26: ◆yufVJNsZ3s[saga]
2020/02/10(月) 01:10:22.81 ID:CDwt0mRk0
眠かった。脚も痛かった。ロケ弁は美味しかったけど毎日じゃあ飽きるし、とにかく待機時間が長いのが退屈だった。不意にカメラを向けられてもいいように、つねに笑顔だから表情筋も凝る。
ちょっと前のぼくなら辛さや大変さに逃げ出してしまっていただろう。ぼくはまだまだダメ人間だけど、ダメ人間のままではい続けられない。それがわかっただけでも、ちょっとばかりの収穫、かな?
それでいてぼくは、……残念ながら、ダメ人間ではあったけれど、ダメ人間なりには利口だった。
27: ◆yufVJNsZ3s[saga]
2020/02/10(月) 01:11:25.31 ID:CDwt0mRk0
もちろん敵もそのぶん多い。歌が下手、踊りがださい、ビジュアルがくそ。炎上狙いの一発屋ってのはかなり近いところを指摘しているとは思ったけれど。
そうして、三位。
三位。
28: ◆yufVJNsZ3s[saga]
2020/02/10(月) 01:13:12.05 ID:CDwt0mRk0
「行きたくないなぁ」
仕事に。
29: ◆yufVJNsZ3s[saga]
2020/02/10(月) 01:13:56.52 ID:CDwt0mRk0
* * *
酸っぱいにおいと、むせかえるような不味さと、ただただ不快な感触が、喉の奥から唇の端、鼻の中までいっぱいに詰まる。反射的に口元を抑えたけれど、すぐに半固形のゲロはぼくの指のあいだから絨毯へと零れ落ちていった。
片付けなきゃ、とか、洋服が、とか、病院にいかないと、とか。そんな発想はぜんぜん浮かんで来なくて、ぼくはまず、とにもかくにもPサマに連絡しなきゃって思った。連絡して、ごめんなさい、お仕事いけないです、って。
30: ◆yufVJNsZ3s[saga]
2020/02/10(月) 01:14:45.87 ID:CDwt0mRk0
アイドルはとかく素晴らしい。彼ら彼女らは、ビジュアルの美しさやカッコよさ、あるいは歌唱力やその抜群のパフォーマンスで観客を魅了する。
同時にぼくは思う。「だからこそ」尊いのではない。尊くあれる存在「こそが」アイドル足りえるのだと。
観客のために努力をして、汗水たらし、ひたむきに、頑張って、歯を食いしばり、涙を堪え、誰かを助け、そして助けられ、自分と、自分を見てくれるひとたちのために研鑽された宝石がアイドルの輝きの正体なのだ。
31: ◆yufVJNsZ3s[saga]
2020/02/10(月) 01:16:06.53 ID:CDwt0mRk0
「どいつもこいつも節穴ばっかりだ! ぼくがなんか頑張ったか? 頑張ったかよぅ! 輝いてたか? 尊かったか? そんなわけない! みんなみぃんなぼくのことなんか見てやしないんだ!」
注目を浴びたかった。ちやほやされたかった。承認欲求を満たす手段があれば、すぐにそれに飛びついた。
けれど、違う。違うんだ。ぼくのこの憤りは、そんなところに根差していない。
32: ◆yufVJNsZ3s[saga]
2020/02/10(月) 01:19:42.87 ID:CDwt0mRk0
みんながぼくのことをアイドルと評した。
ぼくはぼくのことをアイドルだなんて思えなかった。
「凄いアイドルが! 尊さじゃなくてお祭り感覚で決まるっていうんなら! 努力なんてムダムダの無じゃん! アイドルってなんなんだよぅ!」
33: ◆yufVJNsZ3s[saga]
2020/02/10(月) 01:20:56.50 ID:CDwt0mRk0
時間の感覚は麻痺していた。だから、Pサマがやってきたのが、それから十分後なのか二十分後なのか、はたまた一時間後だったのか、どうにも曖昧の中へと沈んでいる。
ぼくはゲロの海の中に沈んでいた。つんとした刺激臭が鼻を刺す。それでも動く理由にはならなくて、髪の毛や肌を掻き毟りたくなる衝動を必死に抑えるので精一杯。
Pサマはそんなぼくを一目見て、「ひでぇな」とぽつり、呟いた。その意見にはぼくも同意だった。
34: ◆yufVJNsZ3s[saga]
2020/02/10(月) 01:21:57.13 ID:CDwt0mRk0
「ごめんね。ごめんなさい。Pサマ、ぼく、アイドルやりたくない。やれない。やれないよぅ。もうやだ。こんな思いするなら、アイドルなんてやらなきゃよかった。Pサマのスカウト、断ればよかった」
顔が熱い。視界が歪む。
泣きたくなんてないのに、悲しくも悔しくもないのに、そのはずなのに、涙が零れて止まらない。ぽろぽろぽろぽろゲロへと落ちる。
35: ◆yufVJNsZ3s[saga]
2020/02/10(月) 01:23:20.45 ID:CDwt0mRk0
肌に触れているのはPサマのコート。くたびれた、しわくちゃの、小汚い。その内側には男性的な、少し筋肉質の肉体が感じられる。ぼくのおっぱいがPサマの胸板で潰れていて、起き抜けだったから下着をつけていないことを思い出したけど、恥ずかしさは不思議とあまりない。
ぼくが背中に手を回したので、密着度合いは一気に増している。Pサマの右手がぼくの後頭部へ、左手がぼくの右肩へ、それぞれ痛いくらいの力。
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