32:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:16:28.69 ID:6NLLeJ5C0
「贈り物……」
「そーそー」杏は声を低くして語った。「その先輩、プロデューサーに一から十まで叩き込んだ人なんだけどね、お母さんが病気になって、田舎に帰らなきゃいけなくなったんだって。プロデューサーも何とか引き留めようとしたんだけど、やっぱり駄目でね。それで最後の日、夏の日ね、ヒグラシとか鳴いてたの。見送りに行った電車の改札でさ、絶対トップアイドル育てて、世界のはじっこまで輝き届けてくれって、このカップ託されたんだ」
何かを確かめるように、千夜を覗き込む。
「それ以来、このカップは約束の…… ううん、これはプロデューサーの一等星――夢の象徴だったんだよ」
33:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:16:57.24 ID:6NLLeJ5C0
話を聞いて、ふたたび破片を見返した。細かいものは少ないし、何処かが消えてなくなったということもないと思う。
「そっかそっか。こんなに大事な物壊されても、千夜の方を心配してたんだね」としみじみ杏。「ふーん。なんか、分かっちゃったなぁ。千夜がどんなに思われてるか」
千夜は落としていた視線を持ち上げた。
「それは、どういう――」
34:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:17:48.85 ID:6NLLeJ5C0
彼が胸中の痛みなど感じさせない、いつも通りの顔をしていただけに、かえって躊躇われるなか、千夜は「あの」と切り出した。
「ん?」
「この度は、すみませんでした」
ここは誠心誠意と思い、頭も下げた。会釈程度に。
35:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:19:04.15 ID:6NLLeJ5C0
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
36:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:19:31.75 ID:6NLLeJ5C0
一段落のところで、今度は千夜から切り出す。
「これからお嬢様をお送りしたら、お台場に出掛けたいと思うのですが」
「お台場? うん、いいよ。お買い物?」
「はい」
「魔法使いさん、気に入るといいね」
37:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:20:16.99 ID:6NLLeJ5C0
心臓が止まったかと思った。その後の全身の血が逆流したような感覚も、千夜の驚愕を表すものだった――私は何を言ったっけ?
「あはっ、可愛い♪ 驚いた?」
「その…… 何故?」
「分かったかって? 千夜ちゃんの事ならぜーんぶお見通しなんだよ?」
38:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:20:47.12 ID:6NLLeJ5C0
「左の手の平、怪我してるよね。隠してるけど、握り方とか向け方とか、千夜ちゃんにしては珍しいよ。だから気にしてたら、手袋が切れてるのも見えちゃった。取って。……ほら、やっぱり絆創膏。消毒は? うん、さすが千夜ちゃん。
じゃあ何で怪我したかっていったら、私が朝、千夜ちゃんのコーヒー褒めたのが原因だと思うの。《魔法使いさんにも淹れてあげたら?》って。ジャズベも持ってったもんね。あはっ、可愛い。それで魔法使いさんのカップを持って来たんだね。それをどうしてか、割っちゃった。
それで足や脛じゃなく手、それも指じゃなくて手の平を、しかも利き手じゃない方を切ったのは、単に当たったとか、触った以上の事があったのね。きっと、それが魔法使いさんにとって大事なカップだったから。千夜ちゃんは優しいから、形だけでも戻そうとして拾い集めてみたんだね。それで優しさの証拠がここに。うん、とっても綺麗だよ。ここまでが、千夜ちゃんの左手がお喋りしてくれたこと♪
魔法使いさんも優しいから、カップなんかいいよって言ったと思うけど、千夜ちゃんは気が済まないよね。何処で買ったかまで聞き出した——少しでも、魔法使いさんの大切≠ノ近い物を贈る為に。単に良い物を買うなら、東京にはいくらでも近場のお店があるのに、渋谷でも銀座でもなくお台場なのはそういうわけ。
39:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:21:15.24 ID:6NLLeJ5C0
ちとせは紅く目を細める。千夜は舌を巻いた――また変な遊びを。
大筋ではあるが、仕草だの二言三言からこうまで見透かされては敵わない。脱帽です、とお辞儀した。
「おっしゃる通りです」
「ね、千夜ちゃんのことなら何でもお見通しなんだから」
40:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:21:54.57 ID:6NLLeJ5C0
言いながら、ちとせの宝石のような瞳は、一点を注視していた。その表情に妖しいものが宿る。
視線が射る先、ベンチに腰掛け、鷺沢文香が本を読んでいた。青い装丁を両手一杯に開いている。ちとせは、すすす、と早足で寄って、
「文香ちゃん、こんにちは」
朗らかな挨拶を意にも介さないようで、文香は依然、活字へ目を落としたままだった。ちとせ嬢は焦ったそうにベンチの裏側まで回って、耳を喰むかという近さでまた「こんにちは」。餌食の首筋を、華美な五指で撫でながら。
41:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:28:35.29 ID:6NLLeJ5C0
「こんにちは」と再三ちとせ、ベンチの背もたれに両肘ついて。
「こ…… こんにちは」
「驚かせてすみませんでした。どうぞ」本を差し出す。
「いえ…… はい、ありがとうございます」受け取る。
「読書してたんだ? 推理はお好き?」
42:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:29:06.32 ID:6NLLeJ5C0
彼女は深い思索の視線と暫時の逡巡を表した後、
「マグカップ…… でしょうか。……プロデューサーさんの」
「あはっ、名探偵♪ なんでかな?」
「今の時間からの買い物…… というのは、急ぎの用を暗示するものです。買い求めるのは、明日にでも使う物…… 千夜さんの傷が傍証となるのなら、それは今日使う物でもあったかと。強引な帰納ですが、日常使う物、それが壊れ、早急に利便を回復しなければならないのだと、ひとまず仮定しました。
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