Helleborus Observation Diary 

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37 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:26:51.41 ID:ShxRzgitO

 担任を二年連続でしてもらっているから分かるけど、この人も学校に来るのが早い。
 でもこの時間に教室に来るのはなかなかない。というか、多分これが初めて。

「あー! 冬見さん、いつもお花ありがとうね」

 私から目を外した先生が教室の後ろの方を向く。
 そして駆け寄っていった先には、一本の花瓶。いつの日か家から持ってきた私物だ。

「いえいえ、勝手にやってるだけです」

「そう? 先生、冬見さんのお花をけっこう楽しみにしてるんだけどなぁ」

 優しくておっとりしているところがある人だからというのもあるかもしれない。先生の、生徒からの人気はすさまじい。
 廊下を歩けばみんなに挨拶されている。授業の質問と称して、個人的なあれそれを話されることもしばしばらしい。

 距離感が近いようで遠いのはきっと意識してのことだろう、生徒と自分からはそこまで仲良くはしている感じはしない。

 四月の初めの頃に、みなさんの自主性をうんたらかんたら、と言っていたことがあった。この通り、みんな綺麗さっぱり忘れていると思うけど。

38 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:28:08.14 ID:ShxRzgitO

「このお花は?」

「チョコレートコスモスです」

「コスモスかー……すっごくいい香りね、あ、チョコレートの香りなのね」

「はい」

 聡明なところがある先生だけれど、花についてはあまり造詣が深くないらしい。
 でも新しい花を飾るとその花の名をいつも聞いてくるあたり、ちょっとは好きなんだろうか。

「部活で育てたの?」

「まあ、そうです。自分で思ってたよりもたくさん咲いたので、持ってきました」

「ふうん……えっと、冬見さん、頑張ってるんだね」

「でも、そこそこですよ。一応、部長なので……」

 私は一応部長。で、この先生が一応顧問……なわけだけど。

「そっか。今度ひさしぶりに部活してるときにお邪魔していいかな」

 発言の通り、めったに(というかまったく)部活に来ない。定時になるとすぐに車で帰っていく。
 朝早く来ているのは、今の時間に仕事をしているからだろう。見かけ通りに、仕事はかなり出来る人らしいし。

39 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:28:55.39 ID:ShxRzgitO

「不定期ですけど、ええと、かまいませんよ」

「うん。お花についていろいろ教えてくれると嬉しいかも」

 私もそこまで知らないけど、と思ったけど、頷きを返した。

 不定期というのは本当のことで、先生も自由なのだから私も自由にやらせてもらっている。
 しかも部長といっても部員自体が私一人だし、やるもやらないも私次第なわけだ。
 先生は、どうせ来ないし。あ、来てほしいとかそういうことではなくて、むしろ来ないでほしいかもしれない。いきなり来られたら多分けっこう困る。

「切り花って、もって一週間くらいかな」

「そうですね。毎日水を替えても、五日とか六日とかです」

「ふんふん、なるほどね」

 先生が上着のポケットからスマートフォンを取り出すのが目に付いた。
 私を気にせずに、すっすっと操作して、チョコレートコスモスに向ける。写真を撮るらしい。
 ぱしゃりと音がしてから、いいよね? という目を向けられた。大丈夫です、と頷くと何枚かアングルを変えて撮り始めた。

40 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:30:12.65 ID:ShxRzgitO

「誰かに見せるんですか?」

 何の気なしに質問すると、先生は目を丸くして視線を外した。
 そして「あはは」と笑ってスマホを下に引っ込める。変な質問だったかな。

「わたしの母親と妹がお花とか大好きな人だから、冬見さんの育てた綺麗なお花を見てほしいなーって」

 どうやら家族の話をするのが恥ずかしかったらしい。
 胸元まで垂れたネックレスを落ち着かなそうに弄って、はぐらかすように苦笑する。

 誰かに見せるため、か。
 花なんて、実際のところ見てくれる人は少ない。興味がない人の視界には映らない。
 だって、ここにいる人にとっては今この時が花だろうから。もしくは花よりも輝いているものを持っていると思っているから。

 お互い話題らしい話題なんてないなか、少しだけ話をした。なんてことのない世間話。
 チョコレートコスモスの色が先生の好きなワインの色みたいだとか。お酒を飲む人と初めて知った。
 先生は花と絡めて何度か私を褒めてきた。釈然としない気持ちはあったが、特に嫌な気はしなかった。

 育ちやすいような環境を整えただけで、私自身はなにもしてないのに。
 本当は野ざらしの方が幸せだったかもと思うのも、どうせ枯れるなら教室に持って行こうと思ったのも、どっちつかずの私の都合だ。

41 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:30:51.04 ID:ShxRzgitO




 思い返してみると、最近の授業は退屈そのものだった。

 文化祭やら球技大会、マラソン大会なんかの行事も終わり、まだまだ先の冬休みを待つように、ゆるーくべっとりとした空気のまま授業が進む。
 それは今日も例外でなく、一限目から寝ている人がちらほら。運動系の部活に所属している人が多いのもあると思うけど、それにしたってという感じ。

 数学の授業を聞き流しながら、隣の席に目をやる。
 桃が授業中に寝ているのを、私は今まで見たことがない。いかにも寝てそうではあるのになあ。

 ひなたぼっこをしながらすやすや寝息を立ててそうな雰囲気。窓際の席で、にわかな日差しとストーブからの熱を感じて、みたいな。
 でも真面目な子だからそれはないか、と納得する。内面よりも外面を、いややっぱり内面を、というように思考が移り変わる。

「ねね、この問題やってきた?」

 小声で桃が話しかけてくる。指を差した先には、課題のプリント。
 ぱっと見では埋めてあるようだけど、どこか解けない問題でもあったのかもしれない。

「やってきたよ、見る?」

「うん、答えだけ……あ、やっぱり見せて」

 私からプリントを受け取った桃は、二枚を見比べて満足そうに頷く。
 そして、プリントになにかを書き込んで、今度は私に向けてふわりと笑みながら頷き、「はい」と返してくる。

42 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:31:24.41 ID:ShxRzgitO

 落書きでもしてきたのかな、と思いながら返ってきたプリントを見ると、

『髪はねてるよ』

 と書いてある。冗談だろう、と思いながら窓の反射で確認すると、本当にはねている。
 髪を手で梳きながら目を向けると、桃はくすくす口元を隠して笑っていた。

「かわいい寝癖。ふゆにしては珍しい」と普通の声の大きさで桃が言ってくる。

「授業中……」と言いかけて、周りも騒がしいことに気付く。
 先生は廊下側の席をうろちょろしていて、いつの間にか話し合いの時間になっていたようだった。

「どうしたの? 寝坊したの?」

「や、違う。……多分風だ。自転車だから。てか言ってよ」

「ふふ、朝から気付いてたんだけど、自分で気付くかなーって黙ってた」

 まだちょっとだけ、と桃はこちらに手を伸ばしてくる。

43 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:32:26.64 ID:ShxRzgitO

 何事か、と思ったけれど、すぐに髪のことだと理解して黙って受け入れる。
 桃の手はひんやり系だ。髪、というか頭皮? でその冷たさを感じる。
 四枚も五枚も服を着て少し火照っていた体には心地良い。十分間くらいは触れてくれてもいいくらい。

 そういえば、自分からはよく私に触れてくるのに、私から触ろうとすると桃は避ける。必ずと言っていいほど。
 癖のようなものなのだろうか。分からなくもないけど、うーん。
 ためしに、もう直っているはずなのに私の頭に触れている桃の手に、私の手を重ねてみようとする。

「…………」

 無言で避けられてしまう。まあ、ここまでは想定内。
「えいっ」とわざと間抜けな調子で言いながら、宙をさまよう桃の手首を捕まえる。

 触った感じ、見た目以上に細いな、と思う。青白いとまではいかないけど、血管がはっきり見えるほどに白い桃の肌の色も影響しているのかもしれない。
 私が掴んでいるその部分だけが、熱を帯びたように赤くなる。白の中に赤の斑点は、夏の屋台を想起させる。
 自分の体温が移っているみたいで、気恥ずかしいような……だったらやめろという話なんだけど。

44 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:32:57.14 ID:ShxRzgitO

 俯きがちな桃の表情は、無表情? あまり変化の兆しが感じられない。
 べつにその反応で物足りなくはないけど、もしかして触られることへの嫌悪感が勝ってたり。
 ぱっと手を離したら、桃は赤くなっている部分をさすって、なにかのまじないをするように三本の指でゆっくりなぞった。

 そして、「新発見かも」と穏やかな顔つきで顔を上げる。

「ふゆにいたずら好きな一面があるなんて」

「……」

「でも、いきなりだとびっくりするよー、すごく」

「……お互いさまじゃない?」

 桃から触れてこなかったら、私も桃に触れてみようとは思わなかった。

「……んー、そうかな?」

「私だってびっくりしたよ」

「あ、そうなの? そうなんだ、そっかそっか」

 と桃は小刻みに首筋と肩を揺らす。
 それに伴って落ちた目元を見て、ついつい指摘してしまう。

45 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:33:52.90 ID:ShxRzgitO

「そこ、喜ぶところ?」

「うん。私にとっては嬉しいことだよ」

 それは私と同じ動機のようで、なにかしらの純度が違っているような気がした。

 問題の解説が始まって、お互い前を向いて話を聞く。
 こうなってしまうと、やっぱりすることがないし退屈になる。目が乾燥するし、自然と溜息が出てしまいそうになる。

 握っていたペンを手元に置き、またしても話を聞き流すのに適した姿勢を取る。
 目で解答を確認する傍ら、時計をちらっと見て授業の残り時間を確認する。これが終われば昼休みだった。
 ということで、今日のお昼ご飯について思索を巡らせる。まだちょっと早いけど、暇つぶしには丁度良い。

 この季節は、なぜだか無性に冷たいものが食べたくなる。
 アイスにプリンにヨーグルトに。食堂のむわっとした暖房だと、二割増し、いや五割増しくらいそう思う。
 いつも通り日替わりランチにして、ご飯の量を少なくしてもらおう。んで、食後に冷たいもの。それで時間的には余裕が生まれそうだ。

 そんなこんなで、思っているほど空いていないお腹を擦っていると、次の授業までの課題プリントが前からまわってきた。
 後ろの席にまわそうと……って、つかさがダイナミックな突っ伏し方で爆睡していた。

 腕を枕代わりにするわけでもなく、ただ額を机にくっつけて。絶対起きたら赤くなってるやつだ。
 私の体を隠れ蓑にしていたらしい。昨日のバイトの疲れでも溜まっているのだろうか。
 ていうか、いいのか先生も。朝に見て分かったけど、教壇からはこの位置で寝ているとバレバレだ。隠れるどころか、むしろ目立つ。

46 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:34:37.65 ID:ShxRzgitO

 へいへい、と声をかけようとして伸びかけた手を止める。なんだか別にそのままでもいいかって思った。
 そーっと起こさないように頭から首にかけての位置にプリントを置く。同時に、びくっとつかさの肩が跳ねる。
 今思ったけど、寝ている人間って虫みたいでホラーだ。どう動くか分かんない異次元のムーブ。
 若干しゃくりかけながらおそるおそる指を離して、戻る。

 すると、真横から何度目かの視線を感じた。

「……なにか?」

「……んーん、べつにー?」

 手を振りながら、脚もぱたぱたさせる。
 子供みたいな仕草で、ちょっと笑いかける。

「いたずらじゃないよ、これは」

「え?」

「……いや、なんでもない」

「……んー?」

 そういう意味の視線かと思ったけど、違ってたか。単純に私が目に入っただけか。

 桃は私から目を切って、もう一度「んー」と呟きながら、自分のプリントをクリアファイルにしまう。
 その拍子にごにょごにょと口元が動いたが、何と言っているのかまでは読み取れなかった。

47 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:35:12.52 ID:ShxRzgitO




「そろそろテストだよね。勉強してる?」

「ぜんっぜん。気付くと一日終わってる」

 廊下を歩きながらの栞奈からの質問に、手を横に振りながら答える。

 十二月の初めには後期の中間考査がある。すっかり忘れていた感があった。それもそのはず、前の試験からあまり月日が経っていないのだ。
 それに先週には校外模試なんかもあって、まあ当然勉強なんてせずに出たとこ勝負だったわけだけど。散々な出来を想像するだけで気分が落ちる。

