Helleborus Observation Diary 

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102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:11:51.87 ID:RFFO57rv0

「とーかちゃん、おはよーございまーす」

 ちょっと驚いている私をよそに、つかさは黒板の近くに先生を見つけるやいなや、小学生でもしないようなわざとらしく間延びした挨拶をした。
 視線を戻すと、さっきの子はまだこちらを見ていた。ううん……これはどういう反応をすればいいのか。

 てきとうに会釈をすると、へらーっとした笑みが返ってきた。これはこういうコミュニケーションなのかな? と思った。今度直接聞いてみよう。

「おはようございます、つかささん」

 つかさはいつも先生にがんがん絡んでいく。お気に入りらしい。
 私も「おはようございます」と言うと、きっちりと挨拶を返してきたあとに、先生ははっとしたような表情をした。

「つかささん、あの、ちゃん付けはやめようね。これでもいちおう先生だから」

103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:12:31.64 ID:RFFO57rv0

「はいはーい、わかってますよーとーかせんせー」

「もー……。ああ、今日はちゃんと寝ないで授業受けなさいよ」

「がんばりまーす」

「あっそうそう、テスト勉強はちゃんとやってるの?」

「え、せんせー、テストはまだまだ先ですよ?」

「でもつかささんは、今からやってないと補習かかっちゃうじゃない」

「んー……たしかに。それはたしかにですけどー」

 ともだちみたく楽しそうに会話をしてるなぁとぼんやり二人を眺めて、自分の席へと向かった。

104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:14:13.87 ID:RFFO57rv0




 その後は特にこれと言ってなにもなくただ授業を受けて、気付けば放課後になっていた。

 今日も栞奈は部活で、つかさは用事があるとかなんとかで、帰りは必然的に桃と二人になった。
 部室は……まあいいかなと思って行かなかった。週明けだから、花たちの様子は朝と昼に見にいったのだった。

 この前からの続きのように桃のマフラーを巻いてあげる。三日続ければそれはもう習慣になっているという話があるように。
 帰るよとなったときにちょっと落ち着かなそうになる桃を観察するのも面白いかもと思ったのだけれど、そういうのはなんとなく悪いなと思って、私の方から「ほら」と促した。

 校舎の外に出ると、しとしとと細かい雨が音らしい音を立てずに降っていた。

 自転車を置いて帰るかどうか、と迷いながらスマホで明日の天気予報を確認する。快晴。

「傘入らせてもらってもいい?」

 と言ってみたら、

「あっうん、ぜんぜんいいよ」

 と桃はあっさり受け入れてくれた。

105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:14:59.31 ID:RFFO57rv0

「ふゆ、濡れるからもうちょっと寄って」

「いいの?」

「うん。……あ、そういうの気にする?」

「そういうのって?」

 訊ねると、桃は少しだけ表情を固くした。

「近い、とか」

「いやないない」

 間が生まれないようにすぐに返事をする。
 ついでにハンドルを横にずらして桃に寄る。小さな水たまりからはねた飛沫で僅かに足が濡れた。

「こういう場合は気にしてもおかしくないって思った」

「んーでも、お願いしてるのは私の方なんだから、近寄れでも離れろでもどっちでも大丈夫だよ?」

「いやその、そうじゃなくて。……気付いてないみたいだけど、相合傘ってことになるじゃん、これ」

「ああ、たしかに」

 言われてみれば、と思い桃に目を向けると、
 やっぱり気付いてなかった、というような苦笑が返ってくる。

106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:15:27.55 ID:RFFO57rv0

「したことなかったっけ」

「ない。ないない」

 ないよ、と考えているうちに付け加えられる。

「写真撮るときとかもっと近いから、なんで今更訊くんだろーって思った」

「たしかに。ちょっとわたしが意識しすぎてたかな」

「……」

「……あ、ちがうのちがうの」

 何も言ってないのに、というか言う前に、あたふたしている感じでふいっと目を逸らされる。それに触れずに頷いて、横目で様子を窺っているうちに、桃は息を整えてから再度こちらを向いた。

「あの、ぜんぜん関係ないんだけど、写真っていうとさ」

「……栞奈から送られてきたやつ?」

「よくわかったね。そうそう、ふゆの写真」

 と桃はコートのポケットからスマホを取り出す。

 いやいや、と反射的に左手を伸ばして画面を覆う。

107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:16:09.34 ID:RFFO57rv0

「やめてよ恥ずかしいから」

「そう?」

「じゃ想像してみて。友達に自分の写真が映ってる画面見せられるの、恥ずかしくない?」

「うん恥ずかしい」

「ならしないでよ」

「ごめん。働いてるときのふゆを見るの初めてで、ちょっとうれしくなって」

 桃はふわふわ笑って、手に持っているスマホを元に戻す。そして、「かわいかったから保存しちゃったんだよね」と嬉しそうに一言。

 こういうことになるなら、栞奈に適当なこと言わずに『送らないで』って言うべきだった。なんだ『別にいいよ』って。あのときの自分を恨む。
 まあ、喜んでくれているなら……いや、逆にそっちの方が恥ずかしさが増す。いっそのことイジってくれた方が気が楽だ。今日ここまで何も言われなかったから、言ってこないのではないか、と期待していた部分があった。

 私が墓穴ったせいで桃に連想させたのだから、悪いのはどう考えても私。適当なことばかり言わないように努めよう。何事も考えてから発言と心の中で誓う。
 でもきっと今から一分後にはその誓いごと忘れてるんだよなぁ。最近そんなことばかり思う。

108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:16:57.26 ID:RFFO57rv0

「栞奈ちゃんって、ふゆのお店によく来るの?」

「いや、たまに。今まで何回か」

 答えると、なにかを思いついたように桃はすぐ近くから目線を外し遠くを見る。僅かに歩調が早まった。

「よければなんだけど、わたしも行ってみていいかな」

「あ、うん。いつでもどうぞー」

「え、ほんと? 実はね、前から行ってみたいなーって思ってはいたんだよね」

「へえ、そうなんだ」

 土曜日にした瑠奏さんとの会話を思い出す。

 桃が来たら瑠奏さんはどういう反応をするのかな、と思ったけど、あの人は身長が高めの同性を見ると動揺する習性があることを思い出した。
 それってどんな習性だよ、という自己ツッコミはさておき。

 ぼとぼとと傘に落ちる音がして、雨が少し強くなってきたことに気付く。傘の外に出した腕にはすぐに雨粒が滴った。

109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:17:32.52 ID:RFFO57rv0

 桃もそれに気付いたようで、傘を持つ腕と私の肩とが触れ合うかというくらいまで身体を寄せてくる。

「いきなり行っても迷惑かなって思ってたのもあるけど、一番はやっぱり機を逃していたっていうか、そういう感じで……ふゆがいいなら今度行ってみるね」

「うん」

 律儀だなぁ、とぼんやり思う。迷惑だなんて思うわけないのに。
 まあ、何かを突然の思いつきで実行しようとしたけど、それまで放っておいたせいでなにかしらの手順を踏む必要性が出てきてしまった、という経験は私もある。

 ていうかそんなことだらけなのだ。

「言ってみてよかった」

 と桃は言ったけれど、栞奈が桃に私の写真を送らなかったら、多分バイト先に行ってみたいのバの字も出ていなかっただろう。

 きっかけというものは普段注視して見ようとしていないだけで、そこらへんに無数に転がっている。そのかわりずっと放置してると拾い上げるのは難しくなる。
 それが存在している地面や空間はほとんど変わっていないはずなのに。

「ちょっと駅前のお店寄っていかない?」

「いいよ。買い物?」

110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:18:30.71 ID:RFFO57rv0

「えっと、そう。それもあるんだけど……」

 ほら、と桃は傘越しに薄暗い空を指差す。
 雨宿りも兼ねて、ということだとすぐに気付く。

 私も桃につられて周りを見る。勢いをさらに増した雨は白驟雨と呼べるようなもので、等間隔に植えられている街路樹の木の葉からは、閉め忘れた蛇口のように断続的に水が流れ落ちていた。
 傘の外を見れば、街灯がレモン色に光っている。この通りは昔はすべてガス燈だったはずだけれど、ちょっと見ないうちにそうじゃないものが入り混じるようになっていた。

「ふゆはこういうとき、家に連絡とかする?」

「しないかな」

「そっか。なら、わたしもいいかな」

 なんて会話をしているうちに駅前について、さてどこに行くかというふうに視線がかち合う。

 どちらもそんなに行きたいところはないよね、と自転車置き場のある商業施設にそのまま入ることにした。
 二人で放課後どこかに寄るなんて初めてかもしれない。思いつく限りだと今年の春に桃の家に行ったことくらいで、それは私からしたら『寄る』かもだけど、桃目線だとそうじゃない。

 ほぼ毎日一緒に帰っていてそうなのだから、それはもう"機を逃していた"、とは言えないなと思った。

111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:19:11.70 ID:RFFO57rv0




 商業施設の入ってすぐの場所にフードコートがあったので、ちょっと巡ってからここで軽食をとろうと決めて館内をぶらつくことにした。

 壁に貼られているフロアガイドをちらっと見ると、二階はファッション関係、三階はアミューズメント系など、階数ごとに大まかに店の系統が分かれているみたいだった。
 桃は迷いなく三階まで上がった。今の時間というのもあって、フロアはそこそこ混雑していた。

 少し歩いたところで、「もしかして初めて?」と桃が足を止めずに振り返る。

「お恥ずかしながら」

「ふゆはあんまり出歩かなそうだもんね」

「まあね。てことで案内よろしくね」

「うんうん。わたしもそのつもりだったから、任せて」

 エスカレーターから歩いてすぐのところにある、ゲームセンターの前を通る。
 私たちと同じ制服を着ている生徒の姿が見える。他の学校の人もいるけど、こういうときはなんとなく目につくものだ。

112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:19:47.75 ID:RFFO57rv0

 暇をつぶす目的ならそうだろうと足がそちらを向きかけていた。が、桃の目当てはゲームセンターではなかったらしい。
 そこも通り過ぎて、割と大きめの本屋の前まで来た。

「参考書をちょっと見たいんだけど、いい?」

「いいよ。……て、桃。もしかして受験用?」

「そういう感じ」

「わーまじめだ」

「格好だけでも受験しますよ感を出したくて」

「ああ。そういうところから差が付いていくのね」

「いや、いやいや、ふゆとわたしの成績そんな変わらないし……ていうかむしろふゆの方がいつもちょっとずついいじゃん」

「そうだっけ?」

「そうだよー」

 なんとも言えない恨めしげな視線が飛んできた。

 参考書コーナーに着くと、桃はどちらかというと苦手だという理系科目の参考書をパラパラと見始めた。

113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:20:30.47 ID:RFFO57rv0

 大々的な帯に辟易しながら同じものを手に取る。ちょっと読んですぐに戻すくらいには、何が書いてあるのかさっぱりだ。

「でも私、受験するかどうかはまだ決めてないんだよね」

「え、ほんと?」

 桃の表情が一瞬にして凍る。
 そんなに驚くことなのかと思う。

「それってつまり、卒業したら働くってこと?」

「んーまあ、そうなるね」

 そりゃニートするってわけにもいかないだろう。
 高校は何の気なしに入ったけれど、それだって多少なりとも思うところはあった。だから、その先は私にとって手に余るようなものである気がしてならない。

