169: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/04/10(金) 01:15:12.43 ID:VqwG9xH+0
胸に手を当てながら、このみは自分の中から出てきた気持ちをそのまま言葉にした。
それが自分の中でこんなにも育っていたなんてと、このみ自身も驚いていた。
このみは自身のグラスに目を移して、そっと左手で触れた。
思いを綴るたびにこのみの胸の中にまた言葉が浮き上がっていく。
170: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/04/10(金) 01:15:55.10 ID:VqwG9xH+0
互いが互いの眼を見ていた。
しかし、先に目線を切ったのはこのみだった。
「けど……。」
171: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/04/10(金) 01:16:54.05 ID:VqwG9xH+0
その声は、微かに震えていた。
言葉にした途端に、それが決して遠い誰かの話でなく、紛れもなく現実の自分の話なのだと、このみは思い知らされた。
このみは彼の方を見た。
172: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/04/10(金) 01:18:11.64 ID:VqwG9xH+0
それを知っているからこそ、このみは先を続ける。
「きっと、それはまだ、ずっと先のことだけど……。」
173: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/04/10(金) 01:18:48.21 ID:VqwG9xH+0
このみの中で、走馬灯のように様々な景色が浮かんでは消えていった。
そして、最後に現れた劇場の定期公演の情景だけが、このみの胸の内から離れなかった。
幕が上がる瞬間。
下手から上手まで、いっぱいに広がった仲間たち。
174: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/04/10(金) 01:19:33.28 ID:VqwG9xH+0
「私一人いなくなったって、何か問題が起きるわけじゃない。ううん、最近のみんな、すごく頑張ってるもの。だから……。」
幾重に広がる光たちの上で、劇場の仲間たちが舞い踊る。
願いは歌になって、ステージからファンのみんなへと飛び立って。
175: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/04/10(金) 01:20:47.77 ID:VqwG9xH+0
ステージは完璧だった。
たった一つ、その世界に、馬場このみがいないことを除いては。
そのまま手放せてしまったのなら、どれほど楽なのだろうか。
176: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/05/08(金) 21:45:50.32 ID:9DhA16vx0
伸ばした手に、何かが触れた。
このみがはっとして意識を戻すと、そこは劇場の事務室だった。
左手の感覚は、思い違いではなかった。
177: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/05/08(金) 21:46:25.80 ID:9DhA16vx0
「このみさん。」
彼は、手を握ったままこのみを見つめて、一言、そう言った。
このみは、ただそれだけで、冷えきった左手が暖かくなるのを感じた。
178: ◆Kg/mN/l4wC1M
2020/05/08(金) 21:54:39.64 ID:9DhA16vx0
自分の居なくなった世界が、それまでと同じように、淀みなく回り続けるのが嫌だ。
それは嫉妬にも独占欲にも似た感情だった。
自身の中にこんな下卑た気持ちがあったのかと、このみは心底思わされた。
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