傘を忘れた金曜日には.

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275 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:22:00.17 ID:aN3WtGnbo

「あんたは、どうしてここにいたんだ?」

 迷路の中を何も考えずに漫然と歩いていると、そんな問いかけを向けられる。

「思い出せないな」と俺は答えた。

「いつからここにいたんだ?」

「わからない」

「寂しくないのか?」

 俺は少しだけ考えて、

「きっととても寂しかっただろうな」

 と、他人事のような返事をした。
 彼は少しだけ不服そうに眉をひそめる。

「へんなやつ」

 そうかもしれない。

276 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:22:26.38 ID:aN3WtGnbo

 生垣の迷路をどのくらい歩いただろうか。

 視界を覆う緑は徐々に現実感を失っていく。
 この先がどこに繋がっているか、俺は知っている。

 ずいぶんとさまよい歩いて、やがて迷路は終わりをむかえる。

 そして俺たちは、夜の森へと辿り着いた。

 線を引いたように切り替わる、昼と夜。

 浮かぶ月は銀色に光り鏡のようだった。木々は手招きするように枝を広げている。

 細い道が、頼りなく伸びている。
 木々の枝に隠されたその道が、どこまで繋がっているのかは、わからない。

 その夜が視界を覆った瞬間、俺は、立ち止まってしまった。

 隣を行く彼もまた、気圧されたように立ち止まる。
 驚いたのだろう。怯えたのだろう。

 でも、その理由は、俺のそれとはきっと違う。


277 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:23:10.70 ID:aN3WtGnbo

 夜はすべての音を吸い込むような静寂に包まれている。
 声のひとつさえどこにも響かないような気がした。

 飲み込まれたままどこにも届かない。

 光は浮かぶ月だけで、隣に立つこどもの顔すらよくわからない。

 伸ばした手さえも黒い影でしかない。

「行かなきゃ」と子供は言った。
 俺は仕方なく頷く。

 小径の向こうへ歩き出す。

「友達っていうのは」

 と俺は言う。

「良いやつだろうな」

 子供は俯いた。

「……そう、良いやつなんだ」

「そうかい」

 含みがありそうな言い方だったが、俺は何も言わなかった。

278 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:24:06.86 ID:aN3WtGnbo

 続く暗闇の道には何もない。
 
 何もないように見える。

「……友達が心配なだけには、見えないな」

 隣を歩く子供は、不快そうに俺を睨んだ。

「どうして、そんなことを言う」

「さあな」

 彼が、何を考えているのかはわからない。
 この頼りない月明かりの下では、なにもかもが不確かだ。
 自分と世界の境界でさえ、あやふやだ。

279 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:24:41.23 ID:aN3WtGnbo


「友達といるのは、楽しいか?」

「……ああ」

 足を一歩踏み入れるたびに、まるで暗い洞窟を歩いているような気分になる。
 声が反響しているような気さえする。

「でも、すり減っていくような気がする」

 そんな言葉を俺は聞きたくなかった。
 俺たちは歩いていく。深い森のなかを進んでいく。

「怜はなんでもできるから……」

「……そうじゃないだろう」

 彼は何かを諦めたようにこちらを見た。そんな気配がした。

「どうしてそう思うの」

「羨ましかったんだろう」

「……そうだよ」

 違う。こいつは嘘をついている。

280 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:26:27.49 ID:aN3WtGnbo


「嘘をつくなよ」と俺は言った。

「なんでわかるんだ」

 俺は答えなかった。

「おまえは怜を僻んでいたんだ。でもそれは、怜がなんでもできるからじゃない」

「……」

「怜だけが評価されたからだ。そうだろう?」

「……」

「花壇の花が枯れていたのはただの根腐れだ。水のやりすぎだった」

「そうだ」

「動物小屋のうさぎがいなくなっていたのは、単に小屋の清掃のために用務員がケージに移していただけだった」

「……」

「筆箱をなくした女の子は、前の時間の授業のときに、理科室に置き忘れていただけだったな」

「……そうだよ。全部、怜が解決した」

「そうだ。怜には観察眼も、推理力もあった」

「……俺は何もできなかった。あいつは探偵で、俺は助手なんだ」

281 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:27:18.34 ID:aN3WtGnbo

「でも、探しただろう」

「……」

「花壇の花が枯れたときも、美化委員の仕事を手伝った。
 うさぎだって筆箱だって、おまえは校舎中を駆け回って探した。
 ……そうだったよな」

「……」

「でも誰も、おまえに感謝なんてしなかった」

「……当たり前だ」

「そうだな」と俺は頷いた。

「別に感謝されたかったわけでもない。善意でやっておいて、感謝されたいなんておこがましいにもほどがある」

「……」

「でも……」

「うるさい」

 と、子供は言った。

「黙れよ」

 俺はひとつ息をついた。空には星ひとつ見えない。

282 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:28:22.56 ID:aN3WtGnbo

「仕方ないじゃないか。実際、解決したのは怜なんだ。俺じゃない。俺がしてたことなんて見当違いの徒労だったんだ」

「……」

「それなのに感謝されないからって不満なんて覚えるわけないだろ? 俺には何もできなかったんだ」

「そうかもしれないな」と俺は言った。べつにそこまで否定するつもりはない。

 彼は何も言わなかった。

 やがて道は徐々に広くなっていく。
 木々が懐を見せるように道を開けていく。

 開けた場所に出る。

 焼け落ちた、大きな建物の後。

 そこに、泣いている少女たちがいる。

「……でも、少しだけ思ったんだ」

 少年は言う。

「怜がここに来るって聞いたとき、俺はたしかに思った」

「……」

「怜には俺の助けなんていらない。俺がいなくてもなんとかするからついていく必要はないって」

「……」

「もしそうじゃなくても、もしうまくいかなくても、それはそれでよかったんだ」

 そう、俺は思ったんだ。

「怜だって失敗するんだって、俺は思いたかったんだ。それで思ったんだ、怜が帰って来なかったとき……」

「……」

「『怜が失敗したんだ』って、俺は、心のどこかで喜んでたんだ」

283 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:29:20.19 ID:aN3WtGnbo

「大した友達だ」と俺は言った。

 やつは何も言わずに、俺の手をそっと振り払った。

「俺はなんにもできないくせに、怜の失敗を喜んでたんだ。自分は、なんにもないのに」

「……」

 俺は目の前の景色を見る。

 木々の枝、焼け落ちた建物。
 泣いているふたりの少女。

 小さな子供の背中。

 俺はこんなところに来たくなんてなかった。
 こんなふうにこんな景色を見たくなんてなかった。

「おまえ、がんばってたよ」

 俺は、そう声をかけた。

「がんばってたよ。俺は知ってる。一生懸命だったじゃないか。
 下心なんかじゃなかった。おまえは、誰かのためにがんばってただろ。なんにも考えずに」

「でも」と子供は、俺の方を振り返った。

「全部無駄だった」

 歯噛みしたいような思い。
 忸怩たる思い。

284 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:30:23.23 ID:aN3WtGnbo

 背中を見送りながら、思う。

 俺はあのとき、何を考えていたのだろう。

 怜を助け、ちどりを助け、そのときに、俺は何を考えていたんだろう。

 そのとき俺にあったのは幼稚なヒロイズムだったんじゃないか。
 助ける側に回れるという悦びだったんじゃないか。

 俺は結局のところ、 
 何の努力もせずに、誰かに認められたかった。
 だから、いままさに、空っぽなのかもしれない。

285 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:31:03.45 ID:aN3WtGnbo



 いつのまにか、三人の姿は影も残さずに消えていた。

 俺は、ひとり、焼け落ちたどこかの前に立っている。
 ここに何があったのか、俺は知らない。興味もない。

 いま、俺はひとりぼっちだ。

 そうしてここで俺は、何を探そうというんだろう。

 この何もない森で。

 けれど、今、俺はなんら背負うものもなく、
 だから心はこの森に馴染んでいる。

 この森はもう俺からなにひとつ奪えない。
 俺は何も持っていないからだ。


286 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:32:01.99 ID:aN3WtGnbo


 そう思うとおそろしかったこの森も、どことなく優しげにさえ見えるから不思議なものだ。

「酔ってんの?」

 と、不意に声が聞こえた。

 どうしてだろう。
 本当に求めたときに与えられなかったものが、いまここにあらわれるのは。

「……瀬尾」

「副部長、暇してるみたいだね」

 瀬尾青葉がそこに立っている。
 高校の制服を着て、当たり前みたいな顔で、そこに立っている。

「なんでいるんだよ、こんなとこに」

「副部長こそ、こんなところでなにしてるの」

「暇してるんだよ、おまえが言ったとおり」

「なんで暇してるの?」

「なんでなんだろうな」


287 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:33:28.01 ID:aN3WtGnbo