 やりたいこととかないし。これから先、受験までの一年ちょいでそれを見つけられるとは思えない。
 勉強しない理由をそういう風に作り出している……わけではないと思う。考えられていないだけ。でもそれはきっといつまで経っても変わらない。

「どっちにしろ、ちゃんと考えたうえで決めないとね」

「そっか。やっぱりふゆって真面目だよね」

「そう?」

114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:23:48.00 ID:RFFO57rv0

「だってなんとなく"自分は進学するんだろうな"ってわたしは思ってるし、わたし以外でも結構な人がそうだと思うから」

「……んー、そっか」

 結構な人。つまりそれが普通なのかな。
 聞かれたことにちゃんと答えようとすると、自分が普通から外れていることに気付かされる時がある。

 つかさが言っていたのもこういうことなのだろう。
 ここにはいない誰かに合わせて「私も進学かな」と答えるべきところだった。けど私はそうはしなかった。こういうある種の噛み合わなさを積み重ねれば、変わっているとみなされても不思議じゃない。

「ふゆ?」

 桃が私の顔を覗き込んでくる。考え込んでしまっていて返答が疎かになっていたからかな。

「なんでもない。でもまあ私も進学なのかな」

「そうなの?」

「特に理由はないけど。……ないなら、桃と同じ進路がいいなって」

 今のところは、と付け加える。
 桃は僅かに驚いたような素振りをしてから、くすくすと笑った。

115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:32:02.31 ID:RFFO57rv0

「ちゃんと考えないとって言ってなかった?」

「とりあえず先延ばしにしとくのが吉だと思ったのもあるかも」

「先延ばしにしたらわたしと同じ進路になるのね」

「まあね。主体性がないもので」

「そんなことないでしょ」

 桃がまた笑う。「いやそうなんですよ」と答えたら笑ったまま流された。ひどい。

「そういう未来を想像するのは、ちょっと楽しいかもね」

「どういう未来?」

「桃と一緒の大学に通ってー、みたいな」

 目の前の棚には大学名が書かれた参考書が並んでいる。いわゆる赤本ってやつだ。
 近くの大学のものに指を掛ける。まったくの偶然だったのだけれど、学校で受けた模試で私のレベルに合っていると出ていたところだった。

「今とそんなに変わらなそうだけど」と桃は首を傾げた。

116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:32:55.53 ID:RFFO57rv0

「たしかにね。でもそこがいいんじゃないの」

「てことは、ふゆは今と変わらない方がいいと」

「うん」

「今のままがいいのね」

 繰り返し二回言ったし、なにやら含みのある言い方に感じた。直感。本に向けていた目線を外して、桃の方を盗み見る。
 すると今度は桃が考え込む番になったようだった。さっきまでは前屈みで表情がよく見えたのだが、しゃんとしている姿勢では身長差も相まって、マフラーがかかっている口元の様子までは覗けない。

「たしかに、ふゆとの大学生活は楽しそう」

 どう反応すべきか迷っているうちに、逸らしていた目を私に合わせて、桃は口を開いた。
 杞憂だったみたいだ。私の直感なんてそんなに当たらない。桃の心情を勝手に予想して、変なことを口走ってしまっていなくてよかった。

 ほっとしていると、「あ、そだ」と桃は私が手に持っているのと同じ本を取って呟いた。

「もし同じ大学になったら、一緒に住む?」

「えぇ? いや、それは、はは……」

 思わず変な声と渇いた笑いが出る。

117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:33:36.77 ID:RFFO57rv0

「え、そんなに嫌?」

「嫌ってことはないけど……、冗談じゃないの?」

「……んー、冗談じゃないって言ったら?」

「ちょっと考える。で、まあ多分だけど、そういう未来もありかもなー、って思うんじゃないかな」

「あはは。なら冗談じゃないってことにする」

 と言って笑う桃を見て、「やっぱり冗談だったのね」と安心した。

 その後、ちょっとの間、お互い手に持っていた本や、他の参考書について話をして、そのうちの何冊かを買った。
 暇なときに開いて勉強したらめっちゃあたまがよくなるかもな、と思った。

 会計を終え本屋を出ると、向かいにある雑貨屋が目に入り、「あ」と閃くことがあった。買おう買おうと思ってそのままにしていたものの存在を思い出す。

 桃に確認を取ってお店に入る。さっきの本屋とは違って、明るい照明が白い床に反射していて目が痛くなった。

 文房具に化粧品、キッチン用品などを見て巡る。青ペンが切れかかっていたなーとか、この化粧水おすすめだよーとか、そんなことを話しながら歩いているうちに目当てのものを見つけた。

「手帳?」

「そう手帳」

118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:34:28.27 ID:RFFO57rv0

 私が手に取ったものは、日記帳とスケジュール帳と、その他もろもろが一緒になった多機能な手帳だ。今使っているのと同じもので、十二月始まりだから今の時期に買っておこうと思っていた。
 商売用語だとエンドって言うんだったかな、目につきやすい通路に置かれているもので、ポップには日本一売れてるとかそういうことが書いてあった。たしかに使いやすいし、続けることが苦にならないような設計がなされている。

「ふゆはどういうこと書いてるの?」

「バイトの予定とか日記とか。まあほぼ日記かな」

「その日あったこととか?」

「そうそう。もちろん今日のことも書くよ」

「わたしと一緒に帰った……とか?」

「それはほぼ毎日だから書かない」

「あ、そっか。ほぼ毎日だもんね」

 仲良くなったばかりの頃は毎回書いていた、とは言わなくていいよね。もし言ったとしたら顔をあげられなくなりそうだった。

「ふゆが日記つけてたなんて知らなかった」

「まあ学校に持ってかないし」

「たしかに見たことない」

「たまに見返すとちょっと前の自分ってこんなこと考えてたんだーってまぁまぁ楽しくなるよ」

「そうなんだ。……なんか、興味湧いてきたかも」

119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:35:05.69 ID:RFFO57rv0

「へぇー、なら買ってみたら?」

「んーでも大丈夫かなー。続けられるか心配」

 私のイメージだと桃は几帳面なタイプだから、ずっと続きそうではあるけどなぁ。

 適当なマインドでやった方が忘れたときの罪悪感やらなんやらがないから続くのかも……いや、それは個々人の気の持ちようだから関係ないか。

 私が買いに来ただけだから桃に勧める理由はない。けどなんとなく勧める感じになっていた。
 日記仲間を欲していたのかもしれない。もちろん交換日記みたいなのをするつもりはないし、お互いに見せたりもしないんだろうけど。

「ならお揃いで買おう」と同じものをもう一つ取って、桃に手渡す。

 すると桃は『それならいいか』というように朗らかに笑った。

120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:35:49.15 ID:RFFO57rv0

「ふゆのこといっぱい書くようにするよ」

「おー、たとえば?」

「今日はルームシェアを提案してやんわり断られた、とか」

「えぇ……いやまあ、ご自由に書いてください」

「そうする」

「うん。じゃあ買いに行こっか」

 もう冗談かどうか聞くのはやめにしておいた。

 時計を確認するともうそろそろいい時間になっていて、軽くご飯を食べて、外に出る頃には雨は上がっていた。

「今日すごく楽しかった」と別れ際になって桃が言ったので、「私も楽しかったよ」とそれに追随する。
 言おうとしていたちょうど同じ時に言われたものだから、先を越されて悔しいような、不思議な気持ちになって、次にふたりでここに来るときは私から誘おうと気付けば考えていた。

 一人になって夜道を自転車で進みながら、こういう遊んだり買い物に行ったりすることが、これからは増えてくるのだろうなぁとなんとなく感じた。

121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/05/17(日) 01:37:00.12 ID:RFFO57rv0
本日の投下は以上です。
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/06/05(金) 19:52:23.51 ID:0hs/lJ9k0
よんでます
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/08/31(月) 02:06:20.67 ID:Y9VkGZZ2O
待ってる
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:13:39.96 ID:j0AiLQi+O




 翌日の朝は、少なくとも昨日よりはちゃんと週番の子と会話することができた。
 途中、珍しく(最近では二度目だけれど)先生が教室に来て三人になり、話を聞く側にまわれたことが良かったのかもしれない。

 先生が朝早く来たのは、放課後に部長会があることを伝えるためらしかった。
 月一で決まった曜日にあるのは知っていたし、諸々の持ち物などは過去のものを流用すればいいので不都合は生じないと説明すると、先生はほっと胸をなで下ろしていた。

 そしてその放課後になると、栞奈が話しかけてきた。
「部長会初めてなの」と。そういえばこの前、三年の先輩が引退して部長になったと言っていた気がする。

「どういうことをするの?」

「ただ各部の部長が集まって話をする」

「……だけ?」

「だけ」

「ふうん。それはなんか、すっごく退屈そう」

「退屈だよ、実際。時間の無駄とまでは言わないけど」

「霞がそう言うってことは……まあ、察した」

 栞奈は面倒そうな表情をつくって苦笑する。
 言い方を間違えたような気がして、私は少し後悔した。

125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:14:25.58 ID:j0AiLQi+O

「今日はせっかくの休みなのに、運悪いなぁ」

 そう言って栞奈は窓の外を見つめて、深い溜め息をついた。
 それになんと返せばいいのか分からないまま、栞奈の横顔をちらと覗く。けっこう疲れていそうな顔をしていた。

 ひとまず机の上の荷物を片付けて、二人で教室の外に出る。
 大変だね、とか、疲れてるね、とかそういうことを言えればいいんだけど。そういうのって、実際つらい人からすると、わざわざ言われては迷惑かもしれない。
 廊下を歩いているうちになにか言うことが見つかるだろうと思ったけれど、結局思いつかなかった。

「そういえばさ、この前は来てくれてありがとう」

 だから、がらっと話題を変えることにした。

「こちらこそ。うちのお母さんね、すごく喜んでくれたんだよ。
 いい友達がいるのね、って。なんだか私の方まで鼻が高くなっちゃった」

「ならよかった。正直、ちょっと不安だったんだよね」

「喜んでくれるか? ってこと?」

126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:16:07.34 ID:j0AiLQi+O

「そう。友達のお母さんに向けて、っていうのは初めてだったから」

「んー、霞はもっと、自分に自信持っていいと思うよ」

「それ、お店のパートさんにも言われるんだよね。
 そういう気持ちっていうのは出ちゃうものだから、みたいな」

 だから、なるべく隠すようにはしていた。
 おどおどしている店員がいたら漠然と不安になるのは当然のこと。
 まあ……高校生か、もう少し大人に見られたとしても大学生くらいのバイトが色々としようとしている時点で、不安になる人はなるだろうけど。

