Helleborus Observation Diary 

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2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 02:55:42.68 ID:ShxRzgitO

 両親からの質問と私の返答は、とてもシンプルなもので、

 ──お母さんとお父さんと一緒に行きたい?
 ──べつにどっちでもいいよ。

 ──じゃあ、お祖母ちゃんと今までみたいに過ごしたい?
 ──まあ、それは、うん。

 たしか、そんなあっけないやり取りで、お祖母ちゃんの家にとどまることが決まった。
 というより、決められた。初めから私の意思なんてものは意味をなしていなかったように思える。その真偽はどうであれ。

 もしかしたら転校するかもしれない、と告げていた当時の友達は私がここに居続けることを喜んだ。
 抱きつかれて、泣きじゃくられて、どうしてか私もつられて泣いた。
 あまり泣くという行為や涙そのものに縁が無いから、ぱっと思い出せるうちで最後に泣いたのはその時だったように思える。

3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 02:56:38.69 ID:ShxRzgitO

 私から見たお祖母ちゃんは、真面目で、すごく優しい人だった。
 褒めるときはちゃんと褒めてくれて、叱るときはちゃんと叱ってくれる。
 子供は子供らしくしてるのが一番と、口癖のように言っていた。私としては結構ワガママを言っていたつもりだったけど、それでも足りないというように世話を焼いてくれた。

 ああでも、コーヒーや紅茶には砂糖を入れて飲みなさいと言っていたのは、単にお祖母ちゃんの好みだったのかな。甘いもの好きだったし。
 お祖母ちゃんの影響を受けた部分も結構ある。性格については、多分そんなに似てない。私はだいぶ不真面目で、別段優しいわけでもない。

 似ているのは、食べ物の好みとか、そういう部分。甘いものは私も好き。辛いものは少し苦手。
 テレビはあまり観ない、本はそこそこ読む、夜に弱くて朝はそれなりに強い、つまり早寝早起き健康体。
 趣味も、ちょっとだけ影響を受けた。当時はあまり惹かれなかったものなのに、今では毎日のように触れている。

 嫌いなものは、そこまで、いや、まったくと言っていいほどなかったと思う。
 そういうことを私の前では口にしない人だったし、それ以前にお祖母ちゃんの嫌いなものに触れる機会が少なかった。
 でも、ひとつだけ言えることがあるとするなら、お祖母ちゃんは、軽々しく他人と約束をしない人だった。
 果たせない約束、果たす気のない約束、果たしてくれないと思う約束。

4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 02:57:17.17 ID:ShxRzgitO

 ──どんな些細なことでも話せる友達と、心から好きだと思える人を見つけなさい。
 ──それは、絶対に受け身では駄目、自分でちゃんと考えて、慎重になりすぎる必要はないけれど、選ばれるよりは選ぶようにしなさい。

 一言一句はっきりと覚えている、私がお祖母ちゃんと唯一交わした約束。
 その約束の真意とか、そういうものは何も分からないまま、差し出された小指に、曖昧に指を掛けた。

 周りに友達がいっぱいいるのは当たり前で、好きな人は周りにたくさんいて、わざわざ口にせずともいろいろなことが伝わって。
 幼く狭い世界では、重ねるようだけど、本当にそれが当たり前で。目に見えるものが全てで、それはこのままずっと変わらずに続くものだと思っていて。
 私の経験は、私自身の辿ってきた道で、これまでの自分とこれからの自分は地続きになっていて。
 誰かと関わって、少しずつでも影響を受けて、変えられて、もしその誰かと離れても、変えられた私はそのままで。

 選ばれるよりは選ぶように。
 選択を、誰かに委ねるか、自分で下すか。

 ふと振り返ったときに、元来た道に戻れるのは、そのどちらなのだろうか。


5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 02:58:48.94 ID:ShxRzgitO


【1】






 目の前に差し出された小指。
 私のよりも、幾分か細くてしなやかなそれを視界に捉えながら、ついさっき言われた言葉を思い浮かべる。

 えぇと、私の聞き間違いじゃないよなあなんて思ったけど、できればそうであってほしかったけれど、それはまずなさそうだった。なにせ相手は目の前に座っているのだから。
 どう考えたって間違えようがない。ない、ないのだが、いや待ってくれ。隣に座っている友達と斜め前に座っている友達もご飯を食べる手が止まってる。
 けれど、この場にうまく言い表しがたい空気をもたらした帳本人は、私を含めた三人の困惑なぞなんのそのでにこにこ笑って、こっちを見ている。

 ……うん、えっと、正直なにがなんだか分からない。

 想定外な出来事に対処するために必要なのは、多分、その状況を整理すること、なはず。とりあえず気持ちだけでも落ち着きたい。
 頭が真っ白になっているわけではないから、そこまで落ち着いてないってわけでもない。でもかといって冷静でもいられない、みたいな。首が勝手に傾く。

6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:00:03.23 ID:ShxRzgitO

 晩秋、風流っぽい言い回しをするなら、雪待月やら小春日和の候とでもいったところか。
 日が完全に短くなってきていて、なんとなく憂鬱さと物寂しさが入り交じった季節。外で息をすれば白が空に溶け、肌を刺す寒さが襲ってくる。

 今日は久しぶりの秋晴れで、こんな天気なら中庭に行ってお昼ご飯を食べるのが習慣になっていたけど、最近はもう毎日のように学食のお世話になっている。
 テーブルの上には各々の食事と、すぐ近くの購買で買ったプリンが置いてある。

 そして目の前に座っているのは、私の友達の一人。
 桃、と私は名前をそのまま呼んでいる。他にはももちんやらもももやらあった気がするが、いつの間にかお蔵入りしたようだった。
 思い返してみると、私は今まで桃に対してあだ名のような呼び方を一度もしていない。初めて名前を聞いたときから、ずっと桃のままだ。

 持ったままでいた箸を置いて、目を戻してから、桃に訊ね返してみる。

「あのさ、桃、もっかい言って」

「……うん?」

「さっきはなんて?」

「さっき……あ、あー、これね」

7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:00:35.95 ID:ShxRzgitO

 これねこれね、と桃は小指を立てたまま手をぷらぷらさせる。
 僅か数十秒前のことを忘れたわけではないだろうけど、桃に限ってはそうとも言い切れない。
 私がこのまま黙って待ってれば話し始めてくれる。……かな。結構ビミョーな感じがする。

「なんていうの、あまりものどうし付き合っちゃわない? っていう提案」

 桃がこういう時に続きを自分から話し始めるのは珍しい。
 それに言ってる内容まで珍しい。いやまあ珍しいって言葉は適切じゃないかも、この場合はなんて形容するべきか。
 少なくとも友達同士での日常会話で出てこないことはほぼ確実だと思う。

「あまりもの」

「そう、あまりもの」

「……具体的に言うと?」

「ふゆとわたし、だけど……あれ、伝わってない?」

「どうだろ、分かるような分からないような」

8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:01:30.45 ID:ShxRzgitO

 桃は小指を引っ込めて、少し悩んだように腕を組む。様子からして冗談を言っているわけではないようだ。
 ふゆと、で私に指を向け、わたし、で自分に指を戻す。それは分かるから、と伝える間もなく、

「栞奈ちゃんは、前から彼氏さんがいるじゃん」

 と私の横に座っている栞奈に話が飛んだ。

 栞奈は、多分私たち四人のなかで一番まともな女子高生。成績優秀で部活も真面目。文武両道を体現している優等生。
 それでいて真面目すぎるようなきらいはなく、メリハリが出来ているタイプで、何気ない所作に頭の良さを感じる。
 実際、制服もそれなりに着崩していて、スカートの丈も四人の中では一番短かったりする。

 そんな栞奈の「そうね」という返事で、ああそういえば彼氏がいるとかなんとか言ってたような気がしなくもないな、と遅れて思い出した。
 いつか写真を見せてもらったことがあった。印象は……特に覚えていないけど、仲は良さそうだった。付き合ってるなら当たり前か。
 自らそういう話をしたがるタイプではないからすっかり忘れていた。同じ学校ならともかく、栞奈のお相手さんは他校だし。

「つーちゃんも……あっ、つーちゃん改めましておめでとう」

9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:02:20.26 ID:ShxRzgitO

「お、おー。ありがとう」

 こっちはこっちで、戸惑った様子を少しも隠すことなく、私を見ながら返事をする。
 それもちらちらとではなく、じっと。特徴的な大きな瞳で、じぃーっと、見つめてくる。

 つかさのこういうところは、控えめな反応を向けてきている栞奈とは対称的に思える。
 感情の発露がストレートで、表情にも態度にも出やすい。細い身体と俊敏な動きも相まって、どこにいても目に付く。
 座っていると分かりづらいが、手足がそこそこ長い。身長はこの中で一番低いけど、クラスでは真ん中くらい。高校に入学してから一年のうちに何センチか伸びたらしい。

 あと、少し前に恋人が出来たらしい。
 テーブルの上のプリンは三つともつかさのものだ。細やかなお祝いとして三人から一つずつ渡した。

「伝わった?」

「まあ……」

 栞奈とつかさに恋人がいる。桃と私はあまりもの。『付き合っちゃわない?』という言葉。
 そこから照らしてみると、簡単に答えに行き着く。

10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:03:10.73 ID:ShxRzgitO

「どうかな?」

「いや、どうって言われても」

「楽しいと思うよ?」

 なんだか押しが強い。必死さとは違うけど、迂闊に流せもしないような。

「楽しい例をあげよ、楽しい例を」

 何をどう返事すればいいのか分からないから、とりあえずおどけて見せる。
 言葉を選んでる暇もない。私と桃より、栞奈とつかさの居心地を優先する。

「えと、土日に遊んだり、夜に電話したり、学校から一緒に帰ったり……」

 指折り、桃はあれこれと数える。
 どれもしたことがあるようなものばかり、でも、言っている桃は少しだけ楽しそうに相好を崩している。
 まるで、その場面を想像しているように。……私もしてみたけど、そんなにっていうか、現実的な範囲を出ない感じで、普通? だった。

「どれも付き合わなくてもできるじゃん」

「そうでもないよ」

「んー……そうかな」

11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:03:55.21 ID:ShxRzgitO

「だって付き合ってたらもっと楽しい気がするし」

 なんて言いながら、「ね?」と桃はつかさの顔をちらりと見る。
 一瞬きょとんとして、何を思ったか「そうだぞー」とうんうん頷きを返すつかさ。めっちゃ流されて言ってる感が半端ない。

「ちょっとちょっと、ふつーに困ってるよ」

 ふわふわしたやり取りを見かねて、先ほどから静観していた栞奈が助け船を出してくれる。
 が、その先を続けるつもりはないらしい。デリケートというか、単に口を挟むのが面倒な話題だからだろう。

「あーそのー、大丈夫大丈夫。ちょっと驚いたのと、少し考えてるだけ」

 言うと、思った通りに栞奈は「そっか、悪いね口挟んで」とあっさり引き下がった。

 そして何事もなかったかのように食事に手を付け始める。
 関わるには関わったからあとは二人で話せ、ということだろう、多分。

「ちょっと気になったんだけど」

「うん」

「桃はわたしと付き合ったらなにをしてくれるの?」

12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:04:21.06 ID:ShxRzgitO

 最初に聞くべきことはもっとあるはずだけど、単純に思ったことを口にしてみる。
 つかさの目はまだこちらを向いているけど、この際気付いていない振りをしよう。

「さっき言ったみたいなことだよ?」

「遊んだり?」

「うん、うんうん」

 またしても、ほわあ、と効果音が出ていそうなくらいに桃の顔がほころぶ。
 そういうことじゃなくて、と言いたいのはやまやま。困った顔でもしてみればいいのか。

「もうちょっと練ったらまた聞かせて」

 掘り下げようともして、結局そうはしなかった。なんだかもっとふわっとしたのが飛んできそうだと思ったから。
 それにせっかくのランチを残してしまってはもったいない。柱の掛け時計を確認すると、もうあまり休み時間が残っていなかった。

 もそもそ食べていると、予鈴とともに「次の時間は体育らしいよ」と食べ終わった二人が食器を片付けて行ってしまう。
 らしいよってなに。すっかり忘れてたけど。
 残される桃と私。食べるペースはどちらも遅め。体操着に着替えなきゃいけないし、このままでは遅刻必至だ。

13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:05:03.66 ID:ShxRzgitO

「次の体育って、種目分かる?」

「マラソン」

「うわ」

「ふゆ、うそだよ。先週の続きで、自由時間だと思う」

 うだうだ話しながら、どっちもペースを速めようとはしない。
 もう遅刻確定だろうと思っているところに「一口食べる?」と今度は指ではなくスプーンが私に向く。
 マイペースというか、なんというか、こういうところはとても気が合うところだと思う。

「なら隅っこで暇つぶししてよう」

「……んー、わたしは少しだけ動こうかなって思ってた」

「そう、がんばって」

 ひらひらと手を振ってみると、桃は自分の前髪をさらりと撫でるように梳いて、そのまま耳に掛けた。
 そして、すぐに笑う。眼鏡を掛けているわけでもないのに、くいっと眼鏡を上げるようにこめかみの辺りに触れながら。

