Helleborus Observation Diary 

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387 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:37:21.44 ID:7JNODmEA0

「すごいね」

 コートの外からそう呟くと、私たち以外に誰もいなかったせいか、声が体育館内に大きく響く。
 すると栞奈がリングの下から私めがけてボールを投げてくる。ノーバウンドでキャッチできずにわたわたしているうちに、すぐ近くに栞奈はやってきていた。

「ありがとう。でも外しすぎたから恥ずかしい」

「え、アレで?」

「うん」

 手でぱたぱたと顔を扇いで、栞奈は苦笑する。
 毎日のように放課後練習を頑張っているのは知っていたけど、実際にバスケをしている栞奈は初めて見る。

 このところ多い体育の自由時間でも、人数の関係でバスケはしていなかった。

「いつもどれくらいやってるの?」

「はっきりとは決めてないけど、シューティングは朝と練習後に五百本くらいかな。今日は朝に四百やったから、もうすぐ終わり」

「へぇー、すっごい」

388 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:38:37.88 ID:7JNODmEA0

「ま、日課なのよ。勉強もそうだけど、こういう再現性を高める作業は嫌いじゃないから」

「栞奈ってやりこみタイプだよね」

「そうだよ。知らなかった?」

「うーん、そんな感じっては思ってた」

 トランプとかオセロとか、前にみんなでやったゲームなんかも、めっちゃ手練れだったし。
 もっと正しく言うと、やりこみタイプというよりは、勝負事では積極的に勝ちにくるタイプかな?

 さっきもそうだったが、何かに取り組んでいる時の栞奈の表情は真剣そのものだ。
 言うなれば目がマジってやつ。私は逆立ちしてもそうはなれなさそうだから、すごいなと常々思っていた。

「まぁそこが、私の良いところであり悪いところ……とは分かってるのよ」

「うん……そうなの?」

「周りを引っ張っていけるタイプじゃないからね」

 困ったような顔をして私からボールを受け取った栞奈は、もう一度リングの方へと走って向かっていき、シュート練習を再開する。

 やっぱり運動部は大変だ。それが団体競技なら尚更。栞奈みたいにキャプテンならより一層。
 水飛沫のようにネットを揺らし続ける栞奈を見ながら、そんなことを考えた。

389 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:41:27.73 ID:7JNODmEA0




「なんかノってきたから、もう少しやっていこうかな」

 黒色の長袖Tシャツを捲って、栞奈はコートの外にいる私にそう告げてくる。
 何本も連続でシュートを決めていて、すごい全然止まらないなーと思っていたところだった。

「長くなりそうだから、霞は戻って勉強しててもいいよ」

「んー、でも今日ちょっと疲れたから」

「そしたら遊んでればいいじゃない」

「邪魔になるかなって」

「なるほどね」

 教室では、桃とつかさが明日の数学のテストに向けて勉強しているはずで、邪魔にはなりたくない。

「霞は数学得意だから、心配しなくていいか」

「まぁ赤点はないと思うし」

「とか言いつつ、ちゃんと家では高得点取るために勉強しているって私にはバレてるぞ」

390 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:42:22.87 ID:7JNODmEA0

「えー、バレてたかー」

「不真面目そうに見えて中身めっちゃ真面目だよねっていうのが、霞に対しての公式見解」

「なんの公式だそれは」

「秘密の公式」

 とかなんとか、胡乱な会話をしている時に、ガラッと体育館の扉が開く音がした。栞奈が鳴らしているのと同じ運動靴の音が廊下から耳に届く。

「やっぱりキャプテンでしたかー」と栞奈を見つけるなり駆け寄っていくのは、いつぞや廊下で見たことがある一年生。

「誰かと思えば、渡辺じゃない。何しに来たの?」

「えー、シューティングですよー。キャプテンいるかなーって思って、ほらほらちゃんと着替えてきましたし」

「ふうん、そう」

「もー。あたしが来て嬉しいですか? 嬉しいですよね? やったーあたしも嬉しいです! 来てよかったー」

「私まだ何も言ってないよ」

「またまたー、キャプテン素直じゃないんだからー」

「はいはい」

「あ、パス出ししますよ? ていうかしちゃいますよ」

「いやしなくていいから」

391 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:43:30.51 ID:7JNODmEA0

「なんでですかー、しますよー」

 渡辺、と呼ばれた子はぐいぐいと栞奈に迫っていく。
 見た目の印象通り明るい子だ。語尾の全てにハートマークが付いていそうな話し声は、聞いているだけで胸焼けしそうなようなくらい甘い響きをしている。

「あのね、渡辺」

 と栞奈が露骨に面倒そうな口調で言って、こちらを指差す。

 私の姿を確認したその子は、遠目で見て分かるくらいに「わひゃっ」と肩を跳ねさせる。お化けを見た時のような反応はやめてほしい。
 そして栞奈に連れられてこっちにやってくる。なぜかしょんぼりとしていた。

「これはすぐ調子に乗る問題児の後輩」

 栞奈はその子の背中を押して、頭を下げさせる。

「どうもー、こんにちはー……」

「こんにちは」と微妙な気持ちで挨拶を返す。私には普通の喋り方なんだ。

「いきなりうるさくして申し訳ないです」

「あ、いや体育館だし」

「ほんと、ほんと申し訳ないですー」

「はあ」

392 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:44:13.22 ID:7JNODmEA0

「その、キャプテンのお友達さんですか?」

「あーえっと、そう」

 私の返答に、何かを感じ取ったのかもしれない。
 渡辺さんは途端にさっきの勢いを取り戻し、上目遣いで見つめてくる。

「もしかして、キャプテンの彼女さん?」

 私との距離をじりじりと詰めようとする渡辺さんの後頭部を、栞奈が「こら」と素早くチョップする。
「あいたー」とオーバーに頭をおさえる渡辺さんは、痛がっているのになぜか嬉しそうにしている。