「バイトだけじゃなくてさ、もっと広い意味で自信持っていいと思うよ。霞は、一年生から部長やってるし、周りと比べて落ち着いてるし」

「あ、うん」

「それと桃が、写真見て喜んでたし」

「それは……関係ある?」

127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:17:18.31 ID:j0AiLQi+O

「かわいいって言ってたよ。ライン見る?」

「もう昨日桃から直接言われたから、大丈夫」

「そっかー。桃にめっちゃ好かれてるもんね、霞は」

「……なんで嬉しそうなの?」

「いや、なんとなくね」

 さっきまでの憂鬱そうな表情から一転、栞奈はいたずらっぽく笑った。

 そんなふうなやり取りをしているうちに、会議室の前についた。
 中から聞こえてくる声は騒がしく、あぁこんな感じだったな、と先月のことを思い返す。

 初参加で緊張しているからなのかもしれないが、ひとつ咳払いをして、真剣そうに姿勢を正す栞奈を見て、これが部長のあるべき姿と感心した。

128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:17:55.13 ID:j0AiLQi+O




そして退屈な部長会を終えて教室に戻ると、桃とつかさがトランプで遊んでいた。

 スピードをしている最中だったみたいで、きびきび手を動かす二人を手近な席に座って眺める。

 教室には他のクラスメイトの姿はなかった。運動部の子が多いクラスだからなのか、それともたまたまか。
 隣の教室からは明らかに大人数の、明るい話し声が聞こえてきていた。

 戦況は見た感じ白熱しているみたいだった。二人とも体育のときくらい動きが俊敏だ。

 自分の席に座った栞奈はというと、部長会で渡された資料に目を通していた。

「あ、これ終わったじゃん」

 というつかさの声で、勝負が決したことに気付く。

 手に汗握る戦いどころではないくらい熱い勝負だったみたいだ。つかさは手だけでなく額に汗を浮かべている。
 それをコートの袖でぐいぐいと拭い、ペットボトルのお茶を一口。そんで「もっかい!」と胸の前に人差し指を立てる。

「……てか、どうして暖房入ってるのに厚着なの?」

 まあ私も思っていたことだけど、栞奈が呆れ口調でつかさに問いかける。

129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:19:11.13 ID:j0AiLQi+O

「二人を待ってたんだよ。すぐ来ると思ってたから、着たまま」

「あれ、私つーと帰る約束してたっけか」

「ん、してない。でも四人全員休みなんだから遊びたいじゃん?」

「それなら前もって言ってくれればよかったのに」

「約束しなくたって遊べるのが友達じゃん?」

「まあ、そうね」

 面倒になったのか同意したのか、栞奈はつかさに向けて頷く。
 ふっと笑ったつかさは、今度はちらりと正面の桃に目を飛ばしてまたにかっと笑った。

「で、おふたりさんが持ってるそれはなんなの?」とつかさは資料を覗き込んでくる。

 今日の議題? 話題? は年度末に出される文集についてだった。
 部長が各部の紹介と活動報告などについて書くもので、去年は先代の、三年の先輩たちにお願いをして私はやらなかった。

 大半の部活は、見開き程度書いていたけれど、お察しの通り園芸部は数行だったような記憶がある。
 めぼしい活動をしていなかったから仕方ない。私はまず部活自体にそんなに顔を出していなかったから、当時の実態についてはよく知らないのだが。

 ただそれが影響したのか否か、「ちゃんと書いてくださいね」と文集担当の生徒が言ったときの視線は、私に注がれていた気がした。


130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:19:49.37 ID:j0AiLQi+O

「おとなのまねごと」と小学生に何かを教えるように言って、栞奈は紙をファイルにしまう。

 たしかに、そう形容するのが丁度いいかもしれない。
 こういう表現は栞奈らしい。語彙力……表現力の差かな?

 それに対して「へー、なんか難しそうだね」とつかさは興味なさげな棒読みで返答する。そして、

「最初はババ抜きして、すぐ飽きて、今度はスピードしてたんだけど、わたしが弱過ぎてねぇー」

 と、あっさり話を終わらせて、切り終えたトランプを私達に向けて差し出してきた。

「栞奈これから暇っしょ? 人数多かったら大富豪できるし、やろやろっ」

「いいよ。下校時間までね」

「わかってるって。んでふゆゆは?」

「あぁうん。参加しまーす」

「よしきた! じゃあまずルールの確認からはじめよ。大富豪はいろいろとローカルルールが多くてやんなっちゃうからねー」

131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:20:35.15 ID:j0AiLQi+O

 ようやくつかさは上着を脱いで、ぺらぺらとルールの説明をし始めた。
 まあなんかいろんなことを言っていたが、やっていくうちに分かってくるだろうと聞き流す。

 手持ち無沙汰を誤魔化すようになんとなく桃の方を見ると、桃の方も私を見ていた。
 暇つぶしにじぃっとそのまま見続ける。すると、「そこ! 見つめ合わない!」というつかさからの謎の指摘が入る。

「仲良し二人組で逸らしちゃだめゲームでもやってんの?」

「やってない」

 否定したのは私だけだった。桃はくすくす笑っている。

「じゃあふゆゆはわたしともやってみよう」

「いや、やってないって言ったんだけど」

「いいからいいからー。はい、すたーとぉ」

 ぱち、と手を打ち鳴らして、つかさは私を見てくる。
 なんだこれ、と少しためらいながら、まあしょうがないなと付き合うことにする。

132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:21:16.99 ID:j0AiLQi+O

 数秒後、つかさはへらーっと笑いながら目を逸らした。

「……え、はやくない?」

「んー……なんというかー、恥ずかしくなった」

「あぁそう」

「逆にきみたちよくこんなに恥ずかしいことできるな」

 前髪をくいくいと弄りつつ、つかさは桃と私に、気持ち桃に対して多めに視線を飛ばす。
 その桃が頷いて、机に肘をつけていた私の腕をつかまえて、つかさの方へと掲げながら言った。
 
「つーちゃんがすぐ逸らしちゃうのは、ふゆが相手だからじゃない?」

「えー? あーまぁ、その可能性もある」

「ためしにわたしとやってみる?」

「やってみる」

 言葉通りに二人は見つめ合う。ちなみに私の腕を掴んだままで。数十秒経っても逸らすことなく。
 そして実験成功だとばかりに二人は笑って、すぐに私にも笑いかけてくる。

133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:22:07.43 ID:j0AiLQi+O

「ふゆゆがべりきゅーとなのが原因でした」

「なにそれ」

「慣れてるつもりだったけど、なかなか修行が足りないなーわたしは」

「……」

 大真面目な顔でつかさはうんうん頷く。どういうことなのか、正直いって掴めない。……まぁ、べつになんでもいいようなことだ。

 ぱっと手を離した桃は、「ごめん。つい無意識で」となぜか謝ってくる。あぁいやべつにという意味を込めて手を振ると、「さすが仲良し二人組」と栞奈が言ってくる。

 桃と私が特にってわけでもないだろうし、仲良し四人組でいいんじゃないかな? という疑問は持ったけれど、会話の流れからして間違いではないし口にはしなかった。

 大富豪が始まると、ああこんなルールもあったな、と思いながら楽しめた。
 細やかな記憶はないけれど、覚えている限りでは小学校の時以来だった。こういうトランプゲームなんかは、たまにやると楽しい。

134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:22:48.18 ID:j0AiLQi+O

 つかさは自分の番がまわってきたらあまり考えずに持っているカードを出す。そのせいで最後に禁止あがりカードしか残っていなかったりして、ほぼ自滅する。
 栞奈はパスを多用してると思ったら、いつの間にか親を取り、一度に多くの枚数を出してターンを継続して、一抜けしている。一戦前の勝ち方なんてもはや芸術的。

 その二人で大富豪と大貧民は決まっていて、間の桃と私の順位が入れ替わる感じで、何戦か終える。富める者はさらに富み、貧する者はさらに貧する、という感じだった。

 それから小休憩を挟みつつ大富豪を続けて、四枚の六で革命を起こしたつかさが一抜けするとほぼ同時に、下校時刻を伝えるチャイムが鳴った。気付かないうちに、もう十八時過ぎになっていた。

「わたしの勝ちで終わりー。気分いいなー」

「つー、勝ち逃げはずるい。もう一戦」

「えー? 下校時刻までって言ってたのは栞奈じゃん?」

 初めて大富豪になったつかさが栞奈を煽る。前から思ってたことだけど、栞奈は勝負事にけっこうこだわるタイプらしい。
 また今度やろうね、とみんなで言いながら下校の準備をする。その間も、つかさは勝てて嬉しそうな様子だった。

「つぎはわたしが大富豪スタートな」

「はいはい。ははー、つー大富豪さまー」

 仲良し二人組ってこっちのことを言うんじゃないかな。

135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:23:57.53 ID:j0AiLQi+O

 見回りの先生が電気を消しにきたので慌てて校舎から出ると、外は思いのほか寒く背が縮こまった。

 握り拳をつくって息を吹き込み、手を擦り合わせながら歩く。「じゃ、私らバスだから」と栞奈がつかさと一緒に反対方向に進んでいく。

「私ら仲良し二人組も帰ろっか」

 何の気なしに言うと、桃の肩がぴくと跳ねた。そして、わずかに顔がふにゃっと緩む。
「う、うん」と目を逸らしながら返答してくる頃には、もう元に戻っていたけど。

「ごめん。よく考えたら恥ずかしいね」

 校門から少し歩いたところにある信号で足を止めて、桃の顔を覗き込みながら言う。そりゃみんなの前と二人きりとでは違うか。
 わたしらなかよしーわーわーって感じでもないし。お互いに。

「や、うれしいなって、思って」

 けれどこちらを向いた桃の表情は、また柔らかなものになっていた。素直に喜んでくれているみたいで、私も言葉面だけだった恥ずかしさを実感して、頬のあたりが熱くなる。

「ふゆ、照れてる?」

「えぇと、うん」

「ふふふ、言ってきた本人が照れるなんて、面白いね」

 桃はちょっと困ったように笑う。その通りだった。

136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:24:46.49 ID:j0AiLQi+O

 歩いているうちに、さっきまでの凍てつくようだった寒さにも慣れてくる。ここらへんは市街地で街灯はあるけれど、秋と冬の境あたりの空は澄んでいて、目を凝らさなくとも星が光っているのが見える。

 星の名前とかを知っていれば、そういう話をできるのにな。まぁ単純に星綺麗だねって感じでもいいと思うけど。

「あっ……と、もう着いた」

 そんなことを考えているうちに、駅は間近まで迫っていた。いつもより早く感じたのは気のせいか。

「着いたね」

 と歩いている間ほぼ無言だった桃が頷く。

 それじゃあ、と言いかけたところで、

「ねえ、ふゆ。あの……」

 少し迷ったような小さい声で呼び止められる。
 言葉の続きを待っていたが、何か緊張しているような、ともすれば言葉を探しているような間が空いた。

137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/11/27(金) 21:25:13.93 ID:j0AiLQi+O