 テスト期間が来るまでは、試験に向けての勉強なんてしない。
 私はそうだし、みんなもそうだと思う。毎日欠かさず勉強するなんて、そこまで勉強が好きな人はいるのだろうか。

 この学校はそこまで頭が良いところではない。普通よりちょい上くらい。だから、みんながみんな勉強が必要なわけじゃない。
 する人はするし、しない人はしない。しなくたって余程でない限り進級は出来るし、卒業も出来るだろう。
 そんなことを考えながら、階段を上る。私に勉強が必要かそうじゃないかはよく分かっていない。学生の本分は勉強とは言うが、他に没頭している何かがなければ他人からそういうことを言われることもないだろうと思う。

48 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:35:56.36 ID:ShxRzgitO

「そういえば霞って、普段は家でなにしてるの」

「なにって……いろいろ? 本読んだり、寝てたり」

 他には、映画を観る。なにか食べる。ただ床に寝転ぶ。二度寝する。三度寝する。四度……中身らしいものがまったくない気がする。
 栞奈は部活が夜まであるから、家に長くはいないのだろう。「なんかちょっと見てみたい」と言われて、ええ……、となる。
 なにをしているか、と聞かれても困る。大半が方針などなくただ適当にしていることなのだ。寝てばかりだとは恥ずかしくて言えない。

「ていうか、どういう質問よ」

「や、ちょっと気になっただけ」

 歩き進んで、渡り廊下を通る。昼休みだけあって生徒が入り乱れていて、体を小さくして避けながら行く。

「栞奈は勉強して……るか、してるね」

「いや、最近は私も全然。部活忙しくてさ、先輩引退したばかりだし」

 そうはいっても、私よりはちゃんとしていそうだけど。
 栞奈は成績がすごくいい。正直言って、この学校のレベルには合っていない。
 それほど勉強しなくとも、余裕で学年一位とか取れそうな感じはする。この学校で一位でも意味ない、と前の考査の時に言っていたことを思い出す。

 先輩が引退した、ということは今まではまだ引退していなかったってことか。
 好きなんだねぇ……と思う。三年間毎日のように部活なんて、想像できない。

49 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:36:43.36 ID:ShxRzgitO

「あ、キャプテンこんにちはー」

 渡り廊下の半ばに差し掛かったところで、私たちとは別の色のリボンをした生徒が挨拶をしてきた。
 ベリーショートの髪、跳ねるような歩き方と活発そうな印象で、いかにも運動部っていう雰囲気だ。

「はい、こんにちは」

 栞奈が挨拶を返すと、にこっと笑って深々と礼をして友達のところへ駆けていく。
 めっちゃ先輩っぽい。それも普通に学校生活を過ごしていたらあまり拝めない、かなり尊敬されているタイプの先輩だ。

「ていうか、キャプテンだったんだ」

「そうね。言ってなかった?」

「うん初耳。なんか、たいへんそー」

「まあ、そこそこ大変ではあるかも」

 でも小学校の時も中学校の時もやってたし、と栞奈は笑う。
 なるほど。リーダー役が板に付いているのは、そういう事情ないし経歴があったのか。

50 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:37:18.73 ID:ShxRzgitO

「ああ、そだそだ。みんなでお出かけするとして、海と滝ならどっちがいい?」

 ぱんと手を打ち、話題を変えるように栞奈は声のトーンを一つ上げる。
 お出かけ、海と滝、と口の中で反復する。景勝地やらマイナスイオンやらという単語が頭に浮かんだ。

 すっごく適当に「滝かな」と言うと、「へえー滝かー」と私に合わせたような反応が返ってくる。

「じゃあ次のテスト休みに、みんなで滝に行こう」

「……え、これすぐ最近の話だったの?」

「そりゃそう。最近遊んでなかったじゃん」

「それは、うん。でも、私が決めていいの?」

 少なくとも栞奈の中では海と滝は同列で、だから私にどちらがいいか聞いてきたのだろう。
 だとすれば、四人で多数決とかそういうことをした方がいいのではとちょっとだけ思った。

「いいの。いつも私とつーが決めてばっかだから、たまには霞の意見も聞かないとって思ってね」

「そっか。うん、それもそうだ、……いつも悪いね、なんでも決めさせちゃって」

 つかさがふと思いついたように誘ってくるか、栞奈がそれまでの何気ない会話から拾ってくるか。
 私から、もしくは桃から四人でなにかをしようという提案を投げかけることは少ない。
 桃と二人になれば、どちらもぐだぐだなにかをしようとしたりしなかったりするのだけど、物事を決めるのにはエネルギーを使うのでしんどい。

51 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:37:55.72 ID:ShxRzgitO

 昨年までは、ほぼ二人きりでいたから『休日にどこかへ出かけてなにかをしよう』とかもなかったわけだ。
 季節のイベント事にはお互いてきとーにぼやぼやしながら行ったりしたが、それも指で数えられる回数だ。
 つまり行動力のある二人と関わるようになって、やっと決められるようになったという。私は、どちらにしても決めていないのだけれど。

「でも滝って、なにするの?」

 優柔不断にもなりきれない自分の軽薄さを顧みながら、適当な質問をする。成長する気はさらさらないらしい。

「それ私も思ってた。なにしよっか。一応、滝壺と、紅葉観れるところ行って、わーってしてればいいと思ったんだけど」

 どうかな、とちらっとではなくしっかり私を見て聞き返される。
 結構真面目な方で私の意見を参考にしたいっぽい。空腹とは別の意味で胃が音を立てそうになる。

 いいんじゃないかな、という意味を込めて頷く。
 紅葉シーズンの終盤なので、そういう観光地的な場所は混み合うはずだ。出店で食べ物とか売ってそうだし、家族連れも多そう。
 そうした賑やかな雰囲気であれば、特になにも考えずとも楽しめると思う。私の中の楽しいは、どうやらワクワクするようなものとは異なっている。

52 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:38:27.60 ID:ShxRzgitO

 そういえば昨日、付き合ったら楽しいことができる、と桃は言っていた。昨日の今日でほぼ忘れかけていたけれど、ふと思い出す。
 恋人の(というと変な感じはするし、むずむずするが)関係性の話なのか、それともまた別の意味での楽しいなのか。
 後者の方であってほしいな、と少しだけ思う。前者は……そもそも分からない。

 桃と私の思う楽しいは、恐らく一致していない。気が合うところはあるから、まるっきり違うことはないのは分かる。
 でも、その意味を狭めていけば、決して小さくはない隔たりが生まれてくることは間違いないだろう。
 その窮屈な感覚みたいなものを、私は見えるようにしてしまいたくはない。

「だよね。わーってしてるのが一番いいと思うよ」

「んー、そう言ってくれると思ってた。どうしてもやることなかったら、温泉にでも入りに行こ」

「近くならいいんじゃない」

「滝から走って一時間くらいのところにあるはず」

「それ、遠くない?」

「まあね」

53 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:39:16.48 ID:ShxRzgitO

「しかも最近寒いし……」

「それなりにね。まあでも厚着して、あとは気合いでなんとかなるでしょ」

 そうなのかなー。ならなそうだなー。栞奈はこういう、たまにスパルタなところがある。

 寒い、から連想して、そろそろ朝に走るのも夕方、ないし休日の昼間に変えることも考えなきゃな、と思った。
 今年の冬は絶対に寒い。断言する。何かしらの融点が上がったことで、体とは違う場所が寒さに耐えられない気がする。

 ふと気付くと、手に持っていたアイスが指先から伝わった熱で溶けかけていた。
 そう、こんな風に。それまでしっかりカタチを保っていたものが、でろんと液体になってしまうかもしれないと思ってしまう。

 このアイスと違って不可逆的なものでありそうなのがなんとも、余計にたちが悪そうだ。

 教室に着くと、「おそいぞー」とつかさが机をぽんぽんして席に座るように促してきた。
 早歩きで向かっていたのだが、席の近くでもう一度急かされる。そんなに待ち遠しいものなのか。
 じゃんけんでデザートを買いに並ぶ二人を決めようとなり、栞奈と私が負けて、そして買ってきたのだ。

54 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:39:47.00 ID:ShxRzgitO

「おかえり。ふゆはなに食べるの?」

 桃が自分の存在を主張するように、前のめりになりながら椅子を寄せてくる。

「抹茶。桃は?」と抹茶アイスを片手に答えると、「わたしも抹茶」と腕を伸ばしてくる。

 取ったのは、私の腕だった。それもそのはず、抹茶アイスは一つしか買ってきていない。
 こういうことが、いや、まあ冗談か。冗談なはず。うん。浮かびかけたものが言葉になる前に、思考を断ち切る。

「じゃあラムレーズンと半分に分けようね。はいこれスプーン」

「わーい」

 お好きなようで。そんなことだろうと思った。
 というわけで、アイスを掬って桃に食べさせてあげた。

「あ、これおいしいね。じゃあわたしからも、食べて食べて」

「うん」

 ……しかし、食べさせあう意味はどこにあるのだろう。
 そう思っているうちに、アイスが口元に配給されてくる。

55 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:40:17.47 ID:ShxRzgitO

 まあ今までも、そこそこの頻度で食べさせあったりはしているような気はする。
 桃はそういうのが好きらしい。私も誰かとなにかを共有するのは嫌いじゃない。

 食べる。ひんやりしてて美味しい。
 舌の上でとろけるやわらかさと、ふわりと抜けていくラム酒の香り。
 アルコール濃度なんぱーなのかは知らないけどお酒っぽいから、これは大人の味っていうのかな。

「つかさも食べる?」

「え」

 物欲しそうに見てきたので言ってみると、つかさは正面から額でも叩かれたように仰け反った。
 いやなにその反応。首痛めそう。

「や、やーわたしは、栞奈と交換するかなぁー」

 なんて言って、気を取り直すように前のめりに戻ってきてから、黙々といちごミルクアイスを食べている栞奈の肩に腕をまわす。

56 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:40:53.00 ID:ShxRzgitO

「なにいきなり」

「えっ友情アピール?」

「……うーんでも、つーにはあげたくないかな」

 そう返しつつ、つかさの表情の変化を見て、栞奈は手の甲で口元を覆う。
 へぇー、と私まで言いそうになった。こういう風な仕草をする栞奈は初めて見たかもしれない。

「ていうか、これはいいのかい?」

「へ?」

「……あはは、なんてねー。はい、あーん」

 よく分からない会話が二人の間で交わされている間、桃はアイスが乗ったスプーンをこちらに向けたままでいた。
 ので、スプーンの近くに顔を近付けて、ありがたく頂戴する。色で分かっていたけど、抹茶味だった。

「こっちも美味しいね」

「うんうん」

57 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:41:29.00 ID:ShxRzgitO

 それから授業が始まるギリギリまで食べさせあいをして、残りは普通に食べた。
 案外食べさせてもらうのもいいものだな、と思った。楽なのはいいことだ。

 午後も午前と変わらず、集中力なんて微塵にも感じられないような雰囲気で授業が進む。
 話の二割程も頭に入ってきていないように思えて、かといってぼーっと前を見ていてもそれはそれで目立つので、教科書を見ているふりをする。
 板書がほぼない授業だと、ここがしんどい。席が後ろの方でよかったと思う。
 よく眠いことを瞼が重いとは言うが、瞼が軽いとは言わない気がする。だから表現としては正しくないような感じだけど、いつも私は瞼が軽い。

 あまり意識はしてないが、寝る場所とそうでない場所は分かれていて、ここはそうではない。
 だから、眠くもならない。と、多分違うんだろうけれど結論付ける。

 普段疲れるようなことがなければ眠たくならなくて当然だ、と。
 単純にそう思ってしまうのは、なんだか悲しいような気がするから。

58 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:41:55.97 ID:ShxRzgitO




 今朝先生と部活について話したからというわけじゃない。
 週に一回は放課後部室に行こうと決めていて、それがたまたま今日だったわけだ。

 クラスから少し遠いところにある部室はただの空き教室で、園芸部らしい設備などはなにもない。
 あるのは教室の備品と、いくつかの花瓶。あとはほんの少しの私物だけで、一目見てすぐに活動的でないのが分かってしまう。

