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傘を忘れた金曜日には.
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375 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/04(火) 23:52:39.09 ID:1roLrHHvo
「兄がひとりで起きている。最近は珍しいことばかりですね」
「俺も成長するのだ」
「成長でしょうか」と純佳は首をかしげた。
「朝ごはんは食べますか?」
「せっかくなのでいただこう」
「今日はバイトは?」
「バイト……」
バイト……。
「……ある。たぶん、午後から」
はずだ。
「わかりました」
それだけ言って、純佳は部屋から出ていった。
さて、と、俺はぐっと伸びをした。
妙な疲れは感じたけれど、ひとまず、帰ってきた。
考えなければいけないことがいくつかある。
376 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/04(火) 23:53:12.51 ID:1roLrHHvo
最初に日付を確認する。そう、土曜日なのだ。
記憶の欠落が二日ほどある。というより、記憶はあるのだが、曖昧になっている。
どんなふうに過ごしたのか、思い出せない。俺はそれを見ていたはずだ。それは分かる。
昨夜目を覚ます前まで、どこにいたのか、それもよく思い出せない。
印象だけが残っている。
一度眠ってしまったせいだろうか。それとも、昨夜のことのインパクトのせいだろうか。
いまいち、記憶が判然としなくなっていた。
けれど、いくつか、思い出せることもある。
俺は携帯のメッセージアプリを起動し、通話を呼び出した。
鳴らす。
鳴らす。
鳴らす。
出ない。
切らずに鳴らす。鳴らす。鳴らす。
そろそろ諦めるべきだろうか、と思ったところでつながり、
「うるさい!!」
と、声が聞こえた。
「土曜の朝からなに!」
「土曜も……」
「ん?」
「土曜も何もねえだろうが!!」
俺は怒鳴り返していた。
377 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/04(火) 23:53:48.17 ID:1roLrHHvo
「……あのね、三枝くん。青葉さんは寝てたの。気持ちよく。今の今まで」
「ああ」
「その睡眠のね、邪魔をね、するのはね、大罪ですよ。大罪です」
「だからな、おい。わかるか、瀬尾」
「なにが?」
「昨日までいなかった奴が、そんな偉そうなこと言う資格ねえだろうが」
「……そりゃ、悪かったとは思うけど。ね、三枝くんちょっと怖いよ。寝起き?」
瀬尾は甘えたみたいな声を出した。
「でも、昨日は遅くまでたいへんだったんだよ。お父さんとお母さんにどう説明したもんかって」
「ちゃんと謝ったのか」
「なんか捜索願とか出されてたみたいだから、なんも覚えてないってことにしちゃった」
「……それ、通るのか?」
「いちおう来週は学校に話通しにいかないとってことになってるんだ。
ね、三枝くん。わたしがいなかった間も、授業って進んでたよね、やっぱり」
「そりゃな」
「んん……どうしよ。もうすぐ期末だよねえ……」
「出席日数は?」
「そこも心配だなあ。どういう扱いになるのかなあ」
「自業自得だ」
「ひどい。誰のせいだと思ってるの」
378 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/04(火) 23:54:32.28 ID:1roLrHHvo
「……んん」
誰のせいって……。
「俺のせいなの?」
「そーだよ。まったくもう」
「いや、誰のせいでもないって言ってなかったっけ?」
「本音と建前は別」
「……めんどくせえやつ。なんだよ、本音って」
「あー、あんまりわたしにひどいこと言うと、三枝くんが小学生の頃同級生の女の子を裸に剥いたことあるのみんなに教えちゃうよ」
「むい……なんだそれ」
「いやだって言ったのに無理やり……水風呂に」
「ちどりのことかよ。あ、そうか。いや、小学二、三年の頃だろそれ」
瀬尾からその話を持ち出されることに違和感はあるが、彼女は思い出したと言っていた。
思った以上に厄介なことになったという気がする。
ペースが保てない。
同級生に過去の恥まで全部知られているような気持ち……というか、大部分そのとおりだ。
「えへへ」と瀬尾は楽しげに笑った。
379 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/04(火) 23:55:08.43 ID:1roLrHHvo
「なつかしいねえ」
「……」
俺もまた、なつかしさは感じるけれど、やっぱりそこには違和感がつきまとう。
それをもう、瀬尾は受け入れたのだろうか。
ひょっとして、瀬尾が帰ってこなかったのは、思い出したから、だったんだろうか。
それをどう取り扱っていいか、わからなかったから、
……いや。
それを想像するのはやめておこう。
瀬尾は帰ってきた。それだけで今は、よしとしておこう。
「あとさ、三枝くんさ、むかし、騒ぎすぎて大人に怒られたりするときさ、ピエロの人形を見せるとめちゃくちゃ怯えてさ……」
「やめろ。なんか恥ずかしいからやめろ」
「えー? なんかわたしもさ、今の三枝くんのイメージが先にあるところにそういうのを思い出したもんだから、もう面白くて……」
「あのな、おまえだって昔うちに泊まったときに夜中トイレにいけないからって……」
「わー! わー!」
「……よそうぜ」
「な、なんでだろう……思い出すとめちゃくちゃ恥ずかしいことばかりしてた気がする……。
わたしだって感じはあんまりしないのに……」
380 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/04(火) 23:55:42.22 ID:1roLrHHvo
「なんで敬語とれたんだろうな」
「敬語だったことを思い出すと……ものすごく恥ずかしい……」
「ちどりは今も敬語だけど」
「う、うそだ!」
「……なぜおまえが恥じらう」
「うう、なんだこれは……」
「まあお互い裸も見せ合った仲だ。仲良くしようじゃないか」
「開き直らないでよ! 恥ずかしいなあもう……」
「……他のことも覚えてるんだろ」
「ん」
「純佳とか、怜とか」
381 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/04(火) 23:56:08.65 ID:1roLrHHvo
「ん、うん。なつかしいな。隼ちゃんは──」
と、瀬尾は言いかけて、
「……三枝くん、いつまで純佳ちゃんとお風呂入ってたんだっけ?」
「……」
「……」
「……」
「……え?」
「……いや、違う。話題が唐突すぎて驚いただけだ」
「入ってるのか! まだ入ってるのか!」
「入ってない!」
「し、信じられない……どういうことなの……」
「入ってないって言ってるだろ」
「わたしに嘘が通用すると思ってるの?」
「……」
俺は断固として認めなかった。
そんなふうにして、電話を切った。
382 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/04(火) 23:56:54.14 ID:1roLrHHvo
なんだか考えないといけないことが頭から飛んでしまった。
ひとまず、瀬尾が帰ってきていることを確認できたことに安心する。
他のメンバーにも連絡しておくべきだろうか、と思いつつ、姿を見るまではなんとなく実感が湧かなかった。
そもそも……この記憶の空白の内容を、たしかめたくないような気もしていた。
何かまずいことをたくさんしていたような記憶はあるのだが……。
とりあえず、バイトのシフトを確認する。今日はたしかに出勤日になっていた。
あと、考えないといけないことはなんだろう。
何かを忘れているような気がするが、思い出せない。
まだ、曖昧になっている部分が多い。
……とはいえ、ひとまず、これで。
事態はとりあえずの解決を見た、のだろうか。
383 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/04(火) 23:58:38.75 ID:1roLrHHvo
つづく
384 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/05(水) 00:28:14.25 ID:9UiWOMEU0
おつです
385 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/05(水) 01:49:57.16 ID:/Sad3Y1/0
おつん
386 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/05(水) 06:49:24.65 ID:6iju1ioU0
おつです
387 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2018/12/07(金) 01:34:26.45 ID:C1aORSPo0
おつです
388 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2018/12/07(金) 01:38:33.94 ID:C1aORSPo0
青葉復活ですね。
もうラストでしょうけど青葉との話をもっとみたいな
3分の2くらい出てきてなかったですもんね…
389 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/07(金) 09:20:46.98 ID:POi9W4RWO
これ、青葉とちどりの修羅場とか来ちゃうの?