「うん。何?」と桃の顔を見ながら聞き返す。

「えっと……明日は部活?」

「え、部活? 行こうとは思ってたけど、何かあるの?」

「あぁその、えっと、明日も一緒に帰りたいなぁって」

 もっと他のことを言うのかなと思ったから、少しだけ拍子抜けした。てっきり、これからご飯行こうとか、またこの前みたいにぶらぶらしようとか、そういうのかと。

 一緒に帰ろう、と誘うなら明日でもいいのに。ていうかまず断らないのに。
 まあでも、私から誘うかっていうとそれはないだろうし、それ以前に、誰かを誘う時って、どんな内容でも緊張するよねと勝手に納得した。

「ならこの前みたいに、また部室に来てよ。そのあと一緒に帰ろう」

「わかった。じゃあ、また明日ね。おやすみ」

138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/11/27(金) 21:25:58.34 ID:j0AiLQi+O
本日の投下は以上です
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:19:10.51 ID:5TyxvKDPO




 朝に見た天気予報は晴れのち雨だったけれど、午後三時を過ぎても柔らかな日差しが照り続けていた。
 授業が終わってからSHRまでの間で、スマホの電源を入れて天気予報アプリを見る。予報はすでに変わっていて、今日のうちはこのままらしい。

 そういえば今日初めてスマホを見たな、なんて思って、たまっていた通知を確認する。メルマガやらの中に瑠奏さんからのメッセージがあることに気付く。

 内容は今月の後半からのシフト表の写真と、何か変更があれば──という文。

 写真には販促や告知の日程といったものも併記されていて、そうか今年もこの季節か、と思う。
 花屋にとっての年末は、一年の間で、五月まわりの次に忙しいと言っていいかもしれない。

 体力がなかったからか、去年はわりとしんどかった記憶がある。休憩時間は事務所でへばっていた。
 まあ、とはいえ、それは私だけの話じゃなくて、いつも陽気でやさしいパートさんも若干やつれているように見えたくらいには、なにかと忙しくて大変だった。

 そんな中でも瑠奏さんは「わたし、昔から体力にだけは自信があるんです」と一人元気に接客をしていた。

 店長だから表に出さないようにしているのかな? と最初は思っていた。でもどうやらそういうわけでもなさそうで、本当に疲れてない様子だった。

140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:20:17.48 ID:5TyxvKDPO

 パートさんはそういう瑠奏さんを見て「いいわねー、二十代って」と言っていた。

 それを聞いて、私は十代だけど体力がないんだよなぁ、と勝手に落ち込んだ。
 でもまあ多分、今は去年よりちょっとだけましになっていると思う。

 今年はなんとか足手まといにならないようにしないと、と意気込む。
 いつもの意気込みだけで終わってしまう性分が出てこないように、瑠奏さんにそういう趣旨のメッセージを送っておく。

『それは助かります。でも、べつにいつも通りでかまいませんよ』

 スリープモードになるとほぼ同時に返信が来た。
 こういうものがそうだというあれそれはないけれど、瑠奏さんらしさが出ていて、自然に自分の口角が上がるのを感じた。

 今日はもう解散だと告げる先生の声がして、やば、と思いながらスマホをポケットに仕舞い、机の中から持って帰る分の教科書ノートを鞄に詰め込む。
 そうしてから隣の席を見ると、桃とつかさが小さな声で話していた。

141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:21:14.15 ID:5TyxvKDPO

「ふゆゆがスマホ見てにやにやしてるなんて珍しい」

「ね。わたし、初めて見たかも。歴史的瞬間」

「ねー」

 なに言ってるんだか。あまりにも謎な会話。

「バイト先の店長から、ちょっとね」

「ふゆゆ、店長? 男? 女?」

「え? 女の人だよ」

「へぇー、若い?」

「そうだけど……えと、なに?」

「べつにー、なんでもなーい」

 会話に入ったらもっと謎になってしまった。
 その謎を解明するべく、どういうこと? という視線を横に向けてみるも、桃は首を傾げるだけだった。
 誰にも伝わらない会話だったみたいだ。真のワールド持ちはつかさなのかもしれない。

142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:22:14.50 ID:5TyxvKDPO

 そうこうしていると「あ、つかささん」と教壇の方に居た先生がこちらに向けて声を発してきた。すると、

「ア、ワタシキョーバイトダッタンダカエラナクチャー」

 と妙な言語を発して、つかさは見たこともないような速さで教室から出て行く。

「あ、行っちゃった」

 先生はつかさを追うわけでもなく、割とどうでもよさそうにそう言って、残っていた生徒たちに挨拶をしつつ教室を後にした。

 なんだったんだろう? とまたつかさに疑問を感じながら、教室の入り口から出るところで、私の意を汲み取ってくれたのか桃が口を開いた。

「つーちゃん、今日の数学のテスト全く解けなかったみたい」

「それで、先生にびびってたの?」

「うん、そうじゃないかな」

「へぇ……あ、桃はテスト解けた?」

143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:24:12.39 ID:5TyxvKDPO

「わたし? えっと、最後の問題は分からなかったけど、それ以外はそこそこ。ふゆは?」

「私も同じ感じかな。それほど悪くはないとは思う」

 話しながら階段へと差し掛かる。桃に上か下かとジェスチャーされたので、少し考えて上の方向を指差す。

「そういえば、わたしたち、テスト前日にトランプしてたんだよね」

「たしかに。考えてみればそうだ」

「ふゆもつーちゃんも栞奈ちゃんも何も言わないから、良いのかなあって思ってた」

 テストだからといって取り立ててしない人。触れたくなかった人。忘れてる人。
 どれが私なのかはお察しの通りで、どれが酷いのかというと、一番最後。うん。仕方ない。

 さっきの教室最寄りの階段でのやり取りで、行き先は屋上となっていた。
 上が屋上で、下が部室。鞄のポケットから鍵束を取り出す。

 鍵を回して鉄扉を開けると、びゅうと吹き付けた大きな風で前髪が崩れた。
 桃とここに来るのは二度目。けど、この前とは何かが少しずつ違っているように思えた。

 桃は私よりも数歩先に歩いていって、フェンス越しに見える景色を眺める。もう一度吹き付けてきた強い風で、長い髪の毛がふわりと舞っていた。

144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:26:00.10 ID:5TyxvKDPO

「このお花、まだ葉っぱだけなんだ」

 すぐに満足したのか戻ってきた桃は、私の近くにあったプランターに目をとめた。

「うん。二月の後半くらいに咲き始めて、四月か、長くて五月の初めくらいまで咲いてる花なんだよね」

「ふうん。前来た時から、なんとなく気になってたの」

「この花のことを?」

「うん」

「そうなんだ」

 言われてみればたしかに、他の花は咲いていたり、蕾であったりするから、ぱっと見て葉っぱと土と肥料だけのものは目立っている。

 私たちは半身ほどの間をあけて並んで、その花──クリスマスローズのプランターの前に腰を下ろした。

「どういうお花なの?」

「スマホで検索してみれば?」

「それでもいいけど、せっかくだしふゆから聞きたい」

 あまり知らないんだけどなぁ。
 ……まあ、いいか。

145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:27:14.90 ID:5TyxvKDPO

「名前は、クリスマスの頃に咲くからクリスマスローズ。でも、それは原産国? でのことで、こっちではクリスマスにはめったに咲かないし、ローズっていうけどほんとはバラ科じゃない。
 冬の花だけあって寒さには強くて、いろんな種類の色とかたちがあって。
 これは、片方は緑っぽい花で、もう片方は黒っぽいの。育てやすいし、いい花だよ」

 私の下手な説明に、桃はふむと頷く。
 気になるというのはそのままの意味だったらしい。

「ふゆはこのお花が好きなんだね」

 そして、穏やかな声でそう言ってきた。

「そう見える?」

「なんていうのかな、このお花に向けてる目が、他のお花に向けてるものよりもっと優しい気がする。……あ、間違ってたら、ごめん」

「いや」

 実際その通りで、わかるものなのだな、と思った。
 一番とか二番とか、順位付けは出来ないけれど、思い入れがある花はどれかと問われればクリスマスローズが思い浮かぶ。

 私がわかりやすいのか。
 それか、どっちもということもあるかもしれない。

「クリスマスローズは、小さい頃から近くにあったし、育ててたからかもね。それと……」

 それと、なんだろう。自分で言っといて。
 普通に言ってもいいことだけれど、言わなくてもいいことのような気がして、続けることを躊躇する。

146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:29:10.49 ID:5TyxvKDPO

 けれど、その躊躇を表に出すのはなんとなく桃に迷惑かなと思って、桃の目が私の言葉を待つようになる前に口を動かす。

「いろんな思い出がある気がして、思い出そうとしたんだけど、あんまり覚えてなかった」

「ふゆは昔のこととか、あんまり覚えてないんだ?」

「うーん。まあ、そうかも」

「だから、日記をつけてるの?」

「どうなんだろう。そんな面もあるけど、ただの日課というか、作業というか」

「へえー。あ、でもわたしは日記にあんまり登場しない……」

「って言ったっけ?」

「うん言ってた。そんな感じのことを」

 桃は「あれ、じゃあ……」と小声で続けて、しゅんと沈んだような顔をした。
 そして、地面を見つめてうむむと呻る。こんなことで、と思ってしまうけど、なぜか、申し訳ない気持ちになる。