 いまさら瀬尾がこんなところにいたって、驚きはほとんどない。
 どこからでもこの森に繋がっている。そう言っていたのも怜だった。

「結局ここがお似合いだってことじゃないか」

「……副部長、くらーい」

「……うるさい。あっちいけ」

「心の装甲が閉じる音が聞こえたよいま」

「……やかましいやつだな」

「またまた。ホントはわたしに会えてホッとしてるくせに」

「なんだよ、その自信」
 
 と、俺は思わず笑ってしまった。

288 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:34:21.17 ID:aN3WtGnbo

「なあ、瀬尾」

「ん」

「おまえは分かるか?」

「なにが?」

「俺が──どっちの三枝隼か、分かるか?」

「なあに、それ」

 瀬尾はおかしそうに笑った。

「瀬尾青葉はきみしか知らないよ」

「……」


289 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:34:49.78 ID:aN3WtGnbo


「わたしが、鴻ノ巣ちどりだったって言ったら、信じる?」

「……信じない」

「ざんねん」

 と、瀬尾はさして残念そうでもない顔でそう言うと、

「捜し物をみつけたんだ」

 何の前触れもなくそう続けた。

「よかったな」

「うん。だから、わたしはそろそろ帰るよ」

「……」

「ごめんね、きみとここに残ってアダムとイヴごっこをするのも悪くないんだけど」

「……似合わないな、そういう冗談」

「そうかな」

「恋なんて、しなくてもべつにいいだろう」

「……ん。そうかもね」

290 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:35:30.49 ID:aN3WtGnbo


「隼ちゃん」と、とつぜん彼女は俺のことをそう呼んだ。

「やめろよ、その呼び方」

「だめかな」

「どっちがどっちか、わからなくなる」

「うん。わたしもわかんなくなっちゃったくらいだからね」

「……」

「でも、わたしは瀬尾青葉だから」

「それでいいのか?」

「うん。考えてたんだ。わたしは、偽物なのかな、本物なのかな、どっちなのかな、って」

「……」

「でも、どっちでもいいやって思った。わたしには居場所があるから。
 ね、じゃあ、なんて呼んだらいいかな。副部長じゃないなら……」

「……」

「三枝くん? 変なかんじ」

「なんでもいいよ、瀬尾」

「あ、うん。これいいね」

「なにが」

「なんか、対等っぽくてさ」

「……なんだそれ」

291 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:35:56.16 ID:aN3WtGnbo

「きみは悲しいまま?」

 そう、瀬尾は訊ねてくる。

「寂しいまま、からっぽなまま、誰も必要としないまま、誰にも必要とされないまま。
 そうしていまもひとりぼっちで、誰にも手を伸ばせないまま?」

「……」

 どうして何も求めることができないんだろう。
 どうして誰のことも好きになるべきじゃないと思うんだろう。

 その答えを俺ははじめから知っていたのかもしれない。

 たとえば、失うことへの恐れとか、
 不意にさめてしまう自分に嫌気がさしたとか、
 そんな、聞き方によってはかっこいいような言い草でもなくて。
 
 とてもシンプルに俺は、疲れてしまったんだろう。

 俺が何もしなくても、何もかもがうまくいく。
 俺がいなくても、誰も困らない。

 みんなの好意を受け取ることができるくらいに、俺は自分自身が好きじゃない。
 そんなに良いやつなんて思えない。

「三枝くんは、卑屈だね」

「そう。俺は卑屈なんだ」

 そう言ってしまうといくらかすっきりした。

「立派な人間じゃない。誰かに好きになってもらえるような人間じゃない」

「そうかなあ」

「そうなんだ」

「ん。そうかもしれないね」と瀬尾は肯定した。

「精進しなさい」

「……そんな、あっさり言うなよな」

 
292 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:36:39.33 ID:aN3WtGnbo

 瀬尾ならわかってくれるかな。

 どうなんだろうな。

 結局のところ、どっちの三枝隼でも同じことだ。

 俺がしてきたことに対する、手応えみたいなものがまるでない。
 声をあげても、歩き続けても、どれだけ求めても、
 誰からも返事はなかった。

 全部、無駄だった、と。
 さっきの子供の声が頭の中で響く。

 だから、もう、声を出すことに意味があるとも思えない。

 俺が求めたところで、誰かが返事をくれるかもしれないなんて期待は持てない。

「……セリグマンの犬」

「たぶんこれは、学習性無力感って呼ばれるやつなんだよな」

「……そういうの、詳しいもんね」

「そう、でも、知っていることは……どうにかできるって意味じゃない」

「……本当にそうなのかな」

「……」

「きみはでも、本当は……」

「『桜の森の満開の下』みたいだ」

「……なに、それ。とつぜん」

 どこまでも続く桜の花。
 伸ばした手すらも透きとおるように消えていき、桜の森の下にはただ虚空のみが残される。

 覆い隠すように、花びらが降っている。

「とても孤独な気がするってことだ」

「そう、きっとみんな」

293 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:37:08.18 ID:aN3WtGnbo

「そうなんだよな」

 本当に繋がり合うことなんてできない。
 理解し合うことも、触れ合うことさえ簡単じゃない。

「……そんな場所で、奇跡的に誰かと繋がり合える錯覚をしたからって、なんなんだ」

「……」

「結局俺は偽物なんだ」

「そうかな」

「何者にもなれない」

「何者かになりたかった?」

「誰にもやさしくなんてできない」

「やさしくなりたかった?」

 俺は首を横に振った。

「嘘だ、全部。……心細いだけなんだよ、きっと」

「……きっとね」

 瀬尾は俺を見て笑う。
 ちどりみたいな顔。
 でも瀬尾の顔。

294 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:37:46.45 ID:aN3WtGnbo

「本当はおまえのために何か言ってやりたかったんだ」

「……わたしのため?」

「おまえがなにかに苦しんでるなら、何か言ってやりたいって思ってた。
 おまえの居場所なんてあるんだって、おまえがどんな人間だってべつに、それでいいんだって」

「……」

「おまえがちどりと繋がりを持つ何かでも、スワンプマンでも、本物でも偽物でも。
 べつにおまえは瀬尾青葉で、それでいいんだって、言いたかった」

「……」

「でも、それって結局、俺が誰かに言ってほしいことだったんだ」

「三枝くんは」と瀬尾は言う。

「やさしいねえ」

「茶化すなよ」

「いや、ここで真面目に反応しても、シリアス振り払えないなって」

「……シリアス扱いするな、人の悩みを」

295 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:38:37.24 ID:aN3WtGnbo

「三枝くん、あのさ、わたしにも悩みがあってさ」

「……」

「残念だけど、偉そうなアドバイスしてる余裕もないんだ」

「俺が聞いてやろうか」

「いまに消えそうな人に聞いてもらってもね」

 そう言って瀬尾は笑う。

「だからわたしは先に帰るね」

「……」

「きみにも、探しものがあるんだと思うんだ」

「……どうだろうな」

「見つけてあげてよ。じゃないと怒るよ」

「なんで、瀬尾が怒るんだよ」

「わたしにとっても、大事なものだからだよ」

「……」

「きっと、みんなにとってもね。……でも、きっと、きみはもう知ってるんだと思う」

 だからさ、

「大事にしてあげてよ。それと……」

 彼女はそこで、綺麗に笑った。

「もっと、楽しんだほうがいいよ」

 そして瀬尾は去っていった。
 背を向けて、俺の知らない道へ、歩いていった。

296 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:39:12.15 ID:aN3WtGnbo
つづく
297 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/27(火) 23:39:07.35 ID:6KF5xApJO
乙です

二話分読めてラッキーと思ったらそういうことですか
青葉復帰してうれしい
298 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/28(水) 01:48:34.20 ID:tdL3Yt9/0
おつです
299 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/28(水) 08:18:41.30 ID:YRBGZbZr0
おつです
300 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:42:17.12 ID:uq51x7xMo



 取り残されて、ひとり、焼け落ちた何かの残骸を眺めている。

 探せと瀬尾は言う。

 けれど、俺は何を探せばいいのか、何を探しにきたのか、見当もつかない。

 瀬尾がそうだと思った。俺は瀬尾を探しに来たんだと、そう思っていた。

 でも、違った。
 
 俺はべつに誰のことも探していない。
 いまさら、誰のことも、見つけ出そうとはしていない。

 たとえば、誰か迎えにきたら、どうだろうか。

301 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:42:42.19 ID:uq51x7xMo

 ちせなら、こちらに来れるだろうか。
 あるいは、ましろ先輩なら?

 それとも俺がいなくなったなら、真中は探してくれるだろうか。
 彼女は、いいかげん嫌気がさす頃かもしれない。

 あるいは、怜なら?
 ちどりなら?