「今日はバドしよっか」

14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:05:38.28 ID:ShxRzgitO

 どうやら、提案すれば私は断らないだろうと確信を持っているみたいだ。
 桃は最近になって、こういうふうに私の振る舞いを読んでくることが多くなった。

「いいね」

 まあたしかに、断りはしないから間違いではない。
 
「ふゆはバド得意?」

「どうかな。あんまりやったことない」

 先週の体育は四人でテニスをした。
 クラスの人たちは体育館でぬくぬくドッジボールとかバレーをやっていたけど、つかさと桃の思いつきでそうなった。

「そうなんだ……あ、うん、そっか」

 半笑いで桃が頷く。

「……いまなんか失礼なこと考えたでしょ」

「いやいや、全然」と桃は両手を振って否定したけれど、表情までは誤魔化しきれていなかった。

 シングルマッチ総当たり戦。
 ばりばり現役運動部の栞奈は仕方ないにしても、帰宅部のつかさと桃にも惨敗した。
 私が打つとテニスボールがあちらこちらに飛んでいく。明後日の方向って上手い喩えだな、と思うくらい。

15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:06:04.94 ID:ShxRzgitO

「食べ終わったし、そろそろ行こっか。……あ、わたし片付けてくるね」

「お、ありがとー、やさしー」

 学食のおばちゃんとにこにこ会話してから戻ってきた桃と連れ立って廊下を歩く。
 他の生徒の姿はない。ちょっと急いだ方がいいのだろうか。桃の横顔を盗み見て、まあいいか、となった。

 ふと思ったけれど、さっきのアレもそういうことだったりするのかな。桃からだけってわけではないけれど、私は人に何かを提案されれば、まず断らない。
 自分でその何かを決めるのが面倒だから。ちょっと押されれば、割とあっけなく傾く。そういう自覚はある。
 それに頼まれることの希少さが拍車をかけている。私に頼み事をしてくる人なんてそうそういないのだ。

 だとすると……。
 いや、だとしても、とりあえずの感想はさして大きくは変わらない。

 もし仮にそういう関係になるとしたら、こういうふうにふわふわしているのはあまりよろしくない。

16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:06:54.96 ID:ShxRzgitO

「んー……」

 そんなことを思ったがすぐに、ちょっと違うかも、と歩きながら頭を振る。
 階段に差し掛かったところで足を止めると、桃も同じように足を止め振り返った。

「どうしたの?」

 至近距離から私を見つめる、透き通った瞳。
 私より背が頭半分くらい高いから、必然的に見下ろされる形になる。

 一年と半年前、桃と初めて出会ったときに抱いた印象は、"綺麗な子"だった。
 どこが綺麗かっていうと、全体的に。サラサラの黒髪とか、すらっと伸びた脚とか、姿勢の良さとか。
 顔も……なんか、勝手に評価するのも悪いけど、品のある? 美人系? だと思う。

 けれどなんとなくゆるい。ふわふわしている。普段の表情、雰囲気、ちょっとした仕草が。
 吹けばどこかへ飛んでいってしまいそうで、見ていて少し不安になる。

 そうか、と気付く。簡単なことだ。
 桃自身がふわふわしているのだから、ふわふわしているのはある程度のところまでは致し方ないのかもしれない。

 正しくは、ふわふわしすぎているのはよろしくない、だろうか。

17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:07:39.92 ID:ShxRzgitO

「……あ、これもちが」

 う気がする、と言いかけて、それも違うのではと心の中で指摘する。
 ちが? とこちらを窺う目に、いや、と即座に返す。

「……あーあのね、桃って歩きかたが綺麗だよね、って」

「え? え、え、っと……」

「それだけ。ごめんね急に立ち止まって」

「……ううん。ちょっとおどろいた、えと、よろこんでいいやつ? だよね?」

 桃の言う、楽しい楽しくない以前に。
 私の思う、ふわふわしているしていない以前に。

 真面目な提案をしているのであれば断りはしない、というのがどうなんだろう。
 ……なんて。

「うん、よろこんでいいやつ」

 直感的に判断してみると、そこまで怖くはないだろうと思えてしまう自分が少なからず意外に思えた。

18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:08:15.78 ID:ShxRzgitO




「ふゆ、これからなにか用事ある?」

 六限の授業が終わると、桃が隣の席から話しかけてきた。少し眠気に誘われていたのもあって、ぐいんと伸びをしてから「んー特には」と返す。
 一応、あることはあるけれど。あまり大したことではないから、なにか用事があると言うなら、そっちに合わせることはできる。

 担任が教室に入ってきて、細かい連絡を済ませてお開きとなる。掃除当番は先週だったから今週は休みのはずだ。

 通学用の鞄に荷物を入れて、上着に袖を通しつつ横を向く。
 桃も同じように帰る準備をしてるところで、私の視線に気付くとすぐにこちらを向いた。

「じゃあ、駅までいっしょに帰ろうね」

 そう言いながら、椅子を戻して隣に並んでくる。そういえば最近お互いに予定があって一緒に帰っていなかった。
 わざわざ用事があるかを聞いてきたのは、私が自転車で桃は地下鉄だからだろう。普段は校門で別れるから、駅まで歩くことはあまりない。

 既にジャージ姿に着替えていた栞奈は今日も部活があるようで、一言「またあしたー」と教室を出て行った。

19 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:10:31.44 ID:ShxRzgitO

「そうそう、マフラーを新調したのです」

 桃は鞄の横ポケットに手をやって、くるくる巻かれているマフラーを取り出した。
 幅が広めで、どっちかといえばストールに近い気もするけど、生地は厚めだからどうなんだろう。違いが分からん。
 色は白っぽいベージュに何色かのパステルカラーが入っているもので、たまに桃が身につけているカーディガンと同じような色合いだった。

「巻いてくださりますか」

「えー、自分で巻きなよ」

「朝に練習したんだけど、上手く巻けなかったの」

「今日そこまで寒くないから、また練習してらっしゃい」

「えー……」

「……わかったわかった。仕方ないなぁ」

 もっと寒くなれば、私もマフラーやら首元を覆うものを引っ張り出す必要がありそうだ。
 これぐらいでへこたれてたら今年の冬は越せないぞ、という眼差しを桃に向ける。

「なんかこうやって巻いてもらうの、新婚さんっぽいね」

 めっちゃ鮮やかにスルーされた。その感想は分からなくはないけど。新婚さんが巻くのはネクタイかな。
 今時そんなステレオタイプな夫婦はいるのだろうか。ていうか、巻き方こんなでよかったかな。

20 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:11:02.22 ID:ShxRzgitO

「ありがとう。ふゆの巻き方にしてみたかったんだよね」

「ちゃんと巻き方覚えた?」

「ん、んー……」

 視線を落として、マフラーをぐいぐい。首を捻ってから私を見て、「まあまあ」と一言。
 絶対明日になっても覚えていない気がした。

 教室の掃除の邪魔になっていたので、そそくさと廊下に出る。窓から吹き付ける風はわずかに温い。

 クラスメイト数人とすれ違って、まばらに手を振る。大半は私じゃなくて桃に挨拶をしているのだろうと思う。
 桃はけっこう社交的。私は……まあ、人付き合いが苦手ではない程度、なのかな。あまり三人以外とは話さない。

「あれ、靴変えたの?」

 階段を降り、下駄箱から靴を取り出すと、桃は不思議そうに私の手元を指さした。

「よく見てるね」

「ふふん。なんだかいつものよりもスポーティーな感じだね」

「間違って履いてきたの。制服だと浮くからいつも履いてない」

「あ、そうなんだ。わたしも走りやすい靴買おっかな」

 ふゆと同じのとか、と陽気に笑う。もちろん冗談だろう。

「じゃあ帰りますか」

 桃が靴紐を結び終えたのを確認して言う。いつもほどきっぱなしの私と違ってえらく真面目なこと。

21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:12:54.83 ID:ShxRzgitO

 そんなこんなで外に出る。
 駐輪場に自転車を取りに行こうとすると、桃は察してくれたのかこくっと頷いて足を止めた。

 鍵を開け、サドルが少し高めなスポーツタイプの自転車に跨がる。すいすい漕いで桃のところまで戻って降りる。
 そのまま自転車を押して校門まで歩いていると、後ろから「おーい」と大きな声が聞こえてきた。

「あ、つかさか」

 ぜいぜい息を切らして、つかさが私たちのところに走ってきていた。

「はーっ……。二人ともわたしを置いて帰っちゃうなんてなんてひどいなー」

「教室出てったからもう帰ったんだと思ってた」

「んーまー……なんつーか、呼び出しってやつ」

 軽い口調で、つかさは未提出の課題を出しにいったということを口にした。
 提出期限が今日までだったらしいが、そんな課題には聞き覚えがなかった。隣の桃も同じことを考えているようで、口元に指を添えて首を傾げていた。

 桃、私、つかさの順に並んで歩く。この三人になると、たいてい私が真ん中になる。
 自転車があるから外側に行きたいのだけれど、桃はすぐに私の左側を取るし、つかさも自然に逆側に来る。
 挟まなくたって逃げはしないのに。信用ないのか……いやそもそも二人を無視して自転車に跨がって帰ったりしたこと自体ないのだった。

22 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:13:32.46 ID:ShxRzgitO

 学校から駅までの道は、まっすぐ行けば十分ちょい。東口へと繋がる道を通るのが最短ルート。
 ただ道幅が狭いから、自転車で通るには充分だけど複数人での歩きには向かない。
 なのでいつもぐるっと遠回りして西口の方に向かう。こっちの方が人通りが多いし、街灯があって夜でも明るいからだ。

「ふゆゆとその愛車を見てるといつも思うんだけどー」

 つかさは私の自転車をポンポン叩いて、明らかな思いつきを口にする。

「ふつーにパンツ見えない? てか見える、ゼッタイ」

「はあ」

 質問かと思ったけどそうじゃなかったみたいだ。言ってるうちに自己解決されても困る。
 それにしても、パンツて。女子高生が街中で言う言葉とは思えない。

「ふゆゆ乗ってみてよ」

「そのフリで乗るかなぁ……まあいいけどさ」

 つかさの言ったことには特に気を遣わずに、いつも通りに跨る。
 すると、すぐに聞こえる「おお」という声。

「すげー、全然見えない。鉄壁じゃん」

23 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:15:11.10 ID:ShxRzgitO

 それだけ言って、つかさはさっさと前に歩いていく。ゲンキンなやつってこういうこと。
 髪先を摘んでぼーっとこちらを見ていた桃は、私の視線に気付くと一瞬で目を逸らす。……なんだろ?

 しばらくゆるゆると歩きながら他愛のない話に興じる。話題は今日の体育について。

 分かりきったことだったけれど、バドだったら得意ということもなく、テニスとそう変わらなかった。来たシャトルを返すので手一杯。桃のミス待ち。
 でも桃もあまり得意でなかったのが幸いして、勝負としてはあまり酷いものではなかった。どんぐりの背比べ感がやばかったのは忘れることにする。

 一方で、つかさは栞奈とまたテニスをしていたらしい。「今日は三勝二敗、先に十回勝った方にジュース奢りなのだ」と。ほんと仲良いな。
 一年の時は二人と別のクラスだったから、どのようにして仲良くなったのかは知らない。四月には今の感じだったはずだ。

「つーちゃんって昔から運動得意だよね」

「んーそんな得意ってほどではないけどー、まあ体動かして汗流すのはいいよね」

「そうだね、うん。運動はたまにならたのしい」

「んじゃ次の体育またテニスする? この前負けたからリベンジ!」

24 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:15:44.62 ID:ShxRzgitO

 この組み合わせも仲が良い。いやどこかのペアは仲悪いとかそういう意味はなく、シンプルに。
 小中学校が一緒のところで、何度か同じクラスになったことがあるとかなんとか。幼馴染っぽいやつ、とつかさが前に言っていた。

 昔の自分をよく知っている同級生がめっちゃ身近にいるのってどんな感覚なんだろう。
 私にはそういう人がいないから、だいぶ未知の領域だ。今度それとなく聞いてみようかな。

「もう着くけど、どこか寄ってくの?」

 そろそろ駅が見えてくるところだったので、桃に声をかける。
 おそらくなにもないんだろうと思うけど、まあ一応。

「このまま帰るつもりだった、けど」

「そっか。行きたいとことかないなら、ここで、だね」

「うん……えっと、そうだね」

「じゃあ、また明日ね、ばいばい」

 階段を下っていく姿をちょっと見ていると、桃がちらっと振り向いた。
 手を振り返すのを忘れていたと思ったみたいだ。やっぱり律儀。

25 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:17:03.82 ID:ShxRzgitO




「……ふゆゆはさ、アレどうすんの?」

 信号と歩道をいくつか越えたところで、つかさは落ち着かない様子で私にそう訊ねてきた。

 二人になった途端露骨にそわそわし始めて、お互い無言になっていた。
 質問があるんだけど私から聞いてほしい、と言っているのかと思ったくらいだ。

 やや遅足で進んでいる方角、西の空には夕焼けが広がっている。
 この季節になると、午後四時半にはもう日が入っていってしまう。だから早めに帰りたいんだけど……今日はまあ仕方ない。