 私って気付けば桃のことばかり書いてるな、と恥ずかしくなって以来あまり書いていないのだと、正直に言った方がいいのだろうか。

147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:31:04.62 ID:5TyxvKDPO

 困る私をよそに、不意に顔を上げた桃は、何を考えたか、膝に置いていた手を私の肩に置く。

「わたしもふゆと、思い出になることがしたい」

「うん……うん?」

「あぁその、えと、ちがう。ふゆの思い出になるようなことを、わたしも一緒にしたい」

 唐突に出てきた言葉は、いつものように抽象的すぎてついていけない。
 ニュアンスの違いか何なのか、言い直したけれど、どっちにしたって私には伝わってこなかった。

「えぇと、話の流れが見えないんだけど。……つまり?」

 そう訊ねると、桃は私から目を外し、逡巡するように視線をさまよわせる。
 けれどやがて、一呼吸おいて、

「つまり、わたしと、デートしてみてほしいなって」

 と力のこもった瞳で、言った。

148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:31:53.71 ID:5TyxvKDPO

 思い出になること、から、デートしてほしい。
 繋がるか? 繋がら……いや、まあ繋がるんだろう。

 私には突飛なことに思えることでも、桃の中ではちゃんとプロセスがあるのだ。きっと。

 考えてから納得するまでの十数秒間、桃はそわそわした様子で、私の答えを待っていた。
 私が断らないなんて、わかりきっていることだろうに。

「いいよ。いつ、どこに行きたいの?」

 それでも言った瞬間、ぱっと桃の目に輝きが宿った。

「いいの?」

「うん」

「じゃあ、日曜日とか、どうかな」

 日曜日……。
 こういう時は経験上、先延ばしにしない方がいいはず。

「うん。空いてるよ」

「行く場所は、わたしが決めてもいい?」

「そうしてくれるとありがたい」

149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:32:56.06 ID:5TyxvKDPO

「あとは……かわいい服を着てるふゆが見たい」

「かわ、えっ?」

 思わずごほ、と咽せる。
 いつ、どこで、の次に服装指定とくるか。

 もうそろそろついていけなくなってくる。……あ、最初からか。

「スカート履いてるの見たことないし」

「いや毎日見てるでしょ」

 今だってがっつり履いてる。

「そうだけど、私服では見たことないなって」

「……スカートを履いてくればいいの?」

「できれば。履いてきてくれるとわたしが喜びます」

 拳をぎゅっと握りしめて言う桃が少しおかしくて、私は少し笑った。

「わかった。忘れてなければね」

「うん。あっ、ふゆはわたしに……なにかある?」

「うーん……いきなり言われても、なにも」

「じゃあ、思いついたらなんでも言ってね」

 ちょっと考えたけど、現状の桃に求めることはなにも思いつかなかった。

150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:34:32.69 ID:5TyxvKDPO

 どうも思考力が足らないように思えてならない。そんなこと言ったら、語彙力も想像力も洞察力も全て足りないけど。

 帰りがけ、「ひとつ、気になることがあるんだけど」と前置きして、率直な疑問について訊ねる。

「遊ぶ、じゃなくて、デートなの?」と。桃はすぐに首を小さく縦に振った。

「うん、デート。言い方は、けっこう大切」

「大切なんだ?」

「大切なの」

「なら、デートってことで」

「デートってことで」

 私の言葉を復唱して、桃は頷く。そして恥ずかしそうに笑う。
 流されているようにも思えたけど、桃のそういう表情を見て、それでもいいような気がした。

151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:35:55.95 ID:5TyxvKDPO




 なんとなくずっと機嫌良さげな桃と駅まで一緒に歩いた後、自転車に跨ってバイト先に向かう。

「珍しいですね。霞さんがお休みの日に来るなんて」

 事務所に入ると、私が来たことに気付いた瑠奏さんが、パソコンを操作している手を止めて振り返った。

 さらっと下ろした髪に、ブルーライトカットの眼鏡。いつもの瑠奏さんよりもきりっとしている風に見えて、無意識に居住まいを正す。

 机の上には、プリントアウトされたシフト表。クリスマス向けのポスター。パートさんからの旅行のお土産のお菓子。『自己肯定感を10日間で富士山級に上げる方法』という本。

「次の日曜日、今日もらったシフトでは入ってたんですけど、やっぱり休みにしてもらうことって出来ますか?」

 土日はだいたいバイトだから、桃と会うには休みを作らなきゃならない。今週末もばっちり二日とも入ることになっていた。
 連絡はメッセージでもいいかもと思ったけれど、急に休んだりシフト変更をしたことがなかったから、作法がわからなかったし、直接言いに来た。

152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:36:45.58 ID:5TyxvKDPO

 何事も初めては緊張するもので、もしかしたら咎められるんじゃないかと少し緊張していたけれど、

「はい、わかりました。いいですよ」

 瑠奏さんはあっさり言って、パソコンに目を戻した。

 カタカタカタとキーボードを叩く音が耳に響いてくる。
 へぇーお正月向けのプロモ作りかー…………あれ?

「すみません。友達と会うことになって」

 あまりにあっさりしすぎていたから、理由を求められているのかな、と思ってそう言うと、
 こちらに向き直った瑠奏さんはきょとんとした顔をして、それからくすくす笑った。

「このシフトはあくまで仮のものですし、従業員のプライベートについて口出しはしませんよ」

 ……言われてみればその通りだった。
 もう既に意味ないのに、いやあははそうですよねぇと誤魔化そうとする。が、口に出さずに愛想笑いと雰囲気だけでそうしようとしたから余計に変な感じになった。

「でも少しでも聞いちゃうとちょっと気になりますね。
 ……もしかしてそれって、デートだったりしますか?」

 喋らないでいると、瑠奏さんがそう言ってきた。
 人の悪いような笑みで。……小学生か、この人は。

 反射的に発しかけていた「出かけるだけですよ」という言葉を喉元付近で止める。

153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:38:47.45 ID:5TyxvKDPO

 デート……桃曰く、言い方は大切。
 なら統一しとかないと桃に対して失礼なのでは、と考える。私もそれには同意したし。

 それまで富士山と言っていたのにいきなりマウントフジとかフジヤマとか言うのも変だしね。違うか。

「そうなりますね」

 答えるや否や、瑠奏さんは「おぉー」と声を上げた。
 そしてやや前のめりに、「学校のお友達ですか?」と続ける。

「えぇと、そうです」

「……もしかして、お手紙をくれた方ですか?」

「手紙? あ、そうですその子です」

 そんなこともあったなあ、なんて考える。

「わあ……すごいですね」と瑠奏さんはぱちぱちと拍手する。

「すごいですかね?」

「どちらかと言えば、お相手さんがすごいです」

「私のことを誘うなんて、ってことですか?」

154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:39:33.17 ID:5TyxvKDPO

「ええ、かいつまんで言えばそうですね。……勘違いされたくないので言いますけど、霞さんが悪いってことではないですよ」

「あ、はい。よくわかんないです」

「相手に伝わるか伝わらないかのギリギリを攻めるのって楽しくないですか?」

 そんな高度な会話なんて私には出来ない。
 でもまあ、そういうことの出来る頭の回転が速い人ってすごいなと思う。前々から考えていないと無理だ。

 沈黙を伝わっていないと捉えたのか、瑠奏さんはまた笑って、

「霞さんがそういう星の下に生まれた人ってことです」

 もっと伝わらないようなことを言ってきた。

 頭の中で今まで言われたことを整理する。
 ……やめた。考えても分からない気がする。

「そういえば、以前にもそういう子がいましたよね?
 なんとか……なんとか、かんとかさん。あっ全然覚えてなかったです」

 今度はわかる話だったけれど、入ろうとしたタイミングで事務所の電話が鳴った。

 すぐに仕事モードの顔に戻った瑠奏さんが電話に出る。
 メモを片手に長話になりそうな空気だったので、机の上の本を見ながら待つことにした。

155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:40:43.93 ID:5TyxvKDPO

 一番大事なのは周りの環境らしい。
 あとは自分を責めないこと。へぇー。

 なるほどなぁと読み進めているうちに、電話は終わったようだった。

 内容はスタンド花の注文に関しての相談だったらしい。
 多分、瑠奏さんが作るんだろう。単価が高いから、私が作る日は一生来ない。ていうか来ないでくれ。

「今のうちに、クリスマスにもお休みを取っておいた方がいいですね」

 瑠奏さんは再度緩やかな顔を作って、笑いかけてくる。
 視線で、どうしてですか? と訊ねる。

「クリスマスの日にも、またデートすることになるかもしれないじゃないですか」

「いや、今週末デートするからクリスマスにもっていうのは、いくらなんでも早計だと思いますけど……」

「そうですかね? 人間そうそう変わらないと思いますよ」

「その方には期待ですね」と瑠奏さんは一人で結論付けて、メモに大きく『霞さんはクリスマス休み!』と書き込む。
 いつも元気な人だけれど、今日の瑠奏さんはそれ以上に嬉しそうで、私をからかうこと以外に、もう少しなにかいいことでもあったのかなと思った。

156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/01/17(日) 01:41:33.44 ID:5TyxvKDPO
本日の投下は以上です
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/01/24(日) 23:19:50.14 ID:gMsG1tX/O
もっと書いてええよ
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:46:46.34 ID:Oqr5JUbl0




 迎えた日曜日。余裕を持って三十分ほど前に待ち合わせ場所に着くと、桃はまだ到着していないようだった。

 休日だけあって、午前の今でも駅の近くは沢山の人で溢れている。駅構内は特に人が多くて、いま私が立っている所は文字通り芋を洗うような状況だった。

 待ち合わせ場所としてはこの上なく分かりやすい。でも、明らかに周りの雰囲気に合っていないよなぁ、と色のついたガラスを見ながら思う。

 ゴシック様式、ケルン大聖堂、ノートルダム大聖堂……だったかな? 社会科は世界史選択ではないから、もしかしたら間違ってるかもしれない。去年のテスト前の詰め込みで学んだことは、カタカナ文字はかなり覚えづらいということだけ。

 これが花の名前なら簡単に覚えられるのに。
 でもま、それは仕事だから覚えざるを得ないだけか。店に入ってきた花たちに、名前と値段を書いた紙を貼っていくうちに勝手に覚えている。

 暗記とか物覚えには退屈でつまらない反復作業が大事なのだろう。
 薄い絵の具でも何回も重ね塗りをすれば輪郭がはっきりしてくるのと同じで、潜在意識への刷り込みができればいい。

159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:47:35.72 ID:Oqr5JUbl0

 初めはとっつきにくいと感じたものでも、毎日目にしていれば次第に慣れてきて、印象は柔らかくなっていく。
 たとえば花についてきたカナブンとか。そういうのにも、慣れてしまってどうでもよくなった。慣れって怖い。

 とまあ、そんなくだらないことを考えている間に、改札を通って出てくる集団の中に桃の姿を見つける。

 私がここに着いてから五分。つまり待ち合わせの二十五分前。律儀な桃のことだから時間前に来ると思っていたけど、それを見越して私も早く来たのだけれど、実際にその通りで安心する。

 桃は季節感のあるブラウン系の装いに、半日足らずの外出にしては少し、いやすごく大きいようなリュックを背負っていた。

 この人の多さではやむないが、ざーっと辺りを見回した桃は私のことを見つけてはくれなかった。
 桃はそのまま手摺りに寄り掛かって、手鏡を取り出して髪を整え始める。背中側に位置する私には気付いてくれそうにない。

 なので私から近付いて、後ろから「おはよ」と声をかける。

160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:48:30.67 ID:Oqr5JUbl0

「わ、おはよう」

 振り向き、手を胸元に上げて目尻を緩める桃からは、遠目で見た先程よりも更にかわいらしい印象を受ける。

 普段はつけていないアクセサリーをしていて、髪も少しだけいじっているようだった。学校でのものとはまた違う桃の新たな一面を見ている感じがして、ちょっとばかし不思議な気持ちになる。

「ね、もしかして待った?」

「ううん、全然。私も今さっき来たとこ」

「そっか、なら良かった」

 いかにもなやりとりを交わした後、桃は私のつま先からつむじまでをじぃっと眺めて、控え目に微笑んだ。

「ちゃんと着てきてくれたんだね」

「あーまぁ、忘れてなかったから」

 黒色のチュールスカートを摘み上げて答える。
 普段履くのは制服のスカートとバイトの時のジーンズくらいなもので、私服でスカートを履くなんて久しぶりだった。

161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:49:14.02 ID:Oqr5JUbl0

「これでよかった?」

「うん、とっても。やっぱり思ってた通り似合う」

「そうかな、ありがとう」

 平然と答えたけれど、実は内心ほっとしていた。
 期待に応えられたみたいでよかった。家を出る少し前まで迷って決めた甲斐があった。

「桃も似合ってるよ。大人っぽいし、なんか上品」

「え、うれしい。妹に決めてもらったんだよね」

「妹さんにか。ほんと仲良いね」

「そうそう、やさしくてかわいい自慢の妹なんです」

 お互いの服を褒め合う。ありそうでなかったこと。
 これもいかにもなやりとりなのかな?