 いつもと違うことといえば、物の少なさゆえに無駄に広く感じられる教室に私一人じゃないことだ。

 桃を連れてきた。いつもは部活行くとなれば教室でバイバイだったけど、今日はそうはならなかった。
 ホームルームが終わるとすぐに、桃はマフラーを私の前に出してきた。気のせいかもしれないが少しだけ気後れするように頬を赤くして。
 今日も巻けなかったから巻いてほしい、という意味だと思った。だから、私が帰るまで待っててねってことでここまで引っ張ってきたのだった。

「初めて来たけど、なんかもう居心地いい」

「あー、私がいるから?」

「そうそう、むしろそれ以外にない」

59 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:42:55.23 ID:ShxRzgitO

 冗談めかした笑みをこぼしながら、桃がすっと立ち上がる。ぐるっと部屋をまわるように歩き回って、窓の方へと近付いていく。
 風によって膨み、不規則に揺れていたカーテンを手で抑えながら、反対の手で窓枠に触れた。

「ちょっと寒いし、閉めていい?」

「あぁうん、いいよ」

 桃はゆるく笑って、窓とともにカーテンまで閉め切ってしまう。
 こもった空気を換気するために開けていて、私も寒いなと思ったところだったのでちょうどよかった。

 外から聞こえていた他の部活の声などが小さくなり、代わりに部屋の中の微かな音が耳に響く。

 机の私から見て逆側の椅子には戻らず、こちらに向けて歩いてくる。
 さっきまで風に乗って部屋中にただよっていた花の匂いが、より甘いものへと変わる。
 私の横を通るとき、窓を開けたままだったら聞き逃していたような、か細い吐息が聞こえた。

60 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:43:33.10 ID:ShxRzgitO

「ふゆの髪、また戻ってきてるよね」

 と言いながら、桃は私の肩に手を置いてくる。

「やっぱり?」

「うん」

「めっちゃオリーブオイルみたいな色になっちゃってる」

 自虐するように言う。髪の内側の、染められている部分を梳く。
 ワンポイントとかインナーカラーっていうのだったか。校則では特に髪色指定などはないため、目には付くだろうけど何も言われない。
 どことなくお嬢様然としている人が多くて、そんなに分かりやすく染髪している人はいない。クラスの中でも数人くらいだったと思う。

 でも染めている私も、べつに自分からすすんでってわけではない。
 高校入学直後に初めて行った美容院で、私のことを大学生だと勘違いした陽気なお姉さんに言われるがままに染めてしまった。
 意志薄弱なのと、大人っぽく見られたことへの微々たる嬉しさと、髪色なんてどうでもいいしという気持ちと。
 一回染めたら染めたで芋づる式にお金と労力がかかってしまうことなんて考えていなかった。変に戻っていると嫌だから、すぐ染め直してしまうのだ。

61 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:44:03.71 ID:ShxRzgitO

 耳を出す感じにサイドの髪を掻き上げて、桃の方へと持っていってみる。

「でも、さっきの授業中にね、色が落ちてきた感じもいいなって思ったの」

 桃が明るい調子で言う。授業中にって……ああ、数学の授業の時かな。
 その授業の時のように、桃が後ろから髪に触れてくる。抱いた感想はまあまあ同じだった。

 そういえばいつだったか、髪色について桃の不評を買ったようなことがあった。

 美容院のお姉さんに『絶対似合う! 似合います!』と言われるままにミルク色くらいの明るさにしたら、『えー……』みたいな反応をされた。
 ちゃんと言葉にしてあれこれと言われたわけでもないけど、なんとなく伝わるものがあった。
 自分の髪色に対してこれといってなにも思うところがなかったことも相まって、それからはなるべく明るいのは避けて暗めの色にするようにした。

「あ、もう編み込みはしないの?」

「んー、めんどいからしない」

「そっか、そっかー」

62 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:44:50.48 ID:ShxRzgitO

「下ろしてると、色が落ちてるの目立ちにくいし。あれはあんまり似合ってたとも思えなかったから」

「わたしは似合ってるなーって思ってたよ」

 さらさらと私の髪を流していた指が止まり、手が肩に移動してくる。

 染めている右サイドの髪を片編み込みにしていたのはたしかほんの数ヶ月だけだったのに、よく覚えているものだ。
 桃は、しばらく変わっていない……はず。上品さを感じるタイプのサラサラストレート。美人だからより似合うやつ。
 センターパートにしている時としていない時があって、今はしている。していた方が大人っぽさが増して私は好きかもしれない。

 ていうか、私も意識していないだけでそこそこ見ているみたいだ。

「じゃ、気が向いたらしてくるよ」

「ほんと? うれしい」

 桃の声が一段弾み、肩にかかっていた力がふわっと軽くなる。

63 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:45:28.92 ID:ShxRzgitO

 首だけ後ろを振り向くと、中腰になっていた桃の身体がすぐ近くにあった。

「けど私だけなのはうーんって感じだから、そんときは桃も一緒にしようね」

 視界の正面にある綺麗な髪を見て、そういう桃も見てみたいとちょっと思う。
 旅は道連れではないけれど、自意識過剰にも誰かの期待がある状態で髪型を変えて……というのは一人では照れが入りそうだった。
 桃が相手だからってわけではなく、そんな風な状況にある時点で。

「うん、うんうん。おそろいってことね」

「そうそう、おそろいってこと」

 答えている間に、桃の表情がぱあっと華やいだ。
 お揃いというのは桃にとって嬉しいことの一つなのかもしれない。多分。

「今から上行くけど、一緒に来る?」

「なにしに行くの? あっ水やり、かな」

「ううん、見に行くだけ。今やったら夜冷えちゃうから」

「そっか、たしかにそうだね」

64 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:46:07.93 ID:ShxRzgitO

 立ち上がって、すぐに行こうと目で促す。
 ちらっと見て戻ってくるだろうし、荷物はそのままでもいいだろう。

 机上の鍵束を手に取り部室の外に出る。
 出てから、本来なら事務か顧問のすべき鍵の管理を私がしていることの不思議さを思う。

 なんでも、私の前の部長の時からそうなったらしい。先生が顧問になってから、ということだと思う。生徒よりも早く帰ってしまうから。

 ほんの数年前までこの部活はそこそこ活動的だった、と人づてに聞いたことがある。
 中庭の花壇と屋上庭園はその一種で、賑やかだった頃はこの部活が管理を一手に担っていたらしい。
 でも今じゃそんなのは少しも見る影がない。黙っていても人手の獲得が容易な緑化委員会に中庭の管理は委託され、園芸部は、庭園と呼べるかも曖昧な広さになってしまった屋上の植物の管理だけを任されるようになった。
 活動が減れば、当然のごとく予算は削られ、部員は減少……もともと多かったというのもよく分からないけど、今の三年生の代でついに入部希望者がゼロになってしまった。

 らしい。……らしい。
 頭の中で考えてみたけれど、特になにも思うところはない。
 なにせ正直どうでもいい。以上。

65 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:46:57.33 ID:ShxRzgitO

 屋上へと続く扉を開ける。空は暗くなりかけていて、外に出てすぐに「寒いね」と桃は私を見た。

「桃の家はもう暖房出した?」

「うん。ストーブと、あとコタツも」

「家の人みんな寒がりなんだっけ」

「そうそう。これから四月までずっとお世話になるはず」

「なるほどね」

「あ……ふゆも入りに来る?」

「どうして?」

「なんだか入りたそーな顔をしてるような気がしたから」

 そう言って、桃はからかうようにくすくす笑う。
 コタツへの羨望が顔に出ていたらしい。全然そういう感覚はなかったけれど……。

「なんてね、冗談じょーだん。ふゆとコタツを囲んでみたいなぁっていう、わたしの願望」

「……そっか」

 目を逸らしてどんな顔をしていたのだろうと頬を触ろうとしたタイミングでそう言われると、なんていうか、不安になる。

66 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:48:20.11 ID:ShxRzgitO

「まあたしかに、コタツは魅力的だよね」

「ね」

 他意や含意は本当にないみたいだったので気を取り直して返答し、曇り空を見上げて端の方へと歩き始める。

 中庭を見下ろして、それから周りに目を戻す。桃は私については来ないで、塔屋近くのプランターの前に中腰の姿勢でいた。

「ここにあるお花って、全部ふゆが育ててるんだよね」

「うん、そうだよ」

「すごいね。綺麗だし、いろんな種類あるし、かわいいし」

 ミニバラの八女津姫、グリーンランド・フォーエバー、ウインターマジック。イングリッシュローズのジュビリー・セレブレーション。トルコキキョウの森の雫……。
 挙げていけばすぐに言い尽くせる程の種類だけど、ここにはいろいろな花がある。

 身体はこちらを向いてはいないが、口調から桃が楽しそうにしていることが伝わってくる。
 花や自然なんかを桃は好いていて、これまでも街中でそういうものを見かけた時に反応を示していた。

67 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:48:57.65 ID:ShxRzgitO

 けどここで育てている、部活の花についての話をするのはこれが初めてだったと思う。
 いつも通りの柔らかい足の運びで私の方へと向かってくる桃を目で捉えながら、少しだけ気恥ずかしくなる心の動きに気付いた。

「育てるのってやっぱり大変? ……あ、大変なのは大変だと思うけど」

「ううん、そうでもないよ。育て方は決まってるし、多少ほっといても育ってくれる花たちばかりだから」

「そうなんだ。んー、でも、すごいなーって思うよ。わたしは」

「……褒めようとしてくれてる?」

「うん」

「そう。……そうだね、ありがとう」

 やっぱり今日はやたらと褒められる日らしい。
 こんな日めったにない。というか初めてかもしれない。

 普通に過ごしてて褒められるほど真面目でもないし、私を褒めることにメリットなんてほぼないように思える。
 私はその時は少し嬉しくなるかもしれない。でもそれだけっていうか、言葉を貰ったところで還元できるもの──リターンの方法なんて知らない。

 まあでも普通に考えて、今桃が褒めてきたことに打算とかはないのだろうけど。じゃあなぜ考えた? というと、なんでだろ。理由はない。

68 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:49:25.83 ID:ShxRzgitO

 そういえば私だって、昨日桃のことを褒めたじゃないか。
 姿勢とか綺麗だよね、って。咄嗟に何か言おうとして、出てきた言葉が桃を褒める言葉だった。

「桃が褒めてくれるの、実は結構嬉しい」

「嬉しいんだ」

「褒められることってめったにないからね。今だって嬉しさを噛みしめてる」

「ならもっと褒めようかな」

「そんなに私に褒めるところってあるかな」

「あるよ、たくさん」

 自信ありげに頷かれる。わざわざ否定するのは自意識が強いみたいで嫌だったから、即座に「ありがとう」と口にしておく。
 その上で、数とかを比べる気はないけど、桃の褒めどころとかいいなと思うところについて考えてみる。

69 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:49:55.70 ID:ShxRzgitO

「桃にもたくさんあるよ」

 と試しに言ってみると、

「そっか。こういうのって、自分では分からないよね」

 と少しの間の後に、苦笑混じりの言葉が返ってくる。

「で。それで……」

「それで?」

 普通そうだよね、って同意しかけてたところだったが続きがあった。

「うん。えっと、たとえばー、とか、聞いてみてもいい?」

 たとえば。
 たとえばか。

「完全に私の好みになっちゃうけど、それでもいいなら」

「あ、うん全然……ていうか、むしろその方が聞いてみたいかも」

 ハードルがぐんと上がった。わくわく顔? にこにこ顔? に桃の表情が変化する。
 単純に容姿についてとかそういうことを言おうとしたけれど、それを眼前にしてしまうと何となく気が引けてくるものだ。

70 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:50:23.70 ID:ShxRzgitO

 そう思って、出かかっていた言葉を引っ込める。言われ慣れているかな? と思ったのも束の間。もう脱線していることを考える。
 どうせなら言われたことのないような言葉にしたいなと思ったのはどうしてだろう。たまに自分が謎に思える。

