590: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/04/17(火) 22:20:45.06 ID:7BzTB0Y9O
宙吊りの状態。アナスタシアは二つの極のあいだで惑っていた。ひとつは、たとえるなら上方に位置するほうで、そこでは無数の輝きが空間いっぱいに星の海のように広がっている。視界の下から上まで光に満たされ、光を見る自分自身も輝きのひとつになっている。対するもうひとつ、下方に存在するのは死者たちだ。雨に濡れた地面に横たわる死体の反応の無い眼、スプリンクラーが血を洗い流している研究所の通路、墜落させられた旅客機、崩れ落ちるビル、瓦礫の下の人びと、SAT隊員五十名。死者たちのリストは続く。あらたに十一名が加わる可能性。死者の長い列は続いてゆく。
このようなリストの存在をいつから意識し始めたのか、アナスタシアは疑問に思った。佐藤による暗殺リストの公表が形を明確にしたわけだが、本質はすでにアナスタシアの内部にあった。観念から形象へ。その観念はいつ生まれたのか。死についての観念は。自分がはじめて死んだときかと思ったが、そのときの記憶ははるか過去のもので、痛みの実感とともに遠くにある。幼い頃のアルバムを開いた両親が親戚に向かって撮影当時のエピソードを語っているのを、すこし気恥ずかしい思いをしながら他人事のように聞いているときのようなもので、振り返ってみてもその当時がみずからの人格形成に作用したとはどうしても思えない。だから、アナスタシアにとって、死というものの存在を知った日、死の観念が生まれた日は、うちひしがれた祖父の姿を見たときだ。そして、そのときから漠然と抱いていた死のおそろしさにはじめて戦慄したのは、永井圭が死んだときだった。それは美波の動揺に反応した面もあったが、死そのものに対する言い様のないリアルな不気味さを実感したせいでもあった。以前にも似たような感触を味わったことがある。中学生のときだ。
591: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/04/17(火) 22:22:37.68 ID:7BzTB0Y9O
中学の一、二年のとき。夏休みがあけた九月一日の始業式。全校生徒が体育館に集められていた。アナスタシアは隣の列の友だちと他愛なくおしゃべりしながら始業式がはじまるのを待っていた。マイクで拡声された学年主任の声が響いて、校長先生が壇上へあがる。学年主任と入れ替わるかたちで演台の前に立った校長は、おはようございますと生徒たちに向かってあいさつをした。マイクを通しているにも関わらず、声は低く通りがよくない。そのせいか生徒たちの返事はまばらでためらいがちだったが、校長はやり直しを求めなかった。
校長はこう言った。悲しいお知らせがあります。三年ーー組のーーさん(クラスも名前も覚えてなかったが、名前は女子生徒のものだということだけは確かだ)が夏期休暇中に亡くなられました。交通事故でした。
592: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/04/17(火) 22:28:28.99 ID:7BzTB0Y9O
それをきっかけにしてか、演台の校長が哀悼の言葉を言う。黙祷が一分つづき、それが終わると校長は演台から離れ、学年主任と交代した。学年主任も引き継いだように哀悼の言葉を一言いってから、連絡事項に移る。始業式が終わり、教室に戻ってからも担任教師が女子生徒のことでなにかを言った。おざなりではなかったが、演台の校長の言葉にくらべると、深刻さは薄かった。
しかし、それも無理のないことだった。三度目ということもあるし、アナスタシアを含む教室の全員が上級生の死に対して、可哀想と思いつつも、悲しみにくれていなかったからだ。顔も名前も知らない人の死を心から悼むことはできないのは当然だ。
593: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/04/17(火) 22:29:49.05 ID:7BzTB0Y9O
アナスタシアは充電器をそっと手に取り、自分のスマートフォンに差し込んだ。画面が明るくなり、アナスタシアの顔を照らした。不在着信の数は百近い。そのひとつひとつを確認していきたかったが、眠気が限界に近い。
アナスタシアはあきらめて座席に横たわると眼を閉じた。暗闇がいっぱいになる。永井と中野、ふたりの寝息が規則正しいリズムで重なっている。アナスタシアもふたりの寝息にあわせて息をする。心臓の音すらも、呼吸にあわせているかのようだ。やがて、ふたつに重なっていた呼吸の音は、暗い車中でみっつに重なっていた。
594: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/04/17(火) 22:40:58.35 ID:7BzTB0Y9O
今日はここまで。
ほんとはもっと先まで書いてから投下するつもりでしたが、前回から二ヶ月経ちそうだったんできりがいいと思うところまで投下しました。
話が全然進んでないので、短めのをこまめにあげてくスタイルにしたほうがよいのかしらと考え??います。
595:名無しNIPPER[sage]
2018/04/18(水) 21:11:15.80 ID:l9KsL7Sw0
おつ。「たくさん!」の出だしが亜人としか聞こえないの思い出した
596: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/05/13(日) 21:54:35.68 ID:HRQM2WMiO
手の中の振動がアナスタシアの目を覚ました。
曙光が空に筋を描いて街を明るくするにはまだすこし時間があったが、あたりの暗闇は淡くなりはじめていた。もののかたちがぼんやりと見えてくる。輸送トラックが高架線を走る音が聞こえた。近くの踏切はまだ沈黙している。
597: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/05/13(日) 21:55:55.88 ID:HRQM2WMiO
座席に正座するように膝をついていたアナスタシアは、これまでの経緯をどうやって説明すればいいのかさっぱりわからないでいた。
高架線ではトラックが相変わらず行き来していたし、始発電車も動き出している。窓の外に眼をやれば、踏み切りの色、黄色と黒の縞模様が淡くなった薄闇のなかに浮かんでいるのが見える。ランプが赤く光ると、周囲の薄闇は青みがかっているように見えた。
598: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/05/13(日) 21:57:15.64 ID:HRQM2WMiO
いくつかの案を提示する前にアナスタシアは最初のひとつに飛びついた。その性急さが永井には考え無しにみえ、勝手に困ってろといわんばかりにまた眼を閉じて二度寝した。電話口の向こうでは、当然プロデューサーが事態を把握しようと質問攻めをはじめるが、見切り発車の発言に首を絞められたアナスタシアは返答に窮している。
中野が首をのばしてアナスタシアをうかがっている。中野は永井の肩をこづいて起こそうとするが腕を払いのけられる。
599: ◆8zklXZsAwY[saga]
2018/05/13(日) 21:58:27.69 ID:HRQM2WMiO
得々とした中野の語りにアナスタシアは眼を見張っていた。それはプロデューサーも同じで、ここまで話を聞いたときにはもう中野のペースにはまっていた。
打ち解けた感じのする通話が続いたと思ったら、中野がスマートフォンをアナスタシアに返してきた。
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