Helleborus Observation Diary 

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 02:54:24.10 ID:ShxRzgitO


【0】



 今となってはとても昔のことのようで、けれど歳月にしてみればまだ数年前の話。

 小学生の頃、かなりのお祖母ちゃん子だった私は、たくさんの時間をお祖母ちゃんの家で過ごした。
 自分の家がどちらかと聞かれたら答えを迷うくらい、朝も夜もそこに居続けた。

 両親が忙しそうにしていたことも大きな理由だけれど、やはり一番の理由は、私がお祖母ちゃんのことを好きで、なついていたからだろう。
 だから、お父さんの転勤が決まったときも、私は積極的に付いていこうとはしなかった。

 まあ、ここはさして都会ではなく住むのに適していて、幼稚園から仲良くしていた友達と離れたくなかったという事情もある。
 いきなり知らない土地に行くと言われて気が乗らないのもあたりまえのことだし、
 私自身がこの場所を気に入っていたというごくごく普通の理由に言い換えてもべつにかまわない。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1571680464
2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 02:55:42.68 ID:ShxRzgitO

 両親からの質問と私の返答は、とてもシンプルなもので、

 ──お母さんとお父さんと一緒に行きたい?
 ──べつにどっちでもいいよ。

 ──じゃあ、お祖母ちゃんと今までみたいに過ごしたい?
 ──まあ、それは、うん。

 たしか、そんなあっけないやり取りで、お祖母ちゃんの家にとどまることが決まった。
 というより、決められた。初めから私の意思なんてものは意味をなしていなかったように思える。その真偽はどうであれ。

 もしかしたら転校するかもしれない、と告げていた当時の友達は私がここに居続けることを喜んだ。
 抱きつかれて、泣きじゃくられて、どうしてか私もつられて泣いた。
 あまり泣くという行為や涙そのものに縁が無いから、ぱっと思い出せるうちで最後に泣いたのはその時だったように思える。

3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 02:56:38.69 ID:ShxRzgitO

 私から見たお祖母ちゃんは、真面目で、すごく優しい人だった。
 褒めるときはちゃんと褒めてくれて、叱るときはちゃんと叱ってくれる。
 子供は子供らしくしてるのが一番と、口癖のように言っていた。私としては結構ワガママを言っていたつもりだったけど、それでも足りないというように世話を焼いてくれた。

 ああでも、コーヒーや紅茶には砂糖を入れて飲みなさいと言っていたのは、単にお祖母ちゃんの好みだったのかな。甘いもの好きだったし。
 お祖母ちゃんの影響を受けた部分も結構ある。性格については、多分そんなに似てない。私はだいぶ不真面目で、別段優しいわけでもない。

 似ているのは、食べ物の好みとか、そういう部分。甘いものは私も好き。辛いものは少し苦手。
 テレビはあまり観ない、本はそこそこ読む、夜に弱くて朝はそれなりに強い、つまり早寝早起き健康体。
 趣味も、ちょっとだけ影響を受けた。当時はあまり惹かれなかったものなのに、今では毎日のように触れている。

 嫌いなものは、そこまで、いや、まったくと言っていいほどなかったと思う。
 そういうことを私の前では口にしない人だったし、それ以前にお祖母ちゃんの嫌いなものに触れる機会が少なかった。
 でも、ひとつだけ言えることがあるとするなら、お祖母ちゃんは、軽々しく他人と約束をしない人だった。
 果たせない約束、果たす気のない約束、果たしてくれないと思う約束。

4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 02:57:17.17 ID:ShxRzgitO

 ──どんな些細なことでも話せる友達と、心から好きだと思える人を見つけなさい。
 ──それは、絶対に受け身では駄目、自分でちゃんと考えて、慎重になりすぎる必要はないけれど、選ばれるよりは選ぶようにしなさい。

 一言一句はっきりと覚えている、私がお祖母ちゃんと唯一交わした約束。
 その約束の真意とか、そういうものは何も分からないまま、差し出された小指に、曖昧に指を掛けた。

 周りに友達がいっぱいいるのは当たり前で、好きな人は周りにたくさんいて、わざわざ口にせずともいろいろなことが伝わって。
 幼く狭い世界では、重ねるようだけど、本当にそれが当たり前で。目に見えるものが全てで、それはこのままずっと変わらずに続くものだと思っていて。
 私の経験は、私自身の辿ってきた道で、これまでの自分とこれからの自分は地続きになっていて。
 誰かと関わって、少しずつでも影響を受けて、変えられて、もしその誰かと離れても、変えられた私はそのままで。

 選ばれるよりは選ぶように。
 選択を、誰かに委ねるか、自分で下すか。

 ふと振り返ったときに、元来た道に戻れるのは、そのどちらなのだろうか。


5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 02:58:48.94 ID:ShxRzgitO


【1】






 目の前に差し出された小指。
 私のよりも、幾分か細くてしなやかなそれを視界に捉えながら、ついさっき言われた言葉を思い浮かべる。

 えぇと、私の聞き間違いじゃないよなあなんて思ったけど、できればそうであってほしかったけれど、それはまずなさそうだった。なにせ相手は目の前に座っているのだから。
 どう考えたって間違えようがない。ない、ないのだが、いや待ってくれ。隣に座っている友達と斜め前に座っている友達もご飯を食べる手が止まってる。
 けれど、この場にうまく言い表しがたい空気をもたらした帳本人は、私を含めた三人の困惑なぞなんのそのでにこにこ笑って、こっちを見ている。

