75: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:23:31.96 ID:p8Id/7Jt0
*
「んー……まあ、指せるよ」
若干迷ったような口ぶりで、杏が答える。
76: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:26:02.25 ID:p8Id/7Jt0
木製の二つ折り将棋盤をテーブルに開き、駒箱を逆さにする。巴は大橋流の手順で、杏は順番は関係なしに目についたところから無造作に駒を並べていった。
「先後はどうしようかの?」と巴が云う。
一般的には強い方が後手を持つものだが、杏が将棋を指している姿を見たことはなく、その実力は未知数だ。また、将棋指しの自称強い、弱いほど当てにならないものはない。
77: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:26:32.53 ID:p8Id/7Jt0
「端歩でも突くかと思ったわ」
「それでもよかったけどね」
後手の巴は飛車先の歩を突いた。続く杏も己の飛車先を突き、巴は更に8五に歩を進めた。
78: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:29:59.30 ID:p8Id/7Jt0
https://i.imgur.com/JPgZQAu.jpg
79: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:31:13.74 ID:p8Id/7Jt0
角換わり右玉、これはおよそ一年前、巴が初めて父を破った際に取った陣形だった。
未だ十三年の人生しか歩んでいない巴にとって、何十年と将棋を指してきた大人たちとは埋められない経験の差がある。強い弱いというよりは、知っているか知らないかという部分で序盤に不利を負ってしまう。角換わりから、順当に相矢倉、相腰かけ銀ともなれば、散々研究し尽されている定跡手順だ。
ならば、見たこともない戦型にすればええ、と巴は考えた。
無論、これとて例がないわけではない。しかし珍しい形ではある。巴の父はこの一手に大いに唸り、そして娘に平手では初の白星を贈ることとなった。
80: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:32:43.67 ID:p8Id/7Jt0
杏は落ち着いた様子で左端の歩を突き、巴が応じると今度は右端の歩を突いた。
杏の指し手は早い。時間制限を設けているわけでもないのに、一手あたり一分かそこらで手を繰り出す。巴はつい自分も早く指さなければならないと焦るのを堪えて、一手一手、熟考しながら指し手を選んだ。
やがて駒がぶつかり、小競り合いが繰り返される。主に巴が仕掛け、杏が受ける形だったが、決定的な隙はなく、なかなか攻め込むことができない。やはり杏は強い、と胸が熱くなるのを自覚しつつ、巴は集中力が研ぎ澄まされていくのを感じた。
81: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:35:25.80 ID:p8Id/7Jt0
https://i.imgur.com/aZwbXZ0.jpg
82: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:37:23.61 ID:p8Id/7Jt0
――ここが勝負どころじゃい。
巴は6六に角を切った。
「おっ」と声を発して、杏が銀で角を取る。その頭に、持ち駒の歩を叩きつけた。
杏はこれを取るか、避けるか、放置するか。いずれの場合も、そう簡単に攻めは途切れない。巴はここで一気に攻勢をかけるつもりだった。
83: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:38:30.74 ID:p8Id/7Jt0
それから三分が過ぎ、五分が過ぎた。杏はやはり微動だにしない。
なにか話しかけてみようかとも思ったが、巴はそれをしなかった。邪魔になるかもしれないから、というのもあったが、声をかけても耳に届かないだろうと思ったからだ。
十分が経過する。
呼吸はしているのだろうか、と巴が不安になったころ、杏が動く。
84: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:39:44.24 ID:p8Id/7Jt0
どういう意味か、と問いたくもあったが、ともあれ杏は指した。本人が平気と云うのなら今は勝負の続きだ。巴は盤上に目を向けた。
――7四歩。
なるほど妙手だ、と巴は心の中で唸った。次に桂馬を取った手が王手になる。
123Res/67.77 KB
↑[8] 前[4] 次[6]
書[5]
板[3] 1-[1] l20