「……やっぱり面と向かって言うのは恥ずいから、言わないのはだめですか」

「だめではなくもないけど、わたしとしては、すっごくすごく気になるからだめってことにしてもいいですか」

「あーその、よくないです」

「よ、よくないですか……」

 なんだろうこの敬語の応酬は。
 こういう、私の変な振りに乗ってくれるところもいいところか。若干楽しそうな桃の様子を見て、私も自然に笑みがこぼれてくる。

 いろいろと感性が合うよね、と真面目に冷静に普段から思っていることを考えてみると、容姿の次に浮かんでくるのはそういった類いの言葉だった。
 でも、そういうのって言ってしまっていいのかという不安を抱く。私が勝手に思っている桃の内面についてのイメージを本人に言っていいのかと。

 ていうかまず褒め言葉でもない気がするし……人を直接褒めるのって案外難しい。

71 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:50:54.81 ID:ShxRzgitO

「運動得意だよね、とか」

 上手くそういうのが伝わらないような言葉を探したけれど、一旦考えてしまうと駄目だった。
 ので諦めて、無難な解答に落ち着かせる。昨日体育で惨敗した記憶に引きずられてることは否めないが、これは本当に思っていることだった。

「ふゆは運動得意な人が好きなの?」

「ん、まあ、いいよねーと思うよ」

「そっかー。って、わたしはそんなにだと思うよ」

「そんなにって? 運動が?」

「うん」

 桃は頷いて、手を後ろで組む。
 私の返答を待っているのだろうと思って困りかけたけれど、それは杞憂だった。

 声には出さず、桃は何かを呟く。その様子は頭の中でメモ帳を捲っているかのように映る。

「でも、でも……うーん。ふゆに言われると、嬉しい、気がする。うん、嬉しい」

 そしてしばしの沈黙の後、桃が言ったのは自分を納得させるような言葉だった。

72 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:51:36.66 ID:ShxRzgitO

「そんな無理して喜ばなくても」

「ううん、無理なんかしてないよ。自分では思ってなかったことだったから、ちょっと」

「さっきの私と同じ?」

「そうなのかな?」

「多分ね」

 あらためて思う。人を褒めるのは苦手だ。
 それが桃相手ならなおさら。だって、こういう風に微妙なことを褒めたとしても、最終的には嬉しそうに受け取ってくれるだろうから。

「もうそろそろ帰ろっか」

「暗くなってきちゃったね」

 そもそもの話、桃と接していて嫌なところなんてどこにもないのだから、取り立てて良いところを考えたことなんてなかったのだ。

 桃は私にやさしくしてくれるし、いろいろと合わせてくれている。
 だから私は考えずにいられるのだと思う。

 そうすると、私は──。

73 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:52:10.49 ID:ShxRzgitO

「……」

 扉へと続く道を歩きながら、はっとする。
 やっぱりこういうのって会話が終わってから思いつくように出来ているのかもしれない。咄嗟の時に、身体はでたらめにでも動くとしても口はうまく動いてくれないのが私の悪いところだ。

「……あ、なんか思いついたような顔してる」

 桃の表情を見て確かめようとした時にはもう、その思いつき、あるいは言葉にはできない心象の発露を見透かされていた。

「え、分かった?」

「なんとなく」

 当てたことが嬉しいみたいだった。にこーっと歯を見せて桃は笑う。

「じゃあ、何考えてたか当ててみて」

「えと、それは無理だよ」

「だよね」

「うん」

 無意識のうちに、違うことを言おうと決めていた。
 理由はない。けれど、おそらくこれで間違ってはいない。

 こうやって、なんでもないような話ができること。
 それが私にとって、桃と一緒にいて一番にいいなと思えるところなのだ、と。
 私の心の中に留めておく分には、そういう結論に至るのは至極単純なことだった。

74 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:53:13.92 ID:ShxRzgitO
本日の投下は以上です
書き溜めゼロなんでマイペースにいきます
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/23(水) 00:30:43.01 ID:fWUL1sig0
ふむ…
期待
76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/23(水) 07:40:03.25 ID:Ch+QzcyfO
77 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/10/24(木) 12:03:43.77 ID:fuUGkE0fO
おつおつ
78 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:39:53.65 ID:nFA3eKOE0




 私のスケジュール帳は、バイトのシフトによってほぼ埋め尽くされている。

 バイト先は家の最寄り駅近くの花屋で、一年の春から働き続けている。
 学校では園芸部、外では花屋のバイト。こうして考えてみると、毎日が花に囲まれている生活だ。

 平日は定休日である火曜日を除いて二日か三日、授業が終わってから閉店まで、
 土日は開店から夕方までか昼過ぎから閉店までのどちらかの時間で働いている。

 働き始めた理由は、店長をつとめている人がちょっとした知り合いで、「よかったら働きませんか」と誘われたからだった。
 どうしてもバイトがしたいというわけではなかったけれど、休日に暇を持て余していた私はすぐに二つ返事で了承した。
 後で聞けばその時は特に人員不足というわけでもなかったようで、私を誘ったのはただの思いつきだったらしい。

79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:40:35.53 ID:nFA3eKOE0

 アルバイトというだけあって業務はそこそこ楽なのだと思う。他の花屋のことは知らないので詳しくは分からないけれど、たいして疲れはしない。
 開閉店の作業、水揚げ、接客、レジ打ち、ラッピングにアレンジメント作り……。そこそこすぐに覚えられることのみで、一切の面倒事は店長やパートの人がやってくれている。
 それで給料をもらえて余ったお花までもらえるのだから、学生としては少し長いかもしれない労働時間でもかなり満足していた。

 今日は土曜日。そして今はお昼休憩の時間だった。
 華やかな売り場と違って事務所の中に置いてある物は多くなく、雰囲気はまるで異なっている。
 冬場は暖房が入っているため、休憩になったらすぐに事務所に駆け込むことが多い。
 売り場は冷蔵庫くらいに寒くて、とてもじゃないが上着を脱いだままではいられない。

 がた、という音とともにドアが開いた。
 目を反射的に音の方向へと向けると、私と同じように昼休憩に入ろうとしている店長が肩を手で抱きながら入ってきてきた。

「お疲れさまです」

「あ、はい。お疲れさまです」

80 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:41:22.89 ID:nFA3eKOE0

 箸を止めて返事をする。私の隣に腰かけた店長──瑠奏さんは大きな包みを広げ始めた。

「どうかしましたか?」

「……いや、いつも思ってたんですけど、すごい食べますよね」

「むしろ霞さんの方が食べなすぎだと思いますよ」

「まあ……それは、そうかもですね」

「まだ高校生なんですから、少しくらい多く食べても損はないと思いますよ。霞さんは結構華奢ですし」

 そう言って、瑠奏さんはお弁当箱をこちらに差し出してきた。
 中には彩り豊かで綺麗なおかずが盛り付けてあった。食べろということなのだろうか。

「遠慮なく。どうぞ?」

「はい。じゃあ、その、いただきます」

 卵焼きを口に運ぶ。柔らかくて、普段食べるものよりも甘い味が舌を刺激する。
 瑠奏さんの作る料理はいつも美味しい。私が作っても多分この味にはなってくれない。

81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:41:52.04 ID:nFA3eKOE0

「お客さまからいただいたものもありますから、食べてくださいね」

 仕事のとき、瑠奏さんは誰に対しても敬語を使っている。崩しているのは見たことがない。
 あまり徹底していないが、従業員同士はなるべく敬語で話すという決まりがある。店長だから率先して守っているのだと思う。
 歳が二十代で、パートの人の方が年齢が上というのもあるのかもしれない。業界内でこのくらいの歳での店長はかなり珍しい、と以前誰かが言っていた。

 パートの人達や社員さんは、私にはほぼタメ口だ。
 学生バイトは歳と位が一様な分、接しやすいのか、それとも娘のような歳の差だからか。
 いずれにしても、どちらでもいい気がする。呼び方や敬語の程度では関係性はさほど変わったりしない。

「ところでですけど、秋ですね」

 と瑠奏さんは言った。

82 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:42:43.27 ID:nFA3eKOE0

「もう終わりそうじゃないですか?」

「紅葉はまだしているので、わたし的にはまだ秋です」

「なら秋かもですね」

「ええ。落ち葉が出てきたら、手のひらいっぱいに拾ってぶわーってすると楽しいですよね」

「そうなんですか?」

「したことないんですか?」

 きょとんとした顔を向けられる。
 ないですね、と答えるな否や、瑠奏さんは小さく咳払いをして、再度こちらを見た。

「カエデ、モミジ、ミズナラ、コナラ、ハゼノキ。あとはヤマザクラやメグスリノキがあると、すごく楽しいですよ」

 大きな手振りで私に伝えようとしている様子はとても楽しげで、やっぱり自然が好きなんだな、と思った。

 たまに瑠奏さんのこういう無邪気さというか、天真爛漫さが垣間見えることがある。
 前はもう少し違ったというか、いやそれは私の見方とかが変わっただけかもしれないけど、ていうか多分そうなのだけど、とにかく。
 そのたびに、かわいい人だな、と思う。変な意味はなく、ただ単純に。

「今度やってみます」

83 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:43:32.79 ID:nFA3eKOE0

「人が居ないところならいいですけど、道でやるときはくれぐれも気を付けてくださいね。
 何も知らない通行人の人に見られたりすると、すっごく怪訝な目をされてしまうので」

「実体験ですか?」

「いえ、違いますよ。わたしの友達の話です」

 瑠奏さんは話を切るように、瞳を細めながら微笑した。

「秋といえば、恋愛の季節じゃないですか」

 そして不意に、そんなことを言う。

「そうなんですか?」

「霞さんもせっかくの高校生、そして季節は秋。そういう楽しい話とかはないんですか?」

 一瞬だけ焦りかけた。が、それは表出するものではなく瞬きの合間に収まった。
 でも鋭いのか何なのか、タイムリーすぎるような話であることはたしかだった。

「ないですね」

「本当ですか? はぁー、そうなんですか」

「はい」

「そうなんですね。……まあでも、仮にそういうなにかしらがあったとしても、霞さんはわたしには教えてくれなさそうですけど」

 別にそういう意図はないのだろうけど、字面だけ追えば薄情だと言われているみたいだった。
 どう答えればいいのか迷う。受け流すにもタイミングが取りづらい人相手なので出来そうにもなかった。

84 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:44:04.44 ID:nFA3eKOE0

「や、違いますね。わたしには、ではなくて、誰にでも、ですよね」

 瑠奏さんはにこりと目元を緩めて私を見た。
 当てずっぽうではないような、確信めいたような視線だった。

「でも、教えてくれなくて全然いいです。わたしも特にそれほど興味があるというわけでもないので」

「いやその、そういうのがあったなんて言ってないですけど……」

「ですね。あ、でもやっぱり気になるかもしれないです。霞さんに限っては」

「はぁ、どっちなんですか」

 適当に返事をする。

「ふふっ、霞さんは分かりやすいですね」

 なぜか楽しそうだった。

 他人の恋愛事情に興味を持ったことなんて今までなかった。だから、どういう心境で楽しそうにしているのかはまったく分からない。
 でも、知り合いならそういうことを気にして普通なのだとは思う。一般的に。私も友達の話を聞いているのは別に嫌じゃない。
 私が瑠奏さんの立場だったらと思うと、……まあ気になるのかな? 気にしてと言われたら気にしてしまうくらいには。

 瑠奏さんに恋人とか、そういう相手がいるとは聞いたことがない。
 親には「早く相手を見つけなさい」と言われていると、前に愚痴を零してきたことがあった。

85 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:44:32.87 ID:nFA3eKOE0

 よく男性のお客さんからお花をもらっていたりするのは、あれはそういうのではないのかな。他にも、この机の上のクッキーとかもそうだし。
 嬉しいです、とにこにこしながら受け取っている姿を見るたびに、人徳というか愛想の良さのようなものを感じていた。

 定休日以外はずっと仕事をしているだろうから、どうしてもここでの印象ばかりになってしまう。

 なんかそういうのとか、嫌っていそうな──もしくは興味なさそうな感じがした。壁があるというか、恋愛は別に、みたいな。
 だから恋バナ(なのかな?)を振ってきたときは驚いた。意外と楽しそうなのでもうちょっと驚いた。

 会話が途切れてから数十秒後、お茶をずずっと飲んだ瑠奏さんは興味深そうな顔で私を見つめてきた。
 別のことを考え始めていたところだったから、少し反応が遅れる。まさかバレてはいないだろうけど。
「なんですか」、の「な」が出かかったところで瑠奏さんが声を出そうとしていたので踏みとどまった。

