三船美優「天道虫 is ……」

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102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 19:34:30.60 ID:A6rjc17z0
 08A会議室――ここかしら。

 引き戸が開いていたので、そっと中を覗くと――。


「ワハハハ、いやぁ346さん様々ですよぉ、私共のような弱小事務所に目をかけてくださるなんてぇ」


 いつも親切にお話を聞いてくださる、346プロの方とは別に――もう一人、今日は違う人がいました。

 大きく開いた体を椅子の背に預け、片手を机に乗せて、大声で笑う男の人。

 何となく、苦手そうな感じの人――。


「ん? ……ははぁ〜」

 私に気づくと、その男の人は顔をこちらに向け、ニヤリと笑って鼻を鳴らしました。

「我々とは別に、サマーフェスでゲスト出演するという、もう一社のご担当者さんですかねぇ?」


 え――もう一社?
103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 19:37:53.91 ID:A6rjc17z0
 私達の事務所と、この人の事務所の、ライブ対決。

 その勝った方にのみ、346プロへの編入を正式に認める。


 バツが悪そうに、346プロのご担当者さんが話すには、こういう事のようでした。
 話しぶりから察するに、どうも、半ば強引に進められたお話のようです。

 この事務所の方から――。

「いや、あのさぁ、この事務所さん……お名前何でしたっけ? まぁいいか。
 例の“死神”がいるっていう事務所が、かくも名高き346さんのフェスに飛び入り参加するって聞きまして。
 だったら我が社もちょっとそういうおこぼれに預かりたいと、ウチの社長も鼻息荒くしちゃってですねぇ」


 何がおかしいのか、仰け反りながら豪快に笑い飛ばし、346プロの方と私へ、交互に顔を向けます。

「一体どういう裏技使ったのか知らんが、346さんだって正直迷惑でしょ? “死神”が来たらさ。
 それに、より優秀なアイドルが入った方が当然に346さんのためにもなるワケですし。
 まぁま! 悪いようにはなりませんよ。オタクんとこもね?」
104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 19:41:54.39 ID:A6rjc17z0
「……弊社が、ですか?」
 話の意図が分からず、キョトンとした顔をするしかない私に、その男の人は手を振りました。

「だからさぁー! 分かんない?
 身の程を弁えた方が、って話ですよ。オタクも子供じゃないんだからそれくらい察してほしいけどなぁ。
 “死神”ちゃんだって、とっとと諦めて普通の生活した方が、その子や業界全体のためにも良いでしょ?」


「……そうでしょうか?」
「あぁ?」


 私は、席を立ちました。

「彼女の事を知らない人に、知った風な口を聞いてほしくはありません。
 本当の彼女を……あなたが“死神”と揶揄するほたるちゃんが、どれほど素晴らしいアイドルか」

「あ、おい」


 真っ白な頭のまま、気づけば入り口のドアに手を掛け、それを引きながら私は彼に目を向けました。

「当日、お教えします。ほたるちゃんの本当の姿を……失礼します」


 ガタンッ、と、少し乱暴に引き戸を閉めてしまい――。

 荒い呼吸がやっと落ち着いた時、汗で滲んだ手の平に、爪の跡がくっきり残っている事に気がつきました。
105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 19:45:21.89 ID:A6rjc17z0
「はぁぁぁ!? 何そいつ、やっぱ俺も行った方が良かったな」

 レッスンが終わった後、ほたるちゃんと一緒に事務所に戻り、その事を話すと、プロデューサーさんは分かりやすく憤慨しました。

「俺だったらそんな野郎、ボッコボコのケチョンケチョンのパーにしてやったのによ」
「三百円」
「だから悪口だっつーの。せめて“ケチョンケチョンのパー”は一語じゃない?」


「しかし、妙な事になったな……ライブ対決か」

 事務員さんは、椅子の背にもたれながら腕組みをして、天井を見上げました。
「その346プロの担当者も、情けないことだな。
 横柄な同業他社の強引な商談など、346の威光で突っぱねれば良いものを」

「ご、ごめんなさい……」

 部屋の隅で、ほたるちゃんがなぜか――いや、やはり恐縮そうに頭を下げました。
「私が、フェスに出させていただく事で、またご迷惑を……」

「はい、ほたるちゃん百円ね」
「う……」


「全然問題ないよ。要するにほたるちゃんの実力をガシッと見せつけて、黙らせてやればいいのさ。
 美優さんだって、そう啖呵切って来たんでしょ?」
106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 19:48:19.13 ID:A6rjc17z0
「彼の言う通りだ」
 事務員さんがゲロちゃんを差し出して、プロデューサーさんが百円を入れました。

「我々が考える事は一つ。
 白菊君のステージを成功させる事だけだ。結果なんて後からついてくる」


「わ、私、そんなぁ……」

 お二人が鼓舞してくれても、ほたるちゃんはどうにも後ろ向きです。

 この間までは、少しずつネガティブな思考は改善されてきたように思ったのですが――。

「私、ライブなんて初めてで、そ、それも……一人で、ステージに立つなんて…」
「デデーンだぞ、ほたるちゃん」
「うぅ……すみませ…」
「おっと謝るなって、とりあえず百円」


 もし私が一緒に出る事になっていれば、彼女の心持ちも、少しは変わっていたでしょうか?

 冗談っぽく、ゲロちゃんへの募金を促すプロデューサーさんの顔も、少し曇っています。
107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 19:50:56.38 ID:A6rjc17z0
「ほたるちゃん」

 すっかりハの字になった眉で、今にも泣き出しそうな顔をほたるちゃんは私に向けます。
「美優さん……」

「あの事務所の人に、ついムキになってしまった私も、大人げなかったと思います。
 でも……自分の事ならともかく、ほたるちゃんを馬鹿にされるのは、どうしても我慢できなくて」

「でも、その人の言うことは、間違っていません……私は、いくつもの事務所を…!」
 そう言いかけたほたるちゃんを、私は手で制止しました。

 この調子では、百円がいくつあっても足りないでしょう。


「だから、知ってもらいたいんです。あの人にも、ほたるちゃんの素晴らしさを。
 それが、プロデューサーである私の務めだと思うから」

 彼女の手を取り、自分にも強く、確かめるように言い聞かせます。

「一緒に頑張りましょう、ほたるちゃん」
108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 19:53:50.97 ID:A6rjc17z0
「…………はい」

 ほたるちゃんは、弱々しく頷きました。
 観念したような――前向きな返答のはずなのに、何かを諦めたかのようでもありました。

 プロデューサーさんに、視線を送ります。

「うん……よしっ! 俺もこれからは本業にしっかり、ちゃんと復帰するよ。
 346側との交渉も、ネーサンのおかげでひと段落したしさ」

 腰に手を当てて鼻を鳴らしてみせますが、まだ、少し寂しげな顔をしています。
 プロデューサーさんらしくありません。


「……少し、一服してくるよ」
 ゲロちゃんに百円を入れて、事務員さんは部屋を出て行きました。
109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 19:57:22.23 ID:A6rjc17z0
 フェス当日まで、あと三週間を切りました。

 トレーナーさんの指導にも熱が入ります。


「……! ふんがっ!!」
「と、トレーナーさん!」
「何のっ!」

 突然、立てかけてあった備品がグラリとトレーナーさんに倒れかかりましたが、難なく制します。
「目には付いていました。が! あえてそのままにしていたんですよ、あえてね」

 曰く、分かりやすい不幸があった方が対処はしやすいとのことです。
 ほたるちゃんとのレッスンを重ねるうちに、彼女もすっかり、不幸との付き合い方に慣れたようでした。


「す、すごいなぁトレーナーちゃん……いつもこんな感じなの?」

 プロデューサーさんは困惑しています。無理もありません。
 これまで彼がほたるちゃんのレッスンに立ち会うのは、そうありませんでした。


「さぁほたるちゃん。休んでいる暇はありませんよ! 続きをやりましょう!」
「はぁ、はぁ……はいっ!」

 ほたるちゃんは、滝のように流れる汗をリストバンドで拭い、決死の表情で応えます。
110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 19:59:37.98 ID:A6rjc17z0
 塞ぎ込みがちになってしまったほたるちゃんのため、私とプロデューサーさんはある決断をします。

 それは、苛烈な猛特訓をほたるちゃんに課し、悩む隙を与えないというものでした。

「いささか酷だが、多少の荒療治をしないと、今のほたるちゃんの思考はそう簡単に改善しないと思う。
 トレーナーちゃんには、オーバーワークになりすぎないよう俺から頼んでおくよ」


 ですが――。

「振り足がまた遅れていますよ! 1、2の振り足っ!!
 重心もブレています、しっかり止める!! メリハリを意識してっ!!」
「はぁ、はぁ……!」

 傍目にも、明らかにあれはオーバーワークです。
 ほたるちゃんの疲労はとっくにピークを越えていて、もはや精細さがありません。

 これ以上は逆効果です。

「と、トレ…!」

 トレーナーさんの元へ行こうとする私を、プロデューサーさんが制しました。


「プロデューサーさん……!」
「彼女達を信じるんだ」
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:01:20.84 ID:A6rjc17z0
 ふと、トレーナーさんと目が合いました。
 彼女は、真剣な眼差しを私に真っ直ぐ向け、黙って頷いています。

 やがて、それをほたるちゃんに戻しました。

「トップアイドルになるために、今のこの苦しみは誰もが通る道です。
 ほたるちゃん。あなたは、トップアイドルになりたいですか?」


「はぁ……はぁ、ぐ、う……わ、わたし……!」

 ほたるちゃんは、震える膝を何とか手で押さえながら、ようやく立ち上がりました。

「私、なりたいです……トップアイドル……なりたいです!」
「ならグズグズしている暇はありませんよ! もう一度「テンレレー♪」の所からっ!!」
「はいっ!!」


 あんな言い方――!