 ……うん、えっと、正直なにがなんだか分からない。

 想定外な出来事に対処するために必要なのは、多分、その状況を整理すること、なはず。とりあえず気持ちだけでも落ち着きたい。
 頭が真っ白になっているわけではないから、そこまで落ち着いてないってわけでもない。でもかといって冷静でもいられない、みたいな。首が勝手に傾く。

6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:00:03.23 ID:ShxRzgitO

 晩秋、風流っぽい言い回しをするなら、雪待月やら小春日和の候とでもいったところか。
 日が完全に短くなってきていて、なんとなく憂鬱さと物寂しさが入り交じった季節。外で息をすれば白が空に溶け、肌を刺す寒さが襲ってくる。

 今日は久しぶりの秋晴れで、こんな天気なら中庭に行ってお昼ご飯を食べるのが習慣になっていたけど、最近はもう毎日のように学食のお世話になっている。
 テーブルの上には各々の食事と、すぐ近くの購買で買ったプリンが置いてある。

 そして目の前に座っているのは、私の友達の一人。
 桃、と私は名前をそのまま呼んでいる。他にはももちんやらもももやらあった気がするが、いつの間にかお蔵入りしたようだった。
 思い返してみると、私は今まで桃に対してあだ名のような呼び方を一度もしていない。初めて名前を聞いたときから、ずっと桃のままだ。

 持ったままでいた箸を置いて、目を戻してから、桃に訊ね返してみる。

「あのさ、桃、もっかい言って」

「……うん?」

「さっきはなんて?」

「さっき……あ、あー、これね」

7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:00:35.95 ID:ShxRzgitO

 これねこれね、と桃は小指を立てたまま手をぷらぷらさせる。
 僅か数十秒前のことを忘れたわけではないだろうけど、桃に限ってはそうとも言い切れない。
 私がこのまま黙って待ってれば話し始めてくれる。……かな。結構ビミョーな感じがする。

「なんていうの、あまりものどうし付き合っちゃわない? っていう提案」

 桃がこういう時に続きを自分から話し始めるのは珍しい。
 それに言ってる内容まで珍しい。いやまあ珍しいって言葉は適切じゃないかも、この場合はなんて形容するべきか。
 少なくとも友達同士での日常会話で出てこないことはほぼ確実だと思う。

「あまりもの」

「そう、あまりもの」

「……具体的に言うと?」

「ふゆとわたし、だけど……あれ、伝わってない?」

「どうだろ、分かるような分からないような」

8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:01:30.45 ID:ShxRzgitO

 桃は小指を引っ込めて、少し悩んだように腕を組む。様子からして冗談を言っているわけではないようだ。
 ふゆと、で私に指を向け、わたし、で自分に指を戻す。それは分かるから、と伝える間もなく、

「栞奈ちゃんは、前から彼氏さんがいるじゃん」

 と私の横に座っている栞奈に話が飛んだ。

 栞奈は、多分私たち四人のなかで一番まともな女子高生。成績優秀で部活も真面目。文武両道を体現している優等生。
 それでいて真面目すぎるようなきらいはなく、メリハリが出来ているタイプで、何気ない所作に頭の良さを感じる。
 実際、制服もそれなりに着崩していて、スカートの丈も四人の中では一番短かったりする。

 そんな栞奈の「そうね」という返事で、ああそういえば彼氏がいるとかなんとか言ってたような気がしなくもないな、と遅れて思い出した。
 いつか写真を見せてもらったことがあった。印象は……特に覚えていないけど、仲は良さそうだった。付き合ってるなら当たり前か。
 自らそういう話をしたがるタイプではないからすっかり忘れていた。同じ学校ならともかく、栞奈のお相手さんは他校だし。

「つーちゃんも……あっ、つーちゃん改めましておめでとう」

9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:02:20.26 ID:ShxRzgitO

「お、おー。ありがとう」

 こっちはこっちで、戸惑った様子を少しも隠すことなく、私を見ながら返事をする。
 それもちらちらとではなく、じっと。特徴的な大きな瞳で、じぃーっと、見つめてくる。

 つかさのこういうところは、控えめな反応を向けてきている栞奈とは対称的に思える。
 感情の発露がストレートで、表情にも態度にも出やすい。細い身体と俊敏な動きも相まって、どこにいても目に付く。
 座っていると分かりづらいが、手足がそこそこ長い。身長はこの中で一番低いけど、クラスでは真ん中くらい。高校に入学してから一年のうちに何センチか伸びたらしい。