「なに訊いてるの。彼氏いるって渡辺に何度も言ってるじゃない」

「でもそれは非実在カモフラ系彼氏なんじゃないかって、本当は校内に彼女がいるんじゃないかって、あたしたち一年の間では噂なんですよ?」

「いないし、どうしてそんなことする必要があるのよ」

「だって、キャプテンに訊いても彼氏さんとのこと惚気ないしー。部活ばかりでデートとかもしてないみたいだし、インスタだってお友達との写真ばかりじゃないですかー」

「ちゃんといるから、変な噂を流すのはやめて」

「あたしが言ってるワケじゃないですよー」

「渡辺しかいないでしょ。それにこの先輩にだって相手がいるのよ。冗談でもそういう質問はやめなさい」

393 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:44:47.86 ID:7JNODmEA0

「えっ……それはそれは、大変失礼しました」
 
 急にかなり萎れた様子で、また頭を下げられる。
 会ってすぐだけど、感情の上下がジェットコースターな子だというのははっきりと分かった。

「いいよ、全然」

 そう言うと、私の目をじっと見た渡辺さんは、背丈と同じく小さめな唇を弓なりに曲げた。

「ありがとうございます、冬見先輩。やはりお優しい」

「……私、名前言ったっけ?」

「ふふふ、あたしたるもの、この学校の見目麗しい人のことは大体把握しているのですよ」

 ドヤァと効果音が聞こえそうなくらい得意げに胸を張る渡辺さんに、「うわぁ……」と栞奈が頬を引きつらせる。
 本気ではないにしろ、だいぶ引いているっぽい顔だ。

「わ、キャプテン。ジョークですからね。ほんとはキャプテンと仲の良い方たちを把握しているだけですからね」

「そっちの方がきもいけど……ていうか、それならさっきの霞への質問は何だったのよ」

394 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:45:21.23 ID:7JNODmEA0

 そうだ、たしかに何だったのだろう。
 二人で目を向けると、渡辺さんは一瞬表情を途切れさせて、

「えへ」

 と甘えるように舌を出した。

「渡辺?」

「あ、あっほんとごめんなさい!」

 叫びながら、脱兎の如く逃げる渡辺さん。
 栞奈が付き合わずに追いかけないでいると、ちょっとしたら戻ってきた。

「こんな感じでも、一年生の中だったら一番上手なの」

「はーっ、キャプテンに褒められると照れますねー」

「こんなところで練習してる暇あれば勉強しなさいってくらい、毎回追試にかかってるんだけどね」

「うぐっ、それを言われると弱いです……」

「でもそれが渡辺の判断なら、私は何も言わないよ」

「そっ、そうですよねー。あたしは一日でも早く愛するキャプテンと一緒に試合出たいですし、練習しないと」

 一瞬たじろいだ渡辺さんは、すぐに取り直したようにへらっとした口調で言葉を紡ぎ、栞奈を二の腕を取ろうとする。

395 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:45:52.87 ID:7JNODmEA0

 それを一歩後退して躱した栞奈は、ちょっと悔しそうにする渡辺さんにふっと笑いかけながら、体育館の照明によっててかてかと光っているボールを渡した。

「まぁあんまり気負う必要はないよ。渡辺とはどうせそのうち一緒に出ることになるから」

「えー? そうなんですかー?」

「うん、多分ね」

「そいじゃ、出たらいっぱいアシストしちゃいますよー。ほかの先輩より、あたしのパスの方がいいに決まってますし」

「はぁ、またそうやってすぐ調子に乗る……」

 テンポのいい掛け合いの後、栞奈は自分の練習を終わりにして、渡辺さんのシュート練習に付き合い始めた。

 議論の余地なしに、栞奈はめっちゃいい先輩だ。
 さっきまでの調子の良い顔ではなく真剣な面持ちになる渡辺さんも、多分めっちゃいい後輩なのだろう。

 これぞ運動部の青春、という感じがする。
 比喩じゃなくまとう空気がきらきらしている。これが俗に言う青春の輝きなのだろうか。

 そんな二人に飲み物でも買ってこようかなと思い、体育館からすぐの場所にある自動販売機に行ったところで、

「霞ちゃん」

 と、横から声がかかった。

396 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:46:27.45 ID:7JNODmEA0

 顔を向けると、淡いピンク色の長財布を手に持ったクラメスメイトの子がこちらを覗き込んできている。

 きっちりと左右対象に結ばれたリボンに、膝丈より少し長めのスカート。
 あるのか分からない校則を一つも破っていなさそうな見た目からは、彼女の真面目さがうかがえる。

 彼女は最近友達になってほしいと言ってきた子で、最近よく視線を感じる子。
 視線を感じるのはこの子だけじゃなくて、この子の友達らしい人からもだけど、今はその話はいい。

「瑞樹ちゃん」

 そう呼んでほしいって、月曜日に言われた。

「自習室で勉強してたの。で、喉渇いて。冬見さんは何してたの?」

「私は体育館でバスケ」

 をする栞奈を見ていた。
 と言おうとしたが、瑞樹ちゃんが途中で「へー」と頷いたので、最後まで言わずに言葉を止めた。

「桃ちゃんと一緒に?」

「ううん、栞奈と一緒に」

「あぁ、栞奈ちゃん。たしかバスケ部だもんね」

「そうそう」

397 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:47:30.07 ID:7JNODmEA0

「霞ちゃんは何買うの?」

 話が途切れると、間を置かずして質問をしてくれる。
 途切れさせるのはほぼ百で私だから、毎回負担を強いてしまっている。

「決めてなかったけど、お茶にしようかな」

「なら霞ちゃんに会えたことに運命感じたから、一緒のお茶にしよ」

「運命ね」

「ふふっ。そう、運命」

「そっか、うん。どうぞ」

 また会話が終わる。何も分からない会話だ。自動販売機の駆動音と、ピッというボタンの音。
 お茶に口を付け、はぁと白い息を吐いた瑞樹ちゃんは、「そういえば」と体を反転させて自動販売機に背中を預け私に正対した。

「霞ちゃんって一人っ子?」

「うん」

「へー、やっぱり」

「……というと?」

「んー、なんかそれっぽい?」

398 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:48:22.34 ID:7JNODmEA0

「そっか。瑞樹ちゃんは?」

「お兄ちゃんが二人いて、末っ子だよ」

「へえ、お兄さん。大学生?」

「二人とも大学生」

「上の兄弟がいるって、なんかいいね」

「うんうん」

「優しくしてくれそう」

 自傷ダメージにならないように気を付けながらだと、それ以上の話の広げ方が思い浮かばなかった。

 また次の話題を振ってくれるから、話自体は続いた。同じことを問い返すことはあっても、基本的には私の話。
 それで瑞樹ちゃんは楽しいのかなぁとは思ったけれど、価値観は人それぞれで、彼女からしてみたら楽しい楽しくないの物差しではないのかもしれない。