「お、おい美優さん……?」


 ――――卑怯です。
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:03:56.67 ID:A6rjc17z0
 このシチュエーションで、あんな事を聞かれて、否定できるはずがありません。

 逃げ道を、自らの手で断つように仕向けて、追い詰めるなんて――。

 まるで、軍隊か何かのような、思想の強制――洗脳と言っても良い仕打ちです。


 ですが――。

「……すみません。ちょっと、お手洗いに」
「お、おう」


 それでも、彼女の頑張る姿に嘘はありません。

 そして、それを見守る事すらできない私は、プロデューサー失格なのだと思います。



「う、ウゥ……ウォェェ……ッ!」

 いっそ、この胸に渦巻く不安や焦燥も、丸ごと吐き出したかった。
 ですが、吐き出されるのは、お昼ご飯代わりに摂取したタフマンだけです。

「はぁ、はぁ……」

 自身の負の感情にさえまともに向き合えない自分が情けなくて、涙ばかり出ます。
113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:06:46.70 ID:A6rjc17z0
 このままではいけません。

「プロデューサーさん。三日後の午前中に、ほたるちゃんの地元の町内会でイベントが予定されています。
 これに参加して、本番に向けたPRをしてこようと思うのですが、いかがでしょう?」

 デスクに着く彼に、先方からいただいたチラシを見せながら、私は続けます。
「既に町会長さんのご了解はいただいています。前泊用のホテルも押さえていますし、心配ありません」


 レッスンと同じくらい、宣伝活動も大事です。
 知名度がほとんどゼロの状態のままステージに上がる事は、本番では大きなハンデになります。

 せめて、ほたるちゃんの地元で、応援してくれる固定ファンを獲得しておかないと――。


「いや、たぶんそれはよした方が良いと俺は思う」

「なっ……」
「私も同感だ、三船君」

 じ、事務員さんまで――一体、どうしてですか!?
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:11:15.33 ID:A6rjc17z0
「理由は二つある」
 プロデューサーさんは、腰を上げました。

「まず、距離が遠い。ほたるちゃんの地元は鳥取だったな。
 新幹線か飛行機で行くにしろ、彼女の経歴を考えると、何かしらのアクシデントに巻き込まれないとも限らない」

 給湯器で自分のカップにお湯を入れながら、プロデューサーさんは続けます。

「それに、町内会のお客さんにとっても、東京は気軽に来れる距離じゃない。
 フェス直前の大事なこの時期に、リスクを背負ってまで地方のイベントにちょびっと顔を出しても、期待できるリターンは正直言って割に合わない」

「で、でも何かが起きると決まった訳ではないですし、お客さんだって…!」
「もちろんだ、だがもう一つ」
 ムキになる私を、プロデューサーさんは冷静に諭します。


「繰り返しになるが、彼女の不幸話は業界ではかなり有名らしいんだ。
 まともにデビューしていないにも関わらずな……これは相当な事だと思う。
 ロクに実績も無いまま迂闊に顔だけを売って、ネットか何かで良くない噂ばかり広まっては都合が悪い」

「……ッ!」
「だから、たとえそれが東京であったとしても、俺は出ない方が良いと考えている」


 私の認識は――甘かったというのでしょうか。
115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:12:58.10 ID:A6rjc17z0
「大丈夫だよ、美優さん。むしろ当日まで秘匿させてやろうぜ」

 プロデューサーさんはコーヒーを啜って、ニッコリと笑いました。
「えっ?」

「秘密兵器ってヤツだ。
 本番までひたすらステージの練度を高めて、当日はその知名度の低さを逆手に取り、観客をアッと言わせるパフォーマンスをバシッと披露する」

 事務員さんが、ゲロちゃんを差し出しました。

「ジャイアントキリング、ってワケでもないが、どんでん返しはショーの基本だろ?」
「キミ、百円」
「うるせぇな空気読めよ、人が良い事言ってる時に」

 渋々百円を取り出し、ゲロちゃんに入れます。

「だが、彼の言い分にも筋がある。
 PRが大事という三船君の意見ももっともだが、あれこれ無闇に手を伸ばさない方が、今は合理的だろう。
 二兎を追う者は一兎も得ず、だ」
116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:15:46.11 ID:A6rjc17z0
「……はい」

 私は、この事務所の――ほたるちゃんの力に、なれないままです。

 肩を落として、自分のデスクに着きました。
 先方の町会長さんにも、お断りの連絡を入れなくちゃ――。


「美優さん」

 ふと、顔を上げると、ほたるちゃんがニコリと笑って、二つ折りのアイスを一つ差し出しました。
「ありがとうございます……私のために」

「いえ、私なんて何も……すみません」
「あ、美優さん」
「えっ?」

「アウト、ですよ。ねっ、プロデューサーさん?」
 そう言って、ほたるちゃんが目配せしました。

「はっはっは。一本取られたな、美優さん」


「……ふふっ」

 ダメですね、私――逆に、励まされてしまいました。
117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:18:59.77 ID:A6rjc17z0
 いつぞやいただいた大量のアイスが、順調に消化され、いつの間にか底をついてきました。

 真夏の暑さがいよいよピークを迎え、フェスの本番も三日後に迫っています。


「はぁ……はぁ……!!」
「ほたるちゃん、一度水分補給しましょう……ほたるちゃん?」

 レッスンの成果は、確実に現れています。
 基礎練習を地道に重ねてきた甲斐があり、ボーカルは、力強く伸びのある発声を一曲通して行えるまでになりました。

 そして、ダンスの完成度もまた、一定の目標ラインに到達しつつある――のですが――。


「も、もう一度……はぁ、はぁっ……た、ターンが……!」

 ほたるちゃんが、トレーナーさんに何かを訴えますが、その目は虚ろで、意識が朦朧としているように見えます。

 明らかに、様子がおかしいです。

「ターン? ……ほたるちゃん、今やってるパートには、ターンありませんよ?」
「はぁ、はぁ……!」


「ほ、ほたるちゃん……?」
 心配そうに見つめるトレーナーさんも、よく見るとすごい汗です。

 いや――。
118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:22:17.27 ID:A6rjc17z0
「お、おい。ひょっとして空調壊れてないか?」
「えっ?」


 途中から、妙に暑いと思っていました。
 ただ立っているだけなのに、先ほどから汗が止まらないのです。

 プロデューサーさんに指摘され、操作盤を弄ってみますが、反応があるように思えません。

 ほ、ほたるちゃん――!


「きゅ、休憩しましょうか。ねっ? 本番も近いですし、ジタバタしなくとも今はもう……!?」

 トレーナーさんが言葉を止め、見る間に顔を青ざめながらほたるちゃんに駆け寄ります。

「ほたるちゃんっ!?」


 まるで糸が切れた人形のように、膝から崩れ落ちそうになったほたるちゃんを、トレーナーさんが支えました。
「ほ、ほたるちゃん!! 聞こえますか、ほたるちゃん!?」


「ごめんなさい……わたし、ごめ………なさい……」

 慌てて駆け寄り、彼女の口からかすかに聞こえた声が、誰に対するものなのか、分かりません。
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:24:58.67 ID:A6rjc17z0
「アタシの責任です」

 スタジオの管理室で、トレーナーさんが頭を下げました。
 普段の明るい彼女からは想像できない、悔しさに満ちた苦悶の表情です。

「アタシがほたるちゃんの疲労具合を管理し、適正にメニューを調整しなくてはなりませんでした」

 プロデューサーさんがかぶりを振りました。
「トレーナーちゃんのせいじゃない。今日までの猛特訓を依頼したのは俺達だ。
 それに、空調が壊れていた事に、もっと早く気づくべきだった」


 ほたるちゃんはソファーに寝かされ、首元と脇、太ももには冷やしたタオルが巻かれています。


 自分の無力さに、私は手を握りしめました。

 彼女のプロデューサーを気取っていながら、何一つ、彼女や事務所の役に立てていない。
 それどころか、不注意から、彼女の身を危険に晒してしまったのです。


「美優さん」
 私の焦燥を察したらしいプロデューサーさんが、声を掛けてきました。

「思い詰めるなよ。美優さんのせいじゃないんだからな」
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:27:14.97 ID:A6rjc17z0
「私のせいじゃないのなら」

 プロデューサーさんに、私は向き直りました。
「一体私は、何のためにいるのでしょうか」

「そ、それは……」
 プロデューサーさんは狼狽えました。
 思いもよらない私の反論に、咄嗟に返すべき言葉に迷い、困惑した様子です。

「……誰のせいとか、犯人捜しをして済む話じゃない。
 強いて言うなら、ほたるちゃんの不幸のせいもあるかも知れないし、それは俺達がどうこうできる話じゃ…」

「何でもかんでも、ほたるちゃんの不幸のせいにしないでくださいっ!!」

 プロデューサーさんとトレーナーさんが、ビックリして身じろぎしました。


「私は……!」
 自分でも驚くほど大きな声を出して、頭の中は真っ白です。
 目の奥がジワリと熱くなり、呼吸さえ、その方法を忘れたようにままなりません。

「不幸、不幸、って……彼女が背負う不幸が、全て彼女のせいなんですか?
 違います。少なくとも、今回はもっともこの子の傍に居た、私が気づくべきだったんです。
 不幸というなら……私が、彼女の不幸を招いたんです。私は……!」
「落ち着け、美優さん!」
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:30:52.14 ID:A6rjc17z0
「私は、ほたるちゃんのそばにいるべきではありません……!」



「おい、待て、美優さんっ!」


 スタジオを飛び出し、どこへともなく駆け出しました。
 足の痛みなど、まるで気にする暇もありません。


 途中、どこかのバス停で、ちょうど停車した行き先も分からないバスに飛び乗りました。

 空いていた後ろの方の座席に座り、逃げるように、隠れるように身を縮めます。
 早く発車して――!


 やがてバスが動き出し、先ほど駆けてきた道が遙か後方に通り過ぎると、私の口からため息が漏れ――。

「うぅ、う……!」
 劣等感に満ちた嗚咽を必死に抑えようと、私は口に手を当て、うずくまりました。


「大丈夫?」と、通路を挟んで向かいの席に座ったお婆さんが、声を掛けてくれます。
 でも、私は、それに応える事ができませんでした。
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:34:18.53 ID:A6rjc17z0
 ――――。


 部屋着にも着替えず、電気も付けず、ボーッとベッドにもたれながら、気がつくと陽が落ちていました。

 視線の先には、この間買ったアロマディフューザーが暗闇の中、テレビ台の上で黙々と細い煙を吐き出し続けています。



 ふと、ほたるちゃんと一緒にアロマグッズを買った日を思い出しました。


   ――私なんて、上手く行かない時ばかりですから。

 そう言って控えめに笑う、彼女の顔が浮かびました。



 あのアロマは、いくらか彼女の慰めになったでしょうか?

 私は――。


 少なくとも、目の前のそれは、今の私を少しも慰めてはくれません。


 ――――。
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:36:13.75 ID:A6rjc17z0
 と、そこへ――。

「……!?」
 突然、携帯が鳴りました。

 あぁ、プロデューサーさんか、事務員さんだろうな。
 ご迷惑、おかけしちゃった――。

 そう思い、暗い部屋の中で煌々と光るディスプレイを覗き込みます。



「……ほたるちゃん」

 そうか――彼女に謝ることさえ、私はできていなかった事に、今になって気づきました。

 通話ボタンを押し、おそるおそる、耳に当てます。


「……もしもし」

『美優さん』


 思いのほか、張りのある声の様子から、どうやら彼女はいくらか快復できたようです。
 良かった、本当に――。

『ごめんなさい』
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:38:08.46 ID:A6rjc17z0
「えっ?」

 電話口の彼女の第一声は、私が言うべき言葉でした。
『余計な心配を、かけてしまいました』

「そ、そんな事はありません。私の方こそ…!」
『美優さんは……』

「えっ?」


 ――しばらく沈黙が続いたのち、先ほどよりもか細い声が聞こえました。

「私のそばに、いるべきではない、って言ったの……本当ですか?」


「ほたるちゃん……」


 シュウゥゥ――という、無機質な音だけが、真っ暗な室内に響きます。


 私は、かぶりを振りました。
 今さら何を、取り繕うことがあるのでしょう。

「そうですね……結局私は、何もほたるちゃんの役に立てませんでした」
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:39:47.78 ID:A6rjc17z0
『あの後、プロデューサーさんと、お話したんです』
「プロデューサーさん……」

『私は、悔しかったんです。
 美優さんが、一緒に出られなくなった事が……それが、私の不幸のせいである事も』
「ほたるちゃんのせいじゃないってあの時…!」
『でもそれ以上に……』

『それ以上に、私が悔しかった事……何だか分かりますか?』


「悔しかった事……?」

 逡巡し、何も思い当たる答えが浮かばずにいると、ほたるちゃんが続けました。



『美優さんが、諦めた事です』
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:42:16.32 ID:A6rjc17z0
「わ、私が……?」

 諦めた――確かに、アイドルとして出る事は、諦めざるを得ませんでした。

 ですが、今さらどうこう出来るものでも無かったのです。
 悔しいと言われた所で、仕方がありません。


『そうやって……簡単に諦めきれるものじゃないはずです、夢って』


「簡単……夢、って……」

 私は――ほたるちゃんの言葉に、イライラしてしまいました。

 だって、しょうがないでしょう?
 足を痛めてステップが踏めるでしょうか。

 第一、私は――!