 あと、少し前に恋人が出来たらしい。
 テーブルの上のプリンは三つともつかさのものだ。細やかなお祝いとして三人から一つずつ渡した。

「伝わった?」

「まあ……」

 栞奈とつかさに恋人がいる。桃と私はあまりもの。『付き合っちゃわない?』という言葉。
 そこから照らしてみると、簡単に答えに行き着く。

10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:03:10.73 ID:ShxRzgitO

「どうかな?」

「いや、どうって言われても」

「楽しいと思うよ?」

 なんだか押しが強い。必死さとは違うけど、迂闊に流せもしないような。

「楽しい例をあげよ、楽しい例を」

 何をどう返事すればいいのか分からないから、とりあえずおどけて見せる。
 言葉を選んでる暇もない。私と桃より、栞奈とつかさの居心地を優先する。

「えと、土日に遊んだり、夜に電話したり、学校から一緒に帰ったり……」

 指折り、桃はあれこれと数える。
 どれもしたことがあるようなものばかり、でも、言っている桃は少しだけ楽しそうに相好を崩している。
 まるで、その場面を想像しているように。……私もしてみたけど、そんなにっていうか、現実的な範囲を出ない感じで、普通? だった。

「どれも付き合わなくてもできるじゃん」

「そうでもないよ」

「んー……そうかな」

11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:03:55.21 ID:ShxRzgitO

「だって付き合ってたらもっと楽しい気がするし」

 なんて言いながら、「ね?」と桃はつかさの顔をちらりと見る。
 一瞬きょとんとして、何を思ったか「そうだぞー」とうんうん頷きを返すつかさ。めっちゃ流されて言ってる感が半端ない。

「ちょっとちょっと、ふつーに困ってるよ」

 ふわふわしたやり取りを見かねて、先ほどから静観していた栞奈が助け船を出してくれる。
 が、その先を続けるつもりはないらしい。デリケートというか、単に口を挟むのが面倒な話題だからだろう。

「あーそのー、大丈夫大丈夫。ちょっと驚いたのと、少し考えてるだけ」

 言うと、思った通りに栞奈は「そっか、悪いね口挟んで」とあっさり引き下がった。

 そして何事もなかったかのように食事に手を付け始める。
 関わるには関わったからあとは二人で話せ、ということだろう、多分。

「ちょっと気になったんだけど」

「うん」

「桃はわたしと付き合ったらなにをしてくれるの?」

12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:04:21.06 ID:ShxRzgitO

 最初に聞くべきことはもっとあるはずだけど、単純に思ったことを口にしてみる。
 つかさの目はまだこちらを向いているけど、この際気付いていない振りをしよう。

「さっき言ったみたいなことだよ?」

「遊んだり?」

「うん、うんうん」

 またしても、ほわあ、と効果音が出ていそうなくらいに桃の顔がほころぶ。
 そういうことじゃなくて、と言いたいのはやまやま。困った顔でもしてみればいいのか。

「もうちょっと練ったらまた聞かせて」

 掘り下げようともして、結局そうはしなかった。なんだかもっとふわっとしたのが飛んできそうだと思ったから。
 それにせっかくのランチを残してしまってはもったいない。柱の掛け時計を確認すると、もうあまり休み時間が残っていなかった。

 もそもそ食べていると、予鈴とともに「次の時間は体育らしいよ」と食べ終わった二人が食器を片付けて行ってしまう。
 らしいよってなに。すっかり忘れてたけど。
 残される桃と私。食べるペースはどちらも遅め。体操着に着替えなきゃいけないし、このままでは遅刻必至だ。

13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:05:03.66 ID:ShxRzgitO

「次の体育って、種目分かる?」

「マラソン」

「うわ」

「ふゆ、うそだよ。先週の続きで、自由時間だと思う」

 うだうだ話しながら、どっちもペースを速めようとはしない。
 もう遅刻確定だろうと思っているところに「一口食べる?」と今度は指ではなくスプーンが私に向く。
 マイペースというか、なんというか、こういうところはとても気が合うところだと思う。

「なら隅っこで暇つぶししてよう」

「……んー、わたしは少しだけ動こうかなって思ってた」

「そう、がんばって」

 ひらひらと手を振ってみると、桃は自分の前髪をさらりと撫でるように梳いて、そのまま耳に掛けた。
 そして、すぐに笑う。眼鏡を掛けているわけでもないのに、くいっと眼鏡を上げるようにこめかみの辺りに触れながら。

「今日はバドしよっか」

14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:05:38.28 ID:ShxRzgitO

 どうやら、提案すれば私は断らないだろうと確信を持っているみたいだ。
 桃は最近になって、こういうふうに私の振る舞いを読んでくることが多くなった。

「いいね」

 まあたしかに、断りはしないから間違いではない。
 
「ふゆはバド得意?」

「どうかな。あんまりやったことない」

 先週の体育は四人でテニスをした。
 クラスの人たちは体育館でぬくぬくドッジボールとかバレーをやっていたけど、つかさと桃の思いつきでそうなった。

「そうなんだ……あ、うん、そっか」

 半笑いで桃が頷く。

「……いまなんか失礼なこと考えたでしょ」

「いやいや、全然」と桃は両手を振って否定したけれど、表情までは誤魔化しきれていなかった。

 シングルマッチ総当たり戦。
 ばりばり現役運動部の栞奈は仕方ないにしても、帰宅部のつかさと桃にも惨敗した。
 私が打つとテニスボールがあちらこちらに飛んでいく。明後日の方向って上手い喩えだな、と思うくらい。

