんなに良く声出るようになったねぇ……私、もうげんかひぃ……」
27: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:26:48.78 ID:yFIcZ1s10
千早さんは、顎に手を当てて、何かを考えているように見えた。
「……どうかしたんですか?」
「志保、さっき注意していた箇所を口に出して言ってもらえる?」
「え、ええっと……」
真剣な目で見る彼女に対して、私はメモに書いてあった内容を漏らさず話した。話し終えると、彼女は目を閉じて静かにほほ笑んだ。
28: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:27:16.32 ID:yFIcZ1s10
―――――
それ以来、私とプロデューサーの奇妙な関係は慣習として続けられることになった。別に、どちらから始めたわけでもなかった為に、どちらから打ち切られることもなかったのだ。私が朝早く来た時には、彼はどこからともなく現れて見守ってくれていた。遅くに自主レッスンを行う時も、何故か彼は後ろで観察していた。
私は、いつの間にかそれが当たり前のように感じるようになっていった。
私がレッスンを終えると、部屋の隅にはいつも、ドリンクとメモが置いてある。夜自主レッスンをするときには、補食もおまけされていた。ドリンクを飲んで、自前のタオルで汗を拭きつつ、メモに丹念に目を通す。それに書いてある事を忠実に守――
29: ◆SESAXlhwuI[saga]
2017/06/16(金) 19:27:58.31 ID:yFIcZ1s10
「あれ、いつもと違う……」
それが数日続いたある日、メモの内容がいつもと違うという事に気が付いた。いつものように項目分けて書かれているわけじゃない末文に疑問を持った私は、その文章を先に確認してみた。
すると。
『ダンスのキレが良くなってる。ステップのタイミングも合わせられるようになってきてるぞ』
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