「じゃあ、ふゆ。行こっか」

「うん。バスだったよね?」

162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:49:47.58 ID:Oqr5JUbl0

 場所は桃が決めるという約束だったので、私の方からは特に意見せずそのままお任せした。
 駅からバス一本で行くことが出来る、自然公園に行くことにしたと、金曜日の放課後に言われた。

 寒くなく、外出にはちょうどいい天気だった。
 晴れてよかったね、と桃が視線を空に向ける。たしかに、雨だったらさすがに外はきつかっただろう。

 案内をしようとしてくれているのか、私の一歩先を行く桃の足取りは軽い。
 その様子は、平日とは違う休日のゆったりとした空気感に似合っている。

 乗客の少ないバスに乗り込んで、後ろの方の席に腰掛ける。

「なんか、いつもよりテンション高いね」

 発車後に思ったことを言うと、桃は言われて初めて気付いたとでも言いたげに、目を丸くした。
 けれどすぐ、理由を思いついたように、

「だってせっかくのふゆとのデートなんだし」

 左手で緩く握り拳を作って笑う桃につられて、自然と私の口角も上がる。

163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:50:28.82 ID:Oqr5JUbl0

「そっか、今日はデートだったね」

「……ひょっとして忘れてた?」

「ううん、忘れてないよ。ただちょっと緊張するなって」

「ふうん。あ、じゃあきのう寝れなかったりした?」

「いや、それはぐっすり寝たけど」

 デートってことで、いちおう長くなっていた髪を切って、中途半端だったところは染め直した。いつもより短い間隔で行ったから、「デートすか?」と美容院のお姉さんに言われた。

 デートという言葉の意味をスマホで検索した。
 遊ぶこととの違いは私にはよくわからなかった。

 きっと休日に友達と二人で外で会うということは、桃にとってはありふれていることで、緊張するほどのことではないのだろう。
 私は……なんていうか、よわい十六にして情けない。ぎこちなさとか、慣れてなさとか、そういうのを見透かされてなければいいのだが。

 けれどまぁ、そういう緊張感も含めて楽しい一日になればいいな。
 お金じゃないけど、無い袖は振れない。

164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:51:05.89 ID:Oqr5JUbl0




 バスに揺られること一時間と少々、目的地に到着する。
 車内での会話は途切れることなく、桃がすごく楽しみにしてくれていることが伝わってきた。

 チケットを買い受付を済ませて入場すると、すぐ正面には石段と噴水、そして多くの花が並んでいる。
 自然公園の名前に違わず、溢れんばかりの自然が広がっていた。

 顔を上向ければてっぺんが白く染まった山々がそびえている。空気は街中よりも心なしか肌寒く、きれいに澄んでいる。

 家族連れ、カップルらしき人、飼い犬を連れた人と、入場客はそれなりに多いはずだけれど、広さのせいかそれをあまり感じない。
 山容水態と言うには整備が行き届いていて人工物っぽい。それでも、かなり好みな空気感と雰囲気だった。

 もし周りに誰もいないのなら、いますぐ走り出したくなるような場所だ、と思った。
 私たちのすぐ横を、小さい男の子が高い声を上げながら駆け抜けていく。少し経ってその子の名前を呼びながら追いかけてくる親御さんと思しき人の顔には柔和な笑みが浮かんでいた。

165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:51:43.49 ID:Oqr5JUbl0

「気に入ってくれた?」

 園内の雰囲気に魅了され思わず声を洩していた私を、桃が横から覗き込んでくる。

「ふゆと来るならこういう場所かなって」

 そう続けて、にっと笑う。
 どの程度伝わるかわからないけど、「ありがとう」と気持ち大きめの頷きを返した。

 それから、水色よりも淡く爽やかな秋の空に誘われるように、二人並んでゆっくりと歩いて園内を周りはじめた。

 見頃を過ぎ黄色に色を落としたコキアを眺めて、石段を流れる水の音を聴いて、高いところから花壇の写真を撮って、池の中に小さな魚を見つけた。

「ウグイかな」と桃が小声でささやく。

「私はわかんないけど……魚詳しいの?」

「ほんのちょっとね。たまにお父さんと釣りに行くことがあって」

「へー釣りかぁ。魚を釣って、食べたり?」

166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:52:51.50 ID:Oqr5JUbl0

「そう、食べたり。高校生になってから、どうせ暇だろって付き合わされるようになったんだよね」

「楽しいの?」

「どうだろー。お父さんに言って、今度いっしょにやってみる?」

「いいけど、機会があればね」

 堤防に座って、海に釣り糸を垂らし水平線を眺めてぼーっとするのは楽しそうではあるけど。
 どちらかと言うと、せっかくの娘との貴重な時間を私が入って邪魔していいのだろうか、とかそういうことを考えた。

 もう少し奥へと進み、秋の花とパンフレットに写真付きで載っている場所に着いたが、あいにくコスモスやマムはもう散ってしまっていたようだった。
 もう十一月も終わりに近付いている。管理された場所で狂い咲きが望めそうにないのはやむない。

 ちょっと残念そうな表情をしている桃に、せめて写真でもと私のスマホのフォルダに入っていた二種の写真を見せると、喜んでくれた。

167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:53:22.39 ID:Oqr5JUbl0

 足漕ぎのゴーカートがある場所や、首長竜のようなキャラクターのボートがある場所を通る。
 ゴーカートは親子で溢れ、ボートは稼働期間外だったけれど、イチョウの枯れ葉が浮かぶ水面から届く風は冷たくて気持ちが良かった。

 その近くに大輪のビオラが咲いていた。目を留め足を止めたのは私たちだけだった。花より団子ならぬ花より遊具。それが普通なのかもしれない。

 そしてまた先へと、ゆるゆる歩いているうちに気付く。
「ここ、前にも来たことあるかも」と。

「そうなの?」

「て言ってもめっちゃ小さいときだから全然覚えてないんだけどね。……幼稚園くらいのときかな?」

「そっかー。幼稚園なら、家族と?」

「そうそう、お祖母ちゃんと」

 今よりもずっと小さかった手を、あやすように引いてもらった記憶が頭に残っている。
 その日は私の誕生日だった。ような気がする。

168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:53:57.24 ID:Oqr5JUbl0

 人は誰かに言われた言葉そのものを覚えていなくとも、それについてどう感じたかは覚えている。
 なんて、どこかの誰かが言っていたけれど、たしかその日、お祖母ちゃんから何か嬉くなるようなことを言われて、私はとても喜んだのだった。

「桃は?」

「……わたし?」

「前に来たことある?」

「あるけど、わたしもふゆと同じで覚えてない」

「一緒だね」

「あはは、そうだね。でも……」

 今日のことは忘れないように記録に残しておこうよ、と桃はコートのポケットからスマートフォンを取り出して、半歩私との距離を詰めてくる。
 何枚も写真は撮っていたが、今日初めてのツーショット。交互に半目になって何回か撮り直した。

169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:54:41.50 ID:Oqr5JUbl0

 舗装された大通りの終着点は、紅葉した樹木が立ち並ぶ、ひらけた芝生の広場になっていた。

 周りの様子から察するに、ここまで歩いてきた人が足を休める場所のようだった。
 大きな鍋を囲んでいる集団や、小さなテントを張っている人たちがいる。かすかに白い煙がもくもくしている。

「よし到着」と言って桃は大きなリュックを下ろす。

 そして、その中からレジャーシートを取り出したかと思うと、他にもいろいろ出てきた。

「運動しようかなって」

 とグローブを渡される。野球のやつだ。

「ふゆとキャッチボールしてみたかったんだよね」

「息子とのキャッチボールを夢見る元野球少年の父親みたいな?」

「んーそっか。うちのお父さんの夢は、娘のわたしが代理で叶えたのか」

「いや桃のお父さんの夢については知らないけど……」

 ってことは、キャッチボールをしたりするのだろう。
 釣りに、キャッチボールに。めっちゃいい親子だ……。

170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:55:12.66 ID:Oqr5JUbl0

 せっせとコートを脱いで、数メートル離れる。
 肩をぐるぐるまわす桃のマネをして、私も右腕をぐるぐるさせる。

「じゃあさっそくいくよー、えい」

 桃が振りかぶって投げたボールは、大きなフライとなってきれいな弧を描く。

 顔の前にグローブを構えると、「わっ」と言っている間にボールが収まる。
「ナイスキャッチ!」と褒められる。素直に嬉しい。

「私もいくよー、とりゃー」

 下手な投げ方でも案外飛ぶものだ。
 桃の捕り方は慣れていそうな感じだった。

「えーい」

「おりゃー」

「えーい」

「うりゃー」

 ゆるーい掛け声とともに、ボールが往復する。

 ジャンパースカートとチュールスカートを纏った私たちにはぴったりの空気感じゃなかろうか。

171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:55:57.65 ID:Oqr5JUbl0

 と思ったのも束の間、慣れてきたら、投げるたびに何か適当に単語を言ったり、普通の会話をするようになった。

「これで桃の目的は果たせたー?」

「いまひとつ果たせたー。でも、もっともっと数えきれないくらいいっぱいあるよー」

「へえー、それは、いいことだねー」

「でしょー、次は、フリスビーしよー!」

「フリスビー? えぇーと、いいよー!」

 桃が後ろに下がっていくのでどんどん投げる距離が伸びていき、私たちの声も比例して大きくなっていく。

 腕より先に喉が疲れそうだったけど、そういう会話は新鮮で楽しいと思って、しばらく会話のキャッチボールの方も頑張って続けることにした。

172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:56:43.59 ID:Oqr5JUbl0




 運動を一時間近くした後、桃に「そろそろお腹すかない?」と言われてお昼にすることにした。
 外していた腕時計を見ると、正午はとっくに過ぎていて、ギリギリお昼かな? というくらいの時間だった。

 レジャーシートにブランケットにアウトドア用の折り畳みの簡易テーブル。
 大きいリュックも納得だった。準備の良さへの称賛よりも背負ってきた重さで疲れていないかなと心配になる。

 キャッチボールやフリスビー、フラフープなんかは真面目にやろうとすると時間が溶けるものだと知った。
 フリスビーを投げる時に、桃が「わたしを飼い犬だと思って、さぁひと思いに!」と言っていたのが面白かった。実際に犬のように前に飛び跳ねてて笑ってしまった。