 それから何かを言うかどうか迷うような顔をして、結局言おうと決心をするように真面目な表情で頷いてから再度こちらを見てきた。

「霞さんはモテそうですよね、美人ですし、おっきいですしスタイルも良いですし」

 と言って、瑠奏さんは手早く片付けをして事務所から出ていった。
 躊躇ったのはなんでだろう、案外普通なことで拍子抜けする。考えれば分かる気がしなくはないけど、勘ぐりすぎかもとも思う。

 美人とかそういうのはお世辞だろうから置いといて、モテませんよ、とひとり呟いた。

86 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:45:31.03 ID:nFA3eKOE0





 お昼過ぎになると客足がまばらになり、座りながら作業することができるようになる。
 午前中はほぼずっと立ちっぱなしだということもあって、マイペースに一息つきながら、というのは気が楽に感じられる。

 瑠奏さんは今、店の二階部分を使ってフラワーアレンジメントの教室をしている。土日のどちらかの午後はいつもそうで、その時間は店番を任されていた。
 今日お店に入っているもう一人のパートの人は、結構遠くのコンサートホールにスタンド花を配達しに行っていて今はいない。

 そういうわけで、店内には私一人だった。お客さんが入ってこない限りは……、と思った途端に女性が来店してきた。よくあることだ。

 店内はシックな雰囲気で統一されている。花屋というとかわいらしくポップな印象を受けるけれど、この店はそういう雰囲気がコンセプトらしかった。
 壁にはクリスマス用の、ポインセチアが大きく描かれた広告が貼られている。まだ一ヶ月以上前だというのに。まあそれは他の職業でもそんなものなのかもしれない。

 この店を御贔屓にしてくれている、所謂常連さんが多いから、大体のお客さんの顔は憶えている。けれど今来たお客さんは初めて見る顔だった。

87 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:46:09.13 ID:nFA3eKOE0

 初めてのお客さんは、大抵はアレンジメントやブーケを頼む。誕生日などのお祝いで誰かに贈るため、というのが多いからだ。
 そしてそのアレンジやブーケは去年バイトを始めたばかりのときに一通り作れるように練習したけれど、いざ作るとなると緊張してしまうのが常だった。
 だから、出来れば切り花でブーケとかは頼まないでほしいな、と思っていた。店員としては少しよろしくないかもしれないけど。

 使う花の指定が細部まであれば楽なのだけど、大概そんなことはなく、おまかせでというのがほとんどだ。
 赤系で、とか、バラをメインに、とか言ってくれるお客さんが神様に見えるほど、特に要望もなく複数種類欲しい、と注文する人は多いのだ。
 本音を言うと、メインの色とその他の色まで細かく指定があってほしい。アクセントや、その季節らしいカラーを入れたいというときに、お客さんからのニーズと違ってしまっていてはいけないからだ。

 訊き逃してはいけないことも多く、たとえば病院へのお見舞いに持っていくものだったら匂いだったりサイズだったりを考慮しなければならない。
 私だったら全部伝えるけど、みんな誰もが制約を知っているわけではない。話して、えっそうなんですか、と驚かれるのは割とよくあることだ。

 作ってみてからでは遅く、作り直すこともしばしば。イメージと違うと怒られてしまったりもたまには。
 大手だと最低二年くらいはお店で出すものは作らせてもらえないと聞いたことがある。ぺーぺーの高校生である私が作っているのって、本当にいいんだろうか。

88 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:47:12.51 ID:nFA3eKOE0

 ここのお店に入ったときに特に重要なこととして言われたのは、コミュニケーションは私たちから積極的に、だった。
 瑠奏さんみたいに知識が豊富で器用にコミュニケーションが取れればいいけれど、私はまだ未熟というか、下手だし苦手だ。

 そのお客さんはさして迷うこともなく、季節外れの向日葵を数輪買っていった。

 しばらくループリボンを作ったりカウンター内の掃除をしていると、瑠奏さんが階段から降りてきた。
 棚の上の荷物をちらっと一瞥してから、私の方へ視線を飛ばしてくる。取ってほしいようだった。

 瑠奏さんは身長が低くて、私とは二十センチ差くらいあるのかな。つかさとかよりも小さい。
 指摘すると気にするというか、変な空気を出してこられるので、特に何も言わずに段ボールを取って渡した。

「ありがとうございます」と瑠奏さんは良い笑顔で跳ねるように言って上階へと戻っていく。
 自然な笑顔っていうのは生得的なものなのか、それとも後天的なものなのか。私の知っている瑠奏さんは、昔から自然な笑顔を私に向けてくれていた。

 すべきことを順繰りに済ませていくうちに、外の天気は秋晴れから夜へと移り変わり始めていた。
 向かいの美容院の街灯がチカッと点くのが見えて、あと少しで今日のバイトも終わりなのだと気付いた。

89 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:47:51.61 ID:nFA3eKOE0

 人はいないしいいだろうと欠伸をしていると、見知った顔が入店してくる。身体が少しかたくなる。
 思わず目を逸らして、それでもまあ気になってしまって向き直ろうとしたところで、ふふっと微笑する声が耳に届いてきた。

「や、おつかれさまー」

 と、部活帰りらしいジャージ姿の栞奈がひらひら手を振りこちらに寄ってきた。

「いらっしゃい。栞奈も、おつかれさまかな?」

「うん。たまたま通りかかったから来てみた」

「そっか」

「やっぱ働きものだね霞は」

「そうかな、今さっき欠伸してたけど」

「あはは、だね。……あ、そだ。今日は普通にお客として来たんだけど……」

 そう言って、栞奈は店内を見回す。

 私がバイトをしている姿に興味があるとかで前に来てくれたのは夏休みだったかな。それからたまに来てくれる。
 学校関係の知り合いだと、このバイト先に今まで来たことがあるのは栞奈だけだった。

90 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:48:42.39 ID:nFA3eKOE0

「自分用? それとも誰かに贈るための?」

「お母さんの誕生日用。ほんとは昨日だったんだけどね」

「なるほどね……。今の季節だと、ガーベラとか、あとはオーソドックスにバラとか。アレンジメントで良かったんだよね?」

「うんうん、そうね」

 予算は? と訊ねると、四千円まで、ということらしかった。

「それだと、ガーベラだけだったら二十ちょっと、バラだけなら十二、三本くらいかな。
 ガーベラとバラは見栄え的に合うから、両方使っていい感じにまとめられれば……って思うんだけど」

「お花はたくさん種類があったほうがいいかな」

「わかった。なるべく多めに使ってみるね」

「よろしく。あー、友達に作ってもらったってお母さんに自慢できる」

「いやその、恥ずかしいからやめてよ」

 曖昧な調子で答えながら、花束の構成について考える。

91 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:49:23.98 ID:nFA3eKOE0

 基本的にアレンジメントは、メイン、サブメイン、ラインフラワー、アクセント、ボリューム、グリーンの六つから逆引きして決めていけばいい。
 アルストロメリアとスカシユリで可憐な雰囲気を、ワレモコウで落ち着いた雰囲気を出す。
 スペース埋めをアストランティアで、ヘデラで緑を補いつつ……と、おおかた決まってきた。これでいこう。

 秋らしいカラーで、少しでも大人っぽさというか、そういうものを出せればなと思う。
 年上や、お世話になっている人へのプレゼントは、ちょっと背伸びしているぐらいの方がいいと思う。
 私目線ではそうだ。おまかせのようだから、勝手に栞奈もそうだと思っておく。揺れるとそれが出てしまいそうだから、ここは自分に都合良く。

「じゃあ今の霞を写真に収めて、つーに送ろうかな」

 作業台でオアシスに花をさし始めると、栞奈はスマートフォンを取り出して私に向けてきた。
 ちらっと見て目を逸らす。思わずむっと表情を固くした拍子に、パシャ、というシャッター音が耳に届いてきた。

「なんでつかさに……ああいや、まあつかさならいいや」

 話しながら作るのは久しぶりで、そっちへの対応が少しぶっきらぼうになる。

92 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:49:54.60 ID:nFA3eKOE0

「いいんだ?」

「減るものじゃないしね」

 反応がだいたい分かるから。わーっていう感じのやつ。うん。
 それは栞奈にも伝わったみたいで、「やめとこ」と手元で操作していたスマートフォンにかけられていた指がぴたりと止まった。

「じゃあ、桃に送ろうかな」

「うん。えっと、それも別にどうぞ、って感じなんだけど」

「あ、そうなんだ。そんならこっちはほんとに送ることにしよう」

 指がもう一度動き始める。「ほんとに送ったよ」という声とともに見せられたのは桃とのトーク画面。

 やっぱりやめてよ送信取り消しできるでしょ、と反応すべきかどうか迷ったけれどそうはしなかった。
 その代わりに適当に言葉を発しながら笑った私を見て、栞奈はなぜか楽しそうに笑みを返してきた。

「桃、見たら多分喜ぶよ」

「そうかな」

「多分ね。ほら、なんかよく『写真撮ろー』ってしてるじゃん。二人で」

「んー……あーまあ、してるね」

「霞からってのはあんまりないだろうけどね」

「そうかもね」

93 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:50:35.51 ID:nFA3eKOE0

 ラッピングも秋っぽく包んで、ホチキスでカチカチと止めていく。
 リボンをつけて、セロハンを左右対称になるように貼り、丁寧にアレンジを包む。

「こういう感じでどうでしょうか」

「うん。やっぱり頼んで良かった」

「満足してくれたならなにより」

 くっきりした二重の瞼と長い睫毛が楽しげに揺れていて、本心から言ってくれたのだと嬉しい気持ちになる。

「じゃあこの作ってくれたのと、霞と、私も入るか」と栞奈は今度は内カメにして、再度私にスマホを向けてきた。

「これは誰にも送らないやつね」

 栞奈はそう言ってパシャパシャと何枚か撮っては、角度か何かがしっくりこないといったような微妙な表情で撮り直しを要求してきた。
 二階からフラワーアレンジメント教室の人達が降りてきて、栞奈もその流れに混じるようにして帰って行った。
 じゃあね、と手を小さく振って見送り、ドアを閉めて振り向くと、瑠奏さんが私をまじまじと見つめていた。意味ありげな視線。

94 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:51:13.46 ID:nFA3eKOE0

「なんですか?」

「いえ。お友達、かわいらしい方ですね」

「そうですね。優しいし、しっかりしてる子です」

 いいですねー、と瑠奏さんは頷く。

「今度、ほかのお友達も連れてきてくださいよ」

 ぱちっと手を打ち、良いことを思いついたような顔でそう続ける。

「はあ、まあ……いいですけど」

「霞さんはお友達の数はあまり多くはないでしょうけど」

 あはは、と笑って否定はしなかった。普通に事実だったから。
 ていうか瑠奏さんも知っていて言っているあたり、少しだけ酷い人だと思う。

 もし連れてくるとしたら、もう桃かつかさだけだった。
 で、それはなんとなく……うん。なんでか分からないけどすすんではしたくない。
 自ら来るならまだしも、呼ぶというのは、ちょっと。授業参観の時みたいな気分なのかな? わからないけど。

「気が向いたら、そのうち」

 と、そう言って誤魔化すことにした。

95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:51:40.08 ID:nFA3eKOE0
本日の投下は以上です
96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/15(水) 02:48:31.81 ID:cbL9KxZg0
読んでるよ
97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:07:57.55 ID:RFFO57rv0




 部室でぼーっとしていたらSHRまでの時間が迫ってきていたので、早歩きで教室を目指す。
 部室はなんとなく落ち着く。あまり居着きたくはないが、一人になれるし広さがちょうどいい。

 今日はいつも通り早く学校に着いたのだけど、花瓶を洗っているときにはもう次の人が教室に来てしまった。
 週番だったらしく、少しだけ仕事を手伝った。といっても、身長の低めなその子の代わりに黒板の上の方を消したくらいだけど。

 話が好きそうな子でいろいろ話しかけられて、最初のうちは答えていた。でも終わりが見えなさそうだったので部室に行くと理由を付けて逃げた。

 単純な質問に答えるだけだったから、今考えてみると楽だったのかもしれない。普通にそのまま答えていればな、と反省する。もしくはその子のことを聞けばよかったな、とも思う。
 これだから友達が少ないのだろう。こういうきっかけを逃すと後々響いてくるのかもしれない。頬をつねって再度反省する。