「アレって?」

「昼の、その、ももちゃんのやつ」

 若干、緊張しているような顔。出会って間もない頃によく見た記憶がある。
 基本的につかさは気にしいな傾向がある。気にしいって使い方あってるのか分からないけど、神経質とか心配性とは違っているはずだ。

「ああ、うんと……」

 答えようとして、答えがないことに気付く。
 どうするって、どうするんだろう。その場ではなんて言ったんだっけか。

26 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:18:48.83 ID:ShxRzgitO

「さあね、どうするんだろ?」

 思ったままを口にすると、つかさはがっくりと肩を落とした。
 そして、わたしに聞くなよ、と声を出さずに口だけ動かす。聞いてきたのはつかさの方なのにね。

「桃の考えてることが全然分からないから、どうするもしないもないでしょ」

「んー……そんなに分かんないの?」

「え、いや逆に、桃の考えてることって分かる?」

 そりゃ一年も友達をしていれば、なにを考えてるかくらいはなんとなく分からなくもない。
 つかさみたいに物凄く分かりやすいってことはないにしろ、表情に気持ちが出ていることは少なくない。

 でも、それは多少なりとも程度の差はあれど誰にでも言えることだ。
 エスパーでもサトリでもない普通の人間は、相手のことを分かっている気になっているとしても、それはそこそこの域を出ない。

「いやわたしもまったく」とつかさは言う。ちょっと意外。私よりは分かるだろと思ったから。

「ていうか、そんなに気になる?」

27 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:19:51.48 ID:ShxRzgitO

 最初に言われた時は驚いたけど、私自身がもうさしてそのことを気に留めてはいなかった。
 桃も昼休み以降その話をしてこないし、私からする理由もない。真意があるにしろないにしろ、それを問い質す理由もない。
 もうちょっと考えて的なことを言ったから、もうちょっと考えてきてくれるだろう、という甘い考え。だって、それしかないし。

「そりゃ気には……うぅん、あーいや」

 ええもうめっちゃ気になります、と言われても困ったけど、こうして微妙な反応をされても変な感じになる。
 しばらく、つかさは念仏を唱えるように「あー」とか「うーん」とか言っていたが、結局押し黙ってしまった。

「桃がすっごく真面目な感じだったら、私も同じように真面目に考えなきゃなっては思うよ」

 という私の返答に、つかさはぱちぱちと目を瞬かせる。

「ふゆゆは、抵抗とかまったくないの?」

「抵抗って?」

「……あぁその、ちょっとは自分で考えよう」

28 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:20:23.19 ID:ShxRzgitO

 そんなこと言われましても。というか、説明面倒だからって私に丸投げしたな。

 抵抗……抵抗? イエスかノー、ではないにしろ。

「桃ならべつに知らない人ってわけでもないし、そういう意味での抵抗ならそんなにない」

「ないのか。いや、でもふゆゆならそうかも」

 つかさが勝手に納得してくれる。「そういう風に取るか……」とぼそぼそ聞こえたけど。
 ていうか私ならそうって、どういう納得の仕方か分からないが……ま、解釈はつかさに任せることにする。

「ふゆゆとももちゃんの二人ならないと思うけど、変に仲悪くなったりしないでよ?」

 やっぱり一番言いたいのはそういうことなんだろうなと思った。

「きっと大丈夫だと思うよ」

「他人事だなあ……。けど分かった分かった、干渉するのはよくない」

 大きい目が糸になったんじゃないかと思うくらいに目を細めながら、つかさは頷く。
 そして、どこからかぐいっと手を伸ばしてきて、ハンドルを握っている私の手を柔らかく包み込んできた。

29 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:20:51.72 ID:ShxRzgitO

「でももしなんかあったら、わたしを頼ってくれてもいいんだからな」

 二人の友達だから、と続けたつかさの表情はまたしても真剣なものに戻っていた。

 そんなに深刻に捉えるなんてとも思ったけれど、私が考えてなさすぎるのかもしれない。
 そう指摘されているようで、返答に詰まる。詰まったところでなにもない。なにも変わらないのだが。

 ちょっと気になったことがある。つかさの言う『干渉しない』は、私の認識とは少し違っている。
 桃も栞奈も、つかさはそこそこ微妙なところがあるけど、一人一人が独立している感じはある。
 それは各々の気質の問題でもあって、いい意味で言えばそういう信頼関係があるとも言える。

 でも、干渉しないわけではない。お互いに思うところがあって干渉しないようにしている、が正しいのだと思う。
 誰が言い出したわけでもないのにそうなっているのだから、そういう関わり方が私たちにとってベストとは言わずともベターなのだろう。

 ひょっとしたら私が知らないところで、いろいろと変わってきているのかもしれない。
 目に見えないものを定義するのは難しい。見えるものだって難しいけれど、それとは別に。

30 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:21:39.45 ID:ShxRzgitO




 朝起きてすること。
 それは、軽く走ること。

 私の家の近くにはけっこうな長さの川があって、いくつかの大きな橋と、河川敷には舗装された道が続いている。
 あまり傾斜がなく車も通らないから、マイペースで走るのには最適なルートだ。自然もそのままで、走っていると気持ちがいい。

 朝にランニングを始めたのは昨年の夏だから、もう一年以上続けていることになる。
 始めた理由は、朝起きて暇だったからなんとなく。ぼーっとしているのもいいが、それならなんでもいいからしたいと思ったから。
 美容のためとか、健康維持のためとか、そういったことは全然ない。そういう理由なら逆に続かなかったとすら思う。

 けどそれなりに成果というか、効果のようなものは出ている。朝ご飯が美味しく食べられるのだ。
 って言っても、サラダと果物しか食べないけれど。小食気味だから、ちゃんと食べているだけでもいいことである。

 走りながら腕時計で時計を確認すると、もう五時を過ぎていた。
 この時間に走っている人はそこそこいて、これからの一時間で人数が増える。
 人気のランニングスポットであるとともに人気のサイクリングスポットでもあるので、ちょっと周りに気を付けなければならなくなる。

31 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:22:29.08 ID:ShxRzgitO

 だからその前に、さっさと往復して帰路に就く。寒いし寒いし、あと寒いし。
 自分がもともと寒がりなのもあって、手袋をぴっちりはめてモコモコのウインドブレーカーを羽織っていても寒い。
 昼と夜は耐えられても、朝の寒さは苦手だ。心持ちの問題だと思うが、少し気にして厚着をしてしまう。
 十二月でも元気に走っていた昨年が懐かしい。今思えばすごかったと思う。ハーパン生足とかのときもあったし。

 私が走るのと同じタイミングで走っているのは、だいたい四人か五人。
 今いるのは、めっちゃガチガチの服装で走っている二人組のお兄さん、多分サッカー部の男の子、大学生くらいの帽子のお姉さん。
 ほぼ毎日顔を合わせるものだから、自然と会釈をするようになっていた。まあお姉さんからされて返すだけだけど。
「どうも」とにこやかな笑みを向けられて、「どうも」と同じように返す。で、走っていく。お姉さんはめっちゃ速いから、後ろ姿はすぐに小さくなっていく。

 ふと河原に目を向けると、水上に鴨の集団がたむろしていた。パンかなにかを放りこまれるのを待っているっぽい。
 階段を下りて近付いていくと、一旦逃げていったけれどすぐに戻ってきた。ごめん、ねだられてもなにも持ってきてない。

32 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:22:55.55 ID:ShxRzgitO

 すーっと澄んだ空気を吸い込む。太陽が出て、日差しが差し込んできた。低い位置にある鼠色の雲はゆったり動き、水面を鈍く染める。
 休憩ついでに体育座りで鴨を眺めていたら、そのうち私に興味をなくしたらしく対岸に泳いでいってしまった。
 ぱしゃぱしゃと小さい音を立てて、今度は鴛鴦がやってきた。後ろの石段に両手をついて、ちょっと観察する。鴛鴦はめったに逃げてかない。
 鮮やかなのが雄で、色味が少ないのが雌だったかな。最近気付いたことなんだけど、鳴き声も若干異なっているみたいだ。
 そのどちらとも違う鳴き声が聞こえて振り向く。木の上にトンビがとまっている。こっちもエサ目当てだろう。

 あまり野鳥に詳しくないので、すっごく有名どころのものしか分からない。あ、白鳥だ、と思い込んでいたものが白鷺だったり。
 本屋で野鳥図鑑と数十分睨めっこして諦めた。今日もいるなー程度に留めておく方が楽しいし性に合っている。

 秋の河原沿いを彩る木々にしても、それなりに同じことが言えるかもしれない。
 紅葉といえば、モミジにカエデにイチョウに、結構いろんなのがあるけど、色付いているのは目で見ればはっきりと分かる。
 だけどそれらについて、見たもの以上のことを想像したりするのは難しい。相手が人間でも難しいのだから、他の種ならなおさらだ。

33 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:23:37.04 ID:ShxRzgitO

 砂利道を歩き、堤防の傍ら水の流れが堰き止められ、小さな草むらが出来ているところに目を向けると、今日もいた。

 一匹の白鳥。仲間の飛来を待っているのだろう、十月に姿を確認してからずっとこの場所に留まっている。
 いつも「おーい」と声をかけると近くまで寄ってくる。寂しいのか、単に近付いてくるものが珍しくてなのか。分からないけれど、他の白鳥と比べれば人懐っこい気はする。
 でも今日は羽繕いに夢中らしく、声をかけても気付いてくれない。一度駄目なら引き下がるのがマイルールなので引き返す。

 もしかしたら好きで一匹だけでいるのかな。だとしたら、私が声をかけるのも考えなきゃいけない。
 勝手に気持ちを推し量ってしまうのは、私の悪い癖だと思う。体が冷えてきたのでもう一度走り始めながら、そんなことを思う。

 秋が終われば、当然のように冬が来る。艶やかな草木も徐々に次の春に向け色を落としていく。
 今は中途半端で、冬になりかけてはいるけれど、まだ冬ではない。
 昨年は十二月半ば頃に多くの白鳥を見たので、それまでは私が影ながら見守っていようと思うのだった。

34 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:24:06.81 ID:ShxRzgitO




 教室の窓を開けて、新鮮な空気を取り込む。閉め切られていた空気は重く、ちょっとだけ苦い。

 ここに来て、やることはやった。ので、自分の席に座って鞄から本を取り出す。
 授業とはまた別のお勉強、というとなんかすごい真面目っぽいな。趣味の延長……にしても真面目っぽい。

 今日の授業の予習は前の休みに済ませた。それほど量はないし、難しいものを出されたこともない。
 簡単な問題を、時間をかけずに解く。答えがあるものはそれでいいから楽。
 ぼーっと眺めて、目が滑ってきたところで本を閉じる。栞を挟むのを忘れたことに気が付いて、ページを読んでいた位置に戻す。

 目が覚めていない。走って、ご飯を食べて、自転車を漕いでここまで来て、だから眠さとは違うけど、頭がまわらない。
 こういう時に、家だったら嫌々寝室に戻るかリビングのソファにもたれかかったりして時間が過ぎるのを待つけれど、今はどうしようか。
 予習を済ませてしまったのがここらで効いてくるとは。じゃあ次の予習をしよう、とはならない。そこまで真面目ではない。

35 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:25:36.15 ID:ShxRzgitO

「……眠い」

 そう言えば眠くなったりしないかな、と思って、でもそうならないことは分かっていて。

 教室には私以外の誰もいないが、ちょっとだけ周りを気にする。
 私の次の子が来る時間まではまだまだある。騒いだって、なにをしたって自由な時間だ。

 席を立って、教室内をふらふらうろつく。

 目に付くものは多々あるけれど、目の前を見ていれば一番大きなものに目が向く。
 黒板の落書きはいかにも女子高生が書きましたって感じで、黒板のその部分だけがきらめいているようだ。
 教卓に手をかけ飛び乗り、座ってみる。昨日授業中にやってみたいと思ったことだった。

 先生の目線ってこんな感じなのか。……ずっとやってると噎せそうだな、これ。
 溜息のような咳が漏れる。教室全てに掃除が行き届いているわけではないから、埃っぽくても仕方がない。

 足を揺すると、呼応するように上半身も一緒に揺れる。こうしてるとブランコみたいで楽しいかも。

「……」

 不意に鼓膜を揺らす音に、びくりと体が硬くなる。
 とん、とん、という軽快な音。この音がなんの音かは、まあ足音なんだけど。

36 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:26:23.93 ID:ShxRzgitO

「おはよー、冬見さん。今日も早いね」

「おはようございます、先生」

 それほど耳が利くわけではないが、パンプスとスニーカーの音の違いくらいは分かる。
 生徒のでなければ、必然的に先生のということになる。

「……で、なにしてるの?」

「えっと、暇だったので……あ、降ります降ります」

 言いながらお尻をずらして、足から着地する。
 スカートを払っていると、「降りなくてもいいのに」と変に申し訳なさそうな顔で言われた。

「でも、意外かも。冬見さんって落ち着いてるし」

「さっきまでも落ち着いて座ってましたよ」

「……教卓に?」

「教卓に」

 あまりに真面目っぽく答えたせいか、先生はワンタイミング間を空けて、笑い始めた。
 そういうタイミングとかが大分変わってる人だと思う。気が付くと一人でぷるぷる震えてたりする。

