Helleborus Observation Diary 

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137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:25:13.93 ID:j0AiLQi+O

「うん。何?」と桃の顔を見ながら聞き返す。

「えっと……明日は部活?」

「え、部活? 行こうとは思ってたけど、何かあるの?」

「あぁその、えっと、明日も一緒に帰りたいなぁって」

 もっと他のことを言うのかなと思ったから、少しだけ拍子抜けした。てっきり、これからご飯行こうとか、またこの前みたいにぶらぶらしようとか、そういうのかと。

 一緒に帰ろう、と誘うなら明日でもいいのに。ていうかまず断らないのに。
 まあでも、私から誘うかっていうとそれはないだろうし、それ以前に、誰かを誘う時って、どんな内容でも緊張するよねと勝手に納得した。

「ならこの前みたいに、また部室に来てよ。そのあと一緒に帰ろう」

「わかった。じゃあ、また明日ね。おやすみ」

138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/11/27(金) 21:25:58.34 ID:j0AiLQi+O
本日の投下は以上です
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:19:10.51 ID:5TyxvKDPO




 朝に見た天気予報は晴れのち雨だったけれど、午後三時を過ぎても柔らかな日差しが照り続けていた。
 授業が終わってからSHRまでの間で、スマホの電源を入れて天気予報アプリを見る。予報はすでに変わっていて、今日のうちはこのままらしい。

 そういえば今日初めてスマホを見たな、なんて思って、たまっていた通知を確認する。メルマガやらの中に瑠奏さんからのメッセージがあることに気付く。

 内容は今月の後半からのシフト表の写真と、何か変更があれば──という文。

 写真には販促や告知の日程といったものも併記されていて、そうか今年もこの季節か、と思う。
 花屋にとっての年末は、一年の間で、五月まわりの次に忙しいと言っていいかもしれない。

 体力がなかったからか、去年はわりとしんどかった記憶がある。休憩時間は事務所でへばっていた。
 まあ、とはいえ、それは私だけの話じゃなくて、いつも陽気でやさしいパートさんも若干やつれているように見えたくらいには、なにかと忙しくて大変だった。

 そんな中でも瑠奏さんは「わたし、昔から体力にだけは自信があるんです」と一人元気に接客をしていた。

 店長だから表に出さないようにしているのかな? と最初は思っていた。でもどうやらそういうわけでもなさそうで、本当に疲れてない様子だった。

140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:20:17.48 ID:5TyxvKDPO

 パートさんはそういう瑠奏さんを見て「いいわねー、二十代って」と言っていた。

 それを聞いて、私は十代だけど体力がないんだよなぁ、と勝手に落ち込んだ。
 でもまあ多分、今は去年よりちょっとだけましになっていると思う。

 今年はなんとか足手まといにならないようにしないと、と意気込む。
 いつもの意気込みだけで終わってしまう性分が出てこないように、瑠奏さんにそういう趣旨のメッセージを送っておく。

『それは助かります。でも、べつにいつも通りでかまいませんよ』

 スリープモードになるとほぼ同時に返信が来た。
 こういうものがそうだというあれそれはないけれど、瑠奏さんらしさが出ていて、自然に自分の口角が上がるのを感じた。

 今日はもう解散だと告げる先生の声がして、やば、と思いながらスマホをポケットに仕舞い、机の中から持って帰る分の教科書ノートを鞄に詰め込む。
 そうしてから隣の席を見ると、桃とつかさが小さな声で話していた。

141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:21:14.15 ID:5TyxvKDPO

「ふゆゆがスマホ見てにやにやしてるなんて珍しい」

「ね。わたし、初めて見たかも。歴史的瞬間」

「ねー」

 なに言ってるんだか。あまりにも謎な会話。

「バイト先の店長から、ちょっとね」

「ふゆゆ、店長? 男? 女?」

「え? 女の人だよ」

「へぇー、若い?」

「そうだけど……えと、なに?」

「べつにー、なんでもなーい」

 会話に入ったらもっと謎になってしまった。
 その謎を解明するべく、どういうこと? という視線を横に向けてみるも、桃は首を傾げるだけだった。
 誰にも伝わらない会話だったみたいだ。真のワールド持ちはつかさなのかもしれない。

142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:22:14.50 ID:5TyxvKDPO

 そうこうしていると「あ、つかささん」と教壇の方に居た先生がこちらに向けて声を発してきた。すると、

「ア、ワタシキョーバイトダッタンダカエラナクチャー」

 と妙な言語を発して、つかさは見たこともないような速さで教室から出て行く。

「あ、行っちゃった」

 先生はつかさを追うわけでもなく、割とどうでもよさそうにそう言って、残っていた生徒たちに挨拶をしつつ教室を後にした。

 なんだったんだろう? とまたつかさに疑問を感じながら、教室の入り口から出るところで、私の意を汲み取ってくれたのか桃が口を開いた。

「つーちゃん、今日の数学のテスト全く解けなかったみたい」

「それで、先生にびびってたの?」

「うん、そうじゃないかな」

「へぇ……あ、桃はテスト解けた?」

143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:24:12.39 ID:5TyxvKDPO

「わたし? えっと、最後の問題は分からなかったけど、それ以外はそこそこ。ふゆは?」

「私も同じ感じかな。それほど悪くはないとは思う」

 話しながら階段へと差し掛かる。桃に上か下かとジェスチャーされたので、少し考えて上の方向を指差す。

「そういえば、わたしたち、テスト前日にトランプしてたんだよね」

「たしかに。考えてみればそうだ」

「ふゆもつーちゃんも栞奈ちゃんも何も言わないから、良いのかなあって思ってた」

 テストだからといって取り立ててしない人。触れたくなかった人。忘れてる人。
 どれが私なのかはお察しの通りで、どれが酷いのかというと、一番最後。うん。仕方ない。

 さっきの教室最寄りの階段でのやり取りで、行き先は屋上となっていた。
 上が屋上で、下が部室。鞄のポケットから鍵束を取り出す。

 鍵を回して鉄扉を開けると、びゅうと吹き付けた大きな風で前髪が崩れた。
 桃とここに来るのは二度目。けど、この前とは何かが少しずつ違っているように思えた。

 桃は私よりも数歩先に歩いていって、フェンス越しに見える景色を眺める。もう一度吹き付けてきた強い風で、長い髪の毛がふわりと舞っていた。

144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:26:00.10 ID:5TyxvKDPO

「このお花、まだ葉っぱだけなんだ」

 すぐに満足したのか戻ってきた桃は、私の近くにあったプランターに目をとめた。

「うん。二月の後半くらいに咲き始めて、四月か、長くて五月の初めくらいまで咲いてる花なんだよね」

「ふうん。前来た時から、なんとなく気になってたの」

「この花のことを?」

「うん」

「そうなんだ」

 言われてみればたしかに、他の花は咲いていたり、蕾であったりするから、ぱっと見て葉っぱと土と肥料だけのものは目立っている。

 私たちは半身ほどの間をあけて並んで、その花──クリスマスローズのプランターの前に腰を下ろした。

「どういうお花なの?」

「スマホで検索してみれば?」

「それでもいいけど、せっかくだしふゆから聞きたい」

 あまり知らないんだけどなぁ。
 ……まあ、いいか。

145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:27:14.90 ID:5TyxvKDPO

「名前は、クリスマスの頃に咲くからクリスマスローズ。でも、それは原産国? でのことで、こっちではクリスマスにはめったに咲かないし、ローズっていうけどほんとはバラ科じゃない。
 冬の花だけあって寒さには強くて、いろんな種類の色とかたちがあって。
 これは、片方は緑っぽい花で、もう片方は黒っぽいの。育てやすいし、いい花だよ」

 私の下手な説明に、桃はふむと頷く。
 気になるというのはそのままの意味だったらしい。

「ふゆはこのお花が好きなんだね」

 そして、穏やかな声でそう言ってきた。

「そう見える?」

「なんていうのかな、このお花に向けてる目が、他のお花に向けてるものよりもっと優しい気がする。……あ、間違ってたら、ごめん」

「いや」

 実際その通りで、わかるものなのだな、と思った。
 一番とか二番とか、順位付けは出来ないけれど、思い入れがある花はどれかと問われればクリスマスローズが思い浮かぶ。

 私がわかりやすいのか。
 それか、どっちもということもあるかもしれない。

「クリスマスローズは、小さい頃から近くにあったし、育ててたからかもね。それと……」

 それと、なんだろう。自分で言っといて。
 普通に言ってもいいことだけれど、言わなくてもいいことのような気がして、続けることを躊躇する。

146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:29:10.49 ID:5TyxvKDPO

 けれど、その躊躇を表に出すのはなんとなく桃に迷惑かなと思って、桃の目が私の言葉を待つようになる前に口を動かす。

「いろんな思い出がある気がして、思い出そうとしたんだけど、あんまり覚えてなかった」

「ふゆは昔のこととか、あんまり覚えてないんだ?」

「うーん。まあ、そうかも」

「だから、日記をつけてるの?」

「どうなんだろう。そんな面もあるけど、ただの日課というか、作業というか」

「へえー。あ、でもわたしは日記にあんまり登場しない……」

「って言ったっけ?」

「うん言ってた。そんな感じのことを」

 桃は「あれ、じゃあ……」と小声で続けて、しゅんと沈んだような顔をした。
 そして、地面を見つめてうむむと呻る。こんなことで、と思ってしまうけど、なぜか、申し訳ない気持ちになる。