「私は、スカウトされてこの事務所に来たんです。
 自ら進んでアイドルを目指した訳じゃありません。それを、勝手に夢だなんだと押しつけられたって……!」



 あ――。


「…………ごめんなさい」

 一回り以上も年下の子に、私は――なんて醜い言い逃れをしてしまったのでしょう。
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:46:19.61 ID:A6rjc17z0
『いえ、美優さん……私の方こそ、勝手なことを言って、すみません』

 ふぅ――と、気持ちを落ち着けるような、長い深いため息が電話口から聞こえました。


『プロデューサーさんも、やっぱり……悔しいと、仰っていました』

 プロデューサーさんが――?

『アイドルとして輝けるはずだと、自分が信じてスカウトした人が、それに未練を覚えずにいる事が悔しい、って……
 美優さんには、内緒にしてくれって、言われていたんですけどね』

 ふふっ、と、忍ぶような笑いがかすかに聞こえて――。

『だから、アイドルの素晴らしさを、美優さんに教えてやってくれ、って……
 私、こんな所で、倒れる訳にはいかなくて……私は、誰よりも何よりも、美優さん』


『あなたのために、ステージに立ちたいんです。
 だから……そばにいないなんて、言わないで、くださいっ……』

「ほたるちゃん……」


『私を、見てください……そ、そばに、いてくださ、いっ……ひ、いぃ……!』


 電話の向こうから、すすり泣く声がかすかに――次第にそれは、大きくなっていきました。

『う、ぐ、役に立つとか、ひ、ぐっ……立たないとか、じゃなくてぇ……!
 みゆ、さんに、み……みて、ほしいから……いて、え、ぐっ、くれなきゃ……う、うぅぅ……!』
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:48:46.50 ID:A6rjc17z0
 ――――私は。

 お世辞にも、プロデューサーとしての役目を、果たせているとは言えません。
 ですが――。

『う、わあぁぁ……あぁ……!』



「どうか、泣かないでください」

 彼女を泣かせるような事が、あってはいけません。
 それは、プロデューサーの役目とか、そういう次元の話ではなく、彼女の友人として。

 少しでも、私がそばにいることで、ほたるちゃんの勇気になれるのだとしたら――。

「とても、こんな事を言う筋合いは無いことを承知で言います。ほたるちゃん……」


「どうか、最高のステージを私に見せてください」

 彼女のファン第一号は私なのだという、その自負だけは、誰にも譲れないのだから。
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:51:10.98 ID:A6rjc17z0
『……はい』

 しばしの沈黙の後、彼女のすすり泣きがようやく収まり、短くも力強い返事が聞こえました。


「ふふっ……お互い、五百円ずつくらいでしょうか?」

『ふ、ふふ……あははは』
 ちょっと冗談めかして言ったら、それが自分でも存外面白くて、二人で笑い合いました。



 少し言葉を交わして、電話を切り、テーブルの上に置きます。

 何だか胸の憑きものが取れたような、少し晴れやかな気持ちになれました。

 電気を付けて、着替えをして、お化粧を落として――。
 あ、後でプロデューサーさんにもお詫びの連絡をしないと。


「…………あ」
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:53:27.27 ID:A6rjc17z0
 ふと、自分の携帯――正確に言うと、スマホケースに目が留まりました。

 拾い上げ、それを何となしに見つめます。


 テントウムシ――。

 ほたるちゃんが好きだと言ったそれのシールが、年甲斐もなく私のケース上で、可愛らしく踊っています。


 そう言えば、社会人になってから、あまり見たことが無い気がします。
 何となく春頃の虫というイメージだけど、今の時期もいるのかしら――?


 一度気になりだすと、何だか落ち着かなくなってしまい、インターネットで少し調べてみました。


 基本的に、冬以外はそれなりに出てくる虫なのだそうです。
 へぇ――思っていたよりずっと多くの種類があって、驚きます。


 あっ――。
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:55:32.50 ID:A6rjc17z0
 逸話。

 高いところへ登る習性。


 斑点の由来――。



「……天道虫、か」

 調べれば調べるほど、ほたるちゃんのイメージにピッタリだなぁと、私は思いました。
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 20:57:18.46 ID:A6rjc17z0
22時半頃まで席を外します。
あと4割ほどあり、4時頃までに終えられるといいなぁと思います。
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 22:34:07.28 ID:A6rjc17z0
 ――――――。

 ――――。


 私の目の前で、一人の少女がうずくまっています。

 言うまでも無く、これは夢です。


「大丈夫ですか?」

 私は、その子に声をかけました。


 少女は顔を上げます。

 あぁ――やっぱり。


 その子は、私です。
 幼き頃の私が、目の前にいます。


 彼女は何も言わず、私を見上げています。

 我ながら、とても大人しくて――聞き分けの良さそうな子です。
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 22:35:47.64 ID:A6rjc17z0
   ――おーい、ミィちゃーん?


 遠くでふと、彼女を呼ぶ声が聞こえました。

 とても懐かしい声です。

「おばあちゃん……」



 世界が次第に輪郭を帯びてきました。

 緩やかに流れる川のせせらぎ。その傍に広がるのどかな田園と、あぜ道の匂い。


 そう――父方の実家に遊びに行くときは、決まって夏休みでした。

   ――ミィちゃーん。ミィちゃん、ここにいたのかい。おや?


 祖母は、私を見るとニコリと笑い、頭を下げました。


   ――あらあら。すみませんねぇ、孫がご面倒をおかけしたようで。

「いえ、何も……」
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 22:40:27.81 ID:A6rjc17z0
   ――この辺の人じゃないねぇ。どちらから来なさった?

「あ、えぇと……東京、です」

   ――東京からねぇ。ここは何も無くて退屈でしょう、ホッホッ。爺さんの田畑しかねぇ。

「い、いえ、そんなことありません! 私……とても、好きです」

「今は、東京住みですけど……
 私の実家、ここから車で1、2時間ほどの、同じ県内ですから、懐かしくて」


   ――あらぁ〜そうだったの。こんな綺麗な人だのに同郷だったなんてぇホッホッホッ、嬉しいわぁ。

   ――ミィちゃん。ミィちゃんこの人も岩手の人なんだって。

 ギュッと祖母の体にしがみつく幼い私を、祖母はニコニコと優しく撫でます。

   ――ミィちゃんも大きくなったら、この人みたいに綺麗になるかもねぇ。


 そう、祖母は――この後きっと、家の近くの畑に彼女を連れて行って、テントウムシの捕まえ方を教えるのでしょう。


   ――もう二ヶ月くらいしたら新米がとれっから、良かったらまた来てください。それじゃあ、ミィちゃんや。

「あ、あのっ!」

   ――はい?
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 22:41:58.06 ID:A6rjc17z0
「その子は、将来綺麗で可愛い子に、なると思いますか?」

   ――もちろんさぁ。せがれの嫁さんに似て良かったよぉ、せがれの方に似なくてぇホッホッホ。

「あ、あの、だったら……」


「その子、おそらくは聞き分けが良くて、手の掛からない子だと思います」

「でも、自分から、何かを欲しがったり、何をしたいっていう事も、あまり言わない子だと思います」


「ですから……もしその子が……いえ、きっと言わないでしょうけれど……」


「もしその子が、将来……」
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 22:44:12.87 ID:A6rjc17z0
 アイドルに――――。


 ――――?



 ――アラームは、鳴っていないようです。

 自分の寝言で目が覚めるなんて、初めての事でした。


 アイドル――?

 どういうシチュエーションや話の流れで、夢の中の私がそう言ったのかが思い出せません。


 しかし、気にしている場合ではありません。
 今日は、サマーフェスの当日。

 手早く、しかし、いつもよりしっかりと朝の準備を整え、私は家を出ました。


 暗い雲が、空を覆っています。
 今日は、台風と大型の積乱雲が関東を直撃するかも知れないとのことです。
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 22:49:23.55 ID:A6rjc17z0
「ゲロちゃん募金、すげぇ貯まったからさ。
 フェスが終わったら、どっか卒業旅行にでも行こうぜ」

 会場へ向かう車の中、運転していたプロデューサーさんが話しました。

「ほたるちゃんの地元に行こうよ、鳥取。この間行けなくてごめんな」
「い、いえ。アレはしょうがなかったですし」


「あの……募金は、今日の打ち上げで使う予定では?」
 野暮ですが、私がそっと尋ねると、助手席の事務員さんがこちらに視線を向け、肩をすくめてみせました。

「この男が散々ゲロちゃんに食べさせてくれたおかげで、とても今日使い切れるものではなくてね」
「ワハハ、もっと褒めて」

 後ろの席にいた私とほたるちゃんは、おかしくなってつい笑ってしまいます。


「あ、美優さんの地元でもいいよ。岩手!
 前沢牛、盛岡冷麺、わんこそば! わんこそば勝負しようぜ!」
「い、いえぇぇ……私、食べた事なくて…」
「はっ!? 美優さんやった事ないの、地元なのにっ!?
 だったらなおさら行こうよ! 俺と美優さんチームと、ほたるちゃんネーサンチームね」

「わ、私はいいです。そんな食べられないですし…!」
「私が食べる。何も問題は無い」
「問題は無い、って、そういう問題では……」
「ネーサンの胃袋は宇宙だからなー」
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 22:52:27.95 ID:A6rjc17z0
「あれ、そういやネーサンは? 実家どこだっけ?」

 ふと、思い出したようにプロデューサーが聞きました。
「ご両親もイイ歳でしょ? ずーっと働きづめで、全然お休み取ってないじゃん、ネーサン」


「いや」

 事務員さんは、窓の外に顔を向けました。
「親には、この間会った」

「あ、そうなの? ひょっとして東京? 土日でピロッと行ってきたの?」
「百円」
「あぁ、サイフそこにあるから適当に出して」


「平日さ。彼の会社に行ってきた」

「会社?」
 それも、平日に――?