見たくない、、、、
390 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/15(土) 10:57:12.78 ID:iwdLMpAxo
続き待ってますよー
391 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/16(日) 22:34:57.25 ID:tPFxe8n70
続き楽しみにしてます。
392 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 01:11:30.22 ID:nK2TqkE+o
◇
バイトに出るのはなんだか久しぶりだという気がしたが、実際にはそれほどでもないはずだ。
土日は基本的に暇だから、何事もなく仕事は終わる。
不意に先輩から、
「なんだか目つきが変わったね」
と、知ったようなことをいわれたけれど、それがどんな意味なのかは分からない。
バイトを終えた俺は、どうしようかと悩んだ挙げ句に『トレーン』へと向かった。
何か落ち着いていられない気分だったのだ。
向かう途中でそういえばと思い、携帯を取り出す。
どうしたものかな、と悩んだあげくに、大野、瀬尾、真中、ちせの連絡先を呼び出して、グループトークのルームを作る。
「瀬尾さん、挨拶なさい」と俺が送る。
「ただいまです!」と瀬尾からすぐに返事が来た。携帯をいじっていたんだろうか。
少しして、真中から、
「青葉先輩?」
と疑問符付きのメッセージ。
「青葉先輩です」と瀬尾は返信した。
「ごしんぱいおかけしましたが、いま、家におります」と追撃。
393 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 01:12:16.64 ID:nK2TqkE+o
黙っているかと思っていた大野が市川をルームに追加し、
「いつ帰ってきたんだ?」と送る。
「今朝です」と瀬尾は言った。
「連絡が遅い」
「たいへんなごめいわくをばおかけしました」
と、今度はちせがましろ先輩をルームに追加した。
「ぶじでよかったです。おかえりなさい」
ちせの文章は思ったよりなんだかそっけなかった。
とりあえずこれで全員に連絡の義理は果たしただろう。
あとでとやかく言われる心配もあるまい。
まあ、もっとも、みんなそんなことまで気にしないとは思うのだが。
と、真中から、
「せんぱいはなんで知ってるの」とメッセージが飛んでくる。
今気にするのがそこなのか、と思いつつ画面を開くと、どうやらグループルームではなく個人メッセージらしい。
「諸般の事情」とだけ答えてから、俺は歩くのを再開した。
「そうですか」と真中の返事はちょっと怖かった。
394 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 01:12:43.96 ID:nK2TqkE+o
『トレーン』についた俺を迎えたのは、当然といえば当然だが、ちどりだった。
彼女は俺を見た瞬間、「うっ」という顔をした。
「……どうした?」
「あ、いえ。いらっしゃい、隼ちゃん」
ごまかすみたいに、ちどりは笑う。その表情が何かを隠しているんだと流石に気付く。
不自然に思ったけれど、ちどりは何気なく言葉を続けた。
「ちょうどよかったです。奥にいますよ」
「……誰が?」
「怜ちゃんです」
案内されて奥のテーブル席に近づくと、たしかにそこに怜がいた。
「やあ」
「やあ。……来てたのか」
「会っただろう、昨日」
「……そうだったか?」
「……ん。まあ、それについても話そうか」
そう言って、怜は向かいの席を示した。俺は頷いて椅子に座る。
ちどりは俺が何かを言う前に、奥にいるマスターに注文を伝えた。ブレンド、と。
395 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 01:13:29.77 ID:nK2TqkE+o
ちどりは何かを言いたげに俺を見たあと、そそくさと厨房の方へと向かっていった。
「……ちどりになにかしたの?」
怜はそう訊ねてきたけれど、俺は首をかしげるしかない。
隠しても仕方ない。
「ちょっと記憶があやふやになってる」
「ふうん。なにかあった?」
「……それをおまえにも確認したいんだ。昨日、会ったっていったな」
「ん。……覚えてない?」
「わからない。そんな気もする」
「そっか。会ったよ、昨日。でも、そのまえにひとついいかな」
「……ん」
「きみは、三枝隼だよね?」
「……」
「きみは、ぼくが知っている三枝隼だよね?」
どうだろうな、と俺は思う。けれど、
「たぶんな」と、そう返事をした。
「そっか。ならいい」
怜は本当に、それならいい、という顔だった。
396 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 01:14:09.24 ID:nK2TqkE+o
「……いいのか?」
「よくないほうがいい?」
「どうだろうな。ちょっとくらい、検討してほしくはある」
「ふうん……。でも、確かめようがないしね」
怜はそう言って、コーヒーに口をつけた。
「怜、なにしにこっちにまた来たんだ?」
「……おとといの夜、ちどりから連絡があったんだよ」
「なんて」
「説明が面倒だな」と怜は少し眉を寄せた。
「ええとね、おとといの夜、この店に、隼の学校の人たちがきたんだって」
「……学校の人たち?」
「そう。……ま、そこでいろいろ話したんだ。それでちょっと気になって、噴水に行った。
そうしたら隼がいて、ぼくは話しかけた。すると……ちょっと様子が変だった、気がするね」
「……俺の様子が?」
「覚えてない?」
「……ああ」
「……そっか。まあ、いいや」
ふむ、と怜は頬杖をついた。
397 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 01:15:23.31 ID:nK2TqkE+o
「……珍しいな」と、俺は思わず言っていた。
「なにが?」
「怜がそんなふうに、受け流すなんて」
彼女は少しだけ目を丸くした。
「そう?」
「なんでもかんでも、理由を突き詰めないと我慢ならないやつだってイメージだった」
「ぼくだって、少しくらいは大人になったよ」と怜は言う。
「割り切れることばかりじゃない」
「……怜、実はさ」
「ん」
「瀬尾、見つかった」
「……見つかった?」
「ああ。今日、帰ってきた、らしい」
「らしいっていうのは?」
「まだこの目で見たわけじゃない。でも、たぶん、電話をかければ出ると思う」
「……ふむ」
しばらく黙り込んだあと、怜は困ったみたいに溜め息をつき、
「結局取り越し苦労だったかな」
と笑った。そうなのかもしれない。
398 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 01:15:57.37 ID:nK2TqkE+o
「……まだ、心配事がありそうな顔だね」
怜は俺の方を見る。
本当にこいつにはなんでも分かってしまうのか。
それとも、俺がわかりやすいだけなのか。
「そのうち話すよ」と俺は言った。
「そのうち、話せるようになったら」
でも、そうだな。
「……でも、少し前までと比べたら、いくらかすっきりしてる」
「……ふうん?」
音が、景色が、消えたからだろうか。
それを寂しいと思うのは、どうしてなんだろう。
399 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 01:16:34.72 ID:nK2TqkE+o
「まあ、それはいいや。それとはべつに、やっぱり気になるんだけど」
「なにが」
怜は、厨房の方をちらりと見てから、俺の方へと顔を近付けた。
「ちどり。……おとといから、絶対様子が変だと思うんだけど」
「……ふむ。というと?」
「気付かない?」
「いや、なんだかおかしいとは思ったけど……何かあったのか?」
「それがね」
と怜が小声になったので、俺は彼女のほうへ耳をよせた。
怜はささやき声で話を続ける。
「隼の名前を出すたんびに動揺してる気がするんだ。なにかしたんじゃないのか?」
「……んん」
なにか、と言われても。
「やっぱり思い出せないな」
「でも、絶対、隼の名前だけなんだ。それ以外は普段どおり。
もともとちどりは、感情を隠すのがうまいけど」
「……そうか?」
「隼は鈍いな。そこがいいとこだけど」
400 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 01:17:02.40 ID:nK2TqkE+o
と、そんなことを言われると同時に、ちどりが厨房のむこうから顔を出した。
そして、あからさまにむっとした顔になる。
そんな顔は珍しいと思った。
とたとたと歩いてくると、テーブルの上にコーヒーのカップを置いた。
「隼ちゃん、ブレンドです」
「ん」
椅子に座り直し、コーヒーに口をつける前に、ちどりの顔をじっと見る。
彼女は俺の方を見ようとしない。
「……」
「……な、なんですか?」
「……あ、いや」
普段のちどりなら、ここまで視線を合わせないということも、ないような気がする。
なんとなくその表情が物珍しくて、視線が外せない。
と、ちどりは落ち着かなさそうにもぞもぞと体を揺らした。
それからぐっと、決意を固めたように、彼女は俺の目をじっと見返してきた。
401 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 01:17:42.87 ID:nK2TqkE+o
「……あの、隼ちゃん」
「……なに」
「ちょっとお聞きしたいことがあります」
「……え、なに」
「ちょっとこちらへ」
と言って、ちどりは俺の服の袖を掴んだ。
怜を見ると、「いってらっしゃい」と彼女は動じていない。
何事かと思いつつ引っ張られるままついていくと、ちどりは店の裏の路地に俺を連れて行った。
「……あの。こないだのことなんですけど」
「……こないだって?」
「こないだ! ここで……したこと、なんですけど」
「……え?」
した?
何を?