 私って気付けば桃のことばかり書いてるな、と恥ずかしくなって以来あまり書いていないのだと、正直に言った方がいいのだろうか。

147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:31:04.62 ID:5TyxvKDPO

 困る私をよそに、不意に顔を上げた桃は、何を考えたか、膝に置いていた手を私の肩に置く。

「わたしもふゆと、思い出になることがしたい」

「うん……うん?」

「あぁその、えと、ちがう。ふゆの思い出になるようなことを、わたしも一緒にしたい」

 唐突に出てきた言葉は、いつものように抽象的すぎてついていけない。
 ニュアンスの違いか何なのか、言い直したけれど、どっちにしたって私には伝わってこなかった。

「えぇと、話の流れが見えないんだけど。……つまり?」

 そう訊ねると、桃は私から目を外し、逡巡するように視線をさまよわせる。
 けれどやがて、一呼吸おいて、

「つまり、わたしと、デートしてみてほしいなって」

 と力のこもった瞳で、言った。

148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:31:53.71 ID:5TyxvKDPO

 思い出になること、から、デートしてほしい。
 繋がるか? 繋がら……いや、まあ繋がるんだろう。

 私には突飛なことに思えることでも、桃の中ではちゃんとプロセスがあるのだ。きっと。

 考えてから納得するまでの十数秒間、桃はそわそわした様子で、私の答えを待っていた。
 私が断らないなんて、わかりきっていることだろうに。

「いいよ。いつ、どこに行きたいの?」

 それでも言った瞬間、ぱっと桃の目に輝きが宿った。

「いいの?」

「うん」

「じゃあ、日曜日とか、どうかな」

 日曜日……。
 こういう時は経験上、先延ばしにしない方がいいはず。

「うん。空いてるよ」

「行く場所は、わたしが決めてもいい?」

「そうしてくれるとありがたい」

149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:32:56.06 ID:5TyxvKDPO

「あとは……かわいい服を着てるふゆが見たい」

「かわ、えっ?」

 思わずごほ、と咽せる。
 いつ、どこで、の次に服装指定とくるか。

 もうそろそろついていけなくなってくる。……あ、最初からか。

「スカート履いてるの見たことないし」

「いや毎日見てるでしょ」

 今だってがっつり履いてる。

「そうだけど、私服では見たことないなって」

「……スカートを履いてくればいいの?」

「できれば。履いてきてくれるとわたしが喜びます」

 拳をぎゅっと握りしめて言う桃が少しおかしくて、私は少し笑った。

「わかった。忘れてなければね」

「うん。あっ、ふゆはわたしに……なにかある?」

「うーん……いきなり言われても、なにも」

「じゃあ、思いついたらなんでも言ってね」

 ちょっと考えたけど、現状の桃に求めることはなにも思いつかなかった。

150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:34:32.69 ID:5TyxvKDPO

 どうも思考力が足らないように思えてならない。そんなこと言ったら、語彙力も想像力も洞察力も全て足りないけど。

 帰りがけ、「ひとつ、気になることがあるんだけど」と前置きして、率直な疑問について訊ねる。

「遊ぶ、じゃなくて、デートなの?」と。桃はすぐに首を小さく縦に振った。

「うん、デート。言い方は、けっこう大切」

「大切なんだ?」

「大切なの」

「なら、デートってことで」

「デートってことで」

 私の言葉を復唱して、桃は頷く。そして恥ずかしそうに笑う。
 流されているようにも思えたけど、桃のそういう表情を見て、それでもいいような気がした。

151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:35:55.95 ID:5TyxvKDPO




 なんとなくずっと機嫌良さげな桃と駅まで一緒に歩いた後、自転車に跨ってバイト先に向かう。

「珍しいですね。霞さんがお休みの日に来るなんて」

 事務所に入ると、私が来たことに気付いた瑠奏さんが、パソコンを操作している手を止めて振り返った。

 さらっと下ろした髪に、ブルーライトカットの眼鏡。いつもの瑠奏さんよりもきりっとしている風に見えて、無意識に居住まいを正す。

 机の上には、プリントアウトされたシフト表。クリスマス向けのポスター。パートさんからの旅行のお土産のお菓子。『自己肯定感を10日間で富士山級に上げる方法』という本。

「次の日曜日、今日もらったシフトでは入ってたんですけど、やっぱり休みにしてもらうことって出来ますか?」

 土日はだいたいバイトだから、桃と会うには休みを作らなきゃならない。今週末もばっちり二日とも入ることになっていた。
 連絡はメッセージでもいいかもと思ったけれど、急に休んだりシフト変更をしたことがなかったから、作法がわからなかったし、直接言いに来た。

152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:36:45.58 ID:5TyxvKDPO

 何事も初めては緊張するもので、もしかしたら咎められるんじゃないかと少し緊張していたけれど、

「はい、わかりました。いいですよ」

 瑠奏さんはあっさり言って、パソコンに目を戻した。

 カタカタカタとキーボードを叩く音が耳に響いてくる。
 へぇーお正月向けのプロモ作りかー…………あれ?

「すみません。友達と会うことになって」

 あまりにあっさりしすぎていたから、理由を求められているのかな、と思ってそう言うと、
 こちらに向き直った瑠奏さんはきょとんとした顔をして、それからくすくす笑った。

「このシフトはあくまで仮のものですし、従業員のプライベートについて口出しはしませんよ」

 ……言われてみればその通りだった。
 もう既に意味ないのに、いやあははそうですよねぇと誤魔化そうとする。が、口に出さずに愛想笑いと雰囲気だけでそうしようとしたから余計に変な感じになった。

「でも少しでも聞いちゃうとちょっと気になりますね。
 ……もしかしてそれって、デートだったりしますか?」

 喋らないでいると、瑠奏さんがそう言ってきた。
 人の悪いような笑みで。……小学生か、この人は。

 反射的に発しかけていた「出かけるだけですよ」という言葉を喉元付近で止める。

153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:38:47.45 ID:5TyxvKDPO

 デート……桃曰く、言い方は大切。
 なら統一しとかないと桃に対して失礼なのでは、と考える。私もそれには同意したし。

 それまで富士山と言っていたのにいきなりマウントフジとかフジヤマとか言うのも変だしね。違うか。

「そうなりますね」

 答えるや否や、瑠奏さんは「おぉー」と声を上げた。
 そしてやや前のめりに、「学校のお友達ですか?」と続ける。

「えぇと、そうです」

「……もしかして、お手紙をくれた方ですか?」

「手紙? あ、そうですその子です」

 そんなこともあったなあ、なんて考える。

「わあ……すごいですね」と瑠奏さんはぱちぱちと拍手する。

「すごいですかね?」

「どちらかと言えば、お相手さんがすごいです」

「私のことを誘うなんて、ってことですか?」

154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:39:33.17 ID:5TyxvKDPO

「ええ、かいつまんで言えばそうですね。……勘違いされたくないので言いますけど、霞さんが悪いってことではないですよ」

「あ、はい。よくわかんないです」

「相手に伝わるか伝わらないかのギリギリを攻めるのって楽しくないですか?」

 そんな高度な会話なんて私には出来ない。
 でもまあ、そういうことの出来る頭の回転が速い人ってすごいなと思う。前々から考えていないと無理だ。

 沈黙を伝わっていないと捉えたのか、瑠奏さんはまた笑って、

「霞さんがそういう星の下に生まれた人ってことです」

 もっと伝わらないようなことを言ってきた。

 頭の中で今まで言われたことを整理する。
 ……やめた。考えても分からない気がする。

「そういえば、以前にもそういう子がいましたよね?
 なんとか……なんとか、かんとかさん。あっ全然覚えてなかったです」

 今度はわかる話だったけれど、入ろうとしたタイミングで事務所の電話が鳴った。

 すぐに仕事モードの顔に戻った瑠奏さんが電話に出る。
 メモを片手に長話になりそうな空気だったので、机の上の本を見ながら待つことにした。

155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:40:43.93 ID:5TyxvKDPO

 一番大事なのは周りの環境らしい。
 あとは自分を責めないこと。へぇー。

 なるほどなぁと読み進めているうちに、電話は終わったようだった。

 内容はスタンド花の注文に関しての相談だったらしい。
 多分、瑠奏さんが作るんだろう。単価が高いから、私が作る日は一生来ない。ていうか来ないでくれ。

「今のうちに、クリスマスにもお休みを取っておいた方がいいですね」

 瑠奏さんは再度緩やかな顔を作って、笑いかけてくる。
 視線で、どうしてですか? と訊ねる。

「クリスマスの日にも、またデートすることになるかもしれないじゃないですか」

「いや、今週末デートするからクリスマスにもっていうのは、いくらなんでも早計だと思いますけど……」

「そうですかね? 人間そうそう変わらないと思いますよ」

「その方には期待ですね」と瑠奏さんは一人で結論付けて、メモに大きく『霞さんはクリスマス休み!』と書き込む。
 いつも元気な人だけれど、今日の瑠奏さんはそれ以上に嬉しそうで、私をからかうこと以外に、もう少しなにかいいことでもあったのかなと思った。

156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:41:33.44 ID:5TyxvKDPO
本日の投下は以上です
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/01/24(日) 23:19:50.14 ID:gMsG1tX/O
もっと書いてええよ
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:46:46.34 ID:Oqr5JUbl0




 迎えた日曜日。余裕を持って三十分ほど前に待ち合わせ場所に着くと、桃はまだ到着していないようだった。

 休日だけあって、午前の今でも駅の近くは沢山の人で溢れている。駅構内は特に人が多くて、いま私が立っている所は文字通り芋を洗うような状況だった。

 待ち合わせ場所としてはこの上なく分かりやすい。でも、明らかに周りの雰囲気に合っていないよなぁ、と色のついたガラスを見ながら思う。

 ゴシック様式、ケルン大聖堂、ノートルダム大聖堂……だったかな? 社会科は世界史選択ではないから、もしかしたら間違ってるかもしれない。去年のテスト前の詰め込みで学んだことは、カタカナ文字はかなり覚えづらいということだけ。

 これが花の名前なら簡単に覚えられるのに。
 でもま、それは仕事だから覚えざるを得ないだけか。店に入ってきた花たちに、名前と値段を書いた紙を貼っていくうちに勝手に覚えている。

 暗記とか物覚えには退屈でつまらない反復作業が大事なのだろう。
 薄い絵の具でも何回も重ね塗りをすれば輪郭がはっきりしてくるのと同じで、潜在意識への刷り込みができればいい。

159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:47:35.72 ID:Oqr5JUbl0

 初めはとっつきにくいと感じたものでも、毎日目にしていれば次第に慣れてきて、印象は柔らかくなっていく。
 たとえば花についてきたカナブンとか。そういうのにも、慣れてしまってどうでもよくなった。慣れって怖い。

 とまあ、そんなくだらないことを考えている間に、改札を通って出てくる集団の中に桃の姿を見つける。

 私がここに着いてから五分。つまり待ち合わせの二十五分前。律儀な桃のことだから時間前に来ると思っていたけど、それを見越して私も早く来たのだけれど、実際にその通りで安心する。

 桃は季節感のあるブラウン系の装いに、半日足らずの外出にしては少し、いやすごく大きいようなリュックを背負っていた。

 この人の多さではやむないが、ざーっと辺りを見回した桃は私のことを見つけてはくれなかった。
 桃はそのまま手摺りに寄り掛かって、手鏡を取り出して髪を整え始める。背中側に位置する私には気付いてくれそうにない。

 なので私から近付いて、後ろから「おはよ」と声をかける。

160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:48:30.67 ID:Oqr5JUbl0

「わ、おはよう」

 振り向き、手を胸元に上げて目尻を緩める桃からは、遠目で見た先程よりも更にかわいらしい印象を受ける。

 普段はつけていないアクセサリーをしていて、髪も少しだけいじっているようだった。学校でのものとはまた違う桃の新たな一面を見ている感じがして、ちょっとばかし不思議な気持ちになる。

「ね、もしかして待った?」

「ううん、全然。私も今さっき来たとこ」

「そっか、なら良かった」

 いかにもなやりとりを交わした後、桃は私のつま先からつむじまでをじぃっと眺めて、控え目に微笑んだ。

「ちゃんと着てきてくれたんだね」

「あーまぁ、忘れてなかったから」

 黒色のチュールスカートを摘み上げて答える。
 普段履くのは制服のスカートとバイトの時のジーンズくらいなもので、私服でスカートを履くなんて久しぶりだった。

161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:49:14.02 ID:Oqr5JUbl0

「これでよかった?」

「うん、とっても。やっぱり思ってた通り似合う」

「そうかな、ありがとう」

 平然と答えたけれど、実は内心ほっとしていた。
 期待に応えられたみたいでよかった。家を出る少し前まで迷って決めた甲斐があった。

「桃も似合ってるよ。大人っぽいし、なんか上品」

「え、うれしい。妹に決めてもらったんだよね」

「妹さんにか。ほんと仲良いね」

「そうそう、やさしくてかわいい自慢の妹なんです」

 お互いの服を褒め合う。ありそうでなかったこと。
 これもいかにもなやりとりなのかな?