「会社って、どちらですか?」


 事務員さんは、頬杖をついて窓の外を見ながら、鼻でため息をつきました。

「346プロさ。そこの事業部長が、私の父でね」
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 22:57:26.12 ID:A6rjc17z0
「えっ……あ、そうなのぉ!?」
 一際大きな声で、プロデューサーさんがキョロキョロと事務員さんの顔を覗き見ています。

 どうやら、彼も知らなかった事のようです。当然、私とほたるちゃんも驚きました。

「親の仕事も見ていたし、私もかつては、人並みにアイドルというものに憧れていてね。
 これに関わる仕事をしたいと思い、入った会社だったが、色々あってな」
「色々って?」
「色々だよ」

 あまり、語りたくないご事情のようです。
 プロデューサーさんも、「ふーん」と聞き流し、深くは追及しませんでした。

「だから、あまり行きたくなかったのだがな。
 今回は差し詰め、時の用には鼻をも削ぐ、といったところか」


「はぁぁ……なるほどなー。自分の親父へ仕事上の協議に行くとか、想像したくねぇ〜」
「私が346プロへ行くのを、嫌がる理由が分かってくれたかい?」
「うん、ごめんねネーサン」
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:00:27.63 ID:A6rjc17z0
「話を戻そう」
 ふぅ、とため息をついて、事務員さんは後ろの私達に向けて手を上げてみせました。

「温泉でもどうだろう。関東圏内なら、箱根や群馬の草津温泉など、日帰りでも行ける所はある」
「えーやだよ日帰り、忙しいじゃん。ゆっくり一泊してこうぜ」
「キミは別部屋でな。三船君と白菊君はどうだ?」

 私とほたるちゃんは、顔を見合わせました。

 皆で温泉旅行、楽しそう――私には、断る理由はありません。
「ほたるちゃん、どうですか?」

「わ、私は……」
 ちょっと悩んで――でも、すぐに彼女は、顔を上げました。

「行きたいです。皆で、旅行っ」


「うわぁ良かったぁ〜!」
 プロデューサーさんが、なぜか大きなため息を漏らしました。

「ほたるちゃんの事だから、「いえいえ私なんてぇ〜!!」とか言い出したらどうしようかと思ったよ」
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:04:53.12 ID:A6rjc17z0
「え、えぇぇっ?」
 困惑した様子で、ほたるちゃんがプロデューサーさんの方を見ました。

「どこぞの若手芸人ばりに、食い気味に「また私の不幸が皆々様にご迷惑をぉ〜!!」とか言い出したら」
「そ、そんなキャラじゃないです、私っ!」
「ワイパーかってくらい手をぶんぶん振って、「お金なら出しますからぁ〜〜!!」っつって」

 そのおどけ方があんまりおかしくて、私は、お腹を抱えて笑いました。

「み、美優さんまでそんな、笑わないでください!」
「だ、だって、ふふ……プロデューサーさん、おかし……アハハハ!」


「フフ……それだけネガティブな思考が治ったなら、どうやら心配なさそうだな」

 事務員さんも、呆れながら満更でもないように、ゲロちゃんの頭を撫でています。
「このゲロちゃん募金も、一定の成果を得たという訳だ」

「そうだな」
 プロデューサーさんは、ハンドルを握り直し、前を見つめました。


「さて、その成果を見せる時だ……見えてきたぜ、会場がよ」
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:08:09.04 ID:A6rjc17z0
 大きな国立公園の、関係者専用の駐車スペースに案内され、車を降ります。

「そうだ。オバちゃんから高ぇタフマン、皆の分も買っといたから、本番前に乾杯しようぜ」

 そう言ってプロデューサーさんが、手に持った袋から皆にそれを手渡しました。

 なるほど、ラベルがちょっと豪華なんですね。


 しばらく公園内を歩いて行くと、やがて、広場の中央に設けられたステージと、大小様々なテントが見えてきました。


 ここが、今日の会場――ほたるちゃんが練習の成果を見せる場所。

 思わず、唾を飲み込みました。
 私が緊張したって、仕方が無いのは分かっているのですが――。


「はぁ〜、すげぇなぁ」

 慌ただしくスタッフさんが右往左往している間をすり抜け、我知り顔でプロデューサーさんはステージに上がりました。
 事務員さんもそれに続きます。

「あ、あの、プロデューサーさん」
「美優さんとほたるちゃんもこっち来なよ、ちゃんと見といた方がいいぞ」

 そ、そう言われても――い、良いのでしょうか?

「遠慮をするな。キミ達だって関係者どころか、白菊君に至っては今日の主役だろう?」
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:10:28.87 ID:A6rjc17z0
「主役……」

 ふと、隣に立つほたるちゃんを見ました。


 彼女は、背筋を伸ばして唇をキュッとつぐみ、ステージを一点に見つめています。

 ずっと憧れていながら、ステージはおろか、レッスンさえまともに受けてこられなかった。
 そんな彼女が、いよいよこの日を迎えたその胸中には、どんな想いが去来している事でしょう。


「ほたるちゃん」
「……はい」

 私は、ほたるちゃんをステージの上に促しました。

 一歩一歩、ゆっくりと段を上がり、プロデューサーさん達のもとに向かい、観客側を振り返ります。



 ――――。

 私は、目眩がしました。
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:13:14.09 ID:A6rjc17z0
 私の通っていた地元の高校は、田舎であった分、敷地も校庭もすごく広いものでした。
 100m走のレーンを斜めではなく真横に引いて、なお十分な余裕があったほどです。

 眼下に広がる一面の広場は、記憶にあるその校庭の、優に倍の広さはあるでしょうか。

 チケットは完売とのことでした。つまり――。
 およそ数時間後には、この広場を大勢の観客達が埋め尽くす事になります。


 私は――内心、ホッとしてしまいました。

 その光景を想像するだけで、私は足がすくみ、声を失ってしまいます。


「ここが、今日の会場なんですね……」

 ほたるちゃんは、独り言のようにそう呟くと、私達に向き直りました。
「どちらから、私は上がるのでしょうか?」
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:17:04.54 ID:A6rjc17z0
「そこの、今ちょっとデブな人が降りてった、向かって右側の階段からかな?」

 プロデューサーさんが、手元の資料を見ながら指を差しました。
「で、終わって捌ける方も同じ。待機場所の舞台袖もそこだから、迷う事は無いと思う」

「着替えは、あそこのテントで良かったんですよね?」
「うんうん、確かウチら専用のスペースは用意されてて、衣装ももう届いてるはずだよ。
 まだ着替えないでしょ?」
「はい。予め場所を確認したら、どこか空いているスペースで通し練習をしたいのですが」
「おう、さっきトレーナーちゃんからLINE来てたよ。
 裏手の駐車場のそばに、人気の無い小っちゃい広場があるって。行こうか」
「お願いします」


 ほたるちゃん――す、すごいなぁ。

 この大舞台に臆するどころか、冷静に今日の段取りをおさらいして、自分の取るべき行動を判断できています。

 プロデューサーさんに連れられ、彼女はスタスタとステージを降り、テントの方へ歩いて行きました。


「三船君」
「は、はいっ!」

「あそこに、今日のステージ運営の監督者がいる。進行方法を確認しておくと良い」
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:19:51.30 ID:A6rjc17z0
 事務員さんが指を差す先には、資料を片手にスタッフさん達と忙しそうに言葉を交わしている、帽子姿の男性がいました。
「はい」

「それと、例のモノは、いつ渡すんだい?」

 腕を組み、ニヤリとさせる事務員さんに、私は少し言葉に迷いました。
「あ、うーん……」


 こまねく手に持つバッグの中には、ほたるちゃんへのプレゼントがあります。

 もちろん、彼女には内緒です。そして、プロデューサーさんにも。
 事務員さんにだけこっそり相談し、今日のために準備してきたものでした。


「ステージに挙がる直前に、舞台袖で」
「しっかりな……先方の重役が見えたようだ。挨拶に行ってくるよ」
「あ、はいっ」

 ピシッとスーツを着こなして颯爽と歩く後ろ姿――本当にカッコいいなぁと思います。

 私なんかよりも、事務員さんはよほどプロデューサーとして頼もしいです。


 ううん、私も出来ることをやらないと。
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:22:31.29 ID:A6rjc17z0
 責任者さんにご挨拶と、今日の進行を再度確認しました。
 雨が降る予定だったので、急遽テントを増設して、待機場所を変更したのだそうです。

 それから、音声のスタッフさんに今日の音源を渡して――。
 えぇと、確かこの辺に――。

 キャッ!?

「うわ、す、すみま…」
「失礼」


 ――す、すごく大きい人とぶつかってしまいました。

 あの人も、プロデューサーかしら。
 346プロのアイドルと思われる、大勢の子達と合流し、念入りに打合せをしています。


 このフェスが無事に終わったら、ほたるちゃんも、あの子達と一緒になるのかしら――。


 そう、ボンヤリ思っている私の背後で、別の人の気配がしました。



「……んん〜? ほぅ、いつぞやの“死神”ちゃんの」

 振り返らずとも、その人であることは何となく分かりました。
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:25:48.76 ID:A6rjc17z0
「なぁ、知ってます? 今日台風が来るんだってよ、台風。
 ちょうどフェスが始まる頃に首都圏上陸ってな」

 ハハハ、と無遠慮に笑い飛ばしながら、その場に立ち尽くす私の横をゆっくりと通り過ぎていきます。

 彼は、派手派手しい黄土色のシャツの下、黒地に強めのラメが入ったズボンのポケットに手を突っ込んでいました。

「出演するアイドルの子達だけじゃなくって、観客も可愛そうだよなぁ。そう思わない?」


「そうですね、生憎のお天気になりそうで…」
「だーもう、おたくらは本っ当にオツムが足りねぇよなぁ」

 ぐるりと彼は私に向き直り、乱暴に手を振りました。

「“死神”が出しゃばるから周りが割を食うんだってこと、いい加減自覚したらどう?
 迷惑なんだよ、ハッキリ言って。346さんだって内心そう思ってるだろうぜ」


「今日のお天気が、私達のせいだと言いたいんですか?」
 私が聞くと、彼は鼻を鳴らします。
「それ以外に何があんの」

 はだけた胸元に、ゴテゴテのネックレスが光っているのが見えます。

「頼むからさ、俺達や346さんみたいに真摯に頑張っている人の足を引っ張らないでくれよ。
 純粋にアイドルと向き合っている人達へのさぁ、冒涜じゃねーの。“死神”ちゃんの存在そのものがさ」
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:27:55.00 ID:A6rjc17z0
「いい加減にしてください」

 とうとう、我慢できなくなってしまいました。
 気づかぬ内に、拳を握りしめています。

「彼女ほど、アイドルと真摯に向き合っている子はいません。
 あの子を……ほたるちゃんを、これ以上馬鹿にしないでください」

「なーに言ってんだ、現にこうして台風呼び寄せてる“疫病神”のどこがアイドルだよ、寝言言って…」
「台風は」

「えっ?」
「あぁん?」


 声のした方へ振り向くと――先ほどの、すごく大きな男の人が、直立してこちらを見据えていました。

 真夏の蒸し暑い中、几帳面と思えるほどにネクタイをきっちり固く締め、ワイシャツの袖もボタンを留めています。

「本州に上陸した際に、温帯低気圧に変わったようです。
 時期も概ね平年通りであり、さほど珍しい事態ではございません」
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:31:03.88 ID:A6rjc17z0
「あんたは?」
「失礼……申し遅れました」

 胸元から名刺入れを取り出し、一枚引き出しました。
「こういう者です。本日は、私がプロデュースするアイドルも出場致します」

 私にも、丁寧に名刺をくださったので、慌ててお返しをします。
 やっぱり、あの子達のプロデューサーだったんですね。


「へぇ……346さんのプロデューサーさんでしたか。
 何も気ぃ遣わなくていいと思うがね、こんな弱小事務所のさ」

 受け取った名刺をポケットにしまうと、彼は大袈裟に肩をすくめてみせました。
「毎年この時期に台風が来るの分かってんなら、開催時期をずらしゃいいだろ?」


「確かに、そのようなご指摘をいただく事もございます」
 346プロのプロデューサーは、落ち着きのある低い、でもハッキリと通る声で毅然と答えます。

「ですが、大型連休を利用してファンの方々がお越しになられやすい時期を検討した上での事です。
 何より、台風の一つ来たところで開催が困難になるほど、私共のフェスは脆弱ではございません」

