79: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:31:13.74 ID:p8Id/7Jt0
角換わり右玉、これはおよそ一年前、巴が初めて父を破った際に取った陣形だった。
未だ十三年の人生しか歩んでいない巴にとって、何十年と将棋を指してきた大人たちとは埋められない経験の差がある。強い弱いというよりは、知っているか知らないかという部分で序盤に不利を負ってしまう。角換わりから、順当に相矢倉、相腰かけ銀ともなれば、散々研究し尽されている定跡手順だ。
ならば、見たこともない戦型にすればええ、と巴は考えた。
無論、これとて例がないわけではない。しかし珍しい形ではある。巴の父はこの一手に大いに唸り、そして娘に平手では初の白星を贈ることとなった。
80: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:32:43.67 ID:p8Id/7Jt0
杏は落ち着いた様子で左端の歩を突き、巴が応じると今度は右端の歩を突いた。
杏の指し手は早い。時間制限を設けているわけでもないのに、一手あたり一分かそこらで手を繰り出す。巴はつい自分も早く指さなければならないと焦るのを堪えて、一手一手、熟考しながら指し手を選んだ。
やがて駒がぶつかり、小競り合いが繰り返される。主に巴が仕掛け、杏が受ける形だったが、決定的な隙はなく、なかなか攻め込むことができない。やはり杏は強い、と胸が熱くなるのを自覚しつつ、巴は集中力が研ぎ澄まされていくのを感じた。
81: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:35:25.80 ID:p8Id/7Jt0
https://i.imgur.com/aZwbXZ0.jpg
82: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:37:23.61 ID:p8Id/7Jt0
――ここが勝負どころじゃい。
巴は6六に角を切った。
「おっ」と声を発して、杏が銀で角を取る。その頭に、持ち駒の歩を叩きつけた。
杏はこれを取るか、避けるか、放置するか。いずれの場合も、そう簡単に攻めは途切れない。巴はここで一気に攻勢をかけるつもりだった。
83: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:38:30.74 ID:p8Id/7Jt0
それから三分が過ぎ、五分が過ぎた。杏はやはり微動だにしない。
なにか話しかけてみようかとも思ったが、巴はそれをしなかった。邪魔になるかもしれないから、というのもあったが、声をかけても耳に届かないだろうと思ったからだ。
十分が経過する。
呼吸はしているのだろうか、と巴が不安になったころ、杏が動く。
84: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:39:44.24 ID:p8Id/7Jt0
どういう意味か、と問いたくもあったが、ともあれ杏は指した。本人が平気と云うのなら今は勝負の続きだ。巴は盤上に目を向けた。
――7四歩。
なるほど妙手だ、と巴は心の中で唸った。次に桂馬を取った手が王手になる。
85: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:40:46.23 ID:p8Id/7Jt0
意表を突かれた王手だったが、歩は金取りに残っている。うまくすれば後で拾えるかもしれない、などと思いながら、巴が8三に玉を逃がす。
杏は続けて7二に銀を打った。王手飛車取り、とはいえ、この地点には何も利いてはいない。タダ捨てだ。
巴、同玉。杏、7九飛、再三の王手がかかる。
「ぬぅっ……」
86: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:41:49.18 ID:p8Id/7Jt0
巴がほっと息をつく。飛車を奪われてしまったが、連続王手は途切れた。巴、6七歩成。金を取り、敵玉に王手がかかる。杏、同玉。
持ち駒を確認する。金三枚、銀二枚、桂。方や杏は持ち駒を惜しげもなくばらまいたせいで、飛車しかない。駒の損得では負けていないだろう。
しかし自玉はかなり危険な状態にあるように見えた。左が広いが、6五の桂馬がうるさい。まずはこいつを黙らせなければならない。
巴は6四に銀を打った。杏は8二飛、王手だ。
87: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:42:49.27 ID:p8Id/7Jt0
https://i.imgur.com/8cBhszS.jpg
88: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:45:02.51 ID:p8Id/7Jt0
飛成でも同じように王手がかかるのに、わざわざ持ち駒を使うんか?
巴は首を捻りつつ、4三に玉を逃がす。杏、3二飛成。
寒気がした。打ったばかりの飛車を、ためらいもなく捨てる一手。
まさか、と思った。
89: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:45:39.79 ID:p8Id/7Jt0
巴、同玉。杏、5三金。巴、同銀。杏、同桂成。巴、同玉。杏、4五桂。巴、同歩。杏、4四銀。巴、同玉。杏、4二龍。
「どうする?」と杏が囁く。
「……もう何手か、指そうかの」
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