「じゃあ、ふゆ。行こっか」

「うん。バスだったよね?」

162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:49:47.58 ID:Oqr5JUbl0

 場所は桃が決めるという約束だったので、私の方からは特に意見せずそのままお任せした。
 駅からバス一本で行くことが出来る、自然公園に行くことにしたと、金曜日の放課後に言われた。

 寒くなく、外出にはちょうどいい天気だった。
 晴れてよかったね、と桃が視線を空に向ける。たしかに、雨だったらさすがに外はきつかっただろう。

 案内をしようとしてくれているのか、私の一歩先を行く桃の足取りは軽い。
 その様子は、平日とは違う休日のゆったりとした空気感に似合っている。

 乗客の少ないバスに乗り込んで、後ろの方の席に腰掛ける。

「なんか、いつもよりテンション高いね」

 発車後に思ったことを言うと、桃は言われて初めて気付いたとでも言いたげに、目を丸くした。
 けれどすぐ、理由を思いついたように、

「だってせっかくのふゆとのデートなんだし」

 左手で緩く握り拳を作って笑う桃につられて、自然と私の口角も上がる。

163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:50:28.82 ID:Oqr5JUbl0

「そっか、今日はデートだったね」

「……ひょっとして忘れてた?」

「ううん、忘れてないよ。ただちょっと緊張するなって」

「ふうん。あ、じゃあきのう寝れなかったりした?」

「いや、それはぐっすり寝たけど」

 デートってことで、いちおう長くなっていた髪を切って、中途半端だったところは染め直した。いつもより短い間隔で行ったから、「デートすか?」と美容院のお姉さんに言われた。

 デートという言葉の意味をスマホで検索した。
 遊ぶこととの違いは私にはよくわからなかった。

 きっと休日に友達と二人で外で会うということは、桃にとってはありふれていることで、緊張するほどのことではないのだろう。
 私は……なんていうか、よわい十六にして情けない。ぎこちなさとか、慣れてなさとか、そういうのを見透かされてなければいいのだが。

 けれどまぁ、そういう緊張感も含めて楽しい一日になればいいな。
 お金じゃないけど、無い袖は振れない。

164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:51:05.89 ID:Oqr5JUbl0




 バスに揺られること一時間と少々、目的地に到着する。
 車内での会話は途切れることなく、桃がすごく楽しみにしてくれていることが伝わってきた。

 チケットを買い受付を済ませて入場すると、すぐ正面には石段と噴水、そして多くの花が並んでいる。
 自然公園の名前に違わず、溢れんばかりの自然が広がっていた。

 顔を上向ければてっぺんが白く染まった山々がそびえている。空気は街中よりも心なしか肌寒く、きれいに澄んでいる。

 家族連れ、カップルらしき人、飼い犬を連れた人と、入場客はそれなりに多いはずだけれど、広さのせいかそれをあまり感じない。
 山容水態と言うには整備が行き届いていて人工物っぽい。それでも、かなり好みな空気感と雰囲気だった。

 もし周りに誰もいないのなら、いますぐ走り出したくなるような場所だ、と思った。
 私たちのすぐ横を、小さい男の子が高い声を上げながら駆け抜けていく。少し経ってその子の名前を呼びながら追いかけてくる親御さんと思しき人の顔には柔和な笑みが浮かんでいた。

165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:51:43.49 ID:Oqr5JUbl0

「気に入ってくれた?」

 園内の雰囲気に魅了され思わず声を洩していた私を、桃が横から覗き込んでくる。

「ふゆと来るならこういう場所かなって」

 そう続けて、にっと笑う。
 どの程度伝わるかわからないけど、「ありがとう」と気持ち大きめの頷きを返した。

 それから、水色よりも淡く爽やかな秋の空に誘われるように、二人並んでゆっくりと歩いて園内を周りはじめた。

 見頃を過ぎ黄色に色を落としたコキアを眺めて、石段を流れる水の音を聴いて、高いところから花壇の写真を撮って、池の中に小さな魚を見つけた。

「ウグイかな」と桃が小声でささやく。

「私はわかんないけど……魚詳しいの?」

「ほんのちょっとね。たまにお父さんと釣りに行くことがあって」

「へー釣りかぁ。魚を釣って、食べたり?」

166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:52:51.50 ID:Oqr5JUbl0

「そう、食べたり。高校生になってから、どうせ暇だろって付き合わされるようになったんだよね」

「楽しいの?」

「どうだろー。お父さんに言って、今度いっしょにやってみる?」

「いいけど、機会があればね」

 堤防に座って、海に釣り糸を垂らし水平線を眺めてぼーっとするのは楽しそうではあるけど。
 どちらかと言うと、せっかくの娘との貴重な時間を私が入って邪魔していいのだろうか、とかそういうことを考えた。

 もう少し奥へと進み、秋の花とパンフレットに写真付きで載っている場所に着いたが、あいにくコスモスやマムはもう散ってしまっていたようだった。
 もう十一月も終わりに近付いている。管理された場所で狂い咲きが望めそうにないのはやむない。

 ちょっと残念そうな表情をしている桃に、せめて写真でもと私のスマホのフォルダに入っていた二種の写真を見せると、喜んでくれた。

167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:53:22.39 ID:Oqr5JUbl0

 足漕ぎのゴーカートがある場所や、首長竜のようなキャラクターのボートがある場所を通る。
 ゴーカートは親子で溢れ、ボートは稼働期間外だったけれど、イチョウの枯れ葉が浮かぶ水面から届く風は冷たくて気持ちが良かった。

 その近くに大輪のビオラが咲いていた。目を留め足を止めたのは私たちだけだった。花より団子ならぬ花より遊具。それが普通なのかもしれない。

 そしてまた先へと、ゆるゆる歩いているうちに気付く。
「ここ、前にも来たことあるかも」と。

「そうなの?」

「て言ってもめっちゃ小さいときだから全然覚えてないんだけどね。……幼稚園くらいのときかな?」

「そっかー。幼稚園なら、家族と?」

「そうそう、お祖母ちゃんと」

 今よりもずっと小さかった手を、あやすように引いてもらった記憶が頭に残っている。
 その日は私の誕生日だった。ような気がする。

168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:53:57.24 ID:Oqr5JUbl0

 人は誰かに言われた言葉そのものを覚えていなくとも、それについてどう感じたかは覚えている。
 なんて、どこかの誰かが言っていたけれど、たしかその日、お祖母ちゃんから何か嬉くなるようなことを言われて、私はとても喜んだのだった。

「桃は?」

「……わたし?」

「前に来たことある?」

「あるけど、わたしもふゆと同じで覚えてない」

「一緒だね」

「あはは、そうだね。でも……」

 今日のことは忘れないように記録に残しておこうよ、と桃はコートのポケットからスマートフォンを取り出して、半歩私との距離を詰めてくる。
 何枚も写真は撮っていたが、今日初めてのツーショット。交互に半目になって何回か撮り直した。

169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:54:41.50 ID:Oqr5JUbl0

 舗装された大通りの終着点は、紅葉した樹木が立ち並ぶ、ひらけた芝生の広場になっていた。

 周りの様子から察するに、ここまで歩いてきた人が足を休める場所のようだった。
 大きな鍋を囲んでいる集団や、小さなテントを張っている人たちがいる。かすかに白い煙がもくもくしている。

「よし到着」と言って桃は大きなリュックを下ろす。

 そして、その中からレジャーシートを取り出したかと思うと、他にもいろいろ出てきた。

「運動しようかなって」

 とグローブを渡される。野球のやつだ。

「ふゆとキャッチボールしてみたかったんだよね」

「息子とのキャッチボールを夢見る元野球少年の父親みたいな?」

「んーそっか。うちのお父さんの夢は、娘のわたしが代理で叶えたのか」

「いや桃のお父さんの夢については知らないけど……」

 ってことは、キャッチボールをしたりするのだろう。
 釣りに、キャッチボールに。めっちゃいい親子だ……。

170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:55:12.66 ID:Oqr5JUbl0

 せっせとコートを脱いで、数メートル離れる。
 肩をぐるぐるまわす桃のマネをして、私も右腕をぐるぐるさせる。

「じゃあさっそくいくよー、えい」

 桃が振りかぶって投げたボールは、大きなフライとなってきれいな弧を描く。

 顔の前にグローブを構えると、「わっ」と言っている間にボールが収まる。
「ナイスキャッチ!」と褒められる。素直に嬉しい。

「私もいくよー、とりゃー」

 下手な投げ方でも案外飛ぶものだ。
 桃の捕り方は慣れていそうな感じだった。

「えーい」

「おりゃー」

「えーい」

「うりゃー」

 ゆるーい掛け声とともに、ボールが往復する。

 ジャンパースカートとチュールスカートを纏った私たちにはぴったりの空気感じゃなかろうか。

171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:55:57.65 ID:Oqr5JUbl0

 と思ったのも束の間、慣れてきたら、投げるたびに何か適当に単語を言ったり、普通の会話をするようになった。

「これで桃の目的は果たせたー?」

「いまひとつ果たせたー。でも、もっともっと数えきれないくらいいっぱいあるよー」

「へえー、それは、いいことだねー」

「でしょー、次は、フリスビーしよー!」

「フリスビー? えぇーと、いいよー!」

 桃が後ろに下がっていくのでどんどん投げる距離が伸びていき、私たちの声も比例して大きくなっていく。

 腕より先に喉が疲れそうだったけど、そういう会話は新鮮で楽しいと思って、しばらく会話のキャッチボールの方も頑張って続けることにした。

172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:56:43.59 ID:Oqr5JUbl0




 運動を一時間近くした後、桃に「そろそろお腹すかない?」と言われてお昼にすることにした。
 外していた腕時計を見ると、正午はとっくに過ぎていて、ギリギリお昼かな? というくらいの時間だった。

 レジャーシートにブランケットにアウトドア用の折り畳みの簡易テーブル。
 大きいリュックも納得だった。準備の良さへの称賛よりも背負ってきた重さで疲れていないかなと心配になる。

 キャッチボールやフリスビー、フラフープなんかは真面目にやろうとすると時間が溶けるものだと知った。
 フリスビーを投げる時に、桃が「わたしを飼い犬だと思って、さぁひと思いに!」と言っていたのが面白かった。実際に犬のように前に飛び跳ねてて笑ってしまった。