ちどりは俺と視線を合わせようとしない。
まったく記憶にはないが、ただごとではないような態度だ。
402 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 01:18:19.50 ID:nK2TqkE+o
「わたしもあのときは、頭に血が昇ってたというか、そういう状態でしたけど……あの。気になることがあって」
「……は、はい」
「隼ちゃん、まさか、あの……ああいうこと、他の子とも……」
「……ああいうこと、って」
「だから、その……」
「……」
「な……舐めたりとか……」
「な……?」
舐めたり。
「や、なんだそれ」
「だから! 具体的内容はともかく! ……ああいうの、よくないと思います」
「いや、全然、全然! 心当たりがないんだけど!」
「……」
じとっとした視線を向けられて、おもわずうろたえる。
なんだか不確かな記憶を忘れたままでいたい気持ちになってきた。
ふう、とちどりは溜め息をついた。
403 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 01:19:14.28 ID:nK2TqkE+o
「隼ちゃん、このあいだは様子が変だったから。だから、仕方ないのかなって」
「……」
本格的に不安になってきた。
「でも、こないだみたいなこと、他の子にしちゃだめなんですからね」
「いや……あの……」
何をしたんだ、俺は。
「わたしだったからよかったものの、他の子に同じようなことしたら、大変ですよ」
いたずらをした子供を叱るような口調だった。
「……ただ、ちょっと、気分がおかしかっただけですよね?」
すがるみたいな声で、心配そうに、ちどりはそう訊ねてくる。
俺は、どう答えればいいかわからなくて、
「……うん、たぶん」
と、そうやり過ごすことにした。
ちどりはそのとき、ほっとしたような、どこかがっかりしたような溜め息をついて、
「それならいいんです」と言う。
「……わたしも、忘れることにします。隼ちゃんも、忘れてください」
「あ、ああ……」
……俺は何をしたんですか。
と、まさか訊ねるわけにもいかなかった。
404 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 01:20:29.90 ID:nK2TqkE+o
つづく
405 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/19(水) 01:26:40.22 ID:uqMk/AGtO
待ってました!乙です。
ちどりは切ないけど柚子ちゃんなんとかしてあげてね隼くん
406 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/19(水) 01:28:27.27 ID:tzykPKM70
おつです
407 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/19(水) 07:04:30.95 ID:P7cplC/kO
来たぁ!
乙です。
408 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/19(水) 17:52:21.60 ID:6HVV/3rKo
ちどりかわいい
409 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 23:32:57.12 ID:nK2TqkE+o
店内に戻ってテーブルにつき、ブレンドを口に含む。
怜はなんだかけだるげな様子で俺のことを見た。
「どうした?」
「いや、なんだか不思議な感じがしてね」
「不思議?」
「ん。そういえば、隼、ぼくに隠していたことがあるだろう」
「何の話?」
「瀬尾さんのこと。ほら、ちどりにそっくりだって」
「ああ……」
俺は少しだけ考えて、頷いた。
「詳しい話を聞いてなかった。おととい、ここに誰が来たって?」
「大野くんと、市川さん。それから、ましろ先輩って人」
「……不思議な並びだな」
真中は来なかったのか、と俺は思った。
「隼の様子が変だっていうのと、瀬尾さんがいなくなったっていうので、話し合いをしてたんだって」
「話し合い」
「それで、スワンプマンの話が出たんだそうだ」
「……それ、ちどりも聞いたのか?」
怜は首を横に振った。
410 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 23:33:43.49 ID:nK2TqkE+o
「ぼくが聞いた」
「そもそも、怜はなんでこっちに来てた?」
「違うよ。ちどりから連絡があったんだ。隼の様子がおかしいっていうので、何か知ってる人に心当たりはないかって聞かれたらしい。
それでぼくに連絡が来て、まあ、ぼくの方も暇だったからこっちに来た。そうしたらそういう話になったってわけだ」
「……なるほどな」
……スワンプマン。
たしかに、ましろ先輩に電話でその単語を出した記憶はある。
それでも、なんというか、不思議な気がする。
それで、ちどりと瀬尾のことにまで辿り着いたんだろうか? 経過が見えないから魔法みたいな気分にもなる。
「……怜は、どう思う?」
「なにが?」
「スワンプマンのことだよ」
「ぼくは……そうだな」
彼女はちらりと、カウンターのむこうから疑わしそうな視線をこちらにむけているちどりに視線をやる。
「ぼくにはよくわからない、というのが本音かもしれないね」
「……」
「そういうことがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。本当なのかもしれないし、嘘なのかもしれない。
でも、ぼくが思うことっていうのはそんなに多くなくて、結局問題なのは……そうだな。
たとえば、隼やちどりがなにかに悩んでいたとして、ぼくがそれに気付けなかったとしたら、それはぼくにとっては悲しいことだよな、ってことくらい」
「……」
「ぼくはきみたちを友達だと思っているからね」
411 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 23:34:33.15 ID:nK2TqkE+o
「友達、ね」
「不満?」
「いや……」
どう言ったものかな、と悩む。
不思議なものだ。
あんなにもざわついていた葉擦れの音が聞こえないというだけで、気持ちまですっきりしたような気がする。
「なあ怜、俺はおまえに嫉妬してたんだよ」
怜は、唖然とした顔をする。
「……嫉妬? ぼくに? 隼が?」
それから笑った。
「なんで隼がぼくに嫉妬なんてするの?」
「なんでもできたから」
「……」
「なんでも俺より上手くできた。それが羨ましかったんだ」
「……そうかな」
どこか寂しそうに、怜は笑う。俺はそんな彼女の表情を、新鮮な気持ちで眺めている。
「ぼくは隼が羨ましかったよ」
「……俺を?」
「隼の周りにはいつも人がいたから。それに……ちどりだって」
「ちどり?」
「うん。ぼくらは、よく三人で遊んだけど、ちどりと隼の間には、ぼくが立ち入れない壁みたいなものがあった気がするよ」
「……それは逆じゃないか? 俺は、怜とちどりをそんなふうに思ってた」
「……ふむ?」
「ふたりといると、自分が混ぜてもらってるみたいな気分になったよ」
412 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 23:35:09.03 ID:nK2TqkE+o
怜は何か思いついたような顔をして、ちどりに声をかけた。
ちどりはとたとたと歩み寄ってきて、「なんですか?」と訊ねてくる。
「ね、ちどり。ぼくと隼とちどりのなかで、いちばん仲の良い二人組って、どの組み合わせだと思う?」
ちどりは柔らかく首をかしげて、本当に不思議そうな顔をした。
「隼ちゃんと怜ちゃんじゃないんですか?」
「……ふむ」と怜が言う。
「なるほど」と俺も思った。
「違うんですか?」
「逆に、どうしてそう思う?」
「だって、わたしにはわからない難しい話とかしてましたし、ふたりでいろいろ調べ物したりしてましたし。
こないだだって、コンビニにアイスを買いに行って、しばらく戻ってきませんでしたし」
「……」
「なるほどね」と怜は言う。
なるほどな、と俺ももう一度思った。
「ええと、それで、この質問には何の意味が?」
「いや」と怜が言った。
「やっぱりぼくらはずいぶんと仲がいいみたいだね」
そう言って、怜は俺を見て困り顔で笑った。
俺も思わず笑ってしまった。
413 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 23:35:40.87 ID:nK2TqkE+o
◇
翌日の午前中、俺はひとり街へと出かけた。
本屋にむかい、確かめるように適当な本を手にとってみる。そしてページをめくってみる。
そうしないといけなかった。
手にとったのは『伝奇集』だった。
『長大な作品を物するのは、数分間で語りつくせる着想を五百ページにわたって展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。
よりましな方法は、それらの書物がすでに存在すると見せかけて、要約や注釈を差しだすことだ。』
『八岐の園』のプロローグに、ボルヘスはそう書いている。
内容は問題ではない。
“読める”のだ。
頭に入ってくる。
これは一時的な状態なのかもしれない。
けれど今は……読める。
なるほどな、と俺は思う。
414 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 23:36:09.47 ID:nK2TqkE+o
◇
本屋で吉野弘の詩集を買い、近くの公園へとわけもなく歩いた。
それはとてもいい天気だった。もう、梅雨は終わってしまったのだろうか。
梅雨が終われば夏が来る。
目が潰れるくらいに眩しい季節が来る。
公園の入り口の自動販売機でお茶を買って、歩きながら飲んだ。
それから広場の、木陰のベンチに腰をおろし、そこで本を開く。
空からは木漏れ日が降ってくる。
もう悲鳴のようなあのざわめきは聞こえない。