 そしてその、つねった拍子にどうしてかは分からないけれど、好きな形の雲の話とか、好きな動物の話をしてくれていた子の存在を思い出した。
 小学生の低学年か、それよりも前か……いずれにせよまだ小さいときの記憶だ。

98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:08:57.19 ID:RFFO57rv0

 転校や進学で沢山の人や友達と出会って別れてを繰り返すと、不必要だと感じたものから忘れていってしまう。大抵のものは感じることすらなく忘れる。
 その中で忘れずにいるのは大切だと思っているからなのか。相手にとっては多分、いやきっと、私なんて取るに足らない存在だとは思うけれど。

 記憶に容易に蓋は出来ないものだなぁ、と目を細めていると後ろから私の名前を呼ぶ声がした。

「ふゆゆ、おはよー」

 振り返ると眠たげな調子のつかさがゆるく手を振ってきていた。
 私も手をあげて挨拶を返すと、安堵したような面持ちでこちらに駆け寄ってくる。

「眠そうだね」

「うん。昨日遅くまで電話しててさ」

「そっか」

 噂の恋人さんとなのかな、という考えが頭に浮かぶ。
 きっとそうなのだろう。そうじゃないかもしれないけどそんな気がする。

99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:09:38.21 ID:RFFO57rv0

「ふゆゆはいつも眠くなさそうだよね」

「日付が変わる前には寝てるから」

「へぇー。あんまテレビとか見ないんだっけ?」

「そうだね、あんまり。たまには見るけど」

「ふーん。まあなんかふゆゆはそんな感じだよねー」

 そうなんだ、と私は自分のことを言われているのに他人事のように答えた。どう答えればいいのか微妙に思えたから。
 そしたら案の定、「んな他人事みたいに」とツッコミが入った。互いに目を合わせてくすくす笑う。

 つかさと話すと、自分の自然な反応を引き出されている──引き出してくれているように感じる。

「やっぱりふゆゆはワールド持ってるよね」

「なにワールドって」

「自分の世界というか、他とは違う系のなにか」

「つまり変わってるってこと?」

「平たく言えばそんな感じ」

「うーん」

「あ、ふつーに褒めてるんだよ」

100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:10:20.92 ID:RFFO57rv0

「いやそうは言ってもねぇ……」

 他人から変わってると言われて素直に喜ぶ人はいないだろう。もしいるとすれば、そういうふうに見られたいと思っている人か、なんでも好意的に捉えることのできる人のどちらかだと思う。

「私だって可能な限りは多数派から外れていたくないって思ってはいるんだよ」

「んーでも、そういう人は友達と話合わせるためにテレビとか見たりするんじゃない?」

 たしかにそうだし、私も昔はそうだった。
 周りから外れていたくないと思うのは誰にでもあることで、外れないために適当な取っ付きやすい話題で話を合わせることは、まあ言っちゃなんだけど一番簡単な方法だ。

 そうじゃなくなったのは、関わる人がそういう話をしなくなったからというだけのことなのだろう。
 取り巻く環境への最適化というよりは、主体性がないために周りに合わせているだけ。
 でも何らかの物事を延長するにあたっての手続きを必要としないなら、それはそれとしてそのまま享受してしまう方が楽だ。

101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:11:17.51 ID:RFFO57rv0

「でもそのふゆゆワールド、わたしはかなりいいと思うよ」

 つかさは冗談めかしたような口調でそう言いつつ、親指を立てた。

「ももちゃんもゆるふわなワールド持ってるし、栞奈はちょっと超人的な感じするし、あーわたしってけっこー普通なんじゃねーのって思える」

「ふうん。てことは、つかさは普通でいたいんだ?」

「まあそれはね。全部じゃなくとも、何個かは普通さをもっていたいじゃん」

「そっか」

「どうしても普通でいられない部分もあると思うし」

「難しいね」

「そ。まあ朝からする話じゃないねー」

 というようなことを話しているうちに、もう教室の前までたどり着いていた。
 まばらな話し声がして、その中にさっき話した子の姿を見つける。目があって、少しだけ隠れがちに手を振られる。

102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:11:51.87 ID:RFFO57rv0

「とーかちゃん、おはよーございまーす」

 ちょっと驚いている私をよそに、つかさは黒板の近くに先生を見つけるやいなや、小学生でもしないようなわざとらしく間延びした挨拶をした。
 視線を戻すと、さっきの子はまだこちらを見ていた。ううん……これはどういう反応をすればいいのか。

 てきとうに会釈をすると、へらーっとした笑みが返ってきた。これはこういうコミュニケーションなのかな? と思った。今度直接聞いてみよう。

「おはようございます、つかささん」

 つかさはいつも先生にがんがん絡んでいく。お気に入りらしい。
 私も「おはようございます」と言うと、きっちりと挨拶を返してきたあとに、先生ははっとしたような表情をした。

「つかささん、あの、ちゃん付けはやめようね。これでもいちおう先生だから」

103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:12:31.64 ID:RFFO57rv0

「はいはーい、わかってますよーとーかせんせー」

「もー……。ああ、今日はちゃんと寝ないで授業受けなさいよ」

「がんばりまーす」

「あっそうそう、テスト勉強はちゃんとやってるの?」

「え、せんせー、テストはまだまだ先ですよ?」

「でもつかささんは、今からやってないと補習かかっちゃうじゃない」

「んー……たしかに。それはたしかにですけどー」

 ともだちみたく楽しそうに会話をしてるなぁとぼんやり二人を眺めて、自分の席へと向かった。

104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:14:13.87 ID:RFFO57rv0




 その後は特にこれと言ってなにもなくただ授業を受けて、気付けば放課後になっていた。

 今日も栞奈は部活で、つかさは用事があるとかなんとかで、帰りは必然的に桃と二人になった。
 部室は……まあいいかなと思って行かなかった。週明けだから、花たちの様子は朝と昼に見にいったのだった。

 この前からの続きのように桃のマフラーを巻いてあげる。三日続ければそれはもう習慣になっているという話があるように。
 帰るよとなったときにちょっと落ち着かなそうになる桃を観察するのも面白いかもと思ったのだけれど、そういうのはなんとなく悪いなと思って、私の方から「ほら」と促した。

 校舎の外に出ると、しとしとと細かい雨が音らしい音を立てずに降っていた。

 自転車を置いて帰るかどうか、と迷いながらスマホで明日の天気予報を確認する。快晴。

「傘入らせてもらってもいい?」

 と言ってみたら、

「あっうん、ぜんぜんいいよ」

 と桃はあっさり受け入れてくれた。

105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:14:59.31 ID:RFFO57rv0

「ふゆ、濡れるからもうちょっと寄って」

「いいの?」

「うん。……あ、そういうの気にする?」

「そういうのって?」

 訊ねると、桃は少しだけ表情を固くした。

「近い、とか」

「いやないない」

 間が生まれないようにすぐに返事をする。
 ついでにハンドルを横にずらして桃に寄る。小さな水たまりからはねた飛沫で僅かに足が濡れた。

「こういう場合は気にしてもおかしくないって思った」

「んーでも、お願いしてるのは私の方なんだから、近寄れでも離れろでもどっちでも大丈夫だよ?」

「いやその、そうじゃなくて。……気付いてないみたいだけど、相合傘ってことになるじゃん、これ」

「ああ、たしかに」

 言われてみれば、と思い桃に目を向けると、
 やっぱり気付いてなかった、というような苦笑が返ってくる。

106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:15:27.55 ID:RFFO57rv0

「したことなかったっけ」

「ない。ないない」

 ないよ、と考えているうちに付け加えられる。

「写真撮るときとかもっと近いから、なんで今更訊くんだろーって思った」

「たしかに。ちょっとわたしが意識しすぎてたかな」

「……」

「……あ、ちがうのちがうの」

 何も言ってないのに、というか言う前に、あたふたしている感じでふいっと目を逸らされる。それに触れずに頷いて、横目で様子を窺っているうちに、桃は息を整えてから再度こちらを向いた。

「あの、ぜんぜん関係ないんだけど、写真っていうとさ」

「……栞奈から送られてきたやつ?」

「よくわかったね。そうそう、ふゆの写真」

 と桃はコートのポケットからスマホを取り出す。

 いやいや、と反射的に左手を伸ばして画面を覆う。

107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:16:09.34 ID:RFFO57rv0

「やめてよ恥ずかしいから」

「そう?」

「じゃ想像してみて。友達に自分の写真が映ってる画面見せられるの、恥ずかしくない?」

「うん恥ずかしい」

「ならしないでよ」

「ごめん。働いてるときのふゆを見るの初めてで、ちょっとうれしくなって」

 桃はふわふわ笑って、手に持っているスマホを元に戻す。そして、「かわいかったから保存しちゃったんだよね」と嬉しそうに一言。

 こういうことになるなら、栞奈に適当なこと言わずに『送らないで』って言うべきだった。なんだ『別にいいよ』って。あのときの自分を恨む。
 まあ、喜んでくれているなら……いや、逆にそっちの方が恥ずかしさが増す。いっそのことイジってくれた方が気が楽だ。今日ここまで何も言われなかったから、言ってこないのではないか、と期待していた部分があった。

 私が墓穴ったせいで桃に連想させたのだから、悪いのはどう考えても私。適当なことばかり言わないように努めよう。何事も考えてから発言と心の中で誓う。
 でもきっと今から一分後にはその誓いごと忘れてるんだよなぁ。最近そんなことばかり思う。

108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:16:57.26 ID:RFFO57rv0

「栞奈ちゃんって、ふゆのお店によく来るの?」

「いや、たまに。今まで何回か」

 答えると、なにかを思いついたように桃はすぐ近くから目線を外し遠くを見る。僅かに歩調が早まった。

「よければなんだけど、わたしも行ってみていいかな」

「あ、うん。いつでもどうぞー」

「え、ほんと? 実はね、前から行ってみたいなーって思ってはいたんだよね」

「へえ、そうなんだ」

 土曜日にした瑠奏さんとの会話を思い出す。

 桃が来たら瑠奏さんはどういう反応をするのかな、と思ったけど、あの人は身長が高めの同性を見ると動揺する習性があることを思い出した。
 それってどんな習性だよ、という自己ツッコミはさておき。

 ぼとぼとと傘に落ちる音がして、雨が少し強くなってきたことに気付く。傘の外に出した腕にはすぐに雨粒が滴った。

109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:17:32.52 ID:RFFO57rv0

 桃もそれに気付いたようで、傘を持つ腕と私の肩とが触れ合うかというくらいまで身体を寄せてくる。

「いきなり行っても迷惑かなって思ってたのもあるけど、一番はやっぱり機を逃していたっていうか、そういう感じで……ふゆがいいなら今度行ってみるね」

「うん」

 律儀だなぁ、とぼんやり思う。迷惑だなんて思うわけないのに。
 まあ、何かを突然の思いつきで実行しようとしたけど、それまで放っておいたせいでなにかしらの手順を踏む必要性が出てきてしまった、という経験は私もある。

 ていうかそんなことだらけなのだ。

「言ってみてよかった」

 と桃は言ったけれど、栞奈が桃に私の写真を送らなかったら、多分バイト先に行ってみたいのバの字も出ていなかっただろう。

 きっかけというものは普段注視して見ようとしていないだけで、そこらへんに無数に転がっている。そのかわりずっと放置してると拾い上げるのは難しくなる。
 それが存在している地面や空間はほとんど変わっていないはずなのに。

「ちょっと駅前のお店寄っていかない?」

「いいよ。買い物?」

110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:18:30.71 ID:RFFO57rv0

「えっと、そう。それもあるんだけど……」

 ほら、と桃は傘越しに薄暗い空を指差す。
 雨宿りも兼ねて、ということだとすぐに気付く。

 私も桃につられて周りを見る。勢いをさらに増した雨は白驟雨と呼べるようなもので、等間隔に植えられている街路樹の木の葉からは、閉め忘れた蛇口のように断続的に水が流れ落ちていた。
 傘の外を見れば、街灯がレモン色に光っている。この通りは昔はすべてガス燈だったはずだけれど、ちょっと見ないうちにそうじゃないものが入り混じるようになっていた。