37 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:26:51.41 ID:ShxRzgitO

 担任を二年連続でしてもらっているから分かるけど、この人も学校に来るのが早い。
 でもこの時間に教室に来るのはなかなかない。というか、多分これが初めて。

「あー! 冬見さん、いつもお花ありがとうね」

 私から目を外した先生が教室の後ろの方を向く。
 そして駆け寄っていった先には、一本の花瓶。いつの日か家から持ってきた私物だ。

「いえいえ、勝手にやってるだけです」

「そう? 先生、冬見さんのお花をけっこう楽しみにしてるんだけどなぁ」

 優しくておっとりしているところがある人だからというのもあるかもしれない。先生の、生徒からの人気はすさまじい。
 廊下を歩けばみんなに挨拶されている。授業の質問と称して、個人的なあれそれを話されることもしばしばらしい。

 距離感が近いようで遠いのはきっと意識してのことだろう、生徒と自分からはそこまで仲良くはしている感じはしない。

 四月の初めの頃に、みなさんの自主性をうんたらかんたら、と言っていたことがあった。この通り、みんな綺麗さっぱり忘れていると思うけど。

38 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:28:08.14 ID:ShxRzgitO

「このお花は?」

「チョコレートコスモスです」

「コスモスかー……すっごくいい香りね、あ、チョコレートの香りなのね」

「はい」

 聡明なところがある先生だけれど、花についてはあまり造詣が深くないらしい。
 でも新しい花を飾るとその花の名をいつも聞いてくるあたり、ちょっとは好きなんだろうか。

「部活で育てたの?」

「まあ、そうです。自分で思ってたよりもたくさん咲いたので、持ってきました」

「ふうん……えっと、冬見さん、頑張ってるんだね」

「でも、そこそこですよ。一応、部長なので……」

 私は一応部長。で、この先生が一応顧問……なわけだけど。

「そっか。今度ひさしぶりに部活してるときにお邪魔していいかな」

 発言の通り、めったに(というかまったく)部活に来ない。定時になるとすぐに車で帰っていく。
 朝早く来ているのは、今の時間に仕事をしているからだろう。見かけ通りに、仕事はかなり出来る人らしいし。

39 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:28:55.39 ID:ShxRzgitO

「不定期ですけど、ええと、かまいませんよ」

「うん。お花についていろいろ教えてくれると嬉しいかも」

 私もそこまで知らないけど、と思ったけど、頷きを返した。

 不定期というのは本当のことで、先生も自由なのだから私も自由にやらせてもらっている。
 しかも部長といっても部員自体が私一人だし、やるもやらないも私次第なわけだ。
 先生は、どうせ来ないし。あ、来てほしいとかそういうことではなくて、むしろ来ないでほしいかもしれない。いきなり来られたら多分けっこう困る。

「切り花って、もって一週間くらいかな」

「そうですね。毎日水を替えても、五日とか六日とかです」

「ふんふん、なるほどね」

 先生が上着のポケットからスマートフォンを取り出すのが目に付いた。
 私を気にせずに、すっすっと操作して、チョコレートコスモスに向ける。写真を撮るらしい。
 ぱしゃりと音がしてから、いいよね? という目を向けられた。大丈夫です、と頷くと何枚かアングルを変えて撮り始めた。

40 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:30:12.65 ID:ShxRzgitO

「誰かに見せるんですか?」

 何の気なしに質問すると、先生は目を丸くして視線を外した。
 そして「あはは」と笑ってスマホを下に引っ込める。変な質問だったかな。

「わたしの母親と妹がお花とか大好きな人だから、冬見さんの育てた綺麗なお花を見てほしいなーって」

 どうやら家族の話をするのが恥ずかしかったらしい。
 胸元まで垂れたネックレスを落ち着かなそうに弄って、はぐらかすように苦笑する。

 誰かに見せるため、か。
 花なんて、実際のところ見てくれる人は少ない。興味がない人の視界には映らない。
 だって、ここにいる人にとっては今この時が花だろうから。もしくは花よりも輝いているものを持っていると思っているから。

 お互い話題らしい話題なんてないなか、少しだけ話をした。なんてことのない世間話。
 チョコレートコスモスの色が先生の好きなワインの色みたいだとか。お酒を飲む人と初めて知った。
 先生は花と絡めて何度か私を褒めてきた。釈然としない気持ちはあったが、特に嫌な気はしなかった。

 育ちやすいような環境を整えただけで、私自身はなにもしてないのに。
 本当は野ざらしの方が幸せだったかもと思うのも、どうせ枯れるなら教室に持って行こうと思ったのも、どっちつかずの私の都合だ。

41 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:30:51.04 ID:ShxRzgitO




 思い返してみると、最近の授業は退屈そのものだった。

 文化祭やら球技大会、マラソン大会なんかの行事も終わり、まだまだ先の冬休みを待つように、ゆるーくべっとりとした空気のまま授業が進む。
 それは今日も例外でなく、一限目から寝ている人がちらほら。運動系の部活に所属している人が多いのもあると思うけど、それにしたってという感じ。

 数学の授業を聞き流しながら、隣の席に目をやる。
 桃が授業中に寝ているのを、私は今まで見たことがない。いかにも寝てそうではあるのになあ。

 ひなたぼっこをしながらすやすや寝息を立ててそうな雰囲気。窓際の席で、にわかな日差しとストーブからの熱を感じて、みたいな。
 でも真面目な子だからそれはないか、と納得する。内面よりも外面を、いややっぱり内面を、というように思考が移り変わる。

「ねね、この問題やってきた?」

 小声で桃が話しかけてくる。指を差した先には、課題のプリント。
 ぱっと見では埋めてあるようだけど、どこか解けない問題でもあったのかもしれない。

「やってきたよ、見る?」

「うん、答えだけ……あ、やっぱり見せて」

 私からプリントを受け取った桃は、二枚を見比べて満足そうに頷く。
 そして、プリントになにかを書き込んで、今度は私に向けてふわりと笑みながら頷き、「はい」と返してくる。

42 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:31:24.41 ID:ShxRzgitO

 落書きでもしてきたのかな、と思いながら返ってきたプリントを見ると、

『髪はねてるよ』

 と書いてある。冗談だろう、と思いながら窓の反射で確認すると、本当にはねている。
 髪を手で梳きながら目を向けると、桃はくすくす口元を隠して笑っていた。

「かわいい寝癖。ふゆにしては珍しい」と普通の声の大きさで桃が言ってくる。

「授業中……」と言いかけて、周りも騒がしいことに気付く。
 先生は廊下側の席をうろちょろしていて、いつの間にか話し合いの時間になっていたようだった。

「どうしたの? 寝坊したの?」

「や、違う。……多分風だ。自転車だから。てか言ってよ」

「ふふ、朝から気付いてたんだけど、自分で気付くかなーって黙ってた」

 まだちょっとだけ、と桃はこちらに手を伸ばしてくる。

43 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:32:26.64 ID:ShxRzgitO

 何事か、と思ったけれど、すぐに髪のことだと理解して黙って受け入れる。
 桃の手はひんやり系だ。髪、というか頭皮? でその冷たさを感じる。
 四枚も五枚も服を着て少し火照っていた体には心地良い。十分間くらいは触れてくれてもいいくらい。

 そういえば、自分からはよく私に触れてくるのに、私から触ろうとすると桃は避ける。必ずと言っていいほど。
 癖のようなものなのだろうか。分からなくもないけど、うーん。
 ためしに、もう直っているはずなのに私の頭に触れている桃の手に、私の手を重ねてみようとする。

「…………」

 無言で避けられてしまう。まあ、ここまでは想定内。
「えいっ」とわざと間抜けな調子で言いながら、宙をさまよう桃の手首を捕まえる。

 触った感じ、見た目以上に細いな、と思う。青白いとまではいかないけど、血管がはっきり見えるほどに白い桃の肌の色も影響しているのかもしれない。
 私が掴んでいるその部分だけが、熱を帯びたように赤くなる。白の中に赤の斑点は、夏の屋台を想起させる。
 自分の体温が移っているみたいで、気恥ずかしいような……だったらやめろという話なんだけど。

44 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:32:57.14 ID:ShxRzgitO

 俯きがちな桃の表情は、無表情? あまり変化の兆しが感じられない。
 べつにその反応で物足りなくはないけど、もしかして触られることへの嫌悪感が勝ってたり。
 ぱっと手を離したら、桃は赤くなっている部分をさすって、なにかのまじないをするように三本の指でゆっくりなぞった。

 そして、「新発見かも」と穏やかな顔つきで顔を上げる。

「ふゆにいたずら好きな一面があるなんて」

「……」

「でも、いきなりだとびっくりするよー、すごく」

「……お互いさまじゃない?」

 桃から触れてこなかったら、私も桃に触れてみようとは思わなかった。

「……んー、そうかな?」

「私だってびっくりしたよ」

「あ、そうなの? そうなんだ、そっかそっか」

 と桃は小刻みに首筋と肩を揺らす。
 それに伴って落ちた目元を見て、ついつい指摘してしまう。

45 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:33:52.90 ID:ShxRzgitO

「そこ、喜ぶところ?」

「うん。私にとっては嬉しいことだよ」

 それは私と同じ動機のようで、なにかしらの純度が違っているような気がした。

 問題の解説が始まって、お互い前を向いて話を聞く。
 こうなってしまうと、やっぱりすることがないし退屈になる。目が乾燥するし、自然と溜息が出てしまいそうになる。

 握っていたペンを手元に置き、またしても話を聞き流すのに適した姿勢を取る。
 目で解答を確認する傍ら、時計をちらっと見て授業の残り時間を確認する。これが終われば昼休みだった。
 ということで、今日のお昼ご飯について思索を巡らせる。まだちょっと早いけど、暇つぶしには丁度良い。

 この季節は、なぜだか無性に冷たいものが食べたくなる。
 アイスにプリンにヨーグルトに。食堂のむわっとした暖房だと、二割増し、いや五割増しくらいそう思う。
 いつも通り日替わりランチにして、ご飯の量を少なくしてもらおう。んで、食後に冷たいもの。それで時間的には余裕が生まれそうだ。

 そんなこんなで、思っているほど空いていないお腹を擦っていると、次の授業までの課題プリントが前からまわってきた。
 後ろの席にまわそうと……って、つかさがダイナミックな突っ伏し方で爆睡していた。

 腕を枕代わりにするわけでもなく、ただ額を机にくっつけて。絶対起きたら赤くなってるやつだ。
 私の体を隠れ蓑にしていたらしい。昨日のバイトの疲れでも溜まっているのだろうか。
 ていうか、いいのか先生も。朝に見て分かったけど、教壇からはこの位置で寝ているとバレバレだ。隠れるどころか、むしろ目立つ。

46 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:34:37.65 ID:ShxRzgitO

 へいへい、と声をかけようとして伸びかけた手を止める。なんだか別にそのままでもいいかって思った。
 そーっと起こさないように頭から首にかけての位置にプリントを置く。同時に、びくっとつかさの肩が跳ねる。
 今思ったけど、寝ている人間って虫みたいでホラーだ。どう動くか分かんない異次元のムーブ。
 若干しゃくりかけながらおそるおそる指を離して、戻る。

 すると、真横から何度目かの視線を感じた。

「……なにか?」

「……んーん、べつにー?」

 手を振りながら、脚もぱたぱたさせる。
 子供みたいな仕草で、ちょっと笑いかける。

「いたずらじゃないよ、これは」

「え?」

「……いや、なんでもない」

「……んー?」

 そういう意味の視線かと思ったけど、違ってたか。単純に私が目に入っただけか。

 桃は私から目を切って、もう一度「んー」と呟きながら、自分のプリントをクリアファイルにしまう。
 その拍子にごにょごにょと口元が動いたが、何と言っているのかまでは読み取れなかった。

47 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:35:12.52 ID:ShxRzgitO




「そろそろテストだよね。勉強してる?」

「ぜんっぜん。気付くと一日終わってる」

 廊下を歩きながらの栞奈からの質問に、手を横に振りながら答える。

 十二月の初めには後期の中間考査がある。すっかり忘れていた感があった。それもそのはず、前の試験からあまり月日が経っていないのだ。
 それに先週には校外模試なんかもあって、まあ当然勉強なんてせずに出たとこ勝負だったわけだけど。散々な出来を想像するだけで気分が落ちる。

 テスト期間が来るまでは、試験に向けての勉強なんてしない。
 私はそうだし、みんなもそうだと思う。毎日欠かさず勉強するなんて、そこまで勉強が好きな人はいるのだろうか。

 この学校はそこまで頭が良いところではない。普通よりちょい上くらい。だから、みんながみんな勉強が必要なわけじゃない。
 する人はするし、しない人はしない。しなくたって余程でない限り進級は出来るし、卒業も出来るだろう。
 そんなことを考えながら、階段を上る。私に勉強が必要かそうじゃないかはよく分かっていない。学生の本分は勉強とは言うが、他に没頭している何かがなければ他人からそういうことを言われることもないだろうと思う。