「お友達とお昼一緒に食べたら? ってお母さんがお弁当持たせてくれたんだ。それでいい?」

 頷くと、リュックからこれまた大きな包みが出てくる。
 クロスを解く途中、桃は動きを止め私をちらっと見て苦笑した。

173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:58:00.50 ID:Oqr5JUbl0

「わたしも少し手伝ったんだけどねー。普段料理しないから、あんまり手伝えなかったの」

「そうなんだ?」

「本当は全部自分でって思ってたんだけど、朝ばたばたしてたから、時間ないでしょって言われちゃってさ」

「ばたばた……」

 なんだろう、あんまり想像がつかない。

 桃はくすっと笑って、お弁当箱を手に取る。
 ぱかっと開けられたそこには、彩り豊かないろんな種類のサンドイッチが詰められていた。

「ささ、食べて食べて」

 と促されて、一番端っこのものを手に取る。

「いただきます」

 口に入れるとすぐにサーモンとクリームチーズの甘味が広がる。胡椒がピリッときいていて、まとまっている味だった。

「んー、美味しいね」

174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:58:38.96 ID:Oqr5JUbl0

「ちょっと多めに持ってきたから、好きなのいっぱい食べていいよ」

「おぉー、ありがとう」

 普段の私は学食の小ランチでもお腹いっぱいになるくらいの少食だけれど、今日は多く食べられそうな気がする。

「あ、てか桃が手伝ったのって? それ食べたいな」

「もう食べてるよ」

「じゃあこのサーモンの? そっかー、美味しいよ」

 という私の当たり障りのない感想に、桃は卵サンドを嚥下してから、「ううん」と首を振る。
 違うということらしい。

「え、じゃあなに?」

「食パン」

「食パン?」

175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 14:59:40.23 ID:Oqr5JUbl0

「ホームベーカリーだから、簡単」

「へ、へぇー……」

 すごい変化球だった。ていうか手伝ったの域を超えている気がする。食パンって主食じゃん。

 手元をまじまじと眺めると、時間がかかりそうなイメージだからなのか、サンドイッチが何倍も増して美味しそうに思えてくる。

「ありがとね、桃。なんかめっちゃいいと思う」

 隣同士で靴を脱いで足を伸ばしているこの状況が、距離的に、視覚的に近かったからだろうか。
 すぐそばに見える桃の長い髪めがけて、私の腕が伸びる。ほぼ無意識的な行動だった。

「……」

 でも、私の腕は途中で停止してくれる。
 桃って身体を勝手に触られるのあんまり好きじゃないと思うよ、と操縦席から指令が飛んでくる。

176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:00:42.10 ID:Oqr5JUbl0

 ……ただ、その指令は普通に遅かった。
 中途半端に上げかけられた左手を見つめると、同じように見ていた桃と目が合う。

 すると桃は私の手を取って、自分の頭の上に乗せた。
 そして、ぽんぽんと宙と髪を往復させる。

「どういたしまして」

「うん」

 桃がちょっと頬を赤くして、声を出さずに微笑する。私も同じように笑おうとしたけれど、どうにも不自然な感じになった。

「なんか、走り出したい気分……」

「え?」

 声に出ていた。目に見えて困惑される。

177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:01:14.38 ID:Oqr5JUbl0

「その、いいよ。走ってきたら?」

「いや」

「……あ、わたしも一緒に?」

「……いや、気分の問題っていうか」

「実際に走りたいわけではなくて?」

「実際に走りたいわけではなくて」

 ふうん、と桃は分かっているのか分かっていないのかという感じで相槌を返してくる。

 私も分からなかった。

178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:01:43.08 ID:Oqr5JUbl0

「じゃーんけーん」

 不意に、桃が気の抜けたような声を発する。

「ぽん」

 グーとグーがかち合う。あいこ。よく分からないけど。
 チョキ。グー。パー。チョキ。パーとグー。
 二百四十三分の一って。

「負けたから、飲み物買ってくる。何系飲みたい?」

「何系って、うーん。温かいの……コーヒーとか?」

「コーヒーか。ちょっと待っててね」

 桃はスニーカーを履いて、すたたっと駆けていく。
 なぜ急にって感じだけど、多分桃自身が喉乾いていたか何かだろう。

 それにしても今日は至れり尽くせりだ。まさか進んでパシられてくれるとは。

 一人になってすぐに、びゅうと木枯らしが吹いて髪が揺らされる。
 前髪を抑えるときに、さっき触れた桃の髪のことを考える。……キューティクルが違うのかな? うまい言い回しが思いつかないが、とりあえずとても柔らかかった。

179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:02:17.04 ID:Oqr5JUbl0

 白身魚フライのサンドイッチを一口かじりつつ、視線を手元から解放しているうちに、気持ちは霧散していく。

 毛並みのいい白猫が、すぐ近くのベンチをひとりじめしてひなたぼっこをしている。じっと見つめていると、こちらを向いて大きなあくびをした。
 すべり台やロープで遊んでいる子どもたちの声がする。近くのレジャーシートからお母さんに連れられるようにして男の子がやってきて、「これあげる」と市松模様のクッキーを渡される。

 橙色に染まったメタセコイアが並んでいる大通りの方を振り向けば、純白のウェディングドレスを着た女の人二人組が、カメラマンらしき人に写真を撮られている。

 サンドイッチをひと口かじる。やっぱり美味しい。
 野点をしたくなるような風情だと思った。桃が買ってきてくれるコーヒーを待っているというのに。

 桃っていい子だよね、と再認識する。穏やかで、やさしい。桃と関わったらみんな桃をいい子と言うと思う。
 霞ちゃんって運だけで生きてるよね、と中学三年生の頃に言われたことを思い出す。たしかに、私は運がいいのかもしれない。

 そこらに何枚もある落ち葉のじゅうたんを見て、また一つ思い出すことがあった。
 近くの黄赤茶色を両手いっぱいにかき集め、薄い雲の流れる空へと放り投げる。

180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:03:16.42 ID:Oqr5JUbl0

 ひらひらと舞い落ちてくる様子を観察する。青と白が一瞬違う色に染まる様は、なるほど、たしかに楽しい。
 もう一度集めてぶわーっと舞わせる。違う広がり方。

「なんか楽しそうなことしてる」

 戻ってきた桃が、私を見てくすくす笑う。

「おかえり」

「ただいま。はい、コーヒー」

「ん、ありがとう。何円だった?」

「百二十円。わたしもやってみようかな」

 それから順番に落ち葉を投げ合った。
 投げている間、見ている間、なぜか時間の流れがとてもゆったりしているように感じた。

181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:04:00.12 ID:Oqr5JUbl0




 結局、その後はあまり動かずに、お互いに持ってきた本を読んだり、どこからか漂ってくるシャボン玉を目で追いかけたり、またキャッチボールをした。

「ねえ、ふゆ。もうそろそろ帰ろっか」

「そっか。もうそんな時間になってたのね」

 腕時計を確認すると、指し示されているのは午後五時。
 今日は楽しい一日だった、と思った。

182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:05:13.47 ID:Oqr5JUbl0




「わたし、実はデートって今日が初めてだったんだよね」

 帰り道のバスで、桃が不意に口を開いた。

 乗客は朝と違って私たち二人以外に誰も居なかった。
 バス停で同乗した人たちはみな途中の温泉街で降りて行った。日曜日だというのに。私たちは明日普通に学校だ。

「生まれてからってこと?」

「そうそう」

「私も初めてだよ」

「そうなの? なんか意外だね」

「それは、こっちが言いたいセリフ」

「えぇ、そうでもないと思うけどなぁ」

 ふゆはかわいいんだし、と桃はくすっと笑う。
 いやいや私なんか、と言うのはいろいろと不毛な気がしたので、ただへらっと笑っておく。

183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:05:45.20 ID:Oqr5JUbl0

「そういう反応も……ま、いっか」

 桃は私から目を逸らして、咳払いをひとつする。

「今日は、どうだったかなって」

「今日は……あっという間だった」

「あはは。わたしもそう思う」

「それと、楽しかったよ。すごく」

 率直に言うと、桃の顔がぱあっと晴れやかになる。

 緊張に、不覚に、いろいろあったけれど、単純に楽しかった。桃が私を楽しませようとしてくれていることが伝わってきた。
 仲の良い友達がそうしてくれて、楽しくないわけがない。

「わたしもとっても楽しかった。またこういう風にデートできたらなって、むしろなんで今までしてなかったんだろうって、後悔してるくらい」

「また誘ってくれれば、いつでもいいよ」

184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:06:27.52 ID:Oqr5JUbl0

 楽しかったし、次があればいいな。
 そう思って言ったことに、桃は僅かに表情を曇らせた。
 けれどすぐに、気を取り直したようにこちらに向けて笑う。そのときにひとつした頷きは、何かの決心を固めるかのように見えた。

 バスが駅に到着する。
 降りてすぐに呼び止められる。

「聞いてほしいことがあるの」

「はい」

 まだ何も言っていないのに、桃が今から何を言おうとしているかが、なんとなく分かってしまった。
 ただの錯覚かもしれないけれど、この空気感を、私は既に知っているように思えた。

 居住まいを正す桃につられて、私の背筋も伸びる。

 走り出したくなる。今回は本当の意味で。

185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:07:27.73 ID:Oqr5JUbl0

「わたしは、ふゆにわたしだけが出来ることをしたいし、そういうことで嬉しくなってもらいたい。
 ふゆとわたしの思い出になることを、いまの友達の関係よりももっと近い関係で、わたしたち二人で見つけていけたらなって、そう思うの」

 ゆっくりと五本の指で、私の手のひらを包み込む。
 そして、私の目をじっと見つめる。そのたった数秒間がどうしてかとても長く感じる。

「だから、わたしと付き合ってみてほしいです」

 今までに見たことのない表情で、桃はそう告げてきた。

 握られている指先から、たしかな温度が伝わってくる。
 私よりもつめたいはずなのに、今はあたたかい。
 体温が混じり合って均される感覚。数秒単位でなく黙っていれば、そうなっても仕方ない。

 思い出になることをしたい、と桃は言っていた。
 それが今日の課題であり、目標だったのだろう。

 桃が私のためにいろいろと考えてくれたこと。
 それだけで嬉しかったし、私にとっては思い出に残るようなことだった。

 でも、それは一面的にであって、全てがそうってわけではないんだろうと思う。

186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:08:05.47 ID:Oqr5JUbl0

 分からないけど、多分。私の持っている想像力の限界。

「相手は、本当に私でいいの?」

 と私は訊ねる。
 他に訊きたいことは特に浮かばない。

「うん、ふゆがいい。だって、ふゆは素敵な子だから」

 と桃は答える。ガベルが鳴っているように錯覚する。

 買い被りすぎだと思うし、自分に対しての適切な言葉としては受け入れ難い。
 けれど、ここまでまっすぐ言われてしまうと、見えるところで過剰に自分を卑下することは桃に対して失礼になるように思う。

 もうちょっと真面目に考えてきて、というようなことを私は言った。
 それで、桃はちゃんと考えてきてくれた。考えてきた結果が、以前言われたことと大筋で変わりなく、今言われたことなのだろうと思う。

187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/08/18(水) 15:11:16.33 ID:Oqr5JUbl0