15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:06:04.94 ID:ShxRzgitO

「食べ終わったし、そろそろ行こっか。……あ、わたし片付けてくるね」

「お、ありがとー、やさしー」

 学食のおばちゃんとにこにこ会話してから戻ってきた桃と連れ立って廊下を歩く。
 他の生徒の姿はない。ちょっと急いだ方がいいのだろうか。桃の横顔を盗み見て、まあいいか、となった。

 ふと思ったけれど、さっきのアレもそういうことだったりするのかな。桃からだけってわけではないけれど、私は人に何かを提案されれば、まず断らない。
 自分でその何かを決めるのが面倒だから。ちょっと押されれば、割とあっけなく傾く。そういう自覚はある。
 それに頼まれることの希少さが拍車をかけている。私に頼み事をしてくる人なんてそうそういないのだ。

 だとすると……。
 いや、だとしても、とりあえずの感想はさして大きくは変わらない。

 もし仮にそういう関係になるとしたら、こういうふうにふわふわしているのはあまりよろしくない。

16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:06:54.96 ID:ShxRzgitO

「んー……」

 そんなことを思ったがすぐに、ちょっと違うかも、と歩きながら頭を振る。
 階段に差し掛かったところで足を止めると、桃も同じように足を止め振り返った。

「どうしたの?」

 至近距離から私を見つめる、透き通った瞳。
 私より背が頭半分くらい高いから、必然的に見下ろされる形になる。

 一年と半年前、桃と初めて出会ったときに抱いた印象は、"綺麗な子"だった。
 どこが綺麗かっていうと、全体的に。サラサラの黒髪とか、すらっと伸びた脚とか、姿勢の良さとか。
 顔も……なんか、勝手に評価するのも悪いけど、品のある? 美人系? だと思う。

 けれどなんとなくゆるい。ふわふわしている。普段の表情、雰囲気、ちょっとした仕草が。
 吹けばどこかへ飛んでいってしまいそうで、見ていて少し不安になる。

 そうか、と気付く。簡単なことだ。
 桃自身がふわふわしているのだから、ふわふわしているのはある程度のところまでは致し方ないのかもしれない。

 正しくは、ふわふわしすぎているのはよろしくない、だろうか。

17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:07:39.92 ID:ShxRzgitO

「……あ、これもちが」

 う気がする、と言いかけて、それも違うのではと心の中で指摘する。
 ちが? とこちらを窺う目に、いや、と即座に返す。

「……あーあのね、桃って歩きかたが綺麗だよね、って」

「え? え、え、っと……」

「それだけ。ごめんね急に立ち止まって」

「……ううん。ちょっとおどろいた、えと、よろこんでいいやつ? だよね?」

 桃の言う、楽しい楽しくない以前に。
 私の思う、ふわふわしているしていない以前に。

 真面目な提案をしているのであれば断りはしない、というのがどうなんだろう。
 ……なんて。

「うん、よろこんでいいやつ」

 直感的に判断してみると、そこまで怖くはないだろうと思えてしまう自分が少なからず意外に思えた。

18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:08:15.78 ID:ShxRzgitO




「ふゆ、これからなにか用事ある?」

 六限の授業が終わると、桃が隣の席から話しかけてきた。少し眠気に誘われていたのもあって、ぐいんと伸びをしてから「んー特には」と返す。
 一応、あることはあるけれど。あまり大したことではないから、なにか用事があると言うなら、そっちに合わせることはできる。

 担任が教室に入ってきて、細かい連絡を済ませてお開きとなる。掃除当番は先週だったから今週は休みのはずだ。

 通学用の鞄に荷物を入れて、上着に袖を通しつつ横を向く。
 桃も同じように帰る準備をしてるところで、私の視線に気付くとすぐにこちらを向いた。

「じゃあ、駅までいっしょに帰ろうね」

 そう言いながら、椅子を戻して隣に並んでくる。そういえば最近お互いに予定があって一緒に帰っていなかった。
 わざわざ用事があるかを聞いてきたのは、私が自転車で桃は地下鉄だからだろう。普段は校門で別れるから、駅まで歩くことはあまりない。

 既にジャージ姿に着替えていた栞奈は今日も部活があるようで、一言「またあしたー」と教室を出て行った。

19 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:10:31.44 ID:ShxRzgitO

「そうそう、マフラーを新調したのです」

 桃は鞄の横ポケットに手をやって、くるくる巻かれているマフラーを取り出した。
 幅が広めで、どっちかといえばストールに近い気もするけど、生地は厚めだからどうなんだろう。違いが分からん。
 色は白っぽいベージュに何色かのパステルカラーが入っているもので、たまに桃が身につけているカーディガンと同じような色合いだった。

「巻いてくださりますか」

「えー、自分で巻きなよ」

「朝に練習したんだけど、上手く巻けなかったの」

「今日そこまで寒くないから、また練習してらっしゃい」

「えー……」

「……わかったわかった。仕方ないなぁ」

 もっと寒くなれば、私もマフラーやら首元を覆うものを引っ張り出す必要がありそうだ。
 これぐらいでへこたれてたら今年の冬は越せないぞ、という眼差しを桃に向ける。

「なんかこうやって巻いてもらうの、新婚さんっぽいね」

 めっちゃ鮮やかにスルーされた。その感想は分からなくはないけど。新婚さんが巻くのはネクタイかな。
 今時そんなステレオタイプな夫婦はいるのだろうか。ていうか、巻き方こんなでよかったかな。