ここにはもう“ここ”しかない。
俺はぺらぺらとページをめくる。
順番にではなく、ひっかかりを求めるみたいに、ぱらぱらと。
415 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 23:36:36.92 ID:nK2TqkE+o
◇
「海は 空に溶け入りたいという望みを
水平線で かろうじて自制していた。
神への思慕を打ち切った恥多い人の
心の水位もこれに似ている。
なにげなく見れば、
空と海とは連続した一枚の青い紙で、
水平線は紙の折り目にすぎないのだが。」
416 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 23:37:09.13 ID:nK2TqkE+o
◇
詩は、よくわからない。
正しい読み方がわからない。でも好きだった。
なんとなく読むのが。
印象派の絵を眺めるような、そんな漠然とした居心地のよさが。
たとえばモネの描く緑や水面が、
ピサロの描く雪景色が、
ルノワールの描く女性が、
むずかしいことなんてなにひとつわからないのに、そのなかに行ってみたいと思うくらいに。
本当に、わからないのに。
それでいいんだろうか
それでいいのかもしれない。
それさえも間違いかもしれないけれど……。
417 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 23:37:35.90 ID:nK2TqkE+o
◇
ふと読んでいた本に影が落ち、顔をあげるとそこに彼女が立っていた。
「……やあ」と俺は言う。
「うん」と彼女は言う。
「買い物?」と俺は聞く。
「さんぽ」と彼女は答えた。
「となり、いいですか?」
「へんな敬語」
「へんなひとに言われたくない」
そう言って、彼女はなにかをこらえるみたいな顔をした。
「座れよ」と俺は言った。
「少し話がしたかったところなんだ」
「……」
真中は、春までのような、感情の読めない起伏の少ない表情のまま頷いた。
418 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/12/19(水) 23:38:18.74 ID:nK2TqkE+o
つづく
419 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/20(木) 00:27:03.39 ID:P2iiLMiE0
おつです
420 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/20(木) 00:46:40.57 ID:v729SFtZ0
おつです
隼とちどりと怜の関係いいなあ
421 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/20(木) 07:28:45.00 ID:Ijo+PVWD0
おつです
422 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/28(金) 02:12:53.27 ID:oWshdQT+O
今年はもう打ち止めかなぁ、年末だし仕方ないか
待ってます
423 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/02(水) 01:49:41.77 ID:1oDoDyiEo
「……話したかったの?」と真中は言った。
ベンチに隣り合って座っているのに、これまででいちばん、彼女との間に距離があるように感じる。
どうしてだろう。それもよくわからない。
「ああ」と俺は頷いた。
「せんぱいがわたしと?」
「そう」
真中は、自然とこぼれたというような柔らかな笑みを浮かべた。
「そっか」
俺たちが座っているベンチに木漏れ日がさしている。
子どものはしゃぐ声が聞こえる。そんな風景の一部に、俺達はなっている。
木の葉が風にゆすられて、爽やかな葉音を立てた。
木漏れ日が形を変える。
「……少し、考えてたの」と真中は言った。
「なにを?」
「これまでのこと」
424 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/02(水) 01:50:12.70 ID:1oDoDyiEo
彼女は視線を上の方へとさまよわせた。何かを見ようとしたというよりは、ただなんとなくそうしてしまったみたいに。
その姿が不思議と頼りなく、消え入りそうに見える。
「ね、せんぱい」
と、彼女は不意に、俺の方を向いて、口を開く。
「あのね、ましろ先輩に会ったよ」
「……うん」
「知ってた?」
「いや……」
どこか不自然なやりとりだと思う。
どうしてなのかはわからないけれど、自分が真中の前で今までどんなふうに振る舞っていたのか、わからなくなってしまった。
「綺麗な人だった」
「……そうか」
「せんぱいだって、そうわかってるくせに」
「……」
べつに、そんなこと、あえて考えちゃいない。
今までずっとそうだった。
「周りに美人が多いから、麻痺しちゃってるの?」
「自分のこと美人とか言うか?」
「……わたしじゃなくて。幼馴染の人とか」
「あ、ああ。そっちか」
「……あの。せんぱい、わたしのこと美人だと思ってるの?」
「……」
返事はしないでおくことにした。
425 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/02(水) 01:51:11.05 ID:1oDoDyiEo
毒気を抜かれたみたいな複雑そうな顔で、真中は自分の喉のあたりを指先で撫でた。
「……ま、いいや」
そう言って、彼女はもう一度俺と目を合わせた。
「それでね、考えてたの」
「……なにを」
さっきから、表面をなぞるみたいにそう言うけれど、内容についてはいつまでも踏み込もうとしない。
よほど言いにくいことなのか、それとも自分でもうまく言葉にできないのか。
やがて、覚悟を決めたみたいに息をすっと吸い込んだ。
それは本当にさりげなくて、きっと他の人には、そんな変化だってわからないのかもしれない。
ひょっとしたら、でもそんなふうに見えただけなのかもしれない。
いくら長い時間一緒に過ごしたからと言って、そうやって何かを感じ取れるほど、俺は真中のことを知っているだろうか。
「わたし、せんぱいにつきまとうの、もう、やめようと思うんだ」
そして、やっぱり俺は、真中のことなんて、なんにも分かっちゃいなかった。
426 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/02(水) 01:51:36.78 ID:1oDoDyiEo
「……つきまとう、って」
「うん。……ほら、せんぱいが言ってたとおり、あの嘘は、もう意味がないものだし」
そうだ。俺は言った。散々、何度も言ってきた。
付き合ってるふりなんてもう必要ない。
「でも、もうあれは……」
「そうだね。あれはもう、関係ないけど、でも、なんだかね、わかっちゃったんだ」
「なにが」
「なにが、とか、なにを、とか、そればっかり」
「主語がなかったら、わからない」
「……ん、それもそう」
そう言ってるのに、真中の言葉は途切れ途切れで要領を得ない。
ただ落ち着かない気持ちだけが高ぶっていく。
427 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/02(水) 01:52:02.69 ID:1oDoDyiEo
「……でも、だって、せんぱいは、わたしを好きにならないわけだし」
「……」
「勘違いしないでね、気を引きたいわけじゃなくて。うん、なんていったらいいか、わかんないんだけど……」
言葉を探るみたいに、口を動かす真中。
でもそれは、今何かを考えているというより、自分のなかで決まっている言葉を、言語化しようともがいているみたいだった。
それさえも、そう見えるだけかもしれない。
「考えちゃったんだ。わたしはせんぱいのことを好きだと思うし、好きだって何回も言ってたけど、本当にそうなのかな」
「……」
「せんぱいだって、そう思ってたんじゃない?」
否定は、できない。俺は、ずっとそう疑っていた。
「考えてみたら、不思議だよね。せんぱい、わたしたちの関係がはじまったとき、わたしがなんて言ったか、覚えてる?」
「……ああ」
「せんぱいは、わたしのことを好きにならない。"だから"、わたしは先輩に、付き合ってるふりをしてほしいって頼んだんだよね」
「……」
あのとき真中は、自分が周囲から向けられる好意の渦に苦しめられていた。
だからこそ、"自分を好きにならない相手"の存在が心地よかった。
そして実際、俺は決して真中を好きにならなかった。少なくとも、好きになろうとしなかった。
428 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/02(水) 01:52:30.96 ID:1oDoDyiEo
「考えてみたら、わたしはせんぱいのことを好きだったのかな?」
「……」
「ずっと考えてたの。わたしは、せんぱいのことを好きになれるほど、せんぱいのことを知ってたのかな、って」
「……なんだよそれ」
「……うん。わかりにくいかも」
そう言って真中は顔を俯ける。真中が何かを考えているのか、それとも考えていないのかすら、今はわからない。
「せんぱいがわたしを好きにならないからこそ、わたしはせんぱいと一緒にいられた。
せんぱいは、わたしがせんぱいに何も求めないからこそ、一緒にいてくれた。結局、わたしたちの関係って、そういうものだよね」
「……」
「だからわたしはせんぱいに深く踏み込まなかったし、せんぱいもわたしに踏み入らなかった。
そういう関係で好きとか、好きじゃないとか、なんだか嘘くさいなって思ったら、もしかしてって思うことがあったの」
「……なんだよ、それは」
「つまりね」と真中はことさらなんでもないような調子で言う。
「わたしは、単に、"近くにいるのにわたしを好きにならない相手"というのが新鮮だっただけなんじゃないかって」
そうだ。俺もそう思っていた。
そう思っていたのに、胸の内側がやけに重たくなるのはどうしてだ?