「ふゆはこういうとき、家に連絡とかする?」

「しないかな」

「そっか。なら、わたしもいいかな」

 なんて会話をしているうちに駅前について、さてどこに行くかというふうに視線がかち合う。

 どちらもそんなに行きたいところはないよね、と自転車置き場のある商業施設にそのまま入ることにした。
 二人で放課後どこかに寄るなんて初めてかもしれない。思いつく限りだと今年の春に桃の家に行ったことくらいで、それは私からしたら『寄る』かもだけど、桃目線だとそうじゃない。

 ほぼ毎日一緒に帰っていてそうなのだから、それはもう"機を逃していた"、とは言えないなと思った。

111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:19:11.70 ID:RFFO57rv0




 商業施設の入ってすぐの場所にフードコートがあったので、ちょっと巡ってからここで軽食をとろうと決めて館内をぶらつくことにした。

 壁に貼られているフロアガイドをちらっと見ると、二階はファッション関係、三階はアミューズメント系など、階数ごとに大まかに店の系統が分かれているみたいだった。
 桃は迷いなく三階まで上がった。今の時間というのもあって、フロアはそこそこ混雑していた。

 少し歩いたところで、「もしかして初めて?」と桃が足を止めずに振り返る。

「お恥ずかしながら」

「ふゆはあんまり出歩かなそうだもんね」

「まあね。てことで案内よろしくね」

「うんうん。わたしもそのつもりだったから、任せて」

 エスカレーターから歩いてすぐのところにある、ゲームセンターの前を通る。
 私たちと同じ制服を着ている生徒の姿が見える。他の学校の人もいるけど、こういうときはなんとなく目につくものだ。

112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:19:47.75 ID:RFFO57rv0

 暇をつぶす目的ならそうだろうと足がそちらを向きかけていた。が、桃の目当てはゲームセンターではなかったらしい。
 そこも通り過ぎて、割と大きめの本屋の前まで来た。

「参考書をちょっと見たいんだけど、いい?」

「いいよ。……て、桃。もしかして受験用?」

「そういう感じ」

「わーまじめだ」

「格好だけでも受験しますよ感を出したくて」

「ああ。そういうところから差が付いていくのね」

「いや、いやいや、ふゆとわたしの成績そんな変わらないし……ていうかむしろふゆの方がいつもちょっとずついいじゃん」

「そうだっけ?」

「そうだよー」

 なんとも言えない恨めしげな視線が飛んできた。

 参考書コーナーに着くと、桃はどちらかというと苦手だという理系科目の参考書をパラパラと見始めた。

113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:20:30.47 ID:RFFO57rv0

 大々的な帯に辟易しながら同じものを手に取る。ちょっと読んですぐに戻すくらいには、何が書いてあるのかさっぱりだ。

「でも私、受験するかどうかはまだ決めてないんだよね」

「え、ほんと?」

 桃の表情が一瞬にして凍る。
 そんなに驚くことなのかと思う。

「それってつまり、卒業したら働くってこと?」

「んーまあ、そうなるね」

 そりゃニートするってわけにもいかないだろう。
 高校は何の気なしに入ったけれど、それだって多少なりとも思うところはあった。だから、その先は私にとって手に余るようなものである気がしてならない。

 やりたいこととかないし。これから先、受験までの一年ちょいでそれを見つけられるとは思えない。
 勉強しない理由をそういう風に作り出している……わけではないと思う。考えられていないだけ。でもそれはきっといつまで経っても変わらない。

「どっちにしろ、ちゃんと考えたうえで決めないとね」

「そっか。やっぱりふゆって真面目だよね」

「そう?」

114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:23:48.00 ID:RFFO57rv0

「だってなんとなく"自分は進学するんだろうな"ってわたしは思ってるし、わたし以外でも結構な人がそうだと思うから」

「……んー、そっか」

 結構な人。つまりそれが普通なのかな。
 聞かれたことにちゃんと答えようとすると、自分が普通から外れていることに気付かされる時がある。

 つかさが言っていたのもこういうことなのだろう。
 ここにはいない誰かに合わせて「私も進学かな」と答えるべきところだった。けど私はそうはしなかった。こういうある種の噛み合わなさを積み重ねれば、変わっているとみなされても不思議じゃない。

「ふゆ?」

 桃が私の顔を覗き込んでくる。考え込んでしまっていて返答が疎かになっていたからかな。

「なんでもない。でもまあ私も進学なのかな」

「そうなの?」

「特に理由はないけど。……ないなら、桃と同じ進路がいいなって」

 今のところは、と付け加える。
 桃は僅かに驚いたような素振りをしてから、くすくすと笑った。

115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:32:02.31 ID:RFFO57rv0

「ちゃんと考えないとって言ってなかった?」

「とりあえず先延ばしにしとくのが吉だと思ったのもあるかも」

「先延ばしにしたらわたしと同じ進路になるのね」

「まあね。主体性がないもので」

「そんなことないでしょ」

 桃がまた笑う。「いやそうなんですよ」と答えたら笑ったまま流された。ひどい。

「そういう未来を想像するのは、ちょっと楽しいかもね」

「どういう未来?」

「桃と一緒の大学に通ってー、みたいな」

 目の前の棚には大学名が書かれた参考書が並んでいる。いわゆる赤本ってやつだ。
 近くの大学のものに指を掛ける。まったくの偶然だったのだけれど、学校で受けた模試で私のレベルに合っていると出ていたところだった。

「今とそんなに変わらなそうだけど」と桃は首を傾げた。

116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:32:55.53 ID:RFFO57rv0

「たしかにね。でもそこがいいんじゃないの」

「てことは、ふゆは今と変わらない方がいいと」

「うん」

「今のままがいいのね」

 繰り返し二回言ったし、なにやら含みのある言い方に感じた。直感。本に向けていた目線を外して、桃の方を盗み見る。
 すると今度は桃が考え込む番になったようだった。さっきまでは前屈みで表情がよく見えたのだが、しゃんとしている姿勢では身長差も相まって、マフラーがかかっている口元の様子までは覗けない。

「たしかに、ふゆとの大学生活は楽しそう」

 どう反応すべきか迷っているうちに、逸らしていた目を私に合わせて、桃は口を開いた。
 杞憂だったみたいだ。私の直感なんてそんなに当たらない。桃の心情を勝手に予想して、変なことを口走ってしまっていなくてよかった。

 ほっとしていると、「あ、そだ」と桃は私が手に持っているのと同じ本を取って呟いた。

「もし同じ大学になったら、一緒に住む?」

「えぇ? いや、それは、はは……」

 思わず変な声と渇いた笑いが出る。

117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:33:36.77 ID:RFFO57rv0

「え、そんなに嫌?」

「嫌ってことはないけど……、冗談じゃないの?」

「……んー、冗談じゃないって言ったら?」

「ちょっと考える。で、まあ多分だけど、そういう未来もありかもなー、って思うんじゃないかな」

「あはは。なら冗談じゃないってことにする」

 と言って笑う桃を見て、「やっぱり冗談だったのね」と安心した。

 その後、ちょっとの間、お互い手に持っていた本や、他の参考書について話をして、そのうちの何冊かを買った。
 暇なときに開いて勉強したらめっちゃあたまがよくなるかもな、と思った。

 会計を終え本屋を出ると、向かいにある雑貨屋が目に入り、「あ」と閃くことがあった。買おう買おうと思ってそのままにしていたものの存在を思い出す。

 桃に確認を取ってお店に入る。さっきの本屋とは違って、明るい照明が白い床に反射していて目が痛くなった。

 文房具に化粧品、キッチン用品などを見て巡る。青ペンが切れかかっていたなーとか、この化粧水おすすめだよーとか、そんなことを話しながら歩いているうちに目当てのものを見つけた。

「手帳?」

「そう手帳」

118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:34:28.27 ID:RFFO57rv0

 私が手に取ったものは、日記帳とスケジュール帳と、その他もろもろが一緒になった多機能な手帳だ。今使っているのと同じもので、十二月始まりだから今の時期に買っておこうと思っていた。
 商売用語だとエンドって言うんだったかな、目につきやすい通路に置かれているもので、ポップには日本一売れてるとかそういうことが書いてあった。たしかに使いやすいし、続けることが苦にならないような設計がなされている。

「ふゆはどういうこと書いてるの?」

「バイトの予定とか日記とか。まあほぼ日記かな」

「その日あったこととか?」

「そうそう。もちろん今日のことも書くよ」

「わたしと一緒に帰った……とか?」

「それはほぼ毎日だから書かない」

「あ、そっか。ほぼ毎日だもんね」

 仲良くなったばかりの頃は毎回書いていた、とは言わなくていいよね。もし言ったとしたら顔をあげられなくなりそうだった。

「ふゆが日記つけてたなんて知らなかった」

「まあ学校に持ってかないし」

「たしかに見たことない」

「たまに見返すとちょっと前の自分ってこんなこと考えてたんだーってまぁまぁ楽しくなるよ」

「そうなんだ。……なんか、興味湧いてきたかも」

119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:35:05.69 ID:RFFO57rv0

「へぇー、なら買ってみたら?」

「んーでも大丈夫かなー。続けられるか心配」

 私のイメージだと桃は几帳面なタイプだから、ずっと続きそうではあるけどなぁ。

 適当なマインドでやった方が忘れたときの罪悪感やらなんやらがないから続くのかも……いや、それは個々人の気の持ちようだから関係ないか。

 私が買いに来ただけだから桃に勧める理由はない。けどなんとなく勧める感じになっていた。
 日記仲間を欲していたのかもしれない。もちろん交換日記みたいなのをするつもりはないし、お互いに見せたりもしないんだろうけど。

「ならお揃いで買おう」と同じものをもう一つ取って、桃に手渡す。

 すると桃は『それならいいか』というように朗らかに笑った。

120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:35:49.15 ID:RFFO57rv0

「ふゆのこといっぱい書くようにするよ」

「おー、たとえば?」

「今日はルームシェアを提案してやんわり断られた、とか」

「えぇ……いやまあ、ご自由に書いてください」

「そうする」

「うん。じゃあ買いに行こっか」

 もう冗談かどうか聞くのはやめにしておいた。

 時計を確認するともうそろそろいい時間になっていて、軽くご飯を食べて、外に出る頃には雨は上がっていた。

「今日すごく楽しかった」と別れ際になって桃が言ったので、「私も楽しかったよ」とそれに追随する。
 言おうとしていたちょうど同じ時に言われたものだから、先を越されて悔しいような、不思議な気持ちになって、次にふたりでここに来るときは私から誘おうと気付けば考えていた。

 一人になって夜道を自転車で進みながら、こういう遊んだり買い物に行ったりすることが、これからは増えてくるのだろうなぁとなんとなく感じた。

121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/05/17(日) 01:37:00.12 ID:RFFO57rv0
本日の投下は以上です。
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/06/05(金) 19:52:23.51 ID:0hs/lJ9k0
よんでます
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/08/31(月) 02:06:20.67 ID:Y9VkGZZ2O
待ってる
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:13:39.96 ID:j0AiLQi+O




 翌日の朝は、少なくとも昨日よりはちゃんと週番の子と会話することができた。
 途中、珍しく(最近では二度目だけれど)先生が教室に来て三人になり、話を聞く側にまわれたことが良かったのかもしれない。

 先生が朝早く来たのは、放課後に部長会があることを伝えるためらしかった。
 月一で決まった曜日にあるのは知っていたし、諸々の持ち物などは過去のものを流用すればいいので不都合は生じないと説明すると、先生はほっと胸をなで下ろしていた。

 そしてその放課後になると、栞奈が話しかけてきた。
「部長会初めてなの」と。そういえばこの前、三年の先輩が引退して部長になったと言っていた気がする。

「どういうことをするの?」

「ただ各部の部長が集まって話をする」

「……だけ?」

「だけ」

「ふうん。それはなんか、すっごく退屈そう」

「退屈だよ、実際。時間の無駄とまでは言わないけど」

「霞がそう言うってことは……まあ、察した」

 栞奈は面倒そうな表情をつくって苦笑する。
 言い方を間違えたような気がして、私は少し後悔した。

125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:14:25.58 ID:j0AiLQi+O

「今日はせっかくの休みなのに、運悪いなぁ」

 そう言って栞奈は窓の外を見つめて、深い溜め息をついた。
 それになんと返せばいいのか分からないまま、栞奈の横顔をちらと覗く。けっこう疲れていそうな顔をしていた。

 ひとまず机の上の荷物を片付けて、二人で教室の外に出る。
 大変だね、とか、疲れてるね、とかそういうことを言えればいいんだけど。そういうのって、実際つらい人からすると、わざわざ言われては迷惑かもしれない。
 廊下を歩いているうちになにか言うことが見つかるだろうと思ったけれど、結局思いつかなかった。