20 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:11:02.22 ID:ShxRzgitO

「ありがとう。ふゆの巻き方にしてみたかったんだよね」

「ちゃんと巻き方覚えた?」

「ん、んー……」

 視線を落として、マフラーをぐいぐい。首を捻ってから私を見て、「まあまあ」と一言。
 絶対明日になっても覚えていない気がした。

 教室の掃除の邪魔になっていたので、そそくさと廊下に出る。窓から吹き付ける風はわずかに温い。

 クラスメイト数人とすれ違って、まばらに手を振る。大半は私じゃなくて桃に挨拶をしているのだろうと思う。
 桃はけっこう社交的。私は……まあ、人付き合いが苦手ではない程度、なのかな。あまり三人以外とは話さない。

「あれ、靴変えたの?」

 階段を降り、下駄箱から靴を取り出すと、桃は不思議そうに私の手元を指さした。

「よく見てるね」

「ふふん。なんだかいつものよりもスポーティーな感じだね」

「間違って履いてきたの。制服だと浮くからいつも履いてない」

「あ、そうなんだ。わたしも走りやすい靴買おっかな」

 ふゆと同じのとか、と陽気に笑う。もちろん冗談だろう。

「じゃあ帰りますか」

 桃が靴紐を結び終えたのを確認して言う。いつもほどきっぱなしの私と違ってえらく真面目なこと。

21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:12:54.83 ID:ShxRzgitO

 そんなこんなで外に出る。
 駐輪場に自転車を取りに行こうとすると、桃は察してくれたのかこくっと頷いて足を止めた。

 鍵を開け、サドルが少し高めなスポーツタイプの自転車に跨がる。すいすい漕いで桃のところまで戻って降りる。
 そのまま自転車を押して校門まで歩いていると、後ろから「おーい」と大きな声が聞こえてきた。

「あ、つかさか」

 ぜいぜい息を切らして、つかさが私たちのところに走ってきていた。

「はーっ……。二人ともわたしを置いて帰っちゃうなんてなんてひどいなー」

「教室出てったからもう帰ったんだと思ってた」

「んーまー……なんつーか、呼び出しってやつ」

 軽い口調で、つかさは未提出の課題を出しにいったということを口にした。
 提出期限が今日までだったらしいが、そんな課題には聞き覚えがなかった。隣の桃も同じことを考えているようで、口元に指を添えて首を傾げていた。

 桃、私、つかさの順に並んで歩く。この三人になると、たいてい私が真ん中になる。
 自転車があるから外側に行きたいのだけれど、桃はすぐに私の左側を取るし、つかさも自然に逆側に来る。
 挟まなくたって逃げはしないのに。信用ないのか……いやそもそも二人を無視して自転車に跨がって帰ったりしたこと自体ないのだった。

22 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:13:32.46 ID:ShxRzgitO

 学校から駅までの道は、まっすぐ行けば十分ちょい。東口へと繋がる道を通るのが最短ルート。
 ただ道幅が狭いから、自転車で通るには充分だけど複数人での歩きには向かない。
 なのでいつもぐるっと遠回りして西口の方に向かう。こっちの方が人通りが多いし、街灯があって夜でも明るいからだ。

「ふゆゆとその愛車を見てるといつも思うんだけどー」

 つかさは私の自転車をポンポン叩いて、明らかな思いつきを口にする。

「ふつーにパンツ見えない? てか見える、ゼッタイ」

「はあ」

 質問かと思ったけどそうじゃなかったみたいだ。言ってるうちに自己解決されても困る。
 それにしても、パンツて。女子高生が街中で言う言葉とは思えない。

「ふゆゆ乗ってみてよ」

「そのフリで乗るかなぁ……まあいいけどさ」

 つかさの言ったことには特に気を遣わずに、いつも通りに跨る。
 すると、すぐに聞こえる「おお」という声。

「すげー、全然見えない。鉄壁じゃん」

23 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:15:11.10 ID:ShxRzgitO

 それだけ言って、つかさはさっさと前に歩いていく。ゲンキンなやつってこういうこと。
 髪先を摘んでぼーっとこちらを見ていた桃は、私の視線に気付くと一瞬で目を逸らす。……なんだろ?