「フン、そうかい。俺は心配性だから、てるてる坊主でもシコシコ作っとくよ」
「ありがとうございます」
「皮肉で言ってんだよ、つまらねぇ」

 面倒くさそうに、後ろ手に手を振りながら、彼は芝生を靴裏で蹴りつつ去って行きました。
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:33:11.57 ID:A6rjc17z0
「……すみません、ありがとうございました」

 改めて、私は頭を下げました。
 まさか、346プロの方が私を――いいえ、ほたるちゃんをかばってくださるなんて。

「余計な口を挟んでしまい、失礼致しました」
「そ、そんな失礼だなんて!」

「白菊ほたるさん、でしたね?」


 346プロのプロデューサーさんは、少しだけ頬を緩めました。

「先ほど、姿を拝見しました。
 お伺いしていた噂話とはほど遠い、ひたむきで真っ直ぐな、良いアイドルであると感じました」


 お世辞、でしょうか――。
 いいえ――嘘を言っているとは思えません。

 慇懃とした姿勢を崩さないまま、その人はクマのように大きな体を丁寧に折り曲げました。

「私共のアイドルのためにも、今日は大いに勉強させていただきたいと思います」

 そ、そんな畏れ多い――うぇぇ――?
153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:42:57.88 ID:A6rjc17z0
「お互い、頑張りましょう。では、失礼致します」

 最後にもう一度、軽くお辞儀をして、その人はステージの方に歩いて行きました。


 ――ほたるちゃんも、あぁいう人に。
「あぁいう人にプロデュースされたかったなぁ、とか思ってない?」

「う、ひゃぁぁっ!?」

 耳元でそっと声が聞こえて、ビックリして振り返ると、プロデューサーさんが――。
「アハハ、驚きすぎだよ美優さん」

 私達のプロデューサーさんと、ほたるちゃん――。
 トレーナーさんも来てくれていました。


 話を聞くと、今の人は346プロの中でもかなり有能な方のようです。

 プロデューサーさんも、346プロと交渉を進める中で、あの人を頼った部分もあったとの事でした。


「アタシ、346プロの子達のレッスンにも応援に行きましたけど、やはりレベルが高かったです。が!」

 トレーナーさんが普段通り、鼻息を荒くしてガッツポーズを決めてみせます。

「ほたるちゃんの実力は、346プロにも全く引けを取っていません!
 今日の仕上がりもバッチリです、アタシが保証しますっ!」
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:45:30.76 ID:A6rjc17z0
「ほたるちゃん……」

 今日の――いいえ、会場に着いてからのほたるちゃんは、まるで別人のようです。
 いつもはハの字になっている細い眉をキュッとさせて、口を固く結び、何よりもその目。

 並々ならぬ集中力――いいえ、気迫を感じます。
 そこまで、このステージに入れ込んでいたなんて――。


「美優さん」

 真っ直ぐに私を見つめながら、ゆっくりと、興奮を抑えるように、ほたるちゃんは口を開きました。

「見ていてください。必ず……良いステージに、してみせます」


「……はい」

 情けないことです。
 私は、大一番に臨む彼女に、何も気の利いた言葉を掛けることができません。

 ですが、それは分かっていたことです。だから――。


「お、雨が降りそうだな。テントで待機してよっか」
「分かりました」
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:48:52.19 ID:A6rjc17z0
 気づくと、空は真っ黒な雲に覆われ、時折遠くでゴロゴロと音が聞こえます。
 プロデューサーさんが、ほたるちゃんを出演者用のテントへ案内しました。

 皆さんの後ろを歩きながら、おもむろに私はバッグを漁ります。
 そろそろ――。


 ――――?



「どうしましたか、美優さん?」

 トレーナーさんの張りのある声が、かすかに聞こえた気がしました。

 でも、意に介する余裕がありません。


「あぁ、アタシの事なら心配無用ですよっ!
 確かに、先ほどほたるちゃんと最終練習をした際、大量の毛虫が私に降ってきました。が! 逆にこれを上回る毒を以…」

「無い……」
「へ?」



 ほたるちゃんへのプレゼントが――いくら探しても、ありません。

 そんな――え、どうして――。
 事務員さんに聞かれた時には、確かにあったのに――!
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:52:02.71 ID:A6rjc17z0
 可能性として考えられるシーンは、ただ一つ。

 少し前、スタッフさんに渡す音源のCDを出そうとバッグを漁りながら――。

   ――キャッ!? うわ、す、すみま…
   ――失礼。


 あの人にぶつかった時に、落としたとしか、考えられません。



「あっ、美優さん?」

 次の瞬間、私は駆けだしていました。
 いても立ってもいられません。

 誰かに拾われていて、そのまま取られているかも知れない。
 右往左往するスタッフさんと機材に、踏み潰されているかも知れない。
 あるいは、蹴っ飛ばされて、見つけにくい所に隠れてしまったかも知れない。

 嫌な予感――“かも知れない”を挙げると、キリがありません。



 目的の場所が近づいてきました。
 と、その時――。

「あっ――」
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:55:01.29 ID:A6rjc17z0
 遠くの前方を歩く、三人組の女の子達のグループ――。
 その一人の手元に、私は目を見張りました。

 チラリと見える、見覚えのある小包――。

 間違いありません。どうやら、あの子が拾ってくれたようでした。
 歩きながら、どうしたものかと、扱いに困った様子で皆で眺めているのが見えます。


 私は、彼女達の元に駆け寄ろうとしました。
 ですが――。

「エッホ、エッホ、エッホ…!」
「う、うわあぁ!?」

 この辺りの大学の、運動部の方々でしょうか。
 いかにもという屈強な男の人達が、列をなして私の目の前から猛然と行進してきました。

 たまらず、私は沿道の端っこの、邪魔にならない位置に逃げます。

「エッホ、エッホ、エッホ…!」

 すごい人数です。
 一向に、列が途切れません――早く――!


 ――ようやく、男の人達が通り過ぎ、すぐに前方を確認します。
 彼女達の姿は、見えなくなってしまっていました。

 歯がみしてばかりもいられません。すぐに追いかけていきます。
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 23:58:48.51 ID:A6rjc17z0
「はぁ、はぁ……!」

 まだ遠くには行っていないはずです。
 交差点に立ち、私は辺りを見回しました。


「――いた!」
 三人組――長くて綺麗な黒髪の、白いTシャツに青っぽい黒のジャージを履いたあの子っ!

「ま、待って――!」
「あのぉ〜、もしもしそこの若いお方」
「へっ?」


 声を掛けられたようなので振り向くと、腰を曲げたお婆さんが杖をついて立っていました。

「道をお尋ねしたいんですけどねぇ〜、何ていったかしらねぇ。ミシオのさまぁへすとかいう」
「み、346プロのサマーフェスの事でしょうか?」
「あぁそうそうそうなのよぉ〜、孫が一緒に行こうって言うんだども、渋滞で遅れるっていうんでねぇ、チケットの引き替えだけでもしといてくれって」
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:01:29.52 ID:LS54PsoZ0
 お話が好きなのか、優しげに、しかしとてもゆっくりとお婆さんは笑いながら私に話しかけます。
 見ると、あの子達の姿がどんどん小さくなっていました。

 お婆さんには失礼ですが――こんな時に、次から次へ――!


 ――――!?

 まさか、これって――。


「そうせがれ夫婦から連絡があってねぇ、けんどもほらぁ、でっけぇ会場でしょう?
 どこに行ったらいいんだか、右も左もわがんねくてよぉ、ホッホッホッホ」


 違う――私は、心の中でかぶりを振りました。

 不幸のせいではありません。私は――。

 私の人生は、いつもこうなんです。
 ここぞというときに、ままならないものなんです。


「チケットの引き替えでしたら、あちらにチケットカウンターがあります。一緒に行きましょう」
「あらぁそうぉ? 悪いわねぇ本当せがれときたら、地図もよこさねぇでお願いばっかりで」
「いえ。お足元、お気をつけてください」
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:03:52.69 ID:LS54PsoZ0
「ありがとうねえ、本当に助かったわぁ」
「後は、ここで並んで、順番がきたら先ほどの引換券を見せれば、大丈夫だと思います」

 何度もお礼を言ってくれるお婆さんに会釈をして、私は一息つくと、再度走り出しました。

「うえぇぇぇん……!」
「!?」

「おかあさぁん……うえぇぇぇぇ、どこぉ……!」


 ――――〜〜ッ!!



 私は駆け寄って、男の子の手を取りました。
「え……」

「泣かないで。あの大きなテントの所に行けば、お母さんを呼んでもらえるから、一緒に行きましょう?」
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:08:12.74 ID:LS54PsoZ0
「おねえさんありがとう!」

 インフォメーションセンターに行くと、その子の母親とすぐに出会うことができました。
 ちょうど、迷子の相談をしようと思っていたようです。

「本当にありがとうございます。親切にご面倒を見てくださって…!」
「い、いえ。それでは、私はこれで」


 息を切らし、先ほど彼女達を見失った所へ戻ります。

 開催時間が近づくにつれ、人もどんどん多くなってきました。
 もう、見つけるのは不可能に近いかも知れません。


「――!」
 いや、いました――遙か前方に。

 どうやら他の子達と別れたようですが、その黒いジャージを履いた黒髪の子が、広場の外に出ようとしています。

 まさか、こんな簡単に見つかるなんて、何という僥倖でしょうか。
 でも――。


 その子は駐車場の方に歩いて行き、予め待ち合わせていた男の人の車に、乗り込んで行くようでした。
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:10:15.86 ID:LS54PsoZ0
「待って!」

 あのプレゼントは、今日必ずほたるちゃんに渡さなくてはいけないものなんです。
 車で出られたら、もう捕まえる術はありません。

 必死に走ります。ですが――!

 すんでの所で、その車は発進し、駐車場の外へ出て行きました。


 気づくと、大粒の雨がポツポツと、降り始めてきています。


 ――いや、まだです!

「停まってください!!」

 人目も気にせず、私は目一杯大きな声でタクシーを捕まえました。
 やけにトロトロと停車し、のんびりとドアを開けたそれに、すかさず乗り込みます。

「前の車を追ってください!」
 フロントガラスは、瞬く間に降り出した大雨で視界が見えません。
 その雨音に負けないよう、ドラマか何かでしか聞いたことがない台詞を叫び、私は後部座席から身を乗り出して前方の車を指差します。

「え、えぇっ? どれ?」
「早くっ!!」
「わ、分かりましたぁ」
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:13:14.69 ID:LS54PsoZ0
 最初の信号で、運悪く引き離されました。

 いえ、運悪くなんてありません。
 これも“不幸”では、決して――。

「あっ」


 携帯が鳴りました。ディスプレイを見ると、プロデューサーさんです。

 開催前に関係者一同集まるように言われていたのを、すっかり忘れてしまっていました。
 きっと、勝手にいなくなった私を、皆さん怒っているでしょう。

「もしもし、すみません私…」
『あ、もしもし美優さんっ!? 今どこっ!?』

「じ、実は……ちょっと、探し物をしていて、公園の外にいます」
『ええ、えぇぇっ!?』


 私は、なんてダメなんでしょう。
 いつもいつも、皆さんにご迷惑をかけてばかりです。

「本当に、すみません、でも……どうか、待っていてください。
 必ず、出番までには戻りますから……!」
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:18:19.79 ID:LS54PsoZ0
『ぬぅぅ〜〜わかった! 担当者のアレは俺が出とくから、ちゃんとバシッと戻ってね!
 ほたるちゃんすっげぇ待ってるからさ!』
「えっ?」
『いや、えっじゃないよ! ほたるちゃんがもう……あ、はいすみません今行きます!
 それじゃあ、俺も行かなきゃ。一旦切るね! 探し物しっかりな!! あぁっ!?うるせぇなネーサンお前空気読」

 慌ただしく切られ、通話は終わりました。

 てっきり、怒られるものかと――。


 ――そういえば、一度もプロデューサーさんには、怒られたことなんてありませんでした。

 冗談のような事を言って、事務員さんとおちゃらけてみせても、人の良さは誤魔化せないものです。
 言いたい事はあるはずなのに、適当ぶって、どこまでも気を遣ってくれる人。

 その優しさに、報いるためにも、あのプレゼントは絶対に――!



