【モバマス】水曜日の午後には、温かいお茶を淹れて
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26: ◆Z5wk4/jklI[sage saga]
2018/12/10(月) 22:05:59.39 ID:Wp4M41Qe0
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 それからしばらく経ったある日の午後、私は美穂ちゃんと一緒にお昼を近くの喫茶店で済ませてから、事務室のドアを開けた。
 事務室の中の椅子に、マキノちゃんが真剣な目をして座っていた。
 私と美穂ちゃんは、ふたりとも入り口のところで固まってしまった。
 なぜなら――マキノちゃんは、座った席の向こうの壁の、何もないところをじっと見つめていたから。
 マキノちゃんはとても、真剣な表情をしていた。

「あ、あの……マキノ、ちゃん?」

 私はおそるおそるマキノちゃんを呼んでみるけれど、マキノちゃんは動かない。私は美穂ちゃんと顔を見合わせる。

「マキノちゃん」

 美穂ちゃんがもういちど声をかけると、マキノちゃんはふーっと長く息をついて、それからようやくこちらを見た。

「……判らないの」

 マキノちゃんはそれだけ言った。
 でも、それだけじゃ私たちにもわからない。声をかけていいのかどうか迷っていると、マキノちゃんはふっと肩の力を抜いた。

「昨日、この前のミーティングで話のあったモデルの仕事に行ったの。特別なことはない仕事だった。でも、その仕事の最中に、上条春菜……あの人が、変わったのよ」マキノちゃんはそこで口元に手をやり、悩む。「いや……化けた、咲いた? と表現すべきかしら。とにかく、彼女のなにかが一変したわ。いい方向に」

 私と美穂ちゃんは事務室の中に入り、それぞれ椅子に座る。

「なにか、きっかけがあったのかな?」

 私が尋ねると、マキノちゃんが目を細める。悩んでいるみたいだった。

「撮影中、春菜の眼鏡へのこだわりを、カメラマンから妨げられそうになって、それをきっかけにプロデューサーが休憩を入れた。休憩中に春菜は自分のプロデューサーと、眼鏡アイドルを貫く決意を確認しあった。それだけ。それだけのはずなの。それだけなのに……どうして」

「決意したことが、きっかけになったのかな?」

 美穂ちゃんが言うと、マキノちゃんは唸った。

「そうとしか言えない。でも、特別な言葉じゃなかった。想いが大事なのは否定しない。だけれど、あんなに……ううん、私の目で観ているのだから、疑いようもないわね。それは判っているの。だけど、私の目で観たものが、解析しきれない……あんなに短い時間の、短い言葉のやりとりで、あんなにも情報量、が……」

 マキノちゃんは机に視線を落とすと、そのまま少し黙った。
 それから、肩を小刻みに震わせる。
 マキノちゃんは、ぎらついた目で笑っていた。

「解析しようとしても、解析しきれない……なんて、魅力的なのかしら……! 私も、ああなれる? ううん、なってみせる……それから、絶対に解析して、理論化してみせるわ」

 ――私の背筋が冷えたような気がした。
 思わず身を引いて――私は、ふと思う。
 ひょっとしたら、私がいまマキノちゃんから感じた雰囲気は、マキノちゃん自身が春菜さんに感じたものと、同じなんじゃないだろうか。
 マキノちゃんは、机に左手をついて、ゆっくりとした動作で立ち上がった。
 机についた左手で体重の一部を支えたまま、右手で髪をかきあげて、ひとつ息をつく。一連の動きは流れるようにしなやかで、マキノちゃんの首から背中、腰のラインは、私がどきりとしてしまうくらいに美しい曲線を描いて――
 ほんの一瞬だったけれど、私は、見惚れていた。

「自主レッスンに行くわ。いまは、身体を動かしたいの」

「あ、私も行こうと思ってたんだ」美穂ちゃんが立ち上がる。「フェスの曲の振り付け、練習しておきたいなって。一緒にいいかな?」

「ええ、もちろん」

 マキノちゃんは通学鞄を持ちあげると、ドアへと向かう。

「また、今度」

「夕美さん、また!」

「あ、うん、またね!」

 私は部屋から出ていく美穂ちゃんとマキノちゃんに手を振った。
 扉が閉まるまで、その後ろ姿を見送る。



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