 純佳なら……。

 純佳は、きっと、待つだろう。
 
 俺が帰るのを、待つのだろう。

 市川や大野は、呆れているだろうか。

 でも、俺がいた場所には、俺じゃない俺がいるだろうから……。
 たぶん、誰も俺のことなんて探していないだろう。

 でも、瀬尾は言った。
 
 俺には探しものがある。
 それはみんなにとっても大切なものだって。
 
 それはつまり、俺は、探される立場ではなく、探す立場にあるということだ。

 本当にそうなんだろうか?
 そんなものが、あるんだろうか?

302 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:43:11.63 ID:uq51x7xMo


 俺は少しだけ考えて、首を横に振った。

 そんなふうに考えて、いいものなんだろうか。
 自分には何かが欠けているだなんて、そんな考え方でどこに行き着くっていうんだろう。

 欠けた何かのせいにしていれば楽だ。
 言い訳がつく。

 話が簡単になる。

 ものごとをそんなふうに物質的に考えたって、きっとうまくいかないだろう。

 欠けた何かを見つければいいなんて、そんな単純な話だとは思えない。

 それでも俺は探すのだろう。
 それがなにかもわからないまま。

 まだ、舞台の上で踊らされるのだろう。

303 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:43:47.41 ID:uq51x7xMo



 
 森の奥を分け入っていく。どこまでも、分け入っていく。
 このまま帰れなくなったら、と思うと、少しだけ肩の力が抜けた。
 
 それはそれで、何もかもを投げ出す言い訳ができて、ちょうどいい。

 帰れないなら、帰らないのとは違う。
 逃げたのではなく、戻れなくなっただけなのだ。

 そんなことを考える自分自身が、ほんのすこしだけ嫌になる。

 月の光はやさしくて、俺は何かを思い出しそうになる。

 たとえばこんな寂しさも、いつかはなくなってしまうだろう。
 たとえばこのまま元に戻って、そして誰とも繋がれないまま、ひとりぼっちでいたとしても、
 それはそれで、間違いなんかじゃないのだろう。
 
 そう思った上で、俺はじんじんと心臓のあたりが熱を持つのを感じた。

 ……それでいいのだろうか?

 わからない。

 繋がる道はどこに続いているのだろう。

 道をはずれれば、抜け出すことは簡単ではない。
 俺はそれを既に知っている。

 けれど、用意された道を歩くだけでは探しものにたどり着けないだろうことにも気付いている。

304 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:44:15.05 ID:uq51x7xMo


 やがて、道が、分かれた。 

 中央は広場のようになっていて、そこを中心に、八つくらいだろうか、道が伸びている。

 立て札……いや、道標か。

 八つの道標はそれぞれの道へと矢印を伸ばしていた。
 けれど、今俺が歩いてきた道の方には、何の矢印も書かれていない。
 
 縦に並んだ八つの札には文字が並んでいる。

「退廃」「失意」「空虚」「期待」「焦燥」「愛」「保留」

 と文字があり、そのなかのひとつだけ、何の文字も書かれていなかった。

 こんな道標があってたまるか。

 乗せられているような気もしたが、俺は何も書かれていない道へと進んだ。
 乗せられている?

 誰に?

 それも分からない。


305 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:45:15.93 ID:uq51x7xMo


 続く道は、やがて道とは呼べないものになっていった。
 看板に文字がなかったのは、もしかしたら、道なんかじゃないからかもしれない。

 誰も通らない道だからかもしれない。

 そう考えた瞬間、俺は笑ってしまった。

 誰が通るんだ、こんな道を。

 でも俺は道標に出会い、そして進んできた。

 あるいはこれは……誰もが通る道だとでもいうんだろうか。

 やがて、木々が道を塞ぐように立ちふさがった。
 それでも俺は歩き続ける。

 引き返す気にはなれなかった。

 それなのに、後悔はしていた。

 素直に「愛」でも選んでいたらよかったか?」
 あるいは「保留」というのもおもしろそうだ。

「保留」を「選ぶ」というのもおもしろそうなものだ。

 それとも開き直って、「退廃」か「空虚」がよかったか?

 そこまで考えて、俺はふと考え込む。

 まるで「失意」や「焦燥」さえ、自分で選び取るものだというような気がした。
 ひょっとしたら本当にそうなのかもしれない。

 本当のことなんて、俺にはわからない。
 それでいいのかもしれない。


306 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:45:48.51 ID:uq51x7xMo

 木々の枝をかき分けるように歩いていく。

 道が悪く、一歩歩くごとに体力が奪われていく。
 どうして俺は歩いているんだ?
 何に向かって歩いているんだ?

 わからない。

 わからないな。

 やがて、また、開けた場所に出た。

 そこに、人が立っている。

 また、人か、と俺は思う。
 今度は誰だ、と思うけれど、近付いてみても、誰なのかわからない。
 誰かに似ているような気もするし、見たことがあるような気もする。

 けれど、心当たりはない。
 分かるのは、それが俺の学校の制服らしき服を着た男だということくらいだ。
 らしき、というのは、どことは言えないが、デザインが少し異なっているように見えたからだ。

 彼は俺の存在に気付いていすらいないみたいに、ぼんやりと月の光を浴びて立っている。

 まるで誰かにしつらえられたみたいに、そこだけ木々が頭を垂れたように、月の光が差し込んでいる。

 月の庭、と、そんな言葉が浮かんだ。
 そして彼のそばには噴水があった。
 
 まだ、生きている。

307 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:46:31.65 ID:uq51x7xMo

 飛沫が霧のように浮かんでいる。

 夜霧。そんな言葉をどこかで聞いた。
 どこでだっただろう……。

「やあ」と、不意に彼は言った。

「探しものかい?」

 背の高い、柔和そうな男だった。
 その笑い方を、俺はやはり、どこかで見たことがあるような気がする。

「……人ひとりいない場所だと、思ってたんだけどな」

「意外かな? きみはお客さんだ」

「……いつからいるんだ、あんた」

「僕はずっとここにいるよ」

 俺は思わず舌打ちをしそうになる。

 怜、こんな奴がいるなんて話は聞いていない。
 などと、頭の中で文句を言っても始まらないか。

308 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:47:08.76 ID:uq51x7xMo

「誰だよ、あんた」

「きみと僕とは初対面だ。だから、きみにそんな言われ方をする筋合いはない。……が」

 彼はくすりと笑った。
 見下されているような気がした。

「そうだね、そういう態度は嫌いじゃない。僕は人に嫌われると安心するんだ」

「マゾなのか?」

「違うよ。上っ面の好意なんかより、嫌悪感を表明されたほうが安心できるんだ。
 好きって言われると疑わなきゃいけなくなる。でも嫌いって言われると、それ以上はない。安心だろう?」

 変なやつだ、とそう思った。
 その変な奴が、どうしてここにいる?

「それで、誰だって?」

「サクマだ」

「……さく」

「サクマ」

 サクマ。

 ……佐久間?

 どこで聞いた名前だ?
309 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:47:49.59 ID:uq51x7xMo

「といっても、それは便宜的な名前だ。まあ、便宜的じゃない名前なんてものはないだろうけどね」

「なんだよ、それ」

「どうやらきみは、ずいぶん僕に対してあたりが厳しいみたいだね」

「……」

 言われて、思わず目をそらす。たしかに、やけにきつい口調になってしまう。
 どうしてだ、と考えかけたところで、

「怖いかい?」

 と笑われる。
 それが図星だと分かる。
 
 俺は目の前のこいつを恐れている。

「怯えることはないよ。少し話がしたいだけだよ。そういえば僕は、話し相手を求めていたような気もする。
 退屈してるんだ。ずいぶん長いことね」

「……」

 こいつは駄目だ、と俺は思う。
 こいつは違う。
 
 何か、質が違う。

310 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:48:26.87 ID:uq51x7xMo

 熱がないみたいな肌の透け具合。
 死人みたいだ。

「そんなにわかりやすく怯えるなよ。今のきみに怖いものなんてないはずだろ?」

「……誰だよ、あんた」

「ま、亡霊みたいなものかな」

「……亡霊?」

「そう、孤独なゴースト」

 冗談めかして笑う顔つきすら気に入らない。

 こいつは駄目だ。
 こいつの話に耳を傾けちゃいけない。

 それが分かる。

「佐久間……?」

 佐久間、佐久間。

 ──これは極論ですがつまりこういうことです。
 ──ぼくたちは、なにが偽物で、なにが本物なのか、ほんとうの意味では、これっぽっちもわかっていないのです。
 ──区別なんて、できていないのです。

311 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:49:58.84 ID:uq51x7xMo

「……佐久間茂」

「そうだね、きみは知っている。きみが知っていることも、僕は知っている」

『薄明』の、佐久間……。

「あれは良いタイトルだと思わないか? 『薄明』。僕は好きだったんだ」

 冗談よせ。

 佐久間茂が文芸部の部誌に参加していたのは平成四年のことだ。
 二十六年前だ。当時十六か十七だったとしても、今は四十を越えてるはずだ。
 
 その佐久間が、どうして、俺と同年代みたいな姿でここにいるんだ?