「つまりわたしは……せんぱいのことなんて、ちっとも見てなくて、単に、自分のことを考えてただけなんじゃないか、って」
そういう彼女の表情でさえ、今の俺にはよくわからない。
何の表情もないように見えてしまう。
429 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/02(水) 01:54:15.78 ID:1oDoDyiEo
「だからね、せんぱい、終わりにしようよ」と真中は言う。
「嘘も、演技も、偽りも、もう全部おしまいにして、本当の場所に帰ろう。
だってもう、せんぱいは……ひとりじゃない。わたしも、今はもう、たぶん、平気だと思うから。
そもそもが嘘から始まったことなんだから、あれは嘘だったんだって、そういうことにしよう?」
「……真中」
「青葉先輩は帰ってきたんでしょう? だったらもう、ちょうどいいタイミングだと思うの」
「どうして、瀬尾がそこで出てくるんだよ」
「だって、せんぱいは、青葉先輩のことが好きでしょう?」
思わず、言葉を失った。
「わたしには、そう見えたけど」
「……」
ぐつぐつと、煮えたぎるように感情が胸の内側で熱を持つ。
それなのに、今はそれがうまく言葉になってくれない。
これはなんだろう。
唇が何かを言おうとして震えるのに、吐き出す息は音にさえならない。
これは、歯痒さか、それとも、悔しさか?
430 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/02(水) 01:57:43.18 ID:1oDoDyiEo
「瀬尾のことは、いい。関係ない」
「……」
「ひとつ、聞かせろ。真中は、それでいいのか」
彼女は、なんでもないことのように、不思議そうに首を傾げた。
「だって、わたしが言い出してるんだよ?」
「……そうか」
「だから、普通の、ただの先輩後輩になろうよ。中学が一緒で、部活が一緒で、顔見知りで……ほんの少しあれこれあった、それだけの関係」
「……なんだよ、それ」
「だめかな?」
そんなふうに、当たり前みたいに笑われて、なんでもないみたいに言われて、いったい俺に、どんな返事ができるというんだろう。
どうしてだとか、そんなことを言える筋合いですらない。
いったい、具体的に何が変わるのかさえ、わからない。
それなのになにか、自分はやっぱりどこかで間違えたんだと、
あるいは、間違い続けていたんだと、そう言われたような気がした。
431 :
◆1t9LRTPWKRYF
[saga]:2019/01/02(水) 01:59:06.02 ID:1oDoDyiEo
つづく
432 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/01/02(水) 02:37:52.14 ID:JAEubWDdo
おつおつ
433 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/01/02(水) 22:35:06.21 ID:SXaIGIZZ0
おつです
434 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/03(木) 23:49:43.06 ID:JsmTQrnOo
◇
「ごしんぱいおかけしました」
と瀬尾が言った。
翌週の月曜、文芸部の部室には部員全員と、ちせがいた。
「まったくだ」と大野がいい、「本当に帰ってきたんだね」と市川が言う。
そんなやりとりを聞きながら、俺はぼんやりとあの絵を眺める。
空と海とグランドピアノは、変わらずにそこにある。
みんな、もうそれに注意を払っていない。
俺は諦めて、視線を絵から外す。
ふと、真中と目が合ったのに、すぐに逸らされてしまう。
いや、俺が逸らしたのが先だったかもしれない。
少し考えてから、どちらでもいいか、と思った。
俺はひとり立ち上がり、荷物を持った。
「三枝くん、帰るの?」
「……あ、ああ」
瀬尾に呼び止められて、思わず戸惑った。
どうしてだろう。べつに変なところなんてないのに。
呼び方のせいだろうか。
435 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/03(木) 23:50:15.18 ID:JsmTQrnOo
「バイト?」
「そう」
「そっか。あ、そうだ。わたしもバイト先に顔出さないと……」
そう言って、彼女もまた立ち上がった。
慌てて大野が口を挟む。
「もう行くのか。詳しい話、全然聞いてないんだけど」
「んー。ごめん、また今度ね」
「……ま、いいよ。とりあえず、ほんとに無事みたいだし」
それから大野は、ちらりと俺の方を見た。
「……なに?」
「いや……慌ただしいと思ってな」
「そうかな」
「ああ」
それ以上大野は何も言わなかった。
「じゃあ、悪いんだけど、今日のところはまた明日ね」
瀬尾のそんな言葉を横に聞きながら、俺も部室をあとにした。
436 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/03(木) 23:50:49.40 ID:JsmTQrnOo
◇
「なんか、変だね」
部室を出て少し歩いたところで、瀬尾にそう声をかけられた。
「なにが?」
「三枝くん。なにかあった?」
「……どうかな」
「それに、みんなちょっと変」
「いろいろあったんだよ」
「ふうん?」
「原因のひとつがピンとこない顔をするな」
そう言って頭を軽く叩いてやると、「いたっ」と瀬尾は声をあげた。
「女の子をたたくな」
「うるさい」
「……やっぱり変だよ、三枝くん」
三枝くんと、そう呼ばれるのはやっぱり落ち着かない。
「なにがあったの?」
「……さあ。よくわからん」
「なにかはあったんだね」
「それをうまく説明できたらと思うんだが……」
残念ながら、俺の頭はそんなによろしくない。
437 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/03(木) 23:51:17.38 ID:JsmTQrnOo
「ま、そういう人じゃないと文芸部になんて入らないか」
「……そうか?」
「言葉はいつも思考に遅れをとってるから」と瀬尾は言う。
「ある意味、そのときどきにいつでもふさわしい言葉を使えるような人って、文章を書くのには向かないんだよ」
「なんで?」
「文章の萌芽は、『言いたかったのにうまく言えなかった言葉』なんだって」
「ふうん。誰が言ってたの?」
「『薄明』に書いてあった」
「へえ」
「平成四年夏季号、編集後記だったかな」
「よく覚えてるな」
「好きだったんだ、わたし」
そんな話を、俺は瀬尾と初めてしたような気さえした。
438 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/03(木) 23:51:45.47 ID:JsmTQrnOo
「瀬尾はさ」
「ん?」
「なんで文芸部に入ったの?」
「……そんなに意外?」
言うか言わないか迷って、結局、俺は言った。
「ちどりは入らなかった」
瀬尾はほんのすこしだけ息を呑んだ。そんな気がした。
「なんとなくね」
「なんとなく?」
「そう。三枝くんは?」
「……俺は」
「うん」
「べつにいいだろ、俺の話は」
「ま、いいんだけどね」
本当にどっちでもよさそうに、瀬尾は階段を降り始める。
439 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/03(木) 23:52:24.28 ID:JsmTQrnOo
「でも、ほんとに何があったの?」
「……」
「バイトって、嘘でしょ」
「嘘じゃない」
「それが嘘。言ったでしょ。わたしに嘘が通用すると思わないことですよ」
「……かなわないな」
「ん。観念して白状なさい」
やけにニコニコ笑ってる。何がそんなに楽しいんだろう。
よかった、とも思う。
でも、なんなんだろう。
この感覚はなんなんだろう。
「……ね、なんかあったんでしょ。ゆずちゃんと」
「なんで真中なんだよ」
「ふたりとも様子が変だから」
俺はひとつ息をついて、返事をした。
「たしかに、ないことはないが」
「わたしに言うことじゃない、って?」
俺は無言でうなずいた。
440 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/03(木) 23:52:53.36 ID:JsmTQrnOo
「なにそれ。寂しい」
「……勝手に寂しがってろ」
「ええー。三枝くん、なんか変だよ」
「変じゃないよ」
「……前と、ぜんぜん違う」
「前って?」
「いつだろ。……部員集めする前とか」
「……」
「……ごめん、なんか、イライラさせてる?」
「違うよ。ちょっと考えてるだけ」
踊り場の窓から中庭の様子が見えた。
思わず、立ち止まって、それを眺めてしまう。
俺は何をやってるんだろう。
俺は何を考えているんだろう。
いや、分かってる。
こういうことなんだ。
考えないようにしていたこと、頭の中で、言葉というかたちを取る前に押し留めていたもの、それが、噴き出すみたいに線を結ぶ。
"あらゆるものが、弾性を持っている"のだ。
441 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/03(木) 23:53:23.65 ID:JsmTQrnOo
「三枝くん……?」
「ああ、うん」
返事をしながら、俺は、自分の視界が二重にブレてなんていないことをたしかめる。
耳をすませて、葉擦れの音なんて聞こえないことをたしかめる。
どうしてだ?