 けど、もしかしたら次はないかも、と思う。

 今まで私に興味を持ってくれた友達(になりかけた人)もこういう感じで、
 あまり仲良くなれたとは言えずフェードアウトしていったことを考えると、既視感を覚えずにはいられない。

「次からはなんとかしよ」

 そう呟いてみたはいいが、具体的に何をとまでは考えないあたり、また同じようになるのは目に見えている。

399 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:50:24.75 ID:7JNODmEA0

 まあ、でも、そうなったらそうなったで……。

「……いいと思ってるんだろうな、きっと」

 口にするつもりのない言葉が、意図せずこぼれる。
 追って、溜息が出た。頭の中で思うのと言葉にしてしまうのとでは、意味がまるで違ってくるように思えたから。

「独り言きーちゃったー」

 そこに校舎の影からつかさがひょこっと出てくる。

 なにかやってるなと思ったら、頭を左右に振り低い位置で結ったポニーテールを揺らしながら、顔の前で手を丸めて双眼鏡を作っている。
 聞いた、というよりは見たことを表すポーズ。

「見てたなら、話しかけてくれればよかったのに」

「垣間見は楽しい」

「なにそれ古典?」

「うむ。それにわたしは知り合いではない」

「それはそうだが」

「まーわたしも苦手だから、気持ちはわかるわかる」

 つかさは跳ねるような足取りで私の隣に並び、肩をぽんと軽く叩いてきた。

400 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:51:13.12 ID:7JNODmEA0

「苦手ではないよ。話してて、いい子だと思うし」

「ん? んー、いや、苦手ってのは、人付き合いの方」

「……あー、それは苦手」

「だよね。どうにも苦手なんだよなー。学校の人付き合いとかは特に」

 手を離して、つかさは制服の外ポケットから小銭を取り出し、おしるこを買った。
 ホットドリンクの温度は五十五度付近、という雑学を披露してきた後に、その場にしゃがみ込む。

「ふゆゆにさ、わたしの中学の時の話ってしたっけ?」

「聞いたことないと思う」

「そ。聞きたい?」

「つかさが言いたいことなら」

 普段はあまり合わない目線を合わせると、二重瞼の大きな目よりも、長い睫毛に目がいく。
 あまり見ていても話しづらいかなって視線を下ろしたら、つかさのイメージに似合うハイカットのスニーカーが存在を主張してくる。
 つかさは何でもないような素振りで言った。

「わたしさ、中学三年の夏休み前から卒業まで学校に行かなかったんだ」

401 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:51:41.03 ID:7JNODmEA0

「それって、いわゆる」

「不登校だな。理由はまぁいろいろだけど、でかかったのは人間関係とか人付き合いをミスったことでさ。だから、今でもちょっと苦手なんだよ」

 私の返事を待つように、つかさは閉口して視線を手元の缶に向ける。

「そうなんだ」

 頭の中で五秒数えてから言うと、

「いや、反応薄いな……」

 と、つかさは困ったように頬を掻いた。

「わたしの百八個はある秘密のうちのひとつを教えてあげたのに」

 煩悩の数、あるいは除夜の鐘の数。とツッコミを入れる場面かと思ったけど、なんとなくスルーする。

「私の秘密も言った方がいいかな」

「ってなるのを、へんぽーせーというって栞奈が教えてくれた」

「なにそれ。秘密を明かすと、相手も明かしてくれるってこと?」

「相手のことを知れば知るほど仲良くなれるらしいよ」

402 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:52:45.70 ID:7JNODmEA0

「じゃあ今仲良くなれたんだ」

「なにをー。わたしとふゆゆは元から仲良いだろー」

「そうだね」

 うん、とつかさはニコニコ笑う。
 二年になったばかりの頃には、こうして普通に話せるほどに仲良くなれるとは思っていなかった。

「さっき言ってたけど、ふゆゆって一人っ子だったんだ」

「がっつり聞いてたんじゃん」

「耳がいいからなー。ちなみにわたしも一人っ子」

「ん、知ってる。前に桃に聞いた」

「へー……あ、んで栞奈はお兄さんがいるな。イケメンの、医学部の」

「それは知らなかった」

「栞奈は家族のことを話す時はちょっと不機嫌になる」

「そうなの?」

「なんか地雷っぽいから、気を付けた方がいいよ」

「そういう話はしないから大丈夫」

「ま、そうだよねー」

 けらけらと笑うつかさに釣られて、私の口元も緩む。

403 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:53:58.00 ID:7JNODmEA0

 覚えている限り、栞奈の不機嫌な様子なんて、私は見たことがない。
 機嫌の管理が上手い印象を勝手に抱いていたけど、つかさと二人の時はそうでもないのだろうか。

 つかさの言った通り、相手のことを知れば知るほど仲良くなれるのだろう。
 瑞樹ちゃんが立て続けに質問してきてくれるのはその一環で、私のことを知ってくれようとしている。

 価値観もそうだけど、友達の距離感も人それぞれ。やはり私は傍から見てガードが固いんだろうか。

 ひとつ言えるのは、私には相手のことを知りたいという欲求が不足しているのかもしれないということ。
 ……かもしれないっていうか、そうだ。知らなくてもなんとかなることなら、積極的に知りたいとは思わない。

「教えてくれた秘密のお返しはどうしたらいい?」

「やー、いいって。わたしが勝手に話しただけだから」

「でもそれじゃフェアじゃない気がする」

「たしかにそうかもだが……」

「じゃあ貸しいちで」

404 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:54:35.85 ID:7JNODmEA0

「あー、わたしそういうの普通に忘れるタイプ」

 首を振りながら言ったあと、不意に何かを思い付いたように、つかさはおしるこの缶の底を、ぽーんと手のひらに押しつけた。

「そんじゃ明日までにふゆゆに訊くこと考えとくぜい」

「私から言わなくてもいいんだ」

「あっそれもそっか」

「……いや、それでいいよ。明日までね」

「ちなみに何についてでもいいの?」

「うん。まぁなんでも」

 お手柔らかに、と付け足そうとして、別にいいかと口を閉じる。
 つかさの中での秘密の程度は分からないが、比肩するようなものを持ち合わせてはいないような気がしたから。