48 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:35:56.36 ID:ShxRzgitO

「そういえば霞って、普段は家でなにしてるの」

「なにって……いろいろ? 本読んだり、寝てたり」

 他には、映画を観る。なにか食べる。ただ床に寝転ぶ。二度寝する。三度寝する。四度……中身らしいものがまったくない気がする。
 栞奈は部活が夜まであるから、家に長くはいないのだろう。「なんかちょっと見てみたい」と言われて、ええ……、となる。
 なにをしているか、と聞かれても困る。大半が方針などなくただ適当にしていることなのだ。寝てばかりだとは恥ずかしくて言えない。

「ていうか、どういう質問よ」

「や、ちょっと気になっただけ」

 歩き進んで、渡り廊下を通る。昼休みだけあって生徒が入り乱れていて、体を小さくして避けながら行く。

「栞奈は勉強して……るか、してるね」

「いや、最近は私も全然。部活忙しくてさ、先輩引退したばかりだし」

 そうはいっても、私よりはちゃんとしていそうだけど。
 栞奈は成績がすごくいい。正直言って、この学校のレベルには合っていない。
 それほど勉強しなくとも、余裕で学年一位とか取れそうな感じはする。この学校で一位でも意味ない、と前の考査の時に言っていたことを思い出す。

 先輩が引退した、ということは今まではまだ引退していなかったってことか。
 好きなんだねぇ……と思う。三年間毎日のように部活なんて、想像できない。

49 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:36:43.36 ID:ShxRzgitO

「あ、キャプテンこんにちはー」

 渡り廊下の半ばに差し掛かったところで、私たちとは別の色のリボンをした生徒が挨拶をしてきた。
 ベリーショートの髪、跳ねるような歩き方と活発そうな印象で、いかにも運動部っていう雰囲気だ。

「はい、こんにちは」

 栞奈が挨拶を返すと、にこっと笑って深々と礼をして友達のところへ駆けていく。
 めっちゃ先輩っぽい。それも普通に学校生活を過ごしていたらあまり拝めない、かなり尊敬されているタイプの先輩だ。

「ていうか、キャプテンだったんだ」

「そうね。言ってなかった?」

「うん初耳。なんか、たいへんそー」

「まあ、そこそこ大変ではあるかも」

 でも小学校の時も中学校の時もやってたし、と栞奈は笑う。
 なるほど。リーダー役が板に付いているのは、そういう事情ないし経歴があったのか。

50 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:37:18.73 ID:ShxRzgitO

「ああ、そだそだ。みんなでお出かけするとして、海と滝ならどっちがいい?」

 ぱんと手を打ち、話題を変えるように栞奈は声のトーンを一つ上げる。
 お出かけ、海と滝、と口の中で反復する。景勝地やらマイナスイオンやらという単語が頭に浮かんだ。

 すっごく適当に「滝かな」と言うと、「へえー滝かー」と私に合わせたような反応が返ってくる。

「じゃあ次のテスト休みに、みんなで滝に行こう」

「……え、これすぐ最近の話だったの?」

「そりゃそう。最近遊んでなかったじゃん」

「それは、うん。でも、私が決めていいの?」

 少なくとも栞奈の中では海と滝は同列で、だから私にどちらがいいか聞いてきたのだろう。
 だとすれば、四人で多数決とかそういうことをした方がいいのではとちょっとだけ思った。

「いいの。いつも私とつーが決めてばっかだから、たまには霞の意見も聞かないとって思ってね」

「そっか。うん、それもそうだ、……いつも悪いね、なんでも決めさせちゃって」

 つかさがふと思いついたように誘ってくるか、栞奈がそれまでの何気ない会話から拾ってくるか。
 私から、もしくは桃から四人でなにかをしようという提案を投げかけることは少ない。
 桃と二人になれば、どちらもぐだぐだなにかをしようとしたりしなかったりするのだけど、物事を決めるのにはエネルギーを使うのでしんどい。

51 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:37:55.72 ID:ShxRzgitO

 昨年までは、ほぼ二人きりでいたから『休日にどこかへ出かけてなにかをしよう』とかもなかったわけだ。
 季節のイベント事にはお互いてきとーにぼやぼやしながら行ったりしたが、それも指で数えられる回数だ。
 つまり行動力のある二人と関わるようになって、やっと決められるようになったという。私は、どちらにしても決めていないのだけれど。

「でも滝って、なにするの?」

 優柔不断にもなりきれない自分の軽薄さを顧みながら、適当な質問をする。成長する気はさらさらないらしい。

「それ私も思ってた。なにしよっか。一応、滝壺と、紅葉観れるところ行って、わーってしてればいいと思ったんだけど」

 どうかな、とちらっとではなくしっかり私を見て聞き返される。
 結構真面目な方で私の意見を参考にしたいっぽい。空腹とは別の意味で胃が音を立てそうになる。

 いいんじゃないかな、という意味を込めて頷く。
 紅葉シーズンの終盤なので、そういう観光地的な場所は混み合うはずだ。出店で食べ物とか売ってそうだし、家族連れも多そう。
 そうした賑やかな雰囲気であれば、特になにも考えずとも楽しめると思う。私の中の楽しいは、どうやらワクワクするようなものとは異なっている。

52 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:38:27.60 ID:ShxRzgitO

 そういえば昨日、付き合ったら楽しいことができる、と桃は言っていた。昨日の今日でほぼ忘れかけていたけれど、ふと思い出す。
 恋人の(というと変な感じはするし、むずむずするが)関係性の話なのか、それともまた別の意味での楽しいなのか。
 後者の方であってほしいな、と少しだけ思う。前者は……そもそも分からない。

 桃と私の思う楽しいは、恐らく一致していない。気が合うところはあるから、まるっきり違うことはないのは分かる。
 でも、その意味を狭めていけば、決して小さくはない隔たりが生まれてくることは間違いないだろう。
 その窮屈な感覚みたいなものを、私は見えるようにしてしまいたくはない。

「だよね。わーってしてるのが一番いいと思うよ」

「んー、そう言ってくれると思ってた。どうしてもやることなかったら、温泉にでも入りに行こ」

「近くならいいんじゃない」

「滝から走って一時間くらいのところにあるはず」

「それ、遠くない?」

「まあね」

53 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:39:16.48 ID:ShxRzgitO

「しかも最近寒いし……」

「それなりにね。まあでも厚着して、あとは気合いでなんとかなるでしょ」

 そうなのかなー。ならなそうだなー。栞奈はこういう、たまにスパルタなところがある。

 寒い、から連想して、そろそろ朝に走るのも夕方、ないし休日の昼間に変えることも考えなきゃな、と思った。
 今年の冬は絶対に寒い。断言する。何かしらの融点が上がったことで、体とは違う場所が寒さに耐えられない気がする。

 ふと気付くと、手に持っていたアイスが指先から伝わった熱で溶けかけていた。
 そう、こんな風に。それまでしっかりカタチを保っていたものが、でろんと液体になってしまうかもしれないと思ってしまう。

 このアイスと違って不可逆的なものでありそうなのがなんとも、余計にたちが悪そうだ。

 教室に着くと、「おそいぞー」とつかさが机をぽんぽんして席に座るように促してきた。
 早歩きで向かっていたのだが、席の近くでもう一度急かされる。そんなに待ち遠しいものなのか。
 じゃんけんでデザートを買いに並ぶ二人を決めようとなり、栞奈と私が負けて、そして買ってきたのだ。

54 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:39:47.00 ID:ShxRzgitO

「おかえり。ふゆはなに食べるの?」

 桃が自分の存在を主張するように、前のめりになりながら椅子を寄せてくる。

「抹茶。桃は?」と抹茶アイスを片手に答えると、「わたしも抹茶」と腕を伸ばしてくる。

 取ったのは、私の腕だった。それもそのはず、抹茶アイスは一つしか買ってきていない。
 こういうことが、いや、まあ冗談か。冗談なはず。うん。浮かびかけたものが言葉になる前に、思考を断ち切る。

「じゃあラムレーズンと半分に分けようね。はいこれスプーン」

「わーい」

 お好きなようで。そんなことだろうと思った。
 というわけで、アイスを掬って桃に食べさせてあげた。

「あ、これおいしいね。じゃあわたしからも、食べて食べて」

「うん」

 ……しかし、食べさせあう意味はどこにあるのだろう。
 そう思っているうちに、アイスが口元に配給されてくる。

55 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:40:17.47 ID:ShxRzgitO

 まあ今までも、そこそこの頻度で食べさせあったりはしているような気はする。
 桃はそういうのが好きらしい。私も誰かとなにかを共有するのは嫌いじゃない。

 食べる。ひんやりしてて美味しい。
 舌の上でとろけるやわらかさと、ふわりと抜けていくラム酒の香り。
 アルコール濃度なんぱーなのかは知らないけどお酒っぽいから、これは大人の味っていうのかな。

「つかさも食べる?」

「え」

 物欲しそうに見てきたので言ってみると、つかさは正面から額でも叩かれたように仰け反った。
 いやなにその反応。首痛めそう。

「や、やーわたしは、栞奈と交換するかなぁー」

 なんて言って、気を取り直すように前のめりに戻ってきてから、黙々といちごミルクアイスを食べている栞奈の肩に腕をまわす。

56 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:40:53.00 ID:ShxRzgitO

「なにいきなり」

「えっ友情アピール?」

「……うーんでも、つーにはあげたくないかな」

 そう返しつつ、つかさの表情の変化を見て、栞奈は手の甲で口元を覆う。
 へぇー、と私まで言いそうになった。こういう風な仕草をする栞奈は初めて見たかもしれない。

「ていうか、これはいいのかい?」

「へ?」

「……あはは、なんてねー。はい、あーん」

 よく分からない会話が二人の間で交わされている間、桃はアイスが乗ったスプーンをこちらに向けたままでいた。
 ので、スプーンの近くに顔を近付けて、ありがたく頂戴する。色で分かっていたけど、抹茶味だった。

「こっちも美味しいね」

「うんうん」

57 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:41:29.00 ID:ShxRzgitO

 それから授業が始まるギリギリまで食べさせあいをして、残りは普通に食べた。
 案外食べさせてもらうのもいいものだな、と思った。楽なのはいいことだ。

 午後も午前と変わらず、集中力なんて微塵にも感じられないような雰囲気で授業が進む。
 話の二割程も頭に入ってきていないように思えて、かといってぼーっと前を見ていてもそれはそれで目立つので、教科書を見ているふりをする。
 板書がほぼない授業だと、ここがしんどい。席が後ろの方でよかったと思う。
 よく眠いことを瞼が重いとは言うが、瞼が軽いとは言わない気がする。だから表現としては正しくないような感じだけど、いつも私は瞼が軽い。

 あまり意識はしてないが、寝る場所とそうでない場所は分かれていて、ここはそうではない。
 だから、眠くもならない。と、多分違うんだろうけれど結論付ける。

 普段疲れるようなことがなければ眠たくならなくて当然だ、と。
 単純にそう思ってしまうのは、なんだか悲しいような気がするから。

58 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:41:55.97 ID:ShxRzgitO




 今朝先生と部活について話したからというわけじゃない。
 週に一回は放課後部室に行こうと決めていて、それがたまたま今日だったわけだ。

 クラスから少し遠いところにある部室はただの空き教室で、園芸部らしい設備などはなにもない。
 あるのは教室の備品と、いくつかの花瓶。あとはほんの少しの私物だけで、一目見てすぐに活動的でないのが分かってしまう。

 いつもと違うことといえば、物の少なさゆえに無駄に広く感じられる教室に私一人じゃないことだ。

 桃を連れてきた。いつもは部活行くとなれば教室でバイバイだったけど、今日はそうはならなかった。
 ホームルームが終わるとすぐに、桃はマフラーを私の前に出してきた。気のせいかもしれないが少しだけ気後れするように頬を赤くして。
 今日も巻けなかったから巻いてほしい、という意味だと思った。だから、私が帰るまで待っててねってことでここまで引っ張ってきたのだった。

「初めて来たけど、なんかもう居心地いい」

「あー、私がいるから?」

「そうそう、むしろそれ以外にない」

59 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:42:55.23 ID:ShxRzgitO

 冗談めかした笑みをこぼしながら、桃がすっと立ち上がる。ぐるっと部屋をまわるように歩き回って、窓の方へと近付いていく。
 風によって膨み、不規則に揺れていたカーテンを手で抑えながら、反対の手で窓枠に触れた。

「ちょっと寒いし、閉めていい?」

「あぁうん、いいよ」

 桃はゆるく笑って、窓とともにカーテンまで閉め切ってしまう。
 こもった空気を換気するために開けていて、私も寒いなと思ったところだったのでちょうどよかった。

 外から聞こえていた他の部活の声などが小さくなり、代わりに部屋の中の微かな音が耳に響く。

 机の私から見て逆側の椅子には戻らず、こちらに向けて歩いてくる。
 さっきまで風に乗って部屋中にただよっていた花の匂いが、より甘いものへと変わる。
 私の横を通るとき、窓を開けたままだったら聞き逃していたような、か細い吐息が聞こえた。