「言っただろ、僕は亡霊だ」

 月明かりがほのかに彼の顔を照らす。
 これはどんな筋書きなんだ?

「少しきみと、話がしてみたくなっただけなんだよ」

 そういって、佐久間茂は俺に笑いかけた。

312 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/28(水) 19:51:16.38 ID:uq51x7xMo
つづく
313 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/28(水) 20:18:51.17 ID:IdermYhpO
乙です。
長く感じないのはモノローグが少ないからだと思うよ
314 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/28(水) 23:56:55.12 ID:fTRdtmhJ0
おつです
315 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/29(木) 00:22:58.35 ID:H6Y2hnNxO
ここで佐久間とは、乙です
316 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/29(木) 08:40:28.11 ID:wv4Rp5Gp0
おつです
317 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:10:03.31 ID:+7FKUzoBo


 噴水は水音をあげて飛沫を撒き散らししている。

 佐久間茂は、にっこりと笑う。
 それが毒のない笑みだと分かる。
 食虫植物めいた笑みだった。

 こいつにとっては何の裏もない笑みなのだろう。
 ただその「裏のない」「表」が、俺には要警戒のものに見える。

 捕食者のようだ。
 
「そんなに怯えるなって」と佐久間は笑った。

「噛みつきゃしないさ」

「……なんなんだ、おまえは」


318 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:11:22.89 ID:+7FKUzoBo


「まったく、どういう冗談なんだ、ときみは今思っていることだと思う」

 あたりだ。話が早くていい。

「だから聞きたいんだ。佐久間、あんたはここで何をしてる?」

 いや、やっぱり、同じ問いを繰り返すことになってしまう。

「あんたは、いったい、なんなんだ?」

「ゴースト、とさっきも言った」

「そういうのはいい」

「でもね、残念ながらここはそういうルールで動いてるんだ」

「ルール?」

「何もかもが象徴化される幻、不確かな幻燈。景色を変える万華鏡みたいにね」

「……景色を変える、ね」

 けれどここは暗い森だ。
 カレイドスコープ。 

 洒落た言い回しだ。

「じゃあ、あんたもなにかの象徴か」

「そういう言い方もできる」


319 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:11:51.35 ID:+7FKUzoBo

「冗談よせよ」と俺は思う。

「冗談? そうかな」

 それから二回、納得するように頷いて、

「うん、そうかもしれないね」

 と、よくわからないことを言う。

「……話したいって、何をだよ」

「なんだっけ?」

「あんたが言ったんだろ。少し話したかったんだって。
 第一あんたは、俺が誰だか知ってるのか?」

「……どうだろうね? 知っていると言えば、知っているような気もする」

 でも、と彼は続けた。

「僕が知っていることなんて本当は皆無なんだ。完璧に、皆無だ」

「言葉遊びはいい。話がないなら、俺はもう行くよ」

「行くって、どこに?」

 そう言われて、言葉に詰まる。
 行きたい場所なんて、俺にあっただろうか?

320 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:12:25.13 ID:+7FKUzoBo


「少し話そうよ、少年。なあに、時間ならあるさ」

 そういって佐久間は噴水の脇に腰掛ける。

 俺は溜め息をついて、その前に立った。

「座らないのかい?」

「気が進まない」

「噛みつきゃしないって言ってるのにな」

「そうじゃない」

 そうじゃないんだけれど、何を言えばいいのか分からない。

「あんたを見てると落ち着かない。……なんでだ? 不気味なんだ、すごく」

「ひどい言いようだね。でも、心地よいな、それが」

「……本当に、気味が悪い」

「どうして気味が悪いんだろう?」

「俺が知るかよ」

「たぶん……鏡でも見ているような気分だからじゃないかな?」

「……鏡」

「そういう場所なんだ」

「なるほどね」

 さっぱりわからないが、さっぱりわからないと言うのも癪なので言わないでおく。

321 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:12:51.70 ID:+7FKUzoBo

「調子が戻ってきたみたいじゃないか」と佐久間はくすくす笑った。

「気に入らないな」

「この場所では」と佐久間は突然話を変える。

「ある特定の条件で、きみの言うスワンプマンがあらわれる」

「……」

「よく似た呼び方だけど……僕はむしろ、それをストローマンと呼んでた」

「ストローマン」

「藁人形だね」

「藁人形と言えよ。かっこつけて横文字にするな」

「雰囲気ってものがあるだろう」

「英語にしてりゃ雰囲気が出るなんて、素人の小説じゃあるまいし」

「きみだって文章は素人もいいところだろう」

「よくご存知で」

322 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:13:30.30 ID:+7FKUzoBo


「それにストローマンには含意もある。藁人形論法ってやつだね」

「藁人形論法」

「詭弁の一種さ。言葉遊びは嫌いかい?」

「あんたはストローマンなのか?」

「そうだね。きみの言うスワンプマンで、僕の言うストローマンだ」

「……ストローマンは歳を取らないのか?」

「そういうわけじゃない。僕が歳を取るのをやめただけだよ」

「……それで、ストローマンがなんだって?」

「スワンプマンのたとえは不適切だ。
 スワンプマンは完全なるコピー。でも、ストローマンは、本当はそうじゃない」

「……」

「ストローマンは藁人形だ。身代わりに焼かれる」

「……五寸釘じゃなくてか?」

「五寸釘でもいいよ」

「たとえ話はもういい」と俺は言った。

「面倒なんだ。そんな使い古されたメタファーなんか聞き飽きてる。
 俺が話したいことも聞きたいこともそんなことじゃない」

323 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:13:58.53 ID:+7FKUzoBo

「でも残念ながら、その陳腐なメタファーが支配している空間がここなんだ。
 今となっては古びてしまったもの。ここを造った人間はそれが真実だと信じていたからね」

「……待て」

「なに?」

「造った人間って、何の話だ?」

「ああ、聞き流してくれよ」と佐久間は言う。

「そこはべつにきみには関係のない部分なんだ」

「……俺に関係のある話をしてくれるのかよ?」

「ま、それはきみ次第だね」

 なんなんだこいつは。

「ストローマンは……」と佐久間は続けた。

「本人が捨て去ったものだ」

「……捨て去ったもの?」

「もっとそれっぽい言い方をするかい? 抑圧され異化、分離された願望と言ってもいいだろうね」

「……」

「ただしそれは『人間』として生まれる。
 だから、ずっと分離されたままでいるわけじゃない。
 当時切り離されたものを、切り離されたまま、元の当人がふたたび抱くこともあるだろうね」

324 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:14:25.76 ID:+7FKUzoBo

「……意味がわからん」

「たとえば僕はストローマンだ。僕は佐久間茂のストローマンだ。
 さて、この森に来た佐久間茂が、『ああ、シュークリームが食べたい』と思ったとする。
 けれどここにはシュークリームがない。困った佐久間茂は、シュークリームを食べたい気持ちを我慢する」

「……」

「すると、『シュークリームを食べたい気持ち』が、
 シュークリームを食べたがっている佐久間茂という形をとってストローマンになる。
 そして当人はシュークリームを食べたい気持ちを失うが、それは永遠に失われるわけじゃない。
 佐久間茂は森を出てから、またシュークリームが食べたくなることもあるだろう」

「……食べたいのか?」

「残念ながらこれは比喩だ。それに願いというのはたいてい、誤った形で叶えられるものなんだよ。
 祈りだってそう。間違った形で聞き届けられる。その意味でストローマンは『叶えられた祈り』なんだ」

「……叶えられた祈り、ね」

「人は暗闇に何かを期待するものなんだよ」と佐久間は言った。

「暗闇にこそ何か欠けている真実があると信じたい。たとえば、かつては山や森がそうだった。
 少し前は宇宙だった。それも退屈になると人の心や意識や認識。それが言葉遊びだと気付いたら、今度は脳みそをあさりはじめた。
 ひょっとしたらそこに何かあるのかもしれないってね。自分が知らないところに自分にとって重大な真理があると信じたい。
 そしてそれさえ見つければ、今よりマシな自分になれるって信じたいのさ。だから人は未開の場所を求めるんだ」

「……なんだよ、急に」

「でもね、どれだけ探ったって、どんな言葉遊びを積み重ねたって、結局なんにも変わりゃしないんだ。
 ただ退屈な自分がいるだけ。それは個人的な趣味であって、結局のところ探求なんかじゃない。暇つぶしだよ」