 明日は数2と日本史のテスト。終わったら滝と温泉。
 加えて、つかさからの質問に答える。そのほかにも細々とだけどやるべきことがある。

「明日は楽しみだね」

 缶の内部に残った小豆をどうにか飲もうと悪戦苦闘しているつかさに、そう努めて明るく声を掛けた。

405 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/01/12(水) 00:55:11.86 ID:7JNODmEA0
今回の投下は以上です。
406 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/01/15(土) 09:06:34.01 ID:h8r6W+Ar0
おつです
407 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/01/18(火) 00:17:01.66 ID:PR5xRyYm0
おつ
408 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:40:05.74 ID:1PHlNXOB0




 はいそこまで、という先生の言葉で、二日目のテストを終える。
 感触は一日目と同じくまぁまぁ。数学は先生が言った通り少し複雑な問題が多く、日本史は記述式は少なく記号を選ぶ問題が多かった。

 回答用紙の回収から戻ってきたつかさは、「答え合わせしよーぜっ!」とテンション高く栞奈に声をかける。

 その様子を見るに、どうやら今日のテストは何とかなったみたいだ。
 昨日は下校時刻まで教室で勉強をして、その後は栞奈と二人でカフェに行って遅くまで確認をしていたらしい。

「いいけど、まだ半分だから調子に乗らないように」

「わかってるって」

「あ、ここ違ってるよ」

「え、マジ?」

「ここも」

「うわ」

 ……大丈夫なのかな。序盤の方のはずだけど。

「わたしたちも答え合わせする?」

 桃がつかさたちを眺めつつ、日本史の問題を手に椅子を寄せてくる。
 日本史は特に自信があったみたいで、明るめな表情でそれを何となく察する。実際、私が迷って外した問題も正答していた。

409 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:40:51.60 ID:1PHlNXOB0

 そういうわけで、誰一人としてテストの手応えに落ち込むことなく、遊びに向かうこととなった。

 行き先へはてっきりバスなどで向かうのかと思っていたけれど、つかさのお母さんが車を出してくれることになっていたようだった。

 そして桃と栞奈はつかさのお母さんと面識があったようで、待ち合わせ場所で会うなり気さくに挨拶を交わしていた。
 私も車に乗り込む際に挨拶をすると「あなたが写真でよく見るふゆゆちゃんね」となぜか握手を求められる。
 応じようとしたら、つかさが「いーからいーから」と助手席から腕を伸ばしてそれを遮った。

「これからも娘と仲良くしてあげてください」

 そう続けたつかさのお母さんに対して、つかさはちょっと苛立ったように肩を叩くことで対抗していた。

 車内では最近じわじわと人気が出てきているらしい(つかさ談)アイドルの曲が延々とかかっていた。

 つかさもつかさのお母さんも、意外なことに栞奈もそのアイドルが好きらしく、お気に入りの曲やメンバーについてのトークを聞き流しているうちに、目的地に到着する。

 生活圏以外の地理には疎くて知らなかったが、桃とのデートの際に通った道から、一本分岐したところに滝があるらしい。
 そうすると、走って向かう温泉も、帰りのバスで団体客が降りていった温泉地のことのようだ。
 車窓からの田畑や低山が並ぶような風景には見覚えがあって、隣に座る桃に視線を飛ばすと、意図が伝わったようですぐに頷きが返ってきた。

 橋の上にある駐車場に降り立つ。外気はかなり冷え込んでいて、もう十二月ということもあり、見頃だとかなり綺麗だという紅葉はほぼ見られなくなっている。

410 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:41:42.90 ID:1PHlNXOB0

 つかさのお母さんの車が走り去るのを見送り、南の方角からする激しい水音に耳を傾けていると、

「ふゆゆ、ももちゃん、栞奈。こっちこっちー!」

 と、つかさが数メートル前方から手を振ってくる。相変わらず動き出しが速い。

「つー、そんなに急がなくても滝は逃げないって」

「知ってる。しかしわたしが速いのではなく君たちが遅いのだ」

「ちゃんとした返事になってない。減点二十点」

「いやなんのテストだよ!」

 つかさと栞奈は、二人でハーフマラソンの大会に出た時に買ったというお揃いのジャージを着ていた。
 ベースカラーは同じで、差し色やフードの紐が、つかさは鮮やかなブルー、栞奈は暗めのグレーと色違いになっている。
 その配色はそれぞれのイメージ通りなように思えるし、逆なようにも思えた。

「この先はかなり段差あるみたい」

「わ、ほんとだ。しかも濡れてるね」

「転ばないように気を付けて」

 なんて喋りながらとぼとぼ歩く桃と私を先導するように、二人が滝壺へと続く遊歩道を進んでいく。

411 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:42:17.76 ID:1PHlNXOB0

 その遊歩道の入口には、滝の詳細な説明や、落石注意、熊出没注意の看板が立っている。

 地面を埋め尽くすような落ち葉や、岩に生えた苔は見て分かるほどに湿っている。
 立ち並ぶブナの樹皮が異様に白く見える。侘び寂び。幽玄。そんな言葉が浮かぶ。

 進んだ先にある石段は幅が狭く、一人通るのがやっと。
 シーズンが終わりかけで人がいなくて良かった。

 滝が見え始める。高低差が凄くて白くて勢いがあって迫力がある。以外あんまり言葉で言い表せない。
 来た道を振り返ればかなり急な登り坂。斜めに生えた木々の隙間から見える空は初冬に映える淡い青色。

「夏だったら飛び込みたいくらい綺麗ね」

 滝壺に着くなり、栞奈は水面を見ながらそう言った。
 たしかに、さまざまな形をした小石がはっきりと見えるほどに澄んでいる。

 全体を俯瞰するように広く周りを見ると、岩肌に飛沫によって出来たミストが煙のように降り掛かっていて、小さな虹を形作っている。
 晴れていることや清流の反射も影響してか、辺りはきらきらと神秘的な輝きに包まれていた。

 滝の上には、一本だけ黄葉している木があった。

412 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:43:04.72 ID:1PHlNXOB0

 雪が積もったらここはどうなるのだろう。来る途中の道路に赤と白のポールが立っていたから、ここはたくさん雪が降るのだと思う。
 これだけ大きい滝は凍らないだろうけど、近くの岩には氷柱がぶら下がってそうで、今よりも荘厳な雰囲気になっているのかもしれない。