 しばらくゆるゆると歩きながら他愛のない話に興じる。話題は今日の体育について。

 分かりきったことだったけれど、バドだったら得意ということもなく、テニスとそう変わらなかった。来たシャトルを返すので手一杯。桃のミス待ち。
 でも桃もあまり得意でなかったのが幸いして、勝負としてはあまり酷いものではなかった。どんぐりの背比べ感がやばかったのは忘れることにする。

 一方で、つかさは栞奈とまたテニスをしていたらしい。「今日は三勝二敗、先に十回勝った方にジュース奢りなのだ」と。ほんと仲良いな。
 一年の時は二人と別のクラスだったから、どのようにして仲良くなったのかは知らない。四月には今の感じだったはずだ。

「つーちゃんって昔から運動得意だよね」

「んーそんな得意ってほどではないけどー、まあ体動かして汗流すのはいいよね」

「そうだね、うん。運動はたまにならたのしい」

「んじゃ次の体育またテニスする? この前負けたからリベンジ!」

24 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:15:44.62 ID:ShxRzgitO

 この組み合わせも仲が良い。いやどこかのペアは仲悪いとかそういう意味はなく、シンプルに。
 小中学校が一緒のところで、何度か同じクラスになったことがあるとかなんとか。幼馴染っぽいやつ、とつかさが前に言っていた。

 昔の自分をよく知っている同級生がめっちゃ身近にいるのってどんな感覚なんだろう。
 私にはそういう人がいないから、だいぶ未知の領域だ。今度それとなく聞いてみようかな。

「もう着くけど、どこか寄ってくの?」

 そろそろ駅が見えてくるところだったので、桃に声をかける。
 おそらくなにもないんだろうと思うけど、まあ一応。

「このまま帰るつもりだった、けど」

「そっか。行きたいとことかないなら、ここで、だね」

「うん……えっと、そうだね」

「じゃあ、また明日ね、ばいばい」

 階段を下っていく姿をちょっと見ていると、桃がちらっと振り向いた。
 手を振り返すのを忘れていたと思ったみたいだ。やっぱり律儀。

25 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:17:03.82 ID:ShxRzgitO




「……ふゆゆはさ、アレどうすんの?」

 信号と歩道をいくつか越えたところで、つかさは落ち着かない様子で私にそう訊ねてきた。

 二人になった途端露骨にそわそわし始めて、お互い無言になっていた。
 質問があるんだけど私から聞いてほしい、と言っているのかと思ったくらいだ。

 やや遅足で進んでいる方角、西の空には夕焼けが広がっている。
 この季節になると、午後四時半にはもう日が入っていってしまう。だから早めに帰りたいんだけど……今日はまあ仕方ない。

「アレって?」

「昼の、その、ももちゃんのやつ」

 若干、緊張しているような顔。出会って間もない頃によく見た記憶がある。
 基本的につかさは気にしいな傾向がある。気にしいって使い方あってるのか分からないけど、神経質とか心配性とは違っているはずだ。

「ああ、うんと……」

 答えようとして、答えがないことに気付く。
 どうするって、どうするんだろう。その場ではなんて言ったんだっけか。

26 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:18:48.83 ID:ShxRzgitO

「さあね、どうするんだろ?」

 思ったままを口にすると、つかさはがっくりと肩を落とした。
 そして、わたしに聞くなよ、と声を出さずに口だけ動かす。聞いてきたのはつかさの方なのにね。

「桃の考えてることが全然分からないから、どうするもしないもないでしょ」

「んー……そんなに分かんないの?」

「え、いや逆に、桃の考えてることって分かる?」

 そりゃ一年も友達をしていれば、なにを考えてるかくらいはなんとなく分からなくもない。
 つかさみたいに物凄く分かりやすいってことはないにしろ、表情に気持ちが出ていることは少なくない。

 でも、それは多少なりとも程度の差はあれど誰にでも言えることだ。
 エスパーでもサトリでもない普通の人間は、相手のことを分かっている気になっているとしても、それはそこそこの域を出ない。

「いやわたしもまったく」とつかさは言う。ちょっと意外。私よりは分かるだろと思ったから。

「ていうか、そんなに気になる?」

27 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:19:51.48 ID:ShxRzgitO

 最初に言われた時は驚いたけど、私自身がもうさしてそのことを気に留めてはいなかった。
 桃も昼休み以降その話をしてこないし、私からする理由もない。真意があるにしろないにしろ、それを問い質す理由もない。
 もうちょっと考えて的なことを言ったから、もうちょっと考えてきてくれるだろう、という甘い考え。だって、それしかないし。

「そりゃ気には……うぅん、あーいや」

 ええもうめっちゃ気になります、と言われても困ったけど、こうして微妙な反応をされても変な感じになる。
 しばらく、つかさは念仏を唱えるように「あー」とか「うーん」とか言っていたが、結局押し黙ってしまった。

「桃がすっごく真面目な感じだったら、私も同じように真面目に考えなきゃなっては思うよ」

 という私の返答に、つかさはぱちぱちと目を瞬かせる。

「ふゆゆは、抵抗とかまったくないの?」

「抵抗って?」

「……あぁその、ちょっとは自分で考えよう」

28 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:20:23.19 ID:ShxRzgitO

 そんなこと言われましても。というか、説明面倒だからって私に丸投げしたな。

 抵抗……抵抗? イエスかノー、ではないにしろ。

「桃ならべつに知らない人ってわけでもないし、そういう意味での抵抗ならそんなにない」

「ないのか。いや、でもふゆゆならそうかも」

 つかさが勝手に納得してくれる。「そういう風に取るか……」とぼそぼそ聞こえたけど。
 ていうか私ならそうって、どういう納得の仕方か分からないが……ま、解釈はつかさに任せることにする。