「お友達とお昼一緒に食べたら? ってお母さんがお弁当持たせてくれたんだ。それでいい?」

 頷くと、リュックからこれまた大きな包みが出てくる。
 クロスを解く途中、桃は動きを止め私をちらっと見て苦笑した。

173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:58:00.50 ID:Oqr5JUbl0

「わたしも少し手伝ったんだけどねー。普段料理しないから、あんまり手伝えなかったの」

「そうなんだ?」

「本当は全部自分でって思ってたんだけど、朝ばたばたしてたから、時間ないでしょって言われちゃってさ」

「ばたばた……」

 なんだろう、あんまり想像がつかない。

 桃はくすっと笑って、お弁当箱を手に取る。
 ぱかっと開けられたそこには、彩り豊かないろんな種類のサンドイッチが詰められていた。

「ささ、食べて食べて」

 と促されて、一番端っこのものを手に取る。

「いただきます」

 口に入れるとすぐにサーモンとクリームチーズの甘味が広がる。胡椒がピリッときいていて、まとまっている味だった。

「んー、美味しいね」

174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:58:38.96 ID:Oqr5JUbl0

「ちょっと多めに持ってきたから、好きなのいっぱい食べていいよ」

「おぉー、ありがとう」

 普段の私は学食の小ランチでもお腹いっぱいになるくらいの少食だけれど、今日は多く食べられそうな気がする。

「あ、てか桃が手伝ったのって? それ食べたいな」

「もう食べてるよ」

「じゃあこのサーモンの? そっかー、美味しいよ」

 という私の当たり障りのない感想に、桃は卵サンドを嚥下してから、「ううん」と首を振る。
 違うということらしい。

「え、じゃあなに?」

「食パン」

「食パン?」

175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:59:40.23 ID:Oqr5JUbl0

「ホームベーカリーだから、簡単」

「へ、へぇー……」

 すごい変化球だった。ていうか手伝ったの域を超えている気がする。食パンって主食じゃん。

 手元をまじまじと眺めると、時間がかかりそうなイメージだからなのか、サンドイッチが何倍も増して美味しそうに思えてくる。

「ありがとね、桃。なんかめっちゃいいと思う」

 隣同士で靴を脱いで足を伸ばしているこの状況が、距離的に、視覚的に近かったからだろうか。
 すぐそばに見える桃の長い髪めがけて、私の腕が伸びる。ほぼ無意識的な行動だった。

「……」

 でも、私の腕は途中で停止してくれる。
 桃って身体を勝手に触られるのあんまり好きじゃないと思うよ、と操縦席から指令が飛んでくる。

176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:00:42.10 ID:Oqr5JUbl0

 ……ただ、その指令は普通に遅かった。
 中途半端に上げかけられた左手を見つめると、同じように見ていた桃と目が合う。

 すると桃は私の手を取って、自分の頭の上に乗せた。
 そして、ぽんぽんと宙と髪を往復させる。

「どういたしまして」

「うん」

 桃がちょっと頬を赤くして、声を出さずに微笑する。私も同じように笑おうとしたけれど、どうにも不自然な感じになった。

「なんか、走り出したい気分……」

「え?」

 声に出ていた。目に見えて困惑される。

177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:01:14.38 ID:Oqr5JUbl0

「その、いいよ。走ってきたら?」

「いや」

「……あ、わたしも一緒に?」

「……いや、気分の問題っていうか」

「実際に走りたいわけではなくて?」

「実際に走りたいわけではなくて」

 ふうん、と桃は分かっているのか分かっていないのかという感じで相槌を返してくる。

 私も分からなかった。

178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:01:43.08 ID:Oqr5JUbl0

「じゃーんけーん」

 不意に、桃が気の抜けたような声を発する。

「ぽん」

 グーとグーがかち合う。あいこ。よく分からないけど。
 チョキ。グー。パー。チョキ。パーとグー。
 二百四十三分の一って。

「負けたから、飲み物買ってくる。何系飲みたい?」

「何系って、うーん。温かいの……コーヒーとか?」

「コーヒーか。ちょっと待っててね」

 桃はスニーカーを履いて、すたたっと駆けていく。
 なぜ急にって感じだけど、多分桃自身が喉乾いていたか何かだろう。

 それにしても今日は至れり尽くせりだ。まさか進んでパシられてくれるとは。

 一人になってすぐに、びゅうと木枯らしが吹いて髪が揺らされる。
 前髪を抑えるときに、さっき触れた桃の髪のことを考える。……キューティクルが違うのかな? うまい言い回しが思いつかないが、とりあえずとても柔らかかった。

179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:02:17.04 ID:Oqr5JUbl0

 白身魚フライのサンドイッチを一口かじりつつ、視線を手元から解放しているうちに、気持ちは霧散していく。

 毛並みのいい白猫が、すぐ近くのベンチをひとりじめしてひなたぼっこをしている。じっと見つめていると、こちらを向いて大きなあくびをした。
 すべり台やロープで遊んでいる子どもたちの声がする。近くのレジャーシートからお母さんに連れられるようにして男の子がやってきて、「これあげる」と市松模様のクッキーを渡される。

 橙色に染まったメタセコイアが並んでいる大通りの方を振り向けば、純白のウェディングドレスを着た女の人二人組が、カメラマンらしき人に写真を撮られている。

 サンドイッチをひと口かじる。やっぱり美味しい。
 野点をしたくなるような風情だと思った。桃が買ってきてくれるコーヒーを待っているというのに。

 桃っていい子だよね、と再認識する。穏やかで、やさしい。桃と関わったらみんな桃をいい子と言うと思う。
 霞ちゃんって運だけで生きてるよね、と中学三年生の頃に言われたことを思い出す。たしかに、私は運がいいのかもしれない。

 そこらに何枚もある落ち葉のじゅうたんを見て、また一つ思い出すことがあった。
 近くの黄赤茶色を両手いっぱいにかき集め、薄い雲の流れる空へと放り投げる。

180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:03:16.42 ID:Oqr5JUbl0

 ひらひらと舞い落ちてくる様子を観察する。青と白が一瞬違う色に染まる様は、なるほど、たしかに楽しい。
 もう一度集めてぶわーっと舞わせる。違う広がり方。

「なんか楽しそうなことしてる」

 戻ってきた桃が、私を見てくすくす笑う。

「おかえり」

「ただいま。はい、コーヒー」

「ん、ありがとう。何円だった?」

「百二十円。わたしもやってみようかな」

 それから順番に落ち葉を投げ合った。
 投げている間、見ている間、なぜか時間の流れがとてもゆったりしているように感じた。

181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:04:00.12 ID:Oqr5JUbl0




 結局、その後はあまり動かずに、お互いに持ってきた本を読んだり、どこからか漂ってくるシャボン玉を目で追いかけたり、またキャッチボールをした。

「ねえ、ふゆ。もうそろそろ帰ろっか」

「そっか。もうそんな時間になってたのね」

 腕時計を確認すると、指し示されているのは午後五時。
 今日は楽しい一日だった、と思った。

182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:05:13.47 ID:Oqr5JUbl0




「わたし、実はデートって今日が初めてだったんだよね」

 帰り道のバスで、桃が不意に口を開いた。

 乗客は朝と違って私たち二人以外に誰も居なかった。
 バス停で同乗した人たちはみな途中の温泉街で降りて行った。日曜日だというのに。私たちは明日普通に学校だ。

「生まれてからってこと?」

「そうそう」

「私も初めてだよ」

「そうなの? なんか意外だね」

「それは、こっちが言いたいセリフ」

「えぇ、そうでもないと思うけどなぁ」

 ふゆはかわいいんだし、と桃はくすっと笑う。
 いやいや私なんか、と言うのはいろいろと不毛な気がしたので、ただへらっと笑っておく。

183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:05:45.20 ID:Oqr5JUbl0

「そういう反応も……ま、いっか」

 桃は私から目を逸らして、咳払いをひとつする。

「今日は、どうだったかなって」

「今日は……あっという間だった」

「あはは。わたしもそう思う」

「それと、楽しかったよ。すごく」

 率直に言うと、桃の顔がぱあっと晴れやかになる。

 緊張に、不覚に、いろいろあったけれど、単純に楽しかった。桃が私を楽しませようとしてくれていることが伝わってきた。
 仲の良い友達がそうしてくれて、楽しくないわけがない。

「わたしもとっても楽しかった。またこういう風にデートできたらなって、むしろなんで今までしてなかったんだろうって、後悔してるくらい」

「また誘ってくれれば、いつでもいいよ」

184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:06:27.52 ID:Oqr5JUbl0

 楽しかったし、次があればいいな。
 そう思って言ったことに、桃は僅かに表情を曇らせた。
 けれどすぐに、気を取り直したようにこちらに向けて笑う。そのときにひとつした頷きは、何かの決心を固めるかのように見えた。

 バスが駅に到着する。
 降りてすぐに呼び止められる。

「聞いてほしいことがあるの」

「はい」

 まだ何も言っていないのに、桃が今から何を言おうとしているかが、なんとなく分かってしまった。
 ただの錯覚かもしれないけれど、この空気感を、私は既に知っているように思えた。

 居住まいを正す桃につられて、私の背筋も伸びる。

 走り出したくなる。今回は本当の意味で。

185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:07:27.73 ID:Oqr5JUbl0

「わたしは、ふゆにわたしだけが出来ることをしたいし、そういうことで嬉しくなってもらいたい。
 ふゆとわたしの思い出になることを、いまの友達の関係よりももっと近い関係で、わたしたち二人で見つけていけたらなって、そう思うの」

 ゆっくりと五本の指で、私の手のひらを包み込む。
 そして、私の目をじっと見つめる。そのたった数秒間がどうしてかとても長く感じる。

「だから、わたしと付き合ってみてほしいです」

 今までに見たことのない表情で、桃はそう告げてきた。

 握られている指先から、たしかな温度が伝わってくる。
 私よりもつめたいはずなのに、今はあたたかい。
 体温が混じり合って均される感覚。数秒単位でなく黙っていれば、そうなっても仕方ない。

 思い出になることをしたい、と桃は言っていた。
 それが今日の課題であり、目標だったのだろう。

 桃が私のためにいろいろと考えてくれたこと。
 それだけで嬉しかったし、私にとっては思い出に残るようなことだった。

 でも、それは一面的にであって、全てがそうってわけではないんだろうと思う。

186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:08:05.47 ID:Oqr5JUbl0

 分からないけど、多分。私の持っている想像力の限界。

「相手は、本当に私でいいの?」

 と私は訊ねる。
 他に訊きたいことは特に浮かばない。

「うん、ふゆがいい。だって、ふゆは素敵な子だから」

 と桃は答える。ガベルが鳴っているように錯覚する。

 買い被りすぎだと思うし、自分に対しての適切な言葉としては受け入れ難い。
 けれど、ここまでまっすぐ言われてしまうと、見えるところで過剰に自分を卑下することは桃に対して失礼になるように思う。

 もうちょっと真面目に考えてきて、というようなことを私は言った。
 それで、桃はちゃんと考えてきてくれた。考えてきた結果が、以前言われたことと大筋で変わりなく、今言われたことなのだろうと思う。

