白雪千夜「アリババと四十人の盗賊?」
1- 20
177:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:13:33.17 ID:tRJaplXx0
「……舞台、順調です」
 顔は斜めに逸らしたまま、肩越しに声を掛ける。文香は未だ読書に夢中のようで、――これでは、誰に言っているのだろうな。

 手提げの持ち手を弄び、二つのアーチを寄せたり離したり、繰り返しながら、
「……色々とお話を聞かせて頂いたお陰で、考えがまとまりました。助かりました」
以下略 AAS



178:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:14:02.27 ID:tRJaplXx0
「『アリババと四十人の盗賊』…… 不詳の語り手たちに継がれた『千夜一夜物語』は、題材として扱う際の自由度の高さゆえに今日の人気を博したのだといいますね。『アラジン』を題する有名なアニメ映画の内容にしても、ガランのそれとはまるで違う。しかし、それを気にする人は多くない。原作など知らないのか、知っていて構わないのか、両手を上げて受け入れる。これこそが『アラビアンナイト』だ、『アラジン』だ、と。この物語集成は、いわば銘々の作り手の、その解釈によって、幾らでも形を変えて人気を得ながら、それでも『アラビアンナイト』ではあり続けてきたわけだ。可塑性というやつがあるのですね。虚像の群像、正体など最早ないような、あるいは全てを正体にしてしまった、千の夜と、もう一夜……

 思いました。そもそも受け取り方によって形を変えない物語など、ひとつとしてないのかも。周りから見れば喜劇でも、当人にとっては悲劇かも――天使のように純粋に見えて、悪魔のように黒いかも。周りから見れば悲劇でも、当人たちには喜劇かも――地獄のように熱くても、恋のように甘いかも。黒が白、でなくとも、灰色や、ひょっとしたら青というように、やはり受け取り方は人それぞれでしょう」
「はい…… 私も、そのように思います」
「ええ…… ん」


179:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:14:46.35 ID:tRJaplXx0
 うわの空で続けようとしたのを止めて、振り向けば、文香が目を細めていた。

 本を閉じ、膝を、身体を、こちらに傾けている。彼女はゆったりと髪を垂らし、思い出に浸るように続けた。

「人は、物語に己を映す。受け取った光を、自分が鏡になって、様々に形を変え、世界に映し出す…… ただ言葉を受け取る、というわけにはゆかない、らしいのです。己は、己を相手には黙さぬもの。自分ならどうするか、自分は今どう感じたか、自分の知識から考証は可能か…… 全く知らなかった筈の世界や、自分のではない隣人についてさえ、物語の最後には持論主張を手に入れる。話を聞きながら、話をしているのです。
以下略 AAS



180:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:15:21.73 ID:tRJaplXx0
 ……
 一結杳然、というように間を置くと、文香は静かに目を開け、微笑んだ。こちらもゆっくり頷き返した。深く息をすると、葉っぱの匂いがした。

 千夜は手提げを持ち上げた。素材のクラフト紙がガサ、と音を立てる。
「これ、ありがとうございました。大変参考になりました」
以下略 AAS



181:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:15:58.48 ID:tRJaplXx0
「何というか、…… 取り留めのない想像話です。朝食の傍するような。お嬢様の話に応答を求められて、それで口にするような。月をつき≠ニ呼ぶ理由を尋ねられたような。……、あるいは、……」



182:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:16:50.90 ID:tRJaplXx0
「あるいは、砂上の玉座に編んだ頌詩のような」

 詰まった言葉を、文香が引き継いだ。その微笑みは確かな優しさを湛えていて、千夜はそれを感じながら、手を伸ばしかけていた。彼女の手を取って、その甲を撫でようと考えていた。

 はっと我に返り、自分がしようとしたことを思って、そんな間柄ではないからぐっと堪えて、堪えたところに、なにか懐かしい気持ちが押し寄せた。
以下略 AAS



183:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:17:24.13 ID:tRJaplXx0
「この物語は、犯してはならぬこと、禁忌にまつわる筋書きなのだと思いました」

「ある一定の法則、というやつです。研究者シュライビーの成果では、《ささいなきっかけ、大きすぎる災厄》というのが、初期の千夜一夜物語にみられるテーマだそうですね。『商人とジン』では、食べ終えたナツメヤシの種を投げ捨てただけで、ジンに命を狙われる。食事はつつましく、また《よきイスラム教徒たるにふさわしく》お祈りをしてさえいるところに、恐ろしい精霊は現れ、商人を襲うのです。お前が捨てた種のせいで息子が死んだ、と言って。