「……」

「きみが求めるものなんてここには何もない」

「あんたの主張はわかったけど、その話が俺とどう関係するんだ?」

「……あれ? どう関係するんだったかな?」

 話を聞くだけ無駄なのだろうか。

325 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:15:04.91 ID:+7FKUzoBo

「きみはどっちだろうね」と彼は言った。

「もちろん僕には、どちらが本物かなんてわからないけど……」

「つまりなんなんだ」

「慌てるなよ、せっかちだな」

「おまえの話しぶりは俺を苛立たせるんだよ」

「きっときみと話していた人もそうだったと思うよ」

「……うるせえな」

 本当に、なんなんだこいつは。

「きみは僕を不気味に思っている。それと同時に、でも、僕がきみにとって重大な何かを伝えてくれるんじゃないかとも期待している」

「……」

「そうだね?」

「さあな」

 いちいち癇に障る奴だ。

「僕はいま勝手に喋っている。だからきみが、必要そうなことを拾い上げればいい。その結果については僕は関知しない」

「あんたは、なんでそんなことを知ってるんだよ」

「デミウルゴスの子だからね」

「また横文字か。そういうのは中学で卒業しろよ」

「心当たりがある口ぶりだね。なに、恥じることはない。誰もが通る道だ」

「……そうでもないだろうと思うが。ていうか、デミウルゴスってなんだ」

 あっさり返されると、どう反応していいかわからなくなるものだ。

「気にすることはない。ただの言葉遊びだからね」

326 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:15:47.13 ID:+7FKUzoBo

「それで……なんだったっけ。ストローマンが、どうした?」

「きみはどっちだろうね?」

「……何がだ」

「失くした方かな、失くされた方かな」

「……」

 知らねえよ、と俺は思った。

「もういいや。埒が明かない」

「埒を明けたいのかい?」
 
「その用法は初めて聞いたな」

「勉強不足だね」と佐久間は笑う。

「きみの探しものについてだけど、僕は教えてあげることができない。 
 でも、きみにまつわるものの在り処なら教えてあげられると思う」

「……」

「死んだきみは、この向こうだ」

 そう言って彼は、背を向けたまま噴水の向こう側を指さした。

327 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:16:16.76 ID:+7FKUzoBo

 木々がぽっかりと口を開けている。
 暗闇がそこにいる。

「ここにあるのは古びたルールだ。それでうまく行くなんて思わないほうがいい。
 でも、この古びたルールのなかで失ってしまったものとは、そこで出会えると思う」

「……なんなんだよ、それって」

「さあ? きみにわからないものを、僕が知ることができるわけもない」

 行くなら早めに行くといい、と彼は言う。

「きみとはまた会うこともあるだろう。そのときには僕の言っている意味を理解できているといいね」

「……どういう意味だよ?」

「予言はまだ半分だってことさ」

「……」

「きみはきみが失ったと思っていたものを取り戻し、けれどなにひとつ変われない自分を発見するだろうね。
 そういうものなんだ。なにもかもが弾性を持っている。きみにも分かる日が来るだろう」

「……あんたもそうだったか?」

「さあ?」と彼は言う。

「でも、その答えはきみのほうがよく知っていると思うよ」

 どういう意味だ、と考える間に、佐久間は立ち上がった。

「それじゃあお元気で、レッドヘリング」

「……その呼び方をやめろ、ストローマン」

「なんだかきみのほうが洒落た呼び名に聞こえて悔しいな」

「……うるさい」

「はいはい。そろそろ消えるよ」

 ……そして、瞬きの合間に彼は姿を消し、噴水の音も途絶えた。
 さっきまで飛沫をあげていた水のうねりは、もうなくなっていた。

 涸れてしまったのだ。

328 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:16:45.30 ID:+7FKUzoBo
つづく
329 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/29(木) 23:50:05.20 ID:HI+9SkyH0
おつです
330 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/11/29(木) 23:52:24.67 ID:toYwUJkqo
枯れ井戸スコープ…ふふっ
331 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/30(金) 06:49:55.77 ID:zEpxaPr40
おつです
332 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/30(金) 09:55:32.81 ID:hXhpU1SmO
怜の案内人はカレハだと思ってたけど、もしかしてこいつ?
333 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/01(土) 00:25:33.65 ID:YNbc+SIQo

 ぽっかりと口を開けた闇のなかへ、俺は進んでいく。

 どうしてだろう。躊躇はなかった。

 佐久間茂という人間と会ったことも、
 瀬尾が誰の助けもなく帰ると言ったことも、
 いま自分がここにいることも、
 どうしてだろう、なにひとつ不思議ではないような気がしていた。
 
 時間どころか、距離の感覚さえ曖昧で、自分がどのくらい歩いたのかはもう分からない。
 
 やがて俺は"それ"を見つけた。

 大きな樹の根本の"うろ"に、隠れるようにそれはあった。

 闇に紛れ、見えづらいけれど、それがそうだとすぐに気づいた。
 
"それ"は力なく俺を見上げている。

「……」

 どうしてなんだろう。
 何も感じなかった。

334 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/01(土) 00:26:09.85 ID:YNbc+SIQo

 だからこそなんだろうか。

 もう身動きさえ取ろうとしないそいつに、俺は話しかけていた。

「やあ」

 適当な、挨拶。いつも他人にするみたいな、どうでもいいような、挨拶。

「ずっとここにいたのか」

 それはそうだろうな、と、答えなんてなくてもわかった。
 
 いつかカレハに夢の中で見せられた。 
 あのときと同じ、枯れ枝のような腕。
 干からびたような身体。
 
 虚空を眺めるような目。
 あるいは、虚空そのもののような目。

「おまえは……」

 俺は……。
 何を言うべきなんだろう?

335 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/01(土) 00:26:53.95 ID:YNbc+SIQo

 どうしてだろう。

 木々の合間を風が吹き抜けていく。

 葉擦れの音を鳴らす木々。
 それがこんなに優しいなんて不思議なものだ。
 
 今考えてみても分からない。

 どうして俺はこんなところに来てしまったんだろう。
 
 怜や、ちどりを見つけるため?

 どうして彼女たちを探したんだろう。

 心配だったから?
 きっと泣いているだろうと思ったから?

 そうかもしれない。

 怜に対する劣等感? 幼稚なヒロイズム?
 それとも、そんな気持ちを抱いた自分に対して嫌気がさしたから?

 そうかもしれない。

「どうしてここにいるんだろうな」

 そんなことを訊ねたって仕方ない。

336 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/01(土) 00:28:34.36 ID:YNbc+SIQo

 何もかもが弾性を持っていると佐久間は言った。
 俺はそうは思わない。

 何もかもが失われる。
 何もかもが失われつつある。

 それはけっして元には戻らない。

 人は未開を求めるのだと佐久間は言った。

 俺は、彼と出会えば何かを取り戻せるんじゃないかと思っていた。
 
 からっぽに見える世界のこと、誰も求められない自分のこと、
 何もしたいと思えない日々のこと、
 そんなあれこれに決着がつくんじゃないか、と。

 でも、こうして彼の姿を見つけた今、俺は気付いてしまった。

 ストローマンの比喩。
   
 彼は俺の失われた一部などではなく、俺ももはや彼から失われた一部などではない。
 俺と彼は、もう、別の存在になってしまった。

 彼と俺とのつながりなんて、もう、この葉擦れの音くらいのものだ。
 今、同じ場所にいるという、ただそれくらいのものだ。

 それを見つめるのは苦しい。
 
 結局のところそれは、俺の空虚は俺自身の責任でしかないと認めることにほかならない。

337 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/01(土) 00:29:21.40 ID:YNbc+SIQo

 自分が忘れているもの、自分が失ったもののなかに、自分にとって何か重大なものがある、
"それさえ見つければ自分は変われる"なんて理屈はないのだ。

 過去のトラウマや両親の育て方に人格上の問題を押し付けるようなものだ。

 それがなくなれば、それが見つかれば魔法のように現在が書き換わるような、そんな展開はない。

 だけど、それさえももう……いいんじゃないか、という気がした。
 
 もう、どうだって。

 そう思った瞬間、

「ふざけるなよ」

 と、そう、声が聞こえた。

 目の前の抜け殻が、俺を睨んでいた。

「ふざ、けるな」

 干からびた喉が、鳴動するように動き、かすれた声を空気に乗せる。
 葉擦れの音にかき消えそうな、ささやかな声だった。

「なんで、おまえが逃げるんだ」

「……」

 俺は偽物だ。 

338 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/01(土) 00:29:57.34 ID:YNbc+SIQo