「そういえばさ、この前は来てくれてありがとう」

 だから、がらっと話題を変えることにした。

「こちらこそ。うちのお母さんね、すごく喜んでくれたんだよ。
 いい友達がいるのね、って。なんだか私の方まで鼻が高くなっちゃった」

「ならよかった。正直、ちょっと不安だったんだよね」

「喜んでくれるか? ってこと?」

126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:16:07.34 ID:j0AiLQi+O

「そう。友達のお母さんに向けて、っていうのは初めてだったから」

「んー、霞はもっと、自分に自信持っていいと思うよ」

「それ、お店のパートさんにも言われるんだよね。
 そういう気持ちっていうのは出ちゃうものだから、みたいな」

 だから、なるべく隠すようにはしていた。
 おどおどしている店員がいたら漠然と不安になるのは当然のこと。
 まあ……高校生か、もう少し大人に見られたとしても大学生くらいのバイトが色々としようとしている時点で、不安になる人はなるだろうけど。

「バイトだけじゃなくてさ、もっと広い意味で自信持っていいと思うよ。霞は、一年生から部長やってるし、周りと比べて落ち着いてるし」

「あ、うん」

「それと桃が、写真見て喜んでたし」

「それは……関係ある?」

127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:17:18.31 ID:j0AiLQi+O

「かわいいって言ってたよ。ライン見る?」

「もう昨日桃から直接言われたから、大丈夫」

「そっかー。桃にめっちゃ好かれてるもんね、霞は」

「……なんで嬉しそうなの?」

「いや、なんとなくね」

 さっきまでの憂鬱そうな表情から一転、栞奈はいたずらっぽく笑った。

 そんなふうなやり取りをしているうちに、会議室の前についた。
 中から聞こえてくる声は騒がしく、あぁこんな感じだったな、と先月のことを思い返す。

 初参加で緊張しているからなのかもしれないが、ひとつ咳払いをして、真剣そうに姿勢を正す栞奈を見て、これが部長のあるべき姿と感心した。

128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:17:55.13 ID:j0AiLQi+O




そして退屈な部長会を終えて教室に戻ると、桃とつかさがトランプで遊んでいた。

 スピードをしている最中だったみたいで、きびきび手を動かす二人を手近な席に座って眺める。

 教室には他のクラスメイトの姿はなかった。運動部の子が多いクラスだからなのか、それともたまたまか。
 隣の教室からは明らかに大人数の、明るい話し声が聞こえてきていた。

 戦況は見た感じ白熱しているみたいだった。二人とも体育のときくらい動きが俊敏だ。

 自分の席に座った栞奈はというと、部長会で渡された資料に目を通していた。

「あ、これ終わったじゃん」

 というつかさの声で、勝負が決したことに気付く。

 手に汗握る戦いどころではないくらい熱い勝負だったみたいだ。つかさは手だけでなく額に汗を浮かべている。
 それをコートの袖でぐいぐいと拭い、ペットボトルのお茶を一口。そんで「もっかい!」と胸の前に人差し指を立てる。

「……てか、どうして暖房入ってるのに厚着なの?」

 まあ私も思っていたことだけど、栞奈が呆れ口調でつかさに問いかける。

129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:19:11.13 ID:j0AiLQi+O

「二人を待ってたんだよ。すぐ来ると思ってたから、着たまま」

「あれ、私つーと帰る約束してたっけか」

「ん、してない。でも四人全員休みなんだから遊びたいじゃん?」

「それなら前もって言ってくれればよかったのに」

「約束しなくたって遊べるのが友達じゃん?」

「まあ、そうね」

 面倒になったのか同意したのか、栞奈はつかさに向けて頷く。
 ふっと笑ったつかさは、今度はちらりと正面の桃に目を飛ばしてまたにかっと笑った。

「で、おふたりさんが持ってるそれはなんなの?」とつかさは資料を覗き込んでくる。

 今日の議題? 話題? は年度末に出される文集についてだった。
 部長が各部の紹介と活動報告などについて書くもので、去年は先代の、三年の先輩たちにお願いをして私はやらなかった。

 大半の部活は、見開き程度書いていたけれど、お察しの通り園芸部は数行だったような記憶がある。
 めぼしい活動をしていなかったから仕方ない。私はまず部活自体にそんなに顔を出していなかったから、当時の実態についてはよく知らないのだが。

 ただそれが影響したのか否か、「ちゃんと書いてくださいね」と文集担当の生徒が言ったときの視線は、私に注がれていた気がした。


130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:19:49.37 ID:j0AiLQi+O

「おとなのまねごと」と小学生に何かを教えるように言って、栞奈は紙をファイルにしまう。

 たしかに、そう形容するのが丁度いいかもしれない。
 こういう表現は栞奈らしい。語彙力……表現力の差かな?

 それに対して「へー、なんか難しそうだね」とつかさは興味なさげな棒読みで返答する。そして、

「最初はババ抜きして、すぐ飽きて、今度はスピードしてたんだけど、わたしが弱過ぎてねぇー」

 と、あっさり話を終わらせて、切り終えたトランプを私達に向けて差し出してきた。

「栞奈これから暇っしょ? 人数多かったら大富豪できるし、やろやろっ」

「いいよ。下校時間までね」

「わかってるって。んでふゆゆは?」

「あぁうん。参加しまーす」

「よしきた! じゃあまずルールの確認からはじめよ。大富豪はいろいろとローカルルールが多くてやんなっちゃうからねー」

131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:20:35.15 ID:j0AiLQi+O

 ようやくつかさは上着を脱いで、ぺらぺらとルールの説明をし始めた。
 まあなんかいろんなことを言っていたが、やっていくうちに分かってくるだろうと聞き流す。

 手持ち無沙汰を誤魔化すようになんとなく桃の方を見ると、桃の方も私を見ていた。
 暇つぶしにじぃっとそのまま見続ける。すると、「そこ! 見つめ合わない!」というつかさからの謎の指摘が入る。

「仲良し二人組で逸らしちゃだめゲームでもやってんの?」

「やってない」

 否定したのは私だけだった。桃はくすくす笑っている。

「じゃあふゆゆはわたしともやってみよう」

「いや、やってないって言ったんだけど」

「いいからいいからー。はい、すたーとぉ」

 ぱち、と手を打ち鳴らして、つかさは私を見てくる。
 なんだこれ、と少しためらいながら、まあしょうがないなと付き合うことにする。

132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:21:16.99 ID:j0AiLQi+O

 数秒後、つかさはへらーっと笑いながら目を逸らした。

「……え、はやくない?」

「んー……なんというかー、恥ずかしくなった」

「あぁそう」

「逆にきみたちよくこんなに恥ずかしいことできるな」

 前髪をくいくいと弄りつつ、つかさは桃と私に、気持ち桃に対して多めに視線を飛ばす。
 その桃が頷いて、机に肘をつけていた私の腕をつかまえて、つかさの方へと掲げながら言った。
 
「つーちゃんがすぐ逸らしちゃうのは、ふゆが相手だからじゃない?」

「えー? あーまぁ、その可能性もある」

「ためしにわたしとやってみる?」

「やってみる」

 言葉通りに二人は見つめ合う。ちなみに私の腕を掴んだままで。数十秒経っても逸らすことなく。
 そして実験成功だとばかりに二人は笑って、すぐに私にも笑いかけてくる。

133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:22:07.43 ID:j0AiLQi+O

「ふゆゆがべりきゅーとなのが原因でした」

「なにそれ」

「慣れてるつもりだったけど、なかなか修行が足りないなーわたしは」

「……」

 大真面目な顔でつかさはうんうん頷く。どういうことなのか、正直いって掴めない。……まぁ、べつになんでもいいようなことだ。

 ぱっと手を離した桃は、「ごめん。つい無意識で」となぜか謝ってくる。あぁいやべつにという意味を込めて手を振ると、「さすが仲良し二人組」と栞奈が言ってくる。

 桃と私が特にってわけでもないだろうし、仲良し四人組でいいんじゃないかな? という疑問は持ったけれど、会話の流れからして間違いではないし口にはしなかった。

 大富豪が始まると、ああこんなルールもあったな、と思いながら楽しめた。
 細やかな記憶はないけれど、覚えている限りでは小学校の時以来だった。こういうトランプゲームなんかは、たまにやると楽しい。

134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:22:48.18 ID:j0AiLQi+O

 つかさは自分の番がまわってきたらあまり考えずに持っているカードを出す。そのせいで最後に禁止あがりカードしか残っていなかったりして、ほぼ自滅する。
 栞奈はパスを多用してると思ったら、いつの間にか親を取り、一度に多くの枚数を出してターンを継続して、一抜けしている。一戦前の勝ち方なんてもはや芸術的。

 その二人で大富豪と大貧民は決まっていて、間の桃と私の順位が入れ替わる感じで、何戦か終える。富める者はさらに富み、貧する者はさらに貧する、という感じだった。

 それから小休憩を挟みつつ大富豪を続けて、四枚の六で革命を起こしたつかさが一抜けするとほぼ同時に、下校時刻を伝えるチャイムが鳴った。気付かないうちに、もう十八時過ぎになっていた。

「わたしの勝ちで終わりー。気分いいなー」

「つー、勝ち逃げはずるい。もう一戦」

「えー? 下校時刻までって言ってたのは栞奈じゃん?」

 初めて大富豪になったつかさが栞奈を煽る。前から思ってたことだけど、栞奈は勝負事にけっこうこだわるタイプらしい。
 また今度やろうね、とみんなで言いながら下校の準備をする。その間も、つかさは勝てて嬉しそうな様子だった。

「つぎはわたしが大富豪スタートな」

「はいはい。ははー、つー大富豪さまー」

 仲良し二人組ってこっちのことを言うんじゃないかな。

135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:23:57.53 ID:j0AiLQi+O

 見回りの先生が電気を消しにきたので慌てて校舎から出ると、外は思いのほか寒く背が縮こまった。

 握り拳をつくって息を吹き込み、手を擦り合わせながら歩く。「じゃ、私らバスだから」と栞奈がつかさと一緒に反対方向に進んでいく。

「私ら仲良し二人組も帰ろっか」

 何の気なしに言うと、桃の肩がぴくと跳ねた。そして、わずかに顔がふにゃっと緩む。
「う、うん」と目を逸らしながら返答してくる頃には、もう元に戻っていたけど。

「ごめん。よく考えたら恥ずかしいね」

 校門から少し歩いたところにある信号で足を止めて、桃の顔を覗き込みながら言う。そりゃみんなの前と二人きりとでは違うか。
 わたしらなかよしーわーわーって感じでもないし。お互いに。

「や、うれしいなって、思って」

 けれどこちらを向いた桃の表情は、また柔らかなものになっていた。素直に喜んでくれているみたいで、私も言葉面だけだった恥ずかしさを実感して、頬のあたりが熱くなる。

「ふゆ、照れてる?」

「えぇと、うん」

「ふふふ、言ってきた本人が照れるなんて、面白いね」

 桃はちょっと困ったように笑う。その通りだった。

136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:24:46.49 ID:j0AiLQi+O

 歩いているうちに、さっきまでの凍てつくようだった寒さにも慣れてくる。ここらへんは市街地で街灯はあるけれど、秋と冬の境あたりの空は澄んでいて、目を凝らさなくとも星が光っているのが見える。

 星の名前とかを知っていれば、そういう話をできるのにな。まぁ単純に星綺麗だねって感じでもいいと思うけど。

「あっ……と、もう着いた」

 そんなことを考えているうちに、駅は間近まで迫っていた。いつもより早く感じたのは気のせいか。

「着いたね」

 と歩いている間ほぼ無言だった桃が頷く。

 それじゃあ、と言いかけたところで、

「ねえ、ふゆ。あの……」

 少し迷ったような小さい声で呼び止められる。
 言葉の続きを待っていたが、何か緊張しているような、ともすれば言葉を探しているような間が空いた。

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