 一義的には悪徳や罪とも思えない行動が、奇妙な因果に導かれて、不思議な結果をもたらしていく。そういうテーマが『アリババと四十人の盗賊』にも流れているのだと思います」
以下略 AAS



184:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:17:51.92 ID:tRJaplXx0
「カシムが盗賊に命を奪われるきっかけになったのは、アリババが盗賊の宝をくすねたことは勿論ですが、それをカシムの妻が嗅ぎつけたことが大きいですね。アリババが魔法の洞窟から持ち帰った大量の金貨を、アリババの妻はなんとか計量したがり、カシムの家へ枡を借りに行きます。カシムの妻は枡を貸し与えますが、枡を持たない貧乏なアリババが、一体何を量る程に手に入れたのか訝しみ、升の底に脂を塗り付けておきました。

 そうして枡に残された一枚の金貨が、カシムの嫉妬を、怒りを呼び、彼自身の破滅を、そしてアリババの身に迫る大きな危険を巻き起こすことになります。《ささいなきっかけ、大きすぎる災厄》という言葉に――厳密な対応ではなくモチーフとして、ですが――照らすに、この脂に囚われた金貨≠ニいうのは、いかにも暗示的なように思われますね」



185:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:18:17.72 ID:tRJaplXx0
「さて、アリババには何の美徳もないものだと、私は考えていました。森に盗賊がやって来たと知るやロバを見捨てて木へ隠れる。盗賊が立ち去れば宝をくすねる。魔法の洞窟で合言葉を忘れた為に殺されてしまった兄カシムの、その四つ裂きの遺体を持ち帰る羽目になりながら、ついでにまた宝を盗んでいくことも忘れない。カシムの死因を隠蔽しなければ盗賊たちに見つかることを予見したまでは聡明ではありますが、肝心の方法はモルジアナ任せな上、いざ危機が迫った段では無能といってもいい程だ。しっかり顔を見た筈の盗賊の頭領を二度までも家に上げてしまうどころか、危険を察知し頭領を倒したモルジアナを、そんな事情に気付かず叱り飛ばすのですからね。《わたしたち一家にわざわいをもたらすつもりなのか》とかなんとか。よりイスラム調だという平凡社のものでは、ひどく罵りさえするのです。けっこう汚い言葉でしたよ。

 よくもまあ、題に名前を出せたものだ。『烈女之名誉(れつじょのほまれ)』といいましたか、最初の邦訳につけられた題はモルジアナを取り上げていたようですが、なかなか懸命な改変だったのではないかな」



186:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:18:44.15 ID:tRJaplXx0
「ですが、そこで思い直しました。『アリババと四十人の盗賊』…… 一見して立派なものではない、努力をしているふうでも、さしたる活躍を見せさえもしない彼、アリババの名を冠するからには、この話はやはり彼の美徳を、そして対称的に盗賊たちの悪徳を語るものなのでは、と。これは『モルジアナの戦い』ではない。『魔法の宝窟』でも『開けゴマ』でもない。『アリババと、女奴隷に殺された四十人の盗賊』なのです。この題が意味するのは、アリババと盗賊、善と悪、成功と失敗、美徳による隆盛と悪徳による滅亡の、その対比…… なのでは、と。

 ガランがそれらを見出し題にしたのだとも、初めて聞いた時からこうだったのだとも、言い切れませんが、――彼は『ガラン版 千一夜物語』の一巻、『告知文』でこう書いています。《この物語集から美徳や悪徳をめぐる心得をひきだそうとするひとびとは、ほかの物語からは決して得られない実りを手にすることができるでしょう》」



187:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:19:11.87 ID:tRJaplXx0
「その文に続けて始まる枠物語=Aシェヘラザードが『アリババ』を含め、千夜一夜の物語を語るきっかけになった話では、彼女の父である宰相がこう述べています。《危ういくわだての行きつく果てを見抜けない者は不幸になると言う》…… 
 このことが、『アリババ』にも通じる教訓なのではないでしょうか」


234Res/183.06 KB
↑[8] 前[4] 次[6] 書[5] 板[3] 1-[1] l20




VIPサービス増築中!
携帯うpろだ|隙間うpろだ
Powered By VIPservice