 示したわけではなかったが、四人同じタイミングでやや濡れた岩場に腰を下ろした。
 私のすぐ隣で、流れる水に触れた桃の指先がびくっと跳ねる。

「冷たい?」

「かなり……手が凍りそう」

 水飛沫ですら冷たいのだから、直に触れたらめっちゃ冷たいということは容易に想像出来る。

 桃が私の手の甲を濡れた指でなぞる。

「……なに?」

「えっと、なんとなく」

 なんとなくらしい。しばらく手の甲で遊ばせてあげた。

 水を飛ばしあっているつかさと栞奈の様子を見て、私も桃にしてみようと思って、でもやらずにおいた。
 飛ばすには水に触れなきゃいけなくて、バイトで冷たい水には慣れているとはいえ、指が寒くなるのは嫌だった。

413 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:43:46.00 ID:1PHlNXOB0

 最近は水仕事をしているうちに指の間が切れていたりする。今もそのかさぶたがひとつやふたつ。それに染みたら痛いに違いない。

「スキありっ」

 急に足元に水をかけられる。なぜか栞奈に。
 履いているのは運動靴で、メッシュ生地をつたって靴下や皮膚へと一気に水が染み込んでくる。

 声を出すより先に、とりあえず私はやり返した。

「おっと、やるねぇ霞」

「ぎゃー! ガチで濡れたし!」

 割と勢いが出てしまって、栞奈の向こうのつかさまで、いや、栞奈は後ろにジャンプしてほぼ避けたからつかさだけかなり濡れた。

「ふゆゆ許すまじぃー!」

 ラケットを振るようにビシャっと打った飛沫が、私のジャージの腰から下を直撃する。
 撥水加工された生地でよかったが、まぁ多少は濡れた。普通に寒い。

「あはは、ウケるウケる」

 そんな私を見た栞奈が珍しく手を叩いて爆笑する。
 今もまたあっさり避けていたけど、部活で敵を避ける時の経験が活かされているのかな? 反射神経を分けてほしい。

414 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:44:21.45 ID:1PHlNXOB0

 つかさはその栞奈を狙ってもう一度水を切り、桃はなぜか私に物欲しそうな目を向けてくる。

 状況から考えて、どうやら水をかけてってことらしい。みんな濡れているし仲間はずれは嫌ってことかな。

 両手で掬った水を隣の腕に溢すと、桃は「ありがとう」と小さな声で言って満足気に口元を綻ばせる。嬉しいならいいけど。

「おーい栞奈、ジャン勝ちで靴下脱いで水に入ろうぜ!」

 それはさすがに季節を間違えている気しかしない。
 どう考えても真夏にする遊び方だろうに。

「えぇ、それはバカとしか」

「なに? ビビってんの?」

「そんな安い挑発には乗りません」

「ふうん?」

「あ、霞と桃ももちろん参加で」

 いや乗ってるじゃんか……なぜか私たちも入れてるし。
 この凍えるような冷たさの水に足を浸けることを想像して、ぶるっと肩が震えた。

415 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:44:55.47 ID:1PHlNXOB0




 三十分から一時間ほどの間、滝壺でわいわい遊んだ。
 結局みんな水の中に入ることになったのは言うまでもなく、五年分くらいのマイナスイオンを経皮吸収した。

 それから来た道を戻り、更に進み、神社や屋台のある場所で休憩を取る。

 境内をぐるりと周る傍ら、つかさと栞奈はリュックから御朱印帳を取り出して、季節限定だという銀杏の刺繍入りの御朱印をもらっていた。

 来年のお正月は神社で短期のバイトをする、とつかさが団子を頬張りながら少し自慢するように言っていた。
 口ぶりから察するに、巫女服に憧れがあるようだった。

 私たちが滝壺にいる間は誰一人として降りてくる人はいなかったのだが、神社の横の滝見台には疎らに人がいた。
 やはりあの急な坂を登り降りするのはキツいってことだろうか。年齢層を見るに、恐らくそうなのだと思う。

 そして温泉まで走っていくという段になると、これもまた言うまでもなく二手に分かれることになった。
 今回は風呂上がりのアイスをかけての戦いらしい。かなり速めなペースで走る二人の後ろ姿は、あっという間に見えなくなる。

 隣を歩く桃は、少し足取りが重い様子だった。
 それもそのはずで、滝壺から神社までの距離はそこそこあって、体力自慢の二人のペースについていけば疲れもするだろう。

416 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:45:31.83 ID:1PHlNXOB0

 歩みを止めた桃が靴紐を緩く結び直している間に、何か言うことがあったなとそれを思い出そうとする。
 足を動かすのを再開して、少し経って思い出す。

「そういえばね」

 と私より先に、桃がこちらを覗き込んでくる。

「ひなみがまた会いたいって言ってたの」

「ひなみちゃんが?」

「ふゆのこと気に入ったみたいで、また家に連れてきてーって」

「気に入られることなんてしたかな」

「あと、お母さんも会いたいって」

 ひなみちゃんと、桃のお母さん。
 家へのお誘い。

「へぇ、それって……」

「え?」

「あ、ううん何でもない。この土日?」

「ふゆに予定がないなら、うん。忘れないうちに」

「日曜の午後なら空いてる」

「ほんと? じゃあ日曜日にしよっか」

「次の日テストだし、勉強道具持っていっていい?」

417 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:46:04.06 ID:1PHlNXOB0

「わたしも勉強するつもりだったから……その、時間が余ったらベクトル教えてほしいな」

「いいけど、まさかそっちが真の目的?」

 私の冗談に、桃はふふっと笑うだけで答えなかった。
 まぁ勉強ではないにしろ、決まった目的なんてないのだろう。

 歩いていくうちに地域の学校やスーパーなどが見えてきたが、昼下がりの微妙な時間帯だからか人の気配はあまりなかった。
 シャッターの降りた喫茶店の外にある室外機の上に、猫の親子が寝転んでいる。反対の車線では、何か分からない鳥が囀っている。

「私もね、そういえばなんだけど」

 今の流れだとさっき言おうとしていたことにちょうど繋げられると思い、そう切り出す。

「前に、桃も花を……クリスマスローズを育ててみたらって話になったじゃん。覚えてる?」

 桃はすぐにはっきりと頷く。
 忘れられていなくて、ちょっと安堵する。

「それで、どうしようねって考えていたんだけど、うちに鉢植えのクリスマスローズがあるから、日曜日に桃のお家に持っていくのはどうかなって」

「でも、持ってくるのって大丈夫なの? その、鉢植えの重さとか……」

「大丈夫。地下鉄で行くし、そんなに重くないから」

「そっか。それなら、うん。よろしくお願いします」

418 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:47:06.17 ID:1PHlNXOB0

 妙にかしこまっているなとは思ったけど、私が提案したからではなく、本心で言ってくれているようだった。
 私の趣味に興味を持ってくれたことや、屋上で話を聞いてくれたことを含めて、それが素直に嬉しかった。