「違う」
 
 と、声は言う。

「おま、えは、"失わなかった俺"だ」

「……」

「おまえは、俺だ」

「違う」

 と、今度は俺が言った。

「なにもちがわない。おまえと俺は、ほとんど同じだ」

「……どこがだよ」

「この森のなかで、とりのこされた俺が」

 干からびた瞳が、いま、俺を見ている。
 力なく、俺を睨んでいる。

「おまえを、生んだのか、おまえが、俺を生んだのか、考えていた」

「……なにを言ってる?」

 俺が偽物で、おまえが本物だ。
 そういう話だった。

「違う。俺は自分を本物だと思っていて、おまえは自分を偽物だと思っていた。それだけのことだ」

 違う。さっき佐久間は、俺をレッドヘリングと呼んだ。
 あれは、"主人公ではない人物を主人公であるかのように描く"ような、ストーリーテリングの手法だ。

「考えろ」

 と、そいつは言う。

339 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/01(土) 00:30:38.97 ID:YNbc+SIQo


「レッドヘリングは、"偽の手がかり"だ」

「……」

「思い出せ。佐久間にだって、本物と偽物の区別なんて、ついちゃいない。
 あいつ自身が、そう、書いていただろう。誰にも、本物と偽物の区別なんて、つきやしない」

 俺は、この抜け殻が、いったい何を言おうとしているのかと考える。
 けれど、それは、どう考えても、不吉な結論しか導き出さない。

「おまえが、誰のことも求められないのは、おまえが、誰かを求める気持ちを、この森で抑え込んだからじゃないか?」

 その瞬間、
 
 動かない瞳のなかに、かすかな熱が宿ったのを見た。

「抑え込まれた欲望は俺の姿をとった。そう考えれば……説明がつく」

「……想像じゃないか、そんなの」

「"去りゆく一切は比喩に過ぎない"。過去のすべては、幻影だ。事実はとうになく、すべては主観的記憶のなかで、解釈される」

「……」

「おまえはただ……自分が偽物であってほしかっただけだ。偽物なら、言い訳がきくから」

「……」

「誰も求められない理由を、何かを失ったせいにしていれば、楽だった。
 それができなくなったら、おまえは、ただ、自分が臆病なだけな人間だと気付いてしまうから」

 この暗い森で、
 どれだけ助けを求めても誰も訪れず、
 どれだけ歩いても誰とも会えず、
 やがて歩くのをやめた。

 誰かに会えるという期待を、誰かに見つけてもらえるという期待を、誰かに助けてもらえるという期待を、
 抑え込んで、なかったことにした。

 そうすれば楽だった。
 
 期待しなくなれば楽だ。
 ずっと蹲っていればいいだけだった。

340 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/01(土) 00:31:06.92 ID:YNbc+SIQo

 そして俺は今、
 いつか抑え込んだ気持ちに、臆病さゆえに向かい合えずにいるんだろうか。
 単に、臆病さゆえに。

「俺は、おまえにはなれなかった。もう、おまえとは違う存在だから」

「……」

「だけど、俺はおまえが、なかったことにしたいくらいに、誰かの存在を、強く求めていたことを、知っている」

 俺は、おまえだから。彼はそう言った。

「だから、おまえは帰れ。それでももし、誰のことも求められず、誰のことも愛せないと思うなら、
 それが苦しいなら、そのときは……簡単に消えられるなんて、思うな。
 誰かがおまえの代わりを務めて、うまくやってくれるなんて、思うな。
 そのときは、自分の判断で、自分の責任で、自分の手で、死ね」

「……」

「その結論さえ、出せないなら、勝手にしろ。勝手に、生きろ。だが、おまえを、待っている奴がいる。
 俺じゃなくて、おまえを、求めている奴がいる」

 そう、そんな言葉だけを残して、余韻ひとつなく、彼の身体が真っ黒な砂になって崩れていった。
 煤のような粉の中に、鉛か何かでできた心臓だけが残っている。

 持ち上げてみるとそれは果物だった。
 煤を払うと姿が見える。それはひとつの林檎だった。


341 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/01(土) 00:32:03.70 ID:YNbc+SIQo

 やがて葉擦れを呼ぶ風に、その黒い砂は吹き上がり、遠くの方へと運ばれていく。

 ふざけるなよ、と俺は思った。
 
 勝手にこんなふうに消えるなよ。
 おまえだって生きたかったんじゃなかったのか。

 俺のことを恨んでいたんじゃなかったのか。
 こんなに簡単に消えてよかったのか。

 そんなわけがない。

 そんなわけはないのに、
 もう声も、まなざしも、煤のようになってしまった。

 手の中に林檎だけが残される。

 これが夢だったらいいと思った。
 
 何かが間違っている。

 それなのに、時間が経つにつれて、身体の感覚も、意識も、はっきりとしてくる。
 酔いがさめるように、視界さえも鮮明になってくる。

 涙が滲みそうなほどに。

 俺は、手のひらの中の林檎を、どうするべきか迷ったあと、
 それに、齧りついた。

 どうしてだろう。そうするべきだと、俺は思った。

342 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/01(土) 00:32:37.17 ID:YNbc+SIQo





「終わりましたね」と声が聞こえた。

 振り返ると、カレハがそこに立っている。

 何をどういうべきなのかも、何を訊ねるべきなのかも、わからない。
 
 すべてが悪い夢のようだった。

「見ていたのか?」

「……わたしはずっとここにいましたから」

「……」

 本当に、何を、どういうべきなのだろう。

「それを」と、カレハは言う。

「わたしに」

 俺は、求められるままに、彼女に、かじりかけの林檎を渡す。
 彼女もまた、その林檎をひとくち頬張った。

 しゃき、と小気味よい音を鳴らして、林檎は削られていく。

「……もらっても、かまいませんか?」

「……ああ。どうするんだ?」

「どうするって、食べる以外に何があるんですか?」

「食べるのか?」

「いえ。……弔います。あなたとは、もう会うことはないでしょう」

「……どうしてだ?」

「わたしはあなたではなく、彼のための存在でしたから。わたし自身がどういう経緯で生まれたにせよ、わたしが自分をそう決めました」

343 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/01(土) 00:33:54.66 ID:YNbc+SIQo

 さくらは、万物が愛だと言っていた。
 すべては愛だと。

 カレハは違った。この世は愛に満ちてはいないと、そう言った。

 誰も彼もに愛を語り、手を差し伸べようとするさくら。
 それなのに、誰のことも直接愛することのできないさくら。

 カレハはその反対だったのかもしれない。
 ふと、そんなふうに思った。

「帰り道はあちらです」と、カレハは“うろ”のある樹の向こう側をさした。

「いずれ水の音が聞こえてくると思います」

「……そうか」

「ひとつだけ約束をしてください」

「……なにを」

「ここはもう道から外れています。絶対に振り返らないでください。そういう決まりですから」

「……ああ、分かった」

「それでは、もう行ってください。……良い旅を」

「……ありがとう」

 本当に、そんな言葉を、俺が言ってよかったんだろうか。
 
 カレハが示した方向へと、俺はまっすぐに、振り返らずに進んだ。
 やがて、彼女が言っていた通り、水の音が聞こえはじめる。
 その音に、無心に近づいていく。

 そこには、大きな泉があった。

 澄んだ、透明な泉。銀色の鏡のように、月の光にかすかに輝いている。

 俺は、静かに泉のそばに膝をつき、その水面を覗き込んだ。

 一際強い風が吹き抜け、葉擦れの音が大きく聞こえ、一瞬ののち、何ひとつ、聞こえなくなった。

344 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/01(土) 00:35:35.16 ID:YNbc+SIQo
つづく
345 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/12/01(土) 00:54:15.68 ID:BDc06hGCO
おつです。
346 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/12/01(土) 01:29:22.28 ID:DslrnHe10
おつです
347 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:42:19.79 ID:1roLrHHvo