瀬尾は帰ってきた。景色はもう二重なんかじゃない。もうひとりの俺は弔われた。
初夏の風が窓のむこうで緑を揺すっている。
あんなにも、純佳にも教えられたのに。
それなのに、いま、どうして俺は……。
「三枝くん!」
と、手をつかまれて、ハッとする。
「どしたのさ、いったい」
「……」
「ほんとに、どうしたの?」
「……なあ、瀬尾」
「ん」
「俺、しばらく、部室にいかなくてもいいかな」
「え……? どうして?」
「どうしてってこともないけど……」
「……やっぱ、ゆずちゃんと、なにかあった?」
442 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/03(木) 23:53:51.12 ID:JsmTQrnOo
「……振られたんだよ」と俺は言う。
「それだけ」
「それだけ、って……ほんとに?」
「ああ」
「そ、か。えと……」
「……」
「え、ほんとに……?」
「ほんとだよ」
「そんなばかな」
「なんでおまえが驚くんだよ」
「いや、だって、え、ほんとに?」
「ほんと」
目が、おかしいのだろうか。
前よりちゃんと、視界ははっきりしているはずなのに、夢の中にいるみたいにふわふわしている。
よくわからない。
443 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/03(木) 23:54:22.58 ID:JsmTQrnOo
どうして俺はここに立っているんだ?
ここ数日の記憶が判然としない。
俺は本当に目覚めているのか?
実は俺は目をさましてなんかいなくて、これはただの長い夢じゃないのか、
本当は俺はいまも、あの森をさまよっているんじゃなかったのか。
あの森を、さまよっているだけの、はずだったんじゃないのか。
けれど、その感傷は、
──人は暗闇に何かを期待するものなんだよ。
──暗闇にこそ何か欠けている真実があると信じたい。
きっと、単なる現実逃避なのだ。
俺はそう思いたいだけだ。
本当は俺は、あの森を出たくなんてなかったのだ。
あの音が聞こえてさえいれば、俺は、自分の問題をすべてあの森のせいにできていたのに。
444 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/03(木) 23:54:49.85 ID:JsmTQrnOo
「どうして、部活に出ないなんていうの?」
「……」
「それも、ゆずちゃんのせい?」
そうだ、と答えそうになった自分を、かろうじてのところで、諌める。
そうじゃない。
そういうことではない。
いま、ここで真中のせいにすることは、
すべてを森のせいにしていたことと、なにも変わらない。
「違う」
「じゃあ、なんで?」
「なんででもいいだろ。個人的な理由だ」
瀬尾は、むっとした顔になる。
「わたしが個人的にいなくなったときは、追いかけてきたくせに!」
「……」
返す言葉もない。
「わたし、ゆずちゃんと話してみる」
「なにを」
「三枝くんのこと、ゆずちゃんが振るなんて信じられない」
「あのな、瀬尾」
「そんなのおかしい」
445 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/03(木) 23:55:19.41 ID:JsmTQrnOo
「瀬尾、あのさ」
「……なに」
「それって、余計な介入なんじゃないか?」
「……え?」
「俺と真中の間に、縁みたいなものがあるとする。それがか細くて、今に切れてしまいそうなものだとする。
でも、それを繋ぎ止めるべきだとか、繋ぎ止めないべきだとか、おまえは判断する立場にあるのか?」
「……」
「それは、おまえの恣意で判断していいことなのか?」
「それは……」
瀬尾は押し黙る。
無理もない。
これは、瀬尾がいつか言っていたことだ。
「でも、わたしは……」
「悪いけど、俺も少し混乱してるみたいだ」
「……わたしは」
なおも何か言いたげに、瀬尾は俯いた。
べつに、こんな顔をさせたいわけじゃなかった。
本当は、いまは、真中のことばかり気にしているわけじゃない。
どうして俺は、こんなときでさえ、自分のことしか考えられないんだろう。
ただ、なんとなく、本当になんとなく、重なっていない風景は、葉擦れの音の聞こえない景色は、どうしてか、俺を失望させている。
そう思わないようにしていたけれど、考えないようにしていたけれど、そうなのだ。
ふと、純佳に会いたくなった。
446 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/03(木) 23:56:03.65 ID:JsmTQrnOo
つづく
447 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/01/04(金) 00:04:35.93 ID:+lyINA2l0
おつです
448 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/01/04(金) 00:05:39.70 ID:fZ62aTZVo
おつです
449 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/08(火) 00:41:18.33 ID:3ljhep99o
◇
瀬尾は先に帰ってしまって、ひとりになった。
バイトだと嘘を言って抜けてきたのに、すぐに学校を離れる気にはなれない。
自分が何かに操られているような気にさえなる。
あるいはずっとそうだったかもしれない。
何気なく中庭へと歩いていく。
そういえばここは、文芸部の部室の窓から見えるんだったっけ。
春、この中庭に、俺は真中を見つけたのだ。
東校舎を仰ぎ見る。ここからでは、どこかどの部室なのか、わからない。
真中はどうして俺を見つけられたんだろう。
こんなたくさんの窓の中から、どうして俺に手を振れたんだろう。
「なにしてるんですか」
と、不意に声をかけられて、振り向くとコマツナが立っていた。
「ぼんやりしてる」
「部活はサボりですか?」
「……そもそも、部誌作ってる期間以外は自由参加なんだよ」
「ふうん」
コマツナは興味なさげにゆらゆら揺れて、俺の方へと近付いてきた。
450 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/08(火) 00:41:48.21 ID:3ljhep99o
「なんでひとりなんですか?」
「べつに珍しくもないだろう」
「ふむ」
何か言いたげに、コマツナは俺の顔をじっと見てくる。俺は負けじと視線を返す。
「……そんなに見ないでください」
「おまえが先に見たんだ」
「失礼しました」
こほんとひとつ咳払いをすると、彼女は落ち着かなさそうに制服の襟のあたりに触れる。
「ひとつ聞きたかったんですけど、柚子と何かありましたか?」
「ん」
俺は少しだけ考えて、
「まあ」
と答えた。
「あったんですか」
「そうだね」
「ふうん。……先輩、こないだとなんか雰囲気違います?」
「気のせいだろう」
「ん、そう言われるとそうかもしれないですね」
物分りがいいのは美徳だろう。
451 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/08(火) 00:42:21.67 ID:3ljhep99o
「柚子、こないだ、クラスの男子に告白されてたんですよ」
「……ふむ?」
「反応薄くないですか?」
「まあ……」
俺がどうこう言う立場でもない。
真中は、普通にしていれば、普通にしているだけで、やたらとモテる。
そんなのは、俺だって知っていることだ。
ひょっとしたら、そいつと付き合うことになったから、俺との関係を清算したかったのかもしれない。
あるいは、他の誰かかもしれない。ない話ではない。
「どうも思わないんですか?」
「どうもって?」
「どうもって、って……」
呆れ顔をされて、少しだけ落ち着かなくなる。
俺はそんなに変なことを言ってるんだろうか。
「……先輩、もしかして、かなり落ち込んでます?」
「そう見えた?」
「いや、見える見えないで判断すると、よくわかんないです。そんなに話したことないし。でも、ちょっとそんな気がしただけです」
「勘がいいのはいいことだ」と俺が褒めると、コマツナはわざとらしく「てれてれ」と自分の頭をなでた。
こいつもこいつでこんな奴だったか?