 そしてようやく、前方のあの車が、信号で停まりました。
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:21:05.89 ID:LS54PsoZ0
 今ですっ!
「お金は後で払います!」
「は、はぁ…」

 ドアを開けると、まともに視界が開けないほど、もの凄い豪雨です。
 気休めかも知れませんが、あの日買った折りたたみ傘を開き、急いで前の車に駆け寄ります。
「す、すみません!」

 聞こえないかしら――無礼を承知で、私は車の窓を叩きました。
「すみませんっ!!」


 後部座席の窓がゆっくりと下がり、中から怪訝そうに女の子が顔を覗かせます。
「? ……何?」

 私は、言葉を選びますが、心の余裕はそうありません。

「あの、その……こ、小包をっ! 先ほど、持っていたはずの、プレゼントが…!」
「え?」
「で、ですからっ! えぇと、リボンが付いた包装紙で、これくらいの大きさのを、持っていませんでしたか?」


「…………何を言っているの?」

「え……?」
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:24:08.55 ID:LS54PsoZ0
 ま、まさか、とぼけて――?

 いえ、違う――私は、落ち着いて彼女をもう一度よく見ました。


 長くて綺麗な黒髪――確かにそう。でも、ジャージは――。


 彼女の履いていたジャージは、真っ黒に白のラインが側面に一本入っています。

 あの集団にいた、青みがかったジャージとは、少し似ています。でも――。

 しゃ、シャツも――真っ白の地というよりは、ややクリーム色っぽくて――。



 そ、そんな――。

「ひ…………人違い……」



「おい、どうしたぁ?」
「なんかよく分かんない人が急に話しかけてきた。あの……もう、いいですか?」

 運転席にいた男性と言葉を交わし、彼女は私に、不機嫌そうな顔を向けました。
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:27:23.87 ID:LS54PsoZ0
「え、はい……す、すみませんでした……」


 大雨の中、呆然と立ち尽くす私を尻目に、車が走り出します。

 その後ろに、先ほどのタクシーがやってきました。
「あのぉ、お客さん。ここで降ろして良かったんですかね?」

「はい……あ、あの……先ほどの、会場までお願いしても、良いですか?」

「えっ? い、良いですけど、ちょっといつ着くか分かんないんですよねぇ。
 見てみてください、こっち」


 困ったように顔をしかめ、運転手さんは窓の外の反対車線を指差しました。

 すごい渋滞です。単に、会場への駐車場の混雑だけとは思えませんが――。

「何か、ちょっと前に交差点で事故が起きたみたいでして、全部捕まっちゃってんですよ。
 逆方向へ抜ける事はできるんですけど、こっちから公園へ向かうルートは全滅ですねぇ」

 運転手さんが、カーナビの画面を見せながら説明してくださいました。
 会場となる公園へ向かうルートが、見事に真っ赤です。


 事故――こんな時に――?
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:30:11.10 ID:LS54PsoZ0
「……分かりました」
 やむなく、私はタクシーを降りました。



 腕時計を見ると、もうフェスが始まる時間です。


 車に乗っていた時間は、10分ほどだったでしょうか。

 それだけ私は、会場から遠くに来てしまっていました。
 そして、運転手さんが仰ったように、再度車で向かう事はほぼ不可能です。

 この大雨の中、これから歩いて、どれだけ時間がかかるのか――。


 ほたるちゃんへの、プレゼント――。



 ッ――。

 本当に、自分が情けなくて仕方がありません。

 プレゼントは、諦めざるを得ないでしょう。ですが――。
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:33:16.91 ID:LS54PsoZ0
 私はバッグを漁り、プロデューサーさん曰く「高ぇタフマン」を取り出しました。

 一息にそれを、グッと飲み干します。


 せめて、ステージに立つほたるちゃんに、声を掛けたい。

 謝罪と、激励と――。

 たとえそれを言う筋合いは無くとも、「素敵なステージを見せてほしい」という願いをどうしても伝えたい。


 間に合うかどうかは分かりません。
 しかし、考えている暇が無い事だけは確かでした。


 躱しきれない大雨に加え、風も吹いてきました。

 私の行く先々で、壁が悉く立ちはだかってくる、あの夢を思い出します。

 今日だけは、あれを正夢にする訳にはいきません。


「“こんなもの”で――!」

 水たまりを踏み抜き、おろし立てのスーツを振り乱して、私はなりふり構わず駆け出しました。

 社会人になって以来、ついぞ記憶が無いほどの全力疾走そのものです。
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:37:20.39 ID:LS54PsoZ0
「はぁ、はぁ……!」

 大雨と強風の中、息を切らしながらみっともなく走る私を、通りすがる人々が奇異の目で見ます。
 当然、気にしている場合ではありません。

 一分一秒でも早く、会場へ――!

「きゃあっ!!」

 突然、暴風が吹き荒れ、私の折りたたみ傘は一瞬で逆方向に折れ曲がりました。

「……ッ」
 びしょ濡れになりながら、何とか直そうと試みます。
 でも、どうやら骨がダメになってしまったらしく、元に戻りません。


 ほたるちゃんとの、思い出の傘――。
 せっかく買ったのに、数えるほどしか使わなかった傘。

   ――時期も概ね平年通りであり、さほど珍しい事態ではございません。


「……想定できたこと、ですね」

 つまり、不幸ではありません。
 土砂降りの雨の中、私はボロボロの傘をバッグに押し込み、前を向きました。

「ほたるちゃんのせいなんかじゃない!」

 傘を持っていない方が、走りやすいものです。
171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:40:04.62 ID:LS54PsoZ0
 とはいえ――。

「はぁ、はぁ……はぁ……!!」

 雨が強すぎて、呼吸をするのも大変です。
 おまけに、服がびしょ濡れになってしまい、体が重たくて仕方がありません。

 でも、もう少し――あの交差点を過ぎたら、そろそろ見えて――!


「ッ!? あっ、い……!!」

 走っている私の体が、大きく揺れました。

 途端に、左足に激痛が走り、堪らずその場にうずくまります。


「…………ったぁ……!」

 足に巻かれたサポーターを見て、自分の足が爆弾を抱えていた事に、今さら気づきます。

 よく見ると、ヒールも折れてしまっていました。
 バランスを崩したのは、それが原因でしょう。

「はぁ……はぁっ……!」
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:43:35.13 ID:LS54PsoZ0
 痛みのせいでも、雨のせいでもありません。

 何一つ満足にできない自分の情けなさに、涙で視界が滲んできます。


   ――大丈夫ですか?

「はい……大丈夫、です……ふぅ、ふ……ぐぅ……!!」

 あの日の私とは違う。
 少しは、私だって成長している、前に進んでいるだって、信じたい。

 何とか立ち上がり、再度走ろうとしますが、痛みがひどく、まともに歩くことさえ困難です。


 時計を確認しました。
 予定通りセットリストが進行していれば、ほたるちゃんの出番はもうすぐです。


 だからといって、諦める訳にはいきません。

 いいえ、たとえ間に合わないとしても、私は行かなくては――。
 行って、せめて彼女に謝らなくてはならないのです。

 自分の足の痛みが、今さら何の言い訳になるでしょうか。

 これ以上言い訳を探していたら、私はあの子に、一生顔向けが出来なくなる気がして――。


「はぁ……はぁ…………」

 ヨロヨロと、おぼつかない足取りで、会場を目指します。
 私は一体、何をしているのか、振り返る余裕もありませんでした。
173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:47:19.32 ID:LS54PsoZ0
 時間にして、どれだけ経っていたのかは分かりません。

 公園に着くと、既に開催しているはずのそこは、大雨が打ち付ける音しか聞こえませんでした。


「はぁ、はぁ…………?」

 キョロキョロと、辺りを見回します。

 遠くの大きなテントに、観客とおぼしき人達が大勢待機しているのが見えました。

 どうやら、時間を順延したものと思われます。


 ため息をつきながら、フラフラとステージ裏のテントを目指しました。

 予定なら、そこに出演するアイドル達が――ほたるちゃんがいるはずです。
174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:49:40.52 ID:LS54PsoZ0
 目的の場所にたどり着くと、テントの中は大勢のスタッフさんとアイドル達でいっぱいでした。

「はぁ、はぁ……」

 びしょ濡れでテントに入り込んできた私にも、周りの人達は見向きもしません。
 ふふっ、ラッキー――かしら?


 一応、改めて、それを落とした場所にもう一度立ち、周囲を見回してみます。



 あの時、ここで落としてさえいなければ――。

 悔やんでも、悔やみきれません。


 ――――。



「あ、あのー……どうかしたんですか?」
175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:53:16.41 ID:LS54PsoZ0
「えっ?」

「び、びしょ濡れだから、これタオルです」

 振り返ると、私に声を掛けてくれたのは、高校生くらいの女の子でした。

 今日出演するアイドルの一人なのでしょう。
 赤と白を基調とした、制服をあしらった華やかな衣装と帽子に身を包み、外に跳ねた茶色の髪と大きな瞳が印象的な、とても元気そうな子です。


「あ、どうも……え、あっ、あの……ちょっと落とし物を、この辺りで…」
「えぇっ! あ、やっぱりアレの!」

「……やっぱり?」

「しぶりーん! ねぇしぶりん、いたよーアレを落とした人ー!」

 女の子が、一際大きな声で後ろの集団に声をかけました。


 間もなく、その中から長い綺麗な黒髪の子――あ、あの子――!
 その後ろから、やはり同年代でしょうか、ウェーブがかった髪を揺らして、もう一人――。

 二人とも、この子とお揃いの衣装を着ているので、同じユニットだと思われます。
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 00:56:29.16 ID:LS54PsoZ0
「いやーしぶりんの気配り精神がしかと実を結んだねぇ、やるじゃん、ウリウリ」
「放っておかずにちゃんと持ってるなんて、凜ちゃんさすがですっ」

「たまたま目に入っただけで、別に私は……それより」

 黒髪の子は、他の二人を曖昧な返答であしらうと、私に向き直りました。
「これ、なんですけど……」


 そっとその子が差し出したそれは、まさに私が探していた物です。

 良かった――まさか、こんな形で見つかるなんて――!
「すみません……」


「えっ?」
「実は、たぶん……これじゃないかも知れないんです」

「へっ?」
「何で? どういうこと?」

 他の子達も、揃って首を傾げます。
 先ほどから、目の前の子がどこか気まずそうに声と視線を落としている理由が、彼女達にも合点がいっていないようでした。


「さっき、間違えて、他の人に渡しちゃって……取り違えた、っていうか……」
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:01:06.92 ID:LS54PsoZ0
「な、何だとぉっ!? しぶりん何してんの!それでもニュージェネの、えーと何だ、ニュージェネか!!」
「しょうがないでしょ! まさか同じようなの落とす人が二人もいるなんて思わないし」
「あわわわ! み、未央ちゃん凜ちゃん、人前で喧嘩は良くないですよ」
「人前でなくても褒められたもんじゃないよね」

「ど、どうか落ち着いてください」
 急に慌ただしくなった三人の子達を、咄嗟になだめました。
 げ、元気だなぁ――。

「それで、その……他の人に渡した、とは?
 現にこうして、私が落とした物をあなたは持ってくれていて……」


「これと同じものを、落としたっていう人がいて……
 その人に渡した後、別の所で、これが落ちていたのを見つけたんです」


 つまり――私のと全く同じものを買っていて、落とした人がいた――。
 それを、この子が二つとも、拾ってくれたと。

「大きさも包装紙もバシッと同じだから、間違い無いって言って……
 スタッフのタグを首に下げていたから、今日の関係者だと思います」


 ――同じお店で、同じものを買っていた人が、この会場に?