「あと六キロだって。走ろっか」

 温泉郷まであと六キロメートル、と書かれた看板を桃は指差す。割と距離を歩いていた。

「いいけど、疲れてない?」

「ううん。むしろ元気になった」

 桃は私に見せるように腕まくりをして、力こぶを作る。
 腕全体がかなり細いのに、その部分には意外と筋肉があった。
 それから前に数歩進んで、振り返った桃が言う。

「痩せたら体力まで落ちちゃったの」

「てことは、昔は体力あったんだ」

「うん。それでも今よりは、ってくらいだけどね」

 朝に走っている時よりは遅くて、ジョギングよりは速いくらいのまあまあな速さで走り始める。

 十五分ほどで息が切れてきていた桃に話しかけるのは少し躊躇われて、
 マジシャンズセレクトや、私のものより柔らかそうな桃の太ももについてなど、ぼんやりと頭に浮かんだことについて考えながら走った。

419 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:48:01.65 ID:1PHlNXOB0

 武家屋敷を思わせるような厳かな見た目の旅館に着いてからスマホを確認すると、グループトークに「先に温泉入ってるよ」と栞奈からメッセージが来ていた。
 受信した時刻は五十分前で、分かっていたが今回も本気で走ったらしい。

 白い提灯が吊り下げられた、掃除が行き届いていると感じられる入口から中へ入り、フロントで日帰り入浴の手続きをする。
 地下の大浴場がオススメですよ、と受付の人が教えてくれたので、そっちに向かう。

 途中には金屏風や、錦鯉が泳いでいる池があり、日帰りとはいえ値段より豪華じゃないかと半ば感動する。

 赤い暖簾をくぐった先の脱衣場は広く、鍵付きのロッカーは空いているものが多い。
 二人からの返信は来ていないから、いくつかの温泉のうちのどれかに入っているのだろう。

 汗で湿った服を脱ぎながら、誰かと一緒にお風呂に入るのっていつ振りだろうと考えたが、そもそも温泉自体が中学校の修学旅行以来だった。
 でもその時も、誰かと一緒に入った気はしなかったと思う。転校したばかりで友達がいなかったからだろう。

 すぐ隣にいるはずの桃の動きは鈍く、音一つしない。
 バレないように様子を窺うと、まだ着たままのTシャツの裾に指が中途半端に掛かっている。

420 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:48:45.51 ID:1PHlNXOB0

 無意識に出かかった言葉を喉奥に押しとどめて、

「先に行ってるから」

 とだけ告げて、タオル一枚だけ持って大浴場への引き戸を開ける。

 するとすぐに、廊下を通ってくる時にも感じた檜の匂いが鼻をくすぐってきた。
 全体的に薄暗いが、格子上の檜が窓の役割を果たしていて、そこから陽の光が差し込んできている。その奥では川が流れているのが見える。

 頭と身体を洗っているうちに、桃がやってくる。
 シャワーを片手に手を振ると、控えめに手を振り返してきてくれた。

 桃は髪が長いから洗うのは大変そうだ。あそこまで綺麗だと、手入れなどにかなり時間をかけているのだろうと容易に想像できる。

 洗い終えて、吹き付ける風に肌寒さを感じながら湯船へと足先を付け、温度の具合を確かめてから浸かる。
 家だとシャワーで済ませることが多いから、こうして熱いお湯に足を伸ばして浸かるのは本当に久しぶりだった。

 一つ左の湯船に何か浮いている、と思って目を凝らすと、様々な色のバラだった。"薔薇風呂"と案内板のようなものに文字が彫られているのが目に入る。
 それに書かれた文を読むにそちらの方がお湯の温度が少し低めなようで、一度上がって移動する。

「となり、入るね」

 後ろから桃の声がしたので、見ないまま頷いて、一人分くらいの間隔を空けて湯船へと足を進める。

421 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:51:23.77 ID:1PHlNXOB0

 入ってみると、こっちの湯加減の方が丁度良かった。
 でも長湯は体質的なものなのか無理なので、肩まで浸かっているとだんだんと身体に熱がまわって視界がぼやけてくる。
 おそらく摘み立ての花弁からする甘い香りは、檜と喧嘩していなく、良い感じに調和している。

 小さい頃はよくのぼせていたなぁと思いつつ、段になっている部分に腰を掛けると、桃もそうしていたみたいで顔の高さが同じになる。
 お湯のせいか火照ってピンク色に変化した頬や、お団子にまとめた髪が新鮮だった。

「桃も温泉得意じゃない感じ?」

 ばっちり目が合ってしまったので、そう訊ねてみる。

「……ふゆもそうなの?」

「こうやってたまに来るくらいならいいけど、まぁ落ち着かないよね」

「うん」

「それに、熱いの苦手なの。あーあつい……」

 熱くなった首から上を手のひらでぱたぱた扇ぐ。
 血流が活性化されているのはいいことなんだろうけど、それによる心地良さは長くは続かない。

「意外な弱点だ」

 硬かった表情を崩して、くすっと桃は微笑む。
 ほんの一瞬だけ目が揺らいだ気がしたけど、まあ気のせいだろう。

422 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:52:11.54 ID:1PHlNXOB0

 湯船に再度浸かって、体力ゲージが秒を追うごとになくなっていくような感覚を味わう。

 すると不意に、首筋に冷たい何かが触れる。

「ひゃあっ」

 と思わず高い声が出て、身体が跳ねた。

「二人ともここにいたんだ」

「遅いぞー。わたしらもう上がるよー」

 首をめぐらせて見れば、栞奈とつかさが床にしゃがんでいる。
 冷たいのはつかさの手だった。なんなんだ。

「ふゆゆ、わたしなんか変わってない? わかるぅ?」

「んーわかんない」

「もぉー、ちゃんと見てくれよなー」

 身体の向きを変えて見てみたけど、いつも通りのつかさで違いがないように見える。
 言わせたいことじゃないんだろうけど違うのは、顔全体が茹で上がったように上気していて、目がとろんと潤んでいること。

423 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:53:03.34 ID:1PHlNXOB0

 そんなつかさを見て、栞奈は口元に手をやって笑っている。保護者的な笑い方だ。

「サウナで私に勝負を挑んだりするから、この子少しダウン中なの」

 あぁどうりで……。
 テンションがおかしいのはサウナのせいか。

 というかなぜか熱を帯びたような視線が私の身体の一部分に固定されている。
 ……これもサウナのせいかな?