 私も真面目に考える。カリキュレイトする。
 結果はすぐに出る。以前とそれほど変わりない。

 断る理由がない。受け入れた先よりも断った先を想像できない。桃に何か問題があるようには思えない。問題があるとしたら私の方で、それは今のところ私にも分からない。

 だったら、と思う。雪崩的に。
 私は目先の選びやすい選択肢に流されていく、どうしようもない人間だから。

 そして──そもそもの話、桃から「付き合って」と言われた時点で、私の取る選択肢は既に決まっていたようなものだったから。

 私は、息を吐いて、桃をまっすぐ見て頷く。
 頷きだけでは伝わらないかもしれないと思って、

「これから、よろしく」

 そう言って、握られている手のひらに力をこめ、桃の手を握り返した。


188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2021/08/18(水) 15:12:21.69 ID:Oqr5JUbl0
本日の投下は以上です。
期間が空きましたがまた書きます。
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/08/19(木) 18:20:40.42 ID:31t/CF580
前にも書いてた?
オリジナルは珍しいから失踪せずに頑張って
190 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/08/20(金) 02:52:32.82 ID:j9N7SqDn0
おつです
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/09/04(土) 00:09:50.15 ID:zJsRFTYO0
両方とも恋愛感情なさそう
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/09/04(土) 11:27:33.23 ID:lf4bw44X0
おつです
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:40:11.99 ID:282sBTyh0


【2】



〈T〉


 手のひらの中で、スマートフォンが静かに震えている。

 薄く瞼を開くと、カーテンの隙間から初冬の淡く柔らかな日差しが入り込んできている。

 ロック状態のまま震動を続ける画面に表示されている時刻は六時二十分。
 十分おきのスヌーズの二回目。六時ちょうどに鳴ったものと一回目のスヌーズはまったくもって記憶にない。

 アラームの時間ぴったりに起きられるほど、わたしは朝に強くない。
 昨日は二時間スペシャルの刑事ドラマが面白くて、二夜連続の夜更かしをしてしまった。
 この季節になると就寝前のリビングから自室に戻るまでの道のりが億劫になってしまう。

 上向きにしていた体を反転させ、枕に顔をうずめる。まだこの温かさと安らぎに包まれて眠っていたいという思いから、ぐりぐりと強く擦ると、鼻と目元が少し痛くなった。

 意識がふわっとしていないと、二度寝するのは難しい。
 いつもなら惰眠をこれでもかというくらいまで貪れるはずなのに、今日は視界がクリアになってしまっている。

 眠気を取り戻そうとしているうちに、ちょっと時間が経過していた。部屋の外から、階段をのぼる音がする。
 それに次いで、がらっとわたしの部屋のドアが開けられた。

194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:41:11.68 ID:282sBTyh0

「姉さん、起きて。もう朝だよ」

 とわたしを揺する声の主は、三歳下の妹のひなみ。

 今日は起こしてくれる日だったらしい。ひなみはわたしと違って朝に強い子だから、週に二、三度起こしてくれる。
 三度目のスヌーズが鳴る前に止め、起き上がる頃には、ひなみが部屋のカーテンを開けてくれていた。

「朝ご飯はトーストだよ」

「そうなんだ」

「そうなんです。一人で朝食を取るのは味気ないから、姉さんはさっさと起きましょう」

「うん……ていうか、はやいね」

 ひなみ一人で、ということはお母さんとお父さんはもう仕事に行ってしまっているらしい。
 うちの両親は共働きで、会社勤めをしている。お互いの職場の距離が近いらしく、朝は一緒に出勤していく。

「パパもママも年末は忙しそうだよね」

「寂しい?」

「というより、心配。どっちもこの時期やつれてない?」

「たしかにそうかも」

195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:42:18.35 ID:282sBTyh0

「ていうか姉さんいるし、寂しいわけないよ」

「わたしも、ひなみがいるから寂しくない」

 おうむ返しするように言って、昔からしているようにひなみの髪を撫でる。

 ここ最近の、中学に入ってからのひなみはすごく大人っぽくなった気がするけれど、こうして撫でてあげると嬉しそうに頬を緩めるのは変わっていない。
 わたしよりも少し短めの髪の毛がさらさら揺れる。

 ただその二秒後に「やめい」と頭を退けて距離を取られた。
 ちょっとだけ怒っているような、拗ねているような、そういう調子になるのは、以前と変わったこと。

「あんまり子ども扱いしないで」

「子ども扱いっていうか、妹扱いかな」

「その妹に起こされる姉さんってどうなの」

「それは、わたしもまだまだ子どもなので」

「いや、そこ開き直っちゃダメでしょ」

 ひなみはわざとらしく苦笑しながら立ち上がって、部屋の外に向かう。

「準備しとくから、その寝癖直して顔洗ってきて」

196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:43:17.50 ID:282sBTyh0

 とっくに眠気なんてないのに、やっとの思いでベッドから這い出る。
 小学生からずっと決して広くはない部屋のスペースを陣取っている学習机の上には、半開きの英単語帳と、良くも悪くもない数学の小テストと、進路調査票と、それから水玉模様のデザインの手帳。

 最後のそれを見るだけで、自分の顔が緩むのがわかる。
 そっと表紙に手をかけて、ぱっと開く。まだまだ始めたばかりだけど、これから徐々に埋まっていくことを思うと、気持ちがぐいっと上向く。

 スマートフォンのロックを解除してホーム画面を見て、すぐに閉じる。
 よし、今日も一日がんばろう。というルーティン。力は勝手に湧いてくる。

 さっと朝の支度を整えて、日焼け止めを塗って、すでに温められていたコタツに入って、テレビからする情報番組の音を聞く。
 今朝はわたしの住んでいる地域で初雪が観測されたらしい。平年より三日ほど早く、これからますます寒さが増していくでしょう、と。

 今よりも寒いのだと想像しただけで身震いがして、肩に手を当てながらぐでっと床に倒れ込んだ。
 カーペットの毛が頬に当たる。寒さに怯えていたはずなのに、ひんやりとした感触は気持ちがよかった。

「二度寝しないで食べてよ」

 いつのまにか隣に座っていたひなみから「まだ食べてないけどあんまり寝てると豚になるよ」と重ねて鋭い指摘が飛んでくる。

197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:44:06.68 ID:282sBTyh0

「でもひなちゃん。寝る子は育つって言うよ?」

「けど姉さんは今以上に育ちたくないでしょ?」

「はい、食べます食べます」

 体を起こして、トーストを口に運ぶ。
 わたしは一枚だったけど、ひなみは三枚食べていた。

「ていうかひなちゃん呼びやめて」

「どうして。かわいいのに」

「子ども扱いされたくない」

「してないよー。わたしだってまだ子どもなんだよ」

「さっきと話題がループしてるし……。はい、姉さん。プリーズセイ、ひなみ」

「ひなみ?」

「わんもあわんもあ」

「わかった。ひなちゃんは封印ね」

 思春期なのはもちろん、なにかと背伸びしたいお年頃なのだろうか。

198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:44:42.19 ID:282sBTyh0

 わたしはココアだというのに、ひなみはブラックコーヒー。前はおねえちゃんって呼んでくれてたのに、今は姉さん呼び。

 よく友達から抜けてると言われるわたしを反面教師にしてくれているのかな。
 だとしたら、わたしはもっと姉らしくならなければならないのかもしれない。

「無理そうだよね」

「ううん、姉さんなら大丈夫。いけるいける」

「えっなに。もしやわたしの心を読んだ?」

「いや、適当に言っただけ。そんなにビビらないでよ」

 まずそもそも、姉らしいってなんだろう。威厳?
 ベタにほっぺにジャムでも付いていないかなと見てみたけれど、付いていたのはわたしの方だった。

「そいえばさ、姉さんの友達に会いたいなー」

 二人で家の外に出て歩いていると、ひなみがふと思いついたような口調でそう言ってきた。

「誰のこと?」

「えっと、ふゆさん? 前からちょくちょく登場してたけど、最近は輪をかけて登場率高いから気になる」

199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:45:22.62 ID:282sBTyh0

「登場率って、そんなに話してた?」

「話してるよ。気になる気になるめちゃ気になる」

「じゃあ、ふゆに言ってみるね」

「やった。あ、絶対だからね?」

 念を押すような言葉とともに、ひなみが悪戯っ子のような笑みをわたしに向けてくる。
 どうしてそういう表情になったのかはわからなかったけれど、うんと小さく頷く。

「楽しみだなあ、ふゆさん。どんな人なんだろー」

 ひなみは指を組んで、目をキラキラさせる。

 わたしも考えてみる。ふゆはどんな人なんだろうって。

 気になる人。素敵な人。仲良くなりたい人。ついこの間から付き合っている人……は、秘めておくべきことなのかな。
 そういえば、付き合っているんだ。そう、付き合ってるんだった。ふゆとわたしは付き合っている。改めて言語化すると、顔の中心に熱が宿りかける。

 でもこれは、ふゆがどんな人であるかじゃなくて、わたしとの関係性であったり、気持ちだった。質問の答えとしては適切でない。

 答えを探しているうちに会話は終わった。そんなわたしを見て、ひなみは更に関心を深めたような顔をしていた。

200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:46:10.25 ID:282sBTyh0




 おはよう、と下駄箱から廊下までの道のりで何人かの友達に声をかけられて、それに答えつつ教室に入る。

 わたしの席は窓際の後ろの方で、そこにはいつもお昼を食べているわたしを含む四人が固まっている。
 このクラスには運動部の子が多くいて、その子たちで大きな集まりができている。そこに属していない、その他の小さな集まりのうちの一つがわたしたちだ。

「ももちゃんおはよー」

「おはよー、桃」

 後ろから挨拶をされて振り返ると、つーちゃんと栞奈ちゃんが手をひらひらと振ってきていた。ふわりと鼻をくすぐった制汗剤の香りは、朝練帰りの栞奈ちゃんのものだろう。

 つーちゃんは小学校からの友達で、このクラスではほんとに数少ない帰宅部仲間。笑った顔がかわいい子。
 栞奈ちゃんはつーちゃんからの紹介で二年生になってからできた友達で、バスケ部の部長をしている。わたしたちのグループのまとめ役。

 一緒に席に向かうと、二人は机を繋げてオセロをしていたみたいだった。
 ざっと見た感じ、黒が優勢かな。黒を打っているのは栞奈ちゃんの方だ。

201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2021/09/11(土) 17:46:41.98 ID:282sBTyh0

「さあ、つー。私にボコボコにされる続きを早くしよう」

「いやいや、ちょっと角取ったくらいで調子乗んなし」

「おお、威勢はいいねー」

「スマホゲームで鍛えたわたしの力を見せてやる!」

「見せるにはもう遅いんだけどね」

 栞奈ちゃんが五枚を黒にひっくり返す手を打つと、つーちゃんはうっと小さくうめく。
 それを見て、栞奈ちゃんはにやりと笑う。よくクイズ番組なんかで見るような、勝負師の顔だと思った。

 そんな二人のやり取りを立ったまま眺めていると、微笑ましいような気持ちが溢れてくる。仲が良いって、とてもいいことだと思う。
 あからさまに顔に出てたのか「桃は私を応援してくれてるみたい」と栞奈ちゃんが話を振ってくる。

「え、マジ? ももちゃん敵?」

「や、わたしはどっちも応援してるよ。がんばれー」

「なんか心がこもってない気がする」

 ええ、ふつうに本心だったのに。言い方の問題かな。

 つーちゃんが悩みながら黒二枚をひっくり返しているのを横目に、二人のひとつ前の自分の席へと進む。

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