「白い長袖シャツに、スーツのズボンを履いた、賑やかな男の人でした」
「しぶりんそれ、似たような人いっぱいいない?」
「私に言わないでよ」


 “バシッと”――?
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:03:25.01 ID:LS54PsoZ0
「もう一度……」
「えっ?」

「もう一度、その人が何て言って受け取ったか、なるべく正確に教えてもらえますか?」

 私の頭の中に、ある種の確信にも似た予感が一つ、浮かんでいました。


「えぇと、確か……
 「あぁ〜コレですコレ、間違いない。大きさも包装紙もバシッと同じだよ、いやぁ良かったぁ。
  ありがとう、お礼に後でアイスでもサクッと奢るね」みたいな事を……」


 ――やっぱり。

「ぷっ、あ、アハハハ! り、凜ちゃんモノマネが、へ、ヘンな……!」
「だ、だから! 私が言ったんじゃないってば!」
「微妙に感情込めてるの、ジワジワ来る……く、くひひ……!」


「ありがとうございます」
「あ、えっ……?」

「その人には、心当たりがあります……これは、私がその人に渡しておきますね」
179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:05:44.61 ID:LS54PsoZ0
 本当は、最初から、彼に聞いておけば良かったのかも知れません。

 ですが、ありがたい事に、後悔する気分にはなれません。


 なぜなら、あの人がまともに答える事は無いと思えるからです。

「ひょっとして、ほたるちゃんへのプレゼント、買っていましたか?」
 そう聞いたとしても、あの人は適当にはぐらかして、直前まで秘密にしていた事でしょう。


 絶対に、私達には見せない一面があることを、私はあの日から知っていました。

 適当に振る舞っているように見せて、おそらくは、誰よりも汗を流し、私達を見守ってくれている人。



 あぁ、見えてきました。あの見慣れた後ろ姿。

 その人は今――。


「いい加減にしてくれよオタクらさぁ!
 どうしてくれんだあぁん!? オタクんトコの“アレ”のせいでもう台無しじゃねぇか!!」

 あの、意地の悪い人と向かい合っていました。
180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:10:32.70 ID:LS54PsoZ0
「どうしてくれるんだ、とは?」
「落とし前だよ、落とし前っ!!
 俺達はこのフェスにかけてきたんだよ、オタクらとは違ってなぁ!!」

「お言葉を返すようで恐縮ですが、我々は魔法使いではありません」
「あぁん?」

「出来ることと、出来ないことがございます」


 こちらからは、プロデューサーさんの後ろ姿しか見えないため、どんな表情なのかは分かりません。

「当初申告していた、私共の担当プロデューサーが一人この場にいない事について、お騒がせをしたのであれば謝ります。
 ですが、当日の天候について、私共が責任を負うことは出来かねます。それはご理解いただきたい」

「ハッハ、なぁに言って……テメェんトコの“死神”のせいだろうがどう考えてもよぉ!?」
 相手の男の人は、さらに険悪な表情になってプロデューサーさんに捲し立てます。

「アイツの“不幸”が全て悪いんじゃねぇか! 不幸が周りに不幸をもたらす、リッパな公害だよ!!
 ふざけてんじゃねぇぞ、テメェでラチが明かねぇんじゃいっそ出るとこ出て…!!」
「ハッハッハッハ」

「……何がおかしいんだぁ?」


「彼女の不幸は罪ですか?」
181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:14:18.40 ID:LS54PsoZ0
「何だと……?」

「彼女が背負う不幸が、全て彼女のせいでしょうかと聞いているんです」


 プロデューサーさんは、微動だにせず、その男の人を見据えているようです。

「確かに、彼女は数々の不幸に晒されてきました。
 彼女の所属していた事務所のいくつかも、潰れてしまった事実は確かにあるようです。
 だが、彼女自身がそれを望んだ事は一度だって無い。
 いつだって彼女は、それを回避し、跳ね返し、あるいは周りの人に及ばないよう一人で受け止めて来た」

 一歩、近づいてプロデューサーは、なおも続けます。

「彼女は、不幸との付き合いこそ長くあれ、不幸に晒される姿が似合う子では決してありません。
 それに打ちひしがれ、耐えきれず逃げだし、ましてやそれを周囲に押しつける事を、何よりも許せない子です。
 断言します。彼女以上に強い人は、この会場のどこにもいない」


「テメェんトコのアイドルの自慢話はいいんだよ、俺が言いたいのは…!」
「出るとこ出ると、そういうお話でしたね。ふざけるなとも。
 同感です。ふざけてほしくないのはこちらの方だ。出るとこ出たいのなら、出ればよろしい。
 こちらも今の御社の言葉、そっくりそのまま名誉毀損で訴えてやりたい所なんですよ」
「何だぁ!?」



「三船君」
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:19:58.38 ID:LS54PsoZ0
 急に声を掛けられ、ビックリして振り返ると、事務員さんでした。

「アレは放っておいて良い」
「えっ? で、でも…」

「数少ない彼の晴れ舞台だ。アイドルを守るという、な」


 ――私は、彼の後ろ姿をもう一度見つめます。


「我々は弱小事務所だが、吹けば飛ぶような軽い相手ではない。
 何を以て訴えるおつもりか、仰ってみてください。その分我々は御社を訴えるネタが増える。
 受けて立ちますよ、ガシッと」



「やれやれ……後で百円だな。それより」

 事務員さんに促され、私達はその場を後にします。


「どこに行っていたのかは、敢えて聞かない。だが……あの子に謝っておきなさい」
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:23:28.95 ID:LS54PsoZ0
「はい」

 そうです。
 私は、まず謝らなくてはなりません。

「せっかく用意してきた、ほたるちゃんへのプレゼントを、私は…」
「そうじゃない」
「……えっ?」


「大一番を前に、傍にいてやれなかった事をだ」



 通路の先の、舞台袖に到着すると、彼女は――。

 両手を胸に当て、俯かせていたその顔を、ゆっくりと上げ、こちらに向けました。


「美優さん……」

 その顔には――先ほどまで見せていた、あの気迫に満ちた面影が、どこにもありませんでした。
184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:25:47.97 ID:LS54PsoZ0
「ほたるちゃ…」
 言い終わらないうちに、ほたるちゃんは私の元に駆け寄り――。

 抱きついて来ました。
 ちょ、ちょっと私、服が、びしょ濡れで――。

「ほたるちゃん、あの、衣装が汚れ…」
「ひどい……」

「え……」

 ギュゥ、と、少し苦しいほどに、彼女は私の腰の後ろに回した手を、握りしめました。


「ひっぐ、み……みぅさん、どこにも……い、いなくて……ひ、いぃ……!」

 抱きついたまま、抑えきれない涙声を上げ、体を震わせています。



「寂しくて……心、ぼそくて、もう……なんども、に、にげ……え、えっぐ、うぅ……!」
185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:34:33.08 ID:LS54PsoZ0
「ほたるちゃん……」

 胸の中で、わあぁぁっと泣く彼女に、私は言葉を失いました。


 私は、何も分かっていません。

 彼女のプロデューサ―、友人、ファン第一号――。
 そう言いながら、ほたるちゃんの事を何一つ、ちゃんと見れていませんでした。


 まだ13歳――そして、ずっと憧れていた、初の大舞台。
 緊張しないはずがありません。

 何より、自身の不幸が誰かに危害を及ぼす事を、何よりも恐れる彼女です。
 この台風の中、それでも来てくれるお客さん達に自分は何が出来るのか、一生懸命考えたことでしょう。

 想像を絶するプレッシャーを押し殺すために、だから彼女は一途に段取りを整理し、直前まで練習を重ね、言葉少なに取り繕おうとしたのです。


 冷静であった訳でも、気迫を充実させていたのでもありません。

 彼女は、これまで得てきた限りあるものに、必死ですがったのです。
 それだけ、彼女は追い込まれていたんです。

 それを、私は――表面上の姿しか、見ようとしていなかったなんて――。


「やくそく……うっ、し、した……そばに、いて、いてって、言っ……うあぁぁ……!!」
186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:37:15.13 ID:LS54PsoZ0
「……返す言葉もありません」

 私は、ほたるちゃんの両肩に手を乗せ、ゆっくりと体を引き離すと、屈んで顔を彼女の目線に合わせました。

 涙に濡れた丸くて綺麗な瞳の上に、一層ハの字になってしまった彼女の困り眉が並んでいます。


「本当に、ごめんなさい……ほたるちゃん」

 少しだけ視線を落とし――もう一度、今度はしっかりと彼女の顔を見ます。

「許してほしいとは、言いません。
 だけど……もし一つだけ、言い訳をさせてもらえるなら……」


 そう言って、私はポケットに入れていたそれを、そっと取り出しました。

 少し包装は汚れてしまったけれど、これは――。

「これは……?」
「開けてみてください」

 プロデューサーさんが買っていたものですが――おそらく中身は、私が用意したものと同じはずです。



「……テントウムシ?」
187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:41:50.65 ID:LS54PsoZ0
「そうです」


 いつか、ほたるちゃんと買い物に行った時、オリジナルアクセサリーを売っていた服屋さんがあったのを、私は思い出しました。

 テントウムシについて調べた私は、ぜひ本番の日に、それにまつわるプレゼントをしたいと思い、その服屋さんに足を運んだのです。

「そうですねっ! 例えばこういうネックレスもありますけど、当店の一番人気は小さくルビーをあしらったこちらのイヤリングも…!」
「あ、うぅ……」

 店員さんの積極的なセールスに、私は挫けそうになりましたが、何とか一つだけで勘弁していただきました。

 たまたま、私が求めていたモチーフを象った、アクセサリー――。



「テントウムシの、ネックレス……ちょっと、変かも知れませんが」

 私は、ほたるちゃんの手からそれを取ると、彼女の後ろに回り、首に掛けました。

「ほたるちゃんにこそ、ふさわしいと思ったから……お日様に向かう、テントウムシ」
188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:45:05.08 ID:LS54PsoZ0
 そっと、手を離します。

 ほたるちゃんの白くて綺麗な首元――。
 小さい銀のお花の上に、金色のテントウムシが、ちょこんと控えめに留まりました。


「わぁぁ」

 彼女はそっと、大事そうにそれを両手の指でつついた後――目元を拭い、ニコリと笑ってくれました。

「ありがとうございます……こんなに素敵なプレゼント、初めてです」

 こんな時でも、お世辞を忘れない辺り、気ぃ遣いのほたるちゃんらしいですね。ふふっ。
 思わず、私も笑っていました。


「……そろそろ、時間だな」
 事務員さんが、腕時計に目を落としました。

 話によると、開催を1時間順延させた際、セットリストにも若干の変更があったようです。

 天候がまだ回復せず、お客さんも集まりきらないであろう、最序盤――つまり、前座としての出場。


 言い方を変えるなら、栄えあるトップバッターという大役です。
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:47:41.37 ID:LS54PsoZ0
「白菊ほたるさん、そろそろご準備の方よろしいでしょうかー!?」