60 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:43:33.10 ID:ShxRzgitO

「ふゆの髪、また戻ってきてるよね」

 と言いながら、桃は私の肩に手を置いてくる。

「やっぱり?」

「うん」

「めっちゃオリーブオイルみたいな色になっちゃってる」

 自虐するように言う。髪の内側の、染められている部分を梳く。
 ワンポイントとかインナーカラーっていうのだったか。校則では特に髪色指定などはないため、目には付くだろうけど何も言われない。
 どことなくお嬢様然としている人が多くて、そんなに分かりやすく染髪している人はいない。クラスの中でも数人くらいだったと思う。

 でも染めている私も、べつに自分からすすんでってわけではない。
 高校入学直後に初めて行った美容院で、私のことを大学生だと勘違いした陽気なお姉さんに言われるがままに染めてしまった。
 意志薄弱なのと、大人っぽく見られたことへの微々たる嬉しさと、髪色なんてどうでもいいしという気持ちと。
 一回染めたら染めたで芋づる式にお金と労力がかかってしまうことなんて考えていなかった。変に戻っていると嫌だから、すぐ染め直してしまうのだ。

61 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:44:03.71 ID:ShxRzgitO

 耳を出す感じにサイドの髪を掻き上げて、桃の方へと持っていってみる。

「でも、さっきの授業中にね、色が落ちてきた感じもいいなって思ったの」

 桃が明るい調子で言う。授業中にって……ああ、数学の授業の時かな。
 その授業の時のように、桃が後ろから髪に触れてくる。抱いた感想はまあまあ同じだった。

 そういえばいつだったか、髪色について桃の不評を買ったようなことがあった。

 美容院のお姉さんに『絶対似合う! 似合います!』と言われるままにミルク色くらいの明るさにしたら、『えー……』みたいな反応をされた。
 ちゃんと言葉にしてあれこれと言われたわけでもないけど、なんとなく伝わるものがあった。
 自分の髪色に対してこれといってなにも思うところがなかったことも相まって、それからはなるべく明るいのは避けて暗めの色にするようにした。

「あ、もう編み込みはしないの?」

「んー、めんどいからしない」

「そっか、そっかー」

62 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:44:50.48 ID:ShxRzgitO

「下ろしてると、色が落ちてるの目立ちにくいし。あれはあんまり似合ってたとも思えなかったから」

「わたしは似合ってるなーって思ってたよ」

 さらさらと私の髪を流していた指が止まり、手が肩に移動してくる。

 染めている右サイドの髪を片編み込みにしていたのはたしかほんの数ヶ月だけだったのに、よく覚えているものだ。
 桃は、しばらく変わっていない……はず。上品さを感じるタイプのサラサラストレート。美人だからより似合うやつ。
 センターパートにしている時としていない時があって、今はしている。していた方が大人っぽさが増して私は好きかもしれない。

 ていうか、私も意識していないだけでそこそこ見ているみたいだ。

「じゃ、気が向いたらしてくるよ」

「ほんと? うれしい」

 桃の声が一段弾み、肩にかかっていた力がふわっと軽くなる。

63 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:45:28.92 ID:ShxRzgitO

 首だけ後ろを振り向くと、中腰になっていた桃の身体がすぐ近くにあった。

「けど私だけなのはうーんって感じだから、そんときは桃も一緒にしようね」

 視界の正面にある綺麗な髪を見て、そういう桃も見てみたいとちょっと思う。
 旅は道連れではないけれど、自意識過剰にも誰かの期待がある状態で髪型を変えて……というのは一人では照れが入りそうだった。
 桃が相手だからってわけではなく、そんな風な状況にある時点で。

「うん、うんうん。おそろいってことね」

「そうそう、おそろいってこと」

 答えている間に、桃の表情がぱあっと華やいだ。
 お揃いというのは桃にとって嬉しいことの一つなのかもしれない。多分。

「今から上行くけど、一緒に来る?」

「なにしに行くの? あっ水やり、かな」

「ううん、見に行くだけ。今やったら夜冷えちゃうから」

「そっか、たしかにそうだね」

64 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:46:07.93 ID:ShxRzgitO

 立ち上がって、すぐに行こうと目で促す。
 ちらっと見て戻ってくるだろうし、荷物はそのままでもいいだろう。

 机上の鍵束を手に取り部室の外に出る。
 出てから、本来なら事務か顧問のすべき鍵の管理を私がしていることの不思議さを思う。

 なんでも、私の前の部長の時からそうなったらしい。先生が顧問になってから、ということだと思う。生徒よりも早く帰ってしまうから。

 ほんの数年前までこの部活はそこそこ活動的だった、と人づてに聞いたことがある。
 中庭の花壇と屋上庭園はその一種で、賑やかだった頃はこの部活が管理を一手に担っていたらしい。
 でも今じゃそんなのは少しも見る影がない。黙っていても人手の獲得が容易な緑化委員会に中庭の管理は委託され、園芸部は、庭園と呼べるかも曖昧な広さになってしまった屋上の植物の管理だけを任されるようになった。
 活動が減れば、当然のごとく予算は削られ、部員は減少……もともと多かったというのもよく分からないけど、今の三年生の代でついに入部希望者がゼロになってしまった。

 らしい。……らしい。
 頭の中で考えてみたけれど、特になにも思うところはない。
 なにせ正直どうでもいい。以上。

65 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:46:57.33 ID:ShxRzgitO

 屋上へと続く扉を開ける。空は暗くなりかけていて、外に出てすぐに「寒いね」と桃は私を見た。

「桃の家はもう暖房出した?」

「うん。ストーブと、あとコタツも」

「家の人みんな寒がりなんだっけ」

「そうそう。これから四月までずっとお世話になるはず」

「なるほどね」

「あ……ふゆも入りに来る?」

「どうして?」

「なんだか入りたそーな顔をしてるような気がしたから」

 そう言って、桃はからかうようにくすくす笑う。
 コタツへの羨望が顔に出ていたらしい。全然そういう感覚はなかったけれど……。

「なんてね、冗談じょーだん。ふゆとコタツを囲んでみたいなぁっていう、わたしの願望」

「……そっか」

 目を逸らしてどんな顔をしていたのだろうと頬を触ろうとしたタイミングでそう言われると、なんていうか、不安になる。

66 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:48:20.11 ID:ShxRzgitO

「まあたしかに、コタツは魅力的だよね」

「ね」

 他意や含意は本当にないみたいだったので気を取り直して返答し、曇り空を見上げて端の方へと歩き始める。

 中庭を見下ろして、それから周りに目を戻す。桃は私については来ないで、塔屋近くのプランターの前に中腰の姿勢でいた。

「ここにあるお花って、全部ふゆが育ててるんだよね」

「うん、そうだよ」

「すごいね。綺麗だし、いろんな種類あるし、かわいいし」

 ミニバラの八女津姫、グリーンランド・フォーエバー、ウインターマジック。イングリッシュローズのジュビリー・セレブレーション。トルコキキョウの森の雫……。
 挙げていけばすぐに言い尽くせる程の種類だけど、ここにはいろいろな花がある。

 身体はこちらを向いてはいないが、口調から桃が楽しそうにしていることが伝わってくる。
 花や自然なんかを桃は好いていて、これまでも街中でそういうものを見かけた時に反応を示していた。

67 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:48:57.65 ID:ShxRzgitO

 けどここで育てている、部活の花についての話をするのはこれが初めてだったと思う。
 いつも通りの柔らかい足の運びで私の方へと向かってくる桃を目で捉えながら、少しだけ気恥ずかしくなる心の動きに気付いた。

「育てるのってやっぱり大変? ……あ、大変なのは大変だと思うけど」

「ううん、そうでもないよ。育て方は決まってるし、多少ほっといても育ってくれる花たちばかりだから」

「そうなんだ。んー、でも、すごいなーって思うよ。わたしは」

「……褒めようとしてくれてる?」

「うん」

「そう。……そうだね、ありがとう」

 やっぱり今日はやたらと褒められる日らしい。
 こんな日めったにない。というか初めてかもしれない。

 普通に過ごしてて褒められるほど真面目でもないし、私を褒めることにメリットなんてほぼないように思える。
 私はその時は少し嬉しくなるかもしれない。でもそれだけっていうか、言葉を貰ったところで還元できるもの──リターンの方法なんて知らない。

 まあでも普通に考えて、今桃が褒めてきたことに打算とかはないのだろうけど。じゃあなぜ考えた? というと、なんでだろ。理由はない。

68 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:49:25.83 ID:ShxRzgitO

 そういえば私だって、昨日桃のことを褒めたじゃないか。
 姿勢とか綺麗だよね、って。咄嗟に何か言おうとして、出てきた言葉が桃を褒める言葉だった。

「桃が褒めてくれるの、実は結構嬉しい」

「嬉しいんだ」

「褒められることってめったにないからね。今だって嬉しさを噛みしめてる」

「ならもっと褒めようかな」

「そんなに私に褒めるところってあるかな」

「あるよ、たくさん」

 自信ありげに頷かれる。わざわざ否定するのは自意識が強いみたいで嫌だったから、即座に「ありがとう」と口にしておく。
 その上で、数とかを比べる気はないけど、桃の褒めどころとかいいなと思うところについて考えてみる。

69 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:49:55.70 ID:ShxRzgitO

「桃にもたくさんあるよ」

 と試しに言ってみると、

「そっか。こういうのって、自分では分からないよね」

 と少しの間の後に、苦笑混じりの言葉が返ってくる。

「で。それで……」

「それで?」

 普通そうだよね、って同意しかけてたところだったが続きがあった。

「うん。えっと、たとえばー、とか、聞いてみてもいい?」

 たとえば。
 たとえばか。

「完全に私の好みになっちゃうけど、それでもいいなら」

「あ、うん全然……ていうか、むしろその方が聞いてみたいかも」

 ハードルがぐんと上がった。わくわく顔? にこにこ顔? に桃の表情が変化する。
 単純に容姿についてとかそういうことを言おうとしたけれど、それを眼前にしてしまうと何となく気が引けてくるものだ。

70 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:50:23.70 ID:ShxRzgitO

 そう思って、出かかっていた言葉を引っ込める。言われ慣れているかな? と思ったのも束の間。もう脱線していることを考える。
 どうせなら言われたことのないような言葉にしたいなと思ったのはどうしてだろう。たまに自分が謎に思える。

「……やっぱり面と向かって言うのは恥ずいから、言わないのはだめですか」

「だめではなくもないけど、わたしとしては、すっごくすごく気になるからだめってことにしてもいいですか」

「あーその、よくないです」

「よ、よくないですか……」

 なんだろうこの敬語の応酬は。
 こういう、私の変な振りに乗ってくれるところもいいところか。若干楽しそうな桃の様子を見て、私も自然に笑みがこぼれてくる。

 いろいろと感性が合うよね、と真面目に冷静に普段から思っていることを考えてみると、容姿の次に浮かんでくるのはそういった類いの言葉だった。
 でも、そういうのって言ってしまっていいのかという不安を抱く。私が勝手に思っている桃の内面についてのイメージを本人に言っていいのかと。

 ていうかまず褒め言葉でもない気がするし……人を直接褒めるのって案外難しい。

71 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:50:54.81 ID:ShxRzgitO

「運動得意だよね、とか」

 上手くそういうのが伝わらないような言葉を探したけれど、一旦考えてしまうと駄目だった。
 ので諦めて、無難な解答に落ち着かせる。昨日体育で惨敗した記憶に引きずられてることは否めないが、これは本当に思っていることだった。

「ふゆは運動得意な人が好きなの?」

「ん、まあ、いいよねーと思うよ」

「そっかー。って、わたしはそんなにだと思うよ」

「そんなにって? 運動が?」

「うん」

 桃は頷いて、手を後ろで組む。
 私の返答を待っているのだろうと思って困りかけたけれど、それは杞憂だった。

 声には出さず、桃は何かを呟く。その様子は頭の中でメモ帳を捲っているかのように映る。

「でも、でも……うーん。ふゆに言われると、嬉しい、気がする。うん、嬉しい」

 そしてしばしの沈黙の後、桃が言ったのは自分を納得させるような言葉だった。

72 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:51:36.66 ID:ShxRzgitO

「そんな無理して喜ばなくても」

「ううん、無理なんかしてないよ。自分では思ってなかったことだったから、ちょっと」

「さっきの私と同じ?」

「そうなのかな?」

「多分ね」

 あらためて思う。人を褒めるのは苦手だ。
 それが桃相手ならなおさら。だって、こういう風に微妙なことを褒めたとしても、最終的には嬉しそうに受け取ってくれるだろうから。

「もうそろそろ帰ろっか」

「暗くなってきちゃったね」

 そもそもの話、桃と接していて嫌なところなんてどこにもないのだから、取り立てて良いところを考えたことなんてなかったのだ。

 桃は私にやさしくしてくれるし、いろいろと合わせてくれている。
 だから私は考えずにいられるのだと思う。

 そうすると、私は──。

73 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:52:10.49 ID:ShxRzgitO

「……」

 扉へと続く道を歩きながら、はっとする。
 やっぱりこういうのって会話が終わってから思いつくように出来ているのかもしれない。咄嗟の時に、身体はでたらめにでも動くとしても口はうまく動いてくれないのが私の悪いところだ。