「で、どう? 霞は気に入ったんじゃない?」

「あ、うん。この薔薇風呂のことでしょ?」

「そうそう。何かで聞いたことあってね、霞と来るならここかなって、前々から目星はつけてたのよ」

「それはまた、どうも」

424 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:54:00.10 ID:1PHlNXOB0

「おとなりの桃は?」

「うん。わたしも……」

「ならよし。外で涼んでるから、気にせずあとはお二人で、ごゆるりと」

 半ば桃の言葉を遮るようにして、栞奈はフラフラ歩くつかさを浴場の外へと引っ張っていった。
 一体いつからサウナに入っていたんだろう。

「……私たちもサウナ入ってみよっか」

 冗談でそう言ってみると、桃の表情は瞬時に微妙なものに変化する。

 桃ってこんなに分かりやすく反応していたっけ。
 まあ誰しも苦手なものは顔に出る……いや、出ない方が希少か。

 てことは、サウナも苦手と。
 入ったことはないけど、それは多分私も同じだ。

「じゃあ五分経ったら上がろう」

「うん。その、ありがとう」

 と、桃は控え目に笑った。マッチポンプみたいだったけど、とりあえず頷きを返した。

425 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:54:34.47 ID:1PHlNXOB0




 髪を乾かして、少し桃のことを待ってから、休憩所のようなところで栞奈とつかさに合流する。
 つかさは既に回復しているようで、アームが弱そうなゲームコーナーのクレーンゲーム機で遊んでいた。

 先客が休憩所を後にして目の前の卓球台が空いたので、なんとなくそこに四人で集う。
「負けた人は飲み物奢りで」と栞奈がラケットを構えた。個人戦だとすれば悪い方の意味で結果が目に見えているので、ダブルスを提案すると、あっさり可決される。

 うらおもてでペアを決めたら、つかさが相方になった。
 ちょっと練習しようという流れになって何回か打ったり打ち返したりをしてみたが、サーブからして覚束ないのは私だけで、他三人は器用に卓球をしている。

 栞奈はピンポン球に回転をかけているし、桃も見よう見真似で同じようなことをしている。
 捻りのないものでも打ち返せるか半々なのに、あんなのされたらひとたまりもない。

「先に言っとくけど、ごめんつかさ」

「ん……いや、わたしは勝つぞ」

 そうつかさは意気込んでいたが、まぁ普通に負けた。
 ちょっとぐらい手加減してくれてもいいんじゃないか、と思うくらいには私が集中砲火で狙われた。

426 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:55:16.94 ID:1PHlNXOB0

 こっちも栞奈との勝負は避けて桃を狙ったけれど、その桃がそつなく返してくるからあまり意味がなかった。
 それにつかさもなぜか急に対戦中に精細を欠き始めたから、もはや一対二どころか〇対二だった。

「いってらっしゃい」と桃が手を振って見送ってくれる。

 桃もいつの間にか普段の様子に戻っていたようだった。
 相当温泉が苦手だったのか。というか、語弊がある表現かもしれないけど、落ち着かないのが苦手なのだろう。

 ……いや、桃「も」じゃなくて桃「は」になった気がする。廊下を連れ立って歩くつかさの様子がおかしい。
 何か深い考えごとをしているように俯いている。

「ほぼ私のせいだから、つかさは自分のだけでいいよ」

「うん」

「栞奈はコーヒー牛乳で、桃はフルーツ牛乳だっけ」

「うん……」

「私は何でもいいや。つかさは何にするの?」

「……」

427 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:56:36.59 ID:1PHlNXOB0

「……つかさ?」

「えっ? え、あ、なに?」

「いや、なんかぼーっとしてるから」

「あ、うん」

 と、何に対しての反応も乏しい。

 エレベーター横の自動販売機の前に着いたところで、ふと昨日の会話を想起する。
 秘密のお返しの件。

「今日までの質問、考えてきてくれた?」

「あー、質問な。質問なー……」

「忘れてたのね」

「いや、うん。質問ね……」

 忘れていたらしい。まぁ私もだけど。

 つかさは顔をこちらに向けたが、目が合うわけでもなく、代わりに妙にじとーっとした視線が私の上半身に注がれている。

 いや上半身っていうか、胸部。服の内側。さっき温泉内で感じたのと同質のもの。
 反射的にその眼差しとの間に壁を作るように腕を抱いた私を見てか見ずか、つかさはごくりと喉を鳴らす。

428 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:57:26.94 ID:1PHlNXOB0

「それって」

「うん?」

「それって何カップあんの?」

「え」

「あっ」

 つかさは口元を押さえて、まずいという顔をする。
 急に夢が醒めて現実に戻ってきたような、そんな顔。

 一瞬にして、湯冷めするほどにこの場所の空気が凍った気がした。

 まさかそういう路線の質問だとは思わなくて、呆気に取られて口を噤んだ私とは対称的に、

「や、ミス。ミスった。今のなし、忘れて」

 と、つかさはあたふたした様子で声を上擦らせ、いつもっぽくオーバーに両手をすごい速さでわちゃわちゃ動かす。

「……なんでもって約束だから、べつに答えてもいいよ」

「こ、答えなくていい。友達にセクハラしたくない」

「もうしてるのと同じじゃない?」

「ごめん」

 許しを請うような目をされると、ちょっと困る。

429 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:57:57.92 ID:1PHlNXOB0

 私の薄い反応を悪いように捉えたのか、つかさは「うちの学校水泳ないしさ」とか「意外とでかいなーなんて」とかいろいろ言葉を重ねたが、
 驚きはしたけど怒ったりしたわけじゃないから、弁解というより更に深く自白させてしまった。

