【モバマス】水曜日の午後には、温かいお茶を淹れて
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47: ◆Z5wk4/jklI[sage saga]
2018/12/16(日) 22:30:33.56 ID:/MDiOILR0
「冬のプロダクションのフェスで発表する予定で進められていました」
それは、私たちのユニットのために書かれた歌だった。
苦しい夏を越え、秋を経て冬を耐え、次の春に咲く、花たちの歌。
「このおうた、くるみたちが、歌うの……?」
「そうだよ」美穂ちゃんがくるみちゃんの肩を抱く。「プロデューサーさんが、くれたの」
「プロデューサーさん……」
私は、たくさんの気持ちを抱えたまま、声に出した。後れて、涙が零れる。
「……ねえ」マキノちゃんが言った。「おかしいわ」
全員がマキノちゃんに注目する。
「スタッフ欄の、プロデューサーの名前を見て」
私たちは言われた通り、資料の端に書かれたスタッフ欄からプロデューサーの項を探す。
そこには、プロデューサーさんのものではない、全く知らない名前が記載されていた。
「これ、誰ですか? 私たちのプロデューサーさんは……?」
美穂ちゃんがちひろさんに尋ねる。
「……そこに書かれている名前は、美城プロダクションの共同名義です」
「きょうどうめいぎ?」
くるみちゃんが首をかしげる。
「個人ではなく、会社全体がプロデュースしていたり、または何らかの理由で本来の名前が使えない、そういうときの代理の名前よ」
マキノちゃんが解説する。ちひろさんは肯定するように頷いた。
「今まで黙っていてごめんなさい。あの人は、皆さんの『プロデューサー』という立場ではなかったんです」
沈黙が流れた。私たちの誰も、ちひろさんの言っている意味が理解できなかった。
でも、その一方で私は思い出す。
プロデューサーさんは、一度も自分のことをプロデューサーだとは名乗らなかった。
ちひろさんも一度も、プロデューサーさんと呼ばなかった。
「なんでだよ……」最初に口を開いたのははぁとさんだった。「あの人、ずっとはぁとたちをプロデュースしてたじゃんか……」
私たちは全員、頷いた。はぁとさんの言う通りだった。プロデューサーさんの名前がここに書かれていないのは、おかしい。
マキノちゃんが続く。
「ちひろさんに、教えてもらいたいことがあるの。あの人――私たちのプロデューサーは、一体何者なの? どう考えてもおかしいわ。駐車場の警備員にしては、芸能の仕事が板につきすぎている。今回のはぁとさんの件だって、調べたって出てこないディレクターの経歴を知っていた。事態の収拾も早すぎるわ」
ちひろさんは私たちの視線を受けて、姿勢を正した。
「皆さんのプロデュースをしていたのは、まだ小さかった美城プロダクションをここまで成長させた最大の立役者。そして、ずっとずっと前に一線を退いた、芸能界では伝説となった人物です」
ちひろさんは天井を仰ぐ。
「前世紀にメディアで活躍した有名なアイドルを何人もプロデュースし続け、芸能界にその名を知らぬ人の居なくなったあの人は、敏腕だからこその壁にぶつかりました。あの人が関われば、担当した、というだけでアイドルの実力に関わらずメディアがこぞって取り上げ、分不相応なほどに盛り立てられる。担当アイドルもそれを自分の実力と誤解し、増長する。社内の他のプロデューサーも、状況に甘え危機感を抱かなくなる。あの人は純粋に、実力のあるアイドルを育てたかったのに、自身が知られ過ぎたために、あの人が目指す『芸能』の実現が遠ざかって行ったのです。このままではいずれ、知名度だけで実力の伴わないアイドルが増え、美城のブランドすら危うくなると判断したあの人は、自らその立場を棄て、人前から姿を隠しました」
「それで、駐車場の警備員に?」
私が言うと、ちひろさんが頷いた。
「数年経ってほとぼりが冷めてから、現在まで。今では前のお名前と素性を知る一部の役員の、臨時の相談役として、ここに来ていただいています。警備員のお仕事をされているのは、社に出入りする人々の顔を観たいと仰っていたあの人の希望です。皆さんの仕事に同行しなかったのも、素性を知る業界人から身を隠すのが理由でした。あの人は、みなさんをきちんとした実力のあるアイドルに育てようとしていました」
「そんな人が、私たちのプロデュースをしてくれていたなんて……」美穂ちゃんが言って、祈るようにぎゅっと目をつむった。「私たちのプロデューサーさんは、あの人しかいません」
そう。美穂ちゃんの言う通り、肩書がなんであれ、私たちのプロデューサーさんは、私たちのプロデューサーさん以外ではありえないんだ。
「あの人の言葉を伝えます。万が一の時には伝えるようにと言われていました」ちひろさんは私たち全員を見渡す。「この歌を、ユニット全員で完成させてほしいと」
ちひろさんの口を借りたプロデューサーさんの言葉は、重い塊のように私の心にぶつかり、そして溶けこんでいった。
私以外の皆も、それぞれにプロデューサーさんの言葉を受け止めているようだった。
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