「……あ、なんか思いついたような顔してる」

 桃の表情を見て確かめようとした時にはもう、その思いつき、あるいは言葉にはできない心象の発露を見透かされていた。

「え、分かった?」

「なんとなく」

 当てたことが嬉しいみたいだった。にこーっと歯を見せて桃は笑う。

「じゃあ、何考えてたか当ててみて」

「えと、それは無理だよ」

「だよね」

「うん」

 無意識のうちに、違うことを言おうと決めていた。
 理由はない。けれど、おそらくこれで間違ってはいない。

 こうやって、なんでもないような話ができること。
 それが私にとって、桃と一緒にいて一番にいいなと思えるところなのだ、と。
 私の心の中に留めておく分には、そういう結論に至るのは至極単純なことだった。

74 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/10/22(火) 03:53:13.92 ID:ShxRzgitO
本日の投下は以上です
書き溜めゼロなんでマイペースにいきます
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/23(水) 00:30:43.01 ID:fWUL1sig0
ふむ…
期待
76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/23(水) 07:40:03.25 ID:Ch+QzcyfO
77 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/10/24(木) 12:03:43.77 ID:fuUGkE0fO
おつおつ
78 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:39:53.65 ID:nFA3eKOE0




 私のスケジュール帳は、バイトのシフトによってほぼ埋め尽くされている。

 バイト先は家の最寄り駅近くの花屋で、一年の春から働き続けている。
 学校では園芸部、外では花屋のバイト。こうして考えてみると、毎日が花に囲まれている生活だ。

 平日は定休日である火曜日を除いて二日か三日、授業が終わってから閉店まで、
 土日は開店から夕方までか昼過ぎから閉店までのどちらかの時間で働いている。

 働き始めた理由は、店長をつとめている人がちょっとした知り合いで、「よかったら働きませんか」と誘われたからだった。
 どうしてもバイトがしたいというわけではなかったけれど、休日に暇を持て余していた私はすぐに二つ返事で了承した。
 後で聞けばその時は特に人員不足というわけでもなかったようで、私を誘ったのはただの思いつきだったらしい。

79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:40:35.53 ID:nFA3eKOE0

 アルバイトというだけあって業務はそこそこ楽なのだと思う。他の花屋のことは知らないので詳しくは分からないけれど、たいして疲れはしない。
 開閉店の作業、水揚げ、接客、レジ打ち、ラッピングにアレンジメント作り……。そこそこすぐに覚えられることのみで、一切の面倒事は店長やパートの人がやってくれている。
 それで給料をもらえて余ったお花までもらえるのだから、学生としては少し長いかもしれない労働時間でもかなり満足していた。

 今日は土曜日。そして今はお昼休憩の時間だった。
 華やかな売り場と違って事務所の中に置いてある物は多くなく、雰囲気はまるで異なっている。
 冬場は暖房が入っているため、休憩になったらすぐに事務所に駆け込むことが多い。
 売り場は冷蔵庫くらいに寒くて、とてもじゃないが上着を脱いだままではいられない。

 がた、という音とともにドアが開いた。
 目を反射的に音の方向へと向けると、私と同じように昼休憩に入ろうとしている店長が肩を手で抱きながら入ってきてきた。

「お疲れさまです」

「あ、はい。お疲れさまです」

80 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:41:22.89 ID:nFA3eKOE0

 箸を止めて返事をする。私の隣に腰かけた店長──瑠奏さんは大きな包みを広げ始めた。

「どうかしましたか?」

「……いや、いつも思ってたんですけど、すごい食べますよね」

「むしろ霞さんの方が食べなすぎだと思いますよ」

「まあ……それは、そうかもですね」

「まだ高校生なんですから、少しくらい多く食べても損はないと思いますよ。霞さんは結構華奢ですし」

 そう言って、瑠奏さんはお弁当箱をこちらに差し出してきた。
 中には彩り豊かで綺麗なおかずが盛り付けてあった。食べろということなのだろうか。

「遠慮なく。どうぞ?」

「はい。じゃあ、その、いただきます」

 卵焼きを口に運ぶ。柔らかくて、普段食べるものよりも甘い味が舌を刺激する。
 瑠奏さんの作る料理はいつも美味しい。私が作っても多分この味にはなってくれない。

81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:41:52.04 ID:nFA3eKOE0

「お客さまからいただいたものもありますから、食べてくださいね」

 仕事のとき、瑠奏さんは誰に対しても敬語を使っている。崩しているのは見たことがない。
 あまり徹底していないが、従業員同士はなるべく敬語で話すという決まりがある。店長だから率先して守っているのだと思う。
 歳が二十代で、パートの人の方が年齢が上というのもあるのかもしれない。業界内でこのくらいの歳での店長はかなり珍しい、と以前誰かが言っていた。

 パートの人達や社員さんは、私にはほぼタメ口だ。
 学生バイトは歳と位が一様な分、接しやすいのか、それとも娘のような歳の差だからか。
 いずれにしても、どちらでもいい気がする。呼び方や敬語の程度では関係性はさほど変わったりしない。

「ところでですけど、秋ですね」

 と瑠奏さんは言った。

82 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:42:43.27 ID:nFA3eKOE0

「もう終わりそうじゃないですか?」

「紅葉はまだしているので、わたし的にはまだ秋です」

「なら秋かもですね」

「ええ。落ち葉が出てきたら、手のひらいっぱいに拾ってぶわーってすると楽しいですよね」

「そうなんですか?」

「したことないんですか?」

 きょとんとした顔を向けられる。
 ないですね、と答えるな否や、瑠奏さんは小さく咳払いをして、再度こちらを見た。

「カエデ、モミジ、ミズナラ、コナラ、ハゼノキ。あとはヤマザクラやメグスリノキがあると、すごく楽しいですよ」

 大きな手振りで私に伝えようとしている様子はとても楽しげで、やっぱり自然が好きなんだな、と思った。

 たまに瑠奏さんのこういう無邪気さというか、天真爛漫さが垣間見えることがある。
 前はもう少し違ったというか、いやそれは私の見方とかが変わっただけかもしれないけど、ていうか多分そうなのだけど、とにかく。
 そのたびに、かわいい人だな、と思う。変な意味はなく、ただ単純に。

「今度やってみます」

83 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:43:32.79 ID:nFA3eKOE0

「人が居ないところならいいですけど、道でやるときはくれぐれも気を付けてくださいね。
 何も知らない通行人の人に見られたりすると、すっごく怪訝な目をされてしまうので」

「実体験ですか?」

「いえ、違いますよ。わたしの友達の話です」

 瑠奏さんは話を切るように、瞳を細めながら微笑した。

「秋といえば、恋愛の季節じゃないですか」

 そして不意に、そんなことを言う。

「そうなんですか?」

「霞さんもせっかくの高校生、そして季節は秋。そういう楽しい話とかはないんですか?」

 一瞬だけ焦りかけた。が、それは表出するものではなく瞬きの合間に収まった。
 でも鋭いのか何なのか、タイムリーすぎるような話であることはたしかだった。

「ないですね」

「本当ですか? はぁー、そうなんですか」

「はい」

「そうなんですね。……まあでも、仮にそういうなにかしらがあったとしても、霞さんはわたしには教えてくれなさそうですけど」

 別にそういう意図はないのだろうけど、字面だけ追えば薄情だと言われているみたいだった。
 どう答えればいいのか迷う。受け流すにもタイミングが取りづらい人相手なので出来そうにもなかった。

84 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:44:04.44 ID:nFA3eKOE0

「や、違いますね。わたしには、ではなくて、誰にでも、ですよね」

 瑠奏さんはにこりと目元を緩めて私を見た。
 当てずっぽうではないような、確信めいたような視線だった。

「でも、教えてくれなくて全然いいです。わたしも特にそれほど興味があるというわけでもないので」

「いやその、そういうのがあったなんて言ってないですけど……」

「ですね。あ、でもやっぱり気になるかもしれないです。霞さんに限っては」

「はぁ、どっちなんですか」

 適当に返事をする。

「ふふっ、霞さんは分かりやすいですね」

 なぜか楽しそうだった。

 他人の恋愛事情に興味を持ったことなんて今までなかった。だから、どういう心境で楽しそうにしているのかはまったく分からない。
 でも、知り合いならそういうことを気にして普通なのだとは思う。一般的に。私も友達の話を聞いているのは別に嫌じゃない。
 私が瑠奏さんの立場だったらと思うと、……まあ気になるのかな? 気にしてと言われたら気にしてしまうくらいには。

 瑠奏さんに恋人とか、そういう相手がいるとは聞いたことがない。
 親には「早く相手を見つけなさい」と言われていると、前に愚痴を零してきたことがあった。

85 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:44:32.87 ID:nFA3eKOE0

 よく男性のお客さんからお花をもらっていたりするのは、あれはそういうのではないのかな。他にも、この机の上のクッキーとかもそうだし。
 嬉しいです、とにこにこしながら受け取っている姿を見るたびに、人徳というか愛想の良さのようなものを感じていた。

 定休日以外はずっと仕事をしているだろうから、どうしてもここでの印象ばかりになってしまう。

 なんかそういうのとか、嫌っていそうな──もしくは興味なさそうな感じがした。壁があるというか、恋愛は別に、みたいな。
 だから恋バナ(なのかな?)を振ってきたときは驚いた。意外と楽しそうなのでもうちょっと驚いた。

 会話が途切れてから数十秒後、お茶をずずっと飲んだ瑠奏さんは興味深そうな顔で私を見つめてきた。
 別のことを考え始めていたところだったから、少し反応が遅れる。まさかバレてはいないだろうけど。
「なんですか」、の「な」が出かかったところで瑠奏さんが声を出そうとしていたので踏みとどまった。

 それから何かを言うかどうか迷うような顔をして、結局言おうと決心をするように真面目な表情で頷いてから再度こちらを見てきた。

「霞さんはモテそうですよね、美人ですし、おっきいですしスタイルも良いですし」

 と言って、瑠奏さんは手早く片付けをして事務所から出ていった。
 躊躇ったのはなんでだろう、案外普通なことで拍子抜けする。考えれば分かる気がしなくはないけど、勘ぐりすぎかもとも思う。

 美人とかそういうのはお世辞だろうから置いといて、モテませんよ、とひとり呟いた。

86 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:45:31.03 ID:nFA3eKOE0





 お昼過ぎになると客足がまばらになり、座りながら作業することができるようになる。
 午前中はほぼずっと立ちっぱなしだということもあって、マイペースに一息つきながら、というのは気が楽に感じられる。

 瑠奏さんは今、店の二階部分を使ってフラワーアレンジメントの教室をしている。土日のどちらかの午後はいつもそうで、その時間は店番を任されていた。
 今日お店に入っているもう一人のパートの人は、結構遠くのコンサートホールにスタンド花を配達しに行っていて今はいない。

 そういうわけで、店内には私一人だった。お客さんが入ってこない限りは……、と思った途端に女性が来店してきた。よくあることだ。

 店内はシックな雰囲気で統一されている。花屋というとかわいらしくポップな印象を受けるけれど、この店はそういう雰囲気がコンセプトらしかった。
 壁にはクリスマス用の、ポインセチアが大きく描かれた広告が貼られている。まだ一ヶ月以上前だというのに。まあそれは他の職業でもそんなものなのかもしれない。

 この店を御贔屓にしてくれている、所謂常連さんが多いから、大体のお客さんの顔は憶えている。けれど今来たお客さんは初めて見る顔だった。

87 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:46:09.13 ID:nFA3eKOE0

 初めてのお客さんは、大抵はアレンジメントやブーケを頼む。誕生日などのお祝いで誰かに贈るため、というのが多いからだ。
 そしてそのアレンジやブーケは去年バイトを始めたばかりのときに一通り作れるように練習したけれど、いざ作るとなると緊張してしまうのが常だった。
 だから、出来れば切り花でブーケとかは頼まないでほしいな、と思っていた。店員としては少しよろしくないかもしれないけど。

 使う花の指定が細部まであれば楽なのだけど、大概そんなことはなく、おまかせでというのがほとんどだ。
 赤系で、とか、バラをメインに、とか言ってくれるお客さんが神様に見えるほど、特に要望もなく複数種類欲しい、と注文する人は多いのだ。
 本音を言うと、メインの色とその他の色まで細かく指定があってほしい。アクセントや、その季節らしいカラーを入れたいというときに、お客さんからのニーズと違ってしまっていてはいけないからだ。

 訊き逃してはいけないことも多く、たとえば病院へのお見舞いに持っていくものだったら匂いだったりサイズだったりを考慮しなければならない。
 私だったら全部伝えるけど、みんな誰もが制約を知っているわけではない。話して、えっそうなんですか、と驚かれるのは割とよくあることだ。

 作ってみてからでは遅く、作り直すこともしばしば。イメージと違うと怒られてしまったりもたまには。
 大手だと最低二年くらいはお店で出すものは作らせてもらえないと聞いたことがある。ぺーぺーの高校生である私が作っているのって、本当にいいんだろうか。