187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:11:16.33 ID:Oqr5JUbl0

 私も真面目に考える。カリキュレイトする。
 結果はすぐに出る。以前とそれほど変わりない。

 断る理由がない。受け入れた先よりも断った先を想像できない。桃に何か問題があるようには思えない。問題があるとしたら私の方で、それは今のところ私にも分からない。

 だったら、と思う。雪崩的に。
 私は目先の選びやすい選択肢に流されていく、どうしようもない人間だから。

 そして──そもそもの話、桃から「付き合って」と言われた時点で、私の取る選択肢は既に決まっていたようなものだったから。

 私は、息を吐いて、桃をまっすぐ見て頷く。
 頷きだけでは伝わらないかもしれないと思って、

「これから、よろしく」

 そう言って、握られている手のひらに力をこめ、桃の手を握り返した。


188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2021/08/18(水) 15:12:21.69 ID:Oqr5JUbl0
本日の投下は以上です。
期間が空きましたがまた書きます。
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/08/19(木) 18:20:40.42 ID:31t/CF580
前にも書いてた?
オリジナルは珍しいから失踪せずに頑張って
190 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/08/20(金) 02:52:32.82 ID:j9N7SqDn0
おつです
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/09/04(土) 00:09:50.15 ID:zJsRFTYO0
両方とも恋愛感情なさそう
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/09/04(土) 11:27:33.23 ID:lf4bw44X0
おつです
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:40:11.99 ID:282sBTyh0


【2】



〈T〉


 手のひらの中で、スマートフォンが静かに震えている。

 薄く瞼を開くと、カーテンの隙間から初冬の淡く柔らかな日差しが入り込んできている。

 ロック状態のまま震動を続ける画面に表示されている時刻は六時二十分。
 十分おきのスヌーズの二回目。六時ちょうどに鳴ったものと一回目のスヌーズはまったくもって記憶にない。

 アラームの時間ぴったりに起きられるほど、わたしは朝に強くない。
 昨日は二時間スペシャルの刑事ドラマが面白くて、二夜連続の夜更かしをしてしまった。
 この季節になると就寝前のリビングから自室に戻るまでの道のりが億劫になってしまう。

 上向きにしていた体を反転させ、枕に顔をうずめる。まだこの温かさと安らぎに包まれて眠っていたいという思いから、ぐりぐりと強く擦ると、鼻と目元が少し痛くなった。

 意識がふわっとしていないと、二度寝するのは難しい。
 いつもなら惰眠をこれでもかというくらいまで貪れるはずなのに、今日は視界がクリアになってしまっている。

 眠気を取り戻そうとしているうちに、ちょっと時間が経過していた。部屋の外から、階段をのぼる音がする。
 それに次いで、がらっとわたしの部屋のドアが開けられた。

194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:41:11.68 ID:282sBTyh0

「姉さん、起きて。もう朝だよ」

 とわたしを揺する声の主は、三歳下の妹のひなみ。

 今日は起こしてくれる日だったらしい。ひなみはわたしと違って朝に強い子だから、週に二、三度起こしてくれる。
 三度目のスヌーズが鳴る前に止め、起き上がる頃には、ひなみが部屋のカーテンを開けてくれていた。

「朝ご飯はトーストだよ」

「そうなんだ」

「そうなんです。一人で朝食を取るのは味気ないから、姉さんはさっさと起きましょう」

「うん……ていうか、はやいね」

 ひなみ一人で、ということはお母さんとお父さんはもう仕事に行ってしまっているらしい。
 うちの両親は共働きで、会社勤めをしている。お互いの職場の距離が近いらしく、朝は一緒に出勤していく。

「パパもママも年末は忙しそうだよね」

「寂しい?」

「というより、心配。どっちもこの時期やつれてない?」

「たしかにそうかも」

195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:42:18.35 ID:282sBTyh0

「ていうか姉さんいるし、寂しいわけないよ」

「わたしも、ひなみがいるから寂しくない」

 おうむ返しするように言って、昔からしているようにひなみの髪を撫でる。

 ここ最近の、中学に入ってからのひなみはすごく大人っぽくなった気がするけれど、こうして撫でてあげると嬉しそうに頬を緩めるのは変わっていない。
 わたしよりも少し短めの髪の毛がさらさら揺れる。

 ただその二秒後に「やめい」と頭を退けて距離を取られた。
 ちょっとだけ怒っているような、拗ねているような、そういう調子になるのは、以前と変わったこと。

「あんまり子ども扱いしないで」

「子ども扱いっていうか、妹扱いかな」

「その妹に起こされる姉さんってどうなの」

「それは、わたしもまだまだ子どもなので」

「いや、そこ開き直っちゃダメでしょ」

 ひなみはわざとらしく苦笑しながら立ち上がって、部屋の外に向かう。

「準備しとくから、その寝癖直して顔洗ってきて」

196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:43:17.50 ID:282sBTyh0

 とっくに眠気なんてないのに、やっとの思いでベッドから這い出る。
 小学生からずっと決して広くはない部屋のスペースを陣取っている学習机の上には、半開きの英単語帳と、良くも悪くもない数学の小テストと、進路調査票と、それから水玉模様のデザインの手帳。

 最後のそれを見るだけで、自分の顔が緩むのがわかる。
 そっと表紙に手をかけて、ぱっと開く。まだまだ始めたばかりだけど、これから徐々に埋まっていくことを思うと、気持ちがぐいっと上向く。

 スマートフォンのロックを解除してホーム画面を見て、すぐに閉じる。
 よし、今日も一日がんばろう。というルーティン。力は勝手に湧いてくる。

 さっと朝の支度を整えて、日焼け止めを塗って、すでに温められていたコタツに入って、テレビからする情報番組の音を聞く。
 今朝はわたしの住んでいる地域で初雪が観測されたらしい。平年より三日ほど早く、これからますます寒さが増していくでしょう、と。

 今よりも寒いのだと想像しただけで身震いがして、肩に手を当てながらぐでっと床に倒れ込んだ。
 カーペットの毛が頬に当たる。寒さに怯えていたはずなのに、ひんやりとした感触は気持ちがよかった。

「二度寝しないで食べてよ」

 いつのまにか隣に座っていたひなみから「まだ食べてないけどあんまり寝てると豚になるよ」と重ねて鋭い指摘が飛んでくる。

197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:44:06.68 ID:282sBTyh0

「でもひなちゃん。寝る子は育つって言うよ?」

「けど姉さんは今以上に育ちたくないでしょ?」

「はい、食べます食べます」

 体を起こして、トーストを口に運ぶ。
 わたしは一枚だったけど、ひなみは三枚食べていた。

「ていうかひなちゃん呼びやめて」

「どうして。かわいいのに」

「子ども扱いされたくない」

「してないよー。わたしだってまだ子どもなんだよ」

「さっきと話題がループしてるし……。はい、姉さん。プリーズセイ、ひなみ」

「ひなみ?」

「わんもあわんもあ」

「わかった。ひなちゃんは封印ね」

 思春期なのはもちろん、なにかと背伸びしたいお年頃なのだろうか。

198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:44:42.19 ID:282sBTyh0

 わたしはココアだというのに、ひなみはブラックコーヒー。前はおねえちゃんって呼んでくれてたのに、今は姉さん呼び。

 よく友達から抜けてると言われるわたしを反面教師にしてくれているのかな。
 だとしたら、わたしはもっと姉らしくならなければならないのかもしれない。

「無理そうだよね」

「ううん、姉さんなら大丈夫。いけるいける」

「えっなに。もしやわたしの心を読んだ?」

「いや、適当に言っただけ。そんなにビビらないでよ」

 まずそもそも、姉らしいってなんだろう。威厳?
 ベタにほっぺにジャムでも付いていないかなと見てみたけれど、付いていたのはわたしの方だった。

「そいえばさ、姉さんの友達に会いたいなー」

 二人で家の外に出て歩いていると、ひなみがふと思いついたような口調でそう言ってきた。

「誰のこと?」

「えっと、ふゆさん? 前からちょくちょく登場してたけど、最近は輪をかけて登場率高いから気になる」

199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:45:22.62 ID:282sBTyh0

「登場率って、そんなに話してた?」

「話してるよ。気になる気になるめちゃ気になる」

「じゃあ、ふゆに言ってみるね」

「やった。あ、絶対だからね?」

 念を押すような言葉とともに、ひなみが悪戯っ子のような笑みをわたしに向けてくる。
 どうしてそういう表情になったのかはわからなかったけれど、うんと小さく頷く。

「楽しみだなあ、ふゆさん。どんな人なんだろー」

 ひなみは指を組んで、目をキラキラさせる。

 わたしも考えてみる。ふゆはどんな人なんだろうって。

 気になる人。素敵な人。仲良くなりたい人。ついこの間から付き合っている人……は、秘めておくべきことなのかな。
 そういえば、付き合っているんだ。そう、付き合ってるんだった。ふゆとわたしは付き合っている。改めて言語化すると、顔の中心に熱が宿りかける。

 でもこれは、ふゆがどんな人であるかじゃなくて、わたしとの関係性であったり、気持ちだった。質問の答えとしては適切でない。

 答えを探しているうちに会話は終わった。そんなわたしを見て、ひなみは更に関心を深めたような顔をしていた。

200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:46:10.25 ID:282sBTyh0




 おはよう、と下駄箱から廊下までの道のりで何人かの友達に声をかけられて、それに答えつつ教室に入る。

 わたしの席は窓際の後ろの方で、そこにはいつもお昼を食べているわたしを含む四人が固まっている。
 このクラスには運動部の子が多くいて、その子たちで大きな集まりができている。そこに属していない、その他の小さな集まりのうちの一つがわたしたちだ。

「ももちゃんおはよー」

「おはよー、桃」

 後ろから挨拶をされて振り返ると、つーちゃんと栞奈ちゃんが手をひらひらと振ってきていた。ふわりと鼻をくすぐった制汗剤の香りは、朝練帰りの栞奈ちゃんのものだろう。

 つーちゃんは小学校からの友達で、このクラスではほんとに数少ない帰宅部仲間。笑った顔がかわいい子。
 栞奈ちゃんはつーちゃんからの紹介で二年生になってからできた友達で、バスケ部の部長をしている。わたしたちのグループのまとめ役。

 一緒に席に向かうと、二人は机を繋げてオセロをしていたみたいだった。
 ざっと見た感じ、黒が優勢かな。黒を打っているのは栞奈ちゃんの方だ。

201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:46:41.98 ID:282sBTyh0

「さあ、つー。私にボコボコにされる続きを早くしよう」

「いやいや、ちょっと角取ったくらいで調子乗んなし」

「おお、威勢はいいねー」

「スマホゲームで鍛えたわたしの力を見せてやる!」

「見せるにはもう遅いんだけどね」

 栞奈ちゃんが五枚を黒にひっくり返す手を打つと、つーちゃんはうっと小さくうめく。
 それを見て、栞奈ちゃんはにやりと笑う。よくクイズ番組なんかで見るような、勝負師の顔だと思った。

 そんな二人のやり取りを立ったまま眺めていると、微笑ましいような気持ちが溢れてくる。仲が良いって、とてもいいことだと思う。
 あからさまに顔に出てたのか「桃は私を応援してくれてるみたい」と栞奈ちゃんが話を振ってくる。

「え、マジ? ももちゃん敵?」

「や、わたしはどっちも応援してるよ。がんばれー」

「なんか心がこもってない気がする」

 ええ、ふつうに本心だったのに。言い方の問題かな。

 つーちゃんが悩みながら黒二枚をひっくり返しているのを横目に、二人のひとつ前の自分の席へと進む。

202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:47:17.46 ID:282sBTyh0

 通学鞄を下ろして、隣の席に目を向ける。すぐに気付いてくれたみたいで、

「おはよ」

 と右手を軽く胸の前に出して、ふゆがいつものように頬をわずかにあげて挨拶をしてくる。
 少し高めの、きれいで透きとおっているような声だ。

 ただ挨拶されただけなのに、言葉ではうまく言い表せないなにかが、胸の内に広がったように思える。
 こういうことが、よくある。ていうかほぼ毎回こう思う。じわぁーっとなる。なにかが。