「謝らなくていいよ。今までも訊かれたことはあるから」

「は、誰に?」

「誰にって。そういうことを訊いてくる人はいるでしょ」

「あーまぁ」

「まさかつかさがそうだとは思ってなかったけど」

「ごめんなさい」

 でも、私たちが特別しないだけで、友達同士の会話としては普通なのかもしれない。
 学校で、特に体育の時間なんかにクラスメイトがしている会話が耳に入ると、そういった話題になっていることは多々あるように思う。

 それに前にもつかさからセクハラめいた何かを言われたことがあるような気がする。

 パンツ見えそうだとか、腹筋触らせてとか、彼氏いたことあるのとか……こうして考えると案外普通寄りなのかな。

430 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:58:27.12 ID:1PHlNXOB0

「で、質問は?」

 とはいえ私にはつかさをイジって楽しむ趣味はないので、打ち切って話を戻す。
 これでまた同じことを訊かれたら、この先つかさを『他人の胸の大きさが気になる人』と意識して過ごすことになるかもしれない。

「あー、えっと……」

 当たり前だがそうはならなくて、つかさは咳払いをする時のように、丸めた手のひらを唇に当てた後、わざとらしくキリッとした表情で頷く。

「ももちゃんとどうなったの」

「……どうなったって?」

「……」

 それくらいわかるだろって言いたげな瞳と唇の動き。

 ……まぁわかる。わかるが、このことについては、意味を取り違えて不用意なことを言うのは避けたい。
 私だけのことだったらいいけど、そうじゃないのだし。

「桃とは、付き合うことになったよ」

 声にしながら思ったことを、間髪入れず付け加える。

「でもわざわざ訊かなくても、もう知ってるでしょ」

431 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:58:59.65 ID:1PHlNXOB0

「うん。……お見通しか」

 別にお見通しとか、そんなのじゃない。
 つかさなら私より先に桃に訊くよね、っていうただの勘だった。

「答えを知ってる質問でよかったの?」

「あー、じゃあもうひとついい?」

「どうぞ」

「いつまでとかって、ふゆゆの中ではある感じ?」

「それは考えたことなかった。でもまぁ、桃が満足するまでじゃないかな」

 つかさが口を開けて、数拍だけ固まった。

「やっぱりふゆゆって変わってるな……」

「そう?」

「まー、そこが良いところか」

「……ありがとう?」

「どいたま。ついでにわたしのことも褒めて」

432 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/23(水) 23:59:42.03 ID:1PHlNXOB0

「えっ。つかさは、目がきらきらしてて綺麗だと思う」

「もう一声」

「涙袋がデカい」

「目ばっかだな。ちなみにこれ天然」

 照れ隠しなのか、ほのかに赤い色が差した頬を両手で包んで、つかさはぱあっと明るく笑う。
 かわいい仕草と笑い方。とても真似できそうにない。

「そのチャームポイントの目で見守っててください」

「おー、言われなくても」

 もうちょっとこう、具体的なことを言えればいいのだが、なにぶんいろいろなことが不透明すぎる。
 では鮮明にしたいのかといえば、それはまた別の話で。

 でもせっかく友達から彼女へと関係が変わったのだから、桃にはそうなって良かったと思ってほしいし、この関係を楽しいと思ってほしい。

 我ながら抽象的すぎるなと思うけど、そのためにまず私がすべきことは、今までと比べてより能動的に、桃という人について知る努力をすることだろう。

 知らないことをどうにかするには、それを知るための努力をするか、もしくは知っているふりをするしかない。
 知っているふりは楽で労力を伴わない。が、楽した分だけどこかで必ず皺寄せがやってくる。

433 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/24(木) 00:00:45.23 ID:yH2WyidD0

 なら努力する、ないしそういう意識を持って相手と接することを心掛ける方が、長い目で見て悪いようにはならないはずだ。

「ね、行きの車の中で流れてたアイドルの曲、つかさのおすすめ教えて」

「なに、もしや興味持ってくれた感じ?」

「まあそんなところ」

「へぇーそういうことなら、あとでMVのリンク送るよ」

 そしてそれと同時に、つかさとか、周りのことについても知っていこうとしなければならないだろう。

 そうでないと、桃とのことも、私自身の在り方も、意図せぬ方向へと進んでしまいかねない──と思う。

「お、栞奈からラインだ。早く戻ってこいって」

「うん。戻ろう」

 頼まれていた飲み物を買って先ほどの場所に戻ると、つかさのお母さんが迎えに来ていた。

 旅館を出る際に隣り合った栞奈が、「長かったけど、つーと何話してたの?」と訊ねてくる。
 そういえば昨日はスルーしたのだったと思いながら、「桃と私の話」と答えると、栞奈は理解がいったように前を歩く桃に目を向けた。

 その栞奈が視線を上向けたのに釣られて、ふと見上げた空は深い群青色に染まっている。
「ブルーモーメント」と呟く声がハモる。中学校の理科の授業で聞いたことを覚えていたのだが、結構有名な言葉だったのか。

434 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/24(木) 00:01:17.71 ID:yH2WyidD0

 この場所から家が一番近いのは栞奈で、大きなマンションの前で車を降りる際に、私が出発時に言われたようなことを、つかさのお母さんから言われていた。
 そして次に近い私が最寄駅の近くで降ろしてもらった時も、また同じようなことを言われる。

 口調は軽いものだったが、つかさのお母さんは、つかさのことを、特に友達付き合いについてかなり心配に思っているみたいだった。

 それにはきっと、つかさが昨日教えてくれたことが関係している。
 人付き合いを間違えたと言っていたし、何かと気にする素振りを見せるのは、それを経てのことだと思うから。

 中高一貫だったということは中学受験をしていて、でも人付き合いの関連する何かを契機として学校に行けなくなってしまって、
 おそらく周りの環境をリセットするために、高等部には進まずに私と同じ高校を受けて……と知っていることと推測を繋ぎ合わせるように考える。

 考えて、なら、つかさと同じく学校を変えた桃はどうだったのだろうと思う。

 つかさと同じように何かがあってなのか、幼馴染のつかさと一緒の高校を望んでなのか、もしくは特に理由らしい理由はないのか。
 普段なら思わないはずなのに、こればかりは少しだけ気になった。

 だって、もし桃がそのまま進学して、今の高校を受験していなかったとしたら、桃と私が出会うことはなかったはずだから。

435 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/02/24(木) 00:01:52.14 ID:yH2WyidD0
今回の投下は以上です。
436 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/02/24(木) 19:31:54.10 ID:4B+OtogS0
おつです
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