452 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/08(火) 00:43:02.25 ID:3ljhep99o
「慰めてあげましょうか?」
「遠慮しとこう」
「じゃ、お説教してあげましょうか?」
「なんで急にそうなるんだ」
「いきますよ」
否応無しか。
「いいですか、先輩」
こほん、と、また咳払いをする。癖なんだろうか。
「先輩、柚子を泣かせたら許しませんよ」
「……」
まっすぐに、こちらを見ている。射るような眼差し。
俺はそれを、なんとなく、受ける。巻藁にでもなったような気持ちで。
「どうして、俺が真中を泣かせたりする?」
「知りません。柚子が勝手に泣いてるのかもしれません」
「泣いてたのか?」
「わかりません」
「……」
「勘です」
「勘じゃあ仕方ない」
「はぐらかさないでください」
「勘で言われて、はぐらかすもなにもないだろう」
「それは、そうですけど」
なおも納得がいかないみたいに、コマツナは歯がゆそうな表情をした。
453 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/08(火) 00:43:41.36 ID:3ljhep99o
「泣かせるなというなら、真中の彼氏にでもいえばいいだろう」
「彼氏? 柚子、彼氏いるんですか?」
「……告白されてたんじゃないの?」
「振ってましたよ」
「そうかい」
「ほっとしました?」
「どうかな」
むしろ心配なくらいだ。
「……先輩と柚子の関係、やっぱり変ですね」
「変っちゃ変かもしれないが」
「柚子、ぜんぜん教えてくれないから。先輩、柚子と、何があったんですか?」
「真中が言わないなら、俺が言うことでもないだろう」
「でも……」
でも、と、俺も同時に思った。
べつに、話したってかまわないだろう。真中から言い出したことなのだ。
そう思って、俺は先週末の出来事を、コマツナに話した。
454 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/08(火) 00:44:09.82 ID:3ljhep99o
話しながら俺は、あのベンチで読んだ詩集の一節を思い浮かべる。
『海は 空に溶け入りたいという望みを
水平線で かろうじて自制していた』
部室に飾られていたあの絵。
海と空とグランドピアノ。あんなにも、溶け合うように滲んでいる海と空は、けれど、水平線ではっきりと隔てられていた。
そのことを、今不意に思い出す。
あの絵が、どうして途方もない祈りのように思えたのか、今の俺にはわかる気がしたけれど、
それをうまく言葉にすることが、どうしてもできそうにない。
話を聞き終えてから、コマツナはよくわからない顔をした。
怒っているような、悲しんでいるような、哀れんでいるような、その全部のような顔だ。
「柚子が、言ったんですか」
「そういうことになる」
コマツナは、少しだけうつむいたあと、すぐに顔を上げた。
「先輩は、それでいいんですか」
「……俺の気持ちなんて、関係ないだろ?」
「どうしてですか」
「どうしてって……」
「先輩は、柚子と、どうなりたかったんですか?」
俺は、答えられなかった。
455 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/08(火) 00:45:34.59 ID:3ljhep99o
◇
答えに窮した俺を、コマツナは置き去りにした。
用事があるとかないとか言って。それが本当かどうかはわからない。信じても俺に害はない。
スマートフォンが不意に震えた。ましろ先輩からのメッセージだ。
内容はこうだった。
「きみはスワンプマン?」
どうだろうな、と俺は思う。
「わかりません」
「なるほど」とましろ先輩からの返信が来た。それで何がわかるというんだろう。
彼女はメッセージを続けた。
「とにかくみんな無事でよかったですね」
たしかにな、と俺は思う。
「そうですね」
「ところで、さくらは元気ですか?」
ふと、そこで俺の思考が止まった。
「……さくら」
今の今まで、まったく気にしていなかったけれど……最後にさくらを見たのは、いつだっただろう。
記憶が、判然としない。
俺は、あいつと、何かを約束していなかっただろうか。
どうしてそれを、今、思い出せないんだろう。
さくらは、どうして今、ここにいないんだ?
456 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/08(火) 00:47:00.06 ID:3ljhep99o
つづく
457 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/01/08(火) 02:48:14.96 ID:q+1o4bKfo
おつです
458 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/01/08(火) 07:30:24.12 ID:iSa7qqJN0
おつです
459 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/01/08(火) 23:33:25.34 ID:0y7S6zkZ0
おつです
460 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:41:15.86 ID:dHsWKpbxo
◇
学校を出て、俺は『トレーン』へと向かった。
家に帰る気にはなれなかった。何か、それがよくないことのように思えた。
下校途中、俺は何度も自分の視界を確認した。並木道やアスファルトが当たり前に見えることを確認した。
それはたしかにそれだけで、今までのすべてをかき消すくらいの重みをもって現実として存在している。
途中で、不意に、携帯が鳴った。大野からの電話だ。
「……どうした?」
「ああ」と大野はため息のような声を漏らした。
「真中の様子がおかしいようだけど」
「どうして俺に電話するんだよ」
「どうせおまえ絡みだろう」
「……どいつもこいつも」
「なにがあった?」
「振られたんだよ」
俺はいいかげん慣れてきた。
「振られた?」
「もともと偽装の関係だったから、もういいだろうって」
「……それで?」
「それでって、なんだよ」
「おまえはなんて答えたんだ?」
461 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:41:53.73 ID:dHsWKpbxo
「べつに、なにも」
「……おまえ、それで納得してるのか?」
「……さあ」
はぐらかしたわけではない。自分でもよくわからなかったのだ。
けれど、なんとなく、気付いていることもある。
大野は、ふと黙り込んだ。
「どうした?」
「実は先週まで、おまえを不審に思ってた」
「不審に?」
「スワンプマン。……真中や、市川や、ましろ先輩。みんなで、おまえの様子がおかしいって話をしてたんだ」
「ふむ」
「俺にはどうにもピンと来ないけど、みんなには心当たりがあるらしくてな」
「……白々しいな。おまえもちどりに会いに行ったんだろう」
「まあな。でも、結局俺は、そういうことを考えるのにはとことん向いてないらしい。確かめようもないしな」
「……」
「そのうえで、一個、言わせてもらう。勝手なことをな」
「なんだよ」
「おまえ、真中とどうなりたかったんだよ」
「……」
462 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:42:21.79 ID:dHsWKpbxo
「おまえはどうなりたかったんだよ。どうしたかったんだよ、真中を」
「なんだよ、急に。……俺が、真中がどうとか、言ったかよ」
「どうせ、無傷でもないだろ。見てりゃわかる。おまえは真中が好きだっただろう」
「……なんで、おまえがそんなことを言うんだよ」
「違うな」と大野は言った。
「おまえが言ったんだ。問題は、おまえがそのまま、真中とのわだかまりをそのままにしていたいのかどうかってことだろ」
「……」
ああ、そうだ。
これは──俺が、大野に言った言葉だ。
「おまえが、そこに苛立ちを覚えるなら、おまえがすることなんて決まってるだろ」
「……」
俺は、真中を、
どうしたいと、思っていたんだろう。
463 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:43:00.76 ID:dHsWKpbxo
深く関わり合ったら、傷を負いそうで、でも、突き放すこともできなくて。
好きにならない、好きになれない、好きになってはいない、そんなふうに考えて。
でもそれは、もしかしたら、
『俺が真中を好きになったら、真中は俺から興味を失うんじゃないか』と、
そんなふうに考えていたからじゃないんだろうか。
「泣いてたんだぜ」と大野は言った。
「……嘘だよ」と俺は言う。
「本当だ」
……大野が言うなら、本当なのかもしれない。
でも、真中は、そうは言っていなかった。
……本当に、そうだろうか。
「本当におまえは……嫌味なくらいに、いいやつだな」
負け惜しみみたいにそう言うと、大野が電話の向こうで不服げに溜息をついたのがわかった。
「少し待ってろ。全部片付けてくるから」
「……全部?」
「……まだ予言が半分なんだ」
それだけ言って、俺は電話を切った。
464 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:43:28.01 ID:dHsWKpbxo
◇
『トレーン』の看板も、外装も、扉も、ドアベルの音も、すべて、ちゃんと、見えているし、聞こえている。
店の中に入ると、マスターがひとりでカウンターの向こうに立ってグラスを拭いていた。
「やあ」とマスターは言う。
「こんにちは」と俺も返事をする。
「なんだか久々だね?」
「けっこう頻繁に来てますよ」と俺は言った。
「マスターが出てこないんじゃないですか」
「うん。そうかもしれない」
面と向かって話をするのは、ひょっとしたら久しぶりだったかもしれない。
465 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:44:17.77 ID:dHsWKpbxo
「コーヒーかい?」
「はい。ブレンドを……」
「かしこまりました」とマスターは笑う。
その笑顔がなんだか懐かしい。
……懐かしい?
そういうのとも、いま、少し違うような気がした。
既視感がある? ……いや、そんなもの、あって当たり前か。
……今は、そんなことはどうでもいいか。
思わずため息をつくと、カウンターのむこうでマスターがくすりと笑った。
「何か落ち込んでるようだね」
「ええ」
「ちどりがいないのがショック?」
「まさか」
というのも失礼な話だが、ちどりは関係がない。
「そう」
あっさりと笑って、マスターは体を翻した。
「ちどりは今日はいないよ。友達と勉強会だって」
「はあ……そうですか。珍しい」
466 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:44:50.52 ID:dHsWKpbxo
「うん。たしかに珍しい。そうだね」
そういって、マスターはしばらく引っ込んだ。俺はひとり、店の壁に貼られた絵を眺める。
二枚の絵。
タイトルはなんだったっけ?