「ふゆゆとももちゃんの二人ならないと思うけど、変に仲悪くなったりしないでよ?」

 やっぱり一番言いたいのはそういうことなんだろうなと思った。

「きっと大丈夫だと思うよ」

「他人事だなあ……。けど分かった分かった、干渉するのはよくない」

 大きい目が糸になったんじゃないかと思うくらいに目を細めながら、つかさは頷く。
 そして、どこからかぐいっと手を伸ばしてきて、ハンドルを握っている私の手を柔らかく包み込んできた。

29 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:20:51.72 ID:ShxRzgitO

「でももしなんかあったら、わたしを頼ってくれてもいいんだからな」

 二人の友達だから、と続けたつかさの表情はまたしても真剣なものに戻っていた。

 そんなに深刻に捉えるなんてとも思ったけれど、私が考えてなさすぎるのかもしれない。
 そう指摘されているようで、返答に詰まる。詰まったところでなにもない。なにも変わらないのだが。

 ちょっと気になったことがある。つかさの言う『干渉しない』は、私の認識とは少し違っている。
 桃も栞奈も、つかさはそこそこ微妙なところがあるけど、一人一人が独立している感じはある。
 それは各々の気質の問題でもあって、いい意味で言えばそういう信頼関係があるとも言える。

 でも、干渉しないわけではない。お互いに思うところがあって干渉しないようにしている、が正しいのだと思う。
 誰が言い出したわけでもないのにそうなっているのだから、そういう関わり方が私たちにとってベストとは言わずともベターなのだろう。

 ひょっとしたら私が知らないところで、いろいろと変わってきているのかもしれない。
 目に見えないものを定義するのは難しい。見えるものだって難しいけれど、それとは別に。

30 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:21:39.45 ID:ShxRzgitO




 朝起きてすること。
 それは、軽く走ること。

 私の家の近くにはけっこうな長さの川があって、いくつかの大きな橋と、河川敷には舗装された道が続いている。
 あまり傾斜がなく車も通らないから、マイペースで走るのには最適なルートだ。自然もそのままで、走っていると気持ちがいい。

 朝にランニングを始めたのは昨年の夏だから、もう一年以上続けていることになる。
 始めた理由は、朝起きて暇だったからなんとなく。ぼーっとしているのもいいが、それならなんでもいいからしたいと思ったから。
 美容のためとか、健康維持のためとか、そういったことは全然ない。そういう理由なら逆に続かなかったとすら思う。

 けどそれなりに成果というか、効果のようなものは出ている。朝ご飯が美味しく食べられるのだ。
 って言っても、サラダと果物しか食べないけれど。小食気味だから、ちゃんと食べているだけでもいいことである。

 走りながら腕時計で時計を確認すると、もう五時を過ぎていた。
 この時間に走っている人はそこそこいて、これからの一時間で人数が増える。
 人気のランニングスポットであるとともに人気のサイクリングスポットでもあるので、ちょっと周りに気を付けなければならなくなる。

31 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:22:29.08 ID:ShxRzgitO

 だからその前に、さっさと往復して帰路に就く。寒いし寒いし、あと寒いし。
 自分がもともと寒がりなのもあって、手袋をぴっちりはめてモコモコのウインドブレーカーを羽織っていても寒い。
 昼と夜は耐えられても、朝の寒さは苦手だ。心持ちの問題だと思うが、少し気にして厚着をしてしまう。
 十二月でも元気に走っていた昨年が懐かしい。今思えばすごかったと思う。ハーパン生足とかのときもあったし。

 私が走るのと同じタイミングで走っているのは、だいたい四人か五人。
 今いるのは、めっちゃガチガチの服装で走っている二人組のお兄さん、多分サッカー部の男の子、大学生くらいの帽子のお姉さん。
 ほぼ毎日顔を合わせるものだから、自然と会釈をするようになっていた。まあお姉さんからされて返すだけだけど。
「どうも」とにこやかな笑みを向けられて、「どうも」と同じように返す。で、走っていく。お姉さんはめっちゃ速いから、後ろ姿はすぐに小さくなっていく。

 ふと河原に目を向けると、水上に鴨の集団がたむろしていた。パンかなにかを放りこまれるのを待っているっぽい。
 階段を下りて近付いていくと、一旦逃げていったけれどすぐに戻ってきた。ごめん、ねだられてもなにも持ってきてない。

32 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:22:55.55 ID:ShxRzgitO

 すーっと澄んだ空気を吸い込む。太陽が出て、日差しが差し込んできた。低い位置にある鼠色の雲はゆったり動き、水面を鈍く染める。
 休憩ついでに体育座りで鴨を眺めていたら、そのうち私に興味をなくしたらしく対岸に泳いでいってしまった。
 ぱしゃぱしゃと小さい音を立てて、今度は鴛鴦がやってきた。後ろの石段に両手をついて、ちょっと観察する。鴛鴦はめったに逃げてかない。
 鮮やかなのが雄で、色味が少ないのが雌だったかな。最近気付いたことなんだけど、鳴き声も若干異なっているみたいだ。
 そのどちらとも違う鳴き声が聞こえて振り向く。木の上にトンビがとまっている。こっちもエサ目当てだろう。