 声がいいからかな。がやがやと耳に届くいくつもの他の人の話し声を聴いても、こうはなりそうにない。

 ふゆの机の上には参考書と本が出されていた。参考書には見覚えがあって、一緒にモールに行ったとき買ったものだ。
 同じものを買ったのに、わたしはまだ一度も開いていない。本屋の袋に入ったまま机に平積みされている。

 ふゆはわたしのことをまじめと評するけど、わたしからしたらふゆの方が全然まじめだと思う。

 もう一冊は、『完全版 星空の辞典』というタイトルの本だった。

203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:48:11.47 ID:282sBTyh0

 間が空いたかなと思って、ちょっと咳払いをしてから挨拶を返そうとすると、声が後ろにぐっと伸びてしまった。
 きっと、自分以外には気付かれないくらいの違い。気になるけど、気にしてもいられない。

「桃、外寒くなかった?」

「うん寒かった。息が……あ、ここでも出る」

 はぁーと息を吐くと、白い息が上にのぼっていく。

「まだ先生来てないから、ストーブついてないんだよね。勝手につけたら怒られるかな?」

「んー……ダメだとは思うけど、つけても藤花先生は怒らなそう」

「まぁそうだね、待っていようか」

 ふゆがそう言うとすぐに、担任の先生がやってきた。ストーブがつくと、待ってましたという感じに教室の前に人が集まって、わたしたちの周りは依然として寒いままだった。

「そこのお二人は寒くないの?」とふゆが後ろを向く。

 わたしもつられて振り向くと、オセロ盤は既に片付けられていてた。結局どっちが勝ったんだろう。

「体育館の方が寒いから慣れた」と栞奈ちゃんが言って、
「わたしは贅肉あるから無敵」とつーちゃんが言う。

204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:49:56.74 ID:282sBTyh0

「栞奈はさすがだとして、つかさは痩せてるでしょ」

「おお。えへへ、お褒めいただき光栄です」

 両手を前に出して歯を見せて笑うつーちゃんに、ふゆは少し考えるような様子になったあと、困った顔をする。

「え、もしかして言わされた?」

「痩せてるなんて言われたことないし、うれしーなー」

 つーちゃんのポニーテールが左右にぴょこぴょこと揺れる。見ていると、なんだか和んだ。

「ふゆゆも痩せてるよー、むしろ痩せすぎだよー」

「それ、褒めてるようでディスってきてない?」

「ディスってはないけどー。てか、なんかこういう女子っぽいやりとり、めっちゃむずるな」

「むずる。……むずむずする?」

「そう。しない?」

「まあ、うん。ちょっとわかる」

 そこでなぜか、つーちゃんの目がわたしの方を向いた。
 同意を求められた気がして、首を縦に振る。むずむずするかは、言われる人によると思うけど。

205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:50:33.38 ID:282sBTyh0

 つーちゃんでも、栞奈ちゃんでも、しないと思う。

 ふゆとするのは……どうかな。審議が必要。

「栞奈はむずらないでしょ?」

「まあね。部活とか、そんなのばっかりだし」

「ならちょっとやってみてよ」

 そう言われた栞奈ちゃんは、半ば面倒そうに一呼吸して、満面の笑みでふゆとわたしを目で捉える。

「桃ちゃんと霞ちゃん、ふたりともすっごくかわいーよ! スタイル良くてー、制服もかわいく着こなせてー、私なんかー、近くにいることも申し訳ないくらい比べものにならなくてー、とにかくすっごく憧れる!」

 言い終わった後すぐに、つーちゃんが机をバンバン叩きながら吹き出すみたいに笑い始める。
 ふゆとわたしは、そっくりそのまま同じような苦笑混じりの表情をして、「笑うところだよ?」と栞奈ちゃんに指摘される。

206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:51:54.92 ID:282sBTyh0

 そう言われては笑うしかないと「あは、は」と笑う。その様子を見てか見ずか、ふゆが口元を抑えて笑い始める。

「栞奈さっすがー。わたしにも言ってくれていいんだぞ」

「つーは褒めるところそんなにないでしょ」

「いや急にひどくない?」

「褒めてほしいところを言ったら褒めてあげてもいいよ」

「なにそれー、栞奈性格わるー」

「そういうの言えるところはいいんじゃない」

 一日に何回も見る、二人のじゃれあいが始まった。
 見てて飽きないけど、疲れないのかなと思う。お互い楽しんでやっているから、疲れないのだろうけど。

 なかなか着地しなさそうな会話の応酬を見ていたところで、そろそろ予鈴が鳴りそうな時間。

 ホームルームで、先生が「明日からのテスト期間には二者面談をするので……」と真面目なトーンで言っていて、はっとするような思いになる。
 そうだ、明日からテスト期間だった。完全に忘れていた。

207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:52:30.11 ID:282sBTyh0




 とはいえ、わたしは帰宅部なのでテスト期間になっても普段と変化があるわけではない。

 うちの学校のテスト期間は、試験日の一週間前から部活などが制限されるもので、ごく一般的な感じだと思う。
 普段から放課後すぐに家に帰るわたしにとっては、せいぜい勉強時間が増えるだけで、嬉しさとは無縁だ。

 部活をしていた中学生のときは、この期間をとても楽しみにしていた覚えがある。
 学校が終わってすぐ家に帰られて、夕方から寝ることができて、夕食は家族全員で食べられて……テスト期間にしては、あまり勉強をしていたようなエピソードはなかった。

 栞奈ちゃんは土日は休みだけど、今週は部活があるらしい。テスト期間ってなんなんだろう? と言っていた。
 ふゆもつーちゃんもアルバイトをしていて、変わらずいつも通りの頻度で入るらしい。だからなにもないのはわたしだけ。ちょっと疎外感を覚える。

 高校入学時のわたしは、部活に入る気がなかった。

 慣れない環境に四苦八苦しているうちに、一年生の春はあっという間に過ぎていて、どこかに入部するタイミングはなくなってしまっていた。
 高校でできた友達からいろいろと誘われはしたし、先生からも入ったらどうかと言われることはあったけれど、どの部もあまり関心が持てなかった。

208 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:53:19.80 ID:282sBTyh0

 でも今となっては、その選択は正解だったのだろう。
 その種目や活動が本当に好きなら、学校の部活動以外でもできる。事実わたしは、中学のときの部活について思い出すことはほとんどなかった。
 たいして好きではなかったのだ。

 今日は半分自習みたいな授業ばかりで時間の流れがハイテンポに感じられ、一人でぼやぼやーと空想をしていると昼休み、放課後と時間が移り変わっていた。

「桃。今日バイト早いから、先帰るね」

 と掃除終わりに言われて、てっきり一緒に帰るものと思っていたから、面食らう。
 また明日と言う前に、ふゆは手を振って教室の外に行ってしまった。残念な気持ちが、後から押し寄せてくる。

 けど、こういう日もあるよね。毎日一緒に帰ろうと約束しているわけではないから。

 言ってくれただけ、嬉しい。
 そう自分を納得させていたときだった。

 ふゆが早足で教室に戻ってきて、わたしの前に右手を出してきた。

209 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:54:09.85 ID:282sBTyh0

「マフラー、巻くの忘れてたから」

「え、マフラー? あ、うん」

 わずかな驚きを抑えて、鞄の中からマフラーを取り出す。渡すと、いつもみたいに手際良くてきぱきと巻いてくれた。

「ありがとう」

「どうも。じゃあ、また明日ね」

「うん、また明日。……えと、自転車、気を付けてね」

 今度は言えた。でも、その嬉しさよりも驚きが勝る。

 たしかに毎回マフラーを巻いてもらってはいたけど。
 けど、一度は帰っていたし。あまり振り返るイメージのないふゆがわざわざ教室まで。

 まさか、それだけのために戻ってきてくれるなんて。
 姿が見えなくなるまで、ひらひらと振っていた手に熱が帯びる感覚を抱く。それに合わせて、勝手に口角があがる。

210 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:55:13.57 ID:282sBTyh0

 いつのまにか隣に立っていたつーちゃんに声をかけられて、帰路につく。

 校舎を出てからちらりと自転車置き場の方を見たけど、当然ながらふゆの姿はなかった。

「なんだか、二人で帰るの久しぶりな気がしない?」

 つーちゃんに訊かれて、頷く。マフラーをしている首元がとても暖かい。

「いつぶりか、ももちゃん覚えてる?」

「夏休み前くらいじゃないかな?」

「あぁ、そうだったっけね?」

「忘れちゃった?」

「いんや、忘れてない忘れてない」

 首を横に振った数秒後、ほんとは全然覚えてない、とつーちゃんは笑う。
 わたしはあの暑い夏の日をしっかり覚えていたから、もしかしたらわたしは記憶がいいのかもしれない。

「今日はバイト休みなんだね」

「なんだよね」

211 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:56:13.65 ID:282sBTyh0

 バイトが休みで落ち込むなんて、さすが勤労学生。

「明日からテスト勉強しないとだ」

「やだ。したくない。それに明日はバイト」

「わたしもしたくないなぁ。勉強したくない」

「二人で勉強したくない同盟つくろ。そんで栞奈とふゆゆに対抗しよう」

「対抗しても、あの二人は自分でちゃんと勉強するから、わたしたちが取り残されるだけだと思う」

「わたしゃ中学受験で燃え尽きたんだよう。勉強なんてなんにも意味ないんだよう」

 駄々をこねる園児のような言い方をして、つーちゃんは何度か溜め息を吐く。息はこの時間でも変わらず白い。

 わたしはそれを横目に、中学受験というワードにけっこうな懐かしさを抱いていた。もう五年前とかになるのかなとか、つーちゃんの方が楽に突破していたなとか。
 どうにも、そんなに経ったようには思えない。でもまた違う高校を受験して、つーちゃんとわたしはいまここにいる。思えば遠くへ、ってやつだろうか。

 今回まずいとさすがに危ないんじゃないかなという趣旨のあれそれは、迷ったけど言わなかった。
 そういうことは、先生がもう言っていそう。栞奈ちゃんにも言われていそう。食傷気味な人のところにすすんでパンを与える人がいたら、その人は極悪人だ。

212 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:56:47.69 ID:282sBTyh0

「進路調査票も書けないし、出せないし」

 つーちゃんは気だるげに、地面の小石を蹴る。

「たしかつーちゃんは進学だったよね」

「そうそう、ふんわりと。東京いければなんでもいい」

「東京かぁ、遠いね」

「新幹線使えばすぐだけど、ほら遠距離ってイヤだから」

「あー、なるほどね」

「ももちゃんは?」

「わたしも進学。でも、こっちの大学だと思う」

「あぁ、やっぱりそうなんだ」

「そうなんですよ」

「そんで話変わるけどさ、これから暇だったらちょっと寄り道してかない?」

「うん、いいよ。どこ行く?」

「まー、いろいろと。明日から勉強せねばだし、今日くらい遊ばねばというね」

 空中にペンでなにかを書くような仕草をしながら、つーちゃんは歩調を早める。

213 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:58:08.11 ID:282sBTyh0

 地下鉄に乗り、わたしたちの最寄り駅よりも前の駅で降りる。最初に足を止めた場所は市街地の外れの工事現場だった。
 そこには、休工中、と書かれた目立つ色の大きな看板が立っている。つーちゃんが言うには、ここは数年前からずっと休工中らしい。