わからなくなったときは、絵の内容を見ればわかる。そういう絵だったはずだ。
一枚は、霧に包まれる夜の街を、もう一枚は、靄の立ち込める早朝の湖畔を。
しばらく、ふたつの絵を交互に眺めていると、また不思議な感覚に襲われる。
絵のなかに広がる景色。それが現実のどこかというよりは、その絵の中に奥行きを持って存在しているように思える。
「はい、おまたせ」
しばらくして、マスターがコーヒーを差し出してくれる。
「絵を見てたの?」
「ええ、まあ……。この絵、マスターが描いたんですよね」
「うん。ずいぶん前だね」
「……『朝靄』と『夜霧』でしたっけ」
「そうだよ。よく覚えてるね」
「たしか、もう一枚あるんでしたよね」
「うん。そう」
「……誰も知らない三枚目」
「そう」
くすりと、マスターは笑う。
笑い方がすこしちどりに似ている。
467 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:45:20.20 ID:dHsWKpbxo
「どうして隠してるんですか?」
「隠してるわけじゃない。ここで見せる理由がないだけだよ」
「あの二枚には、見せる理由があるんですか?」
「そういえば、ないね」
ないんかい。
「まあ、思い出のようなものだよ」
「思い出ですか」
「飾りでもしておかないと、すぐに忘れてしまう」
「そういうものですか」
「そういうものだよ」
「つまりこれは……忘れないためなんですか?」
「そういうことになるね」
ふうん。
「……じゃあ、もう一枚は?」
「それも、忘れないためかな」
「……」
俺は、これを訊ねるべきではないのかもしれない。
468 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:45:50.82 ID:dHsWKpbxo
「霧と靄のむこうに、かすかに人影みたいなものが見えますね」
「ふむ。そう見えるかい?」
「意図は、わかりませんが、そう見えます」
曖昧に滲んだ景色のなかに、影が見える。
いるかいないかも不確かな人影。ひょっとしたらそれは気のせいかもしれない。
人影はいつも、何かに隠されて曖昧に濁されている。滲んで、見えなくなっている。
人と人との距離もそれに似ているのかもしれない。
手を伸ばして、触れようとすれば消えていく。
けっしてつかめない。砂のようにこぼれていく。
ずっと繰り返されている。
はじめからずっと。
桜の森の満開の下で、消えていく女の姿。
どれだけ歩き回っても、影ひとつとらえられない森の中。
滲むような靄と霧のなかで、そこにいるように見える人影。
いるのに触れられない。求めても現れない。見えるのにつかまえられない。
他者は不確かだ。
不確かで、おそろしい。
もし、この二枚の絵に、もう一枚、姉妹や兄弟のような絵があるのだとしたら、
それはもしかして、
「逆光」
「え……?」
「いえ、なんとなくですけど。もし俺がこの絵の作者で、誰にも見せない三枚目があるとしたら、そういう名前をつけます」
「……ふうん。そのこころは?」
469 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:46:39.71 ID:dHsWKpbxo
「『夜霧』と『朝靄』。夜と朝で二枚。もし三枚目があるなら、昼だな、というのが一点」
「単純だね」
「はい。それから、両方とも、景色は靄と霧に隠れて見えませんから」
「なるほど、『逆光』。おもしろいね」
「ハズレでしたか?」
「そうだね。残念ながら」
「惜しいですか?」
「『夜霧』と『朝靄』に関しては、いいところを掴んでいるし、発想としては近い。
でも、もう一枚は、このふたつとはちょっと違う。だからここには飾ってないんだ」
「……一緒に飾ってはいけない、ってことですか?」
「そうだね。答えが透けて見えてしまうから」
「突然ですけど、マスターって、高校のとき、どんな部活に入ってたんですか?」
「部活? なんで急に?」
「最近、部活でいろいろあったので」
「ああ、なるほどね」
親しみやすい笑みを浮かべて、マスターはカウンターに手をついた。
「僕は文芸部だったよ」
「俺と同じですね」
「うん。そうなるね」
470 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:47:06.34 ID:dHsWKpbxo
「てっきり、美術部かなにかに入ってたんだと思いました。絵が上手いから」
「手慰みだよ。あれこれ手をつけて、結局どれも身につかなかったな」
「文章もですか?」
マスターは一瞬、ぴくりと頬を動かした。
「そうだね」
「三枚目の絵」
「うん?」
「『逆光』じゃないなら、『白日』ってところですか?」
マスターは驚いた顔をしてから、くすりと笑った。
「うん。それで正解だよ」
「靄のむこう、霧のむこうに何があるかをさらすから、『白日』。役割がまったく違うから、並べたら意味がない」
「……そういうことだね」
マスターは照れくさそうに笑った。
「聞いたことありませんでしたけど……マスターって、どこの高校に通ってたんですか?」
「……」
怪訝げに眉をひそめられる。どうしてそんな話になるのか、と思っているのかもしれない。
471 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:47:35.91 ID:dHsWKpbxo
「三枚目、どこに飾ってるんですか?」
「……僕は、どこかに飾ってるって言ったっけ?」
「いえ。見せる意味がないとは言ってましたけど、でも、この二枚にもないと言ってたので。それに、忘れないため、とも言ってましたから。
だとすると、飾っているのかなと思っただけです。そうだとしたら、その三枚目には、特有の役割があるのかな、と」
「絵に役割なんてあるものかな」
「少なくとも作者がそれを籠めることはできるでしょうね」
そうかもしれないね、とマスターは曖昧に笑った。
「ところで、この店の名前なんですけど、どうして『トレーン』なんですか?」
「うん?」
「……」
「どうやら、何か話したいことがあるみたいだね」
472 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:48:04.35 ID:dHsWKpbxo
俺は何を聞こうとしているんだろう。
「今日、放課後、部室を出たあと、少し知り合いと話をして、帰ろうとしました。
でも、その途中でふと思うところがあって、図書室に引き返したんです。『伝奇集』を見るために」
「『伝奇集』」
「ご存知ですか?」
「ボルヘスは昔から好きなんだ」
「店の名前に使うくらいですもんね」
「気付いたかい? 何度も読み返したよ。それで?」
「メモが挟んでありました」
「……メモ?」
「これです」
制服のポケットから、メモ用紙を取り出して、俺は彼に差し出した。
彼はそれをちらりと見て、ふむ、と目を細めた。
473 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:48:38.69 ID:dHsWKpbxo
俺は、メモの内容を読み上げた。
「『よげんをはたして、あのこをむかえにいって』」
「なにかの暗号かい?」
「……いえ、まだ何枚かあります」
取り出して、それを広げる。合計で、三枚あった。
「『あなたのなかのかれとごういつをはたして』」
「……なんだか、よくわからないな。誰かのいたずらじゃないのかい?」
「……最後の一枚です」
どうして俺はこんなことをしているんだろう。
これをたしかめて、どうなるんだろう。
暗闇の中になにかがあると、そう思うのは、現実逃避だ。
そう言ったのは誰だったっけ?
「『さくらはでみうるごすのべつのえのなか かれは』」
「……これは」
この店の名前は『トレーン』。
瀬尾がむこうにいたとき、連絡に使った本は、ボルヘスの『伝奇集』。
マスターが何度も読み返した本だという。
474 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/01/09(水) 01:49:34.97 ID:dHsWKpbxo
文芸部室の壁には、一枚の絵が飾られている。
誰がいつ、その絵を描いたのか、それがいつから飾られているのか、知るものは今の文芸部にはいない。
俺たちの先輩も、そのまた先輩も、それがいつから飾られているのかすら知らなかった。
佐久間茂のスワンプマン──ストローマンは、自らを『デミウルゴスの子』と呼んだ。
メモには、『でみうるごすのべつのえ』とある。
デミウルゴスとは誰か?
それがもし、実際の佐久間茂のことを指しているとしたら、その人物は今、どこで何をしているのか。
『でみうるごすのえ』という言葉を素直に受け取れば、瀬尾が入り込んだあの絵を描いたのは、佐久間茂だということになる。
そして、『べつのえ』ということは、佐久間茂は『他にも絵を描いている』。
『トレーン』、『伝奇集』。
『ちどり』と『瀬尾』。
『佐久間茂』。『デミウルゴスの子』。
『本物』と『偽物』。
『空と海とグランドピアノ』。
『夜霧』と『朝靄』。『三枚目の絵』。
『白日』。
ボルヘスの『伝奇集』に収められた『八岐の園』という短編集の一篇に、『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』というものがある。
『トレーン』というのは、作中に登場する架空の地名のことだ。
何らかの集団によって極めて緻密に捏造された『架空の土地』が、やがて現実の歴史を『修正』し、その価値観を覆すに至るまでの短い物語。
『夜霧』と『朝靄』。そして『白日』。
霧と靄が、人影を滲ませる。けれどもし、その霧と靄が晴れたとき、その人影は本当にそこにあるんだろうか。
『白日』は、その疑問の答えになるのかもしれない。
陽の光が鮮やかに晴れ渡り、すべてが白日のもとにさらされたとき、そこには誰もいないのだ。
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