 
 長い夢から目をさますように、ゆっくりと意識が浮上する。
 身体が静かに覚醒していく。

 不思議な疲労感がある。意識が身体に馴染むまでの酩酊のような違和感。

 やがてそれもじんわりと溶け込んでいく。

 そして、誰かが俺の手を握っていることに気付く。

 目を開く。

 俺は、自分の身体が自分の部屋のベッドに横たえていることに気がつく。
 手を握っていたのは純佳だった。

 彼女は俺のすぐとなりに眠っている。
 俺はその姿に戸惑いを覚えるより先に、自分の視覚に変化があることに気付いた。

 続いて、聴覚。
 耳をすませて確かめる。
 
 換気扇の音、純佳の寝息、自分の肌が布団に擦れる音。
 
 これまで二重だった風景。
 時に静かに、時に烈しく轟くようだった葉擦れの音。
 
 それが、今、消え去っている。

 今、俺は自分の部屋のベッドで休んでいる。
 そこで得られる以外の感覚を、いま、俺はなにひとつ受け取っていない。

348 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:43:00.73 ID:1roLrHHvo


「純佳」

 と、そう呼ぶ声でさえ、これまでの自分と違う気がした。

 眠っていたのではなく、ただ目を閉じていただけだったらしい純佳が、そっと瞼を開いた。

「……起きたんですか」

 と彼女は笑った。

 とても自然に、当たり前みたいな顔で。

「……うん」

 当たり前に、俺は返事をした。

「よかったです」

 少し眠そうな顔のまま、純佳はそう言った。
 どうしてそんなことを言うのか、わからなかった。

「このまま目を覚まさないんじゃないかって思ってたから」

「……俺、そんなに眠ってた?」

 純佳は柔らかく首を横に振るような仕草をした。

「たぶん、一時間とか、そのくらいです。でも、様子がおかしかったから」

「……そう?」

「うん。とても、心配でした」

 そんなことを素直に言われて、俺は何を言い返せばよかったんだろう。

349 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:44:01.75 ID:1roLrHHvo

「……今は?」

「……」

「今も、変?」

「少しだけ」

 彼女は笑う。

「でも、昼間より落ち着いています」

「……」

 そうなんだろうか。
 よくわからない。

「昼間はなにか、不安そうでした。兄はいつも不安そうですけど」

「不安そう」

「何か、焦っているみたいに見えました」

「そっか」

 そういうふうに、見えていたらしい。

350 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:44:28.69 ID:1roLrHHvo

「だから、よかったです」

「なにが」

「今の兄は、少し、落ち着いているように見えますから」

 声がよく聞こえる。

 俺は、それを望んでいたんじゃなかったか。
 音が止むことを、景色が当たり前に戻ることを。

「……兄、どうして泣くんですか?」

「泣いてない」

「泣いてます。兄は泣き虫です」

「……」

 わからない。
 どうして俺は泣いているんだ?

 どうして俺はここにいるんだ?

351 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:46:26.77 ID:1roLrHHvo

「たぶん、少し疲れてるんだと思うから、寝たほうがいいです」

「……」

「お風呂、入りますか?」

「ああ、うん……」

 面倒だな、と思った。

 とても眠い。
 すぐに寝てしまいたいけれど、着替えなければいけない。

 そんなことより何か、何か考えるべきことが、
 確かめるべきことが、あるような気がしたけれど、

「……兄?」

 身体が重かった、やけに。
 何の感慨もない。

 なにかをなくした、そんな気がするけど、たぶん何にもなくしてなんかいない。
 
 ──きみはきみが失ったと思っていたものを取り戻し、けれどなにひとつ変われない自分を発見するだろうね。

 なにもなくしてなんかいない。欠けているところなんてひとつもない。
 俺は健康で満ち足りている。きっと、そうなんだ。

「兄。……じゃあ、一緒にお風呂に入りますか?」

「ん……」

 ん。
 聞き流しそうになって、純佳のことを見た。

「冗談です」と笑うのを待ったけれど、いつまで経ってもそんな言葉は帰ってこなかった。

352 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:46:53.10 ID:1roLrHHvo




 それで、ああうん、なんてよくわからない返事をした俺はいったいなんなんだろうか。

 身体を洗って、温かい浴槽に身体を浸して、どう考えても狭いよな、なんて思っていた俺は。

 よくわからないまま、温かい湯船につかって息をついた。
 反響している、声が、いつもより大きく聞こえて、それが不思議だった。

「変なの」と俺は呟いた。
 
 この景色しか見えないことが、なんだか不安になる。
 今までずっと、あの森の気配に悩まされてきたのに。

 ふと、浴室の扉のむこうから衣擦れの音が聞こえる。
 まあ、それどころではないよな、などとぼんやり湯気のなかで考える。

「おじゃまします」と、純佳が入ってきた。

「ああ」

 俺は視線を壁に向けていた。とりあえず。

353 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:47:20.72 ID:1roLrHHvo

「どうしてそっぽ向いてるんですか?」

「気にしないでくれ。壁と話してたんだ」

「そうですか」

 純佳が身体を流す音を聞きつつ、俺は目を閉じた。

「壁はなんて言っていましたか?」

「彼女に振られたってさ」

「それは大変ですね。大丈夫なんですか?」

「話を聞く限りだと自業自得だな」

「そうなんですか?」

「ああ。女心をわかっちゃいない」

「まるで兄にはわかってるみたいな言い草ですね」

「……ほっといてくれ」

 やれやれ、というふうに純佳が溜め息をついた。
 
354 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:47:47.99 ID:1roLrHHvo

「入りますね」と声が聞こえて、思わず正気かと思ったときには水面が揺らいでいた。
 伸ばした足に肌が触れて、俺はとっさに足を引いた。

「どうして目を閉じているんですか?」

「リラックスしてるんだ。デトックス効果を得るために」

「デトックスという言葉に科学的根拠はないと聞きましたが……」

「そうなのか」

「というより定義が曖昧で検証もできないと言いますか……」

「でも、湯船にゆっくりつかってリラックスするのはまあ、健康にいい気がする」

「兄が健康なんて気にしてたのは意外です」

「体調はメンタルに来る。気をつけておくに越したことはない」

「兄、目を開けないんですか?」

355 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:48:28.41 ID:1roLrHHvo

「……いま、目が疲れを感じていてな」

「それはいけませんね。兄、そのまま動かないでください」

 と言って、純佳の気配が近付いてくる。
 いけない、目を閉じているせいで妙に緊張してしまう。

 と、濡れた手の感触が俺の鼻先に触れた。
 それが、鼻のつけ根のあたりへと伸びてきて、挟み込むように押し込まれる。

「……なに、これは」

「ツボです」

「ツボは……どうなんだ、科学的根拠は」

「まあ、曖昧ですが……デトックスよりは具体的ですし、検証もされてます。
 それでも経験医学の範疇らしいので、科学的にと言われると弱いですね」

「ふむ……」

「どうですか、効き目は」

「いや、よくわからん」

 というか疲れ目自体嘘だ。

「そうですか。……じゃあ、今度は別のところを」

 と言って、今度は足の方へと何かが触れた。
 思わず引っ込めかけた足のかかとを、純佳は手のひらで掴んだ。

「動かないでくださいね」といって、足の甲のあたりに指を当てられる。

「純佳、くすぐったい」

「ちょっとです。まあ、プラセボでもあればいいじゃないですか」

 ……いや、そうではなくて、この姿勢のほうがまずい気がする。

356 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:49:10.33 ID:1roLrHHvo

「純佳、もういいから」

「目、よくなりました?」

「なったから」

「じゃあ、開けてください」

「……なにを」

「瞼」

「……」

「……見てください、早く」

 こいつは、何を言ってるんだ。

「ほら、早く」

 言われるがままに、俺は、瞼を開いた。

「……やっと見てくれましたね」

「ああ、うん」

357 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:49:46.01 ID:1roLrHHvo

「バスタオル、巻いてたのでした」

「ん」

「……裸だと思いました?」

 わからん。

「裸だと思ったことでしょうけど残念ながらタオルを巻いてたのでセーフです」みたいな顔をしているが、
 普通に考えてタオル一枚でもかなり危ない気がするのは気のせいだろうか。

 いやまあ、旅番組なんかじゃタオル一枚で入浴してたりするか。
 俺の感覚が変なのか。どうなんだ。そういう問題か? 地上波でオッケーなら健全なのか?