 あまり野鳥に詳しくないので、すっごく有名どころのものしか分からない。あ、白鳥だ、と思い込んでいたものが白鷺だったり。
 本屋で野鳥図鑑と数十分睨めっこして諦めた。今日もいるなー程度に留めておく方が楽しいし性に合っている。

 秋の河原沿いを彩る木々にしても、それなりに同じことが言えるかもしれない。
 紅葉といえば、モミジにカエデにイチョウに、結構いろんなのがあるけど、色付いているのは目で見ればはっきりと分かる。
 だけどそれらについて、見たもの以上のことを想像したりするのは難しい。相手が人間でも難しいのだから、他の種ならなおさらだ。

33 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:23:37.04 ID:ShxRzgitO

 砂利道を歩き、堤防の傍ら水の流れが堰き止められ、小さな草むらが出来ているところに目を向けると、今日もいた。

 一匹の白鳥。仲間の飛来を待っているのだろう、十月に姿を確認してからずっとこの場所に留まっている。
 いつも「おーい」と声をかけると近くまで寄ってくる。寂しいのか、単に近付いてくるものが珍しくてなのか。分からないけれど、他の白鳥と比べれば人懐っこい気はする。
 でも今日は羽繕いに夢中らしく、声をかけても気付いてくれない。一度駄目なら引き下がるのがマイルールなので引き返す。

 もしかしたら好きで一匹だけでいるのかな。だとしたら、私が声をかけるのも考えなきゃいけない。
 勝手に気持ちを推し量ってしまうのは、私の悪い癖だと思う。体が冷えてきたのでもう一度走り始めながら、そんなことを思う。

 秋が終われば、当然のように冬が来る。艶やかな草木も徐々に次の春に向け色を落としていく。
 今は中途半端で、冬になりかけてはいるけれど、まだ冬ではない。
 昨年は十二月半ば頃に多くの白鳥を見たので、それまでは私が影ながら見守っていようと思うのだった。

34 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:24:06.81 ID:ShxRzgitO




 教室の窓を開けて、新鮮な空気を取り込む。閉め切られていた空気は重く、ちょっとだけ苦い。

 ここに来て、やることはやった。ので、自分の席に座って鞄から本を取り出す。
 授業とはまた別のお勉強、というとなんかすごい真面目っぽいな。趣味の延長……にしても真面目っぽい。

 今日の授業の予習は前の休みに済ませた。それほど量はないし、難しいものを出されたこともない。
 簡単な問題を、時間をかけずに解く。答えがあるものはそれでいいから楽。
 ぼーっと眺めて、目が滑ってきたところで本を閉じる。栞を挟むのを忘れたことに気が付いて、ページを読んでいた位置に戻す。

 目が覚めていない。走って、ご飯を食べて、自転車を漕いでここまで来て、だから眠さとは違うけど、頭がまわらない。
 こういう時に、家だったら嫌々寝室に戻るかリビングのソファにもたれかかったりして時間が過ぎるのを待つけれど、今はどうしようか。
 予習を済ませてしまったのがここらで効いてくるとは。じゃあ次の予習をしよう、とはならない。そこまで真面目ではない。

35 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:25:36.15 ID:ShxRzgitO

「……眠い」

 そう言えば眠くなったりしないかな、と思って、でもそうならないことは分かっていて。

 教室には私以外の誰もいないが、ちょっとだけ周りを気にする。
 私の次の子が来る時間まではまだまだある。騒いだって、なにをしたって自由な時間だ。

 席を立って、教室内をふらふらうろつく。

 目に付くものは多々あるけれど、目の前を見ていれば一番大きなものに目が向く。
 黒板の落書きはいかにも女子高生が書きましたって感じで、黒板のその部分だけがきらめいているようだ。
 教卓に手をかけ飛び乗り、座ってみる。昨日授業中にやってみたいと思ったことだった。

 先生の目線ってこんな感じなのか。……ずっとやってると噎せそうだな、これ。
 溜息のような咳が漏れる。教室全てに掃除が行き届いているわけではないから、埃っぽくても仕方がない。

 足を揺すると、呼応するように上半身も一緒に揺れる。こうしてるとブランコみたいで楽しいかも。

「……」

 不意に鼓膜を揺らす音に、びくりと体が硬くなる。
 とん、とん、という軽快な音。この音がなんの音かは、まあ足音なんだけど。

36 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:26:23.93 ID:ShxRzgitO

「おはよー、冬見さん。今日も早いね」

「おはようございます、先生」

 それほど耳が利くわけではないが、パンプスとスニーカーの音の違いくらいは分かる。
 生徒のでなければ、必然的に先生のということになる。

「……で、なにしてるの?」

「えっと、暇だったので……あ、降ります降ります」

 言いながらお尻をずらして、足から着地する。
 スカートを払っていると、「降りなくてもいいのに」と変に申し訳なさそうな顔で言われた。

「でも、意外かも。冬見さんって落ち着いてるし」

「さっきまでも落ち着いて座ってましたよ」

「……教卓に?」

「教卓に」

 あまりに真面目っぽく答えたせいか、先生はワンタイミング間を空けて、笑い始めた。
 そういうタイミングとかが大分変わってる人だと思う。気が付くと一人でぷるぷる震えてたりする。

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