373:孤独の味(お題:酒)1/7[sage]
2017/01/08(日) 16:35:15.98 ID:eqTV8GGAo
大学四年生のときに、私は彼と知り合った。
仮に彼のことをサイトウと呼ぶことにする。
四年のゼミの配属先が私とサイトウは同じだった。専攻が同じだったにもかかわらず、私と彼はそれまで一度
も顔を合わせたことがなかった。必修の科目でも私と彼は常に別のクラスを選び続け、一度も平行線が交わるこ
とがなかったということだ。ゆえに、最初の授業の日、少し早めにゼミの教室に入って彼を目にした時、別の専
374:孤独の味(お題:酒)2/7[sage]
2017/01/08(日) 16:35:47.95 ID:eqTV8GGAo
その年の夏休み私は卒論の準備が順調だったため、実家に帰ることにした。ありがちなことではあるが、一人
暮らしのうちに身につけた私の価値観と両親の価値観とにズレが生じており、ほんの三日生活を共にしただけで
険悪な雰囲気が家族の間に生まれてしまった。そういうわけで私は帰省を後悔しながら東京の下宿に戻り、する
こともないので大学で研究資料を集めることにした。
その時偶然出会ったのがサイトウだった。彼は私と同様に下宿にとどまり(私は一度は帰ったわけだが)、図
375:孤独の味(お題:酒)3/7[sage]
2017/01/08(日) 16:36:23.87 ID:eqTV8GGAo
「そう。いや、ちょっとしたことでね。こっちで就活進めてたのに、今更地元に戻ってこいなんて言い出して
さ。実際、まだ本格的に動き出してないから強く言い返すこともできなかった。俺自身、なんで東京で就職した
いかと言われれば、特に理由もないんだ」
私はそう話してからすぐ、余計なことを言ったな、と思った。しかし同時に、それほど親しい相手ではないか
らこそ、好きなだけ話したって構うものかという気になった。その日は酒の席でもないのに、私は妙に饒舌にな
376:孤独の味(お題:酒)4/7[sage]
2017/01/08(日) 16:36:49.51 ID:eqTV8GGAo
秋が去り、冬の季節に差し掛かった頃のこと。私は結局東京で就職先を見つけ、親との軋轢を残したまま自ら
の進路を決めていた。人生を生きて行くうちに、いくつか不和を抱えることになるのは、仕方のないことだ。そ
んな悟りを開き、卒論の仕上げに集中していた。
十二月の最後のゼミの時、私はサイトウの異変に気がついた。
いつもポーカーフェイスで、自らを隠している彼が、すっかり弱りきって見えたのだ。
377:孤独の味(お題:酒)5/7[sage]
2017/01/08(日) 16:37:16.56 ID:eqTV8GGAo
私は店の選択を彼に任せ、電車に乗り、地下鉄を乗り継いで、銀座に行った。
歌舞伎座の前を通り過ぎ、細い通りに入っていく。そんな通りにも立派な店が軒を連ね、いかにも高級そうな
服装の年寄りが行き来している。こんなところに、大学生二人で入る店があるのかと、私は不安に思った。
サイトウは、さらに細い道に入った。路地裏のような通りだ。街灯もなく、壁にはスプレーで落書きがされて
いる。下水道の穴から白い煙が上っている。
378:孤独の味(お題:酒)6/7[sage]
2017/01/08(日) 16:37:51.72 ID:eqTV8GGAo
「あいつらと仲よかったっけ」
「いいや、仲がいいってほどじゃないけど、何度か話したことがあったからね」
訊くと、サイトウはゼミのほぼ全員と交友があるということだった。それも、いつも一対一で話す関係を作っ
ている。しかし複数人で遊んだことは一度もないという。
「ゼミに限らない。僕は、あんまり大勢で行動するのが億劫だから、一対一で話せるときだけ誘ったり誘いを受
379:孤独の味(お題:酒)7/7[sage]
2017/01/08(日) 16:39:00.21 ID:eqTV8GGAo
私はモスコミュールを飲む。きつい、強い口当たりだ。苦く、しかし後味を残さずに抜けていく。
「僕は思うんだよ。この僕は、丸めた原稿用紙を捨てるためのゴミ箱なんじゃないか」
「それは、違うよ」
私は言った。しかし、言葉は彼に届く前に消滅してしまったような気がした。
「違わないかな。それは愚痴を言うのとは異なる行為なんだ。原稿用紙を放って、放ったことも忘れてしまうと
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