15:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:03:35.58 ID:6NLLeJ5C0
「あいつが、…… プロデューサーが、貴女を大層褒めていましたよ」
「プロデューサーさんが……?」
文香が身を乗り出した。主導権を得た。
「しかめ面も可愛いな…… だとか」
「しかめ面、……」文香は戸惑いを表し、「そのように、見えていましたか……」と悄然、頬を揉んだ。
16:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:04:10.75 ID:6NLLeJ5C0
その『御伽公演』における最初の仕事は、出演者、演出家、舞台監督、諸々、関係者一同による顔寄せだった。会議室を狭しと埋め尽くす面々は、アイドルだけで十数人、濃い赤、ピンクがかった紫、ピンクに水色のインナーと、髪を見るさえ千差万別だった。折り畳みテーブルも部屋の壁紙も白いのが、それを余計に印象付けた。
席へ向かう途中カツン、と何か硬い物が靴先に触れ、転がるそれを視界に捉えると、ボールペンだった。その形に覚えがあるようだと感じ、周囲に目を配ると、魔法使いが例の新しいネクタイをひらめかせ、ペコペコ頭を下げて誰がしかと名刺を交換しているのが分かった。あくせく働いているようだ。千夜は素直に感心した。胸の内でなら、ちょっと拍手をしたり労ってやるのは構わなかった。実際には、言葉よりも千夜自身の働きぶりで報いることになるだろう。手を抜かない、というだけのことで、特別なことをするつもりはないが。
17:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:04:55.93 ID:6NLLeJ5C0
声が掛かって、銘々席に着いた。拾ったペンは目につくよう机に放って置いた。
「アリババ役の安斎都です! よろしくお願いします!」
「モルジアナ役の白雪千夜です。よろしくお願いします」
「おかしら役の一ノ瀬志希でーす。にゃはは、よろしく〜」
18:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:05:51.68 ID:6NLLeJ5C0
「一応当て書のようにはなっていますから、皆さんの個性でもって演じられそうならやってみてもいいし、ただ読んでもらうだけでも勿論構いません」
「あてがき?」声が上がった。「お手紙なんですか?」
「それは『宛名書き』ですよ、都ちゃん」答があった。「ふふ……、当て書というのは、演じる人をまず決めてから、役柄の方を俳優に寄せて脚本を書くことです」
「ほう! 面白いです!」
「おっ、やっぱり詳しいねぇ。古澤さんを呼んで良かったよ。じゃあ、ライラさんの語りからやってみましょうか」
19:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:06:19.03 ID:6NLLeJ5C0
皆一様に目をきょろきょろさせだした。千夜も倣う。居ない。
先程居たはずの位置は空席だ。雲散霧消、一ノ瀬志希の紫の髪も、青味掛かった瞳も、猫のような微笑を湛えた唇もそこにはなく、その行方を知る者もないようだ。
「しまった、志希のやつ! 今すぐ探して来ます!」と、立ち上がりもせずに魔法使い。
(「ボクが行こう」と声が上がった。)
20:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:06:50.37 ID:6NLLeJ5C0
「お任せ下さい、アリババ様。必ずお守りしますよ」
これは上手くいった。カシムが盗賊に見つかった事をアリババに聞き、盗賊の追跡から身を守らなければならない事を知らされる場面。この時点ではモルジアナはカシムの奴隷なので、アリババと主従関係にはないが、この危機が彼女の仕える家自体に迫るものであるのを思えば、胸を叩いて請け合ってやるくらいのものだろう。
「盗賊が付けた目印かもしれない。よし、誤魔化しておこう」
これも及第だ。家の門に書き込まれた記号を発見し、盗賊による襲撃の目印である可能性を看破するシーン。千夜ならせいぜい印を消すことを考えると思うが、『アリババ』の時代ではけっこう難しいのかもしれない。それを近所中に同じ印を付け、情報の差異を奪ってやろうというのは成る程、木を隠すなら森の中というのか、流石モルジアナ、叡智の人だ。
21:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:07:33.25 ID:6NLLeJ5C0
≪私は幸せでございます≫。
その言葉は、喉も震わせられなかった。
言えばいいだけ、ただの演技だ、演技でもない打ち合わせだ、割り切ってしまえばいい――のだが、しかし。
――しかし、どの口でこんな事を?
22:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:08:01.38 ID:6NLLeJ5C0
「ううん、確かにそうかもね。ただ、今回はあんまり舞台慣れしてないお客さんを見込んでるから、分かりやすくやろうって腹なんだ」と演出家。
「いえ、そうではなく…… あの、すみませんでした。聞かなかったことにして下さい」
「いやいや、聞かせてよ。君と僕と、皆で作る舞台なんだよ?」
「ほんのつまらないことで」
23:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:09:30.24 ID:6NLLeJ5C0
その場を沈黙が支配した。
雑音がないのが、かえって耳に痛かった――私は嫌だったのに、お前が言えと! 難詰すべく魔法使いを睨んだ。どんな顔を返されたか頭に入らなかった。空気が張り詰め、紙の擦れる音や、椅子に姿勢を正す様子、誰かの息遣いまでもが聞き取れた。千夜は自分を、打ち上げられた魚のように思い始めた。己の考えを表に出すというのは、なんて気まずいものなのだろう。そんなものは濁った海に泳がせてさえおけば良かった、万事良かっただろうに!
そこへ、ガタッ、と椅子の鳴る音がした。見れば夢見りあむ――アリババの兄にしてモルジアナの主人、カシム役――が呆けた顔をしていた。
24:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:10:09.95 ID:6NLLeJ5C0
「千夜ちゃん……? そんなにぼくのことすこって」
「いいえ」
「ア即オチッ⁉︎ やむ‼︎」
「そりゃあまた――」と、魔法使いが口を切った。「――リトルなリドルがあるもんだ。《幸せって何?》《不幸せって何?》」
(「あ、それ知ってるー☆」
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