「……えっと、兄?」

「いや、まあ……」
 
 とりあえず、何も言うことが思いつかなかったので、黙っておいた。
 まあ、妹だ。

 まさかこの歳になって同じ湯船に浸かることになるとは思わなかったし、
 他の誰かに知られようものなら次の日から俺の扱いはかなりひどいことにはなりそうな気もするが。

 ちどりなら、これを知ったらなんて言うんだろう。そんなことが妙に気になった。

358 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:50:23.54 ID:1roLrHHvo

「兄、何かまた考えてるでしょう」

「ん。人はいつも考えてるものだろう」

「そうでもないです」と純佳は言った。「そうでもないですよ」

「そうなのかな」

「そうです。人によります」

 肩まで伸びた髪を今は後ろで留めている。 
 むきだしの肩は、くすみもなく、いやに白い。

 こわれもののように細くて、薄くて、小さい。
 
 こんなに小さかっただろうか、純佳のからだは。

「……あの、たしかにタオルは巻いてますけど」

「ん」

「そんなに見るものでもないです」

「……見てない」

「嘘です。じゃあ何を見てたんですか」

「湯気だ」

 はあ、と純佳は溜め息をついた。

359 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:50:57.96 ID:1roLrHHvo

「湯気はなんて言ってますか?」

「湯気が喋るわけないだろう」

「……」 

 むっとした顔をされる。さすがに怒らせたか。

「まあ、調子が戻ってきたようでなによりです」

 ちょっとふてくされたような顔になりつつ、純佳はそう言った。

「そんなに様子がおかしかったか?」

「普通の判断力を持った状態の男子高校生は、妹とおふろに入りません」

「たしかに」

「……」

「……」

 ……だとすると、それを言い出した女子中学生のほうが普通の判断力を見失っていないだろうか。

360 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:51:28.41 ID:1roLrHHvo

「ま、ともかくです。多少は元に戻ったみたいでなによりです」

 もとに戻った。もとに戻った、か。

「わかんないな」

「わかんないんですか?」

「結局のところ……」

 と、言いかけてから、何を言おうとしたのか、わからなくなる。

「結局のところ?」

「……」

「結局のところ、なんですか」

「……結局のところ」と俺は繰り返した。

「自分が自分自身の問題から逃げ続けてきたんだな、とわかった」

「どういうことですか?」

「言い訳を重ねて、何かのせいにして、目の前のことから逃げてるだけだった」

「……」

「とんだ自己防衛だ」

361 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:53:06.33 ID:1roLrHHvo

「ん。そうですか?」

 純佳は不思議そうな顔をした。
 どうしてだろう。
 肩を撫でる、その手のひらの薄さ、腕の細さ、肩の小ささ、鎖骨のくぼみ。

「そうですか、って?」

 聞き返すと、純佳は曖昧に首をかしげた。

「そんなこと、ないと思うんですけど。少なくとも、兄は言い訳なんて、自分で剥ぎ取ってたように、見えましたけど」

「……そうじゃなかった、と、思う」

 ふうん、というふうに、純佳は息をついた。

「兄は、防衛機制って言葉を知ってますよね」

「……心理学?」

「そうです。兄が言いたいのは、そういうことですよね。すっぱいぶどうとか」

「……まあ、だな」

「でも、それって『防衛』のためなんです」

「……」

「わたし、前から思ってました。兄は自分の防衛機制、自分の認識の歪みみたいなものを自分で剥ぎ取ろうとしているみたいに見える。
 フラットに世界を眺めるために、先入観を排除したいっていうふうに。自分を客観視しようとしてるみたいに見える」

「そんな……上等なことは、してない」

「かさぶたを剥がしてるみたいに見えます」

 純佳はそう言って、天井に顔を向けて息をついた。


362 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:53:45.49 ID:1roLrHHvo

「防衛機制なんてものが存在するなら、それはきっと、心を守るものなんです。
 そうしないと、傷ついてしまうから。自尊心が保てないから。だから、自分を客観視する行いは、自尊感情を削るんです」

「……自尊心。でも、そんなの、結局、誤った認識の上に立つ自尊心なんて、虚妄じゃないか」

「……そうでもない、と思います」と純佳は言う。

「自尊心のない自省は自虐です。自虐は、あんまりよくない」

「そうなのかな」

「わたしには、それは、土砂降りの雨の中で、傘もささずに立っているようなものに思えます。
 人の心が足元にできた水たまりのようなものなら、傘もささないでいたら、波紋に邪魔されて覗くことさえ叶いません」

「そういうものかな」

「だから傘は必要なんです。もちろん、自分が傘をさしているということを、忘れるのは良くない気もします。
 でも……雨に打たれるのは、冷たくて、痛くて、つらいことだと思いますから」

「傘……」

「自分を労らないことには、見えてくる自分なんて、結局、すり減って疲れ切った部分だけですから。
 すり減って疲れ切った自分は、きっとうまく振る舞えないから。余計に自分が嫌いになるだけです」

363 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:54:16.09 ID:1roLrHHvo

 だから、と純佳は言う。

「一度、傘を受け入れるのも、いいと思います。そうして、自分はこんな傘をさしているんだなと、理解すること。
 そっちの方が、よっぽど建設的だという気がするんです。……ごめんなさい、自分でも、何を言ってるかわかりません」

「いや……そうだな」

 傘をさしていることに気付くたびに、傘をさしてはいけないと、傘を放り投げる。
 そんなことを繰り返したって、消耗するだけかもしれない。

「でも、癖みたいなものかもしれない」

「癖、ですか」

「傘をさしてる自分を見つけると、こんなんじゃだめだって、すぐに投げ捨ててしまう気がする」

「兄は……傘を投げ捨てることで、どうなりたいんですか?」

 どうなりたい。
 どう、なりたい、か。

 考えたこともなかった気がする。

「でも……傘に隠れて自分をごまかすのは、正しくない気がする」

「……正しくありたいんですか?」

「……どうだろう、そうじゃない」

 言葉の選び方を間違えた気がする。

 正しく、というよりは……。

364 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:54:44.11 ID:1roLrHHvo

「自分の醜さを誰かのせいにしたり、誰かに押し付けたりするのは……。
 正しくない、というより……誠実じゃない、気がする」

「誠実、ですか」

「わからないけど……それは、誰かをないがしろにしかねないことだと、思う」

「誰のことも、ないがしろにしたくないんですか?」

「……たぶん。みんな、そうじゃないか?」

「わかりません。どうなんでしょうね。でも、それなら尚更……。
 尚更、まず、自分を労らないといけないんじゃないでしょうか。
 他人のことを考える余裕がないくらいずぶ濡れになっていたら、やさしくなんてなれないです」

 この比喩に限ったことを言えば、瞼を開かれたような気持ちだった。
『誰かをないがしろにしたくない』がために『傘を捨てる』。
 その末に『誰かを気遣う余裕を失う』のでは、本末転倒だ。

 そんなことが、いま、不意にわかったような気がした。

 本当にそうかもしれない。
 結果として俺は、いつのまにか、自分の心がどうだとか、そんなことしか考えなくなっていた。
 
 本当は、そんなふうになりたかったわけじゃないはずだ。

365 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:55:17.27 ID:1roLrHHvo

「……そっか」

「それでも、その癖のせいで、兄が傘を忘れたり、捨てそうになったら……」

 純佳は静かに、俺を見て微笑んだ。

「兄が傘を忘れたら、わたしが兄に傘をさしてあげます」

「……」

「あんまり濡れたら、風邪ひいちゃいますから。だから、傘を忘れたら教えてください」

 さしのべられる傘。
 そうだな。

 もしかしたら……そっちのほうが、やさしさに近いんじゃないか。

「……純佳は、大人だなあ」

 そう、思わず呟いたら、純佳は子供みたいな照れ笑いを浮かべた。
 
 人の心が足元にできた水たまりのようなものなら、傘を捨てたところで意味なんてない。
 明鏡止水という言葉を思い出す。

 波打った水の向こうを、人は覗くことができない。
 水の底まで眺めるためには、その水面が落ち着いている必要がある。

 そのためには傘がいる。

366 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:55:59.17 ID:1roLrHHvo

「ありがとう、純佳」

「わたしは、兄の味方ですから」

「……」

「味方ですから。兄がどんなにずるくても、ひどくても、たぶん許しちゃうと思うんです」

「……それは、ちょっと怖いな」

「うん。だから、わたし、大人なんかじゃないんです」

「……」

「兄のこと、この世の誰よりひいきしてるんです」

「……じゃあ、ひいきなしでもマシな人間にならないとな」

「兄のいいところはそういうところです」

「……いいところ?」

「自己肯定感の低さは、向上心の裏返しなんです」

 そんな、どこかで聞いたような言葉でさえ、純佳の口から言われると心強く思えた。

367 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 00:56:30.40 ID:1roLrHHvo
つづく
368 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/12/04(火) 01:05:15.23 ID:ttZ8XdM2o
たまげたなあ
369 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/12/04(火) 05:13:38.34 ID:fvF1ip76O
安定の純佳ですな、乙です
370 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/12/04(火) 07:20:17.07 ID:q4eanlfQO
こんな妹ほしい。
けど本当にいたら嫌かもしれない。
371 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/12/04(火) 07:33:44.73 ID:77dQEXjLO
おつです
372 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/12/04(火) 23:00:35.42 ID:21Z8uPoB0
おつです
373 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/12/04(火) 23:05:20.30 ID:21Z8uPoB0
距離感やば可愛すぎかな?
なんか自分の好きな雰囲気になってきたな
374 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/04(火) 23:51:16.04 ID:1roLrHHvo



 翌日は土曜日だった。

 目が覚めて、身体が重いことに気付く。
 視界にも、音にも、未だに慣れない。響き方が違うのだ。

 朝、起きて、自分の身体がしっかりと自分の部屋にあることを認識する。
 手足がちゃんと自分の思うとおりに動くことをたしかめる。

 そして、あの音が聞こえてこないかと耳をそばだてる。

 けれどどれだけ待ったところで、そんな気配すら感じられなかった。
 
 聞こえてくるのは雨垂れの音だった。

 季節は梅雨の終わりへと向かいかけている。

 やがてノックの音が聞こえて、純佳が「起きていますか」と声をかけてくる。
 起きている、と答えると、彼女はびっくりしていた。

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