88 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:47:12.51 ID:nFA3eKOE0

 ここのお店に入ったときに特に重要なこととして言われたのは、コミュニケーションは私たちから積極的に、だった。
 瑠奏さんみたいに知識が豊富で器用にコミュニケーションが取れればいいけれど、私はまだ未熟というか、下手だし苦手だ。

 そのお客さんはさして迷うこともなく、季節外れの向日葵を数輪買っていった。

 しばらくループリボンを作ったりカウンター内の掃除をしていると、瑠奏さんが階段から降りてきた。
 棚の上の荷物をちらっと一瞥してから、私の方へ視線を飛ばしてくる。取ってほしいようだった。

 瑠奏さんは身長が低くて、私とは二十センチ差くらいあるのかな。つかさとかよりも小さい。
 指摘すると気にするというか、変な空気を出してこられるので、特に何も言わずに段ボールを取って渡した。

「ありがとうございます」と瑠奏さんは良い笑顔で跳ねるように言って上階へと戻っていく。
 自然な笑顔っていうのは生得的なものなのか、それとも後天的なものなのか。私の知っている瑠奏さんは、昔から自然な笑顔を私に向けてくれていた。

 すべきことを順繰りに済ませていくうちに、外の天気は秋晴れから夜へと移り変わり始めていた。
 向かいの美容院の街灯がチカッと点くのが見えて、あと少しで今日のバイトも終わりなのだと気付いた。

89 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:47:51.61 ID:nFA3eKOE0

 人はいないしいいだろうと欠伸をしていると、見知った顔が入店してくる。身体が少しかたくなる。
 思わず目を逸らして、それでもまあ気になってしまって向き直ろうとしたところで、ふふっと微笑する声が耳に届いてきた。

「や、おつかれさまー」

 と、部活帰りらしいジャージ姿の栞奈がひらひら手を振りこちらに寄ってきた。

「いらっしゃい。栞奈も、おつかれさまかな?」

「うん。たまたま通りかかったから来てみた」

「そっか」

「やっぱ働きものだね霞は」

「そうかな、今さっき欠伸してたけど」

「あはは、だね。……あ、そだ。今日は普通にお客として来たんだけど……」

 そう言って、栞奈は店内を見回す。

 私がバイトをしている姿に興味があるとかで前に来てくれたのは夏休みだったかな。それからたまに来てくれる。
 学校関係の知り合いだと、このバイト先に今まで来たことがあるのは栞奈だけだった。

90 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:48:42.39 ID:nFA3eKOE0

「自分用? それとも誰かに贈るための?」

「お母さんの誕生日用。ほんとは昨日だったんだけどね」

「なるほどね……。今の季節だと、ガーベラとか、あとはオーソドックスにバラとか。アレンジメントで良かったんだよね?」

「うんうん、そうね」

 予算は? と訊ねると、四千円まで、ということらしかった。

「それだと、ガーベラだけだったら二十ちょっと、バラだけなら十二、三本くらいかな。
 ガーベラとバラは見栄え的に合うから、両方使っていい感じにまとめられれば……って思うんだけど」

「お花はたくさん種類があったほうがいいかな」

「わかった。なるべく多めに使ってみるね」

「よろしく。あー、友達に作ってもらったってお母さんに自慢できる」

「いやその、恥ずかしいからやめてよ」

 曖昧な調子で答えながら、花束の構成について考える。

91 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:49:23.98 ID:nFA3eKOE0

 基本的にアレンジメントは、メイン、サブメイン、ラインフラワー、アクセント、ボリューム、グリーンの六つから逆引きして決めていけばいい。
 アルストロメリアとスカシユリで可憐な雰囲気を、ワレモコウで落ち着いた雰囲気を出す。
 スペース埋めをアストランティアで、ヘデラで緑を補いつつ……と、おおかた決まってきた。これでいこう。

 秋らしいカラーで、少しでも大人っぽさというか、そういうものを出せればなと思う。
 年上や、お世話になっている人へのプレゼントは、ちょっと背伸びしているぐらいの方がいいと思う。
 私目線ではそうだ。おまかせのようだから、勝手に栞奈もそうだと思っておく。揺れるとそれが出てしまいそうだから、ここは自分に都合良く。

「じゃあ今の霞を写真に収めて、つーに送ろうかな」

 作業台でオアシスに花をさし始めると、栞奈はスマートフォンを取り出して私に向けてきた。
 ちらっと見て目を逸らす。思わずむっと表情を固くした拍子に、パシャ、というシャッター音が耳に届いてきた。

「なんでつかさに……ああいや、まあつかさならいいや」

 話しながら作るのは久しぶりで、そっちへの対応が少しぶっきらぼうになる。

92 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:49:54.60 ID:nFA3eKOE0

「いいんだ?」

「減るものじゃないしね」

 反応がだいたい分かるから。わーっていう感じのやつ。うん。
 それは栞奈にも伝わったみたいで、「やめとこ」と手元で操作していたスマートフォンにかけられていた指がぴたりと止まった。

「じゃあ、桃に送ろうかな」

「うん。えっと、それも別にどうぞ、って感じなんだけど」

「あ、そうなんだ。そんならこっちはほんとに送ることにしよう」

 指がもう一度動き始める。「ほんとに送ったよ」という声とともに見せられたのは桃とのトーク画面。

 やっぱりやめてよ送信取り消しできるでしょ、と反応すべきかどうか迷ったけれどそうはしなかった。
 その代わりに適当に言葉を発しながら笑った私を見て、栞奈はなぜか楽しそうに笑みを返してきた。

「桃、見たら多分喜ぶよ」

「そうかな」

「多分ね。ほら、なんかよく『写真撮ろー』ってしてるじゃん。二人で」

「んー……あーまあ、してるね」

「霞からってのはあんまりないだろうけどね」

「そうかもね」

93 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:50:35.51 ID:nFA3eKOE0

 ラッピングも秋っぽく包んで、ホチキスでカチカチと止めていく。
 リボンをつけて、セロハンを左右対称になるように貼り、丁寧にアレンジを包む。

「こういう感じでどうでしょうか」

「うん。やっぱり頼んで良かった」

「満足してくれたならなにより」

 くっきりした二重の瞼と長い睫毛が楽しげに揺れていて、本心から言ってくれたのだと嬉しい気持ちになる。

「じゃあこの作ってくれたのと、霞と、私も入るか」と栞奈は今度は内カメにして、再度私にスマホを向けてきた。

「これは誰にも送らないやつね」

 栞奈はそう言ってパシャパシャと何枚か撮っては、角度か何かがしっくりこないといったような微妙な表情で撮り直しを要求してきた。
 二階からフラワーアレンジメント教室の人達が降りてきて、栞奈もその流れに混じるようにして帰って行った。
 じゃあね、と手を小さく振って見送り、ドアを閉めて振り向くと、瑠奏さんが私をまじまじと見つめていた。意味ありげな視線。

94 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:51:13.46 ID:nFA3eKOE0

「なんですか?」

「いえ。お友達、かわいらしい方ですね」

「そうですね。優しいし、しっかりしてる子です」

 いいですねー、と瑠奏さんは頷く。

「今度、ほかのお友達も連れてきてくださいよ」

 ぱちっと手を打ち、良いことを思いついたような顔でそう続ける。

「はあ、まあ……いいですけど」

「霞さんはお友達の数はあまり多くはないでしょうけど」

 あはは、と笑って否定はしなかった。普通に事実だったから。
 ていうか瑠奏さんも知っていて言っているあたり、少しだけ酷い人だと思う。

 もし連れてくるとしたら、もう桃かつかさだけだった。
 で、それはなんとなく……うん。なんでか分からないけどすすんではしたくない。
 自ら来るならまだしも、呼ぶというのは、ちょっと。授業参観の時みたいな気分なのかな? わからないけど。

「気が向いたら、そのうち」

 と、そう言って誤魔化すことにした。

95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/12/27(金) 03:51:40.08 ID:nFA3eKOE0
本日の投下は以上です
96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/15(水) 02:48:31.81 ID:cbL9KxZg0
読んでるよ
97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:07:57.55 ID:RFFO57rv0




 部室でぼーっとしていたらSHRまでの時間が迫ってきていたので、早歩きで教室を目指す。
 部室はなんとなく落ち着く。あまり居着きたくはないが、一人になれるし広さがちょうどいい。

 今日はいつも通り早く学校に着いたのだけど、花瓶を洗っているときにはもう次の人が教室に来てしまった。
 週番だったらしく、少しだけ仕事を手伝った。といっても、身長の低めなその子の代わりに黒板の上の方を消したくらいだけど。

 話が好きそうな子でいろいろ話しかけられて、最初のうちは答えていた。でも終わりが見えなさそうだったので部室に行くと理由を付けて逃げた。

 単純な質問に答えるだけだったから、今考えてみると楽だったのかもしれない。普通にそのまま答えていればな、と反省する。もしくはその子のことを聞けばよかったな、とも思う。
 これだから友達が少ないのだろう。こういうきっかけを逃すと後々響いてくるのかもしれない。頬をつねって再度反省する。

 そしてその、つねった拍子にどうしてかは分からないけれど、好きな形の雲の話とか、好きな動物の話をしてくれていた子の存在を思い出した。
 小学生の低学年か、それよりも前か……いずれにせよまだ小さいときの記憶だ。

98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:08:57.19 ID:RFFO57rv0

 転校や進学で沢山の人や友達と出会って別れてを繰り返すと、不必要だと感じたものから忘れていってしまう。大抵のものは感じることすらなく忘れる。
 その中で忘れずにいるのは大切だと思っているからなのか。相手にとっては多分、いやきっと、私なんて取るに足らない存在だとは思うけれど。

 記憶に容易に蓋は出来ないものだなぁ、と目を細めていると後ろから私の名前を呼ぶ声がした。

「ふゆゆ、おはよー」

 振り返ると眠たげな調子のつかさがゆるく手を振ってきていた。
 私も手をあげて挨拶を返すと、安堵したような面持ちでこちらに駆け寄ってくる。

「眠そうだね」

「うん。昨日遅くまで電話しててさ」

「そっか」

 噂の恋人さんとなのかな、という考えが頭に浮かぶ。
 きっとそうなのだろう。そうじゃないかもしれないけどそんな気がする。

99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:09:38.21 ID:RFFO57rv0

「ふゆゆはいつも眠くなさそうだよね」

「日付が変わる前には寝てるから」

「へぇー。あんまテレビとか見ないんだっけ?」

「そうだね、あんまり。たまには見るけど」

「ふーん。まあなんかふゆゆはそんな感じだよねー」

 そうなんだ、と私は自分のことを言われているのに他人事のように答えた。どう答えればいいのか微妙に思えたから。
 そしたら案の定、「んな他人事みたいに」とツッコミが入った。互いに目を合わせてくすくす笑う。

 つかさと話すと、自分の自然な反応を引き出されている──引き出してくれているように感じる。

「やっぱりふゆゆはワールド持ってるよね」

「なにワールドって」

「自分の世界というか、他とは違う系のなにか」

「つまり変わってるってこと?」

「平たく言えばそんな感じ」

「うーん」

「あ、ふつーに褒めてるんだよ」

100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:10:20.92 ID:RFFO57rv0

「いやそうは言ってもねぇ……」

 他人から変わってると言われて素直に喜ぶ人はいないだろう。もしいるとすれば、そういうふうに見られたいと思っている人か、なんでも好意的に捉えることのできる人のどちらかだと思う。

「私だって可能な限りは多数派から外れていたくないって思ってはいるんだよ」

「んーでも、そういう人は友達と話合わせるためにテレビとか見たりするんじゃない?」

 たしかにそうだし、私も昔はそうだった。
 周りから外れていたくないと思うのは誰にでもあることで、外れないために適当な取っ付きやすい話題で話を合わせることは、まあ言っちゃなんだけど一番簡単な方法だ。

 そうじゃなくなったのは、関わる人がそういう話をしなくなったからというだけのことなのだろう。
 取り巻く環境への最適化というよりは、主体性がないために周りに合わせているだけ。
 でも何らかの物事を延長するにあたっての手続きを必要としないなら、それはそれとしてそのまま享受してしまう方が楽だ。

101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/05/17(日) 01:11:17.51 ID:RFFO57rv0

「でもそのふゆゆワールド、わたしはかなりいいと思うよ」

 つかさは冗談めかしたような口調でそう言いつつ、親指を立てた。

「ももちゃんもゆるふわなワールド持ってるし、栞奈はちょっと超人的な感じするし、あーわたしってけっこー普通なんじゃねーのって思える」

「ふうん。てことは、つかさは普通でいたいんだ?」

「まあそれはね。全部じゃなくとも、何個かは普通さをもっていたいじゃん」

「そっか」

「どうしても普通でいられない部分もあると思うし」

「難しいね」

「そ。まあ朝からする話じゃないねー」

 というようなことを話しているうちに、もう教室の前までたどり着いていた。
 まばらな話し声がして、その中にさっき話した子の姿を見つける。目があって、少しだけ隠れがちに手を振られる。

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