61:名無しNIPPER
2021/06/24(木) 15:47:52.44 ID:I9OmqLYR0
俺があの頃の事を思い出すとき、記憶の中でそれはいつも映画のような物として再生される。
俺は映画館に居る。両手には何も持っていない。ポップコーンもドリンクもチュロスも何も。
当然だけど周りには誰も居ない、俺の隣の席にも、この映画館にも。
ただポツンと一人でその大きなモニターの前に立っている。
62:名無しNIPPER
2021/06/24(木) 15:48:49.32 ID:I9OmqLYR0
もし俺の人生の監督を務めた神様とか言う奴が本当にいるなら
そいつはバットエンドが好きな性格の悪い奴なのだと思う。
そいつは「好きな映画は? 」と聞かれたらミストだとか、バタフライエフェクトだとかって答えるだろう。
だから神様が俺の人生の監督なら、それは最初からバットエンドのオチの付いた映画なのだ。
63:名無しNIPPER
2021/06/24(木) 15:50:14.53 ID:I9OmqLYR0
「実は私アイドルになったんです!」
彼女はそう言って、陽だまりに溶けるような、見るもの全てを楽しくさせるような、そんな笑顔を浮かべた。
一秒。理解できない、二秒。理解できない、三秒。理解したくない。
体の全身がそれを拒んでいる。
64:名無しNIPPER
2021/06/24(木) 15:51:28.68 ID:I9OmqLYR0
その瞬間に限って言えば俺は彼女の言葉を聞きたくなかった。
今すぐ耳を塞いでこの場から逃げ出してしまいたかった。
あるいは俺は家のベッドに横たわって「あぁ変な夢だったな」ってそんな事になってほしいと思えた。
「今はまだへっぽこだし何も分からないけれど……それでも私はアイドルとしてステージに立ちたいって……そう思うんです!」
65:名無しNIPPER
2021/06/24(木) 15:52:16.27 ID:I9OmqLYR0
その瞬間に俺は彼女の事を結局何も知らなかったのだと気づいた。
彼女が好きな食べ物は? 好きな映画は? 将来の夢は? 何も分からなかった。
俺は彼女を自分の価値観の中に押し込んで今まで物事を考えていたのだ。
ステレオタイプみたいに彼女はアホだから。サイキッカーだから。
66:名無しNIPPER
2021/06/24(木) 15:52:49.80 ID:I9OmqLYR0
ゆっくりと口を広げて一瞬ためらう。その言葉は呪いだ。
その言葉を彼女に伝えてしまったら俺はもう彼女に想いを伝えることは出来ないだろう。
そんな事は分かり切っていた。
でも、それでもこの物語がバットエンドだとしても
67:名無しNIPPER
2021/06/24(木) 15:53:45.48 ID:I9OmqLYR0
7.
映画はここで終わり。
この後に続くのは真っ暗な画面のエンドロール。
68:名無しNIPPER
2021/06/24(木) 15:54:46.75 ID:I9OmqLYR0
それからしばらくして彼女は東京へ転校していった。
俺はあの日、彼女にその言葉を伝えてから何もやる気が起きなくて、痛みだとか、辛さだとか。
そういう物も何も感じられなくて、自分の心に嘘をつくのも何も思わなくて
だから彼女が東京へ転校していく、その最後の日にも俺は彼女に会わなかった。
69:名無しNIPPER
2021/06/24(木) 15:55:50.84 ID:I9OmqLYR0
一度だけ彼女からチケットをもらった事がある。
三年の夏の頃だったか「エスパーユッコ」の名義でチケットと手紙が届いていた。
その手紙には東京でも案外楽しくやれている事と信頼できる人に出会えた事
ソロライブを出来るぐらいにまでなった事。
それとあの時、応援してくれてありがとうと書かれたライブのチケットが入っていた。
70:名無しNIPPER
2021/06/24(木) 15:56:29.32 ID:I9OmqLYR0
大学生になって初めて彼女が出来た。栗色の大きな瞳を持った彼女だった。
何気なく入った映像サークルで初めて出来た後輩だった。それなりの恋をした。
それなりの事をして、お互いに愛を確かめ合った。
でもその彼女は「先輩はきっと私じゃなくて、私を通した誰かを愛しているんです」
と言って俺のもとを去って行った。
71:名無しNIPPER
2021/06/24(木) 15:57:59.01 ID:I9OmqLYR0
偶然テレビで彼女のライブ振り返りを見た事もある。
そこに映る彼女は記憶の中の彼女より少し大人びて見えて綺麗だった。それから彼女はファンに向かって感謝を述べた。
「ありがとうございます!」と。
その笑顔が俺の記憶の中のそれと全く同じものであることに気づいてから、また一人嘔吐いた。
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