「あ、いたいた。違法労働ウサギちゃん」

 これまたどでかい三角コーンの横に、なんとも言えないような表情をした黄色いウサギの……これはなんて言うんだろう、立ち入り禁止のバリケード? を見つけたつーちゃんが、声のトーンをひとつ上げる。

 二十匹以上は居そうなウサギの群れは、全員が鉄パイプで繋がっていて、頭とお腹にぽっかりと穴があいている。
 これは……と思う。ウサギの微妙な表情も納得だった。焼き鳥の串に繋がっている具みたいだ。そういう表現自体が、あれだけど。

 パシャリパシャリと、つーちゃんは制服のポケットから取り出したスマホを構えてシャッターを切る。
 一匹を撮ったり、並んでいるのを撮ったりと、楽しそうにしている姿をわたしも写真におさめる。撮られ慣れているのか、決め顔でピースをしてくれた。つーちゃんとウサギの親和性。

214 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:58:49.19 ID:282sBTyh0

「工事現場によく居るのは、ピンクのウサギなんだけどね。けっこう珍しめの黄色がここにいるって情報をキャッチしたんだ。なんか、実際見るとミス・バニー感あっていいじゃん」

「えー、そうなんだ。今まで見たことはあったけど、気にしたことはなかったかも。つーちゃん、こういうの好きなんだ?」

「いや好きっていうか、コレクター的なね。ウサギだけじゃなくてさ、いろんなのが居るんだよ」

 肩をわたしに寄せて、スマホの写真フォルダを見せてくれる。カエル、イルカ、キリンなどの写真が並ぶフォルダには『労基違反あにまるず』と名前が付けられていた。

「んじゃ、ウサギは捕獲したし次行こうか」

 足取り軽く紫のリュックを揺らしてまた歩き始めるつーちゃんは、スマホを見ながらぐいーっと背中を後ろに逸らして空を見上げる。

「飛行機が飛んでるな」

「そうなの?」

「この前に入れたアプリでさ、いま飛行機がどこを飛んでるかーみたいなのがあるんだよ」

「飛行機、乗ったことある?」

215 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:59:30.57 ID:282sBTyh0

「旅行で何回か。内臓がぐわんとなって嫌い」

「嫌いなのに見てるんだ」

「見るのは好きだからね」

 背の高い木々が並ぶ街道を抜けると、東西に長く伸びる飛行機雲が見えた。

 掴めないかなと思って空の白に向けて手を伸ばしたら、つーちゃんがわたしを見てにこっと笑った。そして、真似するみたいに「四人で乗ってどっか行こうよ」と細い腕を空にかかげた。

 アプリのモンスターをつかまえるために時々立ち止まるつーちゃんの様子を見たりしながら、しばらく歩く。信号待ちをしているときに外国っぽい人に道を聞かれる。
 ささっとつーちゃんが俯きがちにわたしの後ろに隠れたので、適当で下手な英語で駅までの道のりを教える。

 お礼がしたいと言われて、いやいやーはばないすとりっぷ、と断ると笑顔でサムズアップして外国っぽい人は駅の方向に歩いていった。

 信号を渡った先のコンビニに寄ると、つーちゃんはカップラーメンとホットスナックとその他もろもろを買っていた。曰く、おなかめちゃすいたらしい。
 わたしもせっかくだから飲み物とお菓子をかっておいた。ひなみにあげたら喜んでくれるはず。

 コンビニからちょうど三分くらいの、小学校の頃によく遊んだ公園のベンチに腰掛ける。
 麺をずるるると啜るのを見ていると、わたしも少しお腹が空いてくる。でも家に夕飯があるから、我慢する。

216 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 18:01:05.85 ID:282sBTyh0

「あのコンビニ、二日に一回くらい行ってたけど、さっき店員さんに『いつもありがとうございます』って言われたから、もう行きたくなくなっちゃった」

「あー、わかるかも。知り合いみたいになっちゃうと、身構えちゃうよね」

「そうそー。うちのバイト先だと、そういうの禁止なんだよね。リピーターが減る可能性があるって。いま身をもってわかった」

 つーちゃんは「さよなら」とコンビニに向けて呟く。
 薄い関係の切れ方は鋭くてあっけない、とかそういう言葉が頭に浮かんだ。

 空を見上げると月と星が見える。辺りの街灯が煌びやかすぎて、ここまで暗くなっていることに気付かなかった。

 座っているベンチはできたばかりのものみたいで、塗料がピカピカではがれていない。
 手を置く場所のような突起が三つ付いていて、わたしたちの間にも一つある。

 この公園ってこんな感じだったかな。もっと、みんなの憩いの場みたいなイメージだったけど。
 よく見てみたら、看板の注意書きが十五個もあって、ブランコとジャングルジムが使用禁止になっていた。

217 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 18:01:50.38 ID:282sBTyh0

 公園内に一人たりとも子どもがいないのは、寒さのせいじゃなかった。

「これ、なんたらアートって言うらしいよ。ちょっと趣味が悪い感じの、なんだったかな」

「つーちゃんって物知りだよね」

「ネットサーフィンの賜物よ。なお、学校の成績は……って自分で言ってて悲しくなるな」

 明日からテスト期間であると、また忘れていた。
 三次関数のグラフが頭を過ぎる。あの形みたいなベンチだった。

 なんたらアートのせいかはわからないけど、仕切り一つ分以上の距離を感じて、つーちゃんの方に体を寄せる。

 すると、つーちゃんは不思議そうに目をぱちぱち瞬かせ、それからなにかに気付いたように手をポンと打った。

「思ってたこと言っていい?」

「うん」

「ももちゃん、身長また伸びた?」

 と空いている手をわたしの頭の近くに持ってくる。
 立ってみて、と促されて立ち上がると、つーちゃんはわたしの周りをぐるぐるとまわる。

218 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 18:02:18.73 ID:282sBTyh0

「伸びてるかな」

「若干ね、伸びてる気がする」

「よく寝てるから、止まらないのかも」

 夜更かししがちだけど、その分、日中寝ている。

「小学校のときは同じくらいだったのにね。ももちゃんどんどんおっきくなってくから……」

 そこまで言って、つーちゃんは、「あ」と続きを止める。

「こういう話イヤだったらごめん。忘れてた。ももちゃんあんまり好きじゃないよね?」

 べつにそんなことないよ。とも言い切れないから、曖昧に首を動かす。
 いやほんとごめん、とつーちゃんは言葉を重ねる。なんだかわたしの方まで、ごめんという気持ちになる。

 つーちゃんがベンチに座り直す。ぐにぐにと頬を引っ張って伸ばしてを繰り返して、わたしに向き直った。

「で、ここからが本題なんだけどさ」

「あ、うん。なんでしょう」

219 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 18:03:06.92 ID:282sBTyh0

 つーちゃんはすぐには言ってこなかった。

 待っている間、脈がはやくなる。けっこう神妙そうな表情をしているものだから。
 二分くらい経って、つーちゃんはレジ袋のなかから、さっきコンビニで買っていたガトーショコラをわたしに向けてきた。

「ももちゃん、おめでとう。ふゆゆと付き合うことになったんでしょ」

「えっ」

 人が驚いたときの反応は、固まるか大きな声を出すかのどちらかだと思う。今のわたしは自分でもびっくりするくらい大きな声を出していた。

 ガトーショコラを受け取る。受け取ったら認めることになるけど、そこまで考えられなかった。

 隠すつもりはなかった。というかそもそもふゆと交際をオープンにするかそうでないか話してすらいなかった。
 デートの日から、ふゆとわたしの関係の名前は変わった。でも、そこから一週間以上が経っても、特にそれらしいことはしていなかった。

 次の日の朝にふゆに「よろしく」と言われたくらい。
 その言葉に喜んでいるまま、時間が経っていた。

220 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 18:03:38.98 ID:282sBTyh0

「……ふゆに聞いたの?」

「や、ふゆゆにきけるわけねーじゃん?」

 ならなぜ知っているんだろう。
 ふゆが言っていないとなると、わたしの口が勝手に動いたりしていた?

 無意識に唇をぱくぱくさせて困惑していると、

「まあ、見てればわかるよ。栞奈も気付いてるだろうな」

「今までと、そんなに変わってた?」

 自覚はない。まったくない。

「さっきの、ドラマのワンシーンかなんかだと思ったよ」

「さっきのって、ああ……見てたんだ」

 右手でマフラーを弄ると、つーちゃんは頷く。

「ももちゃんとふゆゆは目立つからね。ちなみにクラスの人たちめっちゃ見てたよ」

 ふゆが目立つのはわかるけど。わたしは、やっぱり身長だろうか。
 あのときは周りなんて見れていなかった。不意打ちのようなものだったから。本当に目立っていたのだとしたら、ちょっとじゃなく恥ずかしい。

221 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 18:04:04.96 ID:282sBTyh0

「まあ、よかったよかった。おめでとうおめでとう」

 ぱちぱちぱちと、つーちゃんは手を打ち鳴らす。

「ふゆゆめちゃかわいーしな。お似合いだよ」

 お似合い。……お似合い。
 ふゆに見合うような人に、わたしはなれるだろうか。

「でもあまりものどうし、とか言ってたときは、さすがのわたしでもどうなることかと思ったよ」

「それは、なんていうか、言葉の綾なの」

「だろうけど。ふゆゆに伝わってると思う?」

 伝わってると思う? なにが?
 と思いながら、曖昧に頷く。ふゆは察しがいいから、なにかしらは思ってくれているはずだろう。

「てかこのことは黙ってた方が、まあ、いいよね」

「そう、だね。誰かに訊かれたら、ちゃんと隠さずに言うべきなのかな?」

「うーん、どうかな。公言してる人もいるっちゃいるけど、やめといた方がいいと思うよ。そういうの、ふゆゆ困りそうだし」

222 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 18:04:37.11 ID:282sBTyh0

「困りそう……うん、たしかに」

「そこらへんは相談して決めた方がいいとは思うけどね。
 二人が楽しいのが一番。その他は二の次くらいの認識で、いいと思う」

「ねえ、つーちゃんのお相手さんは、どんな人なの?」

 不意に質問したからか、つーちゃんはぎょっとした顔になる。けれどすぐに気を取り直して、教えてくれる。

「体力がはんぱない。頭がめちゃいい。好きな食べ物は味噌ラーメンと天ぷらうどん。一人っ子。足が速い。ディズニーランドが好き。歌が上手い。スマブラ強い」

「へー……えっと、ほかには?」

「アコギで弾き語りできる。インスタに毎日空の写真をあげてる。野草に詳しくて、たまに食べてる。あとは、クレーンゲームがめっちゃ上手い……人?」

 なぜ人が疑問形なのだろう。という疑問は置いといて、つーちゃんの横顔がきらめいていた。

「すごく好きなんだね」

「そりゃあすごく好きじゃなきゃ付き合わないっしょ。……フツウそうでしょ?」

 首を傾げて、問われる。

 好きかどうか。付き合うか。

223 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 18:05:10.78 ID:282sBTyh0