 スタッフさんがこちらに駆け寄って来ました。
 いよいよ、その時です。

「はい」
 ほたるちゃんは、しっかりとした声でそれに応え、ステージの方へ歩いて行き――。


 階段の手前で、止まりました。

「美優さん」


 クルッと、まるで舞うように振り返ったその表情は、眩しいほどの笑顔で――。

「先に行っています。どうか遅れないうちに、美優さんも来てくださいねっ」

 そう言って、彼女は向き直り、ステージへと上がって行きました。


 彼女は、まだ私を、アイドルとして――。

 ううん、今は私の事なんてどうでも良いんです。



 設置されていた照明が、暗転していた舞台の上をゆっくりと照らし出していきます。

 そこに立つ一人の少女の姿を認めた観客達は、ようやく始まるお祭りの予感に、一斉に歓喜の声を上げました。
190 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:49:54.03 ID:LS54PsoZ0
「大丈夫……ですよね、ほたるちゃん」

 固唾を飲んで見守りながら、そっと隣の事務員さんに同意を求めます。


「そうだな……何せ、事あるごとに色々な目に遭ってきた子だ。
 今日のような日のこの時に、何も起こらないとはとても思えない」

 ところが、事務員さんは私の意に反し、縁起でも無い事を言い出しました。

「ちょ、ちょっと事務員さん!?」
「フフッ、まぁまぁ」

 彼女は苦笑し、手を振ります。


「私は、何も心配していないよ。何かが起きたとしても、既に取るべき手は打ってある」
「……えっ?」


「たとえ彼女が“死神”や“疫病神”だとしても、捨てる神あれば拾う神あり……いや、この場合……」

 事務員さんは、得意げに鼻を鳴らしました。
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:51:52.24 ID:LS54PsoZ0
「災い転じて福と成す、と言ったところかな」

 そう言った瞬間、でした。


 ビシャアアアァンッ!!

 と、もの凄い轟音と稲光が会場を襲いました。

「キャッ……!!」

 たまらず私は身を屈めます。が――ふと、辺りが真っ暗になりました。



 雷がステージに落ちて、停電してしまったのです。


「そ、そんな……!」
「大丈夫」

 事務員さんは、腕を組んだまま少しも動じていない様子でした。

「せいぜい、これもある種の演出になるだろう」
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:55:59.94 ID:LS54PsoZ0
「演出……って」

 私が彼女の意図を掴めずにいると、突如、一つのスポットライトがほたるちゃんを照らし出しました。
 え――。

 観客からも、少なからぬどよめきが聞こえます。

「非常用電源だ。
 通常は必要としないそうだが、私と彼で346側に交渉すると、設置に了承してくれた」



 一筋の光の中央に立ち、飛び立つ時を待つ少女。


 私は、“天道虫”の名前の由来を思い出しました。



 英語圏では、レディ・ビートル、またはレディ・バグと呼ぶそうです。
 レディとはすなわち、聖母マリア様のこと。

 害虫に困っていた農夫が天に祈りを捧げたところ、沢山のテントウムシが害虫を食べてくれたおかげで、豊作となった。

 あるいは、その赤い背中はマリア様のマントとローブを、黒の斑点はマリア様の7つの悲しみや喜びを表すとも。
 
 日本でも、その虫が無実の罪人を救った逸話が「天道常に善人に与す」と伝えられ、太陽に向かって登る習性と、黒の斑点が太陽の黒点に見えることから、“天道虫”と名付けられたのだとか。
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 01:59:08.67 ID:LS54PsoZ0
 そう――つまり、国内でも海外でも、とても縁起の良い幸運の象徴として、古くから伝えられた虫なのです。

 でも、テントウムシ自身はどうでしょうか?


 その虫は、人に幸せを運びにやってきて、代わりにその人を襲うであろう災厄を引き受ける。

 背中の斑点に、人々から引き受けた悲しみを、不幸を、彼女は一身に背負い、天に向かって上っていく。

 そして、てっぺんまで上ると、彼女は小さな羽根を遠慮がちにそっと広げ、不幸を持ち去るべく飛ぶのです。


 彼女は、私達が本来受けるはずだった不幸を、これまでずっと肩代わりして来たのかも知れません。

 しかし、飛び立つ機会が無かった。

 あまりに多くの不幸をその小さな身体に抱えたまま、今日まで生きてきた苦しみは、どれほどのものだったでしょう。
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 02:00:46.65 ID:LS54PsoZ0
 だから私は、ほたるちゃんの力になりたかった。

 少しでもその身を軽くして、障害を取り払い、ステージまで上らせてあげたかった。

 そして今、彼女はそこに立っています。


「ほたるちゃん」

 もう、遠慮しなくていいんです。
 取り巻く空間も、流れる時間も、あなただけのためのものだから。


 彼女は決して“死神”でも、“疫病神”でもありません。

 どうか皆さん。見てください。

 その小さな羽根を――あぁ、やはり遠慮がちにそっと広げ、誰よりも幸せを願った少女が――。



 “女神”が今、飛び立ちます。
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 02:03:40.89 ID:LS54PsoZ0
 ――――♪

 ――ッ――〜〜♪



「あぁ……」

 すごい――なんて、楽しそうに歌い、踊るのでしょう。

 可愛らしい、アップテンポなメロディに乗せ、観客の皆さんに愛を振りまいています。


「やった……」
 思わず呟いていました。視界の隅で、事務員さんが頷くのが見えます。

「然したる不自由も無く順調に歩みを進めてきたアイドル達に比べ、あの子はレッスンさえも満足に行えなかった」

 私は、事務員さんを見ました。
 腕組みをして、じっとその様子を見守る横顔は、今まで見たことがないほどに穏やかです。


 ――〜〜〜ッ! 〜〜!♪


「だが、それだけあの子には、磨かれていない部分が多く残されていた」

「……はいっ」
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 02:05:28.54 ID:LS54PsoZ0
 一番のサビが終わると、観客から大きな声援が上がりました。

 それに応えるように、さらに眩しい笑顔を見せながら、彼女のパフォーマンスはますます洗練されていきます。


 ――――♪

 ――〜〜――〜〜ッ♪


 ほたるちゃんの笑顔は、演技ではありません。
 ずっと夢見たステージが、楽しくて嬉しくて、それが抑えきれないのが見て取れます。

 良かった――本当に、彼女はようやく――。

 ――ッ!?



「く、靴紐が……!」


 ――〜〜〜〜♪ 〜〜〜♪


 私は、彼女の足元に目を見張りました。

 彼女自身は、気づいている様子はありません。


 彼女の靴の裏側で縛った紐が、ほどけ――いえ、あれは切れかかっている――!?
197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 02:08:49.63 ID:LS54PsoZ0
「ウソ……」

 見間違いだと信じたい。
 実際、この位置からでは、彼女の靴紐なんてほんの点のようにしか見えません。

 ですが、嫌な予感が胸の中で膨れあがるのを、私は抑えることが出来なくなっています。


「や、やめて……」

 この後、最大の見せ場であり難所である、大振りのステップとターンがあります。

 そうです、忘れる事なんてできません――私があの日靴紐を切ったのも、このパートだったんです。


 神様、どうかやめてください。

 ようやく彼女は飛べるんです。光を手にすることが出来るんです。

 何でもかんでも、どうか不幸を押しつけないで。
 これ以上、彼女から何もかもを奪わないで――!


 ――〜〜〜ッ♪ 〜〜〜!♪


 ボルテージが極限まで高められ、いよいよサビへと入っていきます。

 満面の笑顔で、ほたるちゃんは元気よく足を振り上げ、ステージを強く踏みつけました。


  ――ブチッ。
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 02:11:26.22 ID:LS54PsoZ0
「! あ、危ないっ!!」

 紐が切れたっ!
 切れ――!


 ? え――――。



 ――〜〜〜ッ!♪ 〜〜♪ 〜〜!!♪


 小さな体からは想像もつかない、キレのあるダイナミックなターンを見せた彼女に、観客からは一際大きな歓声が上がりました。

 額に汗を浮かべ、それでも変わらずほたるちゃんは歌い、踊れる喜びを、なお全身で表現し続けます。

「た、倒れなか……た……?」


「靴紐なら」

 呆然とする私の胸中を見て取ったのか、事務員さんが口を開きました。
「あれは飾りだ」
「飾り?」

「本当は、足を中のゴムで留めてある。
 靴紐は切れる可能性があるからという、あの子自身の提案によるものだ」
199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 02:15:19.17 ID:LS54PsoZ0
「ゴムを……」
「大したものだよ。つくづく不幸との付き合い方を、あの子は心得ているのだな」

 腕を組み直し、感心した様子で事務員さんは、鼻でため息をつきました。

「しかし、不幸な境遇そのものを、あの子は良しとしなかった」

「だから、アイドルを……?」


 ッ――!!


   ――おそとにいって、むしのかいだんごっこするの!

   ――おばあちゃん、おそとのむしはかわいいって、いってたもん! おそといくの!



 突然、ふと、私の幼い頃の記憶がフラッシュバックします。

 祖母から教わったばかりの、外での遊びをやりたくて、玄関で慣れない駄々をこねる私が見えました。
200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 02:18:22.04 ID:LS54PsoZ0
「私は……」

 こんなものだ、と――いつからかずっと、何かを追い求める気持ちを、抱かないようにしていました。

 反発を恐れたからです。ですが、駄々をこねて親から怒られた訳ではありません。

 苦心して親が代わりに提示してくれた遊びが、あまり面白くなくて、内心、幻滅してしまったのだと思います。

 それも全て、私がワガママを言ったからなのだと――。


 そうして、何事にも予防線を張り、あらゆるものを“こんなもの”にして、いつでも自分への言い訳を仕立て上げた。

 目を背け、諦めることで自分が傷つかずに済む立ち回りに、納得を求め続けた。

 ですが――。


 ほたるちゃんは、どんな不条理をも受け止め続けたのでしょう。

 でも、決してそれを良しとせず、抗い続けた末に、彼女はトップアイドルへの道を志した。

 不幸な自分を変えるために――そして。

 苦難の末に、彼女はようやく、それを手にしようとしています。


   ――そうやって……
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/30(月) 02:24:33.86 ID:LS54PsoZ0
   ――簡単に諦めきれるものじゃないはずです、夢って。


 ――〜〜〜ッ〜〜〜〜!!♪


 ワァァァッ!! と、凄まじい歓声が会場を支配しています。
 大サビ前の間奏に入ったのでしょう。


 どうして、ほたるちゃんはアイドルを目指したのか?

 それは、彼女にとっては至極簡単で、当たり前の事だったんです。
 幸せになりたい、という――。



 目を背けて逃げ続けた私と、抗い追い求め続けた彼女。

 ほたるちゃん、あなたは――。


 私がこうありたいと憧れていた姿そのもの。

 私が諦めた全て。

 似ているようで、決定的に違った結末。



「ほたるちゃん、ステージに上がる前……私に言ったんです」
「あぁ」

 先に行っているから、遅れずに来てください、と――だけど――。
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