「あ、今のナシナシ。これフツウハラスメントじゃん」

 わたしの頭がまわるよりはやく、つーちゃんが両手をぶんぶん振って訂正する。
 フツウについては、深く考えないことにした。不意に別のことが頭に浮かんだ。

「つーちゃんがそういうふうに楽しそうにしていると、わたしもうれしいよ」

「え、ありがとう。でもなに急に?」

「元気なのはいいことだよーって話」

 わたしたちの髪の長さが今とちょうど反対くらいだったときから比べると、つーちゃんは明るい方向に変わった。

「それは、ももちゃんだってそうだよ」

「……そうかな?」

224 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 18:05:46.96 ID:282sBTyh0

「高校入ってから、ずっと楽しそうだよ。自分ではあんま気付いてないかもしれないけど、わたしにはそう見える」

「それはきっと、まわりのみんながいい人たちばかりだからだよ」

 思ったことをそのまま言うと、つーちゃんはわたしの目をじっと見つめて、少し不思議そうに頬に手をやっていたが、やがてなにかに納得したように首を何度か縦に振った。

「ま、これからも仲良くしてね」

 と胸の前に拳が出てくる。意味がつかめずに首を傾げると、「グータッチ。ゴリとミッチーが二年かけたという、あの、伝説の」と大真面目な顔で言ってくる。
 拳を合わせる。つーちゃんの手は小さい。

 家に帰ると、制服姿のひなみがコタツに入って勉強していた。テスト勉強だという。わたしもそれに倣って勉強をしたけれど、襲ってくる眠気には勝てそうになかった。
 お風呂に入っているときに、朝にひなみが言っていたことを、ふゆに伝え忘れていたことに気付いた。

225 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 18:07:33.09 ID:282sBTyh0
本日の投下は以上です。
>>189 いくつか書いてましたけど、過去のを今載せるのもあれなので終わったら載せます。終わらなかったらごめんなさい。
226 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/09/13(月) 12:23:30.66 ID:x0MCeg910
おつです
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/09/13(月) 13:08:10.80 ID:HptRLMEo0
唐突のスラダンネタワロタ
228 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/09/14(火) 03:17:28.23 ID:8dLsjxYW0
マルチアングルなんやね
229 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/20(月) 20:34:34.53 ID:QkS64LeQ0




 翌日、六時二十五分に目を覚ますと、ベッドのすぐ近くに置かれている椅子にひなみが座っていた。

「今日はフルグラと飲むヨーグルトだよ」

「そうなんだ」

「そうなんです……って、このやり取り昨日もやったじゃん」

 ひなみは渋い顔で立ち上がり、部屋から出ていく。
 レースのカーテン越しに覗く外の天気は曇っていて、日が差し込んできてはいない。

 枕元に転がっているスマートフォンは、画面の明かりがついたままだった。
 どうやら昨日は見ながら寝てしまったらしい。寝ぼけ眼を擦りながら、機能停止まであとわずかのそれを充電ケーブルに繋ぐ。

 液晶が少し明るくなる。すると、暗がりでも画面がはっきりと見える。ふゆとわたしの、メッセージアプリのトーク画面。

 最新のものはこの間の日曜日のもので、

『今日は楽しかったよ。夜は寒いみたいだから、風邪ひかないようにね』

『うん、ありがとう。ふゆもあったかくして寝てね』

230 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/20(月) 20:35:27.26 ID:QkS64LeQ0

 わたしが最後に送った文には既読がついている。
 それから返信はなし。この文に対しては、あまり返信しようがないから、当然といえば当然なのだが。

 ふゆとわたしは、そんなに連絡を取ったりしない。
 というか、そもそもふゆが誰かとメッセージをしている様子をあまり見たことがない。

 いつもの四人のグループトークでもあまり発言していない。
 わたしも同じくしなくて、グループトークではつーちゃんが一人でひたすらスタンプを送ってきたりしている。

 そういえば、来週は四人で遊びに行くらしい。場所は滝で、温泉にも行くらしい。
 この前に栞奈ちゃんがそのことをグループで伝えてきていた。それに続いて三つのスタンプが並ぶ。

 アニメの女の子のキャラクタースタンプがつーちゃん。
 無料ダウンロードした猫のスタンプがわたし。
 最初から入っているウサギのスタンプがふゆだった。

 昨日ふゆに伝え忘れたことに気付いたわたしは、ひなみにそのことを言ってみると、
「姉さんはほんと忘れっぽいよね。また忘れないうちにメッセージでも送ったら?」と呆れ気味の溜め息が返ってきた。

231 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/20(月) 20:36:09.46 ID:QkS64LeQ0

 よく考えたらひなみの頼みだって会話の流れから出てきたなんでもないことな気がしたけど、反応を見るにわりと楽しみにしている感じだった。

 なので、その助言通りに送ってみることにした。

 でもトーク画面を開くと、そこで手が止まった。
 文を打つ前に画面をスワイプしてこれまでを確認してみると、ふゆとラインを交換してからの一年半でたったの十往復しかしていなかったのだ。

 しかも、

『今日は休み?』『起きたら熱っぽくて』『お大事に。あとでノート送る』『うん』『ていうか連絡してごめんね。寝てたほうがいいよ』『ありがとう。寝ます』

 という、一年生のときにわたしが風邪を引いたときのものが、そのうちの三往復だった。

 というわけで(というわけで?)、迷った。普通迷ったりしないんだろうけど、なぜか迷った。時刻が二十三時を過ぎていたことも影響して、画面を開いたまま時間が過ぎていた。

 そしてそのまま寝てしまって、今に至る。
 まあ、今日学校で言えればいいよね、とベッドを出る。
 慣れないうつ伏せで寝ていたからか、体の節々が痛かった。

232 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/20(月) 20:37:28.50 ID:QkS64LeQ0




 昨日と同じ時間に登校すると、教室ではクラスの子たちの多くが机に向かっていた。

 ふゆとつーちゃんは学校の問題集を解いていて、栞奈ちゃんは頬杖をついて、ぼうっと窓の外を眺めている。
 全員に挨拶をして、席に座る。教室にはもう暖房が入っていた。

「昨日家に帰ってからわたしはとてつもないことに気付いたんだ」とつーちゃんがわたしに向けて口を開く。

「英語と数学って赤点だったら冬休みに補習じゃんね」

「うん。補習あるね」

「サマスク皆勤のわたしは、ウィンスクには通いたくないんだよ」

 サマスクっていうのはサマースクールの略語で、この学校の先生と生徒が言っている補習の名前。ウィンスクについても同じく、ウインタースクール。

「しかも主の聖誕祭の日もあるらしいんよね」

「せいたん……あ、クリスマスのこと?」

「そうそー。ということで、頑張ることにした」

 決意の感じられるような表情で言って、つーちゃんが問題集に目を戻す。

233 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/20(月) 20:39:07.49 ID:QkS64LeQ0

「みんな暇なら集まって勉強会しない?」

 数秒後、次に口を開いたのは栞奈ちゃんだった。
 その提案を聞きながら、鞄から一時間目の教科書とペンケースを出す。不意に出かけたあくびを我慢する。

「おー、いいねー」

「つーは特に頑張らないとね」

「まーわたしが一度本気出したら余裕よ」

「それはどうだか。私が教えてあげてもいいよ?」

「いや、なに、わたし一人でできるよ」

「でもこの前の小テストの点数、にじゅ──」

「わー! わーやめろ! 言うな言うな!」

 つーちゃんが大声を出して、栞奈ちゃんの席に前のめりに体を寄せる。

 小テストが返ってきたときは、わたしたち三人にどや顔で見せつけてきていたのに。
 自虐はいいけど、友達にいじられるのは恥ずかしいということかな?

 栞奈ちゃんの配慮はしっかりしていて、声は点数を言いかけた部分だけとても小さく、クラスの他の人に聞かれるということはなかったと思う。

234 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/20(月) 20:40:19.02 ID:QkS64LeQ0

 しばらくなされる二人の言い合いが止むと、そのまま視線はこちらに向く。

「桃と霞は? 来るよね?」

 ふゆが視線でお先にどうぞと促してきたので、「うん。混ぜてもらえるなら」と答える。「私も」とふゆが続く。

「よし決まりだ。場所はどうする? 私の家はいろいろと無理」

「学校でいいんでねーの。ちなみにわたしの家も狭いので無理」

 もう一度ふゆと視線がぶつかる。言葉にしない譲り合いが起きて、「うちでいいなら」とわたしが先に言った。

「なんか悪いね。それで、いつにしようか? 休みの日はさすがに家の人に迷惑になるよね?」

「あんまり騒いだりしなければ、まぁ大丈夫だよ」

「だそうです。つー、お口チャックできる?」

「いや、わたしももちゃんち何度も行ったことあるし、もはや顔パスだかんな。なめんな」

235 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/20(月) 20:41:57.63 ID:QkS64LeQ0

「ていうことなので、平日にしよっか」

「ていうことってなんだよ!」

 吼えるつーちゃんをちらと見て「あのさ」とふゆが胸元に小さく手をあげる。

「もし平日なら、火曜日がお店の定休日だから、その日にしてくれると私としてはありがたいかなって」

「お、いいじゃん。火曜日ならわたしもバイトないしな」

「私もいいよ。桃は?」

「大丈夫だよ」

「じゃあ火曜日ね」

「そーいやわたしら仲良いのに、勉強会ってのはしたことなかったな」

 手元の問題集を閉じて、つーちゃんが首を傾げる。

「だって一人の方が集中できるし。勉強って本来一人でするものでしょう?」

「うげ、元も子もないこと言うなー。てかじゃあなんで今回はみんなで一緒にやろうなんて言ったんだ」

236 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/20(月) 20:42:55.30 ID:QkS64LeQ0

「そんなの決まってるでしょ。その方が楽しそうだから。
 ほら、三人寄れば文殊の知恵ってよく言うでしょ」

 そう言って栞奈ちゃんは、
 いち、でわたし、
 にー、でふゆ、
 さん、で自分自身を指差す。

 つーちゃんの顔がぷるぷる震えだすのを見て、栞奈ちゃんはくすくすと笑い始める。

「ナチュラルにわたしを外すな! ムカつく!」

「はいはい。勉強会楽しみだなー」

「勝手にまとめるな! くそー!」

「女の子が使う言葉ではないね。はしたないはしたない」

 二人は今日も通常営業です。

 そしてこれで、ふゆとひなみを引き合わせることになる。今日の目標を図らずも達成する。
 ひなみは学校が終わったらたいていまっすぐ家に帰ってくるから、おそらく会えると思う。五月にふゆが学校帰りに家に来たときは、なぜかいなかったけど。

 つーちゃんは昔からの知り合いだし、家に来る人数が多い方が、ひなみも喜んでくれるはずだ。
 みんなでの勉強会